ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

個人主義と民主主義よ。これからは。

mimisemi2007-06-07

オヤジが俺以上に苦悩の人で、まぁ色々な本を読んでるんだけど、その本というのが「小さいことにくよくよするな」とか「きっとよくなる!」とかその手の本なんだよね。別にこれらの本は悪いとは思わないんだけど、読んでて思ったのは、こういうのを書く人というのはある程度成功している人が多いので、どうもオーディナリーな俺が読んだりすると、どうも現実的になれないことが多い。例えば寄付をするとかボランティアをするとか起きたときに好きな人のことを考えるとか、パートナーの良いところを褒めるとか、まぁそりゃ出来れば良いに超した事無いんだけど、好きでもない妻と冴えない結婚生活を送っている冴えないサラリーマンがこういうことを出来るか?と言うと、はっきりいって出来ないだろう。っつーのもこういうことってのはある程度生活に余裕が無いと出来ないことで、生活の余裕ってのはようは経済的な余裕ってことだ。子供のためにセミリタイアをするとかって書いてあるけど、そりゃ誰だって育児に専念するために会社を休みたいだろう。


でも現実は育児休暇なんてとるものなら、休暇の後の会社で「あいつ忙しいときに休みやがって・・・」とか「俺に仕事を押し付けやがって・・・」みたいなことを言うロクでもないやつがいたり、こういったことが会社の体制を象徴していたりもして、例えばこういう本を読んでいると、こういう本を書く人たちというのは全く違う世界にいるんだよね。で、そんな陰口を言われて明日にでも自殺をしたいような状況にいつつ育児でも問題をかかえている人が、こういうリアリティを乖離した観念的で理想論ばかり書いている本を読んだところで、次の日から例えば好きでもない妻に愛情を示したりすることはできないよね。いや、本自体は凄く良いと思うし、良いことばかりが書いてあるし、みんながここに書いてあることを実行できれば良い世の中になるに違いない。ただ現実ってのはロクでもない人間がはびこっていたり、物凄くアンフェアなシステムが社会を支配していたり、考え方ではどうにもならないような問題が山積みという過酷な状況をどう生きるか?ってことなわけで、こんな世知辛い世の中なんで、こういった本の効果というのは本当に疑わしいね。


実行できて幸せになれる人というのはほんの一握りだと思うんだけど、皮肉なことにこういった本がベストセラーになる背景というのは、いかに人々が現実世界の中で葛藤してるかってことなんだよね。実際ね、もう明日にでも死のうと思っているような人が本を読んで一気に考えが変わるとか、そんぐらいリアリズムに根ざしつつ、物凄い啓示を与えてくれるようなものがあればそれは素晴らしいと思うんだけど、不幸なことにそういった本はこの世には存在しないみたいね。まぁ解釈とか人によっては幸せというと陳腐だけど、認識に多大なる影響を与えてくれる本というのは存在するよね。俺の場合、それが特に最近はニーチェショーペンハウエルなんだけど、思うに人の考え方や認識なんてのは千差万別なので、例えば一冊や教義で人々が解放されるなんてのはありえないと思うのね。あるとすればそれはホント、カルト的なことだと思うね。だから俺って宗教嫌いなんだけどね。


本当にプリミティブな仏教儒教っつーと大げさだけど孔子は大好きなんだけど、これって宗教じゃなくて認識に関しての教義でしょ。俺が古典的な仏教孔子の教えが好きなのは明らかにそれが現実に根ざした教えばかりだからってことなんだけど、そう思うと本当にキリスト教だの他の宗教ってのは馬鹿げてるな。明らかにあれは不安に根ざしたもので、人々の不安に付け込んで考えを教え込んでいる霊感商法にしか見えない。結局、あまりに世の中が理不尽なので神だとか他の世界だとか、観念的なものに何かを求めたり、もしくは作り出したりするわけでしょ。でもそれって馬鹿げてない?だったら現実を見据えてそれに対峙しながら考えていけばいいのに、なんでそれが神だとか天界だとかってことになるんだろうか?仏教はその点では神を崇拝する宗教じゃなくて、もっと内面に根ざしたものでしょ。俺の中で禅と古典仏教孔子の教えは繋がってるんだよね。


これらの全ては現実と対峙して物事を考えてきた偉大な先人たちの教えなわけよ。だからいつまで経っても人の心に響くし、変な言い方になるけど、ユーズフルな教えなわけ。でも観念的な宗教ってさ、逃げてるよね。現実から。で、キリスト教だとかカソリックの教会ってすげースキャンダルを抱えてるらしいし、いろんな映画にもあるように、カソリックだかの司祭が信者の子供に猥褻な行為をさせてそれをビデオに撮ってただとか、そんなのは普通にあるらしい。そんなのもあって世界的に宗教離れは激しいらしいね。カソリックの最後の地と言われている南米でも最近ではさっぱりらしい。まぁ当然だよね。あんな抽象的で観念的なものが何千年も信じられてきたというのは、いかに人々が恐怖によってコントロールされてきたかっていうことの良い証拠だと思うんだけど、こういう宗教ってのは何も生まないよね。凄まじく封建的で信者からのお布施っつーか寄付っつーか巻上げで集めた金で共和党をバックアップしてたり、ロクなもんじゃないよね。特にアメリカのネオコン系の連中が信じてるような宗教(カソリックかな?)ってのは最悪だね。こういうときは本当にアメリカ人ってアホだなって思う。


まぁいいや。宗教の批判をするとキリが無いので。ところで今日、娘がロッカーの先生と授業の後に色々話したんだけど、なんだか知らないけど映画のユーモアの話から、コメディの話になって、その後、なぜか日本とアメリカの違いみたいな話になったんだけど、とにかく日本は息苦しいという結論に至ってしまったね。というのもなんだか先生が日本に滞在していたときに笑点を見ていて、日本語の全てを理解できるわけじゃないなりにジョークがクズだというのは分かったらしいんだけど、あの座布団を持ってきて面白いジョークを言った人が最終的に5枚だか6枚の座布団の上に乗って喜んでいるという姿がバカバカしくて笑えたんだというんだけど、まぁそういう見方をすれば笑点も笑えるのかな。


で、ニューヨークの地下鉄でラッシュアワー時にホームレスが偉そうに席を占領しているのを見て、電車に乗っていた人たちは「彼はキングだ」といってバカにするどころか、その堂々とした態度にリスペクトすらしていたという話を引き合いに出して、これって日本じゃありえないよねっていうことを先生は俺に確認していたんだけどいやーマジでありえないね。これを日本人は「マナーの悪い人間」としてしか見ないけど、個人主義のアメリカとしては、彼も彼なりの人生があるし、あの電車の中での威厳は尊敬に値するということから臭いながらも一時的に電車の中で人気者だったらしいんだけど、これは俺が普段からよく言う、アメリカの日常の緩さなんだよね。日本は張り詰め過ぎていて、常に緊張しているような状態だけど、こっちってゆとりというか遊びがあるのね。日常に。散々前に書いたから批判やらコントラストは書かないけど、この先生も俺が普段書いているようなのと同じようなことを日本とアメリカを比べて言っていて、やっぱそう思うよねって再確認してしまったんだけどね。


これを読んでいる日本人は「アメリカに染まってる売国奴」とかって思う人もいるかもしれないけど、よく考えて見てほしい。なんであんなに人々が毎日の糧なり収入が他の国と比べれば景気が悪いとは言え恵まれている国で不幸を感じているのか?ここで俺は先生に「日本って民主主義とか資本主義って言ってますけど、社会の窮屈さは大昔の独裁政権だった共産国みたいなもんなんですよ」って言ったら先生は「窮屈さということでは合っているかもしれないけど、あれなんだよ。例えばキミが言うようなロシアや中国みたいな国は政府がそれを作っているだろ?人々が政府の悪口を言うと力で締め上げるんで、自ずと政府の力から社会が窮屈になるっていう。ただ日本の場合、政府じゃなくて人々がそういう窮屈な社会を作ってしまっているんだよ」って言われて妙に納得してしまった。まぁ言論の自由とはいえ、メディアの規制は激しいし、新聞やらテレビといったメディアはほとんど機能してないのが日本だけど、個人レベルでは言論の自由は無い国に比べたらよっぽどあると思う。でもそれをしないのが日本人なんだよね。


「いや、この社会ってクズでしょ。こんな窮屈でさ、家族を持っている会社員が気苦労で自殺したりさ、最悪の国でしょ」って言えないっつーか言わないのよ。で、長いものに巻かれろみたいな風潮で何も言わず右に倣えでルールに従いつつ、そこで自分の存在を確認していたりする貧しい感覚を持っているわけ。こんな人間が地下鉄の偉そうなホームレスを尊敬するだけの気持ちのゆとりを持ってるわけがないよね。この先生の言ったことで思ったんだけど、国自体がそういう方針で社会を作っていて、もうそれに従うしかないといった状況ならまだしも、個人の自由が割とあるくせにそういった権利を全然行使しないで全体主義を自ら選んでしまっているのが悲しいっつーか、下手すると恐怖政治が行われている国よりタチが悪いかなって思うのよね。だって国民が全体主義的な統制だとかルールを求めちゃってるんだもん。嫌だなとか思っていてもしょうがないっつって妥協しちゃう。もしくは自分勝手やり過ぎると統制が乱れるとか規律が乱れるとか、個人が全体のルールを考えて行動していたりするわけ。これって明らかに社会主義的だよね。自由の無いソ連みたいな社会主義


アメリカは個人主義なわけで、特にニューヨークなんかは変な格好をしていても、他の人はそれほど気にしないわけ。だから俺も変な髪形にしたり(いとうせいこう)変なサングラスをしたり、変な眼鏡をかけたりしてるんだけど、あえてやっているというよりかは、今まで目立ちすぎるという人目を気にする理由で出来ていなかった格好を今やってるって感じなんだよね。俺は人のことなんて気にしないけど、でもいかに人目を気にしていたかというのが今となっては本当によく分かる。この先生の友達のエピソードで、日本に一週間ぐらいこの友達が滞在したときに京都のすし屋でおしぼりをもらったときに、手を拭いた後、顔を拭いて脇まで拭いたら、この店にいたほかの日本人や連れの日本人が「何やってるんだ!」みたいな顔つきをしていて、最終的にこの先生の友達と一緒にいた日本人が注意をしたらしいんだけど、この注意が象徴的だったのが「前にも言っただろ。日本でどう振舞うかは他の人を見て学べって。誰がそんなおしぼりの使い方をしていたんだ??」みたいなことを言ったらしいんだけど、この先生の友達は大阪に観光していたときにやくざ風の男がこういうタオルの使い方をしていたのを見て、「あ、いいんだ」って思ってやったらしいんだけど、この日本人の友達は「そりゃ大間違いだし、そいつは恐らくジャパニーズギャングだ」なんて言って、そんなことをしないようにって注意をしたらしいんだけど、いかに日本が他人の目を気にして生きているかというののいい証拠だと思う。


日本って「みっともない」って概念があるでしょ。日本の場合、他人の目が社会なんだよね。日本の場合、社会ってのは他人の目なのよ。マジで。だから世間体を気にするというのも基本的には人目を気にするということなわけで、そんなことだから個人主義もクソも無いわけ。派手な格好でもファッション雑誌に載ってるルールに則った派手な格好だったりして、本当の意味で個性的な格好をしていると、もう他人の視線が凄まじいでしょ。俺は昔から日本は前へならえ気質だって書いてるけど、それは例えば一時的にしか滞在していなかったアメリカ人ですら感じるというよりかは、個人主義の国アメリカから見たら日本ってのは本当にルールが多すぎて自由の無い国という風に見えるんだろうけど、ホント、その通りだよね。そろそろ日本人はこういう実際の不自由さに気がついて目覚めるべきだと思うね。まぁいいのよ、元々そういう教えを受けて社会のためとか統制を重んじて生きるというのも一つだし、本人が望んでるならそれでいいわけ。ただ望んでない人も物凄く多い割に意外と不満が無いんだよね。社会に対して。それはあまりにその中に居過ぎるので見えないのかもしれないけどね。ようは鉄仮面の物語みたいに、牢獄の暮らししか知らないので牢獄がデフォルトってことで牢獄の不自由さなんて考えないみたいなね。


アメリカの世間体の無さは日本人には「デリカシーが無い」とか「無礼だ」とかっていう風に見えるかもしれないけど、そんな風に感じる日本人的な感覚の不自由さというのを感じたりしないだろうか?俺はそう思うと生まれつきアメリカ人みたいな人間だったんだって今更ながら思うし、こんなんだから日本の社会っつーか学校とかにも馴染めなかったのは当然だったし、親もかなりリベラルというのもあって、こんな風になったと思うんだけど、今の若者が退廃しているとかって言われるけど、まぁこれは構築されきった社会に対する自然なアゲインストなんじゃないかなって思うんだけどね。例えば会社なんてバカバカしいんで就職したくないとか、これってのも本人の素直な感情なんだけど、遠まわしに見れば、こんなくだらない社会に付き合ってられないんで自分の道を探すよってなもんでしょ。ただ働きたくないというやつもいるかもしれないけど、そんなくだらないゲームに付き合わないよって若い人も多いと思う。若者がバカになるのは嫌だけど、若者が社会のルールに則って「国を守る」とか言い出すよりは、バカになってドラッグやってみたり定職に就かなかったりバンドやったりパラパラやってるほうがよっぽどマシだなって最近思えてきたんだよね。


昔ながらの日本のやり方を素晴らしいだとか、こうしなきゃいけないとかいって保守的な態度で社会に順応していくような、日本から見れば「優等生」みたいなやつほど俺にとっては危険なやつに思えるね。そういえば最近、ギャルについてのドキュメンタリーを見たんだけど、彼女達はそれなりの人生の哲学を持っていて、あれはあれで彼女達なりの極端な個人主義の表れなんじゃないかなって思ったわけね。だから電車の中でマットひって弁当食ってたりするのも、もっと力を抜いて生きようぜみたいな脱力系の表現としては凄くポジティブに見えるんだよね。嫌なのに毎日臭いスーツを着て泥酔して帰ってきているサラリーマンよりは、ギャルとか一見バカに見える若者のほうがよっぽど俺にとっては可能性が見えるね。毎日臭いスーツを着ることを義務だと考えてルールに則っているような優等生こそ何回も書くようだけど、俺にとっては危険に見える。そういうやつっているでしょ。世渡りが上手くて縦社会でやっていくのが得意みたいなやつ。


俺にとってこういうやつって殺したくなるぐらい嫌いなタイプなんだけど、こういうやつが蔓延するよりはギャルやら就職しないでフラフラしつつ色々模索している人が増えるほうがよっぽどいいと思うわけね。いいとは言えないけど、下手に順応して不幸になるよりはまだ望みがあるんじゃないかなって思うわけ。こういう若者ってのはある意味、凄く現実的で、現実に何も求めるものが無いんで、今を楽しく生きるしかないっていうことに割と自明でトランスがガンガンかかってるクラブに行ってドラッグ漬けになってたりするんだと思うんだけど、ドラッグの蔓延ってのも、この腐った構築されきった社会に対する一種のアゲインストなんじゃないかなって思うわけね。毎日スーツ着て会社に行くなんて親父の世代で十分だよっていうアゲインスト。俺はそれでいいと思うね。


だって社会自体が間違ってるんだから、それに順応しろってほうが酷なのよ。こうやって日本のことを思い出すと、こっちでもいいことばかりじゃないけど、日本と比べるといいことだらけで幸せ度が半端じゃないね。今まで感じたこと無いような開放感なわけ。例えばこの先生とこういう話をしたりするのはもう本当に刺激的だし、ニューヨークはスタイリッシュで綺麗な姉ちゃんが多いし、街の雰囲気も良くて最高なんだよね。なんつーか、最近思うのは、ニューヨークって移民に対して寛大だとか、移民がやっていけるコミュニティが形成されているということで合法だろうが違法だろうが移民が増えるんだとは思うんだけど、それ以上に街のエネルギーみたいなのに人々が惹かれてるんじゃないかなとも思うのね。ホント、日本みたいなネガティブでバッドなバイブレーションをこっちでは感じないからね。もちろん社会の問題とか政府の問題は日本以上に最悪だけど、個人単位ではかなりハッピーな国だよ。やっぱ。


アメリカっつーかニューヨークって。俺が住んでるクイーンズって学校までの通学路で工場みたいな場所を通ったりするんだけど、工場のおっさんとか兄ちゃんたちが工場内でボール遊びしてたりするんだよね。日本じゃ考えられないよね。もちろん彼らの仕事はタフだけど、死にそうな顔をしてやってないし、仲間と楽しそうに会話しながら仕事をしているのを見ると「本当に個人単位ではいい国だな」って思ったりするね。アメリカは「あんたがやりたいことをやれ」だけど日本の場合、「社会が必要としていることをやれ」って感じで、社会が最初にあるんだよね。だからまさしく社会主義的だなって思うわけ。それにしても俺のクラスメートの友達っつーかこの人画家なんだけど、この人の前に書いたアメリカ人のジャズのベーシストの彼氏も俺の音楽を凄まじく高く評価してくれててさ、で、まぁお食事会みたいなのがクラスメートと彼氏の家であったときに俺もお邪魔したんだけど、そこに来てたドイツ人留学生のドラマーの人も俺の音楽をありえないぐらい高く評価してくれていて、なんだか彼らの評価によって俺の存在が確認できたっていうかね、あーやっぱニューヨークに集まっている人たちだからなのかなって凄く思ったわけね。


日本でももちろん俺の音楽を高く評価してくれている友達は何人もいるけど、まぁ少数だよね。まぁニューヨークでも少数かもしれないけど、それこそこのクラスメートがバイトしている日本食レストランの常連客がイクエ・モリだったりジョンゾーンだったりするのがニューヨークなので、俺の音楽の受け入れ口も日本よりはあるかもね。小さい場所に芸術的だったり文化的な人が集中しているので、もしかしたら俺の音楽を発表できるような機会が出来るかもしれないんだよね。まぁただ今は音楽ってより、まず大学と英語なんで、そっちに力は注げないんだけど、まぁ時間が無いわけでもないんで出来ないこともないわけ。モチベーションの波が来たら色々と模索してみようかなとか考えてるね。今は。そう思うとやっぱ俺って音楽への情熱って捨て切れてないっつーか割り切れてないんだよね。食えないから食い扶持を探さなきゃいけないとか思いつつも、なんとか音楽で生計を立てたいなとか思ってたりもするんだよね。まぁ無理だけどね。それこそパトロンでもいない限りダメだろうけど、それはともかく諦める必要も無いよね。


それにしてもジョンケージが50歳過ぎても凄まじく貧乏で、幼稚園だかの送迎バスのバイトをやっていたとか聞くと、俺がずーっと音楽だけをやり続けているとジョンケージみたいな生活になるんだろうなって容易に想像がつくね。あとジェームス・テニーとか、あの辺の電子音楽では名の知られた人たちも相当貧乏だったらしいんだよね。俺の音楽を作り続けて貧乏になるのか、音楽を完全にサイドワークと割り切ってメインワークを探すために勉強したりするのか、凄く迷うね。まぁ俺の今思ってるメインワークってのも相当需要の無いものなんだけど、俺の人生ってどうなるんだろう。マジで。どんだけ人々の評価が高くても金にならないんじゃ生きていけないからね。俺は評価が高いってだけで満足なんだけど、金を稼がなきゃいけないわけで、俺の音楽と金ってのがどうも結びつかないわけね。だから困ったもんなわけよ。本当に。ってことでとりあえず寝るわ。


そういえばこの娘がロッカーの先生って、実はフィクションライターで、ただそれだけじゃ食っていけないんで英語の先生をやってるんだけど、素敵よね。夢の無い日本のサラリーマンと比べたら雲泥の差でしょ。思うにアメリカ人って少なくとも日本人に比べると人生の目標とかやりたいことってのがかなり明白なんだと思うんだよね。まぁいいや。寝なきゃ。明日もまた寝不足だ。俺は10時間睡眠が必要な人なので。


ブラック・ワン(紙ジャケット仕様)

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