ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

ニュータイプ。

mimisemi2007-05-28

いやー凄く良いパーティーだった。ニューヨーク万歳だね。ニューヨークにいるレベルの高い人たちというのが本当にいいわけ。家賃が高いのが癪だけど、これも文化料だと思えばいいかもしれない。テキサスとか行っても何にもならないからね。で、パーティーっつってもお食事会だったんだけど、もう書くと長くなるからやめるわ。読んでる人、意味分からないと思うだろけど、意味分からないで結構。そういえば地獄耳って嫌だね。ニュータイプって呼んでるんだけど、俺って必要ないことを拾っちゃうのね。例えば人と話してて、この人の話にしか集中してないんだけど、あるワードなりセンテンスだけが急に他から来ることがあるわけ。例えば俺と誰かが話してて、で、同じ教室なり場所に他の連中がまた話をしてたとするでしょ。で、俺はこの話している人との会話に集中してるんだけど、急に変な言葉とか文をその別の連中の会話から拾っちゃうわけ。しかもネガティブなことばっかり。俺に関することだったりすると特に敏感なんだけど、例えばあの先生のクラスはクソだとか、あいつは実際あんま好きじゃないみたいなのとか、会話を全く聞いてないんだけど、こういうところだけ聞こえちゃう。で、あーあいつは見た目は普通に装っているけど、あいつのことそんなに嫌ってたんだとか、俺の発言ってよく思われてないんだ、一部には、とか、俺の眼鏡ってそんなに変なんだ、とかね。こういうのって恐らくね、俺の昔の経験に由来してることだと思うんだけど、それが何かっつーと、小学校とか中学校のときにあった、あの陰湿で狭苦しい雰囲気の中で行われる誰かのひそひそ話で。日本のこういった小学校とか中学の雰囲気の陰湿さというのは、世界に誇れるぐらい最低のものだと思うんだけど、例のよって人の悪口を言うやつが本当に多かった。で、俺もホント、村八分にされるのが怖くてこういうのには敏感だったんだけど
ホント、この頃から知らないほうが良かったようなことを聞きたくも無いのに聞こえちゃうということが本当に多かったわけね。まぁ恐らくこういった環境で他人に悪く思われたくないみたいな気持ちから地獄耳ニュータイプのスキルがついちゃったのかも分からないけど、今もさ、ルームメイトが友達を連れてきてて、ちょっと前にゴキブリがいて大騒ぎしてたんだけど、俺は本を読んでたんであんま気にしなかったのね。で、急に耳に入ってきたのが「たぶんウチのルームメイトの部屋から湧いて出たのかもしれない」なんだけど、これが何を意味するのかっていうと、俺の部屋が汚いんでそこからゴキブリが発生したんだろうというようなことを、まぁふざけてなんだろうけど友達に言っているのだけ聞こえたわけね。他は何言ってるか分からないのに、そこだけ聞こえるわけ。別に盗み聞きしてるわけでもなく、本を読んでて全然注意を向けてないのに、こういう文だけなぜか拾っちゃうわけ。まぁ別にどうでもいいんだけど、あんまいい気はしないよね。別にたいした意味は無いし、俺のルームメイトは綺麗好きなんで俺の汚い部屋を良く思ってないのかもしれないけど、まぁそれはともかく、これは俺の部屋だから関係ないわけだ。だからそんな冗談は聞きたくないわけ。なんつーか冗談っぽく俺を前にして言ったんであれば笑えるんだけど、俺が部屋にいないか、なんかやってて聞こえないだろうと思って言ってるような悪意を感じるわけね。で、俺はこういう悪意に敏感なのかもしれない。防音がさっぱり無い俺の部屋のクソみたいなドアのせいもあるけど、でもゴキブリで騒いでても何も俺は聞こえなかったわけね。はっきりとした言葉は。でもなんでこれだけ聞こえてくるわけ?凄く不思議。で、こんなのを拾っちゃうもんだから気分悪いわけ。で、本にも集中できなくなって、あーとりあえず一旦中断・・・みたいになるんだけど、こういうのって本当に昔からあるね。あとなんか勘ぐるっつーのかな、あーたぶんこれは俺に対する文句だなとか悪口だなっていうのが嫌なぐらいわかっちゃう。例えば昔やってたバイト先なんかで店長と他のアルバイトがなんか話してて、俺が部屋に入ってきて「おはようございまーす」なんつって制服に着替えるんだけど、まだなんか話してるのね。で、別に聞き耳立ててるわけじゃないんだけど、あー完全にこれ俺のことだなって分かっちゃうわけ。この2人は俺がいるんで分からないように話してるんだけど、明らかに俺のことなのね。こういうことを他人に言うと被害妄想だとか言われるんだけど、恐らく俺のこういうことに対する多分は8割ぐらいあってると思うのね。前の床屋にしてもそうだけどね。たまに他のやつに気味悪がられるぐらいそいつのことを見通してたりすることがあったり、微妙な表情とか言葉のニュアンスとか他の人には聞こえないような小声でささやくようなこととかが凄く俺には聞こえるし感じるのね。俺は知らないとか気がつかないフリをするんだけど、気にしてると気が狂うんだよね。前みたいに。寝てるときですら、例えば誰かが俺のことを話してると急に俺の意識が戻ってきて、そいつらの会話を聞いてたりするわけ。話している連中は俺は完全に寝てると思ってるんだけど、俺には全部聞こえてるのね。で、なんで誰かが俺のことを話し始めると寝ているのにも関わらず急に意識が戻って話を聞こうとするのか、本当に分からない。まぁ深層心理の中で「他人にどう思われているか」というのをまだ気にしてるんだろうね。それは家族旅行のときですらもそう。家族で車でどっかに旅行してるときとかさ、疲れて車の中で寝てるんだけど、両親が俺のことについて話始めると急に俺の意識が戻るのね。パッ!っと怖いぐらいに。で、確実に両親の話を聞いてるわけ。もちろん俺は寝たフリをしているんだけど、両親が俺のことをどう思っているのかって、すげー分かってるわけ。俺。こういう経験もあってね。んだから別にこれは両親だけじゃなくて、他人も付き合っているとなぜかニュータイプな瞬間が訪れて、俺についてどう思っているのかっていうのが嫌なぐらいわかっちゃうわけ。で、大抵は嫌な部分が見えすぎちゃったり、実際はたいしたことないやつが多かったりして、本当に人間に絶望するときがしょっちゅうあるね。今ですらそう。だから俺が人間関係に関して、そこまで深入りしないようにするのって防衛本能だと思うんだよね。今の学校の友達とかさ、普段は気にしてないけど、あの学校で会って楽しく話す感じっつーかあの距離感ね。学校だけだけど割と仲が良くて、ただプライベートで会おうとは思わないみたいな。これがベストだなって恐らく心のどこかで思ってるんだよね。でもああいう関係って学校がなくなると崩壊するわけ。それが悲しいよね。無駄にニュータイプが働くぐらい深い関係になるのが怖いんだよね。知るのが怖いというか。こういうことがあるから、なんか人間関係のプロセスなんかも客観的に解析している自分がいて嫌なのね。今は第一段階でそのうちこんな感じになって、一ヶ月ぐらい経つとこうで・・・みたいな感じでさ、で、大体会ってるのね。それは俺が思っているからそうなっているのではなく、人間関係って初対面から慣れから友達に至るまでのプロセスってどれも似てるんだよね。で、残念ながら崩壊のプロセスも似ているわけ。だから俺は崩壊させないためにプロセスを浅い部分で止めておきたいわけ。資本主義が行き過ぎると格差が生まれるんで、まだみんなが資本主義に希望を見出している時点でストップみたいなね。ずーっと高度経済成長期みたいな。不可能な話だけどね。思えばこっちに来てからも最初のホストファミリーとの関係も最高潮に幸せそうに見えた俺のバースデイパーティーの写真を見た瞬間に、この写真が燃え尽きるビジョンが見えたんだよね。っつーか燃え尽きてたわけ。で、結果的に燃え尽きたからね。キューティーともロードアイランドの寮で一緒に住みだして2日ぐらいで嫌な予感がしてて、まぁ結果的に5ヶ月ぐらい経って最悪な結果になったしね。2日ぐらいで嫌なことがあったわけではなく、なぜか崩壊が見えちゃうわけ。で、俺は崩壊は嫌だと思って人間関係を続けるんだけど、不可抗力みたいなのもあって、まぁ散々な結果になるわけね。そういえばNJに引越した後、キューティーの家族とキューティーの友達とその友達の従兄弟と俺とで食事に行って、ニューヨークへようこそ!みたいな雰囲気とか引越し完了!とかね、ハッピーなわけ。見た目は。で、その場はハッピーなのね。キューティーの親父さんが食事をおごってくれたし、帰り道もみんなで色々と話したりして割と和気藹々としてたのに、その食事の時も俺には確実に崩壊が前のロードアイランドのときに感じたあの感覚よりもっとリアルに感じられたのね。で、結果的にまぁ最悪だったわけだけど。なんなんだろうね?この悲しい感じ。人と会うとその人との関係が終わる時のビジョンみたいなのが鮮明に見えるんだよね。で、結果的に俺は人を恐れるというか、関係が終わるのが嫌なので、最初から持たないか、浅いぐらいで済ましておこうって思うわけ。で、崩壊が見えないものというのが俺にとって音楽とか芸術みたいなものなのね。いや、ちょっとかっこよすぎるな。でも前にもさ、散々音が俺の愛人だとかいってるけど、嘘でもないわけ。音は裏切らないからね。まぁ人間関係の終わりが裏切りってわけでもないんだけど、ようは音には崩壊だとか終わりが無いわけよ。自分で作る終わりはあるけど音自体には終わりは無いわけ。だから無限の可能性を音に見出せるわけでしょ。ジャンルに括られているような音楽にはすぐ崩壊が見えるけど、音そのものには崩壊はないからね。ウィリアムなんたらみたいに崩壊した音を音楽にするのもいいでしょ。そういえば似たような感覚に小さい頃にディズニーランドに行くとさ、特にパレードとか見てると異常に悲しくなるわけ。なんか死とか人が死ぬみたいなビジョンが凄く見えるのね。事故で大破した車みたいなビジョンが見えたりするわけ。別にね、例えばこうして幸せな時間を過ごしている今も地球の反対側ではたくさんの人が死んでいる・・・とか、そんなんじゃなくて、漠然と人が死んでいってたのね。俺の心の中で。で、凄く悲しかった。もうだからホント、あのディズニーのあのパレードさ、もうトラウマなんだよね。今でもたぶん怖くて見れないと思う。だからリアリティの中に生きているほうが俺にとっては怖くないんだよね。一番怖いのは思考停止に陥って、幸せだって感じている裏側には色々なことがあったり・・・っていう虚無的な幸せとか人生が一番怖い。だから俺は何もかも知り尽くしたいと思うわけね。で、リアリティを超越してリアリティの中ではなくリアリティの上に生きたいと思うわけね。でもこれが俺にとっての幸せなんだろうなって思うのね。何もかもを知っていて、例えば陰鬱に思うことがあっても発生源が分かったり、体の調子が悪くても原因が何かすぐ分かるわけ。不安ベースに生きているようで、実は不安を超越しちゃってる・・・っていうのが俺の理想なわけね。だからこれが克服できちゃえば、例えば現世は地獄なりとかいって山の中で隠居しなくても、別にやっていけるじゃんって最近気がついたわけね。そういえばディズニーランド行って帰ってくると大抵下痢してたね。俺。あの死の恐怖にやられてたんだと思う。でもホントさ、幸せぶっている幸せとか誰かから与えられている幸せの形とかってホント怖いよね。他者に依存しているアイデンティティだとか、他者に依存している幸せだとか、こういうのって虚無そのものでしょ。だからさっき俺が書いたように、俺の場合は色々なことを知り尽くすことだけど、ようは自立が重要なのね。人間的に。別にそれは親からの自立とか経済の自立とか、それも重要だけど、自分のアイデンティティを持つということがアイデンティティだからね。だからこれが出来ちゃえば怖いもの無いでしょ。自分があればとりあえずやっていけるんだから。それが何かに依存してるとその何かが無くなった途端、それが終わるわけでしょ。これほど怖いものは無いけど、こういう虚無に生きながら気がついていない人って多いよね。まぁ気がつかないことが幸せなのかもしれないけど、俺は気がつくことでの幸せを最近見出しつつあるのね。毎日の認識の変化とか認識の進化とかね、これこそ俺にとっての幸せの重要な要素なわけ。考えすぎると狂うというけど、俺はすでに狂った経験があるし、まだ狂い続けているのかも分からないけど、とりあえず幸せだと感じているならそれでいいよね。誰とも会わないで誰とも一緒に食事しないで家にいて寂しくないの?ってよく言われるけど、じゃあ逆に友達とか買い物とか旅行だとか、なんか分からんけどそういうものに依存することでしか幸せを感じられないって寂しくないの?って思っちゃうね。俺の場合。俺は俺を見出しているんで常に幸せだけどね。体調が良ければの話だけど。別にこれで人間関係を作らないということではないのよ。ただ最近思うのは、俺って自分でやることを自分で見つけられるし、好きなことが多いんで本当に幸せだなって思うわけ。テレビだとか友達と駄弁るだとか適当に街に出て時間潰すとか、そういうことでしか自分の時間を使えない人っているでしょ。本当に寂しいと思うね。いや、本人が幸せならいいんだけど、俺は自分で幸せを作ることに関して上手いのね。ホント。だから家にいることが一番幸せなわけね。で、今はある程度社会的な人とのつながりがある学校という場所があるんで、これ以上のものはないって感じ。時間も限られることが多いんで、自分の時間がより重要になって密度が高くなるわけ。結構、今、ヤバいね。不満が無いといえば嘘になるけど、はっきりいってクイーンズに引っ越してきてから、色々なことが見つかり過ぎね。自分の中で。かといって毎日が派手なわけじゃないのよ。頭の中が派手なわけ。だから幸せなんだよね。本当に。やべーな、マジで日本に帰れない・・・。