ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

勝手に逃げる、人生。

mimisemi2008-03-08

それはそこにあるわけじゃない?って言ったわけよ。先生に。ソクラテスはそうは考えなかったらしいんだけど、でもまぁあの時代にすでに存在論と認識論のベースが出来ていたなんてさ、ガッテンだけどさ、それにしてもやっぱそれはそこにあるわけよ。椅子が椅子として認識されることでしか椅子の存在が存在しなかったら実質、全ての存在は人々の認識的なもので、モノそれ自体の存在というのは明らかに無視されているよね。そこが嫌なんだよね。人間ってさ、人生とは?とか運命とかって大げさに考えるじゃない?でも例えばゴキブリの死骸を見て「ここで死ぬ運命だったんだな。こいつは」とは絶対思わないよね。人間の存在とか人生とか運命みたいな観念的なものってのは考えることによってその存在が立ち上がってくるわけだけど、いつまでたってもそれはアクチュアルなものではないわけ。俺はここにいるということは確実にいると言えるわけだけど、そこで明日があるというのも恐らく特に俺が死にかけているわけではないし、タイムズスクエアで小規模な爆発があったにせよ、まぁ平和に暮らせているわけだから明日があるという風に言えるだけど、今ではそれはあくまで観念的な想定でしかなくて、まだアクチュアルなものではない。犬がね、犬の人生みたいなさ、そういうのって飼い主が客観的に飼い主目線で見て決めるっつーか定義するわけ。犬本人は運命とか人生ってのを恐らく考えていないだろうから、犬にとっては人生という概念はありえないわけで、実質、その存在が無いわけね。あくまで飼い主だのなんだのっていう第三者が定義しない限りそこには現れない。ってことで観念的なことってのは常に主観的な概念から生まれるもので、それは思考力だとかっていうのを持っている人間の特権であるわけだけど、だからといって世界を自分らの目線で定義するというのは非常に危険なわけだ。だってそれって全部人間の勝手な主観でしょ?石は石だっつってもそれは人間が石と定義していることでそこに石という合意が生まれて石というコモンセンスが生まれるわけだけど、そんなこたぁー石自身には関係の無いことで、石にとっては外から何を言われようがそれ自体はそれとして存在しているわけだ。


自分が良いと思うから良いという「良い」という概念も主観的なもので、それが他の人にとって良いものであるかどうかなんて分からないでしょ?でも当たり前のものは全てそれが「良い」と定義されていて、それでもう共通の合意になっちゃってるわけ。じゃあ人間の主観無しのそれってのは何なの?っていうとさ、いつまで経ってもそれは定義できないわけ。ただ言えるのはそれがそこに存在しているということだけね。自分勝手なヤツってのがいい例でさ、自分の事しか考えてなくて基準が全部自分目線だから、人から例えどんな風に見られようとも自分目線で動くんだよね。で、それが当たり前だと思ってる。だから他人に迷惑だとかっていうことを考えないわけね。でも基本的に人間って本質的にはそうなのよ。基本的に自分目線というか人間目線でモノを見るし、何より自分が可愛くてしょうがないから、防衛本能というかさ、そういうので動くんだよね。理性的に見えても本質的には野性的っていう、それが人間だと思うんだけど、さっき書いたあれよ、運命とか人生とかにしてもさ、元々そんなものに意味は無いっつーかゴキブリが生まれて死んでいくのと同じなのにそこに意味なりなんなりを見つけようとするのって人間じゃない?で、色々なものに意味を見出すよね。別に悪いことだとは思わないけど、でもなんかあんま自惚れすぎるなよって言いたいよね。特に宗教とか見てると思うんだけど、ホントさ、アメリカの馬鹿宗教っつーかプロテスタントみたいなのってさ、モロアメリカ基準でモノを考えている宗教だよね。だから他が許せないわけでしょ?っつーかさ、宗教もいいけどまず自分たちも動物なんだよってのを認識するべきだよね。どーも宗教って「自分たちは特別だ」みたいな考えが根底にあるような気がしてならないんだよね。解脱を目指す宗教なら大いに結構だと思うんだけど、どうもなんつーか教義だとかさ、神だとかさ、そういうのって人間の考えが肥大しただけのものでしょ?そんな人間の自惚れの権化みたいなものにオブセッシヴになるってどういうことよ?隣人愛とか言うならさ、まずあくどい金儲けなり政治なり搾取なりをやめて人を愛せよって言いたくなるよね。キリスト教徒が多い国だのプロテスタントが多い国だのっつってさ、その国が慈愛に満ち溢れているかっていうと実際は自愛に満ち溢れているんだよね。そういえばルームメイトの労働のサイクルが狂ってるのは前にも書いたかもしれないけどさ、朝8時過ぎに家出てさ、んで12時過ぎとかに帰ってきて、んでまたなんか部屋で仕事だかやってんだもん。で、寝るの4時とかでんで次の日7時前ぐらいに起きて出勤してるんだけど、この会社の社長ってのがワーキングVISAだとかさ、所謂、グリーンカード保有者じゃない日本人達を集めて、んであくどいやり方して儲けてるわけ。文句を言おうものなら「いいんだよ。お前の代わりなんていくらでもいるんだからやめてもらってかまわないよ」なんて言うわけ。でも働いてる側としてはさ、市民じゃなくて仕事するのってすげー大変なのよ。いくら有能でも「あ、あなた市民じゃないのね。んじゃあごめんなさい」っつって採用されなかったりね、ようは当然、市民じゃないヤツと市民がいたら能力差はあっても市民を選ぶわけってーのは色々と面倒なのよ。非市民を会社に入れるのって。で、それをまぁ悪用しているわけだね。ルームメイトみたいな働き手の仕事が他には無いってのを知ってるんでいくらでも搾取ができるわけ。こういうのって買い手市場って言うんだっけ?で、まぁさ、働いてる側もまぁ必死よね。だってここなくなったら仕事無いから日本帰るしかないんだもん。だからここにいるわけよ。で、このあくどい社長は郊外だかに豪邸立ててるのね。ジューイッシュなんだけどさ、ユダヤ教って詳しくは知らないけど、そもそも宗教的な教えを学んできた人間ってのがこんなあくどいやり方をするってさ、それこそゴッドブレスアメリカって言いながら人を殺しまくってる米軍とかと同じレベルだよね。だから慈愛じゃなくて自愛のための宗教だって言いたいわけよ。で、自分がちょっとでも罪だなって思ったことはさ、ガス抜き的にコンフェッションして終わっちゃうわけ。すんげー自分勝手だよね。ユダヤ教は分からんけど。そもそも宗教の教えってかなり高尚なものじゃない?それこそ教えを守ろうとしたら慈善事業とかに全力投球しても足りないぐらいなんじゃないか?って思うんだけど、やる人いないんだよねー。で、バリバリ教会とか行ってるくせに嫌なやつだったりするわけ。これってすげー矛盾だよね。


どう思う?元々宇宙があってまぐれで地球が出来て生命が生まれてんで進化して人間っつー脳がデカイやつらが文明を築き上げてきてんでその文明ってのがあたかも「自然」のように当たり前に思われてるっておかしいと思わない?地球からすれば「お前らなにやってんだ!」って話でしょ。別にここで環境云々言うつもりは無いわけよ。ただね、なんか人間って大げさに考えすぎだよね。人生とは何か?とかさ、人間とは?とかさ、深く考えるのはいいことだけど、基本的に自分は考えられる生物だからこういうことを考えるんだっていう前提に立たないとおかしなことになるよね。人間様っていう考え方が凄い嫌いなんだよ。俺。前に時間の話で書いたけど、時間って時間っていう人間の共通前提でしょ?こういう枠組みのルールがありますよ、だからこれはこうですよっていうことで時間が存在する。他のこともまぁ全部そうっつっちゃーそうだよね。さっきの机の話じゃないけど、机っつーのも世の中で机が机だからっていう共通認識があるんで自分も机だと認識できるわけでさ、あくまでこれも認識の一つで、それが存在とは言い切れないんだよね。それはあくまで人間の頭の中で認証された存在なんであって、机自体はそれそのものとして明らかに存在しているわけで、それ自体に机という概念は存在しないわけ。だけど人間ってそれが机だっていうことが当たり前だと思ってるんだよね。机はまぁ机で問題ないからいいんだけどね。どうもなんかね、無性に腹が立つのよ。人間様が決めたことだからそれはそうなんだっていう認識の合意がね。んじゃあそれを客観的に見たらどうなのよ?っていうさ、ところで俺のシステム嫌いもこういうところにあるのかもなぁー。欠陥だらけのシステムなんだけど、そこでやっていかないといけないから分かっていてもそこに適応するしかないっていうこの妥協というかさ、生活ってこんなのばっかだもんね。でもそれはそうなんだからそうしなきゃいけないっていう妥協。よく親から諭されたもんなぁー。耳にイカが出来るぐらい。昔から俺って「何で何で?」っていう子だったのよ。だから親も本当に苦労したんだろうね。まぁいいや、でさ、ほぼ全てのことが妥協と必要性によって動機付けられているっていうさ、んじゃあなんでそれをやらなきゃいけないの?って考えたときに合理的な答えって色々なことに関してなかなか出てこないんだよね。ゴメン。例えが無くて。いや、なんでもいいのよ。会社に行かなきゃいけない必要性とかは普段も書いてるからいいけど、例えばそれが欲求にしてもさ、それってすげー自分勝手なんだもん。セックスしたいとかいってさ、基本的に溜まってるからセックスしたいわけで相手のことなんて考えてないよね。これが欲しいあれが欲しいっつってさ、浪費してんで金が無くなってんでまた稼がなきゃいけないとかさ、本当に日々のことが矛盾ばかりだよね。こういうのを人生と呼ぶみたいなこれまた共通認識があるわけだけど、チャンチャラおかしいよね。あとみんなやってるからとかさ、これが普通だよ、とかさ、何かの枠組みの中で普通にやっていくってことが人生だって思ってるんだけど、それって盲従だよね。机が机であることに文句は無いんだけど、人生が人生らしくあるっていうことに凄く疑問があるんだよね。なんでみんな同じような生活をしなきゃいけないんだかさっぱり分からん。何が言いたいかっていうと、ただの共通意識のイメージである机を机だっていう風に言うのには文句は無いんだけど、ただのイメージでしかない人生だのなんだのってことをまるでそれを実存のように扱う態度というのが本当に気に食わないんだよね。ホント、世の中って勝手に自分で作り出したイメージと合意に雁字搦めになりすぎだよね。笑っちゃうんだよ。ホント。毎日学校行ってるとさ、何それっぽい人生送ってるんだ?って自分で自分が滑稽に思えてくるわけ。まぁでもそれをあえてやるってことで自分の生活にメリハリがつくっていうか、あとはまぁ幻想的な目標に向かって努力らしきものをしてみるとかっていうことを生きる動機付けにするとかさ、ホント、人生って生きるための動機付け探しの旅だなって思うんだけど、でもそれが分かってるだけまだマシかなって気もするんだよね。全てがコントロール可能ではないんだけど、ある程度自分の事をデザインできるでしょ?だからくだらないって思っててもあえてやるんだよね。だからあれよ、育成ゲームみたいな感覚で人生を送るわけよ。それがあるんじゃなくてそれを認識しているだけなんだって思いつつもまぁ育成が面白いんでやるっていうような、そんな感じでいいわけ。所詮死ぬとかさ、所詮全ては無くなるとかさ、そういうニヒリズムは一番ダメね。でもあれよね、やっぱこういうことを考えれば考えるほど幸福なんていう感覚は極めて認識的なことだから、外部的なことで満たせるわけが無いというのは本当に自明のことだよね。で、やっぱ思ったのは俺ってアメリカに来てからずーっと育成ゲームを楽しんでるんだなって思ったわけ。日々進歩していく自分がなんというかキャラ育てみたいな感じで面白いんだろうなって凄く感じたのね。だからあれよ、まとめるとなんというかあれなのよ、育成ゲームをやっているという自分を認識している自分というのが自分なわけ。だからその育成ゲームが面白ければとりあえずそれでいいのね。育成ゲーム自体にもこれといった意味は無いんだが、とりあえずゲームは楽しいんでやるっていう、とりあえずそれで十分だ。今のところは。ホント、人生なんてクソ食らえだね。俺は育成ゲームで十分です。

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