陰嚢センスはナンセンス。

mimisemi2007-10-27

今日さぁーっつーか昨日さぁーハゲ忘れるための眼鏡理論を実行するために行ってきたよぉー。眼鏡屋。っつーかずーっと気になってて行ってなかったセリマ・オプティークってのがあってね、まぁ名前の如くセリマっていうデザイナー兼オーナーがやってるブランドなんだけど、元々、アランミクリにいた人らしいんだよね。なんかね、セリマのウェブサイトで眼鏡見てみるともうデザインがすげーいいのよ。俺仕様というか。まぁ基本的に女物が多いっつーか、すげーファンシーな感じで、トミーフェブラリーの眼鏡がそうらしいんだけどまぁあんな感じなのよ。ただね、前も書いたけど普通の眼鏡屋にあるやつって普通のばっかでしょ。で、んじゃあ変わったデザインとか、俺好みのデザインを探そうと思うと、ようはこういった特定のデザイナーのブランドに行き着くわけ。っつーかまぁアランミクリとセリマぐらいだけどね、フェイバリットは。だから前に書いたようにブランドってのが先に来るんじゃなくて、デザインってのが先に来て、で、結果的にぞの自分が好きなデザインの洋服とかアクセサリーを作ってるのがブランドっていう、そういう感じね。でもねーいやーセリマヤヴァイわ。マジで。デザインがマジでいい。女物でも俺はかまわんからね、バイセクシャルじゃなくてユニセックスだっけ。これまた社会学でやったけどジェンダーロールってのもようは親とか学校から教えられる固定概念なんだよね。男だったらスポーツして青の洋服を着ると。で、女ならピアノとか手淫じゃなくて手芸とかやってピンクの洋服を着るっていうね。男はマッチョで女はおしとやかみたいな。まぁそういったものが重要なこともあるけど、基本的にそれこそ俺はジェンダーフリー派っつーか性なんてものは人間の思い込みでしかないと思ってるから、女だからとか男だからってのはバカバカしいと思うんだよね。別に女だってマッチョなスポーツをやっていいわけだし、ギャングスタラップを聞いてもいいわけだし、男だってフレンチポップを聞いていいわけだし、女々しい小物を身につけたっていいわけでしょ。まぁオカマにならない程度にね。基本的に自分がやりたいかどうかとか、似合ってるかどうかとかそういう基準で物事を決めればいいわけで、男だからとか女だからとかいう理由は相当馬鹿馬鹿しいわけよ。ってことで別に男がセリマをしていてもいいわけ。まぁユニセックス用のもあるけど、例え女用でも気に入ればそれでいいわけじゃない。まぁとにかく嬉しいね。こうやって好きなデザイナーが増えるとね。楽しみが増えるっていうか。やっぱそういう意味で自分のブランドってのはもってていいと思うんだよね。あそこのデザインなら気に入るのがあるから新作が楽しみだとか、そんな感じで。ブランド名とかで選んでるやつは論外ね。レコードのレーベル買いをするのがバカバカしいのと一緒。ただ逆を言えば、そこのレーベルが自分の好きなものをよくリリースするということだったら、それは自分のフェイバリットレーベルってことなわけでしょ。それはいいわけ。ただ名前からね、あのレーベルだからっつって買うのはおかしいわけよ。俺はかつて酷いレーベル買いしてたからその馬鹿馬鹿しさがよく分かるんだけど、それにしてもMegoのレーベル買いしてるやつって少ないだろうな。全部売っちゃったけど20枚以上持ってたね。Mego。今は買いなおしを含めて10枚ぐらいかな。まぁいいや。眼鏡の話は。まぁなんつーかこれは物欲っていうか、デザインってことだからね。キューティーの名言で、「この服がこのデザイナーしか作れないものだったら、高くてもお金を出す価値がある」なんつっててさ、なかなか良い言葉だよね。キューティー曰く、一流デザイナーを真似したようなブランドでも安ければそっちでいいんだけど、ただそれしかなかったら、そこのブランドが高かろうが金を出す価値があると。なるほどー。いい哲学ですね。もしくはキューティーって自分で服作れるから、作れるやつは作っちゃうらしいんだよね。ただどうしても作れないやつは買うと。うーん、なかなか。でも眼鏡好きってキリ無いからね。マジで。フレームがリーズナブルでもレンズは一定である程度高いから、総額が高いんだなこれが。あと俺は近視が凄まじく進んでるから(もちろん勉強でってことにしておいてくれ)ちょっとしたグレードのレンズを使わないと屈折がなんだとかなんとか、目がケントデリカットみたいになるとかなんとかでダメなのね。だからレンズが高いんです。凄く。それにしてもアランミクリの値上げには本当にうんざりだな。前に行ったときのことを書いたけどさ「これが高いだって?これを見てみろ、3000ドルだぞ。うちはこういう店なんだ」なんていわれてさ、まぁ身分相応じゃないのは分かってるけど、すげーブルジョワ臭くてさ、すげー嫌だよね。こういうの。まぁ結果的にこの人は別にそこまで悪い人じゃなくてまぁ親切に対応してくれたんだけどね、まぁ去年の話ね。ただミクリがある場所ってのがアップタウンの高級ブティック街でさ、ホント、身分相応じゃないんだよね。マジで。まぁいいや。ただセリマはそれこそSOHOって場所が似合うようなシャレた感じなんだよね。ブルジョワって感じではない。それにしてもSOHOもさ、あんだけブランドが並ぶとさ、価値が低くなると思うんだよね。SOHOでしか買えないような独自のブランドがあれば世界的なスポットなはずなんだけど、あんだけ似たようなブランドがいっぱいあるとなんだかねって感じだよね。まぁただ道行く人はみんなお洒落で幸せそうな顔してる人が多いけどね。お買い物天国だからね。ホント。まぁいいや。今回書きたかったことはこれじゃなくて、セリマ行った後に精液を溜めるためのビール酵母を買いに行こうと思ってさ、ビタミンショップまで歩いていったんだけど、驚いたことにね、場所的にはあの例のいつも良いスタッフをそろえてる黒人の路上売りがいるぐらいのところでさ、なななななんと見覚えのあるメンツがハイテンションで:CDじゃなくてCDRを売ってるんだよね。雨の中。で、俺は例外無しにデカイヘッドフォンしてるのと異様な見た目なんでいつも呼び止められるんだけど、その呼び止められた相手ってのがね、横伸びブラザーだったんだよ!!!!!!!!!!!!!!!宇和ーーーーーーーー!!!!!!!!横伸びだぁーあ!!!!!!!!!!!って感じでさ、嬉しくなっちゃってさ!!!しかも横伸びしてる例のジャケットがプリントされたTシャツ着ててさ、自分で作ったやつだからプリントがすげー薄くて汚いの。で、インフォメーション乗っけすぎててなんか汚くなっちゃってるの。連絡先とかマイスペースのアドレスとかのっけまくってるからごちゃごちゃしちゃってるんだけどさ、俺は即座に「あー!俺のこと覚えてる?」なんて言ったらさ、横伸びは覚えてたんだか覚えてないんだから「あーブラザー、おいお前ら!こいつは俺のダチだぜ」なんて横伸びがほかのハイテンションラッパー達に言ったらさ、他のハイテンションラッパーまで俺に群がってきてさ、みんなしてCDじゃなくてCDRを売ろうとしてるわけ。で、一人めっちゃしつこいやつがいてさ、なんかジャケがCompositionって書いてある大学ノートジャケのやつでさ、なんかねライブ演奏のギターが入ってるだとかなんとか色々言ってくるんだけど、こいつらに付き合ってCDR買うといくらお金があっても足りないから断ろうと思ってさ、俺の英語も以前ほどは悪くないから「あー買う前に聞きたいんだよね。中身を。マイスペース持ってる?」とかさ、「あ、センセーショナルは元気なの?」とかさ、色々話題をそらそうとしてさ、まぁそのたびこのブラザーはあんまダイアモンドユカイじゃない顔を浮かべつつまだしつこく売ろうとしてきてさ、「CDRは寿命があるから買いたくない」とか言ってまた断ろうとしてもまだ売ろうとしてるからさ、聞いてやろうと思ったら、このブラザーが自前のちょー古いCDプレイヤー出してきて、俺のヘッドフォンと繋いで聞いたんだけど、中身は横伸びほど酷くはないんだけど、基本的にどっかで聞いたことある亜流な曲調のやつばっかでね、で、ちょっと一時期流行ったダンスホール系のビートが入ったヒップホップみたいな感じもあってさ、で、下手にうまく作られてるんで面白く無いって思ってまぁ買うの断ったんだけど、俺の断るときのセリフというのが傑作でさ、あっちもベラベラと営業トークが凄いんでこっちも「これからビタミンショップに行って色々買わなきゃいけないし、レントも払わなきゃいけないからお金が無いんだよ」とか色々言うと「分かってるよ。ニューヨークはタフな街だ。ただな、いいか、このCDってのは俺からしか買えないんだぜ?他じゃ手に入らない激エクスクルーシブなんだ!」とか言ってきてさ、で、その俺の断り台詞というのが「一般的に日常的には俺はCDRといったものを買ったりはしないんだ」とかわけの分からない英語を口走っちゃってさ、ああいうインプロが必要なときに無駄に言葉を修飾しようとすると馬鹿を見るってことだね。あんま面白くなかったかもしれないけど、個人的に横伸びとの偶然の再会の次ぐらいに面白い出来事だったな。それにしてもああいう喋る機会があると俺の英語も意外と悪くないなって感じるなんだけど、いかんせん普段喋る機会が無さ過ぎるので、なんかもったいないような気がしてきた。あ、そういえば例のアニメオタクのペルー人がさ、なんかマックで新作が出たとかいってね、マッキントッシュじゃなくてマクドナルドのほうね、で、すげー食べたくてたまらないらしいんだよね。で、授業終わったらマック行かない?とか誘ってきたんだけど、「スーパーサイズミーって映画知ってる?」とか聞いたりしたんだけど、ただね、人の楽しみを壊すべきじゃないなって思って、いかにマックがほかのバーガーに比べて格段に体に悪いかを説明するのをやめたのね。ただまぁサジェスチョン程度にバーガーキングとかウェンディーズにすれば?とか言ったんだけど、このアニメオタクのペルー人はね、っつーか最近本当に親しくなってきたからいい加減オタクオタク言うのに気が引けてきたんでホセって書くね。これからは。ホセ曰く、新作だから食べたいってことらしいんだよね。あんま俺は食ってのにこだわりがないっていうか、何かを食べるのが楽しみっていう感覚が無いんで、このホセ感覚に驚いたんだけど、でもなるほどなって感じだった。食べるってことが楽しみというのも人生を幸福にする要素の一つなのかなと思ったり。これを稲垣タルホのA感覚から雰囲気だけパクってH感覚ってことにしよう。俺造語ね。まぁホセ感覚ってことなんだけど。俺が例えば映画とか読書とかさっき書いたようなファッションだとかに喜びを見出すのと同じことで、食というのもそういった喜びの対象足りうるのかなと凄く思ったわけね。ようは人によってその幸福を感じるところが違うから、そこはなんつーかモノがどうであれ尊重するべきだなって凄く思ったのもあって、スーパーサイズミーの話をやめたんだけどね。DVD貸そうかとか思ったんだけど、これはルードだなと凄く思ったわけ。相手の幸せの領域に土足で踏み込むわけだからさ、こりゃ良くない。それにホセも一ヶ月に一回ぐらいしか食べないっつってたんで、体に良くないってのは分かってるんだよね。毎日食べてたら友人として忠告するべきだけど、月一ならそんなことは余計なお世話だもんね。ってことでさ、まだマクドナルドは人が入っているって前に書いたその学校の近くのマクドナルドをさ、帰り道に通りがかるわけだけど、俺はスルーしようと思ったわけ。最近、また育毛に力を入れているわけだし、バーガーキングは俺は正直、大好きだけど、マックは好きじゃないので、断ろうと思ったんだけどホセがすげーいいやつなんだよね。すげー人徳のあるクリスチャンなわけよ。そんなジーザスなH感覚を見ていて俺は断りきれなくなっちゃってさ、一緒に入ったら、ホセが俺のオーダーを聞いてくるわけ。で、俺は正直、どれでも良かったんだけど、ホセの言う新作を食べたほうがいいなって思って、その新作って言ったんだけど、なんで俺のオーダーを聞いてくるのかな?って思ったら、おごってくれるっつーんだよね。税込みで7ドルぐらいでさ、セットだから安くないんだけど、まぁたまにはいいかって思ってたんだけど、まさかおごってくれるなんてね。なんつーか俺は宗教を散々否定してきたけど、こういう人格者が素朴に宗教を信じているなら、それはそれでいいじゃないかっていう気がしてきたね。仮にそれがフィールグットみたいな感じでも、それはいいんじゃないかと。そういった宗教のアウトプットがああいう人徳のある人物なのであれば、それはいいんじゃないかと凄く思ったね。バーガー奢ってもらったぐらいで大げさかもしれないけど、ホセはすげー家族思いでさ、これまたすげー大変な生活してるんだけど、全然苦労を顔に出さないんだよね。労働者の鏡でもあるなと。だからこいつと一緒にいるとすげー引け目を感じるというか、俺はこんな微温湯みたいな環境でいいんだろうか?ってカルマ的な意味でも情けなくなってくるんだけどね。微温湯であることはいいとして、果たして俺が彼の立場だったら、こんな風に友達にバーガーを奢りつつ、朝の5時に起きて出勤して、仕事終わりに学校に来れたり出来るのかな?っていう、ようはそのバイタリティと精神的なステイビリティの両立というのがね、果たして出来るのかな?と。そんな意味だと俺は微温湯みたいな環境なんで両方の要素が無いというか形成されないというのはあるかもしれないなとか思ったね。まぁ俺は俺で大変だけどね、楽じゃないよそりゃ。ただ彼に比べたら楽だよね。別に比較するつもりはないんだが、なんか全然違う次元でお互い暮らしてるっつーかね、これもまたマルチカルチャルな環境からもたらされるソーシャルインターアクションだよね。前にも書いたけど、日本みたいなホモな環境だとこういったソーシャルインターアクションが無かったりするからね。いやーやっぱマルチカルチャルってのは凄く重要ね。本当に。話が逸れたな。ただこのホセもさ、大変ならがらも幸せそうなんだよね。ゲームなんてやる時間が無いのに新作ゲームをチェックしたり、合間を縫ってちょっとやったり、アニメを見たりして、趣味はオタク的かもしれないけど、そういった好きなことが生きる動機付けの大きな一因になっているっていうね。いや、それだけじゃないんだよ。もちろん。一家の稼ぎ頭の一人だろうし、将来的に良い職に就かなきゃいけないとかね、色々あるんだよ。それは。ただそういった色々な大変な要素も含んだ生活に一切の不満を漏らさずに、やらなきゃいけないこととやりたいことをやっているというのが物凄くリスペクトモンだなと思うわけ。俺があんな大変な生活送ってたら友達にバーガー奢る精神的余裕なんて出てこないだろうし、金銭的余裕も無いかもしれない。ようは自分が死ぬような思いをして稼いだ金だから、好きなことに使わないと精神のバランスが保てないっていう。ただそんな尊い金を俺みたいなやつに使えるホセってのは凄いなって。そういう意味での引け目なのね。俺のほうが英文を読むのは速いかもしれないし、英文の理解も高いかもしれない。俺のほうが物知りかも知れないし、環境的にも恵まれているかもしれない。でも、でっ?っていう。だからなんなの?っていう。ホセのほうが人間的に素晴らしいし、社会的にも貢献できる人間だろうし、それに比べると俺はゴミ以下だなっていう。もうすでに俺がホセみたいな境地に達するのはもう無理かもしれないんだよね。特にあんなタフネスに関してはもう無理。仕事が忙しいんで休みを取るっつって何をしていたかっていうと学校の宿題だったりさ、そんなこと俺はできないからね。マジで。学力とか富じゃなく、人間力でここまでの差を感じるってのも、こっちに来なきゃ感じられなかっただろうなって気がするね。日本みたいな環境じゃこういうやつには滅多に会えない。こればかりは学校に行ったからといって育まれるわけじゃないし、自分で勉強したからといって身につくものではないからね。またこのホセのゲームとかアニメのオブセッションっぷりもさ、またこのマックの帰りに同じ電車で帰ってPSPを見せてもらったっていうか、いつも嬉しそうに「ちょっと見せたいのがあるんだよ」っつってPSPを見せてくるんだけど、凄いんだよね。前にも書いたけどアニメのオープニング動画とか画像とかゲームのデモとかさ、すげー入ってるわけ。で、俺はこれを前のオタクと書いたけど、オタクというネガティブなタームよりは、何らかのものにここまで執着できて幸せを感じられる感覚というのは尊敬できるなって思ったわけ。んじゃ果たして俺の幸福感はどうか?ホセとの対比ばっかになっちゃってるけど、音楽もはっきりいってもう追うのがないってのもあるし、一通り聞きつくしたというのもあって、昔のようなオブセッションは無いし、映画に関しても、それこそ見ながら知っていくのが当たり前だった昔に比べれば一通り見た感があって、昔ほどの熱はない。まぁあるのは知識欲だけだけど、これが幸せかとい言われると微妙な部分はあるね。前にも書いたように知れば知るほど世の中が嫌になるってことが多いわけだし。まぁそれでも俺は知りたいので、そういう意味だと俺を支えてるベースというのはもう知識欲だけなのかもしれない。眼鏡とか洋服とかレコードに熱を入れるだけの余裕があるお金は無いし、ゲームは好きだけど、それこそ昔ほどじゃない。あとドップリつかるとヤバいってのもあって意識的にゲームのことは忘れるようにしているというのはある。でも今みたいな状況って時間があるからキープできる幸福感で、仮に時間が無かったらね、それこそ人間的にダメになるだろうなって思うわけ。そこまで社会にコミットしてないから得られている幸福というのが大多数を占めているので、ある意味で暫定的な幸福感かもしれないんだよね。まぁこの幸福感をキープできるような仕事をしたいわけだけど、まぁそれは置いておいても、ホセのバランス感覚というのが絶妙というのがね、俺の言いたいことなの。まぁ分類的には消費する大衆なのかもしれないけど、それが別に無駄な商品を広告によって買わされているといったことじゃなくて、自分から好きなものをガンガン消費しているっていう、そういう背景があるんで、一概に消費というのを否定できるものではないなというのは凄く感じたね。それによって偽りの無い満足感が得られるのなら、それはその人の人生だから誰も文句は言えないし、それはそれでなかなかのもんじゃないかって思うわけね。一番不幸な人ってのは何にも喜びを見出せない人かもしれないね。だからなんつーか前と書いたことと矛盾するかもしれないけど、幸福っていうのが一概に内面によってもたらされるわけじゃないんだなっていうのはね、思ったよね。もちろんベースは内面だけど、外的な要素がある場合もあるっていうね。とりあえずあれよ、何をするにもそこに主体性があれば主体性を帯びた結果というのが自ずと得られるんじゃないかなとね。まぁさっき書いた眼鏡じゃないけど、それが本当に好きで買えばそれが流行っていようがなんだろうが関係ないけど、流行っているとかみんな身につけているからとかいう理由で買ったらさ、それは本当にただの消費なんだろうなって思うわけ。前者はいつまでたっても自分のフェイバリットだろうし、後者の賞味期限が著しく低いんじゃないかと。そういった後者的な消費活動に専念している消費者というのが、さっき書いた好きなことが無い主体性の無い不幸な人々ってことなんだけど。そういった意味だとオタクは主体性の塊みたいなもんだから、否定できるもんじゃないよね。あんま人に誇れるもんじゃないかもしれないけど、その人自身は最高に幸せっていう、まぁ幸せの究極の形かもしれないよね。そういった好きなことに対する思い入れが生きる動機付けになっていれば、それはそれで幸せな人生なんじゃないかなーって思うよね。そうなると無駄に考えすぎるってことが野暮ってもんだよね。アホンホンアホンホンヘェレレー野暮っ!野暮っ!野暮ーっ!!ってことだ。陰嚢センスはナンセンスってことだよ。まぁ俺は知ることで不幸になっても知りたいってタイプの人間だから、それはそれでゴーアヘッドな人生なわけだけど、俺みたいな価値観を他人にインポーズすることはできないわけね。幸せの定義は人それぞれだから。他人に価値観を押し付けるのいうのは陰嚢センスですね。そういう意味だとやっぱり理想的な社会というのはマルチカルチャルな中で多様な価値観を持った人達がお互いにディスりあうことなく共存していける共和的な社会なんじゃないかと思いますわね。それってやっぱニューヨークみたいな街が一つのモデルだろうね。まぁ深いことは全然分からないから言い切れないけど、でも他人の価値観をディスらないってのが凄く基盤にあると思うね。だから他人の宗教に口を出すとかってのがタブーだろうし、基本的に考え方として、その人がそういう考えを持っているということを他者が否定することは出来ないというのがあるんだよね。それをしちゃうと共存できなくなるから、そういったことが伝統的にタブー視されているんだと思うんだけど、まぁ悪くない社会だよね。あれ?何を書こうとしてたんだっけ?もうちょっと後ろ髪切ってもらえばよかったかなとか後になって思うよね。だってチップ入れて45ドルって安くないからね。散髪料。横伸びブラザーのことを知らない人達のために横伸びリンクをしておきます。ではまたね。

http://d.hatena.ne.jp/mimisemi/20070227

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http://mushroom.cage.to/mp3/yokonovi_brother_2.mp3

Jazz in the House Fifteen

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