抜き差しならない蜘蛛のような思想。

mimisemi2007-10-08

なんかさ、いきなり昨日発作的にてっちゃんをアレに挙げて色々書いたりして、わけがわからなくてごめんなさいね。でもまぁ自分で気がついたことには変わりないので、アレ
なんだけど。

ってことでとりあえずマルクスについて書かせてもらおう。っつーかね、今、こうやってアメリカに住んでると、アメリカの共産嫌いってのを凄まじく感じるわけ。所謂、共産ってのがまるでもう下種というか、クズみたいな扱いで軽蔑されてるような感じなのね。これだけ資本主義真っ只中のアメリカで職にあぶれている人とか格差社会というか、まぁもうマルクスってことで階級社会って書くけど、クラス・ストラグルだらけなわけじゃない。んじゃなんでマルクスってのがこんだけ毛嫌いされるのか?それは言うまでも無くあれなわけ、過去の社会主義国家の退廃っぷりと、暴力革命というそこだけのバイオレントなイメージが抽出されたかのように世間に流布しているということと、まぁ他にもあるんだけど、まぁそれはアメリカのプロパガンダシステムがいかに巧妙で優れているかということを表す一例だとは思うんだけど、それはともかくとして、まぁとりあえずここではアメリカの共産嫌いは、特にアメリカの敵国である旧ソ連だとかキューバだとか、まぁアメリカが嫌いな国というのは共産国家でだから国家も「共産主義を打破しろ!」なんつって世間的にまるで共産主義が悪いことのように知られているわけだけど、まぁこれってのは前にも書いた、マルクス主義マルクス思想の違いなわけね。ところで俺はよくマルクスに学ぶことはたくさんあるとよく書くけど、ある意味当たり前なのは、俺が16ぐらいの時にクリーニング屋のプレス工場で時給590円とかで働いてて、工場の店長もこき使われていて、オーナーに無理な注文をさせられて頭を抱えている店長なんかを見てて、オーナーは汗一つ書いてないなとかってそりゃ子供心というか青年心にも感じたわけ。まぁそのクリーニング店での話はともかくとして、俺がこうやって資本主義というよりかは、ヒエラルキーの雛形みたいなものを初めて見たのがここだったわけだけど、この青年心に芽生えたヒエラルキーへの疑問というのがね、まぁ当時、在籍していたドロップアウター高校通信制でやった倫理の教科書にマルクスがちょっとだけ出てて「あ、このおっさん、俺の思ってたこと言ってる!」って感動したわけだけど、これは特に俺が過去の全共闘とか60年代に見られる世界的な学生運動の最中で形成されたイデオロギーという呪縛を抱えているマルクス主義とは無縁な世代に育ったというのもあって、そんな時代背景は知らずにマルクスを知ったわけだけど、そこでマルクス思想について感化されたというのは、当時、筋金入りの童貞の青年の心にあった資本主義の矛盾というのをマルクスが極めて的確に批判していたということで、感化されたのは必然だったわけよ。そこは共産云々ではなく、単純に資本主義への批判という部分に当時の時代背景も考えて言うとシンクロしてたわけね。たださっきも書いたように、一般に流布しているマルクスのイメージというのは暴力革命だとか毛沢東の大虐殺っつーか文化大革命とかスターリニズムとかさ、あれも一まとめにマルクス主義者というか共産主義者という見方だったわけじゃない?まぁこういう歴史背景もあってか、マルクスが血の歴史を背負ってしまっているというのもあって、共産=悪というイメージがもう一般常識みたいになっているけど、実際、マルクスを読んでみると、今の行き過ぎた資本主義の世の中の中で役に立つというか、資本主義の問題点を的確に解析して批判しているわけで、学ぶことは多いわけ。マルクスを読んだからといって、マルクス主義者にならなくてもいいわけ。ただ資本主義の問題点について学べることはたくさんあるんだよということなわけ。ましてや今の時代の色々な問題ってのは、まさしくマルクス資本論で批判、もしくは解析していたようなことが同じ感じで起こってるわけ。そこでね、例えば過去のマルクス主義者とか共産主義者というのはね、例えばレーニンなんてのはマルクス原理主義者だったわけ。マルクスの本に書いてあることを全てその通りに遂行するっていう人だったわけ。いや、だったと思う。別に俺、歴史学者じゃないから確かじゃないけど、まぁいいや、それはウォール伝クオリティだから勘弁して。まぁレーニンが原理主義者だったとしてさ、例えばイスラム原理主義とかキリスト原理主義ってあるよね。所謂、ファンダメンタリストっていうやつよ。あれってさ、ほとんど全ての原理主義者たちに一致しているのは、実際、例えばコーランだとか聖書に書かれていることを曲解したり拡大解釈して、例えば過激なテロ行為に出たり、神の名の元にイラクを爆撃するわけでしょ。でも違う宗教のものを爆撃せよなんて聖書には書いて無いはずだし、元クラスメートだったムスリムのやつが言ってたのは、殺しってのはいかなる理由でも許されないってコーランに書いてあるらしいんだよね。ってことはイスラム原理主義者なんてムスリムじゃないってことじゃん。実際、このクラスメートもあいつらはムスリムじゃないって言ってたし。だって人を殺めた時点でそれはコーランの教えに背くわけだから。そういった間違った原理主義的なものだったものが、旧ソ連だったり、その間違った、曲解したマルクスのドクトリンの理解をしていたソビエトを先駆者として、社会主義共産主義のフォロワーが各国にできていったわけだけど、あれはまぁスターリニズムでのヘゲモニー下での半ば強制的なものだったっていう見方もあるらしいけど、それはとりあえず置いておいて、元が間違ってるんだから、フォロワーが間違った状態のまま政治やっちゃうわけ。で、そのフォロワーがまた自分の都合の良い方法を色々作ってさ、どんどんマルクス主義とか共産主義を彼らなりのものに変えていくわけでしょ。まぁその最たるもんが中国政府だわな。中国共産党なんてクソだよ。あんなもん下痢以下。糞尿下痢赤痢政党って感じかな。でも悲しいことにこれらが共産主義という認識がもう人々の中にあるわけでしょ。だから共産主義ってのは共産主義国家にロクなもんが無いんで基本的に嫌われるわけだけど、実際、マルクスの思想というのはこれらとは全然違うわけ。もちろんマルクスの思想をそのまま鵜呑みにする必要は無いわけで現代的な視点から見て良いところをピックアップしていけばいいわけで、そりゃ聖書だって良いことはいっぱい書いてあるでしょ。でも原理主義者の手にかかるとまるで悪魔の本みたいになるでしょ。それはコーランも一緒でマルクスも一緒なわけ。マルクスっていうと誰もが嫌いなゴキブリのような扱いをされるけど、実際は蜘蛛なわけ。見た目は今までの共産主義の血の歴史のせいで見た目が怖いように見えるけど、実はゴキブリを食べてくれる益虫だったりするわけで、蜘蛛が世の中から消えたら、世の中ゴキブリだらけになっちゃうわけよ。もちろん蜘蛛の中にもマルクス主義を掲げたテロリスト集団みたいな毒蜘蛛もいるわけよ。でも毒蜘蛛がいるからといって、蜘蛛全部が危険かというとそうではないでしょ。マルクス思想自体は極めて益虫な害虫を食べてくれる思想なわけ。ただその同じ蜘蛛でも毒蜘蛛もいますよと。だから今はね、蜘蛛は怖いから嫌い、だから殺すじゃなくて、もっと蜘蛛を知って、益虫である蜘蛛というのもいるんだよっていうことを知らなきゃいけないわけ。もちろん俺個人としてもマルクス思想を全体的に受け入れることは出来ないよ。ただ蜘蛛がゴキブリを食べてくれるような、有用な部分もあるということを認識しているわけ。だから俺は前からマルクスに学ぶことが多いって書いているわけ。で、マルクスが「プロレタリア独裁を達成するためには暴力革命しかない」って書いてたらさ、「いんや、俺はパシフィストだからいかなる暴力手段を容認しないよ」って言えるわけじゃん。マルクスの考えている赤色独裁に問題がありそうなら、そこでアナーキストの思想から色々とまたいいところをもらってくればいいわけじゃない。それは俺が前に書いたパッチシステムなのよ。何もプリセットを使う必要なんて全く無いわけ。オブジェクト指向のソフトウェアのプリセットを使って作った作品を、これは僕の作品ですなんていうやつはドアホでしょ。まぁ原理主義者が同じってことなんだけど。アナーキズムもさ、なんとなく世間のイメージだと、全てを解体してカオス状態を作ることを求める暴力的な思想っていうのがあると思うんだけど、あんなもんパンクの音楽産業でスポイルされた、アウトローの象徴としてのアナーキズムとかさ、一部の過激派のアナーキスト達によるものだけど、実際、アナーキスト達が書いた本を読んでみると暴力を肯定することなんてさっぱり書いてないわけ。全部読んだわけじゃないし、全然まだ読んでる最中だけど今、読んでる限りはアナーキズムってのは極めて性善説に立った極めて平和的で、特定の権力が力をふるうことの無い共同体的な社会を提唱している思想なわけ。ただ一般に流布しているアナーキズムというのはカオスだから、「俺はアナーキストです」なんて言うものなら「お前は暴力主義者か!」なんて言われかねないでしょ。まずマルクス思想とかアナーキズム思想の素晴らしさというのを知るためには、今までに形成されてきた誤った無政府主義とか共産主義のイメージを無くさないとダメだよね。んじゃ例えば日本でワーキングプアの人達が覇権会社だか派遣会社にさ、賃金の値上げとか社会保障を求めるために労働組合を結成して集団で会社とネゴシエートするというのは極めてマルクス的でアナーキズム的なわけ。特に労働組合の重要性に関してはアナーキズム関連の本には本当に細かいディティールが載っていて、それこそ今の底辺社会で困窮している人達にとって必要な思想なんじゃないかと思うわけね。そりゃ権力者とか資本側からすればたちの悪い思想だけどね。ストとか集団交渉を起こされるわけだからさ。まぁこれはちょっと陰謀説臭いけど、政府とか国家がこういったマルクス思想(主義ではなく)とかアナーキズムを倦厭するのは、彼らにとって実に都合の悪い思想だから、「アナーキズムなんてとんでもない思想だ!」とかさ「共産主義者を排除せよ!」みたいなことをダイレクトじゃなくても、遠まわしに色々な部分で人々に植え付けている部分はあると思うのね。だからそういった意味だと昔のアメリカの赤狩りとあんま変わらないわけ。まぁサイレントな赤狩りっつーのかな。まぁこれはなんとなくなことだけど、まぁただ過去のアメリカ映画でベトコンが悪としてかかれていたり、ソ連が敵国として描かれたりしているのは、これはプロパガンダだよね。これは明らかでしょう。で、やっぱアメリカは最高だっていう終わり方をするわけ。あれは愛国心を鼓舞する目的だよね。あ、俺が話しているのはアホなアメリカの戦争映画のことなんだけど。こういったことが日本よりも比べ物にならないぐらい、広く植えつけられた固定観念なわけで、だからもう生理的に社会主義とか共産主義って悪なわけ。現存する腐った共産国家は悪かもしれないし、俺自身もマルクスの顔に泥をいまだに塗り続けているという意味でああいう腐った共産国家に関しては人一倍嫌いかもしれない。ただ俺は基本的にマルクス思想を信望するし、アナーキズムを信望するからねっつっても、まだまだもっとディグらないといけないわけだけど、俺の知ってる限りでアナーキズムほど平和的な政治思想は無いと思う。例えアイデアリスティックであっても、思想の根底がそういった平和とか調和とか共和、もしくは協和という考え方に基づいているのであれば、そういった思想を自分の中に取り入れるということに関してはとても前向きなことだと思うわけね。そういった思想ありきで、んじゃあ現実問題どうしていくのか?っていうスタートの仕方は少なくとも民族主義とか国粋主義から始まる政治思想よりかはよっぽど建設的で平和的だと思うけどね。俺に言わせれば右翼的な思想のほうがよっぽど暴力的だよ。左翼=暴力革命っつーのもやっぱ昔の各国での学生運動の影響って大きいんだろうね。だからこれから自分の事を左翼とか呼ばないで、リベタリアン・ソーシャリストとかにしたほうがいいな。ってことで自分は自由社会主義者です。

アナキズムは、次のような社会の可能性を教えてくれる。生活必需品が十全に万人に与えられ、精神と肉体の完全な発達の機会が万人に与えられ続ける社会である。現在は、富の生産と分配の組織が不平等になっているが、これは、最終的に完全に破壊されねばならず、個々人に労働の自由を保証するシステムに置き換わらねばならない。労働の自由とは、労働の産物の10分の1を税金として貢ぐことになる主人をまず最初に捜す自由などではない。労働の自由は、生産資源と生産手段に自由に接することを保証するのである。盲目的服従を止めて、不満を言おう。無意識の不満を止めて、意識的に不満を持とう。アナキズムは抑圧の意識をかき立て、よりよい社会を求めた願望を惹起し、資本主義と国家に対して止む事なき戦争が必要だという感覚を奮起させようとしているのである。 [Anarchy! An Anthology of Emma Goldman's Mother Earth, pp. 23-4]

あと師匠2からの引用。

 もし、左翼がボルシェビキを含むものと解されるのなら、私は左翼とはきっぱり決別しよう。レーニンは、社会主義の最大の敵の一人だったのだ。[Marxism, Anarchism, and Alternative Futures, p. 779]

http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/faq/

そういえば紀伊国屋で買ってきた本の一つに抜き差しならない姜さんの政治学入門という本があるんだけど、暴力ということについて書いているチャプターの中で軽くアナーキズムについて書いてあるんだけど、所謂テロとアナーキズムが密接な関係にあるみたいな記述があって、少々というかかなり気になったんだけど、バクーニンが中心になってヨーロッパ中でテロリズムが横行してたなんてのは知らなかったし、俺の敬愛するAlexander Berkmanも確かじゃないんだけど、1914年にアンチ・ミリタリスト・リーグとかいうプロテスト集団のテロ行為の一つで、ロックフェラーの家に爆弾を仕掛けるというプランのオーガナイザーだったらしいんだけど、んだったらバークマンが言っているような、アナーキズムは爆弾でも殺しでも略奪でもカオスでもないっていうステイトメントと矛盾するわけだけど、基本的にやっぱ時代背景もあってアナキスト達のテロ行為というのはあったんだろうね。ただまぁロックフェラーの家に爆弾仕掛けるって悪いアイデアじゃないとは思うけどさ、ただ1914年の爆発事件では家にいた軍国主義者の若い女の人とか他に住んでいた人達が巻き添えになって、まぁもちろんロックフェラーは死ななかったわけだけど、基本的にテロとか暴力というのはいかなる場合においても肯定されるべきものではないわけだよね。まぁロックフェラー絡みの石油利権のために大量の人が死んでいるわけだから、まぁロックフェラーこそテロリストだとは思うし、アメリカ国家がテロの親玉だとは思うけど、ただ度合いの問題ではなくて、基本的にテロっつーか暴力的解決は何も生み出さないってことだよね。あと俺が「悪いアイデアじゃない」とか書くとマジっぽく見えるかもしれないけど、ジョーダン23ですよ。ただ例えばゴールドマンの文にしても、別に資本主義と国家に対して武力的な戦争を仕掛ける必要は全く無いわけで、まぁゴールドマンがテロを示唆していたのかは分からないけど、別にテロってことを置いておけば、極めて正論を言っているわけよ。だからね、そういった意味で俺はアナーキズムをサポートすると言っているわけ。あと師匠2の引用だけど、これは前に書いた中国共産党みたいなのが下痢以下の政府だったり、所謂、古いタイプのマルクス・レーニン主義みたいな左翼というのが左翼だとしたらさ、ホント、自分を左翼だなんて思いたくないし、そんなのと一緒にされたらたまらないからね。いつも書いてるけど、レーニンだとか過去の失敗してきた共産国家というのははっきり言って極めて右翼的なファシズム国家だからね。という意味で共産国家が過去に存在したということは無いわけ。だって大体がボルシェビキを雛形とする、ファシズム国家の真似ばっかりだったわけでしょ。だから俺はマルクスの思想とかアナーキズムの思想はサポートするわけだけど、現存する定義が微妙な左翼に関しては広すぎて分からないよね。古いマルクス・レーニン主義を未だに標榜しているドアホもいれば、マルクス主義のドグマに縛られて原理主義者みたいになっている左翼とか、そんなのも含まれるわけだからさ、だったら自分は左翼じゃないよね。絶対違う。なんというかこの辺の定義が曖昧なんで、だから俺が共産主義とか社会主義とかアナーキズムということの意味と、一般に流布しているこれらの意味とでは凄まじいギャップがあるんだよね。下手に「俺はアナーキストです」なんて言うものなら、テロを標榜する過激な社会主義者みたいなさ、そんな感じに思われるわけじゃない?だからやっぱりリバタリアン・ソーシャリストって言うしかないのかなって。まぁ言うっつっても誰も言う相手いないから別にどうでもいいんだけどね。まさしく抜き差しならない姜さんの本に書いてある「革命党は、人民という聖なるものの代行機関であり、前衛である自分たちだけが、革命的暴力の主体として許容される」みたいなのが最近まで左翼思想として存在していたわけでしょ。こんなの明らかにキチガイのアイデアだよね。ってことは俺が考えているような、社会主義とか共産主義とかアナーキズムが混ざってる自由社会主義っていうのはこれといった定義が無いんだわね。ただこういう革命党みたいな狂った考えとは全く違うわけでさ、まぁ色々もっと勉強してマニフェストでも書くかな。いつか。この社会主義共産主義アナーキズムの世間に流布した間違ったイメージって酷すぎるからね。あと最近亡くなったBookchinというアメリカのアナキストも素晴らしい著書を残しているんだけどっつーかまだ未読なんだけど、ちょっと読んだ限りではテロを標榜している雰囲気は皆無なわけ。基本的にヒエラルキーの話とか社会構造の話とか、労働組合の話とかがメインでっつーかまぁ本にもよるとは思うんだけど、基本的にはアナーキズムの主題の一つである権力や抑圧からの人民の解放ということがキーコンセプトで、所謂、その階級闘争のために爆弾を用意しろとか、とりあえず動かなきゃいけないっていうことが別に武装蜂起を表すことではないわけ。その辺のなんつーか左翼の暴力的で頭の悪いアイデアと、頭の良い社会構造と権力について考えてる左翼とでは、同じ左翼でも全然違うわけだし、まぁそれは右翼でもそうかもしれないけど、なんつーかまぁとりあえず細かいディティールを説明するためにはもっと勉強しないとダメだからさ、あれなんだけど、ただ今回のメインポイントはアナーキストだとか社会主義者だからといって、みんなが暴力革命だとかを求めているわけじゃないっていうことが言いたかったわけ。ただまぁ日本のアナーキスト達に関する本を読んでいたりしても、西洋のアナーキスト達に関してもそうなんだけど、基本的にテロルというのが一つの常套手段だったわけで、なんというか
アナーキズムが勘違いされていると言い切れないんだなというは自分の無知から感じましたよ。っつーのはテロルを肯定する暴力思想だと言われてしまうような歴史的背景が腐るほどあるわけで、これからはアナーキズムを批判的に見ていこうと思ったけどね。っつーのも自分がその原理主義者にならないようにする良いことの一つとして、常に批判的でいるということがあるわけじゃない?まぁ俺がアナーキズムに魅力を感じる共同体主義的、もしくは自由至上主義的な部分へのシンパシーは変わらないんだけど、んじゃあとりあえずそれはまぁなんとなく断片的に理解したとして、次はんじゃあなぜ暴力やテロルというのがあそこまでビッグマックセットのドリンクやポテトように切っても切り離せない関係にあったのか?というのを自分なりに分析していきたいね。っていうかまずは読めるやつは全部読んで理解してから、次に批判的な観点から分析するっていう、まぁメタ的な読書をするわけだけど、まぁ俺にとってはその段階がまだまだ早いんだけど、まぁ今のうちから批判的な目を持っておいてもいいかなとは思ったわけね。基本的にアナーキズムなり社会主義に関する本っつーのはっつーか書いてる人自身が社会主義者アナーキスト共産主義者だったりしたら、ようはそれってカルト教団のことを信者が説明していることと同じことなわけじゃない?そのドクトリンの良い所ばかりを言うわけじゃない?だったら洗脳されないように自分が批判的にならないとダメだなっていうことを言いたかったわけだけど、俺って入れ込むとホント、ダメだからさ、17ぐらいの時にマルクス読んだときもひたすら自分のテーマが革命になってたからね、そういう思考停止は馬鹿左翼と何も変わらないことになりかねないわけで、物凄く怖いから嫌だなって思うわけだけど、それはまぁ読書全般に言えることだけどね。その思想が人々を思考停止にして信者とか原理主義者にするぐらいの何かを持っているということは、ある種の洗脳的な作用がその思想にあるってことなわけで、ようはその思想を理解することに関してはいいわけだけど、アジテーションされることっつーか洗脳されるということは全く別だし、読書によってアジテーションされている状態になっているとしたら、もうそれは白痴状態で、読書によって馬鹿になっていくということと同じだよね。だからその思想の良い部分を引き出して理解して悪い部分をガンガン批判していくっていうことをしないと、一向に前に進まないよね。そんなきっかけを与えてくれた抜き差しならない姜さんの政治学入門に感謝だな。ようは読書とか音楽とか映画とかでもそうだけどさ、その内容云々カンヌンより、こういう内面的な気づきを得られるというのが重要だよね。ただ内容を知識として吸収するだけじゃ学校の単純な詰め込み暗記とさっぱり変わらないわけだから。それにしても自分が入れ込んでいる内容の本とかってさ、好意的に読むじゃない?何かを期待して。それが危ないんだよね。「ん?こりゃおかしいぞ」って思えないとダメーなわけで。ただまぁアナーキズムというしばしば空想的と呼ばれる思想のネガティブな部分のみがさ、どう世間に流布したのかっていう、そういう歴史的な背景も知らなきゃいけないよね、と思ったわけ。まぁまずはもっと色々読んでからだけどね。まぁ俺がさっき書いた引用に関しても、そこだけを引用すればなにやら良い思想のように見えるかもしれないけど、ゴールドマンだったら、ゴールドマンのバイオグラフィやら思想全体やらを理解してから、その引用の部分を考えなきゃいけないわけで、世の中に出回ってる引用って、こういう表面的なものが多いからね。文章の前後関係とか一切無視してるからね。まぁあれですよ、マルクスと特に最近はアナーキズムのね、自分なりのモダンな理解と定義がここ最近のテーマなわけよ。今まではずーっとマルクスばっかだったけど、アナーキズムもね、プラスって感じで。まぁいいや、とりあえずそんな感じで最近は更新が多いけど、また気分によっては全然更新しなくなるかもしれない。まぁ期待しないでね。

姜尚中の政治学入門 (集英社新書)

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