ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

Mythleading。

mimisemi2008-02-09

あれ、レクイエムとおっぱいの監督のThe Fountainってやつ見たんだけどっつーか最近まで知らなくてさ、どーしてんのかな?この監督とか思ってて。んでまぁ調べたらあって早速買ったんだけど、なんつーかまぁ失望だね。期待しすぎていた分、なんというか本当に残念。見たときまずビビったっつーかDVDのパッケージ見て「ファンタジーもんかよ!」とかってビックリしたっつーか買う前に調べてなくてさ、とりあえず見るべって思って。で、まぁこんな感じだったわけだけど、ロードオブザリングみたいなオープニングに驚きだったのと、ウルバリンが主人公でしょ?ブラピが主役やるっつって変更が多くてキレて降りたっつーのは知ってたけど、映画の内容までは知らなかったんだよね。で、まぁ特にフックも無くてそこまで引き込まれることもないまま終わっちゃったんだけど、なんつーか一言で言うとこれ世界系じゃんっていう。本当に愛している妻が癌だか脳腫瘍だかで死にそうで、んでまぁその奥さんを治したいっていう個人的な理由だけで動物実験をしているマッドプロフェッサーみたいなのが主人公なわけだけど、たち悪いのは職場の仲間まで巻き込んでやってるんだよね。まぁそれはともかくまぁ意味ありげに16世紀のマヤを侵略するスペイン軍だとか、あとで調べて分かったんだけど、26世紀だかの瞑想空間みたいなスターシップでエデン的なところに行こうとしてる60年代とか70年代のヒッピーカルチャー系で流行ったうそ臭い禅にかぶれてる東洋かぶれっぽいウルバリンがなんだかまぁ瞑想しつつ木と話しているわけだけど、本当に世の中がどうだとか、周りがどうだとか典型的に省いてるちょー個人的な話で唖然としてしまったね。もう世界系の典型みたいなもんだ。いや、愛だの不老不死だの死を受け入れるだのなんだのっていうテーマについては文句は言わないよ。まぁもうやられまくったテーマではあるとは思うんだけど、そこはありがちってことだけで批判したくない。内容がよければかまわない。ただこりゃ本当にダメだ。まぁもちろん悪くないけど、あまりにこのキチガイ医師と奥さんの話過ぎる。で、それを周りを巻き込んだり宇宙だの神話だのを巻き込んで個人的なことやっちゃってるんで余計たちが悪いっていうね。俺の考えだと死生観なんてのは人間の自惚れで、それこそ世の中には生きるだの死ぬだの以前にもう今日のお飯を調達するだけで大変な人達とか、死ななくてもいいような病気で死んじゃってる人達とかどっかの軍事国が落とした爆弾に被爆して死んじゃった人達とか、そんなこと考えてる暇なんて無い人達が大勢いるわけだ。そんな世の中、何も問題なさそうな家庭に生まれてきて医学の道に進めたおっさんと、同じくまぁ特に問題なく育ってきた奥さんがまぁ死について考えるっつーか葛藤するっつーかさ、そんなことはっきりいって俯瞰したらどーでもいいことでしょ?その奥さんだけしかなっていないような凄まじいわけの分からない難病とかだったら分かるけど、癌だとか脳腫瘍だなんてのはそれこそ普通にいろんな人がなっちゃって死んでる病気なわけで、何を今更という感じがするよね。それを愛している妻だからってことだけで贅沢に研究所を使って研究員を巻き込んで動物実験するって社会的にどうなのよ?もちろんまぁ価値のある研究だからまぁ研究所も許しているんだろうけど、基本的に志が科学者だの医学者だのの風上にも置けないような感じだよね。奥さんのためにってそりゃないよ。奥さんのためにと心の中で思ってても、せめて建前だけは世の中の癌や脳腫瘍に苦しむ人々のためにとかって言ってればいいのに、もうオブセッシヴにワイフ一筋。で、まぁ色々な歴史的な神話的な宗教的なインプリケーションがありつつ、まぁ最終的には妻の死を受け入れる夫ってことなんだけど、こんなのスピルバーグとかにやらせておけばいい仕事で、このおっぱいの監督がやるようなもんじゃないよね?


と、まぁそんなことを言いつつもまぁ評価できるところは、なんつーか独特の質感とかカメラワークとか音使いとかなんだけど、まぁこりゃ単純に評価できる。それこそそこらへんの映画とは全然違うし質は高い。光の使い方とかCGも後半は笑っちゃったっていうか、そんなに金無かったの?って思っちゃったけど、悪くはなかったと思う。まぁ基本的に俺ってCG使う映画全然好きじゃないんだけどね。ただ問題はやっぱりその万人が抱えているというか人類が抱えている死だの病気だのってことを、たまたま奥さんが死にそうだからっつって治療にオブセッシヴになっている医者の話っていうなんつーか別にそんな大げさに描くほどのことでもないことを壮大なるスケールで描いているところが本当に最悪というか、この監督って俺が思っていたより賢くないのかな?って思ってしまった。見込み違いというか、この監督はやっぱり退廃的というか破滅的なのを撮ってるほうが才能を発揮できるんだと思う。そもそも死について真剣に考えることが出来る人達なんてのは暇人が深刻な病人を抱えた家族だけだろう。まぁあと死ぬかもしれない病人達ね。でもたぶんホスピスなんかでは病人に死を受け入れる体勢を作るようなメンタルケアがされているのだろうし、全ての人がそうじゃないにしても、病人たちもまぁ薬なんかのおかげがあるにしても、死を受け入れて余生をホスピスで過ごしている人なんてのもいるわけで、この映画どころじゃないドラマティカルな認識の変化が個々の病人の間の中で行われているわけで、普通の人達が知らない間にそれこそ聖人みたいな認識に至って死ぬ人もいたりするわけだ。そんな中、たまたま社会的地位がある医師っつーか研究者っつーか医学者が奥さんの治療にオブセッシヴになることのショボさというのは、これから死んでいく病人の中で行われている葛藤の10分の1にも満たないと思う。いや、そりゃ気の毒だと思うよ。あんなに愛している綺麗な奥さんが死んじゃうわけだから。だからといってあれはないだろう。普通の状況を考えてみて欲しい。奥さんが脳腫瘍で倒れて病院にいるということがエクスキューズになって会社で好き勝手できる人間がどれだけいるだろうか?9割ぐらいの人が普段と変わらないビジーな日常生活を送ることを強いられるわけで、そんな労働生活の中、時間の合間を縫って奥さんの看病をしたり、見舞いに行ったりしなきゃいけないわけだ。もちろん医療費も馬鹿にならない。中には莫大な医療費のおかげで入院することすらままならない人達も大勢いるし、病院がフルだからっつって入院の予約しつつ自宅待機してなきゃいけない人達だって大勢いるし、助けたいけどとてもじゃないけど高額な医療費を払えないから正直、早めに逝ってほしいとかって思ってる人達だって大勢いるわけだよね。こういう人達の心の葛藤ってどうよ?もう考えただけで気がおかしくなりそうじゃない?俺は心が張り裂けそうになるね。だから俺は医療モノは絶対見れない。精神的に参ってしまうので。ビジュアル的にキツイやつなんていくらでも見れるけど精神的にキツイやつは本当にダメで、特に癌患者の死ぬまでのドキュメンタリーなんてのはもう本当に見れない。ただでもこれがリアリティなわけで、こういう人達にとってマヤ神話がどうだのなんだのっていう観念的は話よりリアルな痛みだの経済状況だの病気になったことによる家族への影響だのってのがよっぽど本当なことなわけで、神話もクソもない。ましてや宗教もクソもない。お金が無いので庶民が出来るぐらいの普通の治療に望みをかけるか、もしくは本人の治癒力に頼るしかないとか、そんな切羽詰った状況なわけだ。それに比べてこの医師はどうか?まぁ切羽詰ってはいるけど、金銭的には問題ないどころか、恵まれているし何より自分の研究と自分の欲求を両立できてしまっている恵まれた男なんだよね。少なくとも庶民よりは。だから俺はあえて言わせてもらうけど、この医師の心の葛藤より病人を抱えた庶民の心の葛藤のほうがよっぽど重いものだと思うし、リアルなものだと思うわけ。だからこの医師の認識だの宗教的な神話だのなんてのは正直どーでもいいわけだ。


まぁ俺が特に個人的に宗教的なものが大嫌いというのもあって、この映画と俺の心の乖離は見れば見るほど進むばかりだったわけだけど、宗教性というところに焦点を当てなくてもまぁ好きになれない感じだねっていうのがその世界系なところなわけだけど、恐らくこの映画を見て素朴に感動できる人達ってのは世間知らずな人達なんだと思うね。現実を知っていたらこんなもの馬鹿馬鹿しくて見れないはずなんだよ。内容の馬鹿馬鹿しさはあるにしても、まぁ映像というか映画の質感はやっぱり秀逸だったんで、アマゾンのレビューで言うとしたらまぁ星三つぐらいかしらね。これで映画も普通だったら星一つか2つぐらいかな。死をテーマにした映画だったら伊丹監督の大病人を見たほうがいい。それこそ世界で見られるべき作品だと思うね。大病人。もしくは哲学的な死の扱いという意味だったら、前に書いた7つの封印ね。で、そのついでにウディアレンのLove and Deathを見てもいいかもしれない。とにかく俺は分からないものとかを宗教性とか神秘性に求めるということが本当に大嫌いなんで、この手の作品は受け付けられないんだな。だからというと変だけど、アメリカの馬鹿馬鹿しいプロテスタンティズムというかクリスチャニティというかには本当に腹が立つというか、まぁリスペクトしなきゃいけないんだけど、なんでもっと深く考えないんだろうな?って思っちゃうよね。分かってる上であえて宗教を信じるということならいいと思うけど、分かってない人達がとりあえず分からないことは全て神だのキリストだの聖書だのって言ってるのはそれこそブッシュレベルなわけで、こういう無知な宗教性ほど危険なものは無いわけだよね。でも普通に聖書だの神だのってことを素朴に言っちゃうアメリカのレベルって低いことはないんだけど弱点だよね。ここがアホだよアメリカ人ってことになるとやっぱアメリカのキリスト教がベースになってる考え方とか社会だろうね。いいところもあるんだろうけど、少なくとも認識のレベルではアホとしか言いようが無い。神に祈る前に自分の頭で考えろってすげー思っちゃうんだよね。アメリカの馬鹿さを感じるのは「知識人達は全員無神論者だった!?」みたいな本があるところね。この本って色々な哲学者とか作家とかの無神論的な引用を集めた本なんだけど、こんなのは基本的に宗教性ってのがベースにないと成立しない話でしょ?日本だったら「は?」って話。だってそもそも神だとかキリストなんて概念が無いでしょ。だから「は?」って思うのが当たり前。でもアメリカではこんなタイトルがセンセーショナルになりうるわけだよ。まぁそこまでセンセーショナルではないんだけど、本の売り出し方としてはセンセーショナリズムでプッシュしてる感じなんだよね。知識人や哲学者達に無心論者が多い?当たり前だそんなの。彼らは何かに頼らず、自分で考えられる脳を持っていたから色々な著書を残せたり作品を残せたわけだ。平凡に思考停止になりながら神だのキリストだのなんて言ってる馬鹿に認識なんてのは永遠に訪れないね。あと例が無いでしょ?素晴らしい宗教者ってのがいない。だったら宗教者じゃないけど、俺にとっては仏陀の教えとか禅の教えのほうがよっぽど価値があるものなんだよなっつーかこれってやっぱ哲学なんだよね。宗教の一個みたいな感じで扱われているけど、古典仏教や禅なんてのは哲学だよね。それこそ儒教とかだって宗教というよりは哲学的でしょ?それに比べてなんなんだあんな意味の分からない電波チックな伝説がベースになってる宗教ってのは?胡散臭いよね。そんなの。全然プラクティカルじゃない。その証拠といってはなんだけど、エクアドルの友達なんかは大抵、一応キリスト教の家に生まれて学校でもそういう授業があるけど、真面目腐って信じるなんて馬鹿馬鹿しいってやつらが大半だったわけだ。失礼な言い方になるけど、あのホセなんかもそうだけど、ペルー人ってのは割とかなり真面目なクリスチャンが多いんだけど、やっぱ後進国的な理由はあるんじゃないかと思う。近代化が進んでいる社会なんかでは宗教性が宗教性として捉えられるようになっちゃうでしょ?でも一部の後進国の人達にとっては宗教性もなにも宗教が社会だったりするんで、俺が「日本人は基本的に唯一神みたいなのは信じていない」という風に言うと「神を信じないなんて言ったら何を信じるっていうの?!」なんて素朴に答えるヤツがいたりする。俺の意見では少なくともニューヨークでは「宗教を信じない」というよりは「特定の神はいない」とか「そこまで宗教臭くない」っていうことを俺らみたいな民族出身の連中はちゃんとそうでない連中に言うべきなんだよね。で、彼らもそういう国があるんだよってのを理解するべき。だから俺はあえて話が長くなっても説明するわけ。所謂、まぁエレメント的な神の概念とか、まぁあの八百万の神の話とかね。特に日本の神話とか民間伝承みたいなのって実際にあった話なんかもあったりするわけじゃない?こんな心霊現象があって、こういうことがありました。だから村人はその霊か祟り神だか分からない存在を静めるために社を建てました。みたいなね。ようは人間社会ってのがあって、その中に霊現象というか、霊の存在というのも当たり前にあるんで、そういった存在を祭る媒介みたいなものを作るだとか、そういった存在がこの世でもやっていけるようなものを考えて人間たちが作るってのは極めて霊的なものとの共存関係的な概念なんだよね。だから凄くリーズナブル。人を襲う変な霊がいるんで鎮めましょう。これってのは極めてリアリスティックだよね?だって実際、その霊に連れて行かれたり変なものをもらっちゃったりした人達がいるわけでしょう?だからほっとけないから鎮めるってのはまぁ当たり前というかなんというか、「我々は敵じゃないので、どうか怒りを鎮めてください」ってな感じはまぁ霊との取引だよね。その代わり神社作ってお祭りしたりするんでみたいなさ、あっちとしても人間界にすげーアピールできる機会というか場が出来るんで悪い話じゃないんだよね。で、その後に祟り神が良い神になったりするってのもさ、リーズナブルよね。だから俺は信じるわけ。こういうのは絶対あるし、色々な神社とか神話はともかくとして、民間伝承みたいなものは何かの原型があるんで信じられるんだよね。なんというか何も無いようなものをただ言われてるからって信じるのとはわけが違う。だから古い祠を壊したら祟りが起こったとかそんなの普通にあって当然って思えるし、俺もなんというかそういった未知の存在へリスペクトを払うことの大切さというのを感じたるするわけ。それは同じく死者を敬うということにも繋がると思うんだけど、これってリアルだよね?あっちの存在は見えないし規定できないんだけどでもいるんだよね。恐らく。だから敬意を払うってのは俺としては当然のことだと思う。


ただそれに比べてというとなんだけど、神話を信じるというのはあまりにも観念的過ぎる話だと思うんだよな。最近、哲学の授業でやったんだけどギリシャ神話ってあれなのね、ホメロスとあのターラスだかなんだかっつー詩人が作った話なんだよね。だからソクラテスが「んなもん作り話だ」って気がついちゃった。今なんて文明が進んでいるんだから、誰もがソクラテスにもなりうる時代なのに、なぜか素朴な宗教、しかも宗教ヘゲモニーみたいなのを持った宗教がトラディションの名の元に横行しているわけ。これっておかしいよね。ただそこでソクラテスみたいに神話は嘘だけど、んでも真実とかモラルだとか重要なことというのは神話に隠されているという言い方は出来るじゃんね?だから聖書は嘘っぱちだけど良いことが書いてあるんで自分も良い行いをしようってのはいいわけ。それこそホセ的なね。ただどーもアメリカのプロテスタントみたいなのって、都合のいいところを神だのなんだのっつって、帳尻合わせてるっつーか逃げ道にしてるようなところがあるんだよね。で、普段は別に良いやつでもなんでもないっていう。そもそも聖書だのなんだのってのを信じてたら凄まじい善人なはずだよね?なのに共和党の連中みたいなのがクリスチャンだのプロテスタントだったりするわけ。本当にアメリカってアホ。特にこの宗教の部分ね。だから他の宗教をディスることだって平気でするわけでしょ?よくもまぁあんな大量のネイティブアメリカンを殺しておいて「神がお作りになった国、アメリカ」とかって言えるよなって思っちゃうわけ。自分たちが強いんで自分たちの宗教も絶対だみたいなアホな概念があるんだよね。アメリカって。だから歴史の教科書にもネイティブアメリカンの虐殺の歴史なんてのは書かれない。で、ハワード・ジンみたいなのが数ページネイティブ・アメリカンの虐殺について本で触れたりすると大騒ぎする連中がいるわけ。それってのがアメリカ。本当に馬鹿な国だ。最近、恐らく人類の大半ってのは馬鹿なんだなってことに改めて気がつかされるんだよね。だから世の中がこんなにおかしいんだよね。世界中でポピュリズム政治が横行して、無批判なグローバリズムが広がっちゃう。なんで革命が起こらないのかさっぱり分からんってのはもう飼いならされてるからこれがデフォルトってのを植えつけられてるからなんだよね。だから自分たちは自由だなんてのを素朴に信じちゃう。あとありもしない人権だとか民主主義なんかもね。こういうのをいまだに信じている人達ってのが恐らく素朴なプロテスタントとかなんだと思うんだよね。ああいうやつらは恐らく口々に「アメリカはフリーカントリーだ」って言うに違いないよ。チョムスキーはそういった宗教ヘゲモニーの名の元に凄まじい虐殺が行われてきたということをアキューズしてバイブルは虐殺的な本だって言ってるわけでしょ?その通りだよね。バイブルの存在自体はいいのに人々がそれを悪用しすぎているわけ。宗教を信じる人達はそれに気付くべきで本来の宗教を取り戻さなきゃいけないのに、宗教ヘゲモニー化の中で骨抜きにされてるだけなんだよね。だからアホなプリーストがアジテーションすると信者が興奮して叫びだすような状況が教会で今も平気で行われているわけ。こういう連中ってのは間接的に自分たちも虐殺に加担しているんだって事に気がついてない。だから俺は嫌いなんだよな。そういう意味で分かっている宗教者や信者はいいけど、分かっていないのは本当にたちが悪いと思うわけ。それこそ創価学会みたいなもんよ。宗教の名の元に権力を振りかざしているようなもんってのは。それに比べてというと変だけど、八百万の神が政治的に悪用された例が無いでしょ?仏教の教えが虐殺に加担したことは無いわけ。もちろん変なカルトはいるけど、アブストラクトな神の名の元に何かを行うというドクマチールなことって仏教では起こりえないよね?ってのはこれが教えだからなんだよ。何かの方向に人を先導するようなものではないわけだし、坊さんなんかも悪用はしてこなかった。まぁ生臭坊主みたいなのはいるけどね。その経典を悪用しているのがアルカイダみたいなテロリストどもと同じくアから始まる某テロリスト国家なわけだよね。俺は神話がおかしかろうが伝承がおかしかろうが人に迷惑をかけなきゃそれは人の自由だと思ってる。ただそれで戦争を起こしたり弾圧を起こしたりするものってのは俺は害だと思うし、人々がそこまで宗教というものを扱うことに対してケイパブルじゃないわけでしょ。それだったらそんなもん無くなったほうがいいわけ。ナムジュンパイクじゃないけど、宗教で人が救われた例が無くて、宗教の名の元に人が死んでばかりなんだよね。そんなもん意味無い。ってことでThe Fountainに話を戻すと、ああいう西洋型の型にはまったドグマチックな宗教的認識がベースにあるような話ってのは俺には向かないわけだ。それだったら般若心経をオーケストラで演奏したほうがいいわけ。


意外と長くなったな。いいね、映画見るとネタが出来るわけよね。でも俺はThe Fountainは駄作だとは思わないよ。映像とか質感は素晴らしいし、別に深く考えなければ愛と死の壮大なる話ってことでいいわけだし、ウルバリンも奥さんを愛していてしょうがなかったわけだからいいわけ。あれを別に死と考えず、何かの自分で受け入れられない考え方とか認識というのを自分の壁を突き破って超越しちゃって受け入れるというプロセスに置き換えればこの映画は極めて教育的だと思うし哲学的だと思うし認識的だと思う。それこそあのスターシップから木に上って壁を破って出るシーンとか座禅を組んでグワーッっと上に行っちゃうやつとか、認識が高まるプロセスとしても見れるわけで凄くいいと思うね。でもあの座禅を組んでいるウルバリンが麻原しょこたんになった途端、あの映画はオウム映画になっちゃうけどね。だから宗教的なのって危険なんだよな。精神的なものだから人々をコントロールしやすい媒体になっちゃうわけ。それにしてもアメリカの特に福音派みたいなのはキチガイですね。宗教狂いの田舎者。本来空爆されるべき場所というのはどこなんでしょうね?

Lazy Dog 2

Lazy Dog 2

共産が良いなんてのをまともに受け取ると貴方は斧で両親を殺害したりするかもしれないので一応言っておくと、クリスチャニティと既存の共産国は同じ穴の狢っていう彼らの一流のユーモアがこれなんですね。まぁ俺の解釈だけどね。ブッシュとビン・ラディンの顔が交互に出てくるとかって現代的に解釈すれば分かりやすいかもね。