「僕のブログは最近人気なんです」。

mimisemi2007-11-21

今日は相変わらず凄かったなぁーってのもさ、例の頑固親父の授業でまたどーでもいい内容のエッセイを書かなきゃいけなくて、その内容ってのが、大学はリベラルアーツ教育を行わせるべきか、もしくは一つの科目のみを集中的に勉強するべきか?ってーのでさ、俺ももういい加減このアメリカンな頓知合戦に嫌気が差してたから「なんで必ずどっちかって決めなきゃいけないんですか?そんな必要はないはずです。フレキシブルに生徒のニーズに大学が答えればいいだけの話じゃないですか」って先生に言ったらまたカンカン。「そんなこたぁー聞いてないんだ!このプロンプトに従え!君の意見なんて聞いてないんだ!」ってなわけ。クラスでもこんなこというの俺だけなんだけどさ、授業後に「シュンイチ、ちょっと話があるから残ってなさい」って言われてさ、んでその授業やってた教室の後にすぐ授業があるらしくて、わざわざ空き教室を使ってまで呼び出しを食らったんだけどっていうか、まぁもう一人例の可愛い日本人の女の子のエッセイを先生が見ててさ、まぁ俺の呼び出しだけじゃなかったんだけど、その女の子のエッセイについてのやりとりが終わった後に、まぁその女の子は教室から出てさ、んで先生と二人きりになったんだけど、エッセイのことを言われるのかなぁーとか思ってたわけ。そしたら全然違くてさ、開口一番「キミはここで何をしたいのかね?」なんて言われちゃってさ、ようは先生はACTテストっつーライティングのテストにパスするためのやり方を生徒に教えているだけなのに、いつも俺は問題提起や質問ばかりをしすぎるっていうんだよね。で、先生もキツイけど紳士だから、「君の言うことは恐らく間違っていないかもしれないよ。いや、それは分からない。ただキミは今、アメリカのカレッジという場所にいて、ACTテストにパスしないと先に進めないという状況があるんだから、やるしかないだろう?」なんていわれてさ、全くその通りで俺は大きく頷きながら「イエスエスエスエスエスエス」言いまくってたんだけど、個人的に先生も俺が何を言いたいのかというのが気になったらしく、「まぁそれはいいとして、キミは大学に何を求めているのかね?」なんて言われちゃってさ、で、答えたかったのが、昨日書いたURLにあるような内容のことだったんだけど、俺の英語は凄まじくプアというかもう緊張しちゃって全然ダメだったんだけど、大雑把に「単純な記憶ではなく、サブジェクトにおける閃きや発見や認識の拡大などを求めていたり、あとは教師からの刺激ですね」先生「刺激とは何かね?」俺「ようは凄い先生から知的な刺激を受けたいんです」なんて答えたらさ、ようはこれって前面的な先生への、そしてコミカレへの痛烈なダメ出しじゃん?だから先生もノーコメントな感じでさ、とりあえずまぁここではテストに受かるしか方法は無いんだってことに行き着いたんだけどさ、あと先生は俺の物事の一般化についてこれまた個人的に気になっていたらしいんだよね。ようは夏の午後に子供達のためにバスケットボールチームを設立するのがよいのか、パソコンのセミナーを開くのがいいのか?というエッセイで、セミナーを選んだときに、なぜそれを教育問題に結びつけたり、貧困問題に結びつけたりするのか?ってのが本当に理解に苦しむらしいんだけど、こういった傾向は先生曰くフランス人に多いらしいってーのはフランスの教育では哲学なんかに重点が置かれていたりするので、ようは物事をダイレクトに書いたりせずに、抽象的に書いたり、大きなパラダイムで書いたりする傾向にあるらしいんだよね。そうは思考的ってことでしょ?で、俺も恐らくそのティピカルなフランスの学生のように、馬鹿みたいな子供の体の発育がどうだとか、ギャングから身を守るためだとか、そんなことは書かずにもっと大きなパラダイムで色々書いちゃうんで、それが先生には物事の一般化に見えるらしいんだよね。だから先生曰く具体的な、例えばバスケットボールチームにしたら、どういった利点があるのか?ということを述べなきゃいけないのに論点がずれているということなんだよね。たださ、恐らく日本人全般に言えると思うんだけど、そんなことをさ、あえて語ったりしないじゃない?「いや、バスケチームのほうがいいよ。だって保護者がいたり成長期の子供にはピッタリじゃん!」とかって言わないでしょ?「そんなのどーでもいいよ、まぁあえて言うならセミナーじゃない?バスケチームなんて作ったところで今時の子供は入らないでしょ」で終わるよね。エリートはともかく大半の日本人ってこう思うと思うんだよねっていうことに気がついたのは後にまぁURLを書くけど、あるまぁブログを読んで思ったことなんだけどね。ってことで俺が直面している問題というのは俺の頭が悪いとか英語力が無い(それもあるけどね)とかいうよりかは、もう根本的な物事の考え方が、アメリカンエッセイに適してないってことなんだよね。まぁそれは前にも書いたかもしれないけど、でもこれを修正するのっさ、東洋人に欧米人型の思考法になれって言われてるようなもんでしょ?キツイよね。だってそんなのどーでもいいじゃんで終わっちゃうような問題をあえて語るなんてことは東洋人はしないじゃない?どうよ?何か浮かぶ?リベラルアーツがいいか、ある特定の科目がいいかにしてもさ、無理やり利点とかをひねり出すよりは、もう単純にその人の考え方に依存するじゃない?で、俺の場合はフレキシブルでいいんじゃない?ってことだったり、やる学科をちゃんと決めてる人がやりたくもない学科に労力と時間とお金を費やす必要は無いんじゃない?ってところでさ、まぁ書いたわけだけど、ただまたなんか言われるんだろうなぁー・・・・。そういうことじゃなくてもっと具体的な一つの学科を勉強することに関する利点を書けとかって言われるんだろうなぁー。ただそんな利点なんて個々に依存するわけで、あえてひねり出したり出来ないじゃんね?そこを利点ってことで無理やり引き出して「こういった利点があります」なんて書くのって、そっちのほうがよっぽど物事の一般化じゃん!ってすげー思っちゃうわけ。俺って大学でやっていくには頭が良すぎるのかな?みんなアホだからああいうルールに沿ってやっていけるっていう。だからこんなの無駄だって分かっちゃう人はさっさとドロップアウトしちゃうっていう。まぁ半分ジョークだけど半分シリアスですよ。マジで。師匠2も最初は大学があまりにもくだらないんでドロップアウトしたらしいからね。まぁ俺と師匠2を比べるわけにはいかないけどさ、ただ少しぐらい考える能力がある人ってあんなシステムにアダプトできないと思うんだな。学校があまりに無駄なことを生徒にやらせすぎているってことを言うとまた呼び出し食らうんだろうな。呼び出しってのは大げさだけどもさ。また俺らしく物事を「一般化」しちゃうと、これって社会全般そうだよね。一人が「こんな社会はおかしい」って言ったところで、この先生のように「いや、キミの言ってることは正しいかもしれない。私には分かりかねるがね。ただキミはこの社会でやっていかなきゃいけないわけだから、社会のルールに従わないといけないんだよ」ってことなわけだよね。ブランド物の学歴なんて張子の虎だと俺が叫んだところで、社会がそういうブランド志向によって回っているのであれば、俺もブランド物を身につけないと人から見向きもされないっていう、そういうわけでしょ?あ、んでさ、先生が前みたいに「キミは根本的なライティングのスキルが無いんじゃないのかね?仮に日本語でこれを書いたところで同じようなものだろう?」とか言われたからさ、まぁ俺の答えが笑っちゃうんだけど「いや、そんなことないですよ。だって最近、僕のブログは人気なんですよ」なんて言っちゃってさ、なんかこの最近のウォール伝の登場人物になってる、このイタリアン頑固親父とウォール伝がはじめて直接繋がった瞬間だなーとか思ってすげーウケたわけ。帰りの電車でね。厳密に言うとこの先生と喋った後だけど。別にマジでブログが人気だとは思って無いし、俺のライティング能力があるとは思えないんだけど、日本語で書くときは少なくとも俺の英語のライティングよりはマシなんで、それは前に書いた言語のリソースに依存する言語能力ってことで、まぁそれは前に書いたやつを読んでくれればいいんだけど、ただね、先生のこの俺への批判が成立する条件は俺の英語力が俺の日本語力と等しくなったときだけど、日本語を書くように英語が書けたらこんな問題は起きないと思うので、全く先生の批判は筋が通らないとは思うんだけど、たださ、なんかそういうこと言われると反論したくなるじゃん?ただアガっちゃってあんま説明できなくてさ、その答えが「僕のブログは最近人気なんです」なわけだけど、これホント、我ながら傑作だなって思ったわけよ。で、先生の回答は「どんな人達がキミのブログとやらを読んでるのかね?キミの文の何が良くて読むのかね?」なんて聞いてくるわけ。でさ、まぁ俺は読者に直接話を聞いたわけじゃないし、なんとも言えなかったんだけど、とりあえず答えたのが「たぶん、ユニークだからとか、逸脱してるからだとか、個性的過ぎるってことで一部の人が読んでくれているんだと思うんですけど」なんて答えてもまぁ真意は伝わらなかったよね。で、挙句の果てに「だったらキミの文章の何が良いのか、直接読者に聞いてその回答を分析したまえ」なんて言われちゃってさ、まぁそういう問題ではないんだけど、ただ先生もとてもライティングが上手いとは思えないやつがブログ書いてるなんて思わなかったんだろうね。ましてや「最近人気」だなんて本当に気になったに違いない。ただでもやっぱガイジンが違う言語でエッセイを書くということの大変さというのは経験者じゃないと分からないのかもね。だから先生は俺の英語のエッセイが下手なんで、そもそも書くことにケイパブルじゃないなんて思っちゃってるわけだ。まぁただそりゃ早合点ってもんだ。恐らくクラスの大半の生徒が自分らの言語でエッセイをかければ、英語のそれよりかは相当マシなものになるに違いない。仮に思考法がアメリカと違っていても、出力が自分の言語で出来ればそりゃ楽だよね。まぁ問題はそこなんだよね。俺は絶対、発育にいいとか書きたくないから、英語力を磨いて、あくまで自分の言いたい事を主張したいんだよな。仮にそれが「一般化」とされてしまっても、しっかりとした英語で書けていれば、かなりマシな評価になるでしょ。ところで日本語の面白いブログとかを読んでていつも思うのが、ああいう言葉には出来ない言語が持つ表現ってあるじゃん?日本語はそういった意味で本当に表現に長けている言語だと思うんだけど、恐らく英語って無いんだろうね。だから日本語的なニュアンスを説明するのに英語に翻訳できないっていう。だから思ったのがね、特にこの先生みたいなアメリカンエッセイ原理主義者みたいなのはね、日本で面白いとされているブログを一流の翻訳家が英語に直したところで良さを理解できないと思うし、例によって「何が言いたいのか分からない」とか言い出すと思うんだよね。思うにこういう文化の差というのは根が深くて簡単には埋まらないっつーか、そんな短期間でどうにかできる問題じゃないんだよね。ただんじゃあアメリカ人ってちゃんとしたエッセイ形式とか文章のディレクションが無いと理解できない人達なのか?ってところになるわけだけど、そういう人も少なくないんじゃないかなって思ったね。アメリカ形式では上手く書けていないエッセイでも日本人が読めば物凄く良く書けているとか感銘を受けるだとかさ、そんなのっていっぱいあるんだろうなって思ったわけ。だから気がついたのがさ、日本人の書いた本が英語なり別の言語に翻訳されて出版されないのって、前には世界レベルではないからとかいって批判したけど、それだけではなくて、ようは書き方が日本人的なんで、欧米人には伝わりづらいところが多いってところなんじゃないかなって思ったわけね。論文みたいなものを書く言語は英語が一番適しているとか言うけど、だからといって良い内容のものを書くのに英語が適しているということにはならないよね。ただちょーリテラルに先生が言うように日本語での書き方とか日本人の考え方とかは置いておいて、アメリカの大学でやっていくなら、アメリカ流のやり方でやらないとやってけないわけで、俺にはそれでやっていくしかないっていう選択肢しか無いわけで、言い訳なんて全くできないんだけど、ただアメリカンエッセイ風に書けていないからといって、それがダメというのはただの欧米人のヘゲモニーだと思うんだよね。英語ってのがユニバーサルランゲージなんで、英語で書いて人に伝わらなきゃそれはダメなんてのは本当にプアな判断だと思う。かといってんじゃあ日本的な書き物を欧米人が理解しようとするかというとしないんだよね。それはなぜかというとあえて理解する必要がないってことなわけよ。特にアメリカなんてアメリカが一番だと思ってて、他が属国ぐらいに思ってるわけだから、あえてあっちが東洋的な考え方とか書き方に付き合ってくれるわけがないわけね。ただ俺にはさ、バスケチームを作れば子供の体の発育にいいみたいなことを書く才能が無いんだよ。ホント。だから困ってるんだよ。ホント。先生曰く英語力に問題があっても、基本的な書き方や規範さえ理解していれば、そこまで悪いものにならないとのことだったけど、まさしくその通りだね。そういった意味で俺は全く発育にいいような書き方はできないので、書き方がなってないって言われればもうそれで終わっちゃうんだよねぇー。あーこういうときってマジで普通の人に憧れるんだよな。何も疑問を持たずにやらなきゃいけないということをやるということが出来る人が羨ましい。それはバイトをしていたときにもよく思ったもんだよ。それは前にも書いたように、そういうことが出来る人は思考停止状態にある人か、本当に優秀な人のどっちかなんだよね。普通の人はやらなきゃってことで、ウダウダ言わないでやる。優秀な人は色々考えるんだけど、とりあえずまぁここではこれが必要なんだから方法論を覚えちゃってさっさと文句言われないようにするってことができるってなわけ。あと暗記にしても後者の場合、暗記で解けるような問題はとっとと覚えちゃって、もっと重要なところに労力を使うってことができるわけね。だから俺はどっちでもない中途半端ってことなわけで、社会的にはこういう人を「ダメ人間」というんだろうなーって今日、学校の帰りに思いましたよ。ただこれは俺の生き方だから、変に妥協してアダプトするなんていうことは絶対したくないんだよね。常に反抗しなきゃダメ。特に大学みたいな場所ではそれやらないと馬鹿になるからね。んじゃあ最初から大学なんて行かなきゃいいのにねぇ・・・・。先生の「キミは大学に何を求めているのかね?」なんてのもさ、曲解すれば「大学なんてそんなもんだよ。幻想なんて持つな」って言われてるようにも聞こえなくも無かったんだよね。ようは先生が「キミのいう教養なんてものは古代ギリシャじゃないんだから、大学でなんて学べないんだよ」って俺に遠まわしに言ってるってわけ。ただ先生もこんな生徒持っちゃって面倒なんだろうなぁー。言うこと聞かないヤンチャ坊主みたいな感じでしょ?俺って。しかも頭の悪いタイプのヤンチャ坊主ではなく、根本的な問題提起をふさわしくない場で言っちゃったりするようなヤンチャ坊主。一番たちが悪いかもね。俺みたいなのは。ただ今までの経験だと過去の英語学校の先生達はそれを個性として認めてくれて、一風変わったエッセイなんかや俺の言動なんかも評価してくれていたわけだけど、結局、そんなものは英語学校でしか通用しなくて、アカデミックではアカデミックなやり方じゃないとダメなんですよってことなんだけど、ただ別にそれはアカデミックで通用しないからダメってことではないのは、さっき書いたアメリカンエッセイ形式で書かれていないので、日本語の書き物は欧米人に伝わらないんでダメってことにはならないのと一緒ね。俺に言わせればアカデミックエッセイのほうがよっぽど風変わりだよ。俺って爆笑の太田みたいなところがあって、心の中では言っちゃいけないとか思ってることでも、色々と話していると色々なことが頭に浮かんできてある時ズバッ!!っと率直なことを言っちゃったりするんだよね。前にもこのウォール伝に書いたような、ようはライティングの生徒達がエッセイのトピックに関して「何かアイデアは?」って聞かれても即座に答えられないのは我々が馬鹿なんじゃなくて文化の違いなんだってことを力説したらまた先生が怒ってはいなかったけど、ちょっとした議論みたいになっちゃったんだよね。俺ってこういうことを頻繁じゃないにしても繰り返してきてるんで、だから今日は呼び出しを食らったのかもしれない。まぁ一度じゃないからさ。こういうことは。ただウォール伝読者的には「ナイスじゃん!」って思わない?アメ公に従順にならない反抗児耳蝉。客観的に見ても、こういう従順じゃないやつがアメリカの大学に行ったらどうなるのか?って楽しみなところはあるんだよね。ここで俺が優等生になっちゃったら全然面白くないわけでさ、だから俺をキープしつつも進学していくっていう。で、周りの先生とか生徒の反応ってのが楽しみになるわけね。ところでこのただシステムに順応してかねぇーとやってけねぇーぞってのを表すかのような授業がこのライティングの後のリーディングの授業でもあってさ、ようは「テストの答え方の作戦」みたいなんでさ、ようはTOEFLゼミナールとかでやってそうな、とりあえず分からなかったら答えはDにしておくと正解率が高くなるみたいなさ、そんなくだらないやつだったんだけど、まぁ今日やったのは四択問題の答え方ってやつで、例を出すと、例えば極端な数は除外するみたいなさ、例えば「栄養学のガイドラインによると、野菜や果物といったものは一日に何食必要でしょう?」みたいな質問を答えるときに、a.2 b.4 c.6 d.8って四択があったら、さっき書いた極端な数、この場合は2と8を除外しましょうってことなわけ。2は小さすぎて8は大きすぎるってことなのね。で、あとはbかcの二択になるので、答えは妥当なほうにしておきましょうみたいなさ、こぉんな感じぃ。あと他にも極端繋がりで、極端な言葉を含んだ回答は大抵正解ではないっつーんで、例えばneverとかbestとかalwaysとかonlyとかnobodyって言葉を含んだやつは除外しましょうみたいなやつとかね、他のやつはa.脳の右 b.脳の左 c.肝臓 d.腸なんてのがあったら、ようはaとbは脳ということで似通ってる回答ってことでこの2つである可能性が高いっつーんで、cとdは除外しましょうとかさ、あとは一番情報を含んだ回答を選びなさいみたいなので、太った人が一番多いグループは?なんて問題があったとして、a.フットボールのラインバッカーの男達 b.バレエダンサーの女達 c.アイスホッケーチームにいる男達 d.大学生なんてのでさ、っつーかすげー馬鹿げてるけど、渡されたプリントにはこんな問題が載ってるんだよね。まぁあえて分かりやすくしてるとは思うんだけど、これによると、ようはバレエダンサーが太ってることはまずないんで除外するとして、一番規模が大きいグループというのが大学生ってことで答えは大学生ってことらしいんだよね。ようはフットボールとかアイスホッケーチームってのが大学生という凄まじく広い定義に比べたら狭いってことで、太ったやつが多いのは大学生って答えになるらしい。ようは答えが分からなくても、こういうスキルを活用して答えればテストの点数が上がりますよってことなわけよ。だから勘で答えるにしても勘の答え方ってのがあるってことだね。どれにしようかな天の神様の言うとおりじゃなくて、こういった手法を使って答えましょうってことなわけ。でもこれって完全に知識とは関係ない、ホント、ただの点数稼ぎだよね。極端な話、このテストの点数の取り方技術をマスターしてれば、全く知らないテストでもそこそこの点数が取れることもあるってことじゃんね?で、それがグレードになると。あー馬鹿馬鹿しぃ!!!!!!!!あとわけ分からないのが、「選択肢全て」っていう回答とか、「aとb」っていう回答が大学の試験の答えの統計では多いって事で、答えが分からなかったら、とりあえずAll of the aboveかa and bを選んどけってことらしいんだわ。はぁぁぁぁぁぁ大学の授業ってこんなもんかぁぁぁぁぁ、コミカレレベルとはいえ基本的に大学のほとんど全てがテストに依存しているからには、こういった要素が自ずと重要になってきちゃうんだよねぇぇぇぇ。TOEFLゼミナールとかと全然変わらねぇぇぇぇ進学塾とかもこぉんな感じぃーなんでしょ?過去の問題を分析して用意するみたいな、本末転倒な授業。俺がやりたいのってこういうことじゃねぇぇぇんだよなぁぁぁぁぁ!でも全部例のイタリアン親父の言う「アメリカの大学でやっていくには、これに従うしかない」ということになっちゃうんだよねぇぇぇ最終的には。あー!!既存のシステムに馴染めない俺みたいな自由人はどうやって生きていけばいいんだぁぁぁ!!!!ボォォォォヘェミィアァァァァン!!!!!!あー古代ギリシャにタイムスリップしてぇぇぇぇぇぇ!!!!!もう気が狂いそうだぁぁぁぁぁ!もう狂ってるけどさぁぁぁぁ!!ただ最近、エッセイを書くにしてもジジェクに習ったように、とりあえず頭に浮かんだことをウォール伝みたいにガーッっと書いちゃって、んで後で要点をまとめるっていう方法を取ってるんだけど、これってテストの時は絶対使えないやり方なんだよね。まぁこういう書き方って一般的な方法としてあるんだけど、ただテストのときはなぜか1時間っていう時間制限があるんで、せいぜい事前に書けるのはアウトライン程度のもので、浮かんだことを書いてたりすると特に留学生みたいなハンディキャップを背負ってる連中の場合、時間がなくなっちゃうんだよね。でもさーどうよぉ?学校にバジェットがあるんでプールを作るか図書館の蔵書を充実させるか、どっちがいい?みたいなのについて2ページとか3ページのエッセイ書ける??こんなくだらないの2〜3行で十分だよね。なんであえて両方の利点を事細かに書いてしかも必要に応じては、カウンターアーギュメントまでしなきゃいけないのか、ホント意味分からないね。女「でもさープールのほうが私はいいと思うのよね。だって勉強ばっかりしてたら疲れるし、たまには体を動かす事だって必要じゃない?」」男「いや、僕はそうは思わないな。だってプールなんて市営のプールにでも行けばいいじゃないか。それより図書館の蔵書の充実さ。だって大学は勉強をするところでジムではないだろ?」女「それだったら図書館だって別に市営の図書館に行けばいいじゃない?なんであえてそこに予算を使う必要があるのか理解に苦しむわ」男「いや、僕のポイントとしては大学というのは勉強をするところだから蔵書に力を入れることは学校として当然じゃないかということが言いたいわけさ」女「でも大学の一環としてスポーツがあるわ。だって私たちの大学だってたくさんのスポーツチームがあるじゃない?」男「でも大学ってのは勉強をするところでスポーツをするところではないだろう?」女「私が言いたいのは大学とは言っても、様々な目的があるわけで、スポーツに力を入れる人だっているじゃない?」・・・みたいな議論を永遠とスタバでやってるカップルとかって考えられる?いたとしたらキチガイカップルだよね?でもこんなくだらない不毛な議論をエッセイでやらなきゃいけないわけ。ホント、無駄なことに労力使ってる感じだよね。こんなくだらないことに思考力や労力を使うという習慣が我々というか、恐らくアジア全般に無いわけだから、先生にどっちがいいか?という理由を述べよなんていわれたところでポンポン答えが出てこないってことなわけよ。それを俺が「文化の違いだ」というと、先生は怒る。エッセイの大半がこんなことばっかりなんだもん。おやつを飴にするかクッキーにするか、どちらにするか述べよって言われてるようなもんだからね。んなもんどっちでもいいよってのが普通の答えだと思うんだけどアメリカンエッセイでは飴を選んだなら飴の利点を、必要に応じてはなぜクッキーを選ばなかったのか?ということを述べなきゃいけない。飴の利点なんて知ったこっちゃねーよ!って話なんだよね。それこそこじつけ臭い「飴を選ぶ利点はクッキーより多い糖分にあります。なぜなら脳にとっての唯一の栄養素は糖分なので、その糖分をクッキーより多く含む飴を食べることは脳を活発化させるという意味で、とても効果的です。脳は人間の動きを司る、いわば中心部といっても過言ではありません。そのような重要な器官に栄養分を送ることは、いわば、人間が生きていくうえで必要不可欠なことなのです」みたいなことを書かなきゃいけないわけよ。くだらねぇぇぇぇぇ!!!!こじつだけだよ!!そんなの。んだったらそんなくだらないことを述べてる間にどっちか選んじゃって食べちゃったほうがよっぽど早いじゃん。クッキーだったら保存食にもなりうるから食べないで残していても、災害時などに乾パンのような形で食べることができるみたいなこじつけをしなきゃいけない。くだらねぇぇぇぇぇぇ!!テストのとき日本語で「そんなこと僕の知ったことではありません」って書いて終わらせちゃおうかな。アメリカのライティングっつってこんな不毛なことに時間割いてるんじゃ日本の無駄な教育と全然変わらないよね。もちろん日本・アメリカともに一流大学は別としてね。ロジカルなのとこじつけは全然違うからね。ただどう考えても日本人から見るとこじつけしかいいようがないようなものが多いんだよね。今度、時間があるときにでも、頑固親父が書いた自称「雛型」エッセイをウォール伝にアップするよ。気が向いたらだけどね。俺らはこれの丸写しをさせられたんだからたまったもんじゃないわけよ。ただまぁフォローになるけど、コミカレの利点はそこまで頭が良くなくても馬鹿なルールに沿っていけばやっていけるってことかな。だから俺みたいな英語が未熟なやつでも、なんとかやっていけるってわけなのよ。逆に今、俺が4年制大学入っても授業についていけないだろうからね。まぁそのレベルの差がどんなものかは分からないけどさ。ってことで俺はやっぱコミカレしかないわけです。はい、じゃあ例のブログのURLです。

http://decocool.seesaa.net/article/1233247.html

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/12/post_4.html

これはオマケ。

http://web.thn.jp/nyusiseidohaisi/page028.html

追加。

http://leilanlele.exblog.jp/1334964#

↑ようは結局、アメリカンエッセイのシステムにアダプトしなきゃいけないのは、俺がアメリカのカレッジにいるからではなく、かといって俺だけの問題でもなく、もはや自分たちがグローバリゼーションの波に巻き込まれてるからなんだよね。「察するじゃ世界は頷かないぞ」ってイタリアン頑固親父が俺を媒介に日本人全体にアジテーションしてるようなもんですよ。今の俺の状況ってのは。ってことで俺は今のコミカレではレペゼンジャパンですね。

http://dando.exblog.jp/1376772

「どうしたらいい?結論はついている。こうした読解力を高める以外に日本人が今後の世界を生きていく道なんかないよ、である」

「どうしたらいい?結論はついている。こうした書き方を覚える以外に耳蝉が今後、カレッジで生き残れる道なんてないよ、である」

最後に。ただ俺に思考をまとめる能力が欠けているのは紛れも無い事実なんで、そこはやっぱあんじょーやってかなあかん。もっともウォール伝でそんな作業をするつもりは全く無いけどね。だから変な文法とか誤字脱字とか、最近は割りと気がつけば直したりすることもあるけど、基本的にはやらない方針なんで文句があるやつは是非、ここに来ないでください。ウォール伝はほぼ俺の脳のディクテーションなんです。ところでDope Dragonから出てたディクテーションってロニサイズだったかダイだったか忘れたけど、最高のホワンホワンアホアホベースで最強なんですよね。アナログ持ってたんだけど売っちゃったよ。

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ヴたごやちょーおすすめ!!!!!

ドラムンベースはジャングルをスポイルしたということなんだが、こういったスタイルのスポイルによる劣化というのは様々なジャンルの音楽でなされてきたわけだよね。スポイルによる劣化とはまさしく資本主義そのものではないか!!みんな意識的に気をつけようね。あいつらは常に我々を狙ってますよ。