SNS映えしないリアリティ。

心の隙間を埋めるかの如くゲームやってるけど(笑)いよいよドラクエに手を出しちゃってさ、あ、最新作ね。まぁ端的に言って神ゲーですよね。ドラクエは戦闘のテンポの悪さが嫌いで戦闘倍速とかにできたらいいのになーとは常々思ってたけどこのスピーディーな感じはめっちゃいいよね。能動的に戦おうと思えるスピードだよね。あとまぁグラフィックだわ。ここまでとは・・・って感じ。今は例の人と二人旅を始めたあたりなんだけどあまりに面白くてすぐ終わりそうだから他のを挟もうと思ったんだけどいよいよないんだよねやるゲームが(笑)

 

ブラボはね、だいぶやってなくて久々にやったら「こんなのやってたっけ?」ってぐらいな感じになってて(笑)すげー修羅場を乗り越えてきてようやく安定期に入ってるはずなんだけどやらなくなると一気にゲームの難しさってのが映えますよね。あとホライゾンとかも中途半端に終わってない感じだわ。あ、あとあれか、Last of Usね。あの子可愛すぎだよね。あのお転婆な感じが。

 

あとあれだわ、龍が如くの維新のやつも買ったんだけど龍が如くは1と2移行やってないけどずいぶんとバイオレンス度が下がったなーっつーかマイルドになった印象があるわ。最新作とかもこんな感じなのかなーって感じだけどまぁいいや。あ、あとFFのゾディアックね。リマスターのやつね。元は育成要素が意外にハマって買ってからだいぶ経ってから進め始めて面白くなった感じで結構やったんだけどジョブが二つ持てるっつーのとなかなか評判がいいんでやってみたらまぁやっぱ面白いよね。4倍速とかでやるとめちゃめちゃ成長早いし。あと日本語でやったことなかったからなんか新鮮でいい感じだよね。まぁこれはもう完全にすぐクリアするのが目に見えてるから同じく一気にやらないように自制してるわ。

 

なんかでも改めて人生って一体何なんだろうな?っつー感じがすげーあってさ、今はなんか色々あってタイミング的にゲームに助けられてるけどやるゲームが無くなる頃にはだいぶ事態も落ち着いて心も落ち着いてるだろうけどまぁまたなんか永遠とアレが始まるのかと思うと気が重いっつーかむしろゲームで色々まぎれてなんとかやっていけるってのもある意味人生の本質の一つなんだろうなとは思うんだよね。まぁ思考停止だけどある程度やることやったらあとは酔っぱらってテレビ見てるだけとかそういうのと同じだよね。まぁ別にゲームってそこまで消極的なことではないと思うけど結局なんかリアルを肯定できてないっつーか、実存的な問題から逃げてるばっかだよねって思うんだよね。

 

かといっても別に虚構的なリア充を作り出すみたいなSNS映えみたいな言葉もあるようにまぁ自己顕示欲とかうまくいってますアピールって昔から普通にあってただ今はSNSがあってみんな競い合うようにそれをやってるってのがあるだけで現象としては別に新しくないんだよね。ただまぁアピールってのが誰にでも見られるってことでよりアピールしようとする輩が増えたっつーのとまぁああいうのを見てると本当に余計に虚しくなるよねってリアルという虚構があるにも関わらずそれをさらに粉飾されたリアルでさらに虚構を作るなんてもうSNSっつーメメントスがあってもいいぐらいの闇だと思うけどでも結局どう認識するか?って別に任意だし何もかもが剥がれ落ちたリアルってのを認識しなくてもSNS映えするようなもんを永遠と撮り続けるみたいなのも一つのリアリティだよね。

 

思うになんで歳を取るとどんどん若い時の新鮮さとかが失われていくのか?ってまぁ人生自体に飽きるってのもあるんだけど特に俺ぐらいの世代だとまだかろうじて大きな物語が生きていた時代だったりなんかしらの追えるものがあったりしたんだけどまぁそっから一気に砂漠のリアルになっていくわけなんだけどそういうのを歳と共によりリアルに感じられるようになって幻想とかが介在しないそのままのリアリティってのを毎日突き付けられるってのが永遠に続くわけなんだよね。

 

まぁでもそれはもっと若いころみたいに分からなかったからこそ「ある」とかって勝手に思えることで追えてたことが無くなったりしてまぁ本当に自分の足で立たなきゃいけないみたいな感じになっててんでもまぁそこであれだよね、ネタバレになるけどペルソナの聖杯的なもんが出てきたりするんだよね。なんかむしろ思考停止できてたほうがいいし幻想でも信じられるものがったほうがいい的なものが集合的無意識みたいな感じで機能し始めるっていう、んまぁそういうもんには立ち向かうにしてもそういうもんに立ち向かうにしても別に日々の虚しさは変わらないから自分も結果的にそういう聖杯に飲まれかねないみたいなところがあるってのが怖いよね。

 

まぁでもそんな中でさ、俺はこんなリアルを生きているんだぜ!みたいな誰もが羨むようなリアルを生きてなくてもそもそもリアルに向かっているっていうattitudeだよね。SNS映えだの自己顕示だのみたいな虚構のリアルではなく現実の本質的に虚無なリアルに向かい続けているっていう生き方だよね。それだけでいいんじゃない?って気がするんだよね。最近は。

 

その結果、凄い認識が得られました!とか良い現実を引き寄せられました!とかじゃない別にまぁただそれに向かってるしたまに向かう気力も無くなるけど虚構にさらにまた虚構で塗り固めるみたいなリアルをリアルだとは認めないぜっていう認識だよね。これってまぁ何気にカント的というかまぁ真実への態度っつーそれこそプラトンにまで遡れるような話なんであって別に西洋哲学的なものに源泉があるからといってそれが普遍的とは言わないけどでもまぁ知的態度ですよね。

 

だからそれはニヒリズムにも向かわないしSNS映えみたいな虚構にも向かわないし上辺だけのリア充みたいなのにも向かわないんだよね。本当の意味でのリア充ってのは精神的充足のことを言うわけだよね。だからそれはSNS映えしないわけだ(笑)

 

その姿はすげーイケてない恰好と状態で飲んだくれた状態でどこの負け犬だ?って思われるようなものかもしれないんだけど恋人と一緒にいようが仲間とバーベキューしてようがそれがただ上辺だけの虚構だったら全くそれは意味ないわけよね。精神的な充足が得られてればSNS的な見栄えが無残であろうとも(笑)それは関係ないんだよね。そこであえて勝ち組負け組みたいな言い方をすればこれって本質的には精神的なものだよね。だからそれは人生において勝つってことは認識的なことなんであって全く経済的な状況とかに規定されないしモテなくて惨めな生活を送っているみたいな現状があっても精神性が高かったらそんなの全然関係ないんだよね。

 

まぁなかなかそういうのだけを求めるというのは難しいんだけどさ、んでも別に勝者ってのは認識のレベルで言えることなんであって高級車を乗り回してるとか一等地のマンションなり家を持っているということではないっていうのは明らかな事実だよね。逆にそんだけ物質的な面で見栄えだけは凄くても内面的にダメだったら全然ダメじゃん?

 

まぁそういうものがvalueとはされない時代ですよ。まぁそれは今も昔も変わらないんじゃないかと思うよね。そんな中でいかに高潔を貫いてヴァーチューを追い求めるっていうところだよね。あとどんだけ時代の波に飲まれようが制度的なものとか権力的なものとかリアル的なものの圧力があろうが思う正義を貫徹するっていうことだよね。

 

むしろ現実なんて虚構だらけで虚構性が明らかだからこそより虚構を作り出してそこに居ようとするっていうようなのが実際のリアリティでもあくまで本質的なただそれがあるっていうような物自体みたいなリアリティをそのまま知覚しながら世間のリアリティとはかけ離れた本当のリアリティを生きるってのもそれは仮に幸福には繋がらなくてなおかつ現実から見ればオルタナティヴなリアリティと言えるぐらいの世間とのリアリティとの知覚の乖離があったとしてもそこでリアルを生きるんだよね。

 

feel goodってのはまさにそれが虚構だろうがなんだろうが体感が良ければそれでいいっていうようなもんであってんでもそんなもんはどんだけ幸せだろうがクソだって言い切れるのが本当のリアリティを生きるってことじゃん?生の肯定ってのはそういう態度でしか真のものは得られないよね。

 

あーこのままじゃ幸せになれない・・・幸せにならなきゃ!っつって虚構に逃げるってのは最悪のルーザーなんですよね。得るものを得て誰もが羨むような生活を得ても結局はリアルに向かえてないっていうような精神性も所詮はルーザーなんだよね。そういう意味で認識のレベルの勝者ってのは現状がどうのとか経済的にどうのとかっていうことと全く関係ないわけだからね、そういう意味で万人にその可能性は開かれているんだよね。ただ色々な虚構に惑わされて卑屈になったりしなければその道ってのは万人に開かれてるよね。これは本当に救いなんだと思うんだわ。

 

まぁそんな感じでんじゃまた。