ザーメン活作り。

mimisemi2007-10-03

今日、学校休んじゃった。ってーのもいつものようにカフェインでクソをしてから駅行ったらさ、この先3駅までNWラインは運行していませんなんて書いてあってさ、ホームにロープが張ってあって入れないわけ。なんか事件でもあったの?とか思ったんだけど、単純に運行してないっつーか、整備とかなんなのか分からんけど、とりあえず無理ってことで。で、ただですらクソしてて遅くなってたのにもう間に合うわけなくてさ、ましてやクイーンズボロープラザ周辺がダメになってたら他の路線もダメだろうなとか勝手に思ってさ、とりあえずRラインまで行ってみようかなとか思ったんだけど、絶望的なぐらい遅刻しそうだったんで、もう行くのやめた。散々コーヒー飲んでさ、仕度して家出たのにこれだもんな。MTAってマジでありえないね。こういうの平気であるらしいからね。しょっちゅう。今日はまぁどうでもいいんだけど、明日がさ、社会学のクラスでテストがあるんだよね。まず遅刻なんてありえないし、早めに行かないといけないんだが、明日も運行してねぇーってことになると最悪なんで、相当早めに出よう。NWは乗れないというつもりで出るぐらいの気持ちでね。あーこえーよ地下鉄・・・。今は足し算引き算やったり分数の計算やったりでゆとり教育状態だからまだ余裕あるけど、これから先、シリアスなもん勉強するようになってこんなことがあったら最悪だよね。マジで。いや、もう将来、大学で勉強できるっていう前提で書いてるけどさ。で、結局、家に帰ったら寝起きに抜いたのに一気に緊張が解けちゃってさ、またムラムラしてきたんでオナニーしてから、一応、今日はズル休みということで、文法の勉強をしたね。2時から4時近くまで英語のライティングのクラスなんで、それに沿ったような自習を自分なりにしてみた。偉いでしょ。やっぱ腐ってもさ、親の金でこうやって勉強できてるってのがあるから、学校休みだっつって休めないんだよね。英語学校のときも寝坊したり二度寝で欠席したりしたときは一応自主的に自習はしていたね。学校一日分に見合うぐらいの。で、今日は昔、紀伊国屋でかなり前に買ったクソ高かった日本語のね、文法の本とリーディングの本を復習みたいな感じで読んだんだけど、日本のさ、ああいう受験用の本とかって関心しないんだけど、今、こうやってある程度基礎が出来てさ、ある程度英語の枠組みが理解できていると、こういった本の有用さが分かるね。凄くロジカルで本当に無駄が無い感じ。英語リーディングの秘密っていう本で、著者は駿台予備校の講師、薬袋善郎っつー人なんだけど、いやーすげーなって感じ。逆に英語で書かれた英語のリーディングの教材とかでこんなロジカルな数学みたいに解説してる本なんて無いからね。というのもこの予備校のやつはようは日本人用に日本人が理解しやすいように書かれているわけでさ、日本人ならこう考えがちだけど実は違うとか、ようは日本人が英語を学ぶ上で有用なメソッドで書いてあるわけ。英語で書いてある英語学習の本ってのはそりゃ当然、ネイティブ用に書かれているんで、ガイジンに親切とは言い切れないかもしれないわけ。ようはね、中国人だったら中国人向けの英語学習の本ってのが必要ってまではいかないけど、まぁ割と有効で、これまたスペイン語が母国語の人達用のテキストとか、ようはその言語同士の相性ってのがあるからさ、よく考えれば日本の受験英語ってそこまで有害なものでもないんだよね。偏りすぎると有害だけど、別にあれ自体は十分なんというか活用できるものだと思う。前はぼろ糞批判したけど、今考えてみるとそうでもないわけね。というのもそのさっき書いたようは日本人の頭で覚える英語ってのがあるわけでさ、ネイティブじゃないんでネイティブ用の英語の教育を受けても効率が悪かったり、概念が理解しにくい部分とかってのがあると思うんだよね。いや、まぁ逆にネイティブに混じってネイティブの概念で勉強するのもいいんだけど、まぁ全ての人がそれを出来るわけじゃないからさ、そう思うと日本的な英語の覚え方っていうのも、ようは英語学習のきっかけにはなるよねって思ったわけ。まぁ基盤っつーかね。そういった日本のベタな英語学習が基盤にあってから、こっちの英語学校とかで勉強してこっちの感覚を覚えるってのが一番かもね。そう思うとさ、やっぱ受験戦争で勝ち残ってきた人達が英語学習始めるってさ、日本語って全く英語と違うんで、他の言語、例えばスペイン語とかフランス語とかドイツ語ってのは明らかに英語との共通点が多くて、ボキャブラリーなんかもちょっとした綴り違いだったりとかしてさ、あいつらが英語やるのと俺らが英語やるのって全然別物なのよ。ただでもその差ってのが残酷なぐらい厳しい受験英語っていうので少しは縮まってるんじゃないかなとは思うわけね。まぁ人にもよるけどね。やっぱ基礎学力ってのは重要だね。ある程度は。無い俺が言うんだから間違いないよ。ただまぁ日本の教育の最大の弊害はそれ自体が全く暗記とかさ、つまらないもんなんで、学科への興味とか知識欲というのをとことん失わせるように出来ているんだよね。だから数学が嫌いになったり歴史が嫌いになったり英語が嫌いになったりクラシック音楽が嫌いになったりするわけ。そういう意味で俺は早くからドロップアウトできたんで本当にラッキーだったんだけど、まぁドロップアウトしてチャンスが無かったらそれこそネットカフェ難民だけどね。まぁ実家があるから別にしてもまぁワーキングプアだよね。ジョージ・ミルのさ、Social Experienceよ。前にも書いたけど。Pay for Music Lessonsって言うんだけど、ようはピアノの才能がある子が生まれてきても、音楽レッスンを受けさせるだけの経済力が無いと、その才能は死ぬっていうね、まぁその家庭の状況がその子供の将来を大きく左右するっていうことなんだけどっていうか、まぁこのジョージ・ミルの一部分だけどね。別にSocial Experienceっていう概念自体がこの音楽レッスンの話ってわけじゃないから。まぁそれはともかくとしてさ、俺みたいなもんが一応、英語の本とか読めるようになったのって明らかに親の支援があるからだからね。まぁ別にネットカフェ難民だろうが勉強すれば英語の本なんて読めるようになるとは思うけど、ようはこうやってアメリカに住みながら勉強するってことが、ようは強い動機付けになったりするわけよ。語学は学ぶもんじゃ無くて、一緒にその文化と生きないと身につかないってのをこないだの社会学の授業のさ、社会の象徴っていう概念の一つの言語の部分でやったんだけど、全くその通りだよなーとは思ったね。言語ってのは学科じゃなくて文化だからね。スキルとしての言語なのか、その文化の中の言語という意味での言語なのかってところだよね。まぁ簡単に言うとあれだわ、生きてる英語ってやつか。よく生きてる英語ってのがクリシェで使われるけど、これがようは文化の中で学ぶ言語ということでしょ。ただ俺がさっき書いたのは、それを文化の中で学ぶ前に言語学的なストラクチャを知っておいてから学んだほうが、その言語の概念を知らない人種たちからすれば利点が多いということなんだけどね。エロ小説で「口の中で貴方の精液が泳いでるみたい」ってのがあって凄まじく欲情したことがあったなぁー。一時期、マジでハマってたからね。まぁ秋田昌美経由の性文化からの興味から読んでたんだけどね。カストリ雑誌とかさ、まぁあれも文化だからね。所謂、フランス書房とかのやつじゃなくて。椿なんたらとかさ、ああいう割と文化的なやつね。ただこの精液のくだりはただのエロサイトかもしれない。まぁいいや。話を戻すとね、基本的に教育ってのが国によって無償か、もしくはどんなソーシャルクラスの人だろうが平等な教育が受けられるという基盤が無いとね、まぁ散々言われ続けていることだけど、格差の固定化って凄いからね。んじゃ学歴社会だとしてよ、世の中が、んで苦労して学歴取れば挽回できるんだったら、その学歴を取れるチャンスというのは誰でも平等にあるべきだよね。ただ実際は例えば修士とかさ、NYUだとかMITなんて年間300万以上かかるわけじゃん。日本の大学だってここまでじゃないけど高いわけでしょ。親が払えないっていうところだってあるわけじゃない。そういう意味だとアメリカって学費がクソ高いんだけど奨学金をもらって大学行くっていう文化があるからさ、まぁそのためには優秀な成績じゃないといけないんだけど、まぁチャンスが無いわけではないよね。ってそんなことも無いかな。奨学金取れる人なんて一部だろうから。そうじゃなくてまぁまぁ普通ぐらいの成績があればみんな大学で勉強できるっていうチャンスがあればいいわけよ。何も奨学金のテストだかにパスするぐらい優秀じゃなくてもいいわけ。でさ、こないだのアニメオタクのペルー人だけど、話してたらさ、こいつは朝の5時に起床して7時から2時まで仕事してそれから大学来てるわけ。だから宿題なんてやる時間が無かったり、自分が個人的に復習しないといけないところとかさ、そういうのが出来ないっつってたね。数学の時間でも最小公約数だとかをやってたときに、さすがにそれは俺でも分かるんだけど、分からないってやつがいてさ「教えてくれよ、メーン」っつって聞いてくるヒスパニック系のやつがいるんだけど、こいつもさ、学校の近くで働いてるんだけど、忙しすぎて勉強なんてする時間が無いらしいんだよね。例のいつも俺のスニーカーを褒めてくれる黒人も銀行でバイトをしていてクソ忙しくて勉強なんてしてる暇が無いらしい。まぁ暇があったとしてもその時間は自分の時間に使ったりしてるんだろうけど、そうでもしないとおかしくなるもんね。ここでもすでに格差よ。親の金でのうのうと勉強していられる俺はこうやって暇を持て余してウォール伝を書いていたりレコード屋に行ったりしてさ、今日は一人でコンピューター相手に人生ゲームやってたりもしたけど、そういうコトしてたってまだ勉強する時間があるわけ。まぁ他の家事とか一切やらないっつーか最小限の時間しか使わないんで時間が有り余ってるってのもあるけどね。まぁそれは俺のやり方だからさ、食事に時間をかけないとか、ランドリーは2ヶ月に一回とかさ、寄り道しないとかさ、まぁそういう意味だと勤勉ではあるんだけど、まぁ無駄な時間が多く必要で、その中で勉強もしなきゃいけないっつーんで、無駄に多い時間が必要なわけで、まぁこういう工夫をしているわけだけど、まぁ単純に面倒臭がりってのもあるんだけどね。もうはっきりいってさ、明日の社会学のテストだってどんな感じなのか分からないけど、準備できる時間がいくらでもあるわけじゃん。俺。で、まぁ実際復習してるのは電車の中とか寝る前とかだけどさ、ようは勉強するって余裕が必要なんだよね。俺みたいな貧乏な有閑階級みたいな生活をしてないと学生生活って送れない。時間の無いやつはエッセイに時間なんてかけていられないだろうけど、俺はいくらでも時間がかけられるし、今日みたいに簡単な復習も出来たりするわけ。だからね、俺が仮に同じ年齢の普通の若いやつより若干物事を知っていようが考えていようがさ、それってのは俺の能力でもなんでもなくて、ただ時間があるからなんだよね。一日8時間プラス残業して勤務日数は最低週5とかさ、そんな生活送ってたらショーペンハウエルなんて読んでられないわけ。脳に余裕があるから思考的なのを読めたりするわけじゃん。脳が疲れてたらあえて疲れるようなのなんて読みたくないよね。だからさ、確かに物凄い量の音楽とか映画とか芸術に接しているとは思うけどね、俺自身が。ただそれは本当に好事家的なものなわけ。まぁそれしか長所が無いんで、そういった分野でなんとかできないかって考えてたりもするんだけどさ、こないだもで、これまた社会学の時間でハイブローな文化ってのとローブローな文化ってのがあってさ、例えばジャズは昔はローだったけど今ではハイになったとかさ、ゴルフは逆にハイだったのがローになったとかさ、まぁ色々あるわけだけど、はっきりいって俺の趣味なんていつも自画自賛するようだけど、恐ろしいぐらいハイブローよ。ただそれってのはある程度、ハイブローな趣味を持った両親の元で自由に育てられてきたんでいくらでもそういったものが吸収できたという俺の努力でもなんでもない基盤があるわけでさ、それってのは先天的なもちろん感受性的なものもあるけど、後天的なものもかなり大きいわけ。それがさっき書いたPay for Music Lessonsなわけだけどね。まぁ俺は別に習い事をさせられてたわけじゃないけど、まぁ意味的には同じだよね。親が家に金入れろとかバイトしろとかって言う人じゃないんで、いくらでも自分の時間を使って文化を吸収できるっていう。まぁその理論で行くと全てのニートはハイブローってことになるけど、まぁ実際、時間が有り余っててもネットゲームしかやらないようなクズがいるわけだけど、まぁそういうのは放っておいてもね、まぁもちろん知識欲だとか趣味とかってのはやっぱその人の持って生まれたものに依存するとは思うよ。ただ俺の場合、幸いなことに両方、そこそこまぁまぁある環境で育ってきたんで、まぁ変わってるとか狂ってるとか言われるけど、俺の定義の中では物凄く良い趣味を持った人間になったわけ。あとまぁ親が俗っぽいものを好かないってのもあったけどね。まぁーそんなことも無いか。月9とか見てたしな。ただ世間の基準がJ-POPなんであれば俺はハイブローでもなんでもなく、ただの変わり者なわけだよね。パゾリーニがメジャーなわけじゃないし、やっぱセカチューとかさ、最近のあの手のくだらない邦画のタイトルが分からないんだけど、まぁ言いたいこと分かるでしょ。ああいうくだらない映画なのにも関わらず人が大勢映画館に行くっていうこの悲しい現状。これはまぁ前にも書いたからいいか。別に俺の趣味が崇高だから俗人が本当に俗悪に見えるとかそういうことがいいたいわけではなく、ある程度、本当に文化的なものが、俗っぽいものによって殺されてしまうっていう現象ね。人が本質的なものに目を向けなくなってしまったらマジな表現活動をしている作家とかがやっていけなくなるわけじゃん。そういう土壌があるから日本は逆輸入頭脳流出大国なんだと思うけどね。ただアメリカも一緒だけどね。一部のニューヨークみたいな都市は別として、大半はコンサバなクソみたいな田舎町で形勢されている国だからさ、カウボーイ国家よ。アメリカって。だからもうちょっとさ、そのくだらないものにお金を使うのをやめて、もっとちゃんとしたものにお金を使いましょうよってことなわけ。だから俺はもう儲かっているハウスとかテクノなんてコピーでもなんでもいいけど、マイナーなやつは仮にコピーがあっても買うからね。あとDVDとかは絶対、海賊版は買わないね。まぁ中間搾取が凄ければ海賊版も正規版も作者の手取りなんてたかが知れてるかもしれないけどさ、っつーのも正規版の作者の取り分なんて全体から見れば微々たるものということが言いたいわけだけど、それでもまぁ正規版を買ったほうがいいわけね。それは映画とか音楽へのリスペクトでしょ。だから金儲け目的な映画とか音楽はガンガンコピーしちゃってっつーか違法コピーを推奨してるんじゃなくて、レンタルとか友達に借りるとかで十分で、本当に凄いやつは友達が持っていようがてめーで金を出して買えってことなわけよ。文化へのコントリビュートだと思ってるのね。俺は。だから自分のコレクションを見るたびにさ、本でもそうだけど、こうやって自分が敬愛している偉大な作家達の作品を手元に持って鑑賞している自分ってのが最高にクールじゃない。酔うわけではなくね、それは物質的なもの以外の何かがあるってことよ。手に入れればオッケーじゃそれじゃダメなわけ。ましてやアメリカのマイナーな出版社から出てる本なんて出版社に寄付するつもりで高くても買わなきゃダメだよね。こんな誰も買わなそうな本を出版していること自体がすでにリスペクトもんじゃない。具体的に何がどうっていう例は無いけど言いたいことは分かるでしょ。それはインディーレーベルでも同じなわけ。そういえばニンジャチューンのやつとかもさ、レーベルポリシー知ってるから絶対買おうって思うよね。ただ金儲けのダンスミュージックのCDなんて金出す必要ないわけ。Megoなんてコピーが出回ることは無いと思うけど、絶対買わなきゃダメ。基本的にマイナー電子音楽全般は全部買わなきゃダメ。まぁあれは凄くセンシティブなもんだから音質の劣化とかがありえないから必ずCDかレコードで聞かないとダメってのもあるけど、それにしたってやっぱ買わなきゃダメよ。基本的に。そういった意味で自分の浪費を正当化するわけではないけどさ、俺なんて無駄遣いなんて全然しないからね。本当に。中古レコードは作者には金はいかないけど、例えば俺のお気に入りのマンハッタンのレコード屋なんてさ、ああいった良いセレクトをしているショップがあるっていうこと自体がありがたいことなわけで、それは店へのコントリビュートだよね。だから俺は日本に居た頃から書いているけど、バイヤーの良心が感じられるような店でしか買わないってことなのよ。だからレコファンじゃ絶対買わないってことなわけ。まぁ何か本当に掘り出し物があれば別だけどね。ただレコファンで買ったときのあの罪悪感っつったら無いよね。そういえばユニオンはさ、まぁ俺みたいにアホみたいに買う客には態度がいいのかもしれないけどさ、俺は基本的に肯定できるね。やっぱ渋谷ユニオンと新宿ユニオンは俺のスポットだから愛着があるんだけどね。マニュエラもさ、まぁしょっちゅう通ってアホみたいに買ってたというのもあって店の人も割と愛想がよかったってことで俺も贔屓めに見ちゃうということはあるかもしれないにしてもだね、高くても店の良心は感じられる店だから買ってたわけよ。それは店へのコントリビュートがあるでしょ。その正反対なのがあの新宿にある某ノイズ専門店ね。あそこなんてあそこで買うこと自体がもう罪だからね。なんか話がそれたな。何を話していたんだっけ?あー教育が経済力に依存しているっていう話ね。それは同じ大学に行っている生徒でも、俺みたいにいくらでも時間がある人間とそうではない人間がいるわけで、ましてやコミュニティーカレッジなんて死ぬほど働いている人がもっと良い職を得ようとして通っていたりもするわけでどっかのお坊ちゃま学校とは状況が違うわけよ。コミカレはそういった場所から学ぶ社会性というのが凄くあると思うね。それをお坊ちゃまとかエリート側は馬鹿とかゴミカレと言うのかもしれないけど、そんなことない。その人が何を学ぶかによって話は全然違ってくるわけ。ようは教育なんてものは個人の主体性にかかっているわけで、俺みたいにこうやって社会のことに興味があればコミカレなんて色々なやつが来ているんで場所や状況から学ぶことが多いわけよ。そういった意味で全く世の中とは疎外された金持ちとエリートだけが行くような学校ってさっぱりメリット感じないのね。ESLがそうだったけどボンボンばっか来てるんで自分も馬鹿病がうつりそうだったもん。いいこともあったけど、害のほうが多かったね。だからNYUの校舎なんて見てるとさ、もうすげーブルジョワ臭くて嫌なんだよね。まぁ苦労している人もいるかもしれないけど、金持ち率は明らかに高いはずなんでそんな環境にいること自体が害になりそうでしょ。貴族のお坊ちゃんが通う全寮制の学校より寺子屋のほうが学ぶことが多いってことなわけ。あと基本、勉強なんて自分がするものだから、相当アホなプロフェッサーとかシステムを持ってる学校に行かない限りは基本的に一緒だと思うね。だって例えばDominant Ideologyという概念を理解するのにレベルもクソも無いでしょ。学校側はそういった材料を与えてくれるんだから、あとは理解するのってこっちの役目じゃん。だからそもそも学校のレベルなんていう概念自体がおかしいんだわな。まぁあのグレードっていうシステムを持ってないアメリカの学校ってのがあるけどさ、グレードで評価しないでエッセイとかクラスでの発言とか、そういったことを個人的に評価するっていうシステムの学校があるらしいけど、そういった普通の学校とは違ったシステムを持っているところなら別だよ。それはシステムからもたらされる影響というのがあるからね。ただグレードで評価するという同じシステムを持っている学校同士ならね、相当恐ろしく凄まじい教授の下で勉強とかしない限りは基本的に一緒なわけよ。だってやること一緒でしょ。例えばコミカレでニーチェを読まされたとしてさ、NYUでもニーチェを読まされてもそれは同じことでしょ。クラスでのディスカッションの内容とか講義の内容は違うかもしれないけど、基本的に概念そのものはニーチェなわけで、それ以上でもそれ以下でもないわけだからさ、そんな微々たる差なんてテメー自身でいくらでも埋め合わせがつくわけ。もちろんアメリカの場合、特に学歴とか学校のブランドがデカイから、こういった名札目的で通う人が多いわけだけど、本質的な教養だとか知識だとかっていう部分ではそれは個人にかかっているものだからさ、学校が良いからどうにかなるわけじゃないでしょ。馬鹿が東大出ても馬鹿は馬鹿だし、秀才が無認可のフリースクール出たところで秀才は秀才でしょ。馬鹿が大学に行ったからといった秀才になるわけじゃないわけ。それは全て個人の素質にかかっているわけだから、大学なんていうものは極めて二次的なものでしかないわけ。いや、三次的ぐらいかな。で、俺の今の社会学の授業の印象だと、もうコミカレレベルで十分って感じなのね。基礎となることをあれだけ丁寧に教えてくれるんだからあとからもっとディグるのは俺の役目なわけだからさ、そのディグれる動機となる材料を大学側は与えてくれるわけよ。それで十分だよね。あれ以上ってのがあるの?って感じがするもん。あるとすればもう凄まじくレベルの高い世界でもトップレベルの大学院とかじゃない限り差は出ないと思うね。そういった意味での本質的な教養に磨きをかけるという意味だと凄まじくレベルの高い大学院というのは物凄く価値のあるものだと思うけど、普通の大学レベルじゃどこも一緒でしょ。まぁようは相当特化した専門とかじゃ無い限り差なんて微々たるものってことよ。こういうのにも気がつかないで有名大学っていうことだけを考えて勉強している連中って本当に学問に対する主体性が無いよね。それは前に書いた学校が職業訓練センターとか就職斡旋所化しているっていうことなんだけどね。金払ってブランドモンの学歴手に入れれば職を得られるチャンスがありますよと。ソーホーで一流ブランドのものを一式そろえて面接に行けば採用率が上がりますよっていうのと同じよ。金が無い人にはそんな高いブランド物を買える金無いでしょ。資質はあってもオールドネイビーぐらいで限界って人もいるわけだから。だからね、社会ってのが全身シャネルを求めてるわけ。全身シャネルじゃないと面接は受けられませんって会社側が言っちゃってるんだもん。狂った社会だと思わない?で、ブランド側はそういったシステムの中で需要があるんで、またその商品の値段を上げて利益を上げると。で、その利益がどこに行くのかというと、店舗拡大だとか店の装飾だとか立地だとか経営者の懐ってことで、職員には金は行かないんだけど、ブランド化した大学って、このブランド洋服店と変わらないからね。ホント。師匠じゃないけどさ、そういった着飾りばっかにフォーカスしてるやつの中身ってのはその着飾りの華やかさに反比例してスッカラカンってことだけど、だとしたら学歴を自慢しているやつなんて「あ、このバックはシャネルで靴はグッチなんだけど。サングラスはドルガバで、スカーフはベルサーチね」とかって言っているようなものでしょ。これって本質的なファッション性というところからの乖離なわけでしょ。お洒落度っていうのがブランド名にかかっているっていう。アニエスの若い頃じゃないけどノーブランドでもお洒落に着こなすとかさ、そういったことが本質的なお洒落なのに、みんなブランド志向でしょ。教育も同じよ。中身じゃなくて学歴。だから無知も広がるし、前にインテリ先生が言っていた「教育は30年とか40年後にはジョークになる」ってことなんだろうけどね。そのブランド品を身につけているからといって、中身が高貴とは限らないわけね。学歴も一緒。学歴とその人の教養は必ずしも比例しないと思うね。比例してたらさ、もっと世の中マシでしょ。でも有名大学出てるのって、もう昨今のイメージだと特にロクでもないやつばっかって感じでしょ。まぁそれは一般的に流布したステレオタイプだとしても、大学の名前だけの価値だとか形だけの名声なんてガンガン失墜していけばいいと思うけどね。人々もそういったブランドに迎合しちゃいけないし、凄いとか思っちゃいけないわけ。それって「シャネルだからお洒落」って言ってるようなもんだからね。シャネルだからお洒落なんて言うやつは馬鹿だけだと思うけど、どうやら世の中には日本に限らずそういう人達が相当多いわけだよね。だから大学が職業訓練センター化しちゃうわけよ。その結果、入れば楽な日本の大学が顕著だけど、馬鹿の大量生産工場に成り果てるわけね。まぁいいや、そんな感じでそろそろテストに向けて勉強っつーか暗記しなきゃ。概念を理解しててもまたテストって違うからね。だからテストって嫌いなんだよな。その人の理解度を測るものではないからね。ただの暗記力だもんあんなもん。別に誰がその概念を提唱したとかさ、そんな社会学者の名前なんて知ってなくたっていいわけじゃん。まぁ知ってることに越した事はないけど、重要なのはその社会学者が提唱した概念の理解だよね。まぁ日本のテストみたいに酷いもんではないと思うけどね。年号の暗記とかさ、馬鹿の大量生産工場がやりそうなことだよね。イメージとしては意味の無い作業工程を労働をさせるために与えている刑務所の工場の労働って感じだね。知的障害者に意味の無い労働をさせて、例えば鉛筆を箱に詰めるという作業があったとしたら、また労働を与える側が影でその箱に詰めた鉛筆を戻してまた囚人に与えてると同じことだよね。別にこれは知的障害者を差別するということではなく、その作業工程の意味の無さということを言っているわけ。こういった意味の無い工程ばかりやらされて、それが重要なことのように思わされているわけだからさ、馬鹿が馬鹿のまま卒業してしまうのは必然だよね。馬鹿という言葉は強すぎるから無知のほうがいいかな。無知大量生産工場。鞭大量生産工場ってあったらいいね。SMグッズを専門に生産している工場とかね。あ、今日、書こうとしたことは違くて、ウォークマンでね、MP3嫌いなんでウォークマンをずーっと使い続けているんだけど、ようはさ、前にも書いたと思うけど、ムンベとかハウスとかテクノとかさ、外で聴くもの=ダンスミュージックみたいなのってあるじゃない?まぁあとデスメタルとかさ、まぁ基本的にノリがいいやつっつーのかな。たださ、外でヘッドフォン外すこと無いわけだからさ、それに加えて家でも色々聞いてるわけだから、もう音楽側が俺の消費に追いつかないわけ。だからもう聴くのがなくなっちゃうわけね。良いのがあると集中的に聞いちゃうんですぐ飽きちゃう。で、またそれが新鮮に聞こえるまでに時間を要するっていうね。好きな音楽って頭に残るからさ、残ってる間って聞く必要がなくなるでしょ。頭の中で鳴ってるから。そうすると音楽聴く必要なくなっちゃうのね。もうここ一年ぐらいずーっとこういうことに困ってたわけだけど、今日、まぁまだ家出る前はさ、学校に行くもんだと思ってたから用意してたんだけど、発想を変えてね、んだったら絶対ウォークマンで聞きそうに無いのを聞いてやれって思って、例えばヘッカーとかさ、MegoのやつとかPitaとかあとAcousmatrixの一連のシリーズとかさ、クセナキスとかPeople Like Usとかね、CDケースに入ってたやつを総入れ替えしたのね。現代音楽みたいなやつとかってさ、別に頻繁に好んで聞くものではないでしょ。頻繁に聞くやつって割となんつーか生活の中でのサウンドトラックというかさ、例えば休日の午後だとかさ、出勤するときの気分が出るような音楽とかさ、疲れ果てた帰りに聴く音楽とかさ、ショッピングするときの音楽とかドライブするときの音楽とか読書するときの音楽とか、かなりサウンドトラック的に人って音楽を聞いてると思うんだけど、現代音楽とか特にフリージャズみたいなやつとかって音楽そのものでしょ。電子音楽とかもそうだけど、池田亮二とかさ、サントラになりえないよね。ダムタイプ用のとかは別として、例えば+/-なんて普通はサントラにならないでしょ。コンテンポラリーダンスの音楽とかだよね。まぁ何かにあうとすれば。ただ別に自分たちが普段、家でコンテンポラリーダンスを踊るわけじゃ無いじゃん。だからこれなんかはそれ自体を聴く目的じゃないと聴かないわけ。だから好きか嫌いかは別として聴く頻度が他のものと比べて低くなりがちなわけね。で、俺が今回CDケースに入れたやつってのが、そういう日常生活に馴染みにくい音楽ばっかなわけ。ネガティブランドとかね。そういうのをあえて聴きまくってやろうじゃないかと思ったわけね。前はこういうのを聴くだけの時間がいくらでもあったけど、今ってそうじゃないから、余計にそういうサントラ的なものとの頻度の差が激しいんだと思う。だから俺がレコードで聴くということが好きなことの理由の一つに、音楽自体を聴くという目的以外じゃないとなかなか聴かないということだからなのね。単純にレコードを聴くのって面倒だし、忙しい人が今の時代に聴くもんじゃないよね。ましてや探してくるのも時間がかかることだし。それは前に俺がMP3とレコードとで聴く音楽の差ってのを書いたと思うんだけど、ようはその音楽を聴くというコトに対する積極性ね。I-PODとかはさ、ようは適当に入れてシャッフルとかすればさ、自分が好きで選んだ曲ばっかだから基本的にI-PODまかせで音楽を聴けるじゃない?ただこれってすげー受身なんだよね。とりあえず流しておけばいいやっていう、本当にBGM的な発想。ただレコードってのはそのディグることから家に帰ってジャケから慎重に出して丁寧に針を置いて聴くことからさ、全てが音楽を聴くということに対するアクションなわけね。ましてや前にも書いたけど、溝を所有するということは、デジタルデータみたいなさ、コピー可能なものと比べれば明らかにワンアンドオンリーなわけじゃん。これは実質、ヴァイナルカッターとかでも無い限りコピーできないし、中古レコードの音の質感なんてのはその時代のレコードじゃないと再現できないところも多いからね。それがまたあえて意図的にそういった質感を出すためのローファイだとかアナログだとかっていう発想じゃなくて、人々の手に渡ってから自然に劣化してしまった溝とかさ、当時の音盤の音とかさ、意図されていない音質なわけじゃない?当時の人がアナログの味なんつって聴いてたわけじゃないんだから。それがいいわけよ。それが本質的なオリジナルの音ってことなわけでしょ。そういったヴィンテージ的なことで言えばまぁアンティーク的なのかな。アンティーク収集的というか。まぁただそれもレコードで聴くということのたったの一つの要素でしかないからね。あとやっぱ個人的にデジタルデータってのが俺は好きじゃないのね。デジタルだったら徹底的にデジタルなのを聴きたいわけ。それこそPitaとかHeckerとかOvalとかさ、デジタルでしか成しえない音ね。そういった音に関してはまた俺なりのデジタル音へのフェティシズムってあるわけよ。ただ元々アナログの音だったり、生演奏だったりするものをデジタルで聴こうとは思わないわけね。なんだろう、クラシックとかさ、あと現代音楽とかなら別にCDでもいいんだけど、ジャズになると一気にデジタルを受け付けないんだよね。俺。あと生音でミックスされてるDJMIXが好きなのはその音源がそのDJの所有するアナログレコードだからってこともあるんだけどね。日本のやつってノイズリダクションされてるのが多いけど、あんなもんする必要ない。ホント、レコード会社はわかってないよね。MadlibのMIXでも見習ってほしいもんだわ。例えばこないだ買ったBob JamesだってCDだったらB面の曲だけ繰り返し聴くとかっていうことをしないと思うのね。レコードだからB面だけ繰り返し聴きたくなるっていう。あと再発のレコードも嫌いなんだよね。俺。特に古いマイナーなジャズファンクとかだったりするとさ、マスターがCDだったりして、CDが飛んでる音とか入ってたりするんだよね。ヒドかったのがあの処女航海のさ、あのMagic Wand of Loveだかあるじゃん、UFOがカバーしてたやつ。あれの元っつーかボーカルのさ、黒人シンガーのやつの再発なんだけど、確かあれCDが飛んでる音みたいなのが入ってた気がするんだよな。そういうことになるとCDをレコードで聴いてるだけじゃんね。Young Holt Trioだか綴りわかんないけど、Wack Wackが入ってるやつね、あれの再発なんてヒドかった。明らかなCDスキップ音入ってるからね。どっかのならず者レコード会社が金儲けのためだけに適応にCDから取ってきた音源をレコードにしてるだけなんだよね。俺はああいうのをレアグルーヴ商法と呼んでるけど、ああいうレアグルーヴ商法で発売されている一連の再発なんてもう音楽的な価値無いわけね。そんな搾取会社が関わっているわけだし、それ以前にCDがマスターだからね。だったらちょっと高くて盤質悪くてもオリジナルか当時の再発を買うよねってことになるわけ。あのね、特にブルーノートのモノラルはマジでヤバイ音するからね。音が凄くぶっといんだわ。ジャズの骨太感というか、特にあの一連のブルーノートで録音された演奏にふさわしい音質をしてるんだわ。だからバンゲルターすげーなって思うんだけど、ファイブコーナーなんて完全にブルーノート的な音質へのオマージュでしょあの録音の仕方。前にも書いたけど、その辺を分かってるのがSkalpelなんだな。ジャズヴァイナルの音をそのまんま抽出してアンプリファイしたような音満載で、音楽どういう以前のあの音質がたまらんね。あいつらホント、ジャズを分かってるなーって感じ。まぁ基本的に今更ジャズ的なもんをやってる連中ってJazzanovaにしてもTruby Trioにしてもみんなジャズオタクだけどね。スタイルでジャズを選んでいるんじゃなくて、ジャズが好きだからジャズを取り入れてるって感じだもんね。そのジャズへの愛が感じられるわけ。特にSkalpelはヴァイナルフェチな質感プンプンなわけ。俺の夢はね、いつかポーランド行ってワルシャワとかにあるレコード店でMuse系のジャズレコードを買いまくるっていうことなんだけどね。ポーランド人は姫じゃないけど美人が多いし、それだけでも行く価値がありそうだけど、そういうことで一番行きたい国ってパリでもイタリアでもなくポーランドなんだよね。まぁ地元でも高いだろうし、とっくにバイヤーが買い占めているとは思うんだけどねぇー。あーなんか今日はジャズナイトになっちまったなぁー。妙に酒が飲みたくなってきた。今はクリス・コナー聞いてるんだけどっつーか例のオリジナルのやつね、もうたまらんね。匂いから音からジャケの質感から五感を揺さぶられるね。そう思うと音楽って音だけじゃないんだよなぁー。で、まぁ酒でも安定剤でもガンジャでもいいんだけど感覚がセンシティヴになるものをさ、音楽をもっと聴くために欲しくなるっていうのは別に酔うためではなくて、音楽を鑑賞する上で当たり前のことだと思うんだけどね。一部のスノッブがジャズと酒とかさ、ジャズと夜の男たちとかアホみたいなステレオタイプを鵜呑みにして猿真似しているわけだけど、音楽鑑賞なんて本来、物凄くインディビジュアルなものだからね。それにしてもさーヴィレッジバンガードとかあるんだもんなぁー。遠くない場所に。まぁただ現代のジャズにあんま興味ないってのもあるんだけど、やっぱ行った時は凄かったね。もう鳥肌立ちまくりだったね。あと日本人がジャズをやることを諦めさせてくれるようなプレイがひしめき合っているんだろなぁーって思ったね。マンハッタンで。まぁだからといって別に諦める必要は無いんだけどさ、まぁーただそれにしてもあのインタープレイ感といったら、あのカンバゼーションが得意なアメリカン特有のインタープレイとでもいうのかな、俺がいつも言うように、アメリカ人って知らない人にでもフランクに話しかけるというのがあって、それがまた会話とかが上手かったりするんだけど、あの会話上手がインタープレイで物凄く現れているなって思ってさ、だからジャズって極めて西洋的な音楽なのかなとも思ったし、オリジンがフランク大国アメリカというのも頷けるなという感じだったわけ。クラッシュがDVDで話しているような、音で会話するような感じってこういうことだよね。だから俺がクラッシュに音の質感とかジャズネタとか関係なくジャズっぽいものを感じるのはこういうジャム感だと思うんだけどね。こういうのってやろうと思って音に出るもんじゃないからね。内面的なものだから、なかなか真似できるものじゃない。だから下手に洗練された現代のジャズよりヒップホップとか昔で言うトリップホップのようなものにジャズっぽさを感じるのは、この内面的なジャズ感だと思うんだよね。まさしくJazz with Attitudeじゃん。ヒップホップってそういう意味だと本当に生に近いもんがあるからね。DJがダイレクトにさ、レコードまわしてMCがラップするわけだから生だよね。それがシーケンスされたネタであっても、そこにDJが求めているループ感というのがネタのループに現れるわけだし、その上にMCが乗っかるわけだからホント、生だよね。だからATCQとかジャズだよねあれ。あとCAMのMad Blunted Jazzとかさ、クラッシュの初期とかさ、Shadowもあの生ヴァイナル感といったらもう本当に生ものだよね。活造りって感じか。録音の中でまたネタが活きたままっつーかね。そう、だから俺の理想としては自分の曲でもそうだけど、音が死んだ録音物になるんじゃなくて、録音物であってもまだ有機体のように動いてるっていう感じの音がいい音なんだよね。だからそういった意味で活きている音を再生するのに一番適したものってやっぱヴァイナルなんじゃないかと思うわけね。まぁ音が振動してるわけだからさ、それを針が拾ってるわけじゃん。そりゃ音そのものが違ってくるのは当たり前だし、こっちのほうが生きてるのは当たり前だよね。冷凍の刺身と活作りの差みたいなもんよ。あ、もうダメだ。シャワー浴びて暗記するわ。んじゃまたね。

追記。

Social Experienceの人、ジョージ・ミルじゃなくて、George Herbert Meadね。完全に名前聞き取り間違えたままノートに書いてたっぽい。

Blackest Ever Black

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