ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

股が死にかけの野良犬みたいな臭いがしてたんで。

mimisemi2007-11-12

やっぱ左端最高だなぁー。99年ってさ、メルツがラップトップに移行した年っつーか、分からん実際は98年ぐらいだったのかもしれないけど、あの初々しさたまらないんだよね。なんか使いこなせてない感じが凄くいい。なんかいろんなプラグインエフェクト試してるって感じでさ、それがそのまま即興演奏として編集されて作品になってるっつーのがたまらんのよね。だから処理落ちしてるような音も入ってるし、音の空白もさ、特にラップトップでノイズ作ってるやつは分かると思うんだけどっつーかあんまいないとは思うけど、エフェクターの組み合わせが悪いと音が出なくなったり途切れ途切れになったりするんだよね。そういうのすらを音楽として取り入れちゃうというよりかは、そういうところにフォーカスした音がテクノイズだみたいなことを佐々木敦だかが書いてたような気がするってのは前にも書いたけど、基本的に俺ってその人間の意志が関わる前の音ってのが好きなんだよね。だから基本的にギターは好きじゃないんだけど、デレク・ベイリーは大好きだし、一時期代々木にあったオフサイトっつー場所で試行錯誤されてた即興演奏というのも、俺の勝手な定義だとこのテクノイズに近い感覚がある。例えばタンテでもタンテをタンテとして使わず、音の発信機として使うみたいな感覚ね。例えばもうレコード使わないとか、針に何かをこすり付けて音を出すとか、マルタン・テトローあたりが元祖らしいけど、オフサイトの他の演奏でも所謂、重箱の隅を突付くような演奏が多かったわけだけど、そういう意味だと重箱の隅を突付いてれば、あんま楽器関係ないみたいな、そんな感じなんだけど、左端にはなぜかそんなオフサイト的な感覚を感じるんだよね。あんま音楽としての完成度とか構成に重きを置かないで、出た音そのものにフォーカスするみたいな、そんな感じ。まぁでもあのへんの感覚は凄くMego的だから、メルツというよりかは、ラッセーラの仕業なんだよね。ラッセーラのソバージュの二曲目とか、すげーオフサイト臭いでしょ?あれよ。あれ。俺が好きな感じ。音にフォーカスするんじゃなくて、音のまたさらに奥の音にフォーカスしてるっつーかね、まぁんで左端が感動なのって、あんなのがWarpから出ちゃって、しかも日本盤まで出ちゃったってことなんだよね。あんな未完成なのが割と広く聞かれてると思うと凄まじく勃起してくるよね。ところでYoutubeラッセーラアンドヘッカーノのUPICオナニー動画のコメントに「これは天才的だ!」とかって褒め称えるコメントの次に「これのどこが天才だっつーんだ?こんなもん不愉快な音のコンビネーションを爆音で鳴らしてるだけじゃねーか!」なんて批判的なコメントが書いてあってさ、これを見た後、なぜかオナニーしたくなって抜いてからいつも使うティッシュは安いトイレットペーパーのティッシュティッシュが亀頭についたりするんだけど、そのついたティッシュを払いながら「んーでもそっちのほうが言えてるよなぁー」とか思ったのね。ようは不快な音のコンビネーションを轟音で鳴らしてるだけっていうのは本当に言えてるなと。ただこれってのは極めて客観的というか、ようは凄く現象的なことを言っているだけで、これを言ってしまうと音楽自体が成り立たなくなってしまうんだよね。ようはロックだって人間がギターとドラムとベース演奏してるだけってことになるし、そりゃージャズだってそうなるわな。ただジャズやロックがなぜ「音楽」として成立しているのかというと、普遍的とも言える音楽的なアイコンがこういった既成のジャンルにはあるからなんだよね。それはもう音楽イコール楽器を演奏するとか、人によっては音楽イコールロックとか生演奏といったような思い込みがあるけど、そりゃジョンケージじゃないけど、全ての音は音楽になりうるわけで、そりゃはっきりいって外の音ですら何かを考えることをやめて耳を澄ませばそれはランドスケープミュージックとして脳内で立ち上がってくるわけでしょ?ようは音楽なんてのは脳の認識の産物なんであって、そりゃ仮にどの人間も同じ音が聞こえていても、人によって音の好き嫌いがあるのは認識の違いでしょ。まぁ感覚の違いというか。だから無調の電子音楽をこよなく愛する人もいれば、極めて既成の音楽的なものが好きな人もいれば、それは様々なんだけど、ようは既成の音楽っぽくない音楽を「これは音楽なんかじゃない」って批判するのはお門違いってことなわけなのは、ようはそれは別の言い方をすればロックだって音楽じゃなくなっちゃうわけだ。そういう言い方をすると。だからいかに音楽という既成概念が音の可能性を狭めているかというのがね、例えば人と人との音の認識の違いで顕著に現れたりするわけだけど、まぁこのYoutubeの二極的なコメントがいい例で片方は天才的だといい、片方はこんなもん不快な音の塊でしかないっていう。でも音楽なんてその人がそれを音楽と感じればそれは音楽なんで、だから例えば俺にとっては音の全てが音楽なわけで、だからああいう音楽を作っているわけだけど、ああいうコメントを見ると、いかに普通の人というと差別的だけど、普通の人が音楽というのを既成のアイコンとしての音楽という枠組みでしか考えていないというのがね、凄く分かるよね。嫌なぐらいに。あんなもん音楽じゃないから評価できないなんてのはよく考えりゃおかしな話だよね。既成の音楽っぽいやつじゃなくても良い音楽というのはいっぱいあるのに、音楽的か否かなんていう何気にデカイフィルターを通して音楽を考えてるんだからさ、そりゃおかしいよね。だから話を戻すとMegoとかオフサイトみたいなもんってのは音の認識というところに凄まじく細かいフォーカスを当てた音楽の形態の一つなんじゃないか?と思ったわけね。今更だけど。だからそれは音のアプローチの一つの形なわけで、そういったことからいうと、自己満足的という批判は成り立たなくなるよね。まぁあれだよ、だからね、音楽ってのを考えるときに音楽だけを聴かないで音を聞いてみるってのも自分の音の認識を広げる良い方法の一つだから、あれだよね、たまには外の音だけ聴くとか、部屋の音だけ聞いてみるとか、そういうことをしてみるのは脳にとって凄く良いことっつーか、認識が広がると思うんだよね。その後に既成の音楽を聴くと、いかに普通の音楽というのが限られたルールの中だけで音を展開しているかってのが凄く分かると思うんだよね。それはそれでいいんだけども、ただそれだけじゃないんだよっていう。まぁいいや。ところで今日は例の如く何もしなかったんだけど、そのアレもあってか、恥知らずがだいぶよりマシになってきたかな。今日はとりあえずヴァンパイアセイバーのエンディングは全部見たし、一通りタモリ倶楽部とか他のバラエティ番組はチェックしたし、サタンズトルネードの波形を見てみたりとか、まぁ楽しかったかな。ただなんだかね、こっちに来てからって基本的に親の金で生きてるからすげー勉強しなきゃっていう強迫観念があるんだよね。だからちょっとでも英語の本を読むとか、映画を見るとか、そんなんでもいいからやらないと罪悪感が生まれてくるんだけど、でも逆にこれが行き過ぎてもまた恥知らずが痛くなるだけかなって気もしてきて、んだから前にも書いたけど、絶対的グダグダ時間というのは必要なんだよね。ただでもあれだね、あと休日が一日しかなくて、んで買い物とかランドリーとか行かなきゃいけないとか思うとさ、人生って面倒なことだらけだよね。まぁ普通の人はそれを当たり前にやってるんだろうけど、慢性的なセロトニン不足プラスニートの俺としては本当に大変ですよ。お金も40ドルぐらいしか残ってないしってまぁメガネ買ったからだけどね。んじゃ毎月無理すればメガネが買えるのか?っていうとそういうことではないんです。それは何ヶ月か溜めたりしないとダメってことなんです。苦肉の策でしょ?だからこんなことしてるよりかバイトしたほうがよっぽどいいなって思うわけで、だからとっとと英語に慣れてちゃんとした合法のバイトをしようかなって思ってるんです。でもあれだよね、こうやってウォール伝更新できたりするのも学生の特権だよね。まさしく。学校しかないから一応更新できる時間があるっていう。まぁ仕事して家事やってブログとか更新してる人もいるかもしれないけど、俺の場合、絶対的グダグダ時間が毎日必要なんで、それを差引くと時間が無いのよね。体力も無いからさ、なんか
学校とかバイトとかあると、もうほかの事ダメね。疲れきっちゃうね。あーまた夜更かししてるから腹が減ってきた。今日こそは早めに寝ようとか思ったのに、なんかあれだわ、なんかネットとか適当にフィンサーしてるとあっという間に時間が無くなるわよね。ただでも読書とかって夜中にならないとやらないんだよね。映画とかもそう。何か物凄く集中するものって日中には絶対出来ない。んで、夜に色々とやり始めるんで、基本的に夜型になっちゃうっていう。まぁスプーキーも書いてたけど、夜中ってのは神聖な時間で芸術的なインスピレーションとかアイデアとかがね、生まれやすい時間帯なのよ。だから感性に生きる人は夜型が多いわけ。だから俺は基本的に朝が好きな人間とは気が合わないことが多いんだよね。こういうこというと「おめーは仕事してないからだ」って言われるけど、こういう風なことを俺に言ってきた人達に「俺は仕事をしているけど夜型だ」っていつか言い返してやりたいわね。朝起きなきゃいけないってことでどんだけ辛い思いをしてる人がいるか、朝型・ショートスリーパーのあんちきしょうには分かるまい。基本的に世の中って朝型・ショートスリーパー型が尊敬されて、それ以外は社会不適応者みたいな判断をするけどさ、本人にはどうしようもない体質ってのもあるわけでさ、そういうので差別するっつーか怠け者だとか、使えない人って判断するのって、生まれつきの何かで差別されるのと同じことだよね。あの人は片腕が無いからダメだって言うようなもんでしょ?そんなの酷いよね?まぁ俺は精神面でも肉体面でも準障害者ぐらいだとは思うけど、でもそれって自分でどうにかなるもんじゃないところも多いわけでさ、んじゃあ俺はもう社会でやってけないってことになるもんね。そこで努力が足りない気合が足りないみたいな、特に日本が得意とする精神的なマッチョさってのを強要することが多いけど、そんなんでどうにかなる問題だったら、世の中、精神病で苦しんでる人なんていませんよ。俺はこういう精神的にも肉体的にもマッチョなやつがまるで優れた人みたいに扱われているこの世の中がでぇきれーなんだよなぁ。思うに会社とかでもさ、イジメにあう人って大抵が俺みたいなタイプで、いじめる側ってマッチョ側なんだよね。あんま頭使わないから短時間睡眠でオッケーで、馬鹿だから体が異様に丈夫で、感受性が鈍いから思い悩んだりしないっていうさ、まぁそれはそれでいいとして、んでもそういうやつらが、そうじゃない人達を排除するだとか中傷するだとかっていう筋合いなんて一切無いよね。でもなぜか社会では許されるよね。耳蝉タイプみたいなのが軟弱だから悪いんだっていうような、レッテル貼りが合法的に行われてるわけでしょ。ただ俺が信じているのは、そういう頭使わないが故に短時間睡眠でオッケー型みたいなやつより、色々と考えてるが故に長時間睡眠が必要な人達のほうがポテンシャルは高いってことなんだよね。何も考えないが故に世間に簡単にアダプトしていくマッチョな連中たちより、考えすぎちゃって引き篭もりになっちゃってるような連中のほうが様々な可能性を秘めてるってことだ。だからそこで引き篭もり=ダメな人達っていうレッテルを貼ることで、どんだけの優秀な人材が失われているかってのをもっと社会が認識しないといけないよね。まぁそろそろ寝るんであれだけど、ただね、あとはやっぱ引き篭もりとかニートとかネット難民だとかワーキングプアだとかっつっても、その中でまた色々なタイプがあるわけで、もっと細かい調査というか、認知が必要なんだよね。なんかあまりに世間の扱い方が適当というか、問題問題って言う割にシリアスに取り組んでるとは思えないし、そもそももっと調査をしなきゃいけないと思うんだよね。で、また下流社会みたいな、馬鹿が書いたような本が売れちゃって、馬鹿がそれを読んで信じちゃって誤った認識が広まっちゃうっていう、なんか悪循環だし、メディアもそれを担ってるようなところはあるよね。一方でちゃんと問題として取り上げているのもあるから、一概にメディアなんつって大雑把に語れないのは、それは引き篭もりを大雑把に語れないのと同じことなんだけど、そろそろ自分たちも含めた社会全体が単純に引き篭もりとかニートだとかっていう言葉を安易に使うのをやめたほうがいいよね。安易な一般化って大抵マイナスに作用するからっつーかすでに作用しまくりだとは思うんだけど、逆にそれは引き篭もりを擁護する側も、もっと的確な定義を使って語っていかないと要領を得ないと思うんだよね。その辺が適当なままなんでなんかIKKOに解決しないっつーか話が先に進まないっつーか。実際に引き篭もりっつってもロクでなしもいるし、精神Yummy系もいるだろうし、クリエイティブ系もいるだろうし、天才肌系もいるだろうし、色々でしょ。そりゃニートも同じことだと思うんだけど、なんでそうなったのか?なんてことも全体では語り切れないぐらい種類が多様化してるんじゃなくて元々多様性があったのに、まるでIKKOのダメ人間の塊みたいな扱いしかされてこなかったから、んだから余計に人々と本人達の意識の乖離がヒドくなっちゃうんだよね。こないだの中年と若者の話とちょっと似てるかもしれないけど。「大人は判ってくれない病」になってるやつらっていっぱいいると思うんだよね。それがこないだ書いたようは、人間の多様性が過去に比べて多くなっているのにも関わらず、社会の枠組み自体が古いままなんで、ラグが生じてるっていうさ、これの場合、マテリアル・ノンマテリアルの問題じゃなくて人間性の多様化ってことなんだけど、そういった状況になってしまうような人間を生み出してしまったがために引き篭もりとかニートになったような、ようは社会が生み出したようなタイプの連中もいるだろうし、所謂、人間の多様化の一つとしてのまぁ例えばクリエイティブ型とか天才肌型が引き篭もりになってしまったとしたら、それはそういった人材を活かしきれていない社会の枠組みに問題があるわけだけど、まぁ前者も結局、社会が生み出した人間を社会が受け止める枠組みが無いという意味では両方ともその社会構造自体に問題があるというか、多様化に追いついてないっていうことなんだけど、その辺ってマジで日本社会は鈍いからダメなんだよな。政治家なんかには当然期待できないとしても、少なくともそれは人々が理解しないとダメでしょう。彼らだってやりたくてやってるわけじゃないんだしっつってもやりたくてやってるしょーもない連中もいるから、まぁ一概には言えないんだけど、ようは葛藤タイプの引き篭もり・ニートは怠け者ニートとは違うわけだしさ、一緒にされるから余計葛藤型は余計葛藤しちゃうわけだ。こんだけ色々考えてるのに社会の認知はダメ人間だっつって、前のCooleyの鏡理論じゃないけどさ、そういった社会のネガティブな反応からまたさらにネガティブな人格が形成されてしまうっていう悪循環になっているわけで、んだったらとりあえず身近な人でもいいから理解してあげないとダメだよね。そういったネガティブな反応というのがネガティブな人格を形成していくわけだから、これは一刻の猶予もならないことなんだよね。抜き差しなら無いわけよ。姜さん風に言うと。あーもう寝なきゅ・・・、ようは問題はそういった人達が異常に増えているという現状がおかしいわけでさ、それに社会の枠組みが対応していかなきゃいけないってことなのに、IKKOに世間は彼らをダメ人間扱いしているこの状況自体が悪い循環を生み出しているってことなわけよ。いやね、いつの時代も一定のアウトローみたいなのはいますよ。ところで俺はよくよく考えてみると恐らくこのアウトロー型だと思うんだけどね。ただそういうアウトローでも無い人間がね、しかも物凄く優しくて繊細だったりする人達が、引き篭もりになっちゃってりしてるってのはね、構造に多様性を受け入れる枠組みが無いってなわけだけど、なんだかね、マッチョな人ばっかなのよ。社会でやってってるのって。それこそさっき書いたようなマッチョ型タイプの人間達。ただ実際、人間って全部が全部そうじゃないんだからさ、で、そうじゃない人間に対して「努力が足りない」とか言うのなんてもってのほかなわけだからさ、もっと考え方変えないといけないよね。恐らくマッチョな連中は脳まで筋肉だろうから、繊細タイプのことなんて気にしないだろうけど、とりあえず俺らは変われるよね。まぁ俺らっていうのは変か。俺は当事者だから。まぁ普通の人々ね。そこでやっぱあれなんだろうな、日本って社会問題とか政治問題に鈍いから、だからダメってのもあるんだろうなー。で、レッテル貼りするのが一番楽だから、レッテル貼ったままでいるっていう。ただね、俺がいい例で、こっち来る前はダメ人間だと自分でも思っていたし、家族以外の周りから言われるようなことが多かったわけだけど、いざこっち来てみるとメルブルックスもビックリな逆転人生ですよ。それは前にも書いたように、日本ではダメ人間、こっちでは人気者のビルって感じで、生活する社会が違うだけでこんなにも違ってくるわけだから、いかに日本社会がそういったマッチョじゃない人達に対して閉じられているかっつーのがね、あと社会自体が才能を伸ばすとか人を育成するってことに長けてないんだよね。だから俺が思うに日本の引き篭もり・ニートには相当な数の潜在的な隠れ耳蝉がいっぱいいると思うんだよね。本人はそこまでダメじゃないのに社会の扱いがダメってことで自分もダメって思っちゃっている人達ね。ただみんなニューヨーク来るわけにもいかないし、全てが全て海外行って解決するわけでもないからアレなんだけど、ただいい加減に安易な一般化と差別はやめたほうがいいって思うわけね。ホント、あれだよね、職場って多様化していかないとマジでダメだよ。それはアメリカ的なフレキシブル制みたいなのでもいいんだけど、基本的に他人に別の価値観をインポーズしてそれに従わせるっていう、ヒエラルキー臭い封建的なやり方もうやめたほうがいいと思うんだよね。だから日本の会社ってどんどんダメになっていくんだよ。人材育成が下手糞で、みんな井の中の蛙みたいな感じで独自のルールでやってるから世界に勝てるわけが無い。まぁそんな意味でも俺は日本の会社に入るぐらいだったら樹海を選ぶけどね。あーこういう話すると日本での生活を思い出すなぁー・・・。ほぼ毎日自殺のイメージをしてるわけよ。別にこっちに来て成功したとかってわけじゃないんだけど、あまりに生活がまともになったというか、人並みになったってことで、その日本のときの自殺のイメージをしているとかさ、泥酔しつつ睡眠薬をかじりながら死の王見てウットリしてるとかさ、そういう生活と比べると、そのレンジが凄まじいからだから逆転人生なんだよね。まぁいいや。ってことであれですね、鬱病とかパニック発作になっている人達ってのは、大抵は内面的なものよりも、日本の無理がある職場とか構造っていう外的な影響から発病しちゃったって人が大半だと思うんでね、基本的に本人達が気負うことなんて何も無いわけですよ。だってそんな気が狂うようなシステムを持ってる社会が悪いんだから。人間が狂う社会って相当なもんだよ?マジで。でも真面目な人は「何でこんな風になっちゃったんだろう・・・」っつって自分を責めたりするわけでしょ。ホント、理不尽としかいいようが無いよね。ってことでもう寝るわけだけども、最後になるけど、いつも思うのが前にも書いたように、アメリカで精神病患者が増えてるってーのと、日本のそれとではエッジが違いすぎるんだよね。日本は相当ハードコアに病んでますからね。あーデュルケルムの自殺の種類とか自分のおさらいの意味も含めて書きたくなってきたけど、もうダメだぁー!!宿直っ!!今日も遅くっつーか朝早くなっちゃったけど、脳の膿を出せたんでプラマイゼロです。って昨日の明け方に書き終えた割に更新が面倒になってやらなくて、ここからは日曜の夕方ぐらいに書いているわけだけど、キチガイって言葉にね、ヴィン感に反応したわよね。これがなぜ差別発言なのか、キチガイ本人にも分からない。例えばなんたらキチガイってのは、それに狂ってる人ってことで、映画キチガイとか音楽キチガイとか言うわけじゃない?これはただの狂っているということの表現の一つなわけで、差別用語でもなんでもない。ところでキチガイがなぜ差別的なのかっていうと、ようは精神病患者達に対する差別ということなわけで、キチガイという言葉が差別的なのであれば、俺も十分その被差別側なわけだけど、どうもこういう言葉狩りというか、差別差別だって言わなくするという風潮はなんだか臭いものに蓋をしろ的な感じがして凄く嫌なんだよね。それはさっきっつーか昨日書いたニートの話でもそうだけど、ニートって片付けることでもう終わりにしちゃうっていう一種の思考停止状態があるわけじゃない?それは精神病患者にしても同じで、あの人達はキチガイなんだけど、キチガイっていうと怒られるから言わないようにしましょうなんてね、まだキチガイ扱いされてたほうがマシじゃんって思うのは、表現としてキチガイがあるほうが、まだ人々の中に狂った精神病患者達が存在しているわけでしょ?ただキチガイという言葉を無くすということは、もう彼らのことを一切考えないというか、存在を消してしまうという、ようはタブー視することなんであって、根底に差別を無くそうなんていうステートメントは無いわけよ。タブーだから言わないっていう、ただそれだけ。それだったらもっとキチガイについて知るほうが建設的だと思うんだよね。キチガイにもどういうタイプのキチガイがいるのか?俺みたいに精神病がありつつも重度ではないんだが、基本的に慢性的に情緒不安定で精神薄弱で性格も変わっているというタイプのキチガイなのか、先天的な疾患でキチガイ扱いされてしまうのか、普通だった人が何かの研究とか宗教に没頭するようになってからおかしくなったのか、キチガイにも色々あるでしょ。俺から言わせてもらえば、精神病患者サイドから言わせてもらうと、カルト教団だとか消費者のことを一切考えない企業だとか国民のことを考えない官僚だとか、ああいうほうがよっぽどキチガイだと思うわけで、そういった意味での連中を表す言葉としてのキチガイはあるべきだと思うんだよね。誰がキチガイが精神病患者だけだって決めたわけよ?普通にしているキチガイだっていっぱいいるわけでしょ?あんまそういう安易な一般化ってマジで良くない。俺が思うに医学的な理由で狂っている人達より、本人たちの意思で逸脱したような行為を働く正常な人達のほうがよっぽど狂ってると思うわけだけど、悲しいことに社会ってのはそういった狂った連中によって動かされてるわけで、損をしているのは我々国民なんだよね。あとやっぱあれ、キチガイって言っちゃいけませんって言う前に精神病に対する理解をもっと深めるべきだね。どうも精神病ってさ、人前で言えないとか、薬飲んでるとかって言えないとかさ、そういうのあるじゃない?キチガイって言っちゃいけませんとか言う割に人々の認識の中では平然と差別が行われているわけで、そういう意味だと差別的な言葉を無くそうなんていうのは表面的なことで、実際は何の根本的な解決にもならないってことだ。だから俺は逆にっつーか過去の色々な経験もあって秘密ということを無くすとか、なんでも人に言うとか、本当のことしか言わないとかね、そういうのを生きながらにして実践しているわけだけど、例えば精神病にしても、俺は学校でそういう話題になると俺は抗鬱剤精神安定剤を飲んでいて半ば中毒的だなんてことを平気で言うし、むしろそういった話をしてからの周りのリアクションというのに凄く興味があるんだよね。そこでもう俺に話しかけてこないとか、ヤバイやつだみたいな距離を置いた態度をとってくるやつは恐らく理解がないやつらだろうし、それでも別に関係なく関係をキープできるやつらは偏見の無いやつらかもしれないし、とにかく俺が言いたいのは、人に何かマイナスなイメージを与えるんじゃないか?なんていう自己抑圧みたいなのをなくして、ガンガン自分を出していかないと、どんどんダメになっていくってことなわけだよね。精神病だということをマイナスだと思うこと自体がすでにもう自分を否定しているわけでしょ?そうじゃなくて肯定していきつつ、もうマイナスだなんて思わないで、あえてまぁ人に言う必要も無いんだけど、あえて別に隠さないっていうそういう後ろめたい気持ちみたいなのを無くさないといけないよね。そういったことを俺はいつもオナニーに例えていて、誰でもやっていることなのにみんな隠したがるっていうそれ自体がうそ臭いから、オナニーをしないとか言ってるやつは絶対嘘つきだって思うし、そういうやつとは付き合えないって思うんだけど、なんつーかその全部グラスノスチしちゃったほうがいいと思うんだよね。隠したり後ろめたいとか思ってるからいつまでたっても短所が短所なままなわけ。そうじゃなくて短所も長所も全ては自分だっていう認識が必要でさ、そもそも短所・長所なんて概念自体が外的なものでしょ?そりゃ一般的な定義で自分が長所と思っていることが社会的には短所かもしれないってこともあるわけでさ、そこを世間に無理やり合わせて短所を治さなきゃとかって無理に思う必要は無いと思うんだよね。例えばそれがあからさまな、例えば人の話を聞かないとかさ、気が短いとかさ、そういうのはアウトよ。ただ例えば口下手だとかシャイだとか手が不器用だとかさ、そういうのって短所かもしれないけど、短所ってわけではないよね。だってそういう人達って逆に話が上手くて社交的で手が器用な人達には無い長所があったりするわけでさ、そうなるとようはもう長所短所というよりその人ってことになるじゃない?だから基本的に自分の考え方として、育成ゲームのキャラクターみたいなのをイメージすればいいんだよね。元々の数値が偏っていて、体力とか力が無いけど、例えば感性があるとか知性があるとかだったら、そこにリソースを使って伸ばせばいいわけだし、そこを無理に「普通はこうだから」っつって向いてないものに無理にリソースを使うことは無いわけだよね。そこは自分なんだから自分の育てたいように自分をエディットしないと。ってことで他人から普通とは違うからなんてことで差別されるなんてことがいかにおかしいってことはね、だって他人の育成ゲームに他人が口出しできないでしょってことなんだよね。そこで相当な逸脱とか違法行為とか人に迷惑かけるようなことが無い限り、ちゃんとしたモラルの中で個々の育成ゲームが出来ていればそれでいいし、それをやってる人達を批判するなんてことは出来ないでしょ。で、社会ってのは個々が育成ゲームに専念するためのリソースを最大限提供したり、個々がリソースを最大限に活かせるようなものであるべきなわけで、そこでんじゃあさっきの話を繋げると、精神病患者ですってことで社会的なリミットがかかるなんてことはずいぶんとおかしなことなわけだよね。ただ今の精神科とか心療内科って、既存の社会に逸脱した人達を順応させるための対処療法しか出来ていないところばっかでさだから根本的な解決が無いんだよね。で、逸脱した人達を薬漬けにして、とりあえずはまぁ丸く収まるかなっていうような、そんな感じ。これってさっきの育成ゲームで言うと、個々が自由に使えるはずのリソースを、社会にアダプトするために使いなさいって遠まわしに精神科が言うわけだよね。患者に。だからいつまで経っても患者達はそのリソースの無理な使い方に葛藤するし、無理な使い方に耐えれるような体を作るための薬の中毒になっちゃう。こんなんじゃいつまで経っても病気は治らないよね。これって教育も似たようなもんで、子供たちには潜在的な無限なリソースがあるのに、学校側がルールに従わせようとして、決まった形でしかそのリソースを使わせなかったり、使い方を教えなかったりするでしょ。で、結果的にみんな型にハマっちゃうって紋切り型人間が大量に社会に出るわけだけど、ここでまぁ必要なのがシンプルな言い方をすると多様性だよね。教育にも個々の子供たちの能力を見極めて最大限に活かせるようなシステムが無いといつまで経ってもダメでしょ。もちろん読み書きとかね、クリティカルに考えるとか読むみたいな、まぁアメリカみたいになるけど、そういう基礎的な能力を身につけさせるための教育は必要よ。ただそれと同じぐらい重要なのが個々に根ざした教育のシステムってことなわけでさ、まぁ限界があるにしても、特に日本の場合、少しはもっと広げることが出来るんじゃない?って思っちゃうね。元があまりに狭いんで。で、んじゃあ体や精神に障害がある人達にとっての社会ってどんなもんか?っつーとリミットだらけでしょ?それだけで出来ないことがいっぱいある。実際出来ないことはあっても、他の人が思っている以上に出来ることもあるはずなのに、そういったことを提供する社会の枠組みが無いし、本人たちが希望するようなことが出来るような仕組みも無いし、人々にもそういった認識が無いから、結局、臭いものには蓋をしろってことで終わっちゃう。考えないのがベストみたいなね。社会に多様性が無かったらその先にあるのは破滅ですよ。っつーかあれだよね、ようは精神病患者とかハンディキャップの人達も含めた個々がいかにディーセントな生活を送れるか?っていうのが社会システムのポイントでしょ。俺は貧困ってのは世界から無くならないと思うしオバタリアンな割に平等なんてものは信じていないけど(理念の次元では信じているけど)個々がまともな生活を送れる社会構造というのは貧困を無くすとか平等を目指すなんてことに比べたらよっぽど現実的で出来なくない話だと思うんだよね。個々にちゃんとした平等な機会がある上での格差ってのはしょうがないと思うけど、平等な機会が無い上での格差ほど残酷なもんは無いからね。ホント、あれだよね、だいぶ昔だけど小学校だかの運動会の徒競走で競争させないでみんなでゴールするみたいなのがあったじゃん?いかに平等って言葉を履き違えたアホ左翼が多いかっていうことの良い例の一つだよね。あいつらもなんも分かってないんでさっぱり教育が変わらない。結果の平等なんてそれこそ全体主義だってことがなんで分からないのかな?あいつらはロシアとか中国みたいな国づくりを目指しているのかな?まぁああいう連中にこそ「キチガイ」という言葉がふさわしいと思うけどね。ってことで頭が痛くなってきたからそろそろやめるわ。膿を出しすぎるのもまた脳に良くないのかもしれないねってことで今からまた膿を溜めるプロセスに入ることにします。抜き過ぎると体に悪いのと一緒だよね。膿を出しすぎると頭が痛くなる、抜きすぎると金玉が痛くなる、みたいな感じで人体ってのはよく出来てますね。「ヤリ過ぎはよくないのよ?」って教えてくれるわけだから。金玉を息子って最初に呼んだ人は天才的だね。かなりインディペンデントな存在だからね。金玉は。恐竜とかさ、胃だが腰のあたりに第二の脳があるというけど、人間っつーか男とか女ってのは性器に脳があるんじゃないか?って思うことがあるね。だからなかなか性欲をコントロールできないのは、脳とは独立した「ヤリたい器官」が勝手に考えてるからなんだよね。だからダメだダメだとか思ってても電車でエレクトしちゃって、腰が引けた歩き方をしちゃうとかね、だから政府もポルノとかに規制かける前に馬鹿女のファッションに規制かけたほういいよね。風紀を乱すような服装はしてはならないって。別にミラーマンとか痴漢を擁護するわけではないんだけど、痴漢にあう側ってのがムラムラなオーラを発してたらそりゃ発してる側にも責任があるよね。似たようなパラダイムの話が社会学の授業であったような気がするけど、まさしくそうだよね。でもなんなんだろう、アメリカ人って性欲高そうなやつばっかだけど、あんま逸脱した変態行為に出そうなやつが少ないっつーか、日本だと田代まさしに代表されるようなマジでヤバいキンキーなやつがさ、あんまいない感じがするんだよね。潜在的にはいるのかもしれないけど、日本って女も性欲の塊みたいな馬鹿なやつも多ければ、凄まじい妄想を持った変態男も多いってことなわけで、そういった連中を生み出す社会のバックグラウンドってなんなんだろうな?って凄く思うよね。アメリカでブルセラとかってそんなメジャーじゃない感じがするんだけど、日本って愛好家多いもんね。しょっちゅうニュースで靴盗んだとかパンツ盗んだとかってあるじゃん?すげーキンキー大国だなって思うんだけど、これから日本のことをキンキ地方って呼ぶことにするよ。思うになんとなくだけどドイツもキンキ地方のようが気がするな。マニアックなポルノサイト多いもんね。ドイツ。あれってやっぱ国民性プラス社会なのかな?ドイツ人って真面目で勤勉で繊細で・・・みたいなさ、ジャザノヴァのミックスとか聞いてると日本人っぽい繊細さが目立つのって日本との共通点のようが気がするんだけど、ああいう抑圧された社会で生活している真面目な人達って、一気に何かが噴出しちゃって変態行為に走っちゃうのかもしれないね。2週間ぐらいヌイてないからレイプしちゃうみたいな。毎日抜けてたらそんなことないんだけど、2週間オナニーしちゃいけないって言われてるからその間の抑圧されていた期間に育まれた欲求が凄いみたいなね。それが噴出しちゃうみたいな。それってあれなんだよね、イギリスの厳格な学生寮とかで育ったブルジョワとかにもSM趣味とかの変態趣味を持った連中が多いのって、過激なディシプリンによって生まれた逆流した欲求なのかもしれないよね。だから大人になってもスパンキングしてほしいとかさ、痛めつけられたいとかさ、元々セックスしまくれる人達だったらあんま考えないような欲求が抑圧された状況から生まれちゃうわけ。あーなんだか懐かしい感覚だ。一時期、ホント、こういう変態文化とか性文化の本読みまくってたからね。だから俺ってフリーセックス派なんだよね。それはパブリックな場で淫乱な格好をしていいということではなくて、安全管理をしっかりしていればヤリまくってもいいんじゃない?って思うのね。俺は全く興味ないけど、抑圧されてるよりヤリまくったほうがいいと思うわけ。だからアメリカの洋モノの薬物乱交ビデオとか大好きなんだよね。俺。あーこれこそ人間の本来の形だよなぁーって凄く思うんだけど、まぁ一時期のヒッピーのフリーセックスみたいなのと似てるかもね。基本的に人間がヤリたいって思ってることをなんかの規範で無理やり押さえつけるべきではないと思うんだよね。それは別に人殺しをしていいとか犯罪行為にコミットしていいということではなくて、普通の生活の中でだったらなるべく最大限の自由が保障されて然るべきだって思うわけ。それを逆に変に押さえつけることで、イギリスのブルジョワみたいな変態が作られてしまうんであれば、最初っから抑圧なんてしなけりゃいいじゃんって思うわけね。基本的におっさんとかが女子高生のコスプレをさせてファックするのを楽しんだりしてるのって、学生当時にヤリたいと思ってたんだけどファックできなかった女子学生っていうイメージが頭にこびりついてるからだと思うんだよね。ああいう思春期の抑圧されたイメージってのが人生全体の性の欲求の一つとして焼き付けられちゃってるわけ。そういう意味だとアメリカではそこまで女子学生が高嶺の花じゃないっつーかヤリたかったらヤレるようなスポーティーな環境があるから割と健全でいられるのかな?って思ったりするわけね。セクシャルスポーツっていうかさ、セックスがコミュニケーションの一環みたいな、そんな感じがあるもんね。アメリカのドラマとか映画見ても分かるようにやつら簡単にファックしすぎなんだけど、たぶんあれでいいんだと思うんだよね。あれが本来の人間の欲求というかなんというか。それを押さえつけて変なところで逆流するよりかは最初から押さえつけないほうがいいってことで、オナニーも出来る限り毎日やったほうがいい。俺なんてオリジナル妄人であっても絶対痴漢とかやらないなって思うのは基本的に外出る前は抜いてるからなんだよね。だから外に出てムラムラすることが無いわけ。逆に抜かないと欲望の目つきで女を見ちゃうから、そういうのが嫌だってのもあるんだけど、これは水道橋博士が言ってたんだけど、オナニーすると世の中をピュアに見ることが出来るっていうけど、まさしくその通りなんだよね。松ごっつのコントでもさ、道場破りに来た人形と松ちゃん扮する道場の師範のやつでさ、「いやぁーねー溜まってるビデオとかも見ないといけないわけだよー。いやーねー彼女が来るんだよー。だからねぇーその彼女に会う前にそういうことをしていけばちゃんと彼女と接することができるんだよー」なんてセリフっつーかまぁ松ちゃんのアドリブだろうけど、まさしくその通りなんだよね。基本的にオナニーほど便利なもんはないですよ。タモリが言ってたけど、ポータブルだし、抜いておけば性犯罪に出る確率も少なくなるだろうしってことで日本の風俗産業は素晴らしいと思うんだよね。素晴らしいガス抜きならぬ精子ヌキ的なザーメンゴートになってるわけでしょ?カトリックの教祖とかが子供とファックしてたとかさ、ああいうのってさっき書いたディシプリン型の変態ファックだと思うんだけど、それだったらカトリックの教祖なんかは定期的に日本に来日して、ロリコン系のコスプレをしてくれるイメクラに行って、抜いてもらえるだけ抜いてもらえばいいんだよね。金はいくらでもあるんだろうし、スッキリしてまた業務に勤しんだほうがいいわけじゃない?あと抑圧系だとアーミーとかプリズンでのホモ行為とか、坊さん同士のホモ行為とかさ、まぁ別にゲイを差別するつもりはないけど、抑圧されてるとストレートでも穴だったらどんな穴でも入れたくなっちゃうっていう良い例なわけでしょ?従軍慰安婦問題なんてのがあるけど、あんなもん日本だけの話じゃないからね。だからって日本軍が正当化されるわけではないんだが、隠蔽されているケースなんていくらでもあるわけでさ、特にそこまでチョービックディールでもないんだよね。世界中で行われているわけだから。なんつったって抑圧されればどんな穴でも入れたくなるのが人間なんだから、それは師匠2風に言うと自明の理でしょ。だから合法的な売春を提供する組織は必要だし、それが無けりゃそりゃ民間人をレイプしちゃうのは当然なわけだね。従軍慰安婦問題の核の一つってここだよね。民間組織が売春を斡旋してたのか、軍が強制連行してたのかってところでしょ。でもこういう話になるとどうも全てが強制だったとは思いづらいんだよねっつーのも戦争なんていうクレイジーな世界では一般的な道徳的な概念なんてのが通用しないことが多いわけでさ、そんなエクストリームな状況の中での売春の需要なんてのは凄まじいわけで、仕事が無かったってのがあるにしても、進んで娼婦をしていたって人がいてもおかしくないよね。相当稼いでた人もいるらしいし。貧乏な家の人が借金のためにソープに売られるのってかなり惨めだけど、高級娼婦って惨めじゃないでしょ?ハリウッドのセレブなんかが御用達の高級娼婦って一回に何十万ってもらうらしいからね。羨ましいって思う人もいるんじゃないの?まぁそれは両方だけどね。セレブになりつつ名器に入れたいっていう男とファックでそのぐらいの金もらいたいっていう女と。ってことで従軍慰安婦問題っつーか日本に限らずだけど、まぁ歴史全般に言えることだけど、これは右翼とか左翼の主観的な判断が必要なんではなくて、歴史的な事実が必要なんだよね。それこそウェーバーの言う中立的な観点よ。だから俺としてはなんとなくだけど、強制もあったかもしれないけど、それと同じぐらい任意もあったんじゃないかと思うわけね。とにかくアジア問題になると日本のみならず韓国とか中国のエクストリームな歴史修正があったりするし、特になんか別に日本を擁護するわけではないんだけど、特に中国政府ってマジで信じられないからさ、自虐史観についていけないってのもあるよね。被害者の数を捏造とか事実を捏造とかしてるんだから、仮に中国側が被害者だったとしても、二次的にやってることは犯罪的なんだから残念ながらその中国政府の馬鹿さ加減によってプラマイゼロになっちゃってると思うんだよね。日本も悪かったけど、その後の中国も悪いっていう。ちゃんと正当な理由で日本を告発してればこっちも下手なこと言えないのに、色々と捏造してくるからまた問題が生まれるんだよね。んだからどっちの責任って感じでもないよね。これは。むしろ問題をこじらせてるのって中国側のような気がするし、特に反日教育とかありゃキチガイの領域だからね。マジで。こっちでもさ、韓国人とか台湾人と話すのはそこまで怖くないんだけど中国人はちょっと怖いんだよね。もしバリバリの反日の人だったら、どんなこと言われるか分からないでしょ。いや、これは差別でもなんでもなくてね、ようは中国政府によってバリバリの反日マシーンと化した人に「僕は日本人ですが」って言うのが怖いっていうことなだけよ。だからそこで「僕はリベラルな日本人ですが」って言わなきゃいけなくなっちゃう。まぁそんなの関係無いか。まぁ事態は極めてオッパッピーだってことだ。今、股が死にかけの野良犬みたいな臭いがしてたんで、局部的洗浄をしてきた。株式会社クラミジア。有限会社カンジタ。宗教法人淋教。ノンプロフィットオーガニゼーションコンジローム。総合病院トロジャン。パンダのパンパン。行列が出来るザーメン屋さん。輸入無臭ザーメン。コキロマンティック。DIY精神。こうなるとアーナル。想像壮絶妊娠的極限流究極性技万栗返し。クリの花とクリトリス。スリストス。ディーサイドじゃなくてディーセントっていうモラルを語るデスメタルバンドを結成したい。「うぉーーー!!!ヒューマニズムぅ!!共生社会ぃー!!」みたいなのをデス声で。イカパンツをマシェリで消臭することをマシェるといいます。不細工は体操で治ります。「ボール遊び」という金玉をいじくるだけのAVをいつか撮りたいと思っています。アイデアマンですよ。僕。いくつか撮りたい映画もあるし、書きたい小説もあるし、撮りたいAVもあるし、音楽は割と作れているわけだけど、アイデアマンですよ。僕。慶応アートマンVS怪人東大男。東大根暗し。基本的にオリラジみたいな芸人のことを好きになれないのは、芸人の癖に自分の事をかっこいいとか思ってる、特にあの気障なメガネのほうのせいです。Youtubeでなんだか生放送のラジオで喧嘩しているのを見たっつーか聞いたんだけど、あれって完全に自分の事をかっこいいと思っているから怒ったんだよね。「変な顔」って言われることに対して芸人が「恥ずかしいだろ。みんなの前で」なんて言って怒るなんて考えられませんね。最初から好きじゃなかったけど、やっぱ俺の勘は当たってんね。あっちゃんのほうがソロでやったほうがいい。で、メガネのほうはソフトオンデマンドとかのAVに出たほうがいい。武勇伝とかいうタイトルで。自分の事をかっこいいって思ってるやつって本当に始末に終えないよね。始末に置けないっていうの?分からん。週明けっていうのも週頭のことを言うのか、日曜日のことを言うのか分からん。自分の事を可愛いと思ってる女もしかり。こないだ学校帰りのサブウェイでさ、座って待ってるときにひじうちを何回もしてくるやつがいて、そいつのほう見たら、ジャパニーズっぽい女が上着着ようとしてて肘がガンガン俺に当たってるんだけど、何も言ってこないのね。まぁ俺は無視しまくってたけど。でもなんか俺のほうチラチラ見てきてさ、声でもかけてほしかったのが、ファックでもしたかったのか分からないけど、「こんな可愛いあたしの肘うちを食らって何も言わないわけ?」みたいな態度全開で無視に全力を注ぎましたね。歩き方とか振る舞いも完全に自分が可愛い美しいと思ってる慢心たっぷりのマンマンなビッチでした。これだから俺は女が嫌いなんだよな。ホント素敵だ!って思える女の人が本当に少ないから、姫みたいな素晴らしい人がいても、ダメな女たちでプラマイゼロみたいな。楽ですよ。俺みたいな生活。彼女いない歴とかって気にする必要もないし、そもそも彼女がいるとかファックしているとかっていうことを気にしなくていいんだから。もっと達観しちゃってるわけよ。いつも書くけど、そんないるわけのない幻想の女に妄想を抱いている時間があるんだったら、ほかの事をやったほうがよっぽど建設的ですよ。だから恋愛なんて時間の無駄です。そもそも恋愛なんてものは幻想なわけです。本当の恋愛なんてものが存在すれば、それは紋切り型みたいな恋愛の形態ではなく、極めて普通の人間関係でしょうね。本人たちも恋愛っていう意識が無いぐらい普通の人間関係。そういった関係を持てる女性がいれば、それが生涯の伴侶となったりするんでしょうが、まぁ確立は低いよね。っつーか基本的に恋愛恋愛とか言ってる時点で見つかるわけが無い。だってフォーカスしてる部分が違うんだから。もうそろそろいいかなぁー。なかなかウォール伝クオリティの長さになったね。ヴィヴァ週末!ですよ。時間があるんで膿を出せる。ただもう週末終わりなんだよなぁー。終末婚。んじゃあ俺はフリーな時間に何がしたいんだろう?っつーと大抵は時間に流されてるよね。ミスターDHTの逆襲!戦う頭皮!DHTvsDHC。乾燥大麻入り新感覚ポッキーすてぃっきーいっきー絶賛発売中!

クーロンズ・ゲート

クーロンズ・ゲート

どーでもいいけど、クーロンズゲートのサントラ、どっかが再発してくんねぇーかなぁ?音楽的に歴史的ですよね。これは。持ってないわけだけども。抜きつつシラける、シラけつつ抜く。
by朝立ち彰。