風邪で煮込んでいたのはたったの二日。

mimisemi2007-12-31

風邪で煮込んでいた。クリスマスやら年末に風邪だなんてヒミズみたいじゃないかってことでヒミズを読み返したんだけど、改めてこれは凄まじい傑作だね。太宰っぽいなんつーか昭和初期のデカダンスというか、凄く日本文学的な美学がありつつ、一切奇麗事無しみたいな、俺の大フェイバリットのカルネ・カノンを彷彿とさせる感じだったね。まぁあえて比較すならカノンの場合、最後はヒミズで言うところの茶沢さんと結ばれるというか、愛さえあれば・・・的な感じで終わるけど、ヒミズの終わり方だとあの親父の妄想が現実でそのまま映画が終わるって感じだもんね。ずーっと主観的に色々なことを考え続けている男が誰かを殺した後、自分も死のう的なストーリーは凄くカノンと共通点があるんだけど、ヒミズの場合、例えばカルネみたいな不可抗力によって一気に奈落の底に落とされたって感じではなくて、最初から救いが無いような感じなんだよね。それがまたストーリーを強烈なものにしているし、読者に一切の望みみたいなのを持たせないところも凄くいいよね。ただカルネのおっさんみたいにどん底にいることで人生とは何かを悟ってしまったという意味では凄く共通していて、俺は中流育ちでお金に困ったことは無かったけど、経験していたアノミー状態という意味ではカルネのおっさんの気持ちも住田の気持ちもよく分かるわけで、物凄くシンクロ率が高い漫画なわけね。ただなんというか極端なぐらい作者の世の中の不条理に対する怒りみたいなのが凄く出ているというか、ただむしゃくしゃしてたから人を殺したとか、パチンコで負けたから放火したとか、そういった現代の日本を投影するような事件というかしょーもない人間に対しての怒りが凄いよね。あと世界観が凄くニーチェっぽい。本当は物凄くいいやつで正義感もあるやつで、だからこそ彼の極端な正義が極端な殺人意志に行っちゃってるような純粋な青年が結局、社会からは罪人扱いされて自殺しちゃうっていうような、ホント、救いの無い現実を描いているわけだけど、俺の勝手な解釈だと、恐らく住田は最後には本当に出頭するつもりで、将来的には茶沢さんと慎ましい生活を送るつもりだったんだけど、例の死神が「決まってるんだ」って言うのに象徴されるかの如く、結局生きることを最初から許されていなかった不幸な善良な人間だったわけだよね。俺はあの死神は住田の主観が生み出したものではなく、本当の死神だったと思うわけ。なぜなら住田の回想シーンでも死神が出てくるわけで、物語の第一巻以前から住谷は死神が見えていたってことなんだよね。慎ましい孤独な生活を求めていただけの住田なのに死神からそれを許されずにゆっくりと奈落の底に落とされるみたいな感じなんだけど、またカノンを出すと、カルネ・カノンのテーマの一つである「一寸先は闇」っていう、アクシデントが貴方の全てを破壊するみたいなアレと同じことで、死神に睨まれてしまった人はもうどーしょーもないみたいな救いの無さなんだよね。カノンでもそうでしょ。あのおっさんは住田みたいなクールさとかペシミスティックな感性を持った人なんだけど、別に人殺しをしたいなんて最初は思ってない。ただあるアクシデントから負のスパイラルに巻き込まれて、抜け出せなくなって人と娘を殺してから自分も死のうみたいな感じになる。もう十分不幸なのにまたさらに不幸を経験させようとする不可抗力の恐怖とその理不尽さが凄まじいわけだ。で、カルネのおっさんは「俺はチンポだ」って悟ってしまって、住田も「俺はクズだ」って悟ってしまう。基本的に物語の終わり方が違うだけで、カルネとヒミズは凄く似ていると思うね。まぁ別に比較をしてもしょうがないんだけどさ。


ところで風邪で煮込んでいたのは実質クリスマス前後の2日ぐらいで、他はウォール伝も更新せず何をしていたのかというと、風邪のときに寝ながらベッドでPCやったり映画見れるように、椅子をベッドの枕元に持ってきて、んでPCを横にして椅子に立ててまぁ寝ながら全てをしていたわけだけど、風邪が治ってもベッドから離れない生活がダラダラ続いちゃって、んでまぁこんな感じなんだけどね。この枕元PCをはじめるともう起き上がる気力すらなくなって、しかもすげー危険なことに寝ながら動画三昧・ネット三昧・映画三昧になってしまって、もうただですら何もしないのに余計何もしなくなっちゃうのね。で、飽きたら読書って感じで起きている時間の大半というよりかは全てをベッドで過ごしていたわけだけど、枕元PCは映画を見るときは必ずやるんだけど、んでもこっからの寝癖が酷くなっちゃうのね。寝癖って髪型じゃなくて寝たまま癖って意味ね。もうPCを机に戻す気力すらなくなっちゃうんだよね。ってことで先週ぐらいに学校休みになってから割とすぐに風邪引いて2日ぐらい寝込んでて、その後は3日ぐらい枕元PC生活が続いて・・・って感じで、んまぁ一週間ぐらい寝たきり老人だったわけね。要介護。で、昨日、さすがに引き篭もりすぎだと悟ってマムハッタンに行ってきたんだけど、ジョーダンの7だか8のレトロが出ててね、最近、んでとりあえずサイズ聞いてみたら「そんなサイズあるわけねーだろ!とっくに売り切れだ!もう見つからねーよ。クリスマスだからな」とか店員に言われて改めてこっちのジョーダン人気に唖然としてしまったわけだけど、そういえば俺は靴はナイキしか履かないって書いたけど、最近、コンバースのやつでアナーキズムのマークがついてるやつを見つけてねっつーかネットで、んで「こりゃかっこいい!」と思って生まれてはじめてコンバースを買おうと思ったんだけど、これってもう何ヶ月も前のやつで店に無くてね、んでまぁ諦めたわけだけど、ネット通販とかで買うかもしれないとか思ってネット通販で買ったらインターナショナルなクレジットカードは使えないとか使うんだったらカードのコピー用意しろとかすげー面倒なこと言われてんでカードについて色々調べてたらどうやら伊藤カードもクレジットの枠に入れればデビットとして使えるっぽいとか勝手に思ったんで実験したんだけどまた店から「照会が無理でした」ってメールきそう。ただネット通販って商品をカートに入れて必要事項記入して注文するまでがすげー楽しいじゃない?だから無理でもいいかーとか思って注文しちゃうんだよね。ダメ元で注文したらやっぱ無理って言われたとか、そんなのが2件ぐらいあったわけだけど、


まぁいいや、マムハッタンに話を戻すと、前に本をアホほど買ったんでもう何も買うまいとか思ってたんだけど、俺の唯一といっていい年末の行事は仁義を全部見て年を締めるんだけど、かじめーこが可愛いでしょ?広島死闘編だったと思うんだけど。んでこっちで女囚サソリシリーズとか雪夜叉だったかなんだったかシリーズもボックスで出てるんで買おうとか思ってキムズ行ったら無かったんだけど、んでなんだったっけな?何を書こうと思ったんだっけ?んでそうだ、前にバタリアン見たいって書いたでしょ?で、まだずーっと見たい欲があるんで、これはマジで見たいんだなとか思って探したんだけど無いんだよね。バタリアン。で、探してるときに「ちょっと待てよ・・・」とか思ってさ、バタリアンって邦題じゃねーの?とか気がついてゾンビの棚を注意深く見たら発見したんだけどタイトルがReturn of the Living Deadなのね。で、1と2とね、あと色々と血迷ってっていうか、久々に来たもんだからすげーDVD欲しくなっちゃってさ、んで童貞ジョンソンのボックスも買おうかな?とか思ったんだけど、俺のお気に入りのデビーが真っ二つが入ってないんでやめたのね。でもなんだかあれだったわ、1から8ぐらいまでがセットになってて55ドルとかだったよ。もう消費されすぎてて廉価版みたいになってるんだろうね。んであとあのイングマール・バーグマンの第七の封印がさ、ずーっと欲しかったんだけど、the criterion collectionとかいう、割とアート系の映画ばっか出してるレーベルみたいなのがあってね、まぁゴダールとかフェリーニとかブニュエルとかすげーメンツなんだけども高いんだわ。こっちのDVDの平均って12ドル〜25ドルなんだけどこのcriterionのは定価が40ドルぐらいなのね。で、無駄なブックレットとかが入ってるんだけど、見れればいい俺としてはすげー嫌なんだよね。こういうの。だったら普通のパッケージにして安く出してほしいんだわな。抱き合わせしすぎ。で、まぁキムズではAmazonに対抗してんのか30ドルぐらいで売ってたんだけど、それでもたけーよ。まぁ日本のDVD価格に比べたら安いけどさ。もちろんこれはダビング持ってますよ。何回か見てる。んだけどあまりに名作だからこりゃDVDで欲しいんだわな。あと恐らくブルジョワジーとかも買うだろうし、タルコフスキーの鏡とノスタルジアも買うと思うね。ブルジョワジーといえば自由の幻想を見たんだけど、買ったのがたぶん1年ぐらい前でディープな時期だったから脳のキャパが無かったのかな。イマイチじっくり楽しめなかったんだけど、今回、改めて見てみて凄まじい名作だなと再認識させられたね。もうブニュエルのブラックジョークとアイロニーの塊なのと、特にあの最初のブリアリ父さんの娘が山ちゃんっぽい変態親父からもらった変態写真を見て「はしたない!」なんて言うシーンがあるんだけど、写真の内容は変態写真かと思わせておいて風景写真なんだけど、これってごっつの餃子シリーズを思い出すよね。「シンメトリーにはうんざりだ」なわけだ。この底なしの自由の表現から描かれる自由の不自由さってーのはなんだか、幸せであることが幸せなんじゃなくて、不幸せであることが幸せなんだ的な、抑圧されているときが一番自由だみたいな、そんな感じを受けるよね。不幸せなときはその先に幸せがあると思えるのでまだ希望があるんだけど、幸せな状況から来る虚無感というのはもうそういった状況から生まれている時点でもう救い様がないんだよね。ブルジョワの憂鬱みたいな感じだな。まぁいいや。俺もシンメトリーにはうんざりだから、今日は左右別々にもみ上げを切ってみた。あとバタリアンさ、あれが名作なのってもちろん宮崎ロメロのあれのパロディーとかオマージュのテイストの良さってのもあるんだけど、俳優の演技だよね。出てくる俳優の全部が良い。あのガス吸っちゃってだんだんとゾンビになっていくバイトの兄ちゃんとおっさんなんてもうコンビでM−1出たら?ってぐらいナイスだしっていうか、本当に死後硬直が痛そうなんだもんね。シャツに滲んでる汗とか、本当に完璧すぎるのと、あとやっぱあの細野・鳩山系のヨーダ系列の顔をしている解剖医ね。最初はすましてるんだけど、ゾンビを見るなりもう焦っちゃってビビっちゃって、んで特に秀逸なのが部屋から外を見回すときのあのアクションね。ドアについてる外を見渡せる小窓を空けるときのアクションとかさ、ホント、あの映画は俳優で持ってると思う。あれで俳優がクズだったらあそこまでの名作にはならなくて、普通のホラー映画になってたと思うんだよね。そういえば「私の名前はオバンバ」なんていうセリフは無いし、2に出てくる上半身と下半身が分かれても動くゾンビのことをハンブーンとかって呼んでるシーンも無いし、あれは日本が十八番な捏造です。というか80年代のビデオバブルの時にクオリティ関係なくリリースされまくってたホラー映画バブル期のセンスなんだよね。完全に。んで面白いことにバタリアンがあの時代のホラーバブルの雰囲気とすげーあってるんだよね。


アメリカにも70年代80年代の古き良きアメリカン・エクスプロイテーションフィルムのヴァイヴというか独自のムードってあるんだけど、日本って上手いことあの輸入できっこないヴァイヴまでもを輸入して独自に精製しなおしてたような感じがあるね。まぁピークがギニーピッグだったわけだけど、日本にアメリカのエクスプロイテーションフィルムの数々のフォロワーがいたってのは凄いことだよね。あれはヴァイヴまでをも輸入してたからできたことなわけだ。まぁいいや。
バタリアンの2は駄作と言われているけど、俺としては十分楽しめるんだよね。1はロメロのパロディなのに2で1のパロディをしちゃってて、もうパロディのパロディみたいな安直な雰囲気満載でたまらんのだけど、こういったテイストを楽しむ感覚って膨大なクズホラー映画見てないと芽生えて来ないんだよね。だからこういう楽しみ方が出来るのって中原とか柳下みたいなマニア気質の人じゃないと無理なんだよね。まぁそもそもこんな映画見てること自体がマニアックなんだけど、んでもバタリアンはさっきも書いたような俳優の演技力とかゾンビの完成度の高さとかを見ても、ホラーファン以外でも評価されているだろうと推測できるんだけど、2にいたっては1の良さもあってが駄作なんだけど、ホラー感覚を持ってる人なら2も味わうことが出来るってことなわけで、ホラー感覚を養うにはやっぱHGルイスみたいな映画を大量に見ないとダメなんだな。まぁあと大量のクズホラー映画を見た人だったら、クズホラーに比べれば2なんて出来のいいほうだっていう比較ができるってのもあるんだけどね。あーなんだか懐かしいホラー感覚だなぁーっつーかダメホラーみたいなのを見ると故郷に帰ってきたような安心した感覚を覚えるんだよね。それにしてもさーニート時代は本当にさーもう大量の最低のホラー映画を泥酔しながら見るのが日課だったわけだけど、ああいうのもリソースを蓄積させるという意味では最高の時間だったなぁーって今更ながら思うよね。つまらないホラー見ると酔い過ぎて頭が痛いような感覚を思い出すんだよね。もうホラーの雰囲気が見ていた当時の俺の体の感覚と一緒になっちゃってるわけ。2000人の狂人なんてウィスキーの臭いしかしないもんなぁ。あ、んでキムズに話を戻すと、他に買ったのがインキュバスっていうカルトクラシックで、これは唯一の人工言語であるエスペラント語で撮られた映画なんだけど、ホラーというよりかはモロにアート映画のあれみたいな、なんつーかあの浜辺とか自然みたいな雰囲気の中、ひたすら退屈という意味だとポランスキーの水の中のナイフとか、あのへんのアート映画の情緒があるんだけど、バリバリ商業娯楽映画のルールに則って作られたバタリアンみたいなのを見てから見るともうフックやらパンチの無さに凄まじい眠気を覚えちゃって30分ぐらいで断念だったね。ただ映画自体は相当いいはずだし、そういう感受性があるときに見れば最高なはず。まだ見てないから分からないけどね。あともう一つは前々から気になっていたSlaughter Nightっていうオランダ産のホラー映画なんだけど、なんで気になってたかっていうと、アメリカのAmazonの俺個人に対するオススメってのの中に入っててねっていうか、まぁあれよ、あのー今まで買った商品の傾向にあわせた推薦が送られてくるっていうあれよ、んでまぁ商品ページ見たら近年のホラー映画の中でのベストの一つとか書いてあってさ、レビューでね、んでどんなもんだ?とかずーっと思ってたんだけどっていうか、店ではね、キムズでパッケージ見たときはそんなでもなさそうっていう、俺のホラー感覚が揺さぶられない感じがして嫌な予感がしたんだけど、カスタマーレビューでトップだって書いてあったんでなんかあるんだろうと思ってみたらなーんにも無かったっていうね、現代のエクスプロイテーションフィルムの配給会社であるアルバトロスあたりがまたみょーちくりんな邦題をつけて出しそうな映画なんだけど、仲間の体が乗っ取られて殺しあうって意味だと、俺が勝手に修道ゾンビって名前をつけた、たぶんアルバトロスが配給だったような、すげーくだらないやつがあるんだけど、それ系なのね。ちょー適当な理由で若者達が地下の坑道みたいなところに閉じ込められて、んでその坑道で処刑されて死んだっていう伝説の殺人鬼がその若者達に乗り移って殺しあうっていうようなありがちのやつなんだけど、ホント、オランダのちょっと可愛い感じのアイドルみたいなタレントっぽい女の子とかさ、そんなのを使ってる感じなんだけど、この手の映画って大半がそうなんだよね。女優への第一歩ってことでホラーしか仕事が無いからとりあえず出ておけみたいな、そんな感じで出ちゃったちょっと可愛い感じの女の子が主人公なの多いよね。あとなんだったっけ?殺人クラブだったかなんだったかさ、若い連中が殺人マニアのために監視カメラが設置されている別荘みたいなところに集められて殺し合いをするみたいなさ、そんなのもあったような気がするんだけど、あれも活きだけがいい若い俳優達が集められてる感じだったもんね。この手のホラーって若さとか活きのよさってのが必須なんだろうね。まぁいいや、この坑道のやつに話を戻すと、ゴアシーンはまぁまぁだったけど、もっとやるならやってくれって感じで中途半端だったかな。ただ仲間の体が乗っ取られているのに躊躇せずにスコップで頭を殴ったり、ショットガンで頭を吹っ飛ばしたりするのはなかなかだなと思いました。ショットガンで頭を吹っ飛ばされる女の子なんて殺されても頭が無くなる感じの見た目の女の子じゃないのに頭吹っ飛ばされて、挙句の果てにショットガンを撃ったやつの顔中に肉片が飛び散ってそれを水道で洗うみたいなさ、そういうシーンがあるのは良かったんだけど、Amazonのカスタマーレビューを読み直してみたら「最高!」とか書いてたやつが、日本のAmazonで良くも無い本やらCDやら映画やらに「最高!」とか書いてるレベルの馬鹿カスタマーで、んでそのカスタマーレビューの一つに星一つをつけている人がいて、その人のレビューを
読むと「この作品に関して妙に熱狂的なレビューを書いてる人達がいるみたいだが、ちゃんとした観点で言わせてもらうとこの作品は秀逸でもなんでもなくただの凡作だ」みたいなのを書いてるのがあって、んでそのレビューの筆力とかも馬鹿レビュアーの比じゃなくてっつーか馬鹿レビュアーの筆力が最低なんだけどって俺も人のことを言えないんだが、頭の悪そうな文章で書いてるレビュアーのことは絶対信用しないほうがいいね。特にアメリカのAmazonはその筆力の差がすげー顕著なんだよね。まぁってことでこの星一つってのが正解レビューで、俺はまんまとアホレビュアーに騙されたってことだ。ただなんでもっと注意深くレビューを読まなかったんだろう?ってすげー後悔したね。最悪なのはDVDを買っちまったってことだ。まぁ過去にも赤い部屋とか生き地獄とかどうしようもないぐらいどうしようもないホラーのDVDをキムズで買った経験があるんで、まぁこれが最初じゃないんだけど、ただなんか出費がレンタルビデオの比じゃなくてもうどーしょーもないぐらい悲しいよね。レンタルビデオでも失敗はしたくないけど、まぁまだ許容できる失敗なんだけど、DVDは無駄に永久保存版だから、しょーもない作品の永久保存版なんて持ってても全く意味が無いわけで、本当に困るよね。気をつけなきゃな。ただまぁDVDの値段が12ドルぐらいだと正直、失敗してもいいかなとか思って買っちゃうんだよね。1000円ぐらいのCDだったら失敗できるのと同じ原理よ。でもさ、どーせなら本当に好きな映画だけDVDで持っておこうってなると、買う大抵の映画がエンターテイメント的にはアウトな映画ばっかになるんだよね。で、「映画でもみるかな」って思ってDVDのコレクションを見回しても楽しめそうなタイプの映画は本当に限られているっていうね。まぁその場凌ぎのやつなんてDVDで持ってる必要はなくてまぁレンタルとかで十分なんだけど、でも「映画でも見るかな」って思ったときに見たくなるような映画ってのも持っている必要があって、まぁバタリアンとかは最たるもんだと思うんだけど、俺のコレクションで言うとスカーフェイスとかグッドフェローズとかワンスアポンアタイムインアメリカみたいなマフィア・ギャングものとか、あとオースティンパワーズとかさ、そんな感じなんだけどすげー限られてるよね。ウディアレンのやつは半ば英語の教材みたいな感じで買ったし、実際、エンターテイメント性があるのって意外と少ないし、そう思うと俺が普段馬鹿にしてるような分かりやすい映画ってのもやっぱ娯楽として必要だよなって本当に痛感させられるんだよね。


ってことでエンターテイメント性とカルト性を見事な形で両立しているスターシップトゥルーパーズなんてのはもう金字塔なわけで12ドルぐらいだし今後買ってこようかなって思うよね。あと気になってるのがロシアの1920年から80年代までに作られたプロパガンダアニメの4枚組みDVDなんてのがあって高いから買ってないんだけど、Amazonで半額で出品している店があったんでそのうち買うかも。ボックスはAmazon内のオルタネイティブな店から買うのが一番だね。大半が半額ぐらいだし、そーいやーウディアレンのボックスなんかも半額で買ったりしたからね。退屈といえばパゾリーニのあの宗教チックな一連のやつとかさ、おっさんと息子だかが喋りながら道を歩いてるやつとか、もうなんかメタファーまみれっつーか、考えながら見ないとダメみたいな感じで見るのに覚悟がいるんだよね。難解で退屈って意味だとゴダールのヌーヴェルバーグとかリア王とか探偵みたいな雰囲気があるんだよな。そう思うとゴダールの60年代のやつなんかはメタファーやら隠されたメッセージ性なんてのがあるにしても、映画として素晴らしいっていうか、まぁヒップでオシャレってのもあって、なんか雰囲気自体がいいってのがあるでしょ?だから馬鹿な若いやつからオシャレってことで人気があったりするわけ。でもこれって重要だよね。映画を見させるためのフックとしては映画の雰囲気とか俳優とか女優とかってマジで重要でしょ。そんなのを完全に省いて凄まじく哲学チックなことばかりに終始している映画ってのはホント、一部のファンだけしかついてこないよね。で、俺はこの後者みたいなタイプの映画ばかり評価してきた雰囲気があるけど、今更ながら今、散々書いているように、上辺だけに見えるようなエンターテイメント性とか視覚的な魅力ってのも凄まじく需要なんだなって思い知らされるし、その辺を両立している映画って意外と少ないかもなって思ったりしたね。ホーリーマウンテンとかエルトポなんかはそういう意味だと完璧かな。でもあれを本当の意味で見るには草が必要だ。クサリクワイアメントがある映画ってこのになるとコンディショナルなものになっちゃうから、そういうの無しでも楽しくて薄っぺらくないって意味だとなんだろうね?スターシップトゥルーパーズしか浮かばないな。あれってのもさ、元々は凄まじくなんつーか西尾幹二みたいなやつが書いた右翼小説が原作なんだけど、バンホーベンが持ち前のガンジャダッチ精神でモロ皮肉っぽく描いたってのがさ、名作たる所以ってことで、なんつーか監督の手腕が勝った作品だよね。キムズでもバンホーベンは普通の棚じゃなくて、カルト系の棚にあるし、ショーガールとかロボコップとか一連のやつもカルト扱いなんだな。まぁカルトでしょう。ショーガール
とかもうナスティすぎて最高だよね。あれ。なんか妙に箱がデカイボックスセットみたいなのも出てて、アメリカの映画評価の土壌の広さに開いた尿道が塞がらないね。ファシズムへの批判映画って意味だとソドムの市的な感じなんだよね。トゥルーパーズって。ただトゥルーパーズはコメディタッチでってのと監督の天然によって批判されているってのがまたポイントだね。大量の戦争プロパガンダ映画を作っているのもアメリカなんだけど、大量の戦争批判映画とかリベラル映画を作っているのもアメリカなんで、アメリカって本当に両方の幅が広いんだよね。マジで。同じ国だとは思えないぐらい様々なことが広すぎる。そこが凄いんだな。やっぱ。まぁバンホーベンはハリウッド業界に嫌気がさして完全にオランダベースで活動しているらしいけどね。アメリカって過去は様々な移民を受け入れて多様性を広げていったんだけど、近年になればなるほどその多様性が狭くなっていってて、過去に移民してきたような人達が逆に国を出て行っちゃうみたいな傾向はあるかもね。それでもやっぱ他の国と比べたら相変わらず外人受け入れ態勢は世界一といっていいぐらいだし、底なしの個人主義は近年見られるような社会的なリミットがあるにしてもまだまだ健在なわけだよね。俺はこのアメリカの底なしの個人主義と雁字搦め嫌いな国民性ってのに心底惚れこんでいるわけで、まずもう日本に帰れないよね。もう帰ったら気が狂う。アメリカのことを知らなくて生活をしていたときですら気が狂ってたのに、リベラルな空気を知ってしまった今となっては過去なんてのは比較にならないぐらいもっと気が狂うね。なんかすげー日本の嫌な部分がめちゃくちゃ出てるみたいな嫌な夢を見て目覚めると俺はクイーンズにいるってことで安心するってのもなんだかどうだかなぁー?って感じだよね。普通っつーとあれだけど、故郷の夢を見て懐かしい気持ちに
なっていたところ目が覚めてみたら自分は外国にいるってことで妙な疎外感と故郷へのノスタルジーを感じるってのはさ、なんか健全な気がするんだけど、俺って真逆だからね。あークイーンズで良かった!って感じるのがさ、どんだけ日本嫌いなんだよって自分で思ってがっかりしちゃうね。俺ってもう考えられないぐらい日本が嫌いなんだなと。


それにしてもあれだよ、バタリアンじゃないけど、すげーアメリカだなぁーって描写を見てアメリカだなーって感じないんだよね。当然、日本人がアメリカ映画を見るときはすげーアメリカだなーってアメリカ映画を散々見てきていてもコテコテのアメリカな感じにアメリカだなぁーって感じるんだけど、こっちに住んでるとすげーアメリカーってのが日常になるからそれが普通の感覚になっちゃって、映画の中のアメリカがただの日常になっちゃうんだよね。もちろんアメリカ人が感じている映画の中の日常と俺との感じ方では相当差があるよ。ようはアメリカ人が日本映画見たらさ、日本ってこんな感じなのかぁーってエキゾな感じを受けると思うんだけどっつーか紀子の食卓みたいなとことんリアルに日本的なやつね。ただアメリカ人が日本での生活にガイジンながらも慣れたら紀子の食卓みたいな日本的な雰囲気が日常的になっていくでしょ?で、アメリカ的なものに懐かしさと郷土愛みたいなのをを感じたりするかもしれない。俺はまさしく今、そんな感じだね。ただ俺の場合は懐かしさと違和感だけどね。ただ紀子の食卓が凄いのはあの日本的な違和感をこれでもかってぐらいリアルに描いているところなんだよね。あれを見て日本人ですら日本的な違和感に違和感を感じるかもしれないからね。そう、日本ってやっぱおかしいんだよ。具体的に説明してないからアレかもしれないけど、人間関係の窮屈さとか人を常に疑う感じとかっていうようは慢性的な抑鬱状態ってのがね、異常なんですよ。だから人が自殺するっつって自殺するのは当たり前だよね。だって社会が狂ってるんだから正気でいろってほうが正気の沙汰じゃない。これってのもいつも書いてるように、こっちの生活に慣れたってことから日本を相対化することが出来るようになったんで、まぁこういう視点が持てるようになったんだけど、紀子の食卓みたいなあまりに鋭すぎる表現物の場合は相対化しなくてもそれ自体が狂気であるって認識するに十分なものが作品の中にあるんだよね。ただ日本ってホント、ホモだからもうちょっと物事を俯瞰できるようなリソースを蓄えるべきだよなとは思うよね。基本的に日本の非インターナショナル加減ってのはアメリカの田舎並だからね。まぁ国際感覚ってやつか。それはグローバリゼーションを享受するって意味じゃなくて、っつーかまぁそういう意味でもいいし、抗うという意味でも国際感覚は必要だよね。限られたアメリカの田舎モノみたいな感覚でいるとマジで今以上に腐っていくよね。日本は。保守なり右翼なりでも三島的にグローバリゼーションに対抗しないとね。ただの馬鹿の田舎モノが日本は世界一だなんて言ってるレベルじゃマジで死ぬ。ホント、ああいう似非保守・右翼の程度の低さってのはアメリカの田舎のブッシュの支持母体みたいな連中とレベルと本当に変わらないね。それはロードアイランドにいたころのホストファミリーを思い出すとまぁ新鮮なんだが、日本全体があのディックヘッドみたいな感覚でいるのかと思うともう背筋が凍りますよ。アメリカからの独立なんて政治的にもメンタル的にも物理的にも無理。アメリカの属国で居続けるということの原因は何も外交上の問題だけじゃなくて民度もあるんだよってのを肝に銘じておかないとダメだよね。国全体の民度がアメリカの田舎の似非保守程度のレベルだったら、まさしくアメリカのブッシュの支持母体の如く、権力側にコントロールされきっていたほうが彼らにとっては幸せだったりするわけだからね。日本を見てて思うのはアメリカからの独立もさることながら、まず国家からの独立が最優先な気がするな。それは国家を無くせって意味じゃなくて、自分たちで自分たちの事を決めて生きろよっていう本質的な自立ね。そういう自立が無い限りアメリカからの独立なんて絶対無理よ。まず最初の敵はアメリカじゃなくて政府よ。で、次にアメリカでしょう。日本国民がアメリカどうこうなんて文句を言うのは10年ぐらい早いってコトだね。ブッシュの支持母体で構成されている国が出来ました、どうなりますか?っていったらブッシュみたいな権力者のいいカモにされてコントロールされて支配されるってことでしょ。今の日本って恐らくその程度。だからダメなんだな。マジで。最近、特に社会学なんかを勉強していると特に思うのが日本って市民社会じゃないんじゃない?ってことね。まだそこまでいってない感じがする。アメリカみたいに州によって市民社会の成熟度ってのが違うってのがあればまだいいんだけど、日本の場合、全体的に低いんだよね。だからアメリカの田舎の州の一つなわけだよね。なんかすげー話がそれたな。どっからこんな社会の話になったんだ?映画に話を戻すか。


っつーか今、サルトルの嘔吐読んでるんだけど、これって嘔吐じゃなくて吐気って訳すべきだよね。吐気と嘔吐じゃ全然意味が違ってくる。それにしてもさ、サルトルヒロポンと無はさ、もうホント、デリダ並に無駄が多くて読みづらそうで読む気も起こらないけど、吐気ならいいかなと思って読んでるんだけど、んでもあれだね、やっぱこういうのってもっと読解力が上がってから読まないとダメだね。あと分からない単語が多すぎで読んでると眠くなってくる。小説ならマシかな?とか思ったんだけど、基本的に誇張好きのポン中サルトルから発せられる薬臭にやられないようにするためには人並み以上の読解力と集中力が必要なんだなって思いましたね。あーアナーキーマークコンバース欲しいなぁー。あんなかっこいい靴はないよ。マジで。あと何かなぁー?マウスオブマッドネスの素晴らしさか。基本的に本好きってああいう本がモチーフになってる世界観とか本の中に迷い込んじゃう的なストーリーに惹かれると思うんだけど、何がいいかってさ、あのカーペンターのBプラスな雰囲気とナイスな世界の終末観に尽きるよねっつーかたぶん15ぐらいの時に見てすげー好きになった映画なんだけど、たぶんその当時の良いと思ったすり込みが強いと思うんだよね。俺の場合。昔、玉が痛くなるぐらい抜きまくったオカズに関しては現在それを見ても使えるとは思えないんだけど当時の使えていた記憶によってチンポが反応するみたいなね、そんな感じがある音楽とか映画って多いでしょ?ケンイシイのジェリートーンズとかそうなんだよね。まぁあれはあれ自体素晴らしいものだとは思うんだけど、当時、金が無くてCDが買えなくてジェリートーンズばっかり聞いてたっていうあの記憶のすり込みが強いわけね。母から「よくそんな聞いてて飽きないわね」って言われたぐらい何回も聞いてたんだけど、ああいうなんつーか音楽の聴き始めとかさ、多感な時期って何もかもが無限だよね。あの時は限られていた音源に不自由さを感じていたんだけど、色々なものを聞きつくしてしまった今となっては、当時の擦り切れるほど聞いてた感覚が懐かしく思えて、当時のほうが今より音楽を楽しめていたんじゃないか?とかって思えてきて、その話ってのはさっきの幸福よりも不幸であることが幸福であることと似ていると思うんだよね。凄く。何も物質的に恵まれていることが幸せということではないんだよっていうのの良い例だと思うんだよね。ものの感じたかとかみたいな感受性次第で幸せなんていくらでも変わってくるわけだから。それにしてもやっぱあの浴びるほど音楽を聴く
とか映画を見るとかっていうあの感覚さ、当時のね、あれって記憶でも消さない限り二度と戻ってこないんだよねぇ。そういう意味だと今は色々と経験を積んで賢くなっちゃったから、物事に対する初々しさが無くなっちゃってるんだよね。まさしく洗練されるってそういうことなんだよね。確か。ポジティブなタームとして語られるけど、本来の意味としては確かプリミティブなものをそぎ落とした結果、純化されたみたいなことだったと思うんだけど、何も初々しさとかプリミティブさを削ることがいいこととは言い切れないからね。だから洗練されるってそこまでポジティブなことでもないんだよね。まぁいいや、もうそろそろコキネタが尽きてきたからやめるわ。久々だったからいっぱい出たね。ところでなかなか良いミックスを発見したんで聞いてみてくれ。んじゃあまた。次の更新も例によって休みを享楽する態度によって全然先になるかもしれないっつーかずーっと家にいるからネタが無いんだよね。で、学校始まるとまた色々と書くことが増えると思うんだけど。でも気分的にもう休みいいやーって感じ。とっとと学校始まってほしいね。もう生活がグダグダすぎ。やっぱベストなグダグダってのは、あるそこまで多くない時間をオキュパイドされている生活中で送るグダグダな時間なんであって、全体がフリーになっちゃうと、グダグダと自由との区別が無くなって、それこそ自由の幻想みたいになっちゃうわけね。そう思うと俺はそこまでニート体質じゃないんだなって思ったね。まぁ一日、そこまで苦痛じゃないことに4時間以上7時間未満ぐらいオキュパイドされているほうが心地いいんだなってことに気がついたね。こんな雰囲気で将来仕事できればもう人生最高になるんだけどなぁー。

http://everyonesadj.wordpress.com/2007/08/13/featured-mix-dj-helix/

ところでM-1サンドウィッチマン優勝ってことで最高でしたね。芸人の審査方法に問題があるとか批判されるM-1だけど、とりあえず今回の優勝に関してはパーフェクトですよね。で、やっぱ正当派漫才ありきのお笑いなんですよってのもね、見せ付けてくれましたよね。サンドウィッチマン

第七の封印 [DVD]

第七の封印 [DVD]

おすぎと違って耳蝉の映画評論は嘘をつかないので(評論ってほどのもんじゃないけど)第七の封印、未見の方は是非、オナニーを我慢してでも見てください。耳蝉は嘘を言いません。こんな素晴らしい映画をDVDとして所有できるという近代は文化的に本当に素晴らしい時代です。文化的暮らすということはまさしく、現代を生きるということですね。

んまあ実質、両国に差はありませんね。まぁ大国は国民を欺くってことですかね。