ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

ヌケルコ・シンディカリズム。

mimisemi2007-08-27

明日、祭日かと思ってたら違った。しかもこんな夜中に気がつくなんて。ってことで実質、明日から「大学」が始まります。ニートが大学生になる記念日なわけです。時間割なんかも把握してなくてさ、紙とかチェックしたらまぁあったんで良かったんだけど、なんだかね、すげー短いんだよね。授業がっていうか一日の授業の量が。基本的にさ、朝の9時に始まって夕方の5時ぐらいに終わるってイメージがあったんだけど、違うのね。っていうか基本的に長い日で4時間ちょい、短い日だと2時間ぐらいで、はっきりいって物足りなさ過ぎる。ものたりぬというエロ漫画家に昔世話になっていた。大学ってこんな感じなの?俺の留学生のイメージって寝る暇も無いぐらい学校に追われるっていうイメージがあるんだけど、俺の時間割だとはっきりいって普通にバイトできるぐらい時間に余裕があるね。だから大学生ってバイトできるわけ?じゃああの時間に追われている留学生って何なのよ?誰か教えてくれ。全然大学ってもんが分からん。今度、親にでも聞いてみるかな。妹とか。スカイプで。まぁもちろん授業が英語で宿題もテストも英語なわけで、はっきりいってそのハンデを考えればまぁ時間に余裕があるに越した事はないんだけど、せいぜい半日ぐらいは授業があってほしいよね。英語学校だって昼の1時半から6時半とかまでで、まぁ実質の授業時間って4時間チョイなんだけど、あーでもそっか金曜休みなんだよなってことは実質の時間はそんなに変わらないか。すげー時間あるんだよね。俺。だから色々と無駄なことができるわけ。だったら勉強しろって話だけど、何を勉強とするかだよね。もちろん遊んでるわけじゃないからさ、いいんだけどね、ただまぁ自分で勉強するっていうあれが無いんだよね。ただ色々やってたら結果的に勉強になっていたっていうだけで、基本的にステレオタイプな勉強って一切しないから俺。というか出来ない。だからちょっとだけ学校からやらなきゃいけないことなんかを課せられるのはちょっと快感なんだよねっていうか、本当に学校ってそういう意味だと楽だよね。やること与えられるんだから。俺が思うに自由時間というかさ、仕事してようがバイトしてようがその自分の時間に勉強をするっていうのって一番大変だと思うんだよね。自分で目標を立てて、何のためにどういうやり方で何を勉強するのかってのを自分でディグらないといけないわけでしょ。だから俺って基本的に調べ物とか読書しか無いんだよね。勉強と言える勉強は。いわゆる、机でやるあれじゃない。調べ物っつってもさ、よくどうせネットでしょ?とか言うけどさ、ネットっつったって色々だからね。ソースは。どっかの研究機関みたいなのも膨大な量のデータをネットにのっけてるし、ニュースだってネットにあるし、誰かの論文だとか、ものによっちゃー古典の本とかさ、丸々PDFで配布してたりするからね。これもネットなわけよ。所謂、ネットでしょ?っていう人たちっていかに普段ネットで見ているサイトの次元の低さというのを自分で暴露しちゃってるよね。どうせ個人のブログとか2ちゃんねるとかミクシーみたいなのとかそんなのしか見てないからだよね。ネットが暇つぶしっていう時代はもう終わったと思うね。ネットの情報は信じられないという時代もとっくに終わっている。はっきりいってもうメディアのメインでしょ。ネットは。もちろんそれは個々がどういうソースにアクセスするかというところに依存しているわけだけど、メディアを識別する力があればこれほど強いメディアは無いでしょ。だから俺ってPCから離れられないんだよね。本って基本的に特に最近は政治学とか社会学ばっかなんだけど、ネットの場合、例えば科学とか医学とか歴史とかそんなのも簡単に調べられるし、具体的な本を探す必要もないわけ。もしくはもっと深くディグるなら本を買うっていう段階で、とりあえず自分が欲している断片的な情報の一部ぐらいはネットで見つけられたりするわけでしょ。で、ずーっと似たような本ばっか読んでるとすげー飽きてくるわけ。そういう時ってネットの読み物ってのが最高なんだよね。まぁある意味で情報のつまみ食いなんだけど、俺はそれをただの情報として処理しているんではなく、知識として消化しているから、全然無駄になってないと思うんだけどね。ただ問題はそのネットの情報の大半が日本語ってところなんだけどね。やっぱ英語って読むの面倒だからなるべく日本語で探しちゃう。で、英語でしか無いようなものってことになると初めてそこで英語で調べるってことになるんだけど、相当比率は低いね。ただ基本的になんつーかその続けることだと思うんだよね。基本的に。外に出ないのは健康に悪いとかいうけど、これが俺のライフスタイルだし、調べものの一部は無駄な雑学だったりするけど、これもなんつーか日々の繰り返しで補えるのかなっていう気がするっつーのは、毎日やってれば、例えば一週間で見ると色々と得た有用な知識とか読んだ活字の量の合計量は多いわけじゃん。なんつーか仮に一日6時間ぐらい色々と読んでたとして、その半分が無駄な雑学とか、くだらないものだったとしても、残りの3時間は有用なものなわけでしょ。実際、一日で見るとさ、その3時間って遊んでたと同じようなことだけど、残りの3時間はちゃんとした知識を得ることに費やした時間ということになるでしょ。で、結果的に一週間で見ると21時間、フルに有用な情報を得ることに費やしたということになるわけ。これって凄い時間量だよね。一日で見るとたったの3時間だけど、毎日やると合計が凄くなるわけ。これってのが継続は力なりとかさ、チリも積もれば的な話なんだよね。まぁもっとも今日は漫画の一部分をネットから取ってきて、ダイアログを消しゴムで消して、自分で台詞を付け加えて勝手にストーリーを作るとかいうのに没頭してたけど、基本的にエロ目的なのね。やってること的には同人誌の作家とかと変わらないかもしれない。ただエロの想像力って半端じゃないから、もう凄いわけ。悩むことなくスラスラとストーリーが出来上がっていくし、ダイアログも生き生きしてるのね。で、内容がまた絶対人に見せられないような超絶的に変態的な内容なんだなこれが。どのエロ漫画家も書いて無いような狂った内容なわけ。なんでこんなダイアログを作るかっていうと、俺の下半身の需要に見合ったエロ漫画とかAVが無いからなんだよね。だから自分で作り出すしかない。ただマスはかけるけど、絵が書けないからさ、ストーリーなわけね。誰でも頭の中でエロストーリーを作ってマスに耽るってことはあると思うけど、俺はたまに台詞を変えたりね、何の変哲も無い画像に狂ったような吹き出しを入れて変態画像にしたりするのを楽しんでいたりするわけ。たまにだけどね。

ところで勉強ってのはさ、基本的に社会的に偉いみたいな扱いを受けるじゃん?勉強しているなんて偉いねって社会的に良い扱いを受ける、例えば仕事をしていて偉いみたいな、そんな漠然としたイメージで捉えられてるよね。たださ、勉強なんてものは基本的に誰がそれを勉強とするかっていう定義によるわけで、例えば俺がエンジニアの勉強をしても、それははっきりいって勉強ではなく趣味になるわけ。別に俺は手に職をつけようと思って勉強しているわけじゃないだろうし、まぁ仮に俺がエンジニアの勉強をしていたとしてね、将来、エンジニアになるわけでもない。ただエンジニアの勉強をしている。これってタモさんが趣味的に工場の工具の使い方を覚えたりするのと同じことなわけで、これってただの趣味だよね。サブカルについて勉強しているとか言うとそれは勉強じゃないように聞こえるけど、サブカル評論家にしてみたらそれはれっきとした勉強だよね。だってその道の人なんだから。ってことになるとさ、勉強って相当あやふやな概念なわけ。俺が英語を勉強するというのは単純にこっちで勉強していくための手段ということになっているけど、結果的に俺の英語もこっちで勉強したことも将来の役に立たなかったらそれは結果論になるけど、勉強とは言えないよね。次元は違うけど、駅前留学と変わらない。そうそう、だから目的の無い語学留学って駅前留学と変わらないんだよね。違う場所で生活するとか、いろんなところに行ってみるとかっていう経験を一番の目的としていて、VISAの関係で一応、語学学校に通うということだったら、メインは経験なわけだけど、これって目的無く英語学校に行くよりよっぽど勉強なわけ。社会勉強って言えるのかな。で、そういう人ってのは違う経験をするために英語が必要ってことで逆に英語目的で来ているアブストラクトな人たちよりよっぽどモチベーションがあるかもしれないね。パッと見、経験するって言ってるほうはいろんなところをブラブラしている遊学者のように見えるかもしれないけど、実際は目的があるようで無い留学生よりよっぽど学生なんだよね。ただ一般的に留学生のほうが一応ちゃんと勉強しているってイメージがある。で、このイメージに寄り添って好き勝手にやっているというのが勉強しない留学生達ね。勉強しない大学生も一緒。これって勉強とか学生とか学校っていう言葉のマジックなんだよね。一応、そこに所属していればある程度の社会的な認知がある立場にいる人間ということになって、一応、オッケーとされるわけ。ただフリーターで色々な経験がしたいっつって色々なところに行っている人は遊び人と見られるけど、仮にこの人が色々な地で色々な経験をして視野を広めていったとしたらこっちの人のほうが一般的な学生よりよっぽど勉強しているよね。ってことで勉強なんて言葉は目的が無いとただのまやかしなんだよ。だから俺は色々な本を読んだり調べ物をしたりしているけど、はっきりいって自分の知的好奇心というところだけで動いているので、これは勉強とは言えない。ただ結果的に勉強にはなっているけど、例えば人に「普段何してるんですか?」って言われたときに、まず「勉強」とは答えないというか答えられない。それがいくら高度なことを調べていようが、難しい本を読んでいようが、その読んでいるものというのが社会的に役に立ったり、その知識が認められるようなものではないと社会で流通している勉強という言葉は使えないんだよね。勉強と言えるのは例えばTOEFLの勉強だったりするわけだけど、これはTOEFLという社会的に認知されているテストで、このテストで点数を取るために勉強するという行為は、社会的な機能としての勉強という言葉が当てはまる。ただ俺のただの好奇心が動機になっている調べ物や読書というのは社会的には認知されないので、社会的な意味での勉強という言葉は使えない。逆に英語でスタディというのならピッタリかもしれないんだけど、日本語の窮屈な、自分に勉めることを強いると書いて勉強の勉強は俺の勉強ではない。スタディっていう言葉は研究とかって意味も含まれているから、個人的なリサーチなんかもスタディに含まれるので、それはスタディって言えるんだけど、さっき書いた日本での勉強は社会的な用語としての勉強なので、俺のやってることは勉強にはならない。仕事って言葉もそうでしょ。社会的な役割を課せられて賃労働するのも仕事だし、資本家が金儲けをするのも仕事。ただ仕事というのは仕える事って書くでしょ。だから基本的に副業でチャットレディーとか、出会い系のサクラとか、ネット転売みたいなのは仕事って言わない。ただそういう仕事じゃないことからも仕事をしている人以上に金を生んだりもするわけだし、マネーゲームが最たるもんで、お金を動かすだけでお金が得られるっていう、真面目に賃労働をしている人たちにとって、自分たちの仕事が馬鹿馬鹿しく思えてくるぐらい、仕事じゃないことから金を得ている人たちがいっぱいいる。まぁあと土地なんかもそうかな。大家ね。大家って仕事じゃなくて、立場の名前でしょ。ただ放っておけば金が入ってくるわけでしょ。もちろん管理とか色々あるのかもしれないけどさ、でもその管理というのは、自分の物件を維持して住人から金を吸い上げるための事の一つで、管理というのは仕事じゃない。逆に大家が管理人を雇えば、その管理人にとっては管理が仕事になる。ようは賃労働ってことだ。ただ大家は住人から金を吸い上げるってことで食っていくわけだから、実質、仕事って無いんだよね。でも金はウハウハでしょ。まぁ全部が全部そうじゃないけどさ、たとえ話としてね。だから勉強に話を戻すと、ようは社会というか親に納得してもらうだけの動機がある勉強ってのは、はっきりいって全体で見ると少ないと思うんだよね。具体的な技術系の学校とかならまだしも、所謂、学歴を取るために大学のカリキュラムをこなすという勉強は、TOEFLのそれと同じなわけで、TOEFLは英語を勉強していると言えないのと同じ事で、学歴のために勉強するなんてことは、はっきりいって学歴を取るための方法論としての勉強で、本来の勉強の意味とはかけ離れたところにあるんだけど、ここで不思議なのが、社会的なタームとしての勉強としてはぴったりの勉強なわけだ。ようはもう大学ってのが学歴を売る営利目的の機関みたいに成り果てていたり、職業訓練所のようになっていて、本来の意味でのスタディというところでの学問という意味での例えば教養や知識といったことはもう二の次になっているんだよね。だからインド哲学だとか東洋哲学だかっていうデパートメントが厄介払いされたりしているのも、ようは学校というもののファンクションが学歴を売る、もしくは職業訓練所ということに成り果ててしまったという結果と言えると思う。ただ本来の学問という意味でのインド哲学といったことは、大学としては尊重しなきゃいけないデパートメントなのに不必要だのということを言われていたりするところもあるらしいんだよね。インド哲学を勉強することは凄くスタディだけど、学歴のためのリクワイアメントをこなす勉強はスタディではないよね。ということで俺はたぶんしかるべきところにいかないと学生にはなれないと思う。そのしかるべきというところは今は言いたく無いっつーかお金が分からないから言いたくないんだけど、そういったしかるべきところで本来の意味でのスタディが出来ているときに俺は生まれて初めて学生というよりかは学徒になると思う。今はその前段階なので学生じゃなく無職なままなわけね。だから恐らく学生っていうリアリティが自分の中で湧いてこないんだと思う。だから今はカルチャーセンターに通っているおっさんみたいな立場だと思うんだよね。まぁそんな感じで、仕事だとか勉強とかいう抽象的な言葉は信じないで自分なりの定義を持つことが大事だね。こないだオヤジとスカイプで色々とふかぁーい話を3時間ぐらいしたんだけど、オヤジが「ポジティブ」っていう概念は抽象的過ぎるから、自分なりの解釈なり感覚を持たないと、それはポジティブとして心の中で湧いてこないって言ってたんだけど、まさしくその通りなんだよね。偉大なる父。例えばDJやってて客が盛り上ってるっていう状況がそのDJにとって一番の快感で快楽なのであれば、恐らくそのDJにとっての一番のポジティブなことというのは、クラブでDJをして客を盛り上らせるということになると思う。もちろんこれだけである必要は無いんだけど。釣りをしているときが幸せで物凄い快感を得られるという人は釣りという行為が一番ポジティブなのかもしれない。これは例えば行為に限ったことで、考え方というのも例えば毎日を楽しく生きるためにポジティブでいるというのはある意味での楽観的な考え方で抽象的なままだと思うんだけど、ここで楽しく生きるということは、その人にとってどういうことなのか?という定義を持てている人は、そのポジティブな行為や事柄やビジョンをリアライズしながら楽しんでいくということに繋がっていく行為、もしくは考え方ということがポジティブということの定義にもなりうると思うのね。あー忘れちゃいけない、愛も大きいね。彼女と最高に楽しい時間を過ごしているという場所なり行為、ファックでもいいんだけど、それが自分にとってポジティブなものであれば、それがポジティブの定義の一つにもなりうる。ようはポジティブということは人によって色々な定義があるということなんだよね。だから逆にポジティブに生きよう!なんて言葉は無責任過ぎるということだ。ただ前にも書いたようにネガティブというのは物凄く簡単なんだよね。受身でいて悲観的に色々な嫌なことを考えれば、それがネガティブということになるし、負のスパイラルに巻き込まれるということに繋がるわけでしょ。ただ前に書いたこのポジティブでいるってことが大変だってのがここにあって、ようは具体的な前向きであるとか幸せであるとか自分の夢だとかっていうビジョンを具体的な定義を持った上で、日々の選択の中で選び取っていかないといけないので簡単ではない。ただそれを諦めずにずーっと前に進める人というのがポジティブな人ということなんだと思うんだよね。だから物凄いパワーと思考力とビジョンがいることなんだよね。いや、俺が言いたいのはこれだけじゃなくて、言葉ってのは一般に出回っている定義によって勝手に決め付けられている部分があって、それが都合よく使われることが多いんだけど、実際はそうじゃないってことなわけ。つまり言葉の定義というのは極端な話、例えばコップとかテーブルとか定義が明らかであるものは別として、何かの概念なり行動を指すという言葉というのは個々の定義が必要なわけで、個人個人が個人の辞書を持ってなきゃいけないんだよね。だから恐らくちゃんとその辺が自明である人との会話では語彙の定義の差異というのが生まれたりもすると思うし、それがきっかけで論争になるってこともあるでしょ。言葉ってそういうものだと思うんだよね。で、話を戻すと、自分にとっての勉強が学校で出来るのはまだまだ先のことなんだけど、俺が期待しているのは二次的な、例えば環境から来る刺激や人々とのコミュニケーション、経験とか生きた英語を生きた場所で学ぶというということなわけで、つまりは学校に行くっていうだけで俺にとっては勉強になることだらけなんだよね。まぁ一般的な勉強という意味だとリベラルアーツという一般教養を勉強するというところにあるんだけど、これは俺にとって勉強じゃないからさ、まぁね、これが俺の勉強の定義なわけよ。まぁそんなところで明日、学校行ったらなんか書くかも。もしかしたら死ぬほど宿題が出て時間が無いってことになるかもしれないんで、あんま期待しないで。とりあえず明日から学校ってことで、ヌケる子がいれば学校に行く強い動機になるからいいなーって思うんだけど、学校にヌケる子を探しに行くという行為をヌケルコ・シンディカリズムと呼びます。

追記。

仕事の定義だけど、資本家が金儲けをするのも仕事と書いておいて、投資家というのは仕事じゃないというのもおかしな話だよね。いや、この辺がややこしくて、ようは俺がポップスとか歌謡曲みたいなのを音楽だと思わないのは、あれは明らかに金儲けが目的になっている音楽でしょ。昭和の歌謡曲とかになると別なのかもしれないけど、今のポップスは商業音楽だよね。あとハリウッド映画。ということはだよ、音楽ということを目的にした音楽ってのは、相当その商業音楽みたいな部分と上手くやっていかないと食っていけないわけで、だから俺が音楽で生計を立てるというのが恐らく生涯にわたって不可能なのはこの点にあると思うんだけど、そんなこといったらこの先、音楽ってなくなるよね。たぶん。いつまでたっても音楽はアンダーグラウンドなものなのかもね。ってことで何が言いたいのかというと、役割を担っている人たちが賃労働することが仕事で、金儲けをダイレクトに行っている人たちに関しては仕事というよりかは、
生業といったほうが正しいかもね。いや、まだ説明し切れてないけど、言いたいこと分かるでしょ。だから今ってのはっていうか昔からかもしれないけど、本当の意味での仕事なんてのは無くて、大半が生きる手段のために自分の意思とは関係なく選ばざるを得ない仕事というものをこなさないと生きていけないので、進んで賃労働をするしかないってところなんだよね。俺が思う仕事っていうのは、その人の役割とか能力とか意思といったものを最大限に活かすことが出来る社会的な役割ということなのね。となるとまぁ資本家もさ、頭がキレて金儲けに卓越していて金儲けがしたければ、金儲けが仕事ってことになるね。ただなんか認めたく無いんだよなー。マネーゲームって仕事ですかね?まぁいいか。また今度、ゆっくりとオナニーした後にでも考えることにしよう。

cendre

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