別れと悲しみと。

mimisemi2007-06-15

今日は今セメスターの最後だったんだけど、悲しかったね。色々な意味で。まずもう会えなくなるクラスメートが大勢いて、英語学校は続けるけど別の英語学校にするという人とか夏休みをとるだとか、そんな人が多くてね、まぁ普段は別に気にしないのよ。クラスメートでしょ。ただいざ会えなくなるってことになると急激に悲しくなるわけね。で、まぁ最終日に来た連中は限られてたんだけど、その限られた連中で飯を食べにいって、その後、まぁビールを飲んだりしたんだけどね。例のぼろ糞書いたトルコ人も日本人も今となってはなんだかいい友達だったとか思えるわけね。結局、例の日本人とは今日の食事とか飲み会で終始一緒だったのにも関わらず一言も口をきかなかったけど、最後の別れ際に「じゃあね」みたいな感じで、まぁこっちだと拳同士をぶつけて挨拶するやり方ってのもあって、なんで俺がこれをやるかっていうと多汗症で手に汗かくんで、相手が握手を求めてきた場合、これなんだけど、別に敵対するわけでもなく、なんでもなく、例のトルコ人も今日会ったら大学の入学資格がもらえたらしくて、上機嫌で俺にも気さくに挨拶してきたりなんかして、まぁあれかね、俺のキャラもあるんだろうね。誰からも愛されるみたいな。まぁ基本的に俺は争いごとが大嫌いだし、相手の考えが気に食わなくても、認められるところを認めて評価してあげたいし、出来ればにらみ合うようなことがないようにしたいわけ。こういう態度ってアグレッシブなやつからナメられるんだけどね。でも俺の平和なヴァイブを感じてくれたのかな。まぁ敵対するようなことが無くて本当によかった。それもあってかなんだか寂しいね。気に食わなかったこのトルコ人と日本人ですら次のセメスターでまた一緒になりたいぐらいに思えてきてるんだけどね。まぁそれはともかく基本的に気に食わなくて否定するようなことを言ってくるようなやつでも、こっちの生活を侵害するようなことが無い限り攻撃的になるべきではないね。当然それは暴力も含めて。そうなると相手がいくら俺のイデオロギーが嫌いでも、人柄や争いを好まないヴァイヴを感じ取って、相手も俺を敵対しなくなると思うのね。まぁこれって平和の基本だと思うんだけどさ、平和って政治だけじゃなくて、人間関係にも必要なのよね。本当のならず者にだけ制裁を加えればいいわけで、こういうときの暴力は俺は肯定するけど(別にマルコム気取りじゃないけど)基本的にそこまでの悪人ってのはなかなか会わないよね。普通にしてれば。結局、終わりって大抵こうなのね。バイトでもバイト中は散々恨んでた店長も、終わるときになると急にやさしくなったり、まぁ精肉の話で言えばアメリカで頑張れみたいなことを言ってくれたりとかさ、レジでもそうだったからね。結局、なんだかみんな「頑張ってきてね」みたいな感じなわけ。別に自惚れるわけじゃなくて、自分の人格というか態度がね、相手の態度にも反映されるのかなって。だから別に気に食わないっつって気に食わない態度をとるんじゃなくて、なるべくその気に食わなさも含めて理解しようとかさ、争いだけは避けようとかさ、普段天然とかさ、そんなが相手に反映されて、俺に良いヴァイヴとして返ってくるのかななんて思ったわけ。ってことでホント、今回のセメスターでは暴力反対ってことを学んだね。別に暴力って暴力だけではなく、言葉の暴力とか態度の暴力とかね。ガンを飛ばすとか必要以上に無視するとかさ、攻撃は攻撃を生むでしょ(キング牧師気取りじゃないけど)まぁこれからも平和アティチュードをキープしていきたいね。なんかこんなにみんなにさ、愛されるっつーか良くされると泣けてくるんだよね。あーこんな俺でも一応思ってくれる人がたくさんいるんだなと。俺は普段、一切人間関係を求めないし、別にこっちから「どっか行こう」とか「飲みに行こう」とかって誘わないけどさ、まぁ本当に近い友達ならともかく、クラスメートぐらいだとそこまで深くないわけ。こっちに来てから人間関係っつーか人との出会いで良い思いをするのってのは、俺の態度の反映でもあるのかなって思えてきたわけね。もちろん会う人間にも恵まれているとは思うけど、みんななんかさ、そこまで愛想が無い俺な割にすげーあれなんだよね、みんな笑顔で接してくれるわけ。それは作ってる感じじゃなくて、心の底から自然に出てきてるような態度なわけね。マンハッタンに来てから人間関係がロードアイランドの頃に比べてイマイチとか感じてたけど、まさしくみんなに愛されてる感じってのは、ロードアイランドのそれと同じなんだなって今日、シミジミしながら帰りの電車でホームレスに50セントをねだられつつ思ったりなんかしてたわけ。特にモロ嫌われてるだろうなって思ってた、このトルコ人と日本人ですら、俺に悪意を持ってないってのは、なんだか自分に自信がついたかな。「別に戦おうなんて思ってませぬ」っていう平和な姿勢は態度で通じるのかなってね。インテリ先生にさ、すげーウケたのがさ、プレゼンの前に「俺はいつも人前に出ると緊張するんで、俺に視線は向けないでね。人目が怖いからサングラスをかけてやるけども」なんて言ってたら、先生が「シュンイチ、大丈夫よ。クラスの全員があなたの事を愛しているから自信を持ちなさい」なんて言われてさ、笑っちゃったんだけど、この「ノーファイト」な感じっつーのかな、攻撃性が一切無い丸い感じってのがあれなのかね。いいのかね。やっぱり。別に計算してやってるわけじゃないんだけど、相手に通じてるんで、別に悪く思ってるやつなんて一人もいないよってことなのかなっていう、まぁ俺が今書き続けているその俺の態度の反映なのかなってことね。思えばあの最悪な仲だったキューティーの姉とも引っ越し前はさ、もうジメジメしててもしょうがないんで、明るく振舞ってたんだよね。引越し前は散々大変なことがあったけども。で、まぁ電気代の問題があったときに、まぁすでにクイーンズに引っ越してたんだけど、あまりにも問題なんで、まぁ旧家に戻って話し合いをしたんだけど、まぁ解決できた後にさ、ピリピリしててもしょうがないなって思って、相手のことが好きじゃないけどまぁ顔は割と可愛いというのもあって「ところで仕事のほうはどうなの?見つかったの?」とかさ、なんとなく声をかけてみるわけよ。何しろトラブルの話し合いだけで「ああ、分かった」っつって帰るのも俺の流儀じゃないしね。ってことで若干無理してでもこのまま帰るのが嫌だから、こんな風に声をかけてみると、意外と悪くない答えが返ってきたりしたんだよね。で、最後にはお互い笑顔まで出てきたりなんかして。まぁ別に過去を美化するつもりは全く無いよ。あったことは酷かったからさ、まぁウォール伝にも死ぬほど書いたけどさ、ただそんな人間にでも機会があればこういうことをやってみるのはいいと思うんだよね。やってみるっつーか攻撃したくないのに攻撃しっぱなしみたいになっている泥沼状況が嫌なんで、ちょっとでも気の利いた話とかさ、雑談をしてみるとかさ、思えばレジの頃のしょーもないデブともこんな感じで上手くやっていけたからね。無駄な人間苦労の甲斐があったのかな。とにかくホント、自分が原因で他人に嫌な思いをさせてしまうのが凄く嫌だからね。俺。その割に普段はシャイで愛想が無いんだけどさ、まぁそれとこれとは別だけどね、全て愛と非暴力で克服するしかないね。マザーテレサガンジーを合わせたような感じでやっていければいいね。マジで。相手に攻撃したくなっても、和解の道を探すっていうのかな。ロクでもないやつでも声をかけてみるとかさ、心を開き合えるようなきっかけをこっちで作ってみるとかさ、出来ないもんかね。今までまぁ無意識にやってきたのを今、こうやって思い出したりしてるんだけど、攻撃するだとか無視するだとか陰口を言うだとかって建設的じゃないよね。思えば。何も生まないもんね。こういうのって。なんかこうやっていろんな人と会って、特に別れ際にさ、色々と声をかけられるとなんだか、ホント、思われてるんだなって思うわけ。前のロードアイランドのときもそうだったけど、ただのクラスメートじゃなくて、ホント、みんな慕ってくれるんだよね。これが嬉しくて嬉しくて。今日もみっともない話だけど昼にサンドイッチ食べたらこれで全部手持ちの金がなくなっちゃってさ、なんか食べに行くっつってもサンドイッチ食べちゃったし、金は無いしで、お茶だけ頼んで、同じく友達と食事の予定があるからってことでお茶だけ飲んでた日本人の女の人とまぁずーっとレストランで喋ってたんだけど、店入る前にさ、「別にお茶ぐらいだったらいいよ。払ってあげるから」とかさ、なんか物凄い善意を感じるんだよね。俺がロクでなしだったら誰も俺のご馳走してくれないでしょ。で、また笑っちゃうのが、次にどっかに飲みに行こうっつってさ、ただ俺は「ATMが無いし、金が無いからまぁ帰るわ」とか言ってたら、みんな「こいよー」みたいな感じでさ、「頼まなくても座ってるだけでいいじゃん」みたいな感じで言われてまぁズルズルとついて言っちゃったんだけど、結局、例の仲のいいコロンビア人がビールをおごってくれてさ、その後に別のエクアドル人がさ、ビールおごってくれてさ、もう気分的に泣いてたね。俺。こういうときに全身全霊で感謝の気持ちをアメリカン並に表現できればいいんだろうけど、俺ってこの辺が不器用だから「ありがとね。マジでありがとね!」ぐらいしかいえないんだけど、マジでジーンとしてたね。「あー終わっちゃうのかーこのメンバー」みたいな感じでさ、ビールを飲みつつ辛気臭くなっちゃっててあんま喋らなかったんだけど、酔いが回ってきてからは饒舌になってまぁ色々話したんだけどね。まぁそもそもキャッシュ持ち歩けよって話だし、若干遠くてもATM探せよって話なんだけどね。なんでこんな1セントが10枚ぐらいしか無いときにこういうことがあるのかなってちょっとウケるんだけど、とにかくなんだかみんなに感謝ですよ。マジで。

で、もう一個悲しかったことは、次のレベルにいけなかったことね。ようは成績が悪くてパスできなかったわけ。だからまた同じレベルを繰り返さなきゃいけないんだけど、俺の成績ってのが、インテリ先生のクラスでは最高のグレードと、プレゼンの結果も最高点っつー光栄な結果で、映画クラスの、例の娘がロッカーの先生のクラスでもグレードは最高点だった。まぁ映画のクラスは映画見るだけなんでグレードもクソもないんだけど、まぁ語彙の豊富さや映画の知識や意欲的な授業への取り組みが良かったらしい。で、いつも俺を褒めてくれるライティングの先生のクラスのグレードが微妙で、散々褒めてくれていたのにも関わらず、グレードは普通だったわけ。で、もっと最悪なのがリーディングのクラス。全くやる気が無くて、授業の途中に携帯で話し始めるような教師なんだけど、こいつの評価ってのが、意欲的なのは認めるけど、語彙と理解度が不十分過ぎるなんて書きやがってさ、こいつこそこっちに出している文章や問題の答えが分かってないようなやつなのに、普通のグレードをよこしやがったんだよね。で、これで見えてくるのがこっちの先生の主観性ね。ようは俺のことを気にいってくれている先生、もしくは気があったり、俺の意見や考えを理解してくれる先生は良いグレードをくれるわけ。ただ俺のことがイマイチ好きじゃなかったり、態度が気に食わない生徒には本当の評価より悪いグレードを与えるのね。特にリーディングの先生はクラスのみんなから嫌われていてこの教師に対してリスペクトの示しようが無いし、例えば「ブッシュは賢いんだ。テキサスに行ったらカウボーイ風に振舞ってカウボーイのような喋り方をして支持を集めるんだよ」とかこいつが言うもんだから「それマジでそう思ってます?ブッシュがスマートだって?」とかって質問すると、突っかかってきて色々と自分の政治的な意見を言うんだけど、さっぱり的を得ないのばっかりで、俺が呆れた態度を示すと、まぁご存知のように俺を嫌うわけね。差別に関しても「人はみんな生きながらにして差別の感覚を持っているんでどうしようもない」とかこいつが言うもんだから、まぁ俺が長々と色々説明したんだけど、端折って説明すると「例えばブラックアメリカンの場合、彼らのルーツはアフリカだったりするのかもしれないけど、別に彼らは山から来た田舎モノでもなんでも無いし、原住民の村から来た移民でもなんでもなく、アメリカで生まれた立派なアメリカ人なので、他の白人のアメリカ人が黒人だからなどという理由で差別するのは不当すぎるし意味を成さない」みたいなことを言うと、このオヤジは「全く理解できない。お前の意見が」とか言うわけ。で、またこのオヤジは俺のことを嫌うわけ。で、こんなグレードをよこしたんだと思うんだけどね。テストはまぁまぁだったし、宿題は全部提出したんで、こんなグレードはありえないわけよ。ってことでテストとかさ、出席率とか、もう変えような無い事実があっても、主観的な生徒の印象で勝手に悪いグレードを与えるのがこっちの教師なんだよねっつーか、まぁ今までの英語学校での経験だけだけど、物凄くこれが顕著。で、気に入られてるやつは、別にそこまで英語のスキルが無くてもパスできるわけ。で、今日知ったんだけど、ライティングの先生が生徒をパスさせるかしないかっていうのの権限を100パーセント持っていて、仮に他のクラスのグレードがどんだけよくても、ライティングのグレードと先生の意見によって全部決められちゃうんだよね。まぁただ今回のライティングの先生に関しては、普段、俺がよく褒められていた分、なんで落としたのか分からないけど、まぁ落とそうと思ってたから逆に「頑張れよ。もっと」っていう励ましだったのかも分からないけど、仮に英語学校と言っているならもっと総合で判断するべきだよね。ライティングの専門学校じゃないんだからさ。クラスメートが落ちたかパスしたって聞いてくるんで落ちたっつーとみんな驚いてるのね。優等生のシュンイチ(人によってはビル)がなんで落ちなきゃいけないの?!なんて。でもまぁある意味現実なんだよね。どんだけ俺が面白いプレゼンをやろうが、発言をしようが問題提起をしようが、インテリ先生と高度な話をしようが、エッセイの内容が良かろうが、全て依存する部分がライティングの文法なんだよね。些細なミスであってもミスはミスなんで、それでダメってわけ。まぁ当然っつっちゃー当然なんだよね。こっち来る前は何も書けなくて中学レベルの英語からはじめたわけで、この基礎の無さ加減というのは、まだまだズルズル続いてるんだよね。恐らく。ただ宿題もほぼ提出して出席率も良い俺がグラマーエラーで落とされるなんて悲しいよね。中にはさっぱり学校に来なくて宿題も数え切れないぐらいしかやってないやつでもライティングさえ良ければパスできちゃうんだから。なんか学校に出席を稼ぎに行くだけってのがバカバカしくなるね。マジで。まぁはっきりいってちゃんと文法のミス無しに書けるようになればいいだけの話なんだけどさ、総合で判断される風に見せておいて、全てがライティング次第ってのがなんだかなーって感じだけどね。っていう不満も全て愛で包めるようになればいいわけ。愛っつーかこの場合、プラス思考ね。はっきりいって凄まじく魔女の宅急便のキャッチコピーなりに落ち込むこともあるけど、これはもっと文法の勉強しいやーっていう警告だって捉えて、勉強すればいいだけの話だからね。全体で見れば良い成績表だけど、パスできなかったってだけで俺の自信は踏みにじられてるわけ。だからどんな偏った教師にも「あいつ嫌いだけど、英語できてるから良いグレードやるしかないや」ってぐらい英語が出来ないとダメだね。そんな教師の主観に作用されるような俺の成績ってのはたいしたこと無いってことだ。でもさー映画クラスの先生に口頭での語彙の豊富さを成績表で褒められたと思ったら、あのリーディングのブッシュの先生は語彙も理解もイマイチみたいなことを書いてるのって、やっぱなんだかなーって思うけどねー。どんな判断基準なのよ?って。

まぁいいや。そんな感じで英語以外でも学ぶことは多いですよ。今回のグレードみたいに腹の立つことも多いけど、まぁ全てを愛で包むしか無いわね。マジで。

Under the Sign of Hell

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