今時学問やるなんてこと自体がもう本当にKY。

mimisemi2008-02-21

またテスト全然ダメだった。哲学ね。っつーかテスト自体は全然難しくないの。ソクラテスの弁明に関するテストなんだけど、別に哲学的なエッセイを書くわけでもなければ深い思考力を必要とするものでもなんでもなくて、基本的に弁明のディティールと理解って感じで、極端な話、桃太郎をテストでやってるようなもんね。仲間になった順は?「1.キジ・サル・犬」「2.犬・キジ・サル」みたいな感じの四択みたいな感じのが何個があるだけなんだけど、もう酷かったんだよ。ナチュラリストってのはなんでしょう?ってので、まぁ自然食志向の人達とかさ、まず無い答えがあるじゃない?そういうのを消していくと答えが自ずと見えてくるのは確実なのに、なぜか明らかに後で考えるとあれだったって答えを選んでないのね。帰りの電車の中のテストの回想で満点取ってる感じなのよ。ソクラテスが死を受け入れたのはことがでかくなり過ぎたっつーか、状況に嫌気がさしたから、そこから抜け出すためってことなんだけど、選んだ答えってのが「彼は人生でやることを成し遂げたので休息を選んだ」みたいなのでさ、明らかに違うでしょ?でも選んじゃうんだよね。こういう答えを。こっちのほうが哲学者っぽいかなとか思って。まぁ実際はテスト受けてるときに、なんで受け入れたか?なんて全然気にしてなかったから知らなかったってのもあるんだけどね。で、本読んでみると当然書いてあるのね。あとヒドかったのは、oratorっつー雄弁家っつー意味の言葉をoracleっつーか神託者だと勘違いして「これは無いな」ってことで他の一番リーズナブルな回答である「彼はロジカルな人だったから」ってのにしたんだけど、問題はなんだったか?っていうと、ソクラテスがまぁ自信ありげに「最悪に見える議論を私は強く見せることができる」とかって言うんだけど、まぁそれこそ弁明っていうぐらいでまぁ弁護士の走りみたいな感じだったわけよ。ソクラテスね。だから彼が素晴らしいoratorだったからってのが明らかな答えなのに神託者だと勘違いした俺は他の回答を選んだわけね。あと人々がソクラテスソフィストの違いを判断するのが難しかった理由ってのの答えがまぁソフィストってのはまぁ今で言う知識人みたいなのに当たる人達なんだけど、少なくともソクラテスの弁明の中ではネガティブなタームとして使われていて、まぁなんつーか既存のものに疑いを持たずに、今ある知識のみを吸収して学者ぶってる人達みたいな感じで、まぁなんだろう、朝生とかテレビタックルとかに出てくるダメな学者みたいな感じかな。それに真っ向から反対するものとして知識を愛する人達という意味(もしくは真実を追究するものたち)でフィロソファーって言葉が生まれたんだけど、なんで違いを見分けるのが難しいかというと、そのソフィストのほうもまるで全てのことを知っているかの如く、インテリぶった口調や振る舞いをするってことで、本当に物事を知っている知識人とそうじゃない似非の見分けが見た目だけでは判断しにくいっつーいまだに世の中が抱えてることなんだけど、まぁ問題がそういうことだったわけね。でも俺は「両方とも真実を探している人達だから」ってのを選んだわけ。っていうのもこのソフィストの知ったかぶりの態度が見分けのつけづらさに拍車をかけているなんてことをさっぱり考えなくて、んでまぁその正解に値する答えってのが「彼らは同じように振舞ったから」ってことなんだけど、ソフィストとフィロソファーは違うじゃねーかとか勝手に思って消去法で消しちゃうのね。だからなんとなくまたそれっぽいさっき書いた回答を選んだわけだけど、まぁ酷いよね。紛らわしいという意味での「同じ振る舞い」という意味でこれが正解なのにテストやってるときは気がついてない。本当に馬鹿としかいいようがないね。思い出しただけでも8割ぐらい間違ってたんで、かなりグレードに影響するだろうね。半分正解ぐらいだったら後のテストで取り返せそうなもんだけど、ここまで低い点数を取っちゃうとダメだね。だから俺、ダメなんよ。テストでグレードが決まっちゃうってのが本当にダメ。まぁこれってでもテストが抱えてる根本的な問題だけどね。歴史の年号と一緒で、それの理解自体が本質的な物事の理解と言えるかというとまったくそうではなくてそれは暗記力の問題っていうまぁそういうことね。まぁでも今日やった哲学のテストは歴史の年号ほどは酷いもんじゃなかったし、はっきりいって俺の勘違いがヒド過ぎたと思う。そんなんだからリーディングのテストも書いてあることは理解しているのにパスできないわけ。なんか知らないけどマルチプルチョイスで変なのを選んじゃうんだよね。でもこれってずーっと治らないんだよね。テストがあるってことでストーリーを丸暗記したりっていう準備がバカバカしくてできないっつーか仮に必要だとしてもやる気にならないし、仮にストーリーを読み返したとしても、全然自分が要点だと思ってたところがテストに出なくて、自分が予想してたような問題と違うのが出たりするでしょ?だから運なんだよね。本当に。


でもそれにしても俺のテストの点数の悪さって呆れちゃうけどね。言い訳が出来ないぐらい酷い。テストでグレードが決まってしまうっていうのが問題・・・という以前に俺のほうに問題がある。まぁ今日受けたから俺の点数は分からないんだけど、逆に今考えると大体の問題の答えが分かるからどんだけ間違ってたかまぁ当然ながら分かるわけね。ただまぁいくら俺が文句を言おうが、システムがそうなってるんだからそこでやっていくしかないってのは資本主義と同じことなんだよね。俺、マジで最近、先生になりたくなってるんだよね。かなり真剣に。教授っていうともっとかっこいいね。まぁ別にバイトでもいいから先生やりたい。何の学科かは分からないけど俺のコースはテストが一切無くて、ただその代わり思考力を必要とするみたいなね、だからテストにあたるものはエッセイとかそんな感じなんだけど、これってまさしく前に書いた良くないDJがいると「あー!俺だったらこうやるのにぃー!!」っていうのと同じなんだけどね。まぁ別にこの哲学の先生がそこまで悪いわけじゃないんだけど、ただ俺がまさしくこうやって学生でいると「こうやればいいのになー・・・」ってのが本当に多くてだから「俺にやらせてくれ!」ってことになるわけ。まぁそのためにはやり方以前にその学科に関しての相当な知識が必要だけどね。でもさ、テストって実質、例えばその場というよりかは、その時の記憶を測るものじゃない?知識という意味では測れるわけが無いというか、今回のテストにしても後で思い出したり、ましてや後で本を読み直したりすれば当然、答えが分かる問題ばっかだったらさ、結果ってその時の回答によって出るだけで、回答を返してもらったときの生徒の知識量なんて良い点を取った生徒とそうじゃない生徒でも差は無いんだよね。「あー違いってそういうことだったのか。ソフィストがインテリぶってるからか」なんて本を読めば分かることなんだけど、その場では気がつかなかったという生徒はその理解が無かったと判断されて低い評価を得ちゃうわけだよね。これって誰でも経験あると思うんだよね。あー信長じゃなくて光秀だったとかさ、1581年じゃなくて1582年だったーとかさ、こんな違いなんて教科書を見れば分かるわけで、大半の生徒が仮に再テストを受ければ良い点数を取れるのは問題を知っているからでしょ?んじゃあ事前に問題が分かってれば確実なテスト対策が出来るわけで、そこをピンポイントで押さえて暗記しちゃえば、ほとんどの人が平等に優秀な人になるよね。基本的に後から思い出して「あーあれだったー」なんて気がつくようなものを設問にしてもなんのためにもならないんだよね。ましてや理解度のテストなんてことにはならない。ただの現象なり出来事に対する記憶だからね。それこそ最初にキジが仲間になろうが犬が仲間になろうが、別にそれって桃太郎の中では全然重要なファクターじゃないんだけど、でもテストってそんなことに関する問題が出ることもあるでしょ?だからナンセンス度が増すんだよね。テストが有効なのって数学みたいなもんだけだと思うわけ。まぁ英語なんかもいいのかな。でもそうなると物理学とか生物学も有効かもね。いや、分からん。どれが有効でどれか有効じゃないかは。結局、結果が成績になっちゃうってのが問題なんだよね。例えば右にある耳のことをなんというでしょう?っつって左耳って答えちゃったやつが帰りの電車で「右にあるから右耳だったぁー!!」って気がついたらそれはそれである意味もう正解じゃない?でも結局、さっき左耳って答えてしまったことが成績に影響しちゃって、そいつはコースでやったことを他の適当にやってるやつなんかよりはよっぽど理解して興味を示していたかもしれないのに成績は悪くなっちゃうんだよね。だから一概に「学力」といっても、それが本質的に人々が頭で思ってる「学力」かどうかは相当疑わしいんだよね。学力っていう数値を出すためにはまぁ大抵はテストをするわけで、どんなテストによってその学力が測られたか?ってことがかなり重要で、結果を判断するのはその後だよね。でもテストってのが当たり前に世の中に存在するんで、人々はその存在なり学力なんていうものを疑いなく信じちゃうんだよね。


でもさ、ホント、再テスト受けれればみんな「優」になるテストなんてテストじゃないよねぇー。数学とか他の実技的なテストは再テスト受けれようが、それ自体が出来ていないとパスできないからまぁフェアというか、理にかなってると思うけど、他のね、なんつーか質問が事前に分かってれば誰でもパスできちゃうテストなんてさ、そんなもん学力を測るものでもなんでもないよね。でもやんなきゃいけないんだよなぁー。どんなにくだらないものでも学校にいる限りやらなきゃいけないし、そこそこ良い点を取らなきゃいけない。でもあれだね、ホント、前のセメスターの社会学なんて凄まじいテストの嵐だったけど、テストを受けた大半の生徒が仮に今、また同じテストを受けたとしたら全体的に点数下がるだろうね。それってそれだけ一時的な記憶が多いってことだよね。ってことで全然知識になってないわけだよね。だからテストって意味無いんだよね。鳥居みゆきが「勉強って使い捨てだと思っていたので」って言ってたけど、こういうことをリアルタイムに学生時代に分かってた人ってどれだけいるんだろうな?そういう人達って逆に学校ってバカバカしいってのが分かってるから進学しないかもね。そもそも学校に行く動機自体が学歴を得て良い職に就くだとか、コネを見つけるだとか、大卒のほうが生涯賃金が高いからだとかって理由だったりするわけで、そもそもシステム的に本質的な学力なんてものとの乖離が生まれてしまうのはある意味で必然かもしれないんだよね。だって今の大学って学問をするところじゃなくて職業訓練センターであったり様々なリクアイアメントをこなすことで得られる学歴というものを提供するためにあるようなもんでしょ?だから俺みたいな本当に学問を勉強したい人達がそのシステムに不満を持ってしまうのは当たり前かもしれないね。だってそういう人達向けに作られて無いんだもん。だから俺の場合、そういうちゃんとした学問っぽいことをやってる学校に行かなきゃいけないんだけど、そういうところって大抵レベルが高いんだよね。たぶん。だから今やってるくだらないテストでも良い点を取らないとそういうところに行けないって話になるわけで。でもさーホントあれだよね、芸大出っていう学歴ブランドだけで関係ない職種なんだけどそこそこ良い会社に入れるとかって根本的な矛盾だよなー。芸大で油絵書いてたやつがオフィスで働くっつってさ、そこで芸大出っていうブランドが役に立つってまったく意味が分からないよね。それって何も芸術だけじゃないんだよな。それこそ哲学とかさ、政治学とかにしてもそうかもしれないけど、基本的に学者とか以外の社会の需要って無いもんね。だからその学問自体が大学の中で研究者とか教職者志望以外には成立しないっていう。そんな狭い世界のことだからあんま大学からも重要視されなくて、デパートメントの費用ガンガン削られちゃうとかね、で、プラクティカルな学科ばっかに費用が行くってことで、大学が職業訓練センターになっちゃうわけ。そういうのって専門学校でやればいいのにね。なんで大学でやるんだろう?役目が違わないか?でもあれでしょ、哲学でも政治学でも東大なら就職には有効なんだよね。ブランドで。仕事できるかどうかなんて全然関係ないのに学歴だけで可能性が高まっちゃう。ただ最近ではっつーか企業はとっくにその学歴と実用性の関係性の無さに気がついているから、変な学科のやつは取らないところも多いらしいけどね。ましてや哲学なんて勉強してたヤツは浮世離れしてたり、からっきし仕事が出来ないような人間が多そうだもんね。


それにしても例のインテリ先生がさ、哲学科に進むことだけは絶対やめたほうがいいって自虐的に言ってたのは本当に印象的だったな。「あれだけの大金をかけて、なんで哲学でマスターを取ったのか、本当に自分でも何をやっていたのか分からないわ」ってぐらい哲学の学歴ってのが社会では有効じゃないってことを言ってたけど、そういう意味だとまだ学歴が有効な社会のほうが、ダメなやつでも学歴さえ得られればなんとかチャンスがあるってことで、大学に行く動機付けができるかもしれないから、まぁ一概に悪いとは言えないかもしれないね。インテリ先生はNYUだったかコロンビアの哲学のマスターを持ってるんだけど、そんだけ高学歴な人が「意味無い」って言うんじゃもうふつーの大学の社会には需要の無い学科の学歴なんてゴミみたいなもんだよね。だから学問って衰退してっちゃうのかもね。需要が無いんで育たなくなっちゃう。そういうのやるとしたら本当に優秀な人しか出来ないっていうのもなんだかね、俺みたいな普通の人でも勉強したいってやつがいるかもしれないのにすげー閉ざされてるんだもんなぁー。まぁ音楽よりかはマシだと思うけどね。そう思うと俺って相変わらずノーフューチャーなんだよな。興味があることの大半が社会的には必要じゃないものばっかだからね。ところで哲学科と言えば、英語学校にいたころに読まされた記事で、どっかの大学の哲学科のマスターを相当高いGPAで獲得した後、割とハッピーにパートタイムのウェイトレスをやってるなんていうのがあったんだけど、本当に現代における勉学の意味の無さというのを痛感するよね。それこそ学問なんて学者だけに必要なもんで、パンピーには必要ないってことをよく表してるよね。それにしてもこのウェイトレスも悩んだ挙句ウェイトレスになったとかじゃなくて、かなりハッピーにやってるっつーんでショックだったなっつーかまぁ本人もさすがに馬鹿じゃないから、学校でやったことのほぼ全てが無意味で、今こそプラクティカルなことを勉強している最中だなんてことを言っててさってーのもまぁお客さんとか職場での人間関係とかさ、他なんだったか忘れたけど、まぁリアルなことって意味ね。それに比べて哲学なんて本当に意味無いもんな。改めて哲学の授業とかやってるとさ、ましてや今日みたいなテストをやるとさ、意味の無い学科で意味の無いテストをやってるっていうナッシング感が物凄いね。宿題で読むやつにしても全く意味無し。今時誰も古代ギリシャの哲学者のことなんて気にしないし、社会が回ることと古代ギリシャの哲学は全然関係ない。そうなるとさ、まぁ4大に入るためのステップとはいえ意味無いことだらけで、しかも4大ですらも意味無いかもしれないからね。今時学問やるなんてこと自体がもう本当にKYなのかもしれないね。もっと社会の空気読めよってことになっちゃう。あーダメだ。俺ってなんでこんなにダメなんだろう?もうちょっと普通ということに適応できないのかな?普段は普通ということを馬鹿にしているくせに、その反面、物凄く憧れているところがあるんだよね。まぁ正直、憧れてはいないけど、ああいう風にできたらなぁーって思うことが本当に多い。それにしても今回取ってる学科にしてもさ、哲学とサイコロジーと算数と風俗じゃないヘルスってさ、実際役に立ちそうなのってヘルスぐらいだからね。他は本当に意味無いっつーかサイコロジーと哲学なんて学者にでもならない限り全く意味無いっつーか基本的に大学ってそういう学科が多いんだよね。だけどリクアイアメントってことで学科があるんだけど、役に立たないのばかりで、受講する生徒の大半がリクアイアメントを満たすためだけっつーか単位を稼ぐためだけにやってる感じね。逆に学歴っていう動機がはっきりしてるんで疑問を持つことなく意味無さそうな宿題とかテストにも打ち込めるのかもね。だって彼らの頭の中では極めてロジカルにテストで良い点を取るということが「職業」に繋がるっていうフォーミュラがあるんだもんね。だから学校にアダプトしすぎるやつって馬鹿が多いんだろうね。恐らく近年では特に日本では名門の大学でもこういう馬鹿が増えちゃったんじゃないかと思うね。まぁ分からん。アメリカでもそうなのかもしれない。アメリカって死ぬほど学歴社会だからね。こうやって色々考えるとホント、介護とか福祉とかビジネスとかマーケティングとか、一見、全然面白そうに見えない学科の人気があるというのが本当に頷けるというのは社会の職に対する需要がモロに大学の学科の需要に反映されてるんだよね。だから別に介護とかに興味が無くてもやる人が出てくる。「誰がクソじじいのシモの世話なんてしたいと思うんだ!!」とかって言いそうなやつでもやってたりするのは職の需要だよね。


あとトルコ人の割とイケメンのバンドマンがさ、まぁ前の英語学校のクラスメートだったやつなんだけど、こっち来る前は国でホテルとかバーで演奏したりしてちょっとまぁ稼いでたり、インディペンデントな映画の音楽をやってたりしたんだけど、まぁ一生は食えないとかって思ったんだろうね。こっち来て会計の勉強するっつってたからね。「えー!!音楽の勉強しないのぉ!!」なんて俺が言ったところで、言ってる俺が分かりきってる答えが帰ってくるんだよね。まぁ音楽じゃ食えないっていう。そういえばうちの妹は美術大学舞台芸術の勉強をしてるんだけど、まぁーそれにしても就職がキビシイっつーか就職に成功した同級生なんかもほぼ全員関係ない職種に就く予定なんだそうでっつーかこの辺はまぁ希望格差社会のパイプラインのトコで書かれてたことみたいなもんだね。日本でも恐らくこっちでもさ、学歴とか関係ない音楽学校みたいなのが流行ってるっつーかこっちで流行ってるかどうかは分からんけど、こういうのってモロにパイプラインから漏れた連中の受け皿になることで金稼ぎしてる学校ってことで本当にとみよし産業だよね。でもやっぱあれなんだよね、漏れた連中ってなんかしらの所属ってのを求めるから学校行きたがるんだよね。フリーターのままバイトしてるだけだと先が無いのが分かりすぎているんで、その不安を解消すべく同じく未来が無いのにも関わらずユーズレスな学校に通ったりするんだよな。ちなみに俺はパイプラインからも受け皿からも落ちちゃってる感じで、唯一受けてくれてるのは家族だけって感じだけどね。でもホント、意味の分からないマルチメディアなんとかみたいな学校とかさ、声優育成学校とかさ、ああいうのって若者の夢を吸い取って儲けてるあくどい商売だよね。「夢を実現させよう!」みたいな触れ込みで入学を誘うのにも関わらず、入ってからは一線を遠のいたミュージシャンとか声優とか俳優が教師の名の元になんかを教えてるだけで、将来の見通しはフリーター並に無いどころか、教師ですら将来の見通しが無いのに生徒に見通しがあるわけない。生徒に仕事があるんだったら俺に回せ!みたいな教師がいるわけでしょ?ああいうところには。だから卒業生に職があるわけないんだよな。まぁよっぽどの才能があれば別だけどね。NSCなんかも生徒数が多いらしいけど、まぁ同じことだね。お笑いブームが終わったら一気にダメになるんだろうな。ああいう学校はっつってもまぁNSCは若干名門みたいなところはあるのかもね。ただ亜流のNSCみたいなところはガンガン潰れるだろうね。ホント、大学にしてもわけの分からない学科とか作って生徒を呼び込むことに必死でさ、なんか完全に大学すらもとみよし産業に成り果ててるよね。まぁ切り口は声優学校とか音楽学校とかと違って、昔みたいに人が来なくなったからっていう経営難もあるのかもしれないけど、手法というか立ち位置が芸能学校とかと同じなんだもんね。


あーあれだよなぁーそう思うとさ、俺の野望は声優の卵とかよりかは大きいけど、立場的にはああいうやつらと一緒なんだもんなぁー。ましてや歳食ってて金食ってる分、あいつらよりタチが悪いわけよ。だからホントね、そういう意味でも今日みたいな日はすげーヘコむわけ。意味の無い学科で意味の無いテストで意味の無いミスをして成績が下がるっていう。せいぜい意味の無い学科なんだったらまともな成績取ってGPA上げるみたいな、実用的なことをしなきゃいけないのに全然そうじゃないんだもん。それどころかシステムに文句を言う始末だからね。本当に俺はダメだな。どこまでダメなんだろうな?本当に。いや、自分ではダメじゃないのは分かってるんだけど、社会と本当に馬が合わないって意味でのダメ加減ね。社会にアダプトしたいなら無理にでもテスト勉強とか暗記をするべきなのにやらないんだもん。で、学問の終焉だ!とかキチガイみたいなことを言ってるわけ。その割に本人の知識も耳学問程度のもんで本当に助けようが無いっていうかなんというか。


まぁいいや、そんな感じでまぁーあれだね、大学に行くってことをウォール伝のネタの調達って思うことにすればちょっとはリーズナブルになるかもしれないね。どこで一番学んでるかって自宅だもんなぁー。これじゃあ昔と変わらねぇーよ。まぁいいや、凄まじく高尚な学問をやってる大学(幻想だけどね)に行くためのステップとして自分を欺いていくしかないな。動機付けが無かったら自分で作るしかない。探せばいくらでもあるからね。で、いつも帰結するのが「日本に帰るのが嫌だったら頑張れ!」ってことなんだよね。いつもこのコンクリュージョンに至ってパン・茶・そして宿直。


プレイステーション

リクアイアメントってなってるのリクワイアメントです。まぁどっちでもいいけどね。一個一個直すの面倒だったから。言語って思考のアイコンだからアイコンが働けば形なんてどうだっていいんだよね。

論理の方法―社会科学のためのモデル

論理の方法―社会科学のためのモデル

↑音っつーか声がダブってて違うエディションの同じ内容の本を同時読みしてるような感覚になるね。まぁどういう感覚か分からんけど。