本当の犯罪者は誰?

mimisemi2007-11-24

動画サイトを見て回ってたら、香川県坂出市の事件で、報道陣にキレている父親っていう動画を見たわけだけど、なんか幽霊が映っているとかいないとか。まぁそんなことより、馬鹿なアイドルが犯人を名指しするようなことをブログに書いて謹慎になったってーのも見たんだけど、これって「父親が犯人じゃないの?」って言っちゃったってことでしょ?いや、実際、そのアイドルがそう書いたかは見てないから分からないんだけど、どうやらこの事件、あたかも父親が犯人なんじゃないか?という一般人の疑問に答えるような、父親が犯人だと思わせるような恣意的な報道が存在しているようだけど、言論の自由と根拠の無い決め付けは全く違うからね。仮に状況の判断材料から父親が「怪しい」と思えても、「犯人だ」と断定することは絶対できないし、ましてや限られた情報しか得られていない一般の視聴者がその限られた材料の中で「犯人だ」と決め付けるようなことをネットに書くのは人権侵害なわけで、これは犯罪なので絶対やめましょう。確かにあの父親は頭は悪そうだし、亀田父を彷彿とさせるような人間だけど、そういった勝手な「犯罪者っぽい」っていうイメージで「こいつが犯人だ」なんて決めるのは本当に馬鹿げたことなのでマジでやめようね。社会学で逸脱ってのをやったときに、「犯罪者というのは生まれつき犯罪者である」というような理論があって、社会学者によってはっつーか例によって社会学者の名前までは覚えてないけど、「30の犯罪者の見た目」という図と「30の人々が犯罪者っぽいと思う見た目」っていう図を作ったりしてるやつがいて、ようはこの辺の学会の言い分としては、犯罪者の素質は遺伝であり、それは見た目や体型などにも現れるっていう、Comteとかダーウィンを始めとするような、バイオロジカル・スクールの一派の連中の言い分でっていうか、ダーウィンやComteが具体的にそういうことを言ってたんじゃなくて、バイオロジカル系の社会学者がそういうことを言っていたってところなんだけど、こんなもん何の根拠もあったもんじゃないよね。俺としては当然、犯罪ってのは物凄く複雑なもんで、ものによっては人間の内面によるものであったり、状況や社会が作り出す現象であったりもするわけで、とりあえず遺伝とか見た目なわけはないんだよね。生まれつきの犯罪者なんていないわけだから。あの有名なピーター・キュルテンだってあんな異常者になったのは、子供の前で泥酔しながら母親を犯したり、子供や母親に暴力を振るう親父のせいであったり、同じアパートに住んでいた野良犬駆除員の影響であったり(この駆除員に誘われて野良犬に残酷な仕打ちをしたりすることを覚えたらしい)確かこの駆除員が相当な異常者で獣姦をキュルテンに教えたらしいんだな。で、すっかり犬殺しや獣姦を覚えてしまった少年キュルテンが、羊だかとファックしているときに、あまりに暴れるんで、ナイフで羊の腹を刺したら血がドバーッ!!っと出てそれを見て興奮して射精して以来、血がドバーッっと出るのを見ると興奮するようになって、それ以来動物とファックしながら腹とか首を掻っ捌いて血を見ながらイッてたらしいんだけど、まぁ動物に飽き足らず人間にまで欲望が及んでしまって、ああいうことになったと。基本的にフェチとかってそうなんだけど、ある特定の状況でたまたま興奮していたり緊張するような状況にいたりして、そのときにオーガズムを覚えたりすると、脳が勝手にその状況とオーガズムを結びつけちゃって、それがフェティシズムだったり倒錯になったりするんだよね。まぁ性的倒錯にも色々あるから、これだけとはいえないんだけど、これってのは倒錯の一個としてあるわけね。例えば急な坂を必死にあがる馬車を見ていた少年が、御者に激しく鞭で叩かれる馬を見たときになぜか射精してしまい、それ以来、”その少年が射精した特定の坂か、その坂に極めて近い角度を持った坂を必死に登る馬が御者によって激しく鞭で叩かれている”という状況じゃないとオーガズムに達せなくなってしまったなんてのがあってね、キュルテンの場合、まぁ獣姦自体がすでに異常なんだけど、さらにたまたま腹を掻っ捌いたときの血を見てイッちゃったってことで、そのオーガズムのすり込みが頭に入っちゃって、それがオーガズムの条件の一つになっちゃったわけ。ようはこの獣姦の経験が後の犯罪のきっかけになったといっても過言ではないわけね。俺にも独特のこういうものがあるんだけど、それはさすがにウォール伝でも書けない。これは墓まで持っていかねばなるまい。いや、ただ獣姦とか血とかじゃないからね。で、話を戻すと、全く根拠の無い材料の中で、見た目が犯罪者っぽいからとか犯罪者っぽい振る舞いをしているからということでその人を犯罪者と決め付けるのは、はっきりいって人権侵害だし、何しろそれをメディアが恣意的にそういったように仕向けるような報道をしているというのは本当に異常だと思うというか、まぁこれがメディアの体質なんだけどね。ようはセンセーショナリズムなのよ。この親父が怪しいって材料はあるし、怪しんでいる人もたくさんいる。んじゃあそれっぽいインタビューと編集をして視聴率を稼ごうってことなわけで、ようは視聴率なのよ。ああやって犯人と間違われているかもしれないおっさんがカメラの前でキレまくっている。で、それをやっぱ犯人じゃないの?っていうような意図的な編集をして流すと、それを面白がって見る人がたくさん出てくるわけ。それがメディアのやり方だからね。仮にあの親父が犯人だったとしても、今の段階では全く犯人だという物的証拠は無く、ただ見た目と言動と振る舞いと空白の一時間が犯人と疑わせるような材料を提供しているだけで、こんなもん実際はなんの証拠にもならないし、ましてや犯人だと断定できる決定的な証拠であるわけがない。なのに例の淫売アイドルは恐らく「この親父が犯人なんじゃなぁい?」なんて家族と話してた程度のレベルのことをブログに書いてしまい謹慎になったり、ネットにも犯人なんじゃないか?ではなく、犯人だという言い方が出回っていたり、何より、そういう風なことを思わせる恣意的な編集を行っているメディアが、そういった風潮を煽っている最大の原因なわけで、最大のポイントとしては、親父がどうこうというよりも、ああいう映像を流すテレビ局に問題があるわけだ。まぁね、レベルの低い
主婦達の井戸端会議程度のことで「あいつが犯人よね!絶対」とか言うぐらいだったら、そんなの誰でもやってますよ。そこまで統制は出来ません。ただメディアがそんな井戸端会議レベルの恣意的な判断によって作られた映像を流すというのはもう犯罪行為でしょう。まぁメディアが平気で嘘を報道するのは師匠2風な言い方をすると自明の理であるし、姜さん風な言い方をすると、特に最近のメディアは抜き差しなら無い状況にあるわけで、特に今回のようなケースは我々のメディアリテラシーが問われる瞬間でもあると思うんだけど、これが特に犯罪的なのは、犯罪者でも無い個人を犯罪者扱いしているところなんだよね。松本サリン事件でもこういうことがあって、あの局は十分反省していると言っていたはずなのに、基本的にやっぱりメディアの体質がこうだから根本は変わらないんですよね。やっぱり。食品の賞味期限の改ざんだとか、政府の無駄な使い込みだとか、建築関係の偽造問題とかも、最近連鎖的に露見しているだけで、企業や政府やメディアといったあの構造自体が、そういったコラプションをもたらす傾向を持っているんだよね。だから変わるわけがない。男がオナニーしませんって宣言したところで、男はオナニーをする生き物なので、結局、宣言してもやっちゃうのと一緒で、システムがオナニーするように出来ているんだから、もうしませんって言ったところでそれは事実上無理なわけ。だからどこの政府も企業もメディアも国を問わず似たような犯罪が行われるわけだけど、ああいった犯罪というのはホワイトカラークライムみたいな、なんかあんまダーティーじゃない呼び方をされているけど、あれも犯罪だし、犯罪者なんですよ?なんで窃盗とか殺人とかレイプだけが犯罪なんですか?ってことで逆説的に言うと、真面目そうなエリートっぽい見た目をしているやつでも、ホワイトカラークライムにコミットしていたりすれば犯罪者なわけで、まさしく犯罪者なんて見た目では判断できないわけですよ。それこそ政府がやっている犯罪なんて間接的に大勢の国民に損失を負わせていたりするんだから、比べるのはおかしいけど、あえて比べるとそれに比べたら殺人なんて可愛いもんでしょ?殺人がいいとは言わないよ。もちろん。犯罪はダメ。ただホワイトカラークライムも犯罪なんだから、犯した連中を凶悪犯罪者って思わなきゃダメってことです。凶悪犯はレイプ犯や強盗犯だけじゃないんです。これこそまさしく人々が見た目とイメージで犯罪者像というのをいかに勝手に作り上げているかというのが今回のことみたいなのでよく分かるよね。もちろんこの画伯と同じ名前を持ったオッサンが、物的証拠により間違いなくこの事件の加害者だと立証されれば、その時点から犯罪者ですよ。ただ今の時点では犯罪者では無いんです。だから調査も何もしていない警察でもない一般の国民が見た目と限られた情報とメディアが作った勝手なイメージであの親父が犯罪者だと決め付けるのは本当に愚かなことなんです。ホント、メディアリテラシーが無いとダメになりますよ。国が。国が泣いてるぜ。まぁ日本だけじゃないんだけどね。ポピュリズム政治なんてのはまさしく今書いたことのような事の典型だしっつーのもまぁイメージの捏造とメディアの根回しっていう意味なんだけど、ポピュリズムが蔓延する下地を作っているのは民度の低い民衆なんですよ。だから民主主義が衆愚政治になっちゃう。それじゃあもうダメよ。まぁいいや。話を戻すとして、この辺はあえてアメリカンエッセイ風な言い方をしてみるけど、仮に犯人だと思って何か言いたいのなら、それを裏付ける証拠や推理などを論理的に展開してから言うべきでしょう?ただのイメージだけで犯人だ!って言うなんて無責任にもほどがあるし、頭悪いよ。そういうのって。こういう風なことを何の判断も無しに言っちゃうような人がB層とかって言われるんですよ。B層の定義が差別的だとかって共産党の議員だかが批判したところで、それが事実ならしょうがないよね。差別も何も事実なんだから。差別というのは事実とは無関係な偏見などから生まれるものだけど(歴史的なものに端を発する差別はとりあえず置いておいて)B層の頭が実際悪かったらそれは差別でもなんでもなく事実だからね。だから俺はああいうメディアというのも本当に問題だけど、ああいうのを見て簡単にコントロールされちゃうB層みたいな人達もメディア並にどうかと思うわけですよ。こういうときだけ、「日本人はやっぱアメリカンなクリティカルシンキングの授業を受けたほうがいい」って思ったりもしちゃうわけね。だからとりあえずあのおっさんを犯人だと決め付けるのは絶対やめよう。いくらあのおっさんの態度や顔や頭の悪そうな言動が気に食わなくても、それと事実は別に考えなきゃいけません。ところでおっさんの動画のコメントに「殺された孫と祖母の幽霊が親父が犯人だと伝えようとしている」なんてのがあって、もうあきれ返っちゃったね。根拠無さ過ぎ。俺のことを変人っていう前に、ああいうこと書くやつらってまず自分の脳を分析したほうがいいよね。俺にしてみればああいうやつらのほうがよっぽど狂ってると思うわけ。ってことで神の使者と名乗りながらも大量虐殺をしている大統領もいれば、鬼のような顔をした慈善事業家もいれば、ロックフェラーのような慈善事業家と言われている極悪人もいれば、宗教家の名を借りたペドフィリアもいるわけで、人を見た目や肩書きだけで判断するべきではないのです。上辺だけのことより事実を知りましょう。ってことで今日、思ったのはイデオロギーといったものが必然的に無くなるプロセスというのは、常に事実を知ろうとする人が、色々なことを学び、結果的に社会にとって最善のことは何なのか?というのを事実を元に考えていくということなのね。それは膨大な知識を必要とするものだけど、イデオロギーといった観念的なものは、社会を取り巻く環境や社会科学や政治科学といったものに関する知識が増えれば増えるほどイデオロギーが脳を占める比率は低くなると思うんだよね。必ずしも最善とは限らないけど、様々なことに関するデータ分析や科学や理論から導き出される答えというのが真実なわけで、何か特定の思想などから出される答えなんていうのは、あくまでイデオロギー止まりなんだよね。で、基本的になんたら思想なんてのにしがみついている人が出す答えなんてのは、そういったイデオロギーに立脚した、解決策でもなんでもないただの思想の押し付けだったりするわけで、これってのは、さっきの見た目の話と一緒よ。あいつの顔は犯罪者顔だというイデオロギーから導き出された何の根拠も無い答えが「あの親父が犯人だ」ってことなわけで、真実というのは様々な調査などによって得られた物的証拠や事実といったことによってもたらされるわけで、ここに「あいつの顔は犯罪者顔だ」なんていうイデオロギーは一切無いわけ。それは歴史認識にしてもそう。特定の右翼的な思想の持ち主が、そういった右翼的な傾向から導き出した歴史認識なんてものは、ただのイデオロギーの塊みたいなもんで、歴史というのは事実によって語られなきゃいけないでしょ?そこは右翼・左翼じゃなくて、事実で判断しないとダメなのよ。「あそこでこういうことがありました」ってのが歴史なわけでしょ?イデオロギーが入る余地なんてのは無いわけ。だからあの親父にしても何かあの親父を犯人とするような決定的な証拠が出てから犯人扱いしないとダメ。メディアの印象操作みたいなのに惑わされるってことは、それはそういった情報操作への間接的な加担ですからね。ホント、メディアには気をつけなきゃダメよ。マジで。マスメディアによる事件のエンターテイメント化に慣れてしまうことはとても危険です。

Dedicated to Peter Kurten

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