ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

ダメ、ゼッタイ!

mimisemi2007-04-26

物凄いね、食いつきが。オカマのクラスから映画を見るってだけのクラスに買えたのは羞恥のことだろうけど、前に映画のクラスの先生より俺のほうがよっぽど映画のことを知っている
なんてことを書いたけど、ホント、間違いだった。というよりはニューヨークの底力を感じたんだけど。今はドニーターゴだかドニーダーコだかを見ていて、まぁこれもとっくに
見てるやつなんだけど、映画の中で死霊のはらわただかをやってるんだよね。英語だとEvil Deadだったと思うんだけど、スコセッシだかの保守的な宗教映画と同時上映になってるんで
アイロニカルなんだけどね。で、Evil Deadを見たことがある?なんて先生が聞くわけよ。生徒に。まぁ授業の合間合間に映画を止めて先生が映画に関するプリントを配ったり
するんだけど、まぁいいや。もう書くのが面倒だわ。とにかく死霊のはらわたのオープニングのさ、あの小屋の前のシーソーみたいなのが揺れているシーンでニヤニヤしているのは
俺だけだったのよ。これまた前に書いたゴダール映画で笑うような知識人ぶってるやつみたいな感じなんだけど、本当に好きなシーンなんだからしょうがない。まぁそれはともかく
こっちの先生ってのは所謂「違う」人に対しての食いつきが物凄くいい。日本の場合、違うと疎外の対象になったりするけど、こっちの場合、先生の食いつきがよい、所謂、順応で
真面目で何もいわないような普通の人に対しては逆に食いつきが良くなかったりするんだよね。完全に文化の違いだわね。それはともかく授業の終わりに先生にEvil Deadと
同時上映されてた映画って何なんですか?って聞いたんだけど、まぁそれはともかく、そっから色々話が発展してさ、もう凄かったね。ハードコアだった。この先生。まずEvil Dead
の話から始まって、スコセッシだかのキリストに関する映画の話から先生が白熱しだして、パゾリーニのキリストだかに関する映画を薦めてきたんだけど、もう俺としてはパゾリーニ
の話題が出てくるだけでもう感動だったわけ。生まれてこのかた、パゾリーニの話を他人としたことなんて一度も無いからね。で、俺は知ったかぶりじゃなく、純粋にパゾリーニ
ファンだってことを言ったらこれまた先生がエキサイティングなわけ。で、何が好きなんだ?って聞いてきたんで、まぁこれしか見てないんだけどソドムの市って言ったんだけど、
この先生は他のパゾリーニのやつは大体見ているらしく、知識や見ている量も俺より全然上だったわけ。「汚らしい映画だけどファシズムを風刺しているので好き」という理由を
延べたあたりから先生の食いつきが変わってきて、先生も「こいつは普通じゃないな」って感じたに違いない。もうどんどんマニアックな話を持ちかけてくる。で、それに動じず
全てに答える俺。ここまで英語が上達しているのも嬉しいけど、映画オタクであって嬉しかった。こんなマニアックな話題で、ましてやニューヨークの英語学校で映画マニアの
先生と映画について語り合えるなんて、なんだか夢が一つ叶っているような感じだったわけ。で、先生がパゾリーニについて解説しはじめたんだけど、この人には3つの道が
あって、一つはハードゲイだったってこと。まぁゲイだってのは知ってたけどハードゲイだとは思わなかった。もう筋金入りで相当なSM趣味をお持ちだったよう。もう一つは
ブルーカラーというバックグラウンド。ここで俺は「いや、でもパゾリーニのお父さんは貴族の出か何かで、金持ちだったんじゃなかったんですか?」なんて聞くもんだから
リアクションがなお良くなった。「あ、こいつマジで分かってやがるな」とばかり、どんどん深い話題になっていったわけ。まぁとにかくパゾリーニは家出みたいな感じで
実家からの財産やらなにやらに頼らなかったらしく、ブルーカラーの連中と仲が良くて、一緒に酒を飲んでたりしたんだそう。もう一つは妥協しないアーティストという面
なんだそうけど、最初に3つの要素があるってイントロダクションした後、こうやって見事に説明するのはたいしたもんだよね。なんつーか、アメリカ人ってのはアメリカの教育
もあってか、こういうことをロジカルに順を追って説明したり、適切な言葉を使って表現することに長けているんだよね。まぁこの先生が特にこういう点で長けている人だとは
思うんだけど、ホント、英語学校でも先生っていう職についているぐらいの先生だとこういう部分が顕著ね。で、面白い話が、先生のイタリア人の知り合いで、パゾリーニ
バーで軟派されてヤったかどうか分からないけど、知り合いだったか尻合いだったかっていう人がいて、この友人からパゾリーニの話を色々聞いたんだそう。まぁこの先生は
ゲイじゃないけどね。凄いよね。間接的にだけど、パゾリーニと知り合いだった人の話を聞くなんて、まず日本じゃありえない。まぁそれはともかくこの後はね、スコセッシ
繋がりでグッドフェローズの話になったりさ、この先生もグッドフェローズは過去10年間20年間の映画の中でも本当にベストの映画だって絶賛してて、まぁなんつーか盛り上った
わけね。で、この先生のお気に入りのシーンってのが、レイリオッタが彼女をゴージャスなバーに連れて行くときに裏口から入るシーンがあるんだけど、車から裏口の狭い道から
バーの中までワンカットでずーっと登場人物を追うようにして撮ってるんだよね。なんとかっていう手法らしいんだけど、俺が「この手法ってのは過去にさかのぼれますよね。
例えばヒッチコックとか?」ってまぁ拙い英語だけどね、この先生のマシンガントークになんとか追いつこうと喋ろうとしたんだけど、また良い点を突いたのか、先生の食いつきが
前以上になっていて、次はヒッチコックについて語りだしたわけ。ヒッチコックだとやっぱサイコのあの警官が殺されるシーンなんかが、このグッドフェローズの映像と繋がると
思うんだけど、興味深かった先生の話が、ヒッチコックはプロデューサーとかに後で変な編集をされたくないがために、編集が出来ないようなフィルムメイキングをしてたんだ
そうなんだよね。というのがこの警官が犯人の家の階段を上がっていくシーンを出すまでも無く、あとはあの有名なシャワーシーンだとかね、でもあのシャワーシーンに関しては
実際は45カットだか40カットだかを編集して、一回で撮ったように見せているらしい。他の映画でもまるで1カットで撮ったように見えるシーンも実際は相当な継ぎ接ぎをしていた
らしいんだけど、先生曰く、ヒッチコックの頭の中にはもうシーンの一個一個が頭に入ってて、どこでどう切って繋げて1シーンのように見せるかっていうのが撮影の段階で
全部頭に入ってたっていうんだよね。まぁ分からん。そういう批評もいくらでもあるだろうから、この先生の理論なんだかは分からんけど、ヒッチコックの映画は大体見ても
そんなに詳しくない俺にとっては色々と興味深かったわけね。あと長回しといえばタランティーノとか、そんな話も出てきたけど、そこで俺が「いやーでもやっぱ小津なんじゃ
ないでしょうかねー」なんて相槌を入れたら、また先生がヒートアップ。もう「近い近い。近すぎる」ってぐらい身を乗り出してきて、ジェスチャー交じりにヒッチコック
長回しについて再度解説し出したり、日本映画に関しても相当な知識があるらしく、特に黒澤やら小津やら世界での評価が高い日本映画に関してはほとんど見ているみたいだった。
もちろん日本映画からのアメリカ映画への影響なんかもよくご存知で、例えばジェダイってのが戦国時代の時代から来たことばで、黒澤のたぶん名前忘れたけど、あの戦争の
やつあるでしょ。乱だったか。分からんけど、当然先生は全部英語のタイトルで説明するんで、どれがどの映画を指しているのかよく分からない部分もあったけど、他にも
荒野の用心棒とか荒野の7人が7人のサムライを基に作られたとか、そういうことに関しても熱く語っていたね。あと三島の大ファンで、もう特にショートストーリーに関しては
日本という枠組み以外でも三島以前にあそこまで美しい文体と詩的な情緒で書かれた文章は存在しなかったというぐらい評価しててね、とにかく凄かったね。俺は読んでないんで
なんともいえなかったけど、やっぱり割腹自殺の話とかも出てきてさ、まぁーそりゃーもうティピカルなアメリカンのイメージを持ってる日本人がこの先生を見たらイメージが
変わるぐらい色々と知っているわけ。まぁそれこそニューヨークってのは知識人やら文化人が多いというけど、例のインテリ先生にしてもこの先生にしても本当に物凄く高い
教養の持ち主で、ホントレベルたけーなーって思っちゃう。そういえば北北西に進路を取れに関してこういうことを言ってて、これもまぁヒッチコックの作品なんだけど
今見ると微妙な点が、当時としては楽しかったであろう楽しいお喋りの場面が多すぎて、今見ると相当スローで退屈に感じられる部分があって、かなり微妙だけど、まぁ素晴らしい
ことには変わりないとか言っててさ、で、んじゃ「トーキーな映画といえばウディアレンだと思うんですが、実際、ニューヨークに住んでいる人からもウディアレンは
ポピュラリティを得ているのですか?」なんて日本語で書くと雑誌のインタビューみたいな文体だけど、こんなことを説明したら、やっぱアニーホールは素晴らしい映画だって
言ってたね。ただ最近のはイマイチっつってたけど、それにも同意だった。ウディアレンのはやっぱ明らかに初期の数本のコメディのやつと70年代80年代のやつがベストなんだよね。
そういえば先生がアニーホールをこのクラスでも上映しようと思うんだけど、普通の人とか特に外国人にはウケないだろうということで上映はしないというのを聞いて笑っちゃったのが
んじゃ俺は外国人でもなく普通の人でもないのか?っていうことだったんだよね。ようはこれが一番書きたかったことで、英語がブロークンであっても、知識があるとバカにされない
どころか、同じレベルで話してくれるってのがこっちの人なんだよね。それはインテリ先生もそうだけど、最近では俺に対してはちょっと厳しくなったような気がするぐらい。
というのも「ガイジン」扱いされなくなってきているので、下手な言い方をしたりするとフォローしてくれなくなったりしてるわけ。前は丁寧に一語一語ピックアップしてフォロー
してくれたりしてたんだけど、最近ではかなり「普通」の扱いをされてきたなと思う。ようは留学生扱いされてないのね。これはホント光栄なことですよ。あとアメリカ人でも
ある程度の知識人や教養のある人だと、英語が訛ってるだとか英語が下手だとかいってその人の言っていることを理解しないということが無いわけ。なんつーか理解しようとする
態度があるのね。それは教養に比例してるかもしれない。で、この先生みたいに俺の下手な英語でも言っていることを理解してくれているし、たまに良いポイントを突いたりするんで
確実に会話が成立するどころか、今回みたいにガンガン発展していくわけ。ようは英語が喋れても中身がスッカラカンじゃしょうがないんだよね。俺は漠然とね、この無駄とも言える
色々な知識は日本では変わり者とか無駄知識扱いされるけど、特にニューヨークみたいな場所では絶対良い方向に行くマテリアルになるって思ってたんだけど、やっぱ正解だったね。
特にこの先生なんかを見ていると、こういう幅広い映画の知識や自分なりの解釈というのが一種の教養になっていると思う。で、大抵、映画に関してこういう知識を持ち合わせている
人は、他のことにも色々と詳しかったりするわけで、やっぱそこが知識人というところなんだろうね。それは逆に映画以外に詳しい人が映画にも精通していたりするのと同じで
なんだか日本ではなかなか見られない光景なんだよね。日本って知識がある人でもレベルの高い映画を見てたりレベルの高い音楽を聴いていたりするわけじゃないんだよね。
ここがやっぱ日本の文化レベルの嘆かわしいところだと思う。それにしてもホント、先生が俺に「いやーこういう映画はね、
分かりにくいから・・・例えば普通の人、今日の生徒みたいな人たちとか特に外国人にはね」なんて捉え方によっては差別的とも取れるような発言を俺にしているんだから、なんだか
不謹慎ながら光栄に思えてしまった。いや、でもはっきりいってこの先生の意見というのが普段俺が言っている「バカな人たち」とか「普通の人たち」と同じなんだよね。
ようは先生は映画の深い知識を持ちながらも世間体に合わせた分かりやすくて勉強の素材になるような映画をクラスで流してるわけ。そこでだから先生としては「アヴェレージな人々」という観念が生まれてきちゃう。一歩間違えればハイフェデリティのマッドブラックみたいな態度にもなりかねないけど
恐らく高いレベルの表現媒体に触れている人は絶対、普通の俗っぽい人のことを当然、俗っぽいって思ってると思う。それは前に書いた知識人や学者が「でも世論はどうなんで
しょうね?」って言うのと同じ。その世論にその場で議論している「我々」は含まれていないわけ。自分とこの先生の話で出てきた「普通の人たち」と同じわけね。これではまるで
他の生徒はみんなバカで俺とこの先生は知識人でレベルが高いみたいな言い方になってしまうけど、前の映画のクラスでのあのなんだったっけ、アンタッチャブルを見てるときの
周りの反応に嫌になった俺じゃないけど、特に映画クラスにいるほかの連中の文化レベルの低さには驚愕してしまう。ドニーターゴでもスラングやら汚い言葉がいっぱい
出てくるんだけど、先生は汚い言葉も知ることで映画の理解が深まるってことで、若干ジョークも交えながら説明してるんだけど、マジでクラスの反応は冷ややかというか、
なんでそこまで汚い言葉に関して黙る必要があるの?って思ってしまうぐらい保守的というか、アメリカで勉強していく気があるのか?ってぐらい反応が悪くてもう情けなく
なってしまった。んだから先生が「プッシー」とか「ビーツオフ」とか「ギャングバング」って言葉の意味を知っている?って生徒に質問しているときに、あまりに周りが何も
言わないので、俺が全部答えちゃったぐらい誰も何も言わないのね。仮に知ってても言わないのよ。でもこういう場なんだからリベラルな雰囲気を察知して誰かが言うべきだろう。
先生もそういう雰囲気を作っているんだし教養として教えているんだから何も負い目を感じることはないのに。だから特にオナニーの項目に関しては俺が知っているオナニーに
関する言葉は全部答えたね。先生の反応は「いいよいいよ。クールクール」ってなもんで、周りも俺と先生のこのやりとりを見てて笑ったりして、先生も他のシモ系のワードを
俺にあえてふってきたりして、で、それに俺が答えてまたクラス全体笑ってたりするんだけど、なんなんだろう。この例えば俺みたいな存在がいないと一切こういう機会を得られる
ポテンシャルが無い生徒達っていうのは?別に俺はでしゃばっているわけじゃなく、クラスなんだし、先生もそんなのは自明で生徒達に聞いているのに誰も答えない。例によって
アジア系の生徒ばっかなんだけど、やっぱアジア系の教育ってのは本当にダメだなってこういうときに感じるね。フレキシビリティが無いというか、先生の話を聞いているだけという
授業で育ってきているんで、ましてやシモ系の言葉やスラングに関して答えるなんていう土壌が無い。これは本当に悲しいことだね。俺がジャックオフって言わなかったら
誰もジャックオフって言わなかっただろうし、プッシーは?って言われて「あの例のピンク色のやつ」って俺が答えなかったら誰もプッシーの意味を答えなかっただろうし、
それは別に俺が凄いんだとか知識があるんだということではなく、言っていこうぜもっとってことなんだよね。あのアジア系の黙りっぷりには本当にイライラするね。あまりに
俺ばかりが発言するのでたまに俺もあえて発言を避けたりしなきゃいけないぐらい、凄まじいお黙りムードがあるわけ。ギャングバングに関しても「乱交のこと」って
答えた後に先生から「なるほど。経験は?」なんてアメリカンな質問があるんだけど俺はそれに「もちろんあるよ。もうヤバかったねあれは」とか答えるとまたクラス全体が
受けるんだけど、乱交ってことで笑える下地があるのなら、なぜ最初から発言しないんだろう?って凄まじく疑問なんだよね。先生もジョークっぽい雰囲気でやっているんだから
ジョークっぽい雰囲気で答えてもいいのに誰もやらないってのはやっぱカルチャーの違いなんだろうなと。はっきりいってノリが悪すぎるというか、どれだけノリが悪い
バックグランドで育ってきたんだ?って思っちゃうね。いや、また関西系だと違ってくるのかもしれないけどね。なんかこっちのね、例えばこのクラスみたいなジョークっぽい
ノリがある部分とか、日常会話でもジョークがあったり、例えば政治家のスピーチでも必ず数箇所絶対笑わせようとする部分があるでしょ。例えば不都合な真実でのゴアもそうだし
チョムスキーなんかも絶対ジョークを言う。なんというかこの日常にあるユーモアとか遊びの部分っつーのかな、そんなタイトじゃない部分とか、人間関係っつーか
コミュニケーションがかなりポジティブなんだよね。俺はこういうユーモアとか笑いってのは本当に社会に必要だと思ってて、それこそ「笑いが世界を救う」とかっていう言葉が
あるように、これは強ち間違いでも無いと思うんだよね。日本のコミュニケーションってのは本当にそういった意味でフレキシビリティが無いし、なんつーか生き生きしてない。
ただ本当に深い仲になるとアジア系のコミュニケーションは強いんだけどね。アメリカ人はジョーク好きとかいうけどジョーク好きというか、ジョークがコミュニケーションの
重要な一部分を占めていて、決してふざけてたりバカっていうことじゃないのよね。これもまた知的なコミュニケーションの方法なわけよ。今のライティングの先生なんかは授業の
6分の1はジョークに時間を割いてるぐらいジョークを言うね。これこそ良い意味でのゆとり教育だよね。ホント、ユーモアを育てるってのは重要なことだと思う。その特にアジア系の
ユーモアの無さを、例えばさっきの映画クラスでのお黙りムードに感じちゃうわけ。あれってダメだよな。完全に。そこでアメリカはアメリカ、日本は日本とかいうのは簡単だけど
ああいう授業とかアメリカ人の気の利いたジョークを聞くと、いかに日本人が普段損しているかというのが分かると思う。まぁそんなの気にしないっていう意見が大半だろうけど
やっぱその辺は鎖国精神なのかな。特に最近は顕著だよね。日本の場合、お笑いはお笑いで独立した文化で、日常と関係ないでしょ。そこが嫌なんだよね。まぁたまには面白いやつは
いるけどレアだよね。本当に。例えばバイト先の社員なり他のバイトなりが全員ジョーク好きだったら最高の職場で毎日行きたいと思わない?でも日本の場合、黙って突っ立ってる
のがお仕事なんだよね。息苦しくて悲しい国だな。そりゃマザーテレサに心が貧しい人々って言われるよな。最近も車内でレイプされてた女の人を乗客が分かっていたのに無視して
誰も通報しなかったという事件があったけど、これと同じことを、誰もプッシーやらビーツオフに関して発言しない雰囲気にアジアを感じるのね。この事件なんてたまたま露見
しただけであって、心の貧しい日本人は触らぬ神に祟りなしと言わんばかりに他人のことなんてそっちのけだもんね。こんなのたまたま露見した事件にしか過ぎなくて、それこそ
見てみぬふりをされてる人なんて大勢いるだろうな。うちのオヤジのエピソードなんだけど、電車に乗ってて、まぁ会社の帰りの満員電車でおばあちゃんが満員電車の中で辛そうに
立っているんだけど、気がついたオヤジは誰も席を譲ろうとしないのを見て、わざわざ人をかきわけておばあちゃんに席を譲ったらしいんだけど、こんなことが割とよくあるらしい
んだわな。あとは妊婦さんとか子連れとか。俺のオヤジだけあって道徳があって頭が良くて正義感のある人なんだけど、こういう人が本当に少なくなっているんだなこの世の中って
感じるエピソードだよね。これがたまたまあったことならいいんだけど、しょっちゅうあるっつーんで泣けてくるね。かくいう俺も満員電車で何回もお年寄りに席を譲った覚えが
あって(バスも含む)、そのたびに見てみぬふりをしている周りの連中に対してイライラしてたね。だからもうあんなお年寄りにすら席を譲れない心の狭い人間ばかりが住んでいる
日本に帰りたくないって思うわけ。ニューヨークはアメリカ屈指で失礼な連中が多い街として有名だけど、世界一ルードで心が貧しい国から来た俺としては、ニューヨークの
待ち行く人ですら良識のある人たちに思えてくるんだよね。電車のホームですらお年寄りに椅子を譲ったりするのはよく見るし、譲ろうとした2人が同時に立ち上がったというのも
見たことがある。ようは気がついたら譲るというのが当然のマナーとしてあるんだよね。まぁよく見るってほど見ないけど、少なくともお年寄りが辛そうに立っているのを見ることは
無いね。あとベビーカーを押している女の人が駅のホームの階段でビジネスマン風の人に助けられているとか、ビジネスマン風じゃなくても、その辺にいる兄ちゃんみたいなやつでも
ベビーカーで階段を上がるのを手伝っているというのをよく見かける。そういえば俺があのクソニュージャージからクイーンズに荷物を運ぶときも駅の階段で計3回ぐらい通行人に
助けてもらったことがある。ようはもうモラルとして存在しているんだよね。こういうことが。こういった光景がレアに思えるのは日本でまず起こりえないことだからなんだよね。
これでもニューヨークがルードな街なら他の街はもっと親切なのかしらね?俺にはニューヨーカーはルードというのがリアルに感じられないんだな。日本人はもっとルードだから。
そういえばオヤジも俺もそうなんだけど、席を譲った後に周りを見渡すと誰もこっちのほうを向かないでそっぽ向くんだけど、どっかに後ろめたさを感じるんだろうね。見てみぬ
ふりをしていた自分に。もしくは席を譲ったということに関しても見てみぬ不利をしているかもしれない。そういえば忘れられないのが電車で席を譲ったときにこのおばあちゃんが
「次の駅で降りるんで大丈夫です。ありがとうございます」って俺に言ったときの笑顔が忘れられない。このおばあちゃんが電車を降りるときも俺に笑顔で一礼して降りていった
んだけど、ここまで感謝されるってことは、いかに普段誰も席を譲ろうとしないかっていうのが想像できたね。いや、考えすぎかもしれないけど、席を譲ることが当たり前だったら
俺はこんなに感謝されるようなことはしてないわけなんだけどね。なんだか複雑な気持ちになってさ、だからまぁこのおばあちゃんのことが忘れられないのかもしれないけど、
アメリカに永住したいって今強く思うのは当然の流れだなって思えちゃうね。それまでの色々な過程が日本であったからね。ホント、モラルもクソも無い国だよね。日本。
アメリカに住みたいというよりは日本に帰りたくないという気持ちが本当に強くてね。困ったもんだよね。こっちでやってくのは大変だからね何しろ。こういうのを書くと
みんながみんなそうじゃないって意見が出てくるけど、親父が実際に何回も席を譲った経験があったり、俺も何回もあったり、他にも普段俺が批判的に書いているようなことが
あると、もうそう思わざるを得ないわけよ。そんな一部のモラルがあって教養のある人たちにスポットを当てられない。もう大半がクズだって思っちゃう。そういえば妹も
しょっちゅう海外に住みたいって言ってたんだけど、なんだか悪い感じだね。俺だけ亡命しちゃって。まぁまだ亡命は成功して無いけどね。ホント、うちの家族はモラルがあって
人間性がある分、人間性が無いしょうもない人間によって苦労させられることの多い一家なんだよね。ウチみたいな良い家庭の鏡みたいな家庭が苦労する世の中って何なのよ?
オヤジがこっちに来たときにグリニッチヴィレッジに惚れ込んでしまってグリニッチヴィレッジに住みたいって言ってたんだけど、冗談っつーよりはかなり切実に感じて
結構笑えなかったね。俺だけいいんだろうか?って思いになっちゃった。だからホント、人をいじめないでください。自分の劣等感だとか妬みだとか嫉みだとか他人を卑下することで
自分のプライドを保つだとか、そんな外道みたいな理由で人を虐げるのはマジでやめてください。少なくともうちの家族全員はこういうしょうもない連中によって
嫌な思いをしたことが幾度と無くあります。なんかね、良い人ほど損する世の中なのよ。だからクズの一部になったほうが楽っていう風潮がある。で、どんどん民意やら文化レベルが
下がっていくわけ。もうこうなるどどうしようもないよね。負のスパイラルがずーっと続いちゃう。日本の場合、これが物凄く顕著で、例えば自分とは違って秀でた能力を持った人
だとか、優れた人たちに対して、特に組織内部にいる人間だとかが足を引っ張るようなアレがあるでしょ。それがさっき俺の書いた妬みとかってことなんだけど、能力があったり
秀でた人を認められないっていう悲しいバックグランドがあるんだよね。で、いつまでたってもクズ同士で馴れ合いをしているっていうゴミ組織体質ね。それはいろんな組織でも
恐らく同じなんだろうね。だからこういうことに自明な一部の若者が、そんなアホなゲームはしないよってことで会社やら組織なんかに入りたくないって思うのは当然なのよ。
ホント、一部でが利口だからこそフリーターを選んでいるような聡明な若者達もいるからね。こういう連中がいると腐りきっているわけじゃないなって思えるんだけど、ホント
少ないと思うね。ただ社会はそれを一口に「フリーター」って呼ぶんだよね。フリーターっつっても色々な事情でフリーターになっている連中もいるのに、全部失業者扱いだもんな。
こういうアホさ加減にはマジでついていけない。ホント、みんなアレだよ、不法でもいいから海外に亡命したほうがいいよ。マジで。日本に未来は無いよ。マジで。もうバカさ
加減ってのが半端じゃないよ日本は。あと俺がさっきの話でも出しているアヴェレージな人々というのは、自分の知識の多さをひけらかして言っているんではなく、アヴェレージの
レベルの低さ加減にうんざりしてるわけ。だからいつまでたっても本質的なものが生まれてこないわけ。一部では恐らく死ぬほど表現についてとか考えている人もいると思うし
知り合いにもいるんだけど、こういう本質を作るかもしれない人たちが、こういうアヴェレージな社会じゃ生きていけないからね。なんか「真剣に表現に打ち込んでいる人間の
表現物は見ていて辛い」とかいう批評を見たときに死にそうな気分になったね。ホント、今の世の中の世論を反映しているなと。まぁ逆にこれだけの批評が言えていればまだマシ
なんだけど、もう実質、表現物なんて存在しない世の中だからね。日本は。もう全部が商業ベース。情けないことに。こんなんだからいつまでたってもアメリカの従属国なわけよ。
例えアメリカを嫌ってても独立できるだけの裏づけが全く無い。アメリカを基準に考える必要は無いってのはごもっともだけど、その前にんじゃアメリカをギャフンと言わせる
って段階から始めなきゃいけないね。果たしてそれだけの力があるのか、例えばインテリ先生とかこの映画のクラスの先生とかを見ていると、こりゃ日本は永久にアメリカに
叶わないなって思っちゃうわけね。まぁさっきのベビーカーの話とかも含めてだけど。ただ日本に居るレベルの高い知識人とかっていう高い人たちのレベルってのは世界レベルだと
思うんで、こういう人たちが国を先導していくような国家体制になればいいんだけど、いつまでたっても愚人政治のままだし、国民も政治のように愚かになっていっているでしょう。
最悪なのが優秀な人材の海外流失ね。あ、もう日本に貢献しようと思っても下地が無いなって思ったら外に出ちゃう人いっぱい出てくると思うんだよね。今後。なんかしらの貢献の
価値があるような国じゃないといけないんだけど、今はそうじゃないし、ここ数十年ホントダメでしょう。マジでアメリカの州の一つになっちゃうかもしれないよね。はぁー
ホント情けない国だ。何もかもがクズ化しすぎだね。俺はドロップアウトしてから、親や親戚にこういうことを言うと「でもそれが現実なんだからしょうがない」ってよく言われてきたけど、それじゃダメだよ。ホント。そういうことを俺に言ってきた親や親戚のことも含めて、その容認する姿勢もダメ。なんかね、デカイ波にのまれるしかないみたいな風潮はマジでダメ。
ダメ、ゼッタイ!

マリファナ・X―意識を変える草(ハーブ)が世界を変える

マリファナ・X―意識を変える草(ハーブ)が世界を変える