ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

スメラー。

mimisemi2008-03-02

いつも書いてることだけどこっちの学生の授業中の発言の多さといったらもう。ってことで俺もやらなきゃいけないわけだよ。だって将来的にディベート大会とかで優勝したいとかって思ってるわけでしょ?でもさーすんげー緊張するんだよね。発言するってことに。英語学校とかだったら簡単なのよっつってもそれもまぁ慣れるまでに苦労したけど英語学校ってネイティブがいないでしょ?だから俺の英語が下手でも別にいいわけ。でも学校ってことになるとさ、ネイティブなわけだよ。他の連中が。そんな中でそういうやつらと並んで発言するというのは俺の稚拙な英語力というのが凄まじく目立っちゃうわけだよね。発音とか訛りとか。そんなのも含めてすんげー緊張するわけ。でもやらないとマスタベート大会で優勝できないわけじゃない?アメリカ人全員をアジテートして革命を起こすということが出来なくなるわけだよ。ってことで意識的にすんげー発言するようにしてるのってーのはまぁ普段英語をさっぱり喋らないっていうか日本語ですらも喋らないっていうか、それこそまともに喋るなんて親とたまにスカイプするときぐらいのもんで喋らないんだわっていうか喋る相手がいないっていうか機会がないっていうか。だからたまに喋ると日本語でも英語でも全然ダメなのね。それこそ前みたいにしょっちゅう喋ってたときのほうが上手いんじゃない?ってぐらい退化しちゃう。それはマズいよね。あとさ、コミカレぐらいのレベルだと気負うことが無いでしょ?周りに凄まじいエリート学生がいる中で発言するわけじゃないし、自分の発言するっていう能力を開発する実験の場として学校を利用しちゃえってなわけよね。ましてやアメリカなんて国は黙ってたらそれに興味が無いものだと思われる国だからさ、日本みたいに背中で語るとかさ、黙ってたほうが賢そうとかそんなもん通用しないわけ。ってことで授業によってはパーティシペーションがグレードに響くってこともあるわけね。だからガンガン発言しないと損なんだよね。もちろんグレードのために発言するわけじゃないけど、どうせテストとかで点取れないんだから、取れるところで稼いでたほうがまだマシなものになるでしょ。まぁ何より実験だよね。恥ずかしくても喋るっていう訓練をする場。で、発言が凄まじくて授業が進まないクラスってのが哲学なわけだけど、最近はさすがに慣れてきて前みたいに発言しようと思ってパニック発作が起こったりってのがなくなったとは言い切れないけどまだマシになった感がある。ってことでこないだはまぁようやく髪切ってレオナールに戻ったから気合が入ったっていうのもあるかもしれないんだけど、かなり発言したわけね。で、まぁやってたのがプラトンの国家だったんだけど、色々と話が逸れて、んでまぁ先生が全ての人は幸せによって動いているっていうわけ。金を稼ぎたいと思うのも幸せになりたいからで、飯を食べたいと思うのも美味しいものを食べて欲求を満たしたいという動機に駆られてるんだって言ってたんだけど俺としては「おいおい。ちょっと待てよ」ってことで、普段ウォール伝に書いてるようなことばっかっていうか、俺が考えてることがこれに書かれてるわけだから、当然俺が話すことは例えコミカレという場でもウォール伝なわけだけど「人々はそんな楽しそうなものに動機付けられて動いているんじゃなくて必要性によってだ」って反論したわけ。ところでこのゲイっぽいフーコー先生は実際は結婚をしていてね、っつーか前に書いたっけ?放課後とか駅まで一緒に帰ってたりするんだよね。別にゲイってわけじゃなくて哲学について語れる人なんてのがいないから放課後いつも俺がなんらかのきっかけを作って先生に話しかけるわけ。で、結果的に駅までいつも喋って帰ってるっていう、それこそ引き篭もりのときにWaking Lifeを見ながら「俺もこんな学生でいたかったなぁー・・・」なんて羨ましがってたのが今は実現しちゃってるわけだから人生って諦めるもんじゃ無いなって思うんだけど、この先生と話すことは慣れててね、だからいつもの慣れのノリもあって反論できたわけ。かなり流暢に。これはレオナールに戻ったというのも大きいと思う。あと例のロイドメガネね。洋服が人格を作るというけど、確かにそれはあるかもね。髪型とメガネが人を作るっていうか。まぁいいや、まぁ精神的にも安定してたってのもあるとは思うんだけど、この反論をしたらさ、っていうかその前にも正義ってのが何のためにあるか?っていう問いでさ、先生からの。で、俺が「権力者が国を統治するために使うルールがそのまま正義になる」って言ったら先生が慌てながら「いやいや、それは先にやることだから今はいいんだよ。今は君らが正義について
どう思うか?って聞いてるんだ」みたいな感じでかなり焦ってるんだよね。先生は完全に生徒が哲学に無知なアホだと思ってる前提で授業をやってるから、ちょっと知ってるやつがいると都合が悪いんだよね。もちろんここで慢心はしないよ。何しろ俺が発言してるのはコミカレなわけで、仮にコミカレの哲学クラスの一つの中で一番物知りだったとしてもそれはコミカレレベルなわけで、コミカレで一目置かれても何にも意味が無いから慢心とは無関係って書いておくね。なんかさ、後で自分でウォール伝読み返したりしてると、まるで俺が自分の事を頭の良い人間だと勘違いしてるように見えなくも無いところが多いんだよね。昨日のノートの件にしても、「俺は一回で頭に入るからいいけど、頭の悪い連中はノートにでも書き写しておかないと忘れちゃうんだから困ったもんだね」なんて言ってるように見えなくも無くてちょっとムカつくかもね。いや、俺はそんなことが言いたいんじゃなくて、単純にフォーカスの仕方なのよ。大学との付き合い方とかあくまで方法論的なことね。まぁいいや。でさ、まぁこの哲学のクラスでは俺もちょっと話しはじめると饒舌になってきて止まらなくなっちゃってさ、で、この先生ってロシアっつーか恐らくソビエト連邦が崩壊してからこっちに移住してきた人だからすんげー訛りあるのねってそれは関係無いか。だから出席のときに先生が「シュンイチ」って言っても全然シュンイチに聞こえないから「ビルでいいよ。ビルで。ビルにしてください」って俺のアメリカンネームのビルを全面的に売り出したらさっつーか俺が勝手に先生の出席表に「Bill」って書いたらそっからビルになったんだけどやっぱビルはいいね。何しろシュンイチというのはアメリカ人にとっては、ンイのところがニチになっちゃうんだよね。ンって言い方がなくてnとiがくっ付いてニになっちゃうからシュニチになったりして、文化朱肉みたいになったような気分になって「俺はハンコじゃねー!」っていつもその発音を聞くたび思ったりするのと、前にも書いたけど、アメリカンネームというのは日本人は割と馬鹿にするっつーか台湾とか韓国だとなぜか高校の英語の授業のときに先生が勝手に生徒に対してアメリカンネームをつけるらしくて、だから韓国人の留学生とか台湾人とか中国人でもそうなんだけど、見た目が全然ニッキーとかじゃない女の子がニッキーと名乗っていたりジュリアだとかアンジェラだとかっていう名前を持っていたりするんだけど、まぁアメリカンネームを作ったきっかけに関しては前に書いたからいいね。過去のウォール伝をディグってくれ。でさ、これが意外に効果があるのも前にも書いたけど、相手が頻繁にこっちの名前を呼ぶようになるのね。シュンイチだと難しくて名前を呼ぶのが億劫で名前を呼ばれたりすることが滅多に無いんだけど、ビルにした途端、韓国人もアメリカ人も中国人もペルー人もコロンビア人もみんな頻繁にビルと俺の名前を呼ぶようになるんだよね。みんなでビルビルビルビルって。まるで人気者のようにビルビルって。これってさ、仮に「サルタヒコ」って名前のやつがいたらさ、すげー呼びにくいからあんまこいつの名前呼びたくないでしょ?たぶんだからみんな「サルちゃん」みたいなあだ名をつける。「スメラノミコト」とかいう名前のやつがいたら「スメラー」とかさ、そういう愛称をつけられるよね。で、スメラー臭うぞとかいってからかわれたり。でもサルちゃんって呼びやすくて可愛いからみんなサルちゃんの名前を呼ぶようになって親しまれるんだよね。これと同じことがビルで起こるどころか、こんなインターナショナルな環境だとシュンイチとビルの差は、それこそサルタヒコとサルちゃん以上にあったりするわけで、その効果は絶大なんだよ。ましてやあっちもマニアックな名前なんで覚えづらくて誰だったっけ?あの変なメガネのやつ?みたいな印象でしか覚えないんだけどビルとなるとあーあのメガネのやつね。あ、ビルだよってすぐアイコンとして呼び出されるわけ。


例えヴァ名前がシュンイチで通ってる算数の授業だとラッキーなことに例のカールコックス似の先生が俺の名前を呼びづらくて滅多に俺を指してこないんだよね。だから俺は解答の言い間違えとかに怯えることなく算数の授業を受けれるわけ。でもビルにしたらしょっちゅう名前呼ばれるだろうなとかってすげー思うのね。ってことでアメリカンネームは馬鹿に出来ないですよ。日本人は大抵馬鹿にするけど、アメリカンネームを作るとそのアメリカンネームを名乗っている自分のアイデンティティみたいな、ようは英語モードの自分というのを確立しやすくなってこれは英語の発達にも貢献すると思う。言語ってなりきることが重要だから、シュンイチのまま日本人英語で喋っててもいつまで経ってもそれは日本人英語のままなんだよね。それだったらビルでアメリカ英語を喋ったほうがよっぽど上手くなる。ようは英語を喋ってるときの自分ってのを演じちゃえばいいんだよね。そうすると俳優の如く演じることも自然になってそれが自分のアイデンティティの一つになったりするわけってことがビルに起こっているね。だからシュニチって呼ばれると日本人の俺が答えるんだけど、ビルって呼ばれるとアメリカに来てからのポジティブな俺というのが反応して上手い英語が出てくるわけよ。これってすげー認識的なことで重要なんだよね。まぁもっともジンとかナオミとかキョウコとかそのまま英語でもいけるような人はアメリカの発音で呼ばれる日本名でアメリカで生活する自分が呼び起こされて反応するっていう、あえて恥ずかしいジョンとかケリーとかって名前を作る必要は無いかもね。でも下手な発音でシュニチって呼ばれる俺の気持ちはズタズタなわけだよ。俺は朱肉じゃないんだ!って凄く思うし、俺は特にこうやって日本名で呼ばれることで相手との距離を感じてしまうんだよね。だったら意識的にあえて同化した気分でありがちな名前なんだけど意外にいない「ビル」っていうアイコン的な名前を作ることでその距離を縮められるわけ。それは相手も俺をビルとして認識するし、俺も相手から相手が呼びやすいビルと呼ばれて気分がいいってことで人間関係に絶大な影響を及ぼすこと間違いないわけね。だって実際、例のアニメオタクのペルー人さ、名前がまぁ何億人といそうなホセって名前なんだけど、Hoseではないのね。発音が。確か綴りだとジョセフに近いような感じなんだよ。で、発音もホーゼィとかジョーゼェみたいな感じで微妙に呼びにくいってことで俺は何気に彼の名前を一度も呼んだことが無いんだよね。でも仮に彼がアメリカンネームを作ってたら「ヘーイーワッツァーポール」とかって毎回会うたびに名前を呼ぶと思うんだよね。で、名前を呼ぶと呼ぶ側も相手に親しみを感じて呼ばれた側も親しみを感じるってのはもう心理学だかなんだかで立証済みでしょ?だから呼ばれやすい名前を作るというのは凄く重要なわけ。そういう意味で距離だけを考えるならキョーコとかトシカズとかだったらトシとか、日本名のまま通用しそうな人はまぁそれでいいやね。ただ名前がハンコみたいになってしまうやつもいるってことだけは忘れるな!シュニチは凄く嫌なんだな。俺。あと日本に呪いみたいなのを感じてるから、なんかこっちまできてアメリカ人とか他のやつに日本の名前で呼ばれるのが嫌なんだよね。完全に断ち切りたい過去の記憶を戻されるっていうか、凄く嫌な気分になる。その点、ビルだとビルっていうこっちに来てから割と順風満帆な俺のアイデンティティが反応するし、過去とも関係を断ち切れるってことでいいことだらけなんだよね。ビルは。もちろんビル・エヴァンスから取った名前なんだけど、そういえば英語学校のときのスレップテストっていう馬鹿馬鹿しいテストに反抗して名前の欄に「ビル・エヴァンス」って書いて出したら学長みたいなやつが俺の担当の先生を呼んで「ビルエヴァンスってピアニストじゃないか?誰なんだこいつは?」なんて聞いたらしいんだけど、この先生は俺の名前がビルだって知ってたんで学長に教えたらしいんだけど、この学長もこれ以降、俺の名前をビルって呼ぶようになったんだけど、俺が学長の部屋に行くたびに「やぁビル。今日は何かね?」なんてさ、すんげー親密になるわけ。前は名前も分からないアジア人だったんだろうけどビルって名前を相手に認識させるだけで相手が俺のことを具体的に覚えるんだよね。ってことで言語ってのが認識的なアイコンであるように、名前というのもまたその人のアイコンなわけで物凄く重要だなって思うわけだよね。それは椅子と思ったら人が椅子を思い浮かべるように、ビルと思ったらメガネのあいつを思い浮かべるわけだけど、名前がサルタヒコとかだとさっぱりそれがインプットされなくていつまでたっても人間としての俺と名前というのが人の頭の中で認識的に繋がらないんだよね。だから「あーあのあいつ、メガネのヤツ。なんつったっけ?」になっちゃう。ただ「あービルだ。ビル」って俺のことを噂してるだけだったとしても、そいつが俺のことをビルって思うだけでそいつの中で俺という人間がいるという記憶はかなりヴィヴィッドなものになるわけだよね。


で、哲学のクラスの話だったっけ?まぁいいや。また今度ね。読みたい本があるからウォール伝どころじゃないんだよね。ウォール伝って完全にやることが無くて書ける感じだからケツがあると時間かけられないんだよね。


PS。

あ、そういえばさ、すげー恐ろしい偶然なんだけどさ、こないだちょうどアパートを出るときにアパートの前を完全に過去の遺物と化していたキューティーが通りがかってさ、「あららら?」みたいな感じだったっつーかこういうのってなんで起こるの?まぁ俺の住んでる地区が割といい場所な割にそこまで高くないからキューティーが近所に住んでいるかもしれないのは分かる。それにしてもだよ、ちょうど俺が家を出るときのアパートの前を通りかかるなんてさ、凄い確立だよね。で、ヤツはいつもの早いペースの歩き方で一瞬にして消えていったんだけど、絶対なんつーか顔を合わせたくなかったから、すれ違わないようにゆっくり歩こうかとか思ってたんだけど、やつは歩くのが早いんで一瞬でいなくなったんだけど、でもなんか駅とかでたまにあったら嫌だな。今まで会わなかったっつーかちょうど去年の夏ぐらいにアナルストリートの駅で見かけたとき以来だったからっつーかもうダメになって台湾の軍隊入って掘られまくってるんだろうなぁーとか勝手に思ってたからさ、やっぱあいつん家金あるからなにかとまぁこっちでやっていけるんだなぁー。それにしてもやっぱ可愛かった。前にロードアイランドで可愛い子がいなかったからキューティーが男だろうが恋をしてしまったと書いたけど、別に普通に可愛いかったな。ああやって改めて一瞬でも姿を見てみるとまた一緒に住むのも悪く無さそうだとか思ったりしちゃうのはやはり時ってのは心を癒しますね。まぁ実際、トラブったのってあいつの姉とだからキューティーと喧嘩別れしたわけじゃないんだけどね。それにしてもモロキューティー俺の所在地知ってるってことだよなっつーかなんで俺がちょうど家を出るときに前を通るわけよ?その辺の道ですれ違ったとかなら分かるんだけど、こういうタイミングって本当に分からないよね。だって仮に俺がさ、なんか例えばペットボトルの水忘れたとかさ、コンロついてないかな?とかさ、強迫観念的に家を出てから途中でちょっとまた戻ったら会わないわけじゃん?なんで俺がちょうど外に出るタイミングにやつがその俺が今から出ようとしている場を通ってしかも俺と目が合うわけ?全く怖いね。前もさ、ちょうどあれよ、英語学校のときに日本人のクラスメートとチャイナタウンの激安のバイキングみたいな店で食事してたら、ちょうどロードアイランドでクラスメートだった仲が良かった韓国人の女の子2人とあってさ、で、この2人ってのがロードアイランドからニューヨークにほんの3日だか4日だかセメスターの合間に遊びに来てただけだったのよ。それでだよ、いくらマンハッタンが狭いとはいえ、同じ場所で会うなんてねぇー。まぁこれもまぁさ、アジア人でとりあえずまぁアジア系のメシが食いたいし安いってことでアジア人が集まりやすい場所ってのがあるにしてもまぁ時間とかさ、彼女達もホント、一時的に来てたわけなのに会うなんてなんだか凄いよね。こういう偶然に何かの意味づけするのって規定できない何かを何かの抽象的だったり神的なものに求めるとかそれによって定義をするってことでまぁ宗教の一つのまぁあり方というか、人が宗教とかオカルトを信じるファクターってのがこういうところにあるんだろうなとは思うけど、でもまぁこういうことだったらそこまでなにもドライに分析して考えなくても、なんか人間ってのは知覚している以外の何かが働いて偶然に見えるものが必然的に起こっていたりもするのかな?とかファンタジックに考えてみてもいいよねってことでキューティーとの出会いはなんか凄まじい運命的なものを感じたね。いや、愛というよりかは腐れ縁って感じだけど、それにしてもまぁやつがいなかったら俺もニューヨークには来れなかったわけだからね、まぁーあれだね、面白いね。こういう人間関係というか出会いってのは。これもまぁ俺が普段あんま人付き合いが無いから、こういうたまにあった刺激的で偶然的なものに過剰に意味を求めてしまうってことなのも分かってるけどね。人間関係に忙しい人にとってはただの偶然だけど、俺にとってはなにやら奇跡的なものなんだよねってことで、なんかもうあれですね、認識的なことだよね。ホントに。ものは考えようとはよく言ったもんで。あと俺のビルって名前は孤高の悩めるピアニストみたいなかっこいい感じじゃなくて、トカゲを持ったハシゴって感じです。


PS2

キューティーの女装写真は恐らく普通にゲイじゃなくても可愛いと思うと思うってことで写真をアップしようと思ったんだけどネットってのはアナル同士で繋がってるようなもんだから何気にバレたら嫌だからやっぱやめました。でもすげーアップしたいんだよね。何しろ本当に可愛いから。今、どんな写真なのか見たいなぁー・・・って思ったでしょ?その今
一瞬想像した写真が一番可愛いはずだから、その一瞬想像した写真の人物がキューティーだと思っててください。

どうせ死んでしまう・・・・・・私は哲学病 (私は哲学病。)

どうせ死んでしまう・・・・・・私は哲学病 (私は哲学病。)

同じ宇宙人頭でもダフトパンク(ゴミ)とはえらい違いです。ダフトパンクのCDを持ってるなら捨ててこっちを聞きましょう。