ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

衒学的なやつに気をつけろ!

mimisemi2007-08-14

基本的にまた寝たきり生活だったんで書かなかったわけね。先週の木曜だかにまぁ学校の説明会があったんだけど、いやーさ、さすがにアメリカだよね。学校の説明会っていうと日本人の俺としてはフォーマルなイメージがあるんだけど、さすがユナイテッドはラフというか、一種のショーみたいな形式になっていて、会場はシアターみたいなところなんだけど、学長が出てきて生徒たちをアジテートするような「ここからどこでも行けるぞ!チャンスはここからだ!」というようなね、まぁ学長の生い立ちから、コミュニティカレッジはもとより、アメリカってのは誰にでもチャンスがある国だというのを全面的にアピールするようなスピーチが続くんだけど、まぁそこまで露骨じゃなくて、まぁさすがアメリカ人だけあってスピーチは凄く上手いわけ。まぁ要約するとこういうことってだけで、スピーチを聞いてるだけだったら、まぁ生徒達を励ますスピーチというか、まぁポジティブなものなんだけどね。で、まぁさ、黒人のおばさんっつーかこの人がまた結構偉い人らしいんだけど、大学の説明を色々とするんだけどね、まぁ凄いわけよ。ジョークの連発で、いきなりゲームを始めたりね、CUNYって何の略?とかね、クイーンズにあるCUNYは?とかブロンクスにあるCUNYは?とかね、席の前列と後列で競い合うっつーかさ、前列の人が答えると前列チームにポイントが加算されて、後列が間違えると後列のチームがポイントマイナスされてとかさ、そんなのをプレゼンでやるわけ。しかも何百人って入ってるアカデミー賞をやるようなホールでさ、やるんだけど、生徒達もすげーノリがいいわけね。説明が面倒だな。っつーか録音すればよかったね。あと面白かったのが学校のポリシーを説明するときに、まぁちゃんとした服装で来ましょうとかね、そういうベタなルールを説明するときにもさ、セクハラはいけませんって説明のとき、っつーか説明自体が全部パワーポイントで行われていて、デカイスクリーンにそれがプロジェクターで映し出されてるんだけど、セクハラの説明のときにさ、顔が隠れてる政治家らしき人物がホワイトハウスっぽいところで女の人にセクハラをしているような写真が出てきてね、「これは誰でしょう?」とかいうわけ。で、生徒達が一斉に「ジョージ・ブッシュ!」とかいうわけ。で、顔のボカシが無くなってブッシュの顔が出てきて会場大爆笑みたいな。これってだいぶ前のアカデミー賞かなんかで捕まったばっかのホームレスみたいな面のフセインがさ、プロジェクターでデカデカと出されて曝けモノになってたりさ、で、会場も笑ってるみたいな、日本の場合、テレビですらこういう政治的なブラックジョークってタブーじゃない?すげー嫌がるよね。面白がる人はいるんだろうけど、日本のメディアの性格上というか構造上やらないわけ。だからタレントもそういうのに自明でいるわけ。
まぁそれはともかくこういうので笑うバックグラウンドがあるんだよね。こういうのっつーか説明会がショーみたいっていうのがすでに凄まじいカルチャーディファレンスだけどね。細かく書くと面倒だからやめるけど生徒は「イエー!!イヤァー!!」とかいうノリで、説明する人もバンバンジョークをかますっていう、そんな説明会だったわけ。で、上手いなって思ったのが、特にジョークを連発するこの黒人のおばさんがね、ある生徒のストーリーを説明しますとか言い出してさ、この生徒は最初は2年制大学に入り、卒業後、4年制大学に入り、卒業後、コロンビア大学の大学院に入り、これまた卒業後、博士号を取った・・・みたいなのを細かいディティールを説明しながら説明してるんだけど、最後にね、この生徒というのが今、ここに立ってあなたたちに説明しているこの私なのよ。なんていうわけ。で、生徒から拍手が湧くみたいなね。「イエー!!ヒューヒュー!」みたいなライブハウスみたいなオーディエンスの反応なわけよ。というかアメリカってロジカルに考えるとかさ、スピーチのスキルとかさ、こういうのを学校で習うんだよね。俺が取ったリベラルアーツでも英語のスピーチというクラスは必須科目になってるし、そういう意味だと日本のスピーチベタ、ロジカルシンキングベタというのは教育に端を発しているというのはあるよね。前々から書いているアメリカ人の喋る上手というのはさ、凄いわけ。だいぶ前に書いたけど、ロードアイランドの英語学校でまぁ来たばっかりのときだったけど、英語学校の生徒の話し相手になる大学生達というのが、英語学校がある大学内から来るんだけど、この大学生達というのがさ、英語学校の教室に入ってきてからね、色々と留学生に向けて説明をするんだけど、この大学生達の喋りってのが凄い上手いわけ。「僕たちはあなたたちの英語の上達の手助けの貢献がしたいと思っています。僕たちとしても色々なところから来た人たちの違った文化というのを学びたいし、英語を通してそういったことのやりとりが出来ればいいなと思っています」みたいな、まぁ書くとベタなんだけど、まぁよくもまぁスラスラと言うわけよ。まるで台本があるかの如くね。仮に台本があったとしても上手いとしか言いようが無い説明なわけよ。絶対あれ日本人じゃ無理って思ったね。まぁとにかくこんなショーみたいな説明会の後に、思ったより早く単位の登録というのがあって、まぁ俺が取らなきゃいけない科目とかさ、そういうのが書いてある紙を渡されてアドバイザーに説明を受けたあと、レジストレーションするんだけど、結局ね、ノンクレジットの補修の授業ばっかでね、リーディングの授業とライティングの授業と凄まじくベーシックな数学の授業を受けなきゃいけなくて、実質、クレジットになる学科というのは社会学だけだったわけ。まぁ社会学っつってもイントロダクションみたいな授業らしいんだけどね。だから今セメスターはほぼ補修の学科で終わっちゃうわけね。とはいってもテストの結果がそこまで悪いわけじゃなかったんで、補修の学科というのも、一応アドバンスのクラスというか、リーディングにしても一番上のレベルの補修のクラスだし、ライティングもそうだったわけ。ようはこれにパスできればアカデミックにいけるというわけね。まぁーでもまた4ヶ月とか英語学校に通うわけだからホント長いなーとか思うんだけど、レジストレーションの時にさ、まぁすげーオフィスに長蛇の列ふぁ出来てたんだけど待ってるとき周りの生徒の立ち話を聞いてたらネイティブの学生がっつーかすげー不良っぽいヤツなんだけど、黒人の姉ちゃんと「こんなクソみたいなノンクレジットの授業を取らなきゃいけないなんて最悪だよなー。ファック!」とか言っててさ、ようはあれなのかなって思ったのね。ネイティブでもアカデミックなライティングとかリーディングのスキルが無い生徒ってのは補修の授業を取らされるんだなって思ったわけ。まぁ予想だけどね。補修の授業って数学と英語ぐらいしか無いからさ、まぁもしかしたら数学のことを言ってたのかもしれないけど、とりあえず補修の授業っつって別にこれが留学生向けにあるわけじゃないんだなとは思ったわけ。それにしても授業料が意外と高かったのは驚きだったな。まぁ留学生は市民の二倍かそれ以上を払わなきゃいけないとはいえ、実際、請求書を見てみると高いなーって思っちゃうわけね。と思うと4年制大学なんてもっと高いわけだよな。行けるのかな?俺。努力というより相当経済的な面にかかってるね。これは。先は分からん。それはともかくとしてとりあえず無事、人生初の大学生になったわけね。俺。ただ日本ほどお祝い事的でもないのは、ようは誰でも入れて、入ってからが重要なんで、胴上げされたりするような、そんなくだらないことではないわけね。こっちは。そもそも入学出来て胴上げなんておかしな話だよな。合格祈願とか本当に馬鹿馬鹿しいカルチャーだなと思うね。ああいう受験文化。英語学校の先生も自明のことのようにアジア圏の大学事情について知ってるわけ。アメリカでは高校がパーティーで大学入ってからが地獄だけど、アジアでは高校が受験戦争で大学入ってからがパーティーだろ。だから多くのアジアの生徒がこっちの大学に来て苦労するんだよとか言ってたんだけど、まぁね、前のクラスメートだった右翼のあいつみたいな異論もあるとは思うけど、基本的にそうだよね。韓国の話も台湾の話も中国の話を聞いても、ほとんどシステムは一緒らしい。大学は基本的に楽なんだそうだ。アメリカに比べればだけどね。まぁそれはともかくとして今まで大学のシステムなんて全く知らなかった俺としてはあのショーのおかげでようやく単位という概念が分かったわけね。セメスターという概念とか、卒業までのプロセスとかね。なるほどって感じ。事前に調べとけよって話だけどね。俺はとりあえず卒業までの60単位を取らないといけないんだけど、すでに今セメスターで3単位しかクレジットになる学科は無いんで、すでに2年での卒業は無理っぽいわけ。だからサマークラスとか取らなきゃいけないんだけど、はっきりいって年中休み無しでずーっと金かかりっぱなしって感じで親に悪いね。マジで。こんな歳でやっと大学に行くなんつーのもなんだかアジアな俺としては遅いよね。普通は18ぐらいで入るのにね。俺なんてもうおっさんだからなー。マジで奨学金とかローンとか考えないと先行きはリアリスティックじゃないんだよな。親も年取るしね。まぁとりあえず学校に関してはそんな感じですわ。まず英語からだね。それにしてもつくづくやっぱああやってネイティブばっかがいる環境にいると、こんな環境で勉強するんだとか思って、ある意味でのはじめての経験なんだよね。今まではアメリカっつっても英語学校で周りはもれなく留学生だったわけだけど、これからはネイティブが大半を占める環境でやるわけでしょ。留学生も多いけど、はっきりいって大半がネイティブなわけ。まぁ当然か。そう思うと英語学校の英語レベルと二年制大学とはいえ、大学の英語レベルって全然違うよね。俺としては幼稚園児並の英語力の持ち主が大学に入って勉強するって感じだもんね。まぁもちろんその例えとの大きな違いは、脳があるってことで、ようは英語力は幼稚園児並かもしれないけど、考える力は大人ってことなわけ。だからまぁ仮にそういう言語的なハンディキャップがあっても中身で追い越せるかなってところなわけね。逆を言えば英語力さえ何とかなってしまえばこっちでやってくってのは意外とリアリスティックなわけだね。ただまぁやってみないとわからないけどね。4年制大学で一科目につき週に50ページ読まされるっつって、大学院では一科目につき200ページから300ページ読まされるっつって、こんなの母国語でも難しいってな話でしょ。分からん。そりゃ学科にもよるんだろうけど、とりあえずやってみないとわからない。逆にあまりにも非現実的な無理な世界だったら諦めもつくかもしれないしね。一日でピラミッド建てろって言われてるようなもんだったら諦めるしかないでしょう。いや、それは2年制大学じゃなくて4年制大学の話ね。そんぐらい大変って予想してたほうが最悪な事態は免れるような気がして、この辺ではまぁ前に書いた悲観的な見方は現実的な見方って感じで機能するわね。

あとは何かな、寝たきりだった週末はバウンティソードというゲームをまた例によって一日でクリアしたのと、あとは動画漬けだったね。最近ではニコニコ動画というのをメインに見ていて、これの場合、もちろん動画は日本のものに限られるけど、youtubeほど削除されなかったり、番組が丸々一個見れたりするんで、特にあれだね、お笑い系はここ一ヶ月ぐらいでほぼ見ちゃったね。あと昨日の夜はじゃりん子チエに感動したりしてたかな。あと古い朝生とかね、youtubeだとたかじんのそこまでいって委員会ってのが面白いね。ゲストが保守ばっかだけど。ああいうのってもちろんメディアから配信されている情報なので完全には信じられないけど、あんま読むのは気が進まない事柄に関しても大体の概要を映像とナレーションと共に見て知ることが出来るんで楽だよね。俺って読書家に比べれば全然読書家じゃないから、楽に短時間で情報が得られるってのが好きだし、映像があると楽しいからね。だからこっちで買ってるDVDなんかもドキュメンタリーが多いわけ。読まなくていいから楽なのよ。ただ書かれたものってのもちゃんと選ばないとようはテレビの情報と変わらないわけで、テレビの情報と活字の情報の差なんて分からないわな。ただなんとなく活字のほうが頭が良いイメージがあるけど、番組でもちゃんとしたものだったら、ある意味で適当に書かれた活字なんかよりよっぽどマシなわけで、まぁあれだよね、情報次第だよね。別に朝生とかたかじんのをシリアスに見ているわけじゃないし、いいんだけどね。あくまであれはエンターテイメントだから。基本的に映像が楽しいやつってのはエンターテイメントとして見ないとダメだね。エッセンシャルなやつは大抵つまらないはずだから。あと映画のThe Corporationってやつもすげー楽。色々な情報や知識人の意見が入ってて、しかも2時間ちょっとで良い映像と編集の中で楽しみながら鑑賞できるんだからねー、あの内容を活字で読むっつったら大変だもんね。いや、俺の活字というのは英文ってことなんだけど、ホント、英語の本を読むのは面倒なのね。凄く。最近では日本語の本を禁止にしてるんだけど、なんでかっていうと日本語の本が選択肢の中であれば絶対そっちを選ぶでしょ。だから英語の本しか読んじゃダメっていう決まりを作ってるわけね。だから最近の読書量ってめっきり減ってるんだけど。だからあれだね、動画ばっか見てるのかもね。英語の本は大変で疲れるから。どんだけ読めば慣れるのかな。ホント、新鮮なネタでイッた後ぐらい気が遠くなる話だわ。あと英語で読むっつーと頭がいいようなすごいみたいなイメージが英語アレルギーのある日本人から見ると感じられるし、実際、俺も日本にいたころに、たまに電車で英語の本を読んでいる人がいると「すげーな」とか思ったもんだけど、こんなもんはようはマックかWindowsかって話で、インターフェースの違いなわけ。マックでネットやってるかウィンドウズでネットやってるかの違いで、得る情報というのはどちらでも変わらないわけ。それはハリーポッターを英語で読もうが日本語で読もうが、ちょっとのニュアンスの差はあれ、大枠は変わらないのと一緒。だからようは内容なのね。あと理解度。読書力のある人は不自然な翻訳の本を読みなれているというか、理解しなれているだろうし、こういう人が別に原書で読む必要は無いと思うのね。まぁいいや、とりあえず英語とかアメリカの大学ってことだけで凄いって思うのはやめたほうがいいね。馬鹿馬鹿しい。ただのインターフェースの違いだからね。もちろんアメリカの教育のほうが何億倍も優れてるとは思うけど、結局のところはその個人の知識欲というか、思考力に教育ってのは依存するわけで、基本的にはやるのは自分なんだから、本質的にはインターフェースというのはそこまで重要では無い。それは小学校中学校になると話は別なんだけどね。だから別に英語で勉強する=頭が良さそうってことにはならないね。相当馬鹿馬鹿しいね。これは。INA化モンの発想だね。ただもちろんインターフェース以外の環境というところも大きなポイントで、例えば頭が良いやつばっか集まるような場所で勉強していれば学科というよりかは、そういった環境から得られる刺激とか競争だとか情報の交換みたいな、そんなとっからも得られるものが多いっていうか、やっぱ良い大学に行くベネフィットってのはここにあると思うんだけど、その点ではやっぱアメリカの本当の意味での良い大学はそういった利点が多いと思うね。だからやっぱあれだね、前世紀的な発想はアメリカの大学で勉強するってことがかっこいいとかステータスになってたりしたってことなんだろうけどっつーかまだまだ韓国とか中国とか台湾では根強いみたいだけど、今はそんなバカバカしいステレオタイプな発想じゃなくて、わざわざ言語というハンディキャップを負ってまでアメリカの大学で勉強する利点っていうのを意識的に考えなきゃダメだね。そんな意味だとさ、単純に若い人のアカデミック離れというのがあるというのはあるかもしれないけど、日本の留学ブームみたいなのが無くなったというのはあれだよね、気がつく人はこの辺のことに自明であえて選ばない人も多くなってきたし、それを判断する側もそういったことに自明になってきたってことなんだろうね。その点だとやっぱ他のアジアの国々は遅れてるかもね。日本はある意味で進んでいるから留学の無意味さというのに自明なわけだね。それは何もバブル期に円が強かったからとかさ、今は経済的にイマイチだからとかさ、そういった経済面だけでもないと思うんだよね。もちろんアホほど金がかかるけど、私立の大学にイカせながら東京のアパートの家賃を払って生活費も払ってる親の状況ってNoto俺の親の状況ってのはそこまで変わらないと思うんだよね。物価はどっちも同じようなもんだから。まぁもちろん俺のほうが仕送りの割にカツカツの生活をしてるってのはあると思うよ。何しろ家賃が高いから。まぁ学生にもよるけどさ、はっきりいって田舎から東京にイカせている親だって大変なわけで、日本の場合、その物価の高さから留学=リッチってことでは無いと思うね。最近では韓国もそうらしいよ。経済的に成長しているのと、物価も高くなってるから、あんま変わらないらしい。だったらアメリカの大学に行くよってやつが多いらしい。まぁ留学の威力というのがまだあるってのもあるけどね。でも俺も場合やっぱ歳があれだよね、もう親に依存できるような歳じゃないってのが痛いね。なんとか自立の道を探さなきゃいけない。そりゃ18でもそうかもしれないけど、まぁでも18とは状況が違うわけよ。おっさんがこっちで勉強しながら親に仕送りもらってるってのは痛いよね。かなり。そこがあれだね。やっぱ。ただおっさんになってから勉強を始める利点ってのがやっぱ目標というか、やりたいことと目標が明確ってのはあるね。18じゃ自分探しというか、留学生ですら何をしていいか分からないままとりあえずアメリカに来てみたって人が俺の経験では多いような気がするけど、俺の場合、確実にやれることとやれないことってのが自分の中で明確で、その中で確実に学科面に限らず色々なことで最良の選択が出来る背景があるというのと、目標が明確ってことだね。この辺がやっぱあのなんつーか、社会人になってからまた学校に戻ってきた人に代表されるような明確な目標を持てるようなバックグラウンドを持つってことなんだよね。俺は実質社会に一回も出てないけど、考える時間は死ぬほどあったから、その辺はやっぱあれだよね、今は絶対後悔が残らないような選択が出来るという自負があるよね。見てるとやっぱ18ぐらいで大学入って卒業したはいいけど、実はその大学でやってきた学科ってのがなんとなく選んだとか、自分の成績と見合った学科だったんで取ったってだけで、実際はやりたいことじゃなかったっつって、本当にやりたいことや必要なことを探していたり、再選択するという逆SSRI的な理由でまたこっちで勉強するとかっていう人が多いんだけど、大抵は母国でやってきた学業に何も見出せなかったという理由で来ている人が多いね。だからそれで大学院に入って自分の専攻だったものとは別の本当にやりたい学科をやりたいという人がいたりするんだけど、大学院のリクワイアメントの高さというその英語の壁というのが超えられずにずーっと英語学校にいるという人も多いね。実際、英語学校で苦労している人が大学院で勉強できるわけないからね。はっきりいって。アメリカの高校卒の日本人ですら難しいっつーからね。でもなぜか大学院に入りたいっつって英語学校通っている人も相当多いね。これってある意味で下手に大学出てる難点だと思うんだよね。大学出てるから4年制を繰り返す必要が無いとかさ、そういった理由だけで大学院という選択をする人ばっかみたいだから。そういう意味だと俺は結果的に相当恵まれてると思う。下手な選択をしなくて本当に良かったなと。ただ年食った分の難点は多いんだけどね。もちろん経済面で。あと最悪なのは母国の大学出てた後にこっちに来ているのにも関わらず、やりたいことが見つからないという人たちね。こういう人は大抵恵まれている人たちばっかだけど、彼らは彼らなりに相当気苦労があるみたい。何しろ何をしていいのか分からないんだから。完全にモラトリアム状態でアメリカに来てる感じなんだよね。基本的に特に英語学校に居るような留学生ってモラトリアムの吹き溜まりでほんの一部がアカデミックな目標を持って来ているという感じ。相当ヌルイ環境だね。だから英語学校にずーっといるとあのヌルイ環境に慣れちゃってずーっと何年もいるわけ。違法で働きながら4年以上英語学校に通って、VISAが切れたから帰るっつー人もいたけど、ありゃ酷いなって思ったね。まぁ俺に批判できる余地はないんだけど、なんのための滞在だったのかな?って凄く思う。今更だけどやっぱおぼろげでもいいから特にこっちに来る前は明確な目標を持ってこないと英語学校でゆで蛙になっちゃうね。なんとなくこっちってのが一番マズイわ。俺が激ヌル人間ながらも、一応、こうやって目標を持って、何をやらなきゃいけないかっていうことが自明でレイジーでクレイジーながらも、一応、生活にそういった自分なりのルールを組み込んだり癖を組み込んだりという思考のプロセスもやっぱ明確な目標というところから来ていると思うわけね。目標が無かったら絶対怠けるなって思うもん。あえて苦労して難しい英語の本なんて読もうとしないしね。まぁいいや、とりあえずこんなところだわ。その俺の目標ってのがさ、全てを曝け出すウォール伝ですら書きたくないのは、散々豪語しておいてダメになったら嫌でしょ。結婚するかもしれないけど、まだ分からないから人には言わないでって言いたくなる心理と一緒。最悪のシナリオも考えられるからね。で、最終的に「なんで帰ってきたの?」とか言われるわけよ。これは悪夢だけどね。実際、こういう悪夢を見るし。こういう悪夢を見るたびにセロトニンが足りないながらも色々な方法で補充してやらなきゃ悪夢が現実になるなって思うわけで、究極的なレイジネスの持ち主の俺ですらなんとかやろうという気になるわけ。背水の陣ってことよ。でも俺みたいなのはそうじゃないとやらない。絶対やらない。で、最終的に人生を八卦の陣で挑むみたいなね。天地を喰らうみたいな。

それにしても寝たきり生活でずーっとランドリーにも行ってないから特にね、ベッドにダニが繁殖しまくってて、なぜか腿ばっか噛まれてるのね。ただ掃除する気になれない。暑いから必要以外は外に出る気にもなれない。12時間ぐらいの自由時間を与えられないと2時間ぐらいの必要なことが出来ない俺としては、こういう生活を送ってないと、やることすらやらなくなるわけね。困ったね。本当に。寝たきりでもっと本ばっか読んでればいいのかもしれないけど、実質の読書時間はその自由時間に比べれば相当少ないしね。悲しいよね。俺。一ヶ月に20冊とか読むぐらいのナーズになりたいわぁー。今って一ヶ月に60発ぐらい抜いてるナーズって感じだもんなぁー。英語を母国語と変わらないような感覚で読めるようになるってのは相当な努力が必要だわな。日本語なら分かりにくい本以外ならいくらでも読む気が起こるんだけど、英語ってマジでモチベーション下がるね。ゲンナリするわけ。読むのも遅いしストレス溜まる。日本語で100ページぐらいの本ぐらいの量を500ページぐらいの本を読んでる感じで読むわけだからね、大変なわけ。ましてやサブジェクトがずーっと同じなまま凄い時間をかけるからそのサブジェクトに飽きてくるわけね。100ページをスラスラっと読んで、また別の本ってなるとさ、別の本にまた興味と注意力というか知識欲を費やせるじゃない。でも500ページの本を読むとなると同じ著者の同じサブジェクトの本にさ、多大なる時間を費やすわけで、やっぱ挫折しやすいわけね。だから今、読み途中の本ってのが10冊以上あるからね。読んでない本ということになると40冊ぐらいある。苦痛だね、これは。ただこれをルールにしないとやらないから俺。だから物欲も湧いてきたら本を買って紛らわすとか、真面目なDVD買って紛らわすとかしてるから、ずーっと本とDVDが精液のように溜まっていくわけ。でさ、一応なんかグラムシの獄中日記なんかを買ってみたりするんだけど、ヤリマンの女のマンコぐらい分厚すぎて全く読み気がしないわけ。で、製本というか本のフォーマットが古くて、印字も昭和初期に出版された夏目漱石の坊ちゃんみたいな感じでさ、読む気失せる度が高いわけね。やっぱあれだね、読む気する本を買うべきなんだけど、そうなると大抵、くだらなさそうな本が多くなるわけ。基本的に俺ってアカデミックな人間じゃないから雑学的な本が大好きなわけね。こないだも買おうと思って諦めたのが「ボヘミアンのための本」みたいなやつで、お洒落な表紙でさ、ボヘミアンのライフスタイルを綴ったような本なんだけど、明らかに楽しみのために読む感じじゃん。まぁグラムシよりかは読む気が起こりそうだけどやめたのね。買い出すとこんな本ばっか買うようになるだろうから。だからなるべく小難しいような本を読むという読書監獄生活を自分に強いているわけね。小難しい本を読み終わったら、たまにはこういう娯楽的な本もいいよって俺の中の監視員が言うわけね。ただ読み終わったためしが無いんで全然娯楽系の本にいけないわけ。もっと言えば小難しい日本語の本も読んでないのが山ほどあるからね。でもこれは禁止されているし、読み終わってない小難しい英語の本を読み終わってから読まなきゃいけないわけ。こういう風に書くと読書家みたいに思えるけど、実際は読書家じゃないから読書量を自分に課しているという感じなんだよね。それにしてもずーっと英語の本を読んでてさ、たまに日本語の本を読んでもいいよって許しが出るとさ、久々にオナニーするときみたいに物凄く集中できるわけね。それこそすげー読むのが楽なわけ。スラスラ読める。もうそれが気持ちよくてしょうがなくてイっちゃうわけね。だから基本的にオナニーの回数を制限するのと同じで、日本語の本の読書も制限しないと、オナニーばっかやることになっちゃうからだからこういうルールを作ってるわけね。俺って全然読書家じゃないわけ。読書家ってのは努力しないでも本をスラスラと苦無く読める人のことを言うわけだからね。羨ましいよ。そういう人が。

そろそろ音楽ネタにいくことにするか。最近聞いて感動したのが、Henrik Schwarzとかいうドイツっぽい人のDJ Kicks。感動というほどでもないけど、DJ Kicksといえば、スーツ(thievery corporation)とかK&DといったMIXCD史に残るような名作を出しているシリーズだけど、それに並ぶようなミックスがこのドイツのやつね。というか俺の中で優れたミックスってまずジャンルレスで色々なものをまるで一つのもののようにミックスするという条件を満たしていることが必須で、そういう意味だとこのドイツは完全に優れたミックス条件を満たしていると言えるわけ。あと俺の中で点数が高いのが生音を打ち込みの合間合間にミックスしてるってところね。これってのはミックスの中で一番高度なテクニックだと思うし、一番難しいことの一つだと思うわけ。それは単純に音の質感の違いというのもあるし、逆を言えば生だけという風に決めれば楽なのね。だってコンドームレスでミックスすればいいわけだから、そこまでチンポの質感というのに気を使わなくても簡単に感じるわけでしょ。ただ打ち込みの間に生を入れるってのは、イクときに手馴れたAV男優のようにゴムをサッっと外して出すようなテクニックが必要で、妊娠させてもアウトだし、ゴム出ししてもアウトだからね、なかなかそのミックスが難しいわけ。それを難なくこなしている加藤鷹的なダンディなミックスがこのHenrik Schwarzのミックスってなわけ。まぁとりあえず聞いてみるといいよ。俺自身、通して一回しか聴いて無いから細かいコメントも書けないし。あと同じDJ KicksだとVikter Duplaixも凄く良い。なんかガイジンって日本人に比べてジャズっぽかったりラウンジっぽいものをミックスする繊細なセンスが無いって印象があるんだけど、これは凄くある意味で日本人的なセンシティヴなミックスセンスを持ったCDと言えるね。だからたぶん日本人ウケしそうな音満載だし、DJ-KICKSにはなかなか見られないような洗練されたジャジーな雰囲気を持ったミックスだね。逆にアレよ、ジャズ系の重鎮かと思ってたTruby TrioのDJ-KICKSなんて打ち込みに魂を売ったようなやつで俺としては嫌いなんだよね。なんでもっと生入れないんだろうって凄く疑問だった。というかドイツの昔で言うフューチャージャズ系の連中って打ち込みというかテクノ的なものにより過ぎていて、完全に生の良さというのを忘れてる感じがするんだよね。だから全く魅力を感じないし、逆に生っぽさを残したジャズ的なヴァイヴを持った音楽っていうと探すのが大変だったりする。これってのはミックスで生モノを入れるのと同じぐらい高度なことだから、あんまやってないというか出来ないことなのかもしれない。だから一時期の日本に見られるような過剰なクラブジャズ流行はこういった生モノ回帰的なムーヴメントだったと思うんだよね。ある意味でフューチャージャズみたいなのってアシッドジャズとなんら変わり無いわけね。ジャズ的な音を使っているだけで全然ジャズじゃない。これは前にも書いたようにジャズとは言ってないけど、ジャズ的なヴァイヴを持った音楽というのが本流とは違ったトリップホップだとかね、まぁあのDJ KrushとかDJ CumじゃなくてCamとかね、一時期のニンジャだったりしたわけ。俺としては世界を見ても一番ジャズな打ち込み音楽ってダントツDJ Krushなんだけどね。特にDJ Krushの初期かCamのMad Blunted Jazzがもう一番ジャズ。ジャズ以上にジャズ的なエッセンスがある音楽だと思う。あとあれかな、ATCQかな。なぜかヒップホップというかダウンテンポ系に傾向がいくね。まぁある意味で黒人繋がりなのかもしれないね。ドイツ人がジャズやってもジャズにならねーよみたいなそんな話かもしれない。Jazzanovaなんて名前に反して全然ジャズじゃないからね。嫌いじゃないけどそこまで好きでも無い。ミックスは好きなの多いけど本人達のはあんま好きじゃない。あとあれかHerbertのあれね。Bodily Functionsね。これもまぁ黒くないけど白人ジャズの香りがするね。とまぁ凄くジャズ的なものって本質的には限られてるわけ。まぁ姿勢的なジャズというと今でも俺の中で世界一のDJである矢部直さんの一連のミックスね。といってもCity Lightsとケムリだかから出てたTightっていうミックスシリーズの14しかないけど。生では数回しか聞いたことないけど、姿勢がジャズだわな。本人達もジャズ姿勢って言ってるぐらいそのジャズ姿勢がすげー出てると思う。あのSell Outしたような某有名DJの似非ジャズ感とは大違いなわけ。でもやっぱ世の中ってのは似非好きで俗モノ好きなんだなって凄く感じるね。本物ってのは大抵評価されないかマイナーなまま。メジャーってのは大抵レベルが低いのは世俗のレベルの低さの反映だと思う。そこで前に書いた色々なことがツァラトゥストラ的なものの見方にどうしてもなってしまうというところなんだけどね。ところでIdiotって語源がギリシャ語の「政治に無知、あるいは無関心な人」とか、「公的なものとかかわりが無く、私的な立場にいる人」という意味から来ているらしいんだけど、基本的にどの時代も大半の大衆の民度の低さというのは同じだったんだろうなって凄く感じるわけね。ようは無知というのは犯罪的ということなわけで、俺は上から物事を言っているわけではなくて、無知を甘んじて受け入れている人たちの意識の低さというのに物凄い苛立ちを覚えるわけ。前にも書いたかもしれないけど、インテリ先生は教育ってもんは40年後ぐらいにはジョークになるって言ってたけど、これってのはようは無知というのが将来的に今以上に広がっていくということなわけだ。ここで音楽に関係付けていうと、ようは人が無知であろうがそうであろうが俺の知ったこっちゃー無いんだけど、ようは人々の無知によって終わってしまう文化というものがあるわけで、人々の無知が文化のクオリティを下げるということは十分にありえるし、はっきりいって今も起こっていると思う。ってのがテレビだとかメジャーな音楽の俗者根性を見ていると感じられるわけで、こないだのSex and Cityの話じゃないけど、ああいうのが大衆の意識の反映だとすると、はっきりいってそれはお粗末というしかないと思う。で、本質的なものを作っている作り手の需要がどんどんなくなっていって、ようは商業的に成立しなくなってしまうので、作り手が減ってしまうという、そんな状況にもなりかねないわけね。それはある意味で伝統文化的なものを考える時と同じなわけ。例えば落語とかさ、あれってある意味での教養というか話を味わえる聞き手のバックグランドが無いと成立しないでしょ。で、古典がもうつまんないっつーんで現代風に変えてったら古典がなくなっちゃう。なんで現代風に変えるのかっていうと古典を理解できるほどのバックグランドを持った人が少なくなっているということなわけだ。これは明らかに文化殺しだよね。これってのが結局俺の言いたいことで本質的なものを理解できる人が多くならなくてもいいから、一定量いないと高度な文化というのは需要が無くなって政府が助成金でも出さない限り消えちゃうよってことなわけ。今、ニューヨークでも過去に比べてアートへの無関心が物凄いらしくて、ホント、昔以上にアーティストが食えないんだそうだ。で、どこもかしこも家賃が高いっつーんでアーティストがいなくなっちゃう。で、ガンガンアートが無くなっていくわけ。ニューヨークはそれでもまだアートを支える経済的な土壌があるとはいえ、アホな拝金主義的なやつばっかいるような街に変わっちゃってるんで、過去のニューヨーク的な幻想はもう持たないほうがいいわけね。ようはアーティスティックな街がアホで間抜けな金持ちの街に変わりつつあるってことね。これも明らかに無知と拝金主義による文化殺しよ。これってのが世界的に広がるってのが今後なわけ。だから俺は日本の伝統文化も含む、色々な文化の存続に凄い危機感を持つわけ。これ以上アホが増えたら高度なものは栄えなくなっちゃうからね。だから増えなくてもいい、せめて一定量の高度な文化を理解する人の数は必要なわけ。これは俺が頭がいいんだぞ、こんな良い趣味を持ってるんだぞっていう自慢じゃなくて、単純に俺が楽しみたい高度な文化を作り出せるような土壌を世界が持たなくなっちゃうと、今より最悪な世の中になっちゃうんで、そんな間接的であろうが文化殺しをしているような無知な連中に凄く腹が立つと言いたいわけで、これは俺のリアリティなわけね。他人だから関係ないということではなく、確実に俺個人に関係してくるものなわけ。だから俺は無知というのが心底嫌いなわけね。ってのが世界中で常に起こっているのが政治の世界だけどね。愚人政治でそれに従う愚民達。だったらせめて国家とは関わりの無い文化(関わり無くないけど)を愚民達によって壊されるような状況を変えていかないといけないなって思うんだよね。だから常に知るってことが重要で良いものには良いと言えないとダメ。そうじゃないと色々な文化が成立しなくなっちゃうからね。政治もポピュリズム一色で文化もポピュリズム一色になったらもうそれは馬鹿による馬鹿のための政治というか文化というかってことになるからね。それじゃダメなわけ。やっぱ細かいことも含めて色々なことが政治的で社会的なんだよね。ただそれはこないだ書いた悲観主義からの悲観論じゃなくて、批判とかさ、絶望的な状況ということからも、ポジティブな答えを出していかないとダメだよね。ホント、批判ばっかしててもしょうがない。ところで日本のさ、朝生みたいな討論の番組を見てると、本当にこういう人が多いよね。相手の批判とか論点の矛盾ばかり突いていて、自分の意見を持たないというやつ。これって馬鹿と変わり無い。でも弁が立つとか知識人ってことでチヤホヤされるのかと思うと、もはや知識人の立場すらも怪しい世の中だよね。世の中っつーと言い過ぎか。ただ本当の知識人って俗っぽい知識人の批判をよくするよね。グラムシがさ、サバルタンが自分から物事を言えるようになるために、知識人が教育的なインフラを構築するべきだって言ってたけど、今ってその知識人すらもサバルタンに無知をインポーズしているような気がするのね。そういった意味で有機的知識人というのが少ないような気がするわけ。そうそう、だからね、教育的・公的なインフラって凄く重要なのよ。さっき書いたスピーチの話でもさ、アメリカってまだ日本に比べてこういったインフラがマシなような気がするし、ましてやロジカルシンキングだとかディベート術というのを一般課程で学んでいるというのはまさしくインフラが成されていると思うのね。まぁ実際、アメリカも例によって相当な無知が広がっているらしいけど、まだインフラの基盤があるという意味ではいいでしょ。それって設備的なインフラが国民の生活水準を高くするのと同じで、教育的なインフラは国民の知的水準を高くすると思うのね。これってのが日本ってのは本当に欠けているね。設備的なインフラは世界を見てもトップクラスかもしれないけど、教育的なインフラは先進国レベルじゃないと思う。なんかさ、文化レベルでもさ、例えば前に書いた映画クラスの先生とパゾリーニの話が出来るとかさ、これって物凄い文化基盤じゃん。まぁ映画クラスの先生がアメリカ人の文化レベルをレペゼンしてるかどうかは分からんけど、俺にとっては感動的な話だったんだけど、日本となるともまぁー凄くプアーだよね。文化レベルが。ほんの一部の人しか知らないし、知ろうともしないでしょ。ましてやこういったものが手に入る物質的な土壌があるのに需要がさっぱり無い。これって悲しいよね。別にみんながパゾリーニを見ている必要は無いんだけど、もうちょっと映画にしても音楽にしても文化的なものに触れて感動しようよって思っちゃうわけ。映画ランキングとか音楽ランキングとか見るとまぁ日本もアメリカも絶望的だけどね。ただまだ一部の進歩的な都市は日本のそれと比べてマシな気がする。日本の全体的な文化レベルってアメリカの田舎のコンサバレベルだと思うんだよね。ここでこれがまたアホなやつが俺のことを「非国民」とか言おうものなら最低だよね。これって無知より最悪。俺がなぜ日本をここまで批判するかという真意を全く理解できてないってことでしょ。無知から来るナショナリズムほどアホなものは無いよ。本来、ナショナリズムってのはもっとラジカルなもんから来るはずからね。そりゃ批判とかってことよ。国民が常に政府を監視しているような状態ね。で、本当の意味での売国奴的なアホが出てくれば徹底的に批判すると。それってのがナショナリストの役割なのに、ずいぶんとアメリカでも日本でもナショナリズムパラダイムが変わってるよね。ダメって言わないことがナショナリズムみたいな。それって前のクラスメートの右翼も同じレベルのナショナリストだけどね。ここでインテリ先生のお気に入りのさ、マークトゥレインの引用でさ、本当のナショナリストってのは離れたところからその国のことを批判する人だってことなわけよ。だから先生がいつも俺のことを本当のナショナリストって呼ぶんだけど、まさしくこれが本来のナショナリストなわけ。上辺だけの無知なナショナリスト売国奴だからね。最低だよあんなやつら。あとまぁネット右翼とかも最低の売国奴だね。逆に本当の思想的な右翼は俺も共感するところが本当に多いわけね。だから別に右翼だの左翼だのっていう差は本来は無いし、元々は同じようなもんだと思うわけよ。常に批判して国の行く末を見守るという点ではね。国を憂うという意味では一緒。例えばチョムスキーなんかも反アメリカニズムの代表みたいな感じだけど、あの人だって本来の定義のナショナリストという意味では究極のナショナリストで、ブッシュは最高の売国奴というわけだよね。もっと昔ならブッシュなんか本当のナショナリストに暗殺されてると思うんだけど、今は民度がそこまで高くないわけ。ここが面白い日本とアメリカに共通する無知から端を発する売国的な右翼の大量発生というところなんだけどね。ところで左翼的な批判がなぜ起こるのか?ってのをもっと意識的に考えてほしいね。キチガイのような革命が目的のような暴力思想は置いておいて、例えば共同体的な左翼思想とかさ、平和的な左翼思想がなぜあるのかっていうとそれは国のため市民のためというところでしょ。リベラリズムなんて基本的にそうじゃない。なのになぜか保守との意見が対立するように見えるというのは、もはや右翼思想も左翼思想も本来の意味とはかけ離れた馬鹿馬鹿しい思想に成り果てているということで、本来の意味では両方成立するはずなわけ。だってもともとの思想の目的というか出だしは一緒なんだから。だから世の中に溢れているような右翼思想とか左翼思想ってのは俺にとっては全く興味が無いものなわけね。だって本来境界線が無いものなのに、なぜか分けているわけでしょ。それは前に書いたローランドのシンセの件と一緒で、ああやって明確に線引きすることで思想の枠組みを明確にして、そこに寄り添えるからでしょ。で、ティピカルな左翼運動とか右翼運動に参加できるわけ。思考停止のままね。これほど楽な政治活動は無いよねー。何かに寄り添ったまま何々主義っていう枠組みの中で物事を考えていけばいいんだから。そういう意味だとティピカルな左翼と右翼は馬鹿だよね。俺がさっき書いたIdiotと変わらん。だから今は特にこんなアホが溢れている時代だから、MAX/MSP的なオブジェクト指向の考え方でいかないといけないわけ。

なんとなくまとまったところで、とりあえず一旦やめるわ。頭の中がスッキリした。あと腹が減ってきたので。あと追記すると、特に日本の討論番組を見ていると、わざと高度な言葉を使って自分をレベル高く見せるような衒学的でオナニー的な知識人も相当多いなというのを感じるね。それは常に感じるし、特にそこまで政治的じゃない人もああいうのを見ていてイライラしてくると思う。抽象的な言葉を使うというのは一見、高度に見えるけど、実は物凄く短絡的で、例えば抽象的な言葉というのは、その言葉の意味することの枠が大きいわけ。俺が仮にチンポと言えばそれはチンポ以外のなにものでも無いけど、ポストモダニズム的だとか脱構築論的とかっていうと、ようはこの形容詞っつーか形容動詞って色々な解釈が出来るでしょ。で、論者はその大きな枠に寄り添うことが出来るわけ。寄り添うっていうか逃げるわけ。アクチュアルな言い方をすると間違ったときに痛いけど、アブストラクトな形容詞というのはどうとでも捉えられるし、見た目がかっこいいので衒学的に使う馬鹿が多いわけ。そこがまた俺のお気に入りのチョムスキーの引用で、隣の大工さんでも分かる書き方というか言い方ってことなわけで、物事を確実な言い方で簡素に言い表す、もしくは書き表せる人というのが本当に優れた書き手や論者だと思うわけで、またチョムスキーだけど、"言語の濫用による無意味な論文"じゃないけど、インテリのオナニーを口頭で行っているような、ようは自分で自分のチンポをしゃぶって満足しているような連中というのが、俺の言う抽象的な物言いをする衒学的な知識人というところなわけ。はっきりいってこういう事実を知ってしまえば逆に抽象的で頭が良さそうな物言いなんて恥ずかしくて出来なくなってしまって、もっと簡単でアクチュアルな言い方を模索しようとするよね。ただそれができてないってことはやっぱ馬鹿止まりってことだ。悲しいね。お気に入りの言葉。"ギリシャの哲学者は難解な言語を忌避し、日常誰でも使っている平易な言葉を使った"

あとwikiから引用するわ。お気に入りのソーカル事件ね。

ソーカルとブリクモンは『「知」の欺瞞』の中で、衒学的な哲学者が出鱈目な科学知識を使う事に対して以下の趣旨の事を述べている。

・自分にできるのはポスト・モダニストの批判だけだったので彼らを批判した。他の分野も批判して欲しいという意見を、その分野の若手や科学者から受けるが、これは私の手に余る。

・私はたしかに人文科学の専門家ではないが、批判の正しさに専門家かどうかは関係ない。言語学者のチョムスキーもいっているように、中身の濃い分野ほど肩書きよりも内容に興味を持ち、中身の薄い分野ほど内容よりも肩書きに興味を持つ。

特にこの"中身の濃い分野ほど肩書きよりも内容に興味を持ち、中身の薄い分野ほど内容よりも肩書きに興味を持つ"というのがこれまた大工さん並にお気に入り。チョムスキーもまたショーペンハウエルのようなワンランク上のおっさんなわけだ。偽知識人に気をつけろ!!抽象的で難解な書き方や喋り方に騙されるな!やつらは馬鹿だぞ!あれだね、まぁ誰かが抽象的な言い方をしたらもう聴く耳持たないというオミットの仕方もいいかもしれないけど、一応聞いて自分の中でサマライズして、「あ、こいつ意味の無いこと言ってるな」って解析できるぐらいワンランク上言ってたほうがいいかもね。衒学的なやつに気をつけたほうがいいね。やつらは詐欺師だからね。

http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fn/

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