モラトリアム下での読書=ちょー幸せ。

mimisemi2007-12-08

うぉぉぉぉ!!!!!!!アルファブロガーアワード優勝ぅぅぅぅぅ!!!!!!!!!!!!!!!入賞!!!!入選!!!!!!!!!しなかったぁ。なぜショ

ックじゃないか?それは俺お得意の「最初から期待しないコト」に尽きるね。まぁ普通に考えて他のブログのクオリティが高いというか、ウォール伝なんかと比

べればより有用でウォースな情報を発信してたりするし、普通に考えて俺のブログがアルファブロガーに選ばれるわけじゃないんだけど、俺の喜びというのま

malaさんが推薦してくれてアワードのページに載ったことで恐らく読者が増えたってことでもう完結しているんだよね。だから逆に選ばれちゃったら困っちゃう

っていうか、批判の対象にもなりうるわけで肝っ玉とちんこの小さい俺にとってはそんなのは耐えられない。まともな人から批判されるのが怖い。これってのは

前に書いた等身大であるということにも繋がるわけで、俺が仮にパーバート大学からPhdをもらったら困っちゃうわけだ。だって明らかに俺の能力とそのアチー

ブステータスが釣りあわないし、批判の対象になるってーのは、「なんであんなやつに天下のパーバートがPhdを?」ってことになるからなわけで、俺が思うに

ウォール伝がアワードにノミネートされているだけでもムカついてる人いると思うんだよね。だからもう十分って感じっつーか、僻みとかじゃなくて、リアルな

話、そうなわけ。自分の事と状況を理解していれば、無駄な期待なんてのは出てこないっつーのは、俺みたいなやつにちょー素敵なガールフレンドが出来るわけ

ないってのと一緒で、んだったら最初からモテようだとか、彼女を作ろうなんてことを考えなきゃいいわけで、何かしたいという労力なり欲求のコストを払うこ

とに関する思考のベースを俺に当てはめれば、やることは自ずと決まってくるってことで、今日は紀伊国屋で本をまた20冊ぐらい買って来ちゃったんだけど、も

うすげー幸せだからね。俺。


もちろんこれは例の経済政策によって使えるお金が一時的に増えたからできることで、今だけなんだけど、こんな俺の使えるお金もある、んで本を読む時間があ

るなんてちょーハッピーなモラトリアム的状況の中で俺の欲求を満たさない手は無いよね。で、俺はムンマと自分を幸せを紀伊国屋に行っただけで得ることがで

きたわけだ。これ以上の幸せを望むことがあるかい?いんやー無いね。まぁそりゃーアルファブロガーに選ばれたらより幸せになっていたとは思うけど、それは

最初から想定していない幸せなわけで、仮に無理だったからといって絶望することは全く無い。それはチャットで知り合った女性に過度な期待をして会ってみた

ら年齢サバ読みしまくりで見た目も最悪で・・・ってことでショックを受けることのナンセンスさと同じなんだよね。世の中ってのは面白いことに幸せの定義な

んてものがあるから、多くの人がその定義された幸せを得ようと必死でしょ?でもそれは歯周ポケットに上手いことフィットして歯周を取り除けますって歯ブラ

シが一人一人違う歯と歯茎の形の全てをカバーできるわけがないのと一緒で、そんな定義された幸せなんてものに本当の幸せを得られる人なんて市販の歯周ポケ

ットに入る歯ブラシが広告通り上手くフィットした人ぐらい少ないわけ。だから広告に騙されて歯ブラシを買うよりかは、フィットしたらラッキーだから騙され

たと思って買ってみようぐらいのモチベーションで歯ブラシを買って「やっぱダメだったか」で終わるか、仮にフィットしたら「すげー!!フィットし

た!!!」でいいわけだけど、フィットしたというのは相当な確立なわけで、これは普段の基準足り得ないわけ。フィットしても「ちょーラッキーだった」って

思えないと人生狂う。確実に狂う。思うに成功した芸能人の勘違いって、こういうところにあるわけで、たまたま時代に乗ってヒットしたりブレイクしただけな

のに、ブレイクしちゃうとそれが普通になっちゃって、その間違った偶然からもたらされた普通を基準に物事を考えるようになるんで、あとは大抵落ちていくし

かないわけ。だってブレイクってピークなんだからそれ以上のものはあるわけないでしょ?だから勘違いした芸能人が落ち目になって自殺したり過食症になった

りするわけね。期待値の設定がブレイクによって狂っちゃうわけだ。その点俺はどうよ?自慢のように繰り返すようだけど、普通に死のうと思っていた人間が、

たまたま色々な巡りあわせでマムハッタンのゴミカレで勉強を出来ている、って状況は相当異常なわけだ。ましてや好きな本をいくらでも読める。しかも知識を

吸収するということが将来的に役に立つかもしれないなんていう、社会的な動機付けもある。これは相当クレイジーな状況なわけだし、ある意味で俺はブレイク

中なわけだけど、あくまで俺の基準は死のうと思っている俺なんで、相当最悪なことが無い限りまずガッカリするようなことがないし、普通の生活を送れている

だけで、師匠1が言うような「生そのものに毎日感謝できる」認識があるわけだ。苦労をした人が報われるというクリシェが成立する一つに、苦労をしている人

はその苦労の経験があるので、滅多なことじゃへこたれないっていう認識のベースがあるからだと思うんだよね。ホームレス歴30年で今は月15万の収入があるん

で、生活がちょーリッチでありがたく感じるってのと一緒。逆に麒麟の田村みたいにいきなり儲けちゃうとそれが破滅にもなりうるわけ。


麒麟の田村の収入は恐らくあれがピークでしょう。だからあれを基準にしたら収入は下がる一方なわけだけど、ホームレス生活を基準に考えれば、芸能界でやっ

ていけているだけで十分なわけだし、何より収入が下がったなんて思わないよね。ただ来年の収入は今年に比べて絶対下がるよね。でもそれを下がったって感じ

るのが間違いなわけで。ただそこでんじゃあ現代社会を生きるということが、もうすでに負のスパイラルに組み込まれることだみたいな、近代思想的な考え方を

ベースにしちゃうと、それってただのペシミズムになっちゃう。だったらそこをもっとメタ的に考えて、仮に社会がそんなロクでもないもんだとしたら、それを

想定した上で自分の生活のモデルを作っちゃえばいいんだよね。楽なことではないけどさ。それをメディアなりなんなりが垂れ流す幸せだとか過剰な消費ってこ

とに自分の生活のモデルが影響されちゃうと、それはもう破滅への序章なわけね。だから俺の場合だけど、そこで「期待してもしょうがない」じゃなくて、最小

限の社会へのコミットメントを想定しつつ、ちょーインディヴィジュアルに生活モデルを考えるってことで、そこに必要になるのは、物事を達観して考えるため

の材料である知識とか認識をエンハンスすることなわけで、なんで俺が読書にここまで喜びを感じるか?ってのは、何かを知るたびに今まで知らなかった物事が

見えてきて、最終的にはそういった考えが自分の生活モデルにも影響をしてくるからなんだけど、そうなると必要な知識量って半端じゃなくなるわけで、その半

端無さってのはその辺の普通の学者なんかよりも本を読んだりしなきゃダメなわけだけど、今はこういった過剰なインプットがモラトリアム亡命生活の中で許さ

れているんで、もう毎日が幸せなわけね。だってあとはもう上っていくしかないんだもん。幸せになるって道しか俺には無い。ただ外的な影響によって全てがダ

メになっちゃったら、死ねばいいだけの話だから、人生に対しての漠然な不安がなくなるし、不安といえば例えば最終試験とか人前で話すとかっていうトリビア

ルなことばっかで、人生全体で考えるとそれがちょートリビアルってことが分かるんで、別に不安に感じることないやってことで、それすらも大丈夫になったり

するってのは、こないだの社会学のテストでのパニック発作事件みたいな感じなんだけどね。だから本当にダメになった時のことを考えながら送っていく不安ベ

ースの考え方ってのは本当にナンセンスなわけね。それだったら「将来、自分の共和国を設立する」って凄まじい人生モデル作っちゃって、自分の国家形成のた

めの知識を吸収していったほうがよっぽど建設的で、仮に共和国が設立できなくても、それまでのプロセスが十分幸せだから、結果なんてある意味どーでもよく

なっちゃうわけね。強いて言えばこっちで暮らしながら国家設立へ向けての勉強が出来るぐらいの収入があればいいだけで、それってそこまで極端に不可能なこ

とではないわけだし、今もそのプロセスの真っ最中なわけだよね。そういった動機付けから来る知識欲ってのが俺の中で溢れかえっちゃってて、んだからこっち

に来てからの読書量とか知識欲ってのが半端じゃ無くなっちゃってるわけね。もう音楽とか言ってる場合じゃないもん。だって国家作らなきゃいけないんだか

ら、レコードに金を使ってる場合じゃないでしょ。夜遊びしたり酒飲んだりしてる場合じゃない。ってことで自分のお金のコストも労力のコストも時間のコスト

もほとんど国家形成に行っちゃうんで、学校の宿題どころの話じゃないし、最終試験どころの話じゃなくなるわけ。学校の宿題とかテストってのは掃除洗濯ぐら

いのトリビアルなことになっちゃうよね。やらないのは絶対ダメだけど、極端なお金と時間を費やすべきではないっていうね。ここがやっぱただ単にアブスト

クトに持つ夢と現実的な夢の違いだと思うんだよね。


他者から与えられた価値観によって形成された夢じゃなくて、自分の価値観の中で形成された夢ってのが本当の夢で、それは一般的に言う夢追い人的なイデアル

な感じではなくて、自分の人生モデルから出てきたものなんで、自ずと具体性を帯びてきてそれへの動機付けがモロに普段の生活に影響してくるっていう、まぁ

それってのが持つべき夢ってことだと思うんだよね。非現実的な夢は持っててもいいけど、あんまあてにしちゃいけない。それはアメリを見たからといって自分

が幸せになるわけじゃないんだからさ。アメリみたいな女の子になりたい、とかアメリみたいな生活をしたいってのは事実上不可能なんだから、それは観念的な

世界の中に留めておくべきで、やるべきことはもっと他にいっぱいあるわけだけど、「アタシ、幸せになりたいなぁー」とかって言ってるスッカラカンなOLが一

生幸せを掴めない理由ってのが、持ってる夢ってのがアメリ的だからなんだよね。現実と観念の乖離が激しくなればなるほど夢への道は閉ざされていくし、幸せ

への道も閉ざされていくよねってことで、物事をどう認識するか?っていう哲学的な問いは哲学的でありつつもリアリスティックってことで、こういった問いは

何気に人生の中では凄まじくエッセンシャルなもんなんだよね。そういった意味で俺は哲学ってもんが一部の好事家だけにあるもんだとは全く思わないけど、か

といってこういった価値観を他人にインポーズすることはできないんだけど、少なくとも俺にとっては物理や数学を勉強するよりかはよっぽど重要なことだね。

だからなんつーか物事を勉強すればするほど厭世的になるってのは嘘だと思うね。そういうことを言ってるやつは恐らく認識の仕方を間違ってるんだと思うし、

はっきりいって何も学んで無いような気がするんだよなってのは前に書いたような、物事をただの知識として吸収しているだけのスッカラカンなインテリってこ

とで、繰り返しになるけどみんな食物を吸収する歯は持ってなくても胃は持ってるんだから、哲学にしても他のことにしてもインテリだけの特権にしておくのは

本当に勿体無いわけね。それは歯が無い俺が言うんだから創価的に間違いないよ。


それは前に書いたように、今なんて分かりづらいことを分かりやすく解説してる本なんていっぱいあるんだし、それこそ「図解」みたいなやつとかさ、漫画みた

いなやつとかもあるし、親切に読みやすいレイアウトにしてる本とかさ、そんなのもいっぱいあるわけじゃん?まぁ読みやすさが重要なことってのは改めて思っ

たんだけど、特にこうやって紀伊国屋にいったりして本を見てると日本の出版物ってたいしたもんだなって思うよ。マジで。誰でもアクセスできるような本がい

っぱいあるし、これは世界を見ても稀なんじゃないかと思うよね。前に批判したように日本にはクズみたいなアカデミーの連中はいっぱいいるけど、でも残りの

2割ぐらいは凄い人達がいっぱいいるんだから読まない手は無いよね。もしくは学者としては最低だけど、例えば社会学なり哲学なりの解説本を書くことに関し

ては秀でてるとかさ、そんな連中もいっぱいいるわけだよね。これって凄いことだよ。マジで。アメリカの出版物も本当に素晴らしいと思うけど(センサーシッ

プが激しくないので、生の情報が書籍化されたりしている)日本の出版物も負けてないと思うね。っつーかすげーよ。日本の本。マジで。それこそ情報を識別で

きる能力があったら日本はパラダイスかもしれないね。まぁ書籍に限ってだけどね。あ、あと音楽もそうかな。あらゆるジャンルが手に入るでしょ?そういう意

味だと音楽はアメリカより凄いと思うよ。アーティストの質というよりかは、そのアクセスできる量が半端じゃないってことね。こっちは国民性もあってかアメ

リカ人が好まないような音楽ってのもいっぱいあって、それがダイレクトにマーケットにも反映されていることで、実質的に音楽の幅が狭まっているような気が

するんだけど(まぁそれでも多いけどね)日本の場合、すげー多様性があるっつーか、それこそブラックメタルなりデスメタルの日本盤もあれば、マニアックな

プログレなんかを扱ってる店もあれば、オルガンジャズばっかがあるような店もあれば、フレンチポップに強い店もあったりしてアメリカだとちょっとありえな

いような多様性があると思うよ。ホント。だから自分たちさえしっかりしてれば、それこそ世界最先端の文化的な生活を享受できると思うね。そのアクセス権が

あるってことが大事なのよ。日本に無いから海外行って買わなきゃいけないって、あるかもしれないけど、そこまで極端じゃないでしょ?逆にアメリカのほうが

そういうのは多いかもしれないよ。ただアメリカ人って自分たちが最強だと思ってるんで、あえてそんなことはしないとは思うんだけどね。だから思うにあえて

ニューヨークに来て接する必要性があるのって意外と少ないと思うわけね。もちろん町並みとかさ、ジャズクラブとか美術館は凄いかもしれないけど、別にこれ

って二次的なもんで、文化的には別に日本で接することが出来るのって意外と多いと思うんだよね。それこそあえてSOHOに来なくても、日本のほうがよっぽどブ

ランドショップが都心に集中してると思うし、特にレコード屋の質なんて日本のほうが断然上よ。ただそれは前に書いたように日本の場合は値段をつけすぎなん

で、んだからこっちのレコード屋のほうが掘り出し物が見つかったりする可能性があるってことなんだけど、それってただ値段とか希少性の問題であって、文化

そのものの差ではないよね。ジャズの廃盤がこっちでは日本に比べて安く手に入るかもしれないけど、別に廃盤にこだわらなかったら同じのが日本で手に入った

りするわけじゃんね?まぁその希少盤の付加価値が高すぎるのが問題なだけであってさ。だから失礼な話、後進国から来た連中にとってニューヨークは厳しくて

も夢の楽園みたいな感じに映ってるかもしれないけど、日本人にとっては意外とそうでもないってのは文化的な面では対等だからなんだよね。むしろ日本のほう

が美味しい店がいっぱいあって綺麗なわけだから。文化的と言うところで勘違いしてほしくないのは、すでにアクセスしようと思えばアクセスできる文化の面で

は対等なんだけど、そういったものにアクセスする人が多いか?ってことになると、ニューヨークのほうが明らかに多いと思うわけで、その辺は民度の問題なの

ね。だから前にも書いたように日本とアメリカの差ってほとんど民度だと思うわけ。物理的な部分ではそんな大差ないと思うね。ただ社会がクズなんで、差があ

るように見えちゃうっていう、そんな感じだと思うね。ところで電子音楽にしてもニューヨークの専門店なんかよりは日本の専門店のほうがよっぽど品揃えが良

かったりするからね。でも日本はヨーロッパやアメリカみたいに電子音楽なり実験音楽をアートと捉える土壌が無いんで栄えないっていう、ようは社会的な差な

のよね。なんかいいや、もう話が分け分からなくなってきたし、買ってきた本読みたいからやめるわ。

ってことで今日は「号外・アルファブロガー落選」ってことで、前回の続きは明日ぐらいにします。

追記。

どーでもいいけど哲っちゃんって自分が中途半端なインテリだってこと自覚してるのね。見直したわ。ってことでもう批判はやめよう。お茶の間評論家としては十分だもんね。

死の歴史―死はどのように受けいれられてきたのか (「知の再発見」双書)

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