ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

この人を見よ!!!!!!!。

mimisemi2007-10-11

世界が気にしている、俺の社会学のテストの結果だけど、50問中、35問正解と、予想してた正解数と全く同じでビックリだった。いや、別に予想の根拠は何も無くて、大体、分かったところと分からなかったところの比率からみて、こんなもんだろうと思ってたんだけど、まぁそのままだったっていう。今ぐらいのレベルだから言えるのかもしれないけど、基本的にテストってのは前にも書いたように、学科ごとの出題傾向というのを解析して、必要なものを暗記すれば大抵が解けるわけね。もちろん思考力が試される試験もあるかもしれないけど、それは割と高度なもんだよね。俺が言いたいのはオーディナリーなスクールで行われるオーディナリーなテストというのは大抵が暗記力なんだよねっていうこと。俺みたいに下手に「テストなんてものに巻き込まれてたまるか」とか思って実際の実力でテストに挑んだりすると痛い目にあうのは、ようはテストってのは理不尽な問題だらけで実際はそこまで重要じゃないと思われる、特に日本の場合歴史の年号だとか、まぁアメリカはそこまで日本ほどは酷くないけど、社会学者の名前だとか表面的なものがあるっつーか俺の社会学の試験だけでものを言っているけどね。だとしたら次回からは逆に無駄にテストに悩んだりしないためにも、事前に分析を行って暗記をしてしまったほうが、結果的に楽ということになるけど、それが出来たら英語とか数学の補修とか受けてないわけで、まぁこれがああだといってそれが行動に結びつくわけではないんだね。


今日は算数のテストがあったんだけど、まぁ分数の足し算引き算とかで、テスト自体は10分ぐらいで終わったんだけど、掛け算・割り算の時に、分数の左っかわにある素の数値を一端分子にしてから計算をするのか、素のまま他のとかけたらいいのかっていうのが分からなくなって、結果的に納得の行くような答えが出るように色々なやり方を試していた結果、一時間ぐらい経ってしまったんだよね。それにしてもこんな5分ぐらいで終わりそうなテストに1時間以上もかけるなんて、さすがは補修のクラスという感じだけど、俺も同レベルなんだよね。で、結果的に素のままかけたほうが楽っていう結論に達してその俺理論で答えを書いたんだけど、後で調べたら分子に足してから計算しなきゃいけないってことで、あーミスったなって感じだったけど、基本的にテストの全体が小学校レベルなんて、まず赤点を取るってことはないけど、まぁ100点取らないとダメだよね。普通。まぁいいや。


そういえば社会学でまた来週にテストがあって、それは野生児みたいなWild ChildrenだかChildだったか単体だったか複数だったか忘れたんだけど、幼少期に凄まじい隔離の中で育った子供達がって書いてる時点でもう説明するのが面倒になったからやめるわ。なんかね、ビデオを見せられてノートをとらされて、あと嫌に長い文のプリントを渡されて、この渡したプリントとビデオから問題が出るっていうんだけど、まぁー凄いアグレッシヴなテストだよね。全く授業が無いんだから。極端な話、本とビデオ渡されて、ここから問題が出るから用意しておいてっていうようなもんだからね。そう、これはアメリカの学校の特徴かもしれないけど、テストがこまめにあるんだよね。分からん。日本の大学行ったこと無いから比べられないけど。まぁそんな感じでもうやっつけ仕事だらけね。本当の学問をやりたいんだったらまず基礎をやれっていうことだ。


ところで岡崎玲子という才女が集英社新書からチョムスキーのインタビュー本を出したりしてたけど、こないだ紀伊国屋で買った本の一つにこのインタビューシリーズと思われるやつの新作っていうか去年ぐらいに出たやつなんだけど、ジジェクの人権と国家っていうまぁインタビュープラスエッセイってな内容のやつなんだけど、驚いたことにあんな高度な内容をインタビューして書き起こすだけでも信じられないことなのに、今回はジジェクのエッセイまで訳してしまうんだから、人類っていうのは本当に不平等だよねって思うわけね。岡崎という人の英語力は幼少期にアメリカに住んでいたという裏づけがあるにしても、こんな高度な内容をあの歳でするなんつーのがまずありえないというか歳は置いておいて、チョムスキーだとかジジェクだとかいう大物相手に怯まずインタビューするっていうんだから、そのもともとの頭の良さというのがね、もう凡人では追いつけないレベルだよね。岡崎という才女がいながら、渋谷の路上でたむろしているギャル系というのも同じ日本人なわけで、今後は特にこういった頭の良い人達とそうでない人達の二極化が激しくなるだろうね。


教育側が何かをやりたいとか勉強をしたいと思える材料を提供しないわけだから、芸術的・文化的・知的なひらめきとか探究心というのはその本人に依存するわけで、そこは大きく元々持った知能と家庭でのバックグラウンドに大きく左右されると思うわけ。そういう意味で文化的・知性的に不平等な社会になってるよね。逆を言えば教育側がしっかりとした材料の提供とか、何かのモチベーションの動機となるようなものを提供していれば万人に平等なチャンスがあるわけで、そういった意味でのチャンスの平等性というのは当然あるべきなんだけど、もはやここが経済的な面とか元々の知能というところに強く依存しているというのは凄まじくアンフェアなわけだよね。特に何も与えてくれない、馬鹿を大量生産するような教育のシステムがある国では、能力というよりかは既得権益だとか資産だとか資本によって貧富の差が決まるようなクソ国家でその貧富の差が露骨に表れるわけで(下からの挑戦が生まれにくいので)、同じく何も与えてくれない教育のシステムを持った国ではその知性(知識とか教養だとか思考力だとか)の差が露骨に表れるわけだけど、まぁ日本は紛れも無くそういう国に成り下がるだろうね。機会の不平等性により貧富の差もあり能力の差もあり知能の差も極端にある社会ってなわけ。


逆に学ぶチャンスがあって下から上に這い上がれるチャンスがある国では全てが均等というわけにはいかないけど、貧乏人にもいくらでもチャンスがあるってわけで、これが本当の競争社会だし実力社会だと思うんだけど、実際はそうじゃないから例えば金があって良い地位に就いていても馬鹿みたいな連中が増えるわけ。知能の差を金とか既得権益で埋めてるわけね。とりあえず親が用意した人生コースを歩んでれば問題ないみたいな馬鹿が多いわけ。だから俺は本当の意味での競争社会とか実力社会は凄まじくいいと思うわけね。まぁでも本質的な不平等というのはもう自然なものだからしょうがないね。例えば体に障害がある人と無い人では無い人のほうがいいに決まってる。ただアホな人権活動家みたいなのが、それは差別だと言うけど、まぁこれは誰だって自明なことだよね。ただ障害者でも社会のシステムが障害者をオミットしないように構築されていたら、障害者でもいくらでもチャンスがある社会というわけで、その人の幸福だとか人生の濃さというのは先天的なものに依存しないというわけで、結果的に障害者の努力やシステムのおかげで健常者以上の幸せな生活を送れるという人達だって出てくるわけで、俺はこういったことが社会的な平等性だと思うわけね。


先天的なものでは世の中が平等じゃないのは自明なんだから、それを平等的なものに変えていくような社会のシステムを持っていないといけないわけ。ただ別にそれは全体主義的な才能・富などの平等を目指すんではなくて、あくまで機会の平等性ということね。誰でもチャレンジできて、個々人の能力を、その個々人の必要性に合わせて最大限に活かせる社会。それにしても岡崎玲子みたいなしょこたんぐらいの年齢の女の子がチョムスキーにインタビューしていたりジジェクのエッセイを翻訳していたりすると、その先天的な不平等さは凄まじいなと思うわけだけど、まぁだからこそシステム的な平等性が必要ということだ。まぁ本当の意味での競争社会・実力社会を促すような機会平等の社会システムね。


まぁそれはともかく俺は岡崎玲子みたいな秀才じゃないんだから、俺なりの道、つまりは算数を頑張るとか暗記を頑張るしかないわけだけど、今回書きたかったのはジジェクについてなんだよね。変なオッサンだということは知っていたけど、ここまで自由奔放な変態だとは思わなかった。それに俺は凄まじく感動したので、それについて書かせてもらおう。まずこのジジェクへの日本が生んだ近年稀に見る才女、岡崎玲子によるインタビューと2つのエッセイからなる「人権と国家」なわけだけど、まぁこれはチョムスキーの本にも言えることなんだけど、基本的にインタビューと言うこともあって内容が高度で難解なものであっても、エッセイや論文のそれに比べると全然簡単で、割とお手ごろな感じで高度なことに触れられるというのと、岡崎女史の優れた翻訳の文体によって、その読みやすさは半端じゃないものになってるわけだけど、今回、俺がこの本に惹かれた理由というのはさっきも書いたようにそのジジェクの逸脱度なんだよね。まぁ本の8割ぐらいは真面目な話題でジジェク社会学者や政治学者や分析家といった観点ではない、哲学者としての極めて哲学的な観点からの分析による様々な分野に至ることがジジェクによって語られていくわけだけど、本の後半というか本当のケツあたりに出てくるジジェクの変態性というか、岡崎女史との会話にも慣れたことで出てきたような生ジジェクのキャラクターというのが半端じゃないんだよね。


まぁその中で俺が特に感銘を受けた部分を勝手に引用していこうと思うわけだけど、まず最初に、ジジェクの独特な国家論や人間論の中で日本というのが何度も出てくるわけだけど、後半にそのインタビューアーとされる側(どういう言い方するのか分からない)まぁ勝手に造語してみるとインタビューされるガーワの立場が逆転するようなジジェクの岡崎女史に向けた日本についての質問攻めが始まるんだけど、「日本で印象的なこと」として、ジジェク自動販売機に心打たれたという。”私が東京で一番、心を打たれたのは、驚くかもしれませんが自動販売機です”というジジェクに岡崎女史は”何でも売っていますよ”と答えているんだけど、その答えにジジェクは”女子学生に対する執着がありますね。コインを投入すれば女の子の下着が買える機械です。しかも洗濯前!これこそが真の文明なのかもしれません”とか言ってるわけ。


これ以前にもジジェクのユーモアな一面が垣間見れるような発言はないこともなかったんだけど、特に俺にとっての凄まじいフックになったのがこれだったわけ。で、これ以降、こういったことにもちゃんと答える岡崎女史に対して「こいつ下ネタいけるんだな」とでも思ったのが、エンジンが入ってっつーかまぁ別にこういうのは部分的で全体から見れば1割にも満たないんだけど、ただまぁ他のを挙げると例えば、日本の回転寿司はその生産過程が隠されていないということでマルクス主義的革命と言っていたり(俺造語:グラスノ寿司)普段は好きなことばかりやっている割に自分を仕事人間だと言っていたり、リサーチ・プログラムの長を務めているのにも関わらずその内容を全く理解していなかったり、自分のネームバリューを売っていたり(アバクロのカタログにジジェクのコメントを載せるという企画の中で、ジジェクの出版を担当したことのある人物から、「アバクロの商品の画像のいくつかについて分析をしてもらえないか?」という打診があり、ジジェクはお得意のラカン精神分析理論の決まり文句を並べるだけという条件で承諾し、送られてきた30枚ぐらいの画像に対して合計15分くらいしかかけなかったという、頭に浮かんだラカン的な連想を書き連ねた結果、上出来ということで二万ドルのギャラが出たらしい。


あとロンドンの大学だか研究機関にも名義だけ貸していたりもするらしい)ジジェクの在籍する研究機関の彼のオフィスに机やテーブルすらなく、最後に足を運んだのは友人と会うためで、それは2、3年前であったり、家具を置くのが嫌いなのと衣類をあまり所有していないというのもあり、食器棚に自分の衣類っつーか下着まで入れていたり、ニューアークの空港カウンターの年配の女性の担当者に「母親に似ていますよ」とかいうわけの分からないジジェクがよく使うお世辞を言って、結果的にそれを良く思った彼女がファーストクラスにアップグレートしてくれたり、ジジェクがいつも使うメルヴィル著の「代書人バートルビー」の主人公が繰り返す単純な否定とは違う"I'd prefer not to."(遠慮します)というフレーズに対して「いつも引用しているわりに、実は最後まで読んでないのだが、格好がつくから」という最高な引用理由を述べていたり、軍隊での卑猥な体験(例えば仲間内での同性愛だとか猥褻なジョーク等)に対して「興味深い経験だった」と言っていたり(ジジェク自身が同性愛行為に及んだわけではない)教会のサブカルチャーペドフィリアなどに留まらない宗教的組織の卑猥な影だと言っていたり、本国スロヴェニアの割とリベラルな共産主義のおかげで研究職に付けている、もしくは自分が好きなことばかりやれるという彼自身の状況に対して「共産主義の弾圧万歳」と言っていたり、オーストラリア航空のエアバス機の肘置きが固定されていることに対して「ファック!あれは最悪です。誘惑するかのようですよ。


全裸の処女の隣で寝ることを許されるが、彼女にさわることができないという中世の裁判と同様です」と言っていたり(隣の席が空いているときに肘置きをどけて寝ることができないため)メイドがいたとしても、例えば冷蔵庫にあるワインを取ってくれと指示できないのは自分が左派だからかもしれないと言っていたり、ポルノについて語っていたり、ポルノ事情について異様に詳しかったり、人の話を何時間も聞くなんて考えただけでゾッとする、分析家になりたいなんて一度も思ったことはないと言っていたり(恐らく緻密な作業が退屈そうだからという理由で)他にもなぜか話の例えとしてセクシャリティだのハードコアポルノを出してきたりと(っつーか大半が自動販売機の件の前に出てきている話だけどね)、とりあえず真面目な話のいたるところにこういったユーモアがあって・・・というか、本人はユーモアのつもりではなく、これが地なんだ素なんだというのが俺の感動するところで、特にこういったインテリにありがちな、前にてっちゃんの例でも出したような、自分が高度なことを言っているということに酔い出して過剰に難しい表現を主張の誇張のために使ったりというような、ようは俺が普段から否定している衒学者っぷりが全く感じられないっていうのも、ジジェク自体のボキャブラリーや概念が分かりづらかったり(理解にドイツ観念論などの知識が必要)するんだけど、基本的にそういった高度な部分とかの中にもユーモアが感じられたり、それはこの本の中の二つの真面目な論文の中にですら感じられたりといった、ようは誰の言葉も借りないジジェク自身の言葉によって語られるジジェクの思想なり分析が直接心に響く感じがするんだよね。誰かの言葉を借りている衒学者の本とかインテリぶっているだけの学者が書いたような本に比べれば、その正当性はともかくとして、物凄く威力があり独特で独創的なのは全てがジジェク自身の頭から発せられたことが表れとして論文や言葉に出ているということだと思うわけ。まぁ全てっつってもこれしか読んでないけど、こういった独創性を持った人というのが思想家と言えるのではないか?と思った。


社会学者や政治学者などはまず世界の現象や社会・政治科学を前提に物事を言うので、面白みに欠けるというか、独創性に欠けることが多いと思うのは、まぁその職業柄なんだけどね。ようは科学者としての社会学者や政治学者っていう。ただジジェクはそれに比べて本当に哲学者で思想家だなと思ったわけ。必ずしもそれが社会・政治科学的な事実に立脚したものではないとしても、その思想自体が前のパゾリーニじゃないけど、活字として印刷されてパックされた書籍というものに収まりきることがなく、それ自体が生きる有機体のように本の中で蠢いているというね。ようは分析や理論をオーガナイズしてモノを言っていたり書いていたりするのではなくて(もちろん色々な思想や理論の伝統を踏まえていることは当然として)岡崎女史があとがきにも書いているように、結論を念頭に口を開くのではなく、頭の中からリアルタイムに引き出されていくジジェクの言葉自体が全体を構成していくといったような感じなわけで、まぁ思想のインプロが曲を作っているという感じかな。ただもちろんそのインプロが出鱈目なんではなく、さっき書いたようなドイツ観念論精神分析の伝統を踏まえつつ奏でられているという、まぁデレク・ベイリーのギターみたいなもんなわけだ。ってことで現実的な状況を踏まえた上で紡ぎだされる科学的な理論もいいけど、たまにはジジェクのようなユニークな思想や理論もいいんじゃないかなと凄く思ったし、何より彼の生き方とか考え方(思想ではなくて)に学ぶことが多いんじゃないかなと思ったわけ。


ってことで難しそうだけど、人間的にジジェクのことが凄まじく気に入ったので、今後、とりあえず今、読まなきゃいけない本は全部読み終えるとして、俺にとっての将来的にディグることになりそうな思想家の一人となったわけね。いやー素晴らしい人だ!マジで。好きなことしかやりたくない(それは言いすぎか)とか、退屈なことはしたくないとか(それも言いすぎか)そういった彼のやりたいことしかやらないライフから紡ぎだされる思想というのがジジェクの多作に見られるような多様性を生み出しているのかもしれないね。思想というと理論的な感じがするけど、実際は創造性も物凄く重要ってことで、思想の中にはジジェクのような芸術的なものもあるってことだね。まぁ実際まだ読んでないから分からないけど。とりあえず疲れたから寝るわ。

人権と国家―世界の本質をめぐる考察 (集英社新書)

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