ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

再就職。

mimisemi2007-09-10

学校はね、可も不可もなくって感じかな。っつーか俺がアホ過ぎて補修の授業が大半なのね。その内容ってのはリーディングとライティングと数学なんだけど、特に数学はヒドくてって俺のテストの点数もヒドかったんだけど、クラスは足し算引き算から復習していってるような感じで、あまりのもユーズレス。だから授業中に隠れて本読んでるんだけどね。だってこの問題やってくださいっつって10秒ぐらい解けるやつに3分とかかけるような感じだからさ、もう驚きね。ちなみにクラスメートは一人残らずネイティブなんだけど、まぁ黒人が多いんだけど、どうやって高校卒業したんだろう?ってぐらいヤバいね。特に今日は引き算ですでに「解けない」ってやつがいたぐらいで・・・。あーもっと事前にテスト対策しておくんだった・・・。こんなにベーシックなクラスに放り込まれるなんて・・・。ちなみにこのクラス以外にももう一個補修のクラスがあって、基本的にこの授業をパスしても、次は上級数学補修クラスを取らなきゃいけないんだけど、まぁテストの結果によっては飛び級っていうか、補修はもう取らなくていいってことになるらしいんだけど、ホント、あれよ、もう鬼自習しかないわけ。はっきりいってこんなの俺の馬鹿さ加減で親に迷惑かけてる感じだからね。親はリベラルだから「逆にそんな基礎からやれていいんじゃない。社会に出たときに恥かかないでしょ」とか言ってくれるんだけど、このクラスに入ってること自体が恥っぽいんだけどね。まぁいいや、色々書くと面倒だから大雑把に書いていくね。

ちょっと段落変えてみたりした。で、次はね、リーディングなんだけど、これも数人を除いて大半がネイティブ。ちなみにこれはリーディングの上級コースなんだけど、やってるのは到底アカデミックとは思えないような、小学校みたいな内容の授業で、はっきりいってまだ前に通ってた英語学校のほうがレベルが高かったような気がする。そのぐらいベーシックってことよ。ようはテストの結果でこういう場所にプレイスメントされちゃうんだけど、テストってさ、基本的にこっちを欺くような選択肢とかが多いわけで、そういうのに引っかかっちゃうと文は理解していても回答が違うっつーんであれなんだよね。なんかおかしいんだよなー大学のテストの詳細を見る限り俺はパスしてるはずなんだけど・・・。ちなみにこのリーディングのクラスの初日に受けた実力を試すテストみたいなのでね、あと5点取れればパスしてたのよ。俺。ちなみに問題の量が多くて時間がなくなっちゃったんだよね。俺ってホント、テストに向いてないんだなって思ったんだけど。だから逆を言えばあと数分あればパスしてたってわけ。もうはっきりいってこのクラス必要ない・・・。このクラスでやる問題集なんかは大半がいつも全問正解みたいな感じだし、それにさ、あと唯一の単位になるクラスってのが社会学のクラスなんだけど、社会学の教科書とか全然読めるわけ。時間はかかるけど、はっきりいって普段読んでるのに比べたら全然難しくないわけ。あと別に一週間に50ページじゃなかったしね。まぁもっと他にも何個かリーディングが多いクラスを取っていたらきつくなるとは思うけど、今って補修プラス社会学なんで、全然楽なんだよね。まぉだから今セメスターは学校に慣れるってことかなって感じがするのね。ようは学校の流れを把握するっていう。2週間に一回ぐらい小テストがあったりだとか、ノートの取り方だとかなんだとかっていう、カレッジスキルをつけるための4ヶ月って感じだね。まぁちょっと長すぎる気もするけど。とりあえず今セメスターの目標は補修のクラスに全部パスすることだなって感じ。でもなんかさ、結局判断材料がテストの点だから、結局、テストで良い点を取るための4ヶ月って感じなんだよね。これがホント、こういう大学っていうシステムでやっていくことの弊害だよね。俺はやりたい科目だけやりたいのに関係ないところで苦労しなきゃいけない。苦労っつーかまぁ時間を使うっていうかね。はっきりいってもう自分が何を勉強するか完全に決めてるんで、他の関係ない学科みたいなのをやらさないでほしいんだよね。特に数学なんて本当にいらないからね。

あとそうそう。ライティングも基本的に大学側のライティングのテストに受かるための授業って感じなんだけど、まぁエッセイの書き方ってのがメインなんで、これは割と役にたつかなというか、他の2つの補修がユーズレスすぎるんで、これがマシに思えるだけかもしれない。ところでこっちのライティングって採点が本当に厳しくて、例えば、同じようなことを繰り返さないとか、意見を出したら順序だてて具体的な例なり事柄を書いて詳しく説明するだとか、なんつーか日本の作文じゃないわけ。まぁ日本の学校でもちゃんとしたところだったらこういうことが要求されるとは思うんだけど、凄いんだよね。コンポジションっつーのかな、構成とか書き方とかっていうのを本当にベタな感じのエッセイにしなきゃいけないわけ。特に一番辛いのがエッセイの内容が例えば、「あなたのコミュニティーに広い空き地があるので、何かに利用しようということで、市役所側は子供達のための公園を立てようと計画していますが、もうひとつ、ショッピングモールを立てるという計画もあります。あなたはどっちがいいと思いますか?あなたの意見を具体的に書きなさい」みたいな感じなんだけど、市役所に意見書を書くっていう内容なのね。だから仮にショッピングモールを立てるのが良いと思ったら、それがなぜ良いのか?というのを具体的に書かなきゃいけないんだけど、そんなもん知るかって感じでしょ。まぁ俺は雇用のことだとか、充実したショッピングモールなら、他の地域からも客が来るかもしれないので、地域の活性化に繋がるだとか、まぁ時間も50分って決められてるんで、そんな考えてる時間も無いわけ。これ酷いよね。凄い酷だと思う。あといつもこういうのをやっててつまらないなと思うのが、こういうやり方って凄く型にハマった書き方というのを重視するんで、基本的にアイデアが良いとかの内容の部分はそこまで重視されないのね。ようはさ、口下手だけど良いことを言う人ってーのと、そんなに良いことは言ってないんだけど、喋りが上手い人ってーのとで、ようは全ての人が喋りが上手くなきゃいけないっていう基準なわけ。だから基本的に文章を書けないって人は絶対こっちの大学は卒業できないわけね。日本の大学の学力が低下してるとかっつって、なんでそんな低下したままの学力で学校を卒業できるのが凄く疑問なんだけど、まぁそれを思うとまぁこっちの大学って面倒だけど自分のためにはなるかなとは思うけどね。言いたいことが分からなくなってきた。まぁ今の状況ってのは本当に勉強したいことを勉強するために必要な学校側から要求されているものをこなすって感じねっつってもさ、勉強って自分でも出来るわけで、テストで点を取って学位を取るのが目的じゃないんじゃ一体学校って何のために行くの?って疑問が生まれてきたね。いや、ホント、やりたいことだけやれればいいんだけど、今、こうやって2週間ぐらい通っていると、英語学校の頃と同じような、やるべきことをこなすっていう作業が中心になっててさ、まぁ不満を言っててもしょうがないんだけど、やっぱ学校っていうシステムの中でやっていくにはステレオタイプな意味の無いこともやらなきゃいけないってことなんだよね。俺が考えている勉強の体系というのはあくまで俺の頭の中で描かれた勉強なんであって、学校ってのはジェネラルなものだから、俺の考え方とかやり方と合うわけが無いわけだよね当然。そう思うと俺みたいなのって学校行く必要ないって感じだけどね。ずーっと自分でやってれぼっって感じでしょ。

ところでさ、やっぱ予想してた通り、オヤジの会社が上手くいってないらしくて、あんな歳なのにどっかに再就職しなきゃいけないらしいんだけど、これが俺の普段からいってるあれよ、先のことを考えるとダメっていうあれなのよ。ギャグじゃなくてマジなんだよね。こんな状況で補修の授業を受けてる俺って何なのって気がしてきた。まぁ数学は明らかに俺のアレなんだけど、英語に関しては大抵受けるらしいからね、まぁしょうがないんだけどって別に正当化するわけでもないんだけど、ようはのんきに英語とか数学やってる場合じゃないって感じなんだよね本当に。まぁ家の収入のことを考えても俺がどうにかできる問題じゃないから、とりあえず俺が俺のやれることをやるべきなんだけど、なんつーか現実が現実過ぎて嫌になってくるわ。なんか学校っていうシステムの中でシステムのリクアイアメントをこなすために頑張るっていう作業がホント子供じみてるんだよね。単位とかテストとかさ、本当に馬鹿馬鹿しい概念だなって思うわけ。前にも書いたように自分が興味があることに関しては一応、俺は常に勉強しているんだけど、学校のやつって大抵がそうじゃないんだよね。まぁ今がね、そういう下のほうでやってるからってのはあるし、そんな文句を言ってる前にとっとと補修を終わらせろってことなんだけど、ここまで学校ってのに時間とお金がかかるって凄いよね。マジで。で、社会も学歴だとかっていうのを要求してるっていう。そんなのは承知でやってるんだけど、学校にかかる教科書代とかさ、電車のアンリミテッドカードですらさ、全部学校のためじゃん?それで学校でやってることってのが単位を稼ぐだとかテストに受かるとかっていうんだから、まんまと躍らされてるなって感じがするんだよね。マジで。社会学のクラスも先生が「ここが重要だよ」といわんばかりに強調するセンテンスなんかがさ、テストに出るわけで、それを必死に生徒はノートテイキングするわけだけど、なんだかなぁーって感じね。テストで出るところを引っ張ってきて暗記してそれが社会学ってのがねぇー・・・。まぁさ、レベルの高い学校に行けば違うんだろうけど、まぁそのレベルの高い学校で勉強するために今やることをやらなきゃいけないのかもしれないけどさ、なかなかその動機付けが大変ね。やってることはまるでただのやっつけ仕事なんだけど、ちゃんと勉強するために必要なものだからやらなきゃいけないっていう、ようは間接的に先のことのためにやらなきゃいけないことっていうのがあってさっていうか、そればっかなんだけどね。大半が。それに時間とお金と労力をかけなきゃいけないってのが本当に歯がゆいわけ。だったらありえないぐらいの英語の点数だとか学科の成績を取って奨学金でも得てみろって話なんだけどね。だた実家もそんな火車でオヤジも再就職で俺は足し算引き算ってなんだかさ、悲しいよね。いや、ヘコんでるわけじゃなくて、来る前から先のことは分からないって言われてたし、散々、ウォール伝にもそれは書いてたけどさ、こういう既存のシステムの中で順応してやってか無きゃいけないって本当に大変だよなって思うわけね。それは俺だけじゃなくて実家もそうなんだけど。とかいって不満たれててさ、日本の大学なんて死んでも行きたくないわけじゃん?だったらこっちで頑張るしか無いんだよね。俺を動機付けるのってその恐怖なんだよね。日本に帰っても何も無いぞっつーか帰るってことは死ぬってことだぞって思うとさ、なんとしてでもこっちでやってかなきゃいけないわけね。いつも背水の陣でって書いてるけど、なかなかその緊張がウォール伝からは感じられないでしょ。だってクロノトリガークリアしたとかさ、背水の陣の人間が一日クロノトリガーやるもんかな?って感じだもんね。そんなに実家が大変な俺がジョーダン買うかな?っていうね。毎日、不安ベースで頑張らないと日本に帰らなきゃいけないっていう恐怖をバネにしてやるのか、こっちでの生活をそこそこ楽しみながら、ジェンドルマンBでやっていくのかっていうさ、そこで基本的に前にも書いたけど、悲観的になってやってるとダメなわけ。やる気すらなくなってくるわけだし、基本的に恐怖ベース・不安ベースのやり方ってのは精神的に良くない。日本にはそういう不安ベースでやってる人が多いんで精神的に病む人が多いんだと思うんだけど、そんな悲観的になっててもしょうがないんだよってことを陽気なアメリカンから学ばなきゃいけない俺としてはもうそういう背水の陣とかいいかなって感じなんだよね。背水の陣というのは自明のことなんだけど、常にそれを背負って険しい面持ちで生活するより、毎日をそこそこ楽しみながら、たまには怠けたりしして自分のペースでやっていかないと長期戦は無理かなって感じなんだよね。悲観的でいすぎるとこないだの内面が外に現れるじゃないけどさ、そういうマイナスのオーラを出すようになると思うんだよね。でもそれを思えば思うほど普段からいつでもテストにパスできるぐらいの英語のライティング力とかリーディング力をつけておけよって話なんだけど、いまいちそれが出来ないんだよね。俺。だから興味がある本とかを読みながらリーディングを磨いていくしかないわけってことになると、読める文章ってのに偏りが出てくるんだよね。小説とか全然ダメだもん。日本語でもそんなに読まないから得意じゃないけど、英語だともっとダメ。何が起こってるのかさっぱりわからないっつーか、こないだもリーディングの授業で配られたプリントで、なんかドミニカ共和国から来た仮面をかぶった少年がアメリカに上陸して云々とかいう話だったんだけど、全く興味が湧かないんで、全く読めないし読もうとも思わないわけね。これってのが俺の最悪の弱点というか、テストなんかでも、こういう興味が無いやつもテスト問題として読んで解析して問題を解かなきゃいけないんだけど、イマイチ集中できんのよね。で、そんな興味の無い文とかテストを必死にやってる俺が滑稽に思えてきて、すげー冷めてきちゃうの。いや、ここでもちろん火車になってる実家のことを考えて解かなきゃいけないんだけど、そうなると常に不安ベースでいかないとやっぱダメなんだよね。すげージレンマ。自分が勉強したいことについてやる気はマンマンなのに、やらなきゃいけないことが多すぎて萎えてくるっていうね。数学とかもさ、本当にあんなもんやっつけだからさ、やらなきゃいけないんだけどもう授業も自習もすげー時間の無駄っていうか労力の無駄って感じなのね。これをこの先もやっていかないといけないとなると本当に大変だなーって。興味が無いことをやるって本当に労力がいるんだよね。それが引き算足し算であってもさ、脳の思考力とかは一切使わないんだけど、それをやるっていう労力にやる気のパワーを使うっていうのが凄く大変なのね。で、今は大半がそのやる気を出してくだらないことでも学校から要求されてるんでやらなきゃいけないってことが多くて凄く大変っつーか、そのやる気を出すのが大変って感じなのね。やれっていわれてること自体は難しいことじゃないんだけど、全く興味が無いっていう。エッセイの書き方なんかも自分が勉強したい領域でのことならあれなんだけど、ショッピングモールを立てたほうがいいですって市役所に手紙を書くってのに気力と労力を捧げるのが大変なのよね。まぁエッセイの書き方なんてのは全ての基盤だから、自分が勉強したい領域でも役に立つっていうか、書ける能力を持っていないといけないんだけどまぁー授業の退屈さといったらもう凄いよね。基本的に英語学校でやることと変わらないからね。まぁライティングに関しては今の学校のほうがクオリティ高いけどさ、それもあれなんだよね、そんな思考力を必要としないものなんて、やり方とか書き方だとかを体系として覚えちゃって、とっととクリアすればいいんだけの話なんだけどね。それはリーディングも同じ。必要とされてるなら、テストの出てきそうなやつの問題集とかを解いて慣れればいいだけの話なんだけどね、なっかなかできないんだわこれが。そういう頭の中での区分けが出来ないんだろうね。俺。これをやらなきゃ前に進めないってのですら、好きか好きじゃないかっていう価値観の仲で判断しちゃう。面倒な道を進めばその先に大好物があるんだから、その目的のために面倒な道を進むっていう作業をしなきゃいけないのに、それが興味が無いことだと全然ダメなのね俺。あと興味が無いことだと凄まじく能力の欠落が出てくるのね。思考力とかも凄く落ちるわけ。集中力も本当になくなるし。だからなんつーか与えられたものをこなせる人って凄いなって思うんだよね。俺。俺は絶対それって無理だから。

だから今、学校に行く動機としては授業の中では一番マシな社会学の授業と、全く興味が無いライティングとリーディングのクラスがある日はクラスとクラスの間にある2時間以上のブランクの中での図書室での自習っていうことにしてるわけね。学校でやるやつだけじゃなくて、好きな本とかも持っていってその自主的な自習時間に読んだりするわけ。それを楽しみにするっていう。そうじゃないと続かなさそうだからねマジで。社会学の時間もさ、まぁ面白いんだけど、先生が「ここはテストに出るわよ」みたいなことを言ってたり、「私のテストは楽じゃないわよ」とか言うと一気に冷めるんだよね。はぁー結局テストかよっていう。思うに学校のシステムって一律じゃなくてもっと多様化していいと思うんだよね。全てが全てこういうセメスター云々だとか単位云々だとかテスト云々だとかっていうのに縛られる必要は無いよね。個々の学校が独自の学校のシステムを持ってても全然いいと思うわけ。まぁいいや、そういう大枠のことばっか言っててもホント、何も解決しないからね。ただホントあれ、学校の成績と思考力とかその人の能力ってのは、ほとんど関係ないって断言できるね今なら。相当レベルの高い学校なら別としても、基本的に成績なんてのはさ、学校の出席とかテストとか宿題とか、そんなんで判断されているんであって、そこにさらに先生の主観も入るわけだから、本当に怪しいもんだよね。「学校」っていうなんか普遍的なSF映画にでも出てくるようなマザーシステムみたいなのがさ、個々を色々なところから分析して成績を出しているのならあれなんだけど、基本的に教師っていう人の子だと本当に怪しいもんだよね。先生によって成績のつけ方が甘い先生とか厳しい先生とか、そんなのにもよるわけで、相当成績なんてのは怪しい。ただあれだけ生徒が成績っていうものに取り付かれてやってるのを見ると本当にくだらない世界だなって思うんだよね。そんな俗っぽい既存の世界でやってかなきゃいけないってのは本当に大変で、無駄に考えないほうがよっぽど良い「成績」が取れるんだろうなって思ったね。考えれば考えるほど学校っていうシステムのバカバカしい部分っていっぱいあるからね。マジで。いや、改めて書くと、本当にレベルが高いところは別としてね。ただ俺もさ、その学校っていうものに何かを求めてるって甘えなのよね。ようは自分で勉強できれば学校なんて必要ないんだけど、どこかでそういったところに自分を置けば、だれかが何かをやりなさいって言ってくれて、その与えられたものを勉強すれば何かが身に付くみたいな、ぞういう受身なところがあるんだよね。学校なんて基本的に何かの材料を与えてくれて、自分はただそれを何かをやる助けとして利用するぐらいのものだと思うんだけど、実際やっぱ学校って本当にその成績を取るためにやることが本当に多くて、いつの間にか本当の学業というところからどんどん離れていくっていう現象が本当に多いと思うわけ。だからなんか常に距離を置いてないと「大学馬鹿」になるなって凄く思うねあれは。これはたぶんレベルの高い学校でも変わんないんじゃ無いかと思う。勉強する主体がいなくなった時点でそれは目的を失うからね。まぁ別にね、自分を正当化するわけじゃないんだけど、なんだかさ、テストにパスするために学校に行く準備をしてさ、お腹が空いたら学生っぽく学生らしい食事を学校の食堂でしたりして学生らしく時間を気にしてたりすると本当に俺、今、馬鹿になってるなって思うのね。家に余裕があって好事家的にそれを楽しむならいいんだけど、実際余裕があってやってるわけじゃないからさ、余計になんだかなーって感じなんだよね。主体の無い学生ってマジで本当に馬鹿だなって思うね。それはアメリカでも日本でも変わらん。学生っていうもの自体がなんというか会社員のそれみたいに、会社っていうシステムからもたらされる、個人では回避しようの無い現象なんかを受け入れるしかないっつーか、それを受け入れているうちに会社員が板についてきちゃうみたいな感じで、学生ってのもその学生が板についてくると馬鹿になるんだなーって思うね。姜さんの本の中で、サイードの「知識人とは何か」っていう本についての解説っていうか、まぁエッセイみたいなのがあるんだけど、本当の知識人ってのは常にアマチュアでなければいけないって書いてあってね、ようは知識人だとか学生だとか会社員だとかっていう、何かの定義ができるような存在ではない宙ぶらりんの、脱出口が見え出せない思考する存在としているということが知識人、もしくは思考する何かということなわけで、そういった中間的な状態だと、自分を忘れることがないって言ってるわけ。だから俺が言いたかったのはそのサイードのアレとコントラストすると、学生っていうカッコつきの何かになって、学生らしい生活を営んで、学生らしい勉強法とかをしだすともうそれは俺は馬鹿だと思うし、サイードは知識人とは何かの中でようはそんなもんは知識人じゃないって言ってるわけでしょ。まぁそのうち原書を読んでみるつもりだけども。まぁ分かるでしょ。言いたいこと。学生になるんじゃなくて、常に学校に通うおっさんでなければいけないってことなわけよ。だからさ、プロの知識人って馬鹿で、プロの学生ってのもすげー馬鹿なわけ。ただそういうプロのほうがなぜか世間から評価されたり学校でも良い成績が取れたりするんだけど、俺はそういう意味でサイード的な学生でいたいって思うわけ。絶対、板につきたくないなって思うのね。あれほど馬鹿なものは無いからね。サイードも恐らくその知識人っていう凝り固まった概念の存在の馬鹿らしさを示唆してると思うんだけど、まぁとりあえず詳細は原書をちゃんと読むとしても、学校ってそういう馬鹿の吹き溜まりなのね。学校側もそういうプロの生徒に「よくできました」って言っちゃうから、生徒側もそういう風にあることがまるでいいかのように思えてきちゃうわけね。それは知識人でも知識人っぽい言葉の使い方とか物の考え方で考えてたほうが、世の中はプロだって判断してくれてまぁー知識人側もそれでいいんだな俺は知識人だって思うわけだけど、そこをあれしてサイードは「アマチュアでなければいけない」って言ってるわけでしょ。恐らく。まぁそれは置いておいてね、既存の制度でやってくってのは、そういうものを求められるんで、アマチュアな俺としては大変なわけよ。俺は一生、何かのプロになれないと思うから。ホント、何かの決まったものとか決まりごとって本当にあれだね、俺の性格に合わないね。なんかあれ、例えるなら学校では音楽を全部打ち込みのGM音源で作ってくださいって言われてるような感じよ。学校ってそういうMIDI職人は上手いこと良いグレードを取ったりするんだけど、そういうルールに従わずにサンプリングとかタンテとか使っちゃうやつはダメなわけ。「ちゃんとGM音源で提出してください」って言ってくるのが学校だから。あーヴァかヴァかしい世界だマジで。方法としてはマシな学校に通ってちゃんとした教授に師事することしかないんだよなー。で、そのためには足し算引き算の授業も受けなきゃいけないと。はぁー俺って親不孝だマジで・・・。あ、3万アクセスありがとうね。実際に3万人が来たわけじゃないのは俺も承知だけど、一応、3万ヒット記念は用意してますんで、今後、アップします。まだ完成してないんでね。あとちょっとなんだけど、最後のひねりがあれなのよね。

追記

全体的に適当に段落を作ってみた。区切り方はともかく、こっちのほうが読みやすいけど、アマチュアでありたい俺としては次からは見やすい配置なんていうブログ坊やがやりそうなことは一切しません。そのうち句読点とかもなくしていくつもりですので。

反ナショナリズム (講談社プラスアルファ文庫)

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