何時間も要する一言。

mimisemi2007-04-20

そうだね、毎日デカイトピックなんかを扱おうとせず、一言とかでもいいかもね。あ、ウォール伝ね。思えば毎日これに費やしている時間が結構あるなーと思って、こっちに来てまで何をやってるんだ?って気がしてきたり。まぁいいんだけどね。あのー見てくれはってる人も多いし、嫌になりたくないからこそ、一言という日があってもいいかも。文字の洪水っていうコンセプトは捨てるわ。少しだけ。

そうそう。ただまぁヴァージニアについてだけど、当然、こっちにいればクラスでこれについての話題が出てきたりするんだけど、特に顕著だったのが今日のインテリ先生でのクラスね。インテリ先生のクラスはたまにメディアについてのレクチャーみたいになったり、まぁそのメディアリテラシー的なね、そんな感じになることが多いんだけど、今日は夕方のニュースを見ながら、ニュースを解析するっつーか、事件がどう報道されているのか?というのをローカルニュースとナショナルニュースを見て比べてみるみたいな感じだったんだけど、やっぱヴァージニアに関するニュースがあって、まぁそっから話題がヴァージニア中心になったんだけど、あー書くの面倒だ。簡単に書くと結局、こっちも日本と一緒でこういう事件があるとテレビ局が飛びつくわけ。で、センセーショナリズムって言うらしいんだけど、こういうのをセンセーショナルに報道して、視聴率を稼ぐっていう、まぁ一種のエンターテイメント化が行われていて、肝心の報道に関してはもう置き去りになっているというわけ。例えばなぜこの学生がこういった事件を起こしたのか?というような根本的な議論、例えばそれは精神医学的な見地からのものでも社会学的な見地からのものでもいいんだけど、こういうのが繰り広げられるニュース番組がほぼ無いわけ。例えば銃の規制に関しても真っ先に思いつくけど、議論が無いわけ。まぁ全米ライフル協会が政界と繋がっていて、結局、メディアを所有してる会社が銃とか兵器の会社も持っていて、結局、その自分の局で銃の規制なんかの報道なんかをやってしまうと、自分の会社に関わることなわけで、んだからやらないってこともあるわけで、まぁ凄まじい問題なんだけどね。メディアを所有している会社が銃を作ってるんだから規制なんてやるわけないってわけよ。どこの局だったか忘れたけどね。ただ他の局も似たような悪循環があるんだよね。利権だとか利益がらみのことで。ホント、この先生のポイントは冴えていて、ニュースのトップとかで、あの学生が銃で武装した写真を持ってくるけどこれが何を意味するのか?っていうと、まぁセンセーショナリズムに他ならないわけで、事件のディティールや肝心の部分はこの学生の武装した写真とはなんら関係性も無いわけね。結局、人の目をひきつけるためにこういう写真を使うわけで、これが何を意味するのか?っていうと、ただ単にセンセーショナルな部分だけを取り上げて中身をやらないというのは、結局ゴシップと変わらないんだよということね。ハリウッドのセレブのスキャンダルだとか、誰々が離婚だとか不倫だとか愛人を囲っているだとか、そういうのをセンセーショナルな写真と共に報道するのと変わりが無いと。そう思うとアメリカのメディアってのは日本以上に腐り果てていて、特にこういったセンセーショナリズムに関してはそれが顕著かもね。日本のメディアのほうがまだ議論やなぜこういう事件が起こるのか?ということにフォーカスを当てていると思う。こっちではひたすら「クレイジー」が起こした事件として報道されているのが大半で、人々の無関心とか思考力の停止をよく表していると思う。まぁメディアがそう報道するから人々がそうなるのかもしれないけど、まぁ相関的だよね。この先生に言わせれば俺がいうところの「馬鹿な日本人」とアメリカ人の本質も変わらないんだそうだ。まぁ実際、アメリカってのはデカイ国だから一口に言えることでもないんだけど、俺が言う「馬鹿な日本人」的なことは、世界各国で起こってるということなのね。別にだから日本が特に馬鹿なわけではないと。同じタイプの人々は世界中にいるというわけで。今回の事件のたちが悪いのは、確かに狂った事件だけど、自分たちに見覚えのある動機も含まれているということで、例えばそれは金持ちが憎いだとか人生への不平等さだとか、社会からのプレッシャーだとか、まぁ金持ちが憎いっつーのはアレだけど、所謂、格差社会的なことも含まれていて、全ての動機がこの犯人の狂った思考から来ているわけではないということね。完全なクレイジーが起こした事件ならクレイジーして片付けられるかもしれないけど、この事件は明らかに社会性のある事件なわけよ。そう思うと本当に良く分かるのが日本の犯罪ね。似たような動機、例えば社会からのプレッシャーだとか不平等感だとか、そういうことに強く繋がっている事件は多いと思うんだよね。社会が人々にプレッシャーを与えれば与えるほど、こんな事件は増えるわけだ。まぁ今回は特にそれが極端な形で出てしまったわけで、根本の動機として考えると、例えばこういう憂鬱を感じている青年が未来に不安しか感じなくて自殺したというのがあったとしても、はっきりいってこれは動機としては同じなわけよ。ただこのヴァージニアのケースは犯人が大量虐殺という形でそれを体現したわけで、同じような動機で自殺をしている人間は相当多いと思う。だから動機として考えるとかなり今の社会ではありふれた動機なのね。という意味で特にスペシャルなケースでは無いと思うのね。まぁもちろん結果が物凄いことになっているけど、根本の動機としては他でも十分ありえるし、すでにかなりの件数が過去に起こっているというわけで、まぁスペシャルではないということね。そう思うと死者32人というセンセーショナリズムを除いて考えてみると、他でも本当に起こり得る話なわけ。銃が無かったら、例えばナイフで人を刺して、その後回りの生徒に制止されて終わってたかもしれない。こいつは武装してたんで32人も殺せたわけで、仮に似たような事件が日本で起こったら、32人というのはまず不可能なわけね。まぁ簡単に浮かぶのが幼稚園の連続殺傷事件とかね、あの宅間がやったやつとか、死にたいと思って児童の列に車で突っ込んだとか、はっきりいってアイデアとしては、このヴァージニアのケースとさほど変わり無いことが日本で月並みにあるでしょ。ここなんだよね。ポイントは。
そりゃアメリカにも似たようなケースはあるでしょう。ただそれが死者32人という最悪な形になってしまったというだけで、根本的な社会が抱える問題というか、こういう事件を生み出してしまう社会の病巣というのは日本もアメリカも同じなんだよね。人々が感じる将来への不安とか貧困への不安とか、そんなのも同じ。狂っているで片付けるのは簡単だけどそんな狂った事件を生み出しているのがまぎれも無い社会というのは本当に考えなきゃいけないよね。そこをメディアが「狂った男」の一言で片付けてしまうってのは本当に責任あるよね。もちろん全ての問題を社会問題に結びつけるのも安易ってのも分かるけど、そういったディティールの部分で議論の余地はあるよね。ただそれをしないのがメディアであり国民であったりするわけで、そこがやっぱり思考力の停止なんだよね。ただメディアがこうもエンターテイメント性にバイアスが傾いた報道ばかりすると、真実は何?ってことになるわけで、国民も真実を探すのが大変なんだよね。真実というか、本当に肝心なことね。メディアがセンセーショナルな犯罪ばかり報道することの一つの要素としてはやっぱりエンターテイメント性なんだよね。実際、ニューヨークはアメリカでもトップクラスの安全な地域で、住みやすい街になっているのにも関わらず、ローカルニュースが報道するのはレイプだの殺人だの強盗だのだったりするんだけど、これってのはエンターテイメント性と人々に恐怖を植え付けるという目的に他ならないね。911以降のアブストラクトな恐怖感も説明しづらいことなんだけど、恐怖感はメディアによって煽られている部分も大きいわけ。だから陰謀説なんかも有力に聞こえてきたりしちゃう。恐怖で人々をコントロールするという意味だと911は物凄いきっかけなんだよね。リベラルは口を閉ざして、保守派・右翼が横行するなんてのは911以降顕著でしょう。これはなぜか日本でも起こっているよね。まぁ右傾化ってやつだけど、人々の右傾化の一つの原因としては恐怖感は絶対あると思うんだよね。先行きが不安なんで、安全を国家や民族のようなものに求めたり、全体主義的なものでそれを解決しようとしたりするわけよ。まぁ例としてだけどね。アメリカなんてそれが顕著だと思うけど、日本もそれが顕著で、なんだか凄く面白いんだよね。この変な共通性というかね。「日本はアジアで一番の国」みたいな発言の裏にあるのは、言うまでも無い不安感と自分に対する虚無感でしょう。仮に人々が満たされていたら、国家に何も求めないわけよ。国家も上手いことやってたら、人々も政治的にならないし社会的にならない。ポジティブな意味でのアパシーが生まれると思うんだけど、今のアメリカや日本に見られるアパシーは明らかに虚無感だとか絶望から来ている部分は大きいと思うね。もう社会に何も期待し無いし期待できることも無いんで世界がどうなろうが俺の知ったことじゃないとか、かなりニヒリスティックでシニカルなわけ。まぁ一方で単純に教養の無さから来る無関心っていうのもあるだろうけど、これはある種のサバイバルの方法で、世界情勢や国の今後の方向性なんかを考えたときにネガティヴなことしか浮かばないんで考えないほうがマシだというところから来ている無関心もあるかもしれない。んだったもっと自分が楽になれる方法を模索しようと。そこで一番ハッピーな連中がオタクだよね。前にも書いた自分の幻想の中に幸せを見出せる人たちね。ただこんな人が増えたら日本は終わりだよね。とにかく一言に人々の無関心といっても、色々な原因が考えられるんだよね。ただ総合的に見ると、まぁとりあえずアメリカも日本も原因は色々であれ無関心な人が増えていると。ただホント、それも俺が普段言いがちな「馬鹿」という原因から来ているのが全てではないんで、本当に難しいところではあるんだけどね。ただホント、日本でもこういったヴァージニアみたいな事件が起こると、アメリカは銃の携帯を許しているからこんな事件が起こるんだとか、怖い国だとか、思考力の停止としか思えないような、ステレオタイプなものの見方が横行したりするでしょ。してると思うんだよね。恐らく。ただ現実は特にニューヨークでは相当な数の人々が暮らしているのにも関わらず、銃を持っている人というのはかなり限られていて、例えば友達とか知り合いとか自分の周辺で銃を持っているという人を探すのが大変なぐらい銃なんで実社会には横行してないんだけど、結局、銃があることで例えば犯罪が起こるときにそれが凶器となりうるってことなだけで、銃問題が問題の核ではなかったりするんだよね。もちろん銃なんてなくなればいいとは思うけど、現実的に考えて、アメリカはそれほど銃社会ではないってことね。少なくとも普通に生活する分には銃はいらないわけ。前に俺でも銃社会だとかって書いたよね?でもそれってかなりステレオタイプな見方なんだよね。これってのも偏ったものの考え方を生み出すような日本のメディアの報道のやり方が例えばこういったステレオタイプな見方を生み出すってこともありうるわけね。ただ現実はかなり報道とは違うんだよと。銃乱射が起こるからアメリカは物騒なんてのは本当にステレオタイプだし、思考の停止だよ。俺が前から書いてるけど、仮にマンハッタンで事件が起こってたとして、仮にそれが銃によるものであっても、ギャング的な連中の内輪の揉め事とか、一部の連中の中だけで起こっているものが大半で、実際、街を歩いていたら相当なことが無い限り撃たれるようなことは無いんだけど、ヴァージニアみたいな事件が起こると、パラノイックな考え方になって、例えばみんな銃を携帯していて、いつ銃撃戦が起こるかわからないような世界観になっちゃうのね。あ、日本の話ね。これもメディアリテラシーの一つで、メディアがセンセーショナルに事件を報道しているけど、その中に入り込まず、自分の脳で現実的にものを考えることが必要ってことなんだよね。そうなるといかにメディアがお祭り騒ぎみたいな報道をしていて、それが行き過ぎれば行き過ぎるほど現実とのギャップが生まれてくるってことなのよ。その極端な例が911だよね。もう人々はメディアと政府の言いなりでしょ。で、数年たって、ようやくブッシュを批判できるような風潮が出てきた。ただインテリ先生曰く、それが大っぴらに行えるようになったのは、カトリーナがきっかけだったらしいんだよね。それまでブッシュがあそこまでクレイジーなことをやっていても、誰も批判しなかったし批判できなかった。批判するものなら非国民みたいなことを言われかねなかったというのが911以降の世の中の空気だったんだよね。そうなると右傾化するのも保守化するのも当然で、これってのは日本と一緒なの。例えば俺は今、日本の右的な見方をすれば完全なる非国民でしょ。でもその批判ってのは911以降のアメリカ内での反戦運動に対する抑圧と同じプレッシャーなわけ。今は反戦ということが普通だけど、当時は本当にそんなことは出来なかったらしいんだよね。ってのももう人々が完全に右傾化してたからに他ならないんだけど。ただマジで本当の意味での愛国というのは何なのか?って考えなきゃいけないよね。悪い世の中や政府を批判することが非国民なんてロジックはおかしくて、俺から言わせれば、ダメな世の中や政府を容認するなんてことのほうがよっぽど非国民だと思うんだけどね。なんつーかね、人々の考えがメディアによって影響を受けてしまうってのは、結局、人々がメディアにコントロールされてるってことなのよ。「事件のことは知っていたが、テレビをつけてみたら事の重大さに気がついた」とかいう表現があるけど、それってのの一つにさっき書いたセンセーショナリズムは大いに関係してるよね。メディアはいつでも物事をセンセーショナルに取り上げるでしょ。でも実際、事柄としては、「事件を知っていた」という段階での認識のほうが正しいわけ。ってことはこの人は事件を人から聞くなり記事なんかで知ってたんだけど、その時点では「物騒だな」とか、そんな印象ぐらいしか持ってなかったかもしれないわけでしょ。あ、別にヴァージニアのことじゃなくてね。で、なんでテレビを見て「事の重大さに気がついた」のかというと、メディアが大騒ぎで事件を取り上げてるからでしょ。特にヘリが飛んでたりパトカーのサイレンが鳴ってたりすると「大事だ」って思うんだけど、そんなのメディアのさじ加減一つよ。そんなの死傷者が出てない強盗事件だって、現場ではサイレンが鳴っていて、パトカーはいっぱい止まってるわけでしょ。ただんなもん大げさに報道しても誰も見ないんで、ローカルストアで起こった、死傷者の出なかった強盗事件なんて大事として取りあげない。ただローカルストアのオーナーや店員、周辺住人にしたら、どっか他の国で起こっている大事な事件よりよっぽど彼らにとっては大事なんだよね。だから結局、事件の大事さ加減というものの人々の共通認識というのは、紛れも無いメディア報道によるものだってことなわけ。何しろメディアによって作られた共通イメージを視聴者が共有するわけなんだから、例えばそういった報道によるステレオタイプなものの見方だとかが生まれるわけ。で、そんなもんをずーっと見ているから、思考力が無くなって、人々の考え自体がメディアによって左右されちゃうわけね。これこそがまさにメディアコントロールに他ならないでしょ。小泉政権だったときは、劇場型とか言われてたけど、あれはメディアを利用して上手くいった良い例だよね。上手くって言い方は良くないかもしれないけど、あの小泉政権発足時の支持率の高さはいかにメディアが大衆の考えを操作することに成功していたかっていうよい例だと思う。ライブドアなんかもそうでしょ。メディアが時代の寵児とかってホリエモンを報道して、テレビ番組なんかにも出したりして、良いパブリックイメージを作り上げたけど、墜落したら一気にこれだもんね。一気に悪役。ただホリエモンなんてのは最初からあれ以上でもあれ以下でもないわけ。昨日書いた堀江についてのことにも繋がるけど、ホント、ホリエモンってのはこういうことに自明で、当然、メディアで大衆を操作するなんてのも手取り足取り分かっていて、んだからあんな感じに上手く大衆を操って良いパブリックイメージを作り上げたわけね。俺はこれはいいと思うのよ。堀江みたいな人はいるし、いてもいいと思う。ただ問題はね、こういう操作に乗せられちゃう人の多さなのよね。特に「ホリエモンみたいにIT長者になりたい」とか「会社を発足して彼を超える存在になりたい」とかって言ってた大学生が相当多かったってことね。いや、小学生がこういうことを言うのなら分かるよ。ただもう考える脳がある大学生が堀江のメディア操作に乗せられてるんだからもう俺の日本の大学生に対するダメさ加減の偏見に拍車をかけたのは言うまでもないよね。乗せられる人がいてもいいけど、堀江が人気者になっちゃうこの日本って何?って思っちゃったわけ。俺はね、堀江の頭の良さには本当に感服するし本当に妬ましいぐらいの頭脳を持っている人間で、ある意味では尊敬してる部分もあるのよ。それは昨日書いたリアリスティックで全てを分かりきっていて分析しきっていることとか、このメディアにしてもそういった堀江の有能な部分によって、メディアコントロールに成功したわけでしょ。もうこういうところは凄いとしかいいようがないよね。ただそこで作り上げられたパブリックイメージを信じて祭り上げるってことにはならないわけよ。俺の場合。こういうところは有能だけど、本当に人間性のかけらもない人間でしょうもないなとかさ、ああいう欠けた部分をマイナスするとロクでもない人間なわけ。俺にとっては。ただ彼をヒーローのように思ってた人もいるわけで、俺はそういう人のメディアリテラシーのなさに本当に失望するんだよね。だからやっぱり「馬鹿」って言いたくなっちゃう。あと面白いのが堀江本人も番組の中で何回も公言してたからね。「メディアも徹底的に利用しまくりますよ」みたいなことは散々言ってたわけでしょ。なのになんでまだああいう虚像を信じ続ける人たちがいたのか、本当に理解できなかったね。堀江の選挙活動の映像なんかを見てて、馬鹿なババアが堀江に群がってたりしてたのを見ると、もう本当にああいう日本のババアってしょーもないなって思ったわけ。それこそ専業主婦で一日テレビに釘付けみたいな人たちでしょ。で、今の若い世代の連中の未来の姿ってのがあれなのよ。団地の前で井戸端会議をしてるようなババアに将来なるだろうなっていうやつらがいっぱいいるわけね。俺はスーパーのレジやってて、そういう馬鹿な若い男も含む連中と馬鹿なババアの差は感じなかったね。あ、どいつもこいつも一緒だなーって思っちゃった。もちろんこんな話は当然、そんな人ばかりじゃないという前提に立って話してるよ。そりゃアメリカでも日本でも。ただその本当に賢い人たちって少ないんじゃね?って思っちゃうのね。どうしても。スーパーでレジやってて、例えばあるあるでチョコレートが動脈硬化だかなんだかに効果があるって宣伝すると、スーパーは「あるあるでお馴染みの」ってポップつけて売り出すわけ。で、そのチョコってのが普通の板チョコより高いやつでそれを売るためだけの専用の棚みたいなのが設けられてたんだけど、恐ろしいことに閉店時にはそのチョコが全部売り切れなのね。「うわー馬鹿だなー!!」ってその売り切れた棚を見てつい言っちゃったぐらいだもん。あれには本当に驚いた。スーパーも完全に味をしめてて、仕入れ表みたいなやつに「何月何日にあるある大辞典で、何々に関する特集が組まれるので、大目にこれを納入する」みたいなことが書いてあるわけよ。スーパーとしてはあるあるみたいな番組はありがたいわけよね。結局、仮にあるあるの情報が間違っててもそれがネガティブな間違え方じゃないんで、間違えられてた情報に関するプロダクトを生産している会社もあるあるに文句は言わないし、むしろあるあるで放送されることで売れるわけなんで、逆にありがたかったみたいなのはあるかもしれないよね。なんつーか誰も文句をいう必要が無いっていうのがあった。だから何年も露見しないまま番組が続いちゃったんでしょ。納豆についても内部告発が無かったら分からなかったらしいからね。これもさっき書いたセンセーショナリズムの一種で、例えば納豆の効果をリアルに説明しても「ふーん。体に良いのね」で終わっちゃうんで視聴率も取れないしつまらない。だから捏造をしてまでセンセーショナルに「美肌効果!!」だとか「脅威のイソフラボンパワー!」だとかっつって事実かそうじゃないかは関係なくやるわけでしょ。で、結果的に番組がセンセーショナルなものになって視聴率も稼げると。まぁ簡単に分かるのが
これってセンセーショナリズムという点だとヴァージニアと何の違いも無いわけね。納豆の捏造効果も大衆の注意を引き寄せるゴシップ記事と同じ効果で、ヴァージニアの武装した生徒の写真をトップに持ってくるのもゴシップ効果と同じなわけ。問題は中身でしょ。ただあるあるもヴァージニアに関する報道でも、肝心のトピックに関する重要な点に関しては、そのトップの目に付く画像やらコピーとは反比例するかのごとくスッカラカンなわけ。ネットの新聞記事なんかもそうだけど、「松坂が絶句」とかいう記事の名前でクリックしてみると、全然たいしたこと無いことだったりするでしょ。絶句ってほどのもんじゃなかったり。ホント、ゴシップと同じなのよ。で、あまりにそういう記事の見出しがセンセーショナルなものに傾いてるんで、本当にセンセーショナルなものに関してはなぜかセンセーショナルにそこまで感じなかったりするんだよね。あーまたイラクでテロね。んで次は?みたいな。これってのも結局はメディアの意図に関わらず、イラクで実際は何が行われているか?なんてのに注意を向けなくなる原因にもなるわけで、人々にとってはイラクのことより芸能人のことのほうが気になるわけね。だからまた「馬鹿」って強い言葉を使いたくなっちゃうんだよな。だって馬鹿でしょ。人がいっぱい死んでるのに、そんなのは気にしないでセレブのファッションについて気を向けてるんだから。

なんか一言を書こうと思ったのに、明らかに一言以上になっちゃったね。まぁいいか。

ネバスペ最終回。

http://mushroom.cage.to/mp3/hi_tech_jazz.mp3

動物農場 (角川文庫)

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1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)

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カタロニア讃歌 (岩波文庫)

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