生き残るための相互扶助的恋愛。

mimisemi2008-03-21

あの子に決めた。やっぱりサイコロジーの例のお嬢様は改めて顔を見てみると隙がない完璧さで、あんなもん誰だって可愛いと思うに決まっている。ようはホント、テレビでも通用するぐらいのレベルっていうか、それこそその辺のハリウッド女優なんかよりかはよっぽど可愛いわけでさ、もうあの子にしたよ。っていってもまぁ会話する機会がないから決めたもなにもないんだけどね。たぶん帰りにタクシーを拾って帰っているのは可愛すぎるから危険なんだろう。不細工なデブだったら夜中の地下鉄に乗っても安全だろうけど可愛い子というのは危険だよね。可愛い子というのはこの辺のところを本当に熟知しているよね。さすがだなと思ったね。ホント、俺のウディ・アレン度がどんどん増す感じがするんだよね。あれだけ可愛いと自分の醜さというか、何も無さが本当に際立ってきて、世の中不公平だなとつくづく思ってしまう。


それにしてもやっぱ日本語だとスラスラ書けるんだよな。今日はまぁソープとスカトロジーでテストがあったんだけどさ、ソープはちょっと暗記してきたっていうか、一応、一週間前ぐらいから意識だけはしていたから、やっぱ出来たねっていうか、まぁ分からないところも無かったわけじゃないんだけど、基本的に学科としては塩を取りすぎると脳卒中になるとか、炭水化物がエネルギーになるとか、小学校でやるようなことなんで、学科の難しさというのはないんだけど、ようはあれなのよ、英語ね。動脈硬化だの骨粗鬆症だのって名前は通用しないからさ、もう単語との戦いよ。どこに肉が付いてると、なんたらのリスクが高まるっつって、そのなんたらが分からないんで答えられないとかまぁそんなの他のテストでもしょっちゅうだけど、ホント、改めて思いまくるよね。あの子可愛いなって。あ、話が摩り替わっている。摩擦熱。ただまぁあれだよね、地獄のようだった社会学のテストに比べたら相当楽で15分ぐらいで終わっちゃったんだけど、誰もまだ終わってなかったんで、なんか優等生ぶるっていうか、そんなに早く終わるなんて相当勉強してきたんだね?とかさ、思われるじゃない?でも勘で書いているところも多いからっていうか、それこそhow to take examとかさ、ああいうの読んだってのもあってもうテストを取るスキルってのが明らかについてくるねっていうか、恐らく本当に今は空白の青春期を取り戻しているんだなって感じるんだよね。中学とか高校でテスト漬けになって慣れていく・・・っていう過程を今やってる感じ。家庭を持ちたいな。あの子と。また摩擦熱になっておーる。まぁいいや、だから15分ぐらいでチャチャッっと終えちゃってかっこよくクラスを出てテストが終わるまで待っている(テスト後に授業があるので)っていうのが凄く嫌だったのね。だって本当にちゃんと出来てればいいけど、何回も書くようだけど勘でやってるところもあるからさ、っていうかああいうのに労力を費やしたくないから、チャチャッっとやっちゃうのよ。で、分からないところは深く考えてもしょうがない。だってあの手のテストは思考力を求められているわけじゃなくて暗記力を求められているんだから、分からないところは、例えば消去法とか、数字にしても1.4 2.8 3.12 4.16なんて選択肢があったら、とりあえずエクストリームなナンバーを消そうってことで、1と4を消して2か3で考えるわけ。なんかまぁこういうティップみたいなのが腐るほどあるんだよね。こっちってそんな本が腐るほどある。苦労せずにAスチューデントになる方法とかさ、ハウトゥー好きなアメリカ人っていうか、何かをモデル化してロジカルに考えるのが本当に好きだから、いくらでもあるんだよね。こういうのが。いろんな分野で。


まぁいいや。飛ばすぜ。眠いから。でね、サイコロジーではまぁエッセイを書かされるんだけど、トピックは事前に知らされるから、まぁある程度は用意できるのよ。だから問題は無かったはずだったんだけど、想定してた質問と実際の質問の違いがあるやつがあってさ、堀江外だったわけで、まぁアドリブを求められたんだけど、ここで日本語みたいにスラスラ書けないから本当にイライラするわけ。可愛い子はもうエッセイを終えて帰っちゃうしさ、なんなんだって感じよ。で、もういいやーと思ってどんどん言うことを抽象的にしまくるっていう方法に出るわけ。提示されたことを答えてはいないんだけど、難しげなストラクチャと聞きかじりのジャーゴンとかアカデミックっぽい用語を多用して、それっぽく答えてみるっていうね。personal rulesとは?サイコロジーとの関係性を述べよ、みたいな問題でもさ、「personal rulesとは極めて個人的な内面のプロセスにより形成される原則であり、その構造に深く関わるファクターは社会的要素や文化的要素、もしくは個人の家庭環境といった様々なものであるが、行き着くところ、その内容を決めるのは個人であるが故に、世の中には人の数だけのpersonal rulesが存在する。personal rulesとは精神的プロセスにより形成される個人の社会的コミットメントを規定する内面的原則である」とかさ、なんだ?って感じでしょ?ちゃんと答えろよみたいな。それっぽく書かれてるように見えて実はそうじゃないっていうね。だから前にも書いたけど、衒学ぶってる感じの文章ってのを真似るってのも英文を書く良い訓練になりそうだなとかって思ったってのは、基本的にこういうのを書くことで、小難しいストラクチャーとかジャーゴンを覚えるわけよ。胡散臭い論文を読んで「あーこういう風に人を騙すのね」ってテクを盗むっていうかさ、書くことが無い時に誤魔化す方法として、衒学的な書き方というのを身につけるみたいなね、まぁプロフェッサーを騙せるとは思えないんだけど、稚拙な文章で何がなんだか分からないことを書くよりかはまだマシかなって、まぁ本質的には内容が無いってことで一緒なんだが、とりあえず書いたぞっていう満足感は得られるじゃない?だからいいのよ。それで。まぁただ今回は8割ぐらいオッケーで残りの二割をソーカルで乗り越えたって感じだったわけね。でもまぁーあれだよね、これが中間テストだったわけだけど、俺ってなんとかやっていけてるんだよなぁーって実感するよね。まぁ完全にやっていけているわけじゃないんだけど、少なくともクラスには留学生は一人もいないような感じなのよ。みんなネイティブなわけ。そんな中で一人、たった在米歴2年の俺が例の可愛い子を含めた連中と同じようにエッセイのテストを受けてるんだから、本当に凄い状況だよなって感じるよね。だってあのまま日本にいてニートのままでいても、まずこうはならないじゃない?なんか状況の違いが凄すぎる。特にこういうテストみたいな、普段とちょっと違う雰囲気になると、自分の身の回りの異常さに気がつくね。あの笑わず嫌い王に出てたギョーカイ用語使うあいつみたいな感じよ。「俺、なんでここにいるんだろう?」っていうのをふと思って相当素に戻るっていうかね。で、今日みたいに英文をスラスラ書けない自分がいると、自分の思い描いている相当凄いラディカルな留学生イメージから程遠いわけよ。だからその勝手なセルフイメージと重なるように、もっとちゃんと適当でもしっかりとしたエッセイを「スラスラ」と書けるようにならなきゃなっていう凄まじく強い動機付けを改めて実感するわけで、とりあえず英文に接するということが、自分の生活の中で凄く重要になってくるわけね。


やっぱ目標はこれよ、ウォール伝みたいな散文みたいなのを英語でもスラスラ書けるようになるっていうか、まぁ今の俺みたいな、とりあえずまぁ不器用な文章ながらも思っていることと書いていることっつーか、ようは喋るってリアルタイムでしょ?リアルタイムに生成しているものをリアルタイムに出力している感じなんだけど、ウォール伝の場合、それを文章でやってるわけなんだけど、それって別に俺が日本語で書くということに難しさを感じてないからできるわけでしょ?まぁもうなんだかんだでウォール伝ってもう7年ぐらいになるんで完全にこのスタイルに慣れているってのもあるんだけど、まぁこれを英語で出来るぐらいじゃないとダメなの。そうじゃないとこっちでやっていけないじゃなくてやって「いかれない」って勝手に思ってるわけ。でもね、メールぐらいだと割とスラスラ書けるのよ。ただやっぱちょっとアカデミックっつーか学科みたいなやつになると無理ね。語彙が足りなさ過ぎるし、自分の英文のスタイルというのを持てていないんで、常に即興でネタやってるような感じなんだよね。じゃあ寝る。いいでしょ?この終わり方。明らかに続きそうなのにいきなり切るわけよ。本当にこれを書いている意味が分からないね。ただ書くっていうことが必ずしも他人に伝えるということではないなというのはさ、まぁ感じるわけよね。逆に本当に他人に何かをちゃんとした形で伝えたいんだったら、別館ウォール伝みたいなのを作らなきゃダメよね。そこではもう本当に真面目に音楽評論とか映画評論とか政治批評みたいなのをするとかさ、まぁ無理だけどね。知識が無さ過ぎるから。そう、俺の知識って何かを真面目にやるのにはあまりにも未熟すぎるんだよね。だから全然真面目にやろうと思わないわけ。でもいろんな分野にしても、本当にちゃんと何かを書けるようになるのなんてさ、おっさんになってからとかだよね。そのぐらい極めないと本質的なことなんて書けないよね。若者が勢いに任せてとりあえず書いてるみたいなのって個人的にすげー嫌いなのね。俺。いや、俺が典型だけどさ、そうじゃなくて、それを真面目にやっちゃってる連中ってのは痛いんだよね。社会学の基礎も無いくせに社会ついて語っていたりさ、政治についても同じだけど、基礎が無いやつがちょっとプロぶって学者っぽく何かを書くって若いやつがよくやってしまいがちな間違いだけど、これは俺としては絶対出来ないよね。痛すぎて。それは全部そう。政治についても社会についても哲学についても、こないだの先生の話じゃないけど、ここの哲学者のドットの違いを見極めるためには全体像を掴まなきゃいけないわけで、それってのはとりあえず主要なやつは全部読んで理解するってところなのよ。で、やっとエッセイとか哲学評論とかでしょ。社会学にしてもあの膨大な量の知識を完全に頭に入れないといけない。で、社会についてやっと語れるわけ。だから俺には学問的な基盤が無いので、アマチュアとしてはウォール伝みたいなので書きまくれるけど真面目なフォームでは恥ずかしくて出来っこないわけね。だから全く意味が無いことなわけ。俺みたいな中途半端な学識を持ったやつが真面目に書く理由なんて全く無い。だからウォール伝はウォール伝クオリティのままでいいわけね。


ってことで例の可愛い子とスタバでコーヒーを飲んでいるようなイメージを頭に描きつつ寝るわ。俺ってつくづく童貞だよな。まぁリアリスティックな童貞って感じかな。こういうときメモ以上のありえないシチュエーションなんてあるわけがないのに、とりあえずでもそういうのを妄想するのは好きっていう、典型的なダメ童貞オタクタイプなわけね。でもあえて妄想するんだよ。そこがいいわけ。で、変な話、この子に妄想の中で会いすぎているから飽きてきて、んでまた次の可愛い子を見つけたら、その子で妄想してって感じで、ノーリスクノーコストだよね。妄想って。別にストーキングするわけでもなくさ、あくまで妄想の中で恋愛が成り立っているわけでさ、もうそれで十分だよね。実際、たぶんこの子と話してみたら、ゴシップ雑誌を読んでたり低俗な映画とか音楽が好きだったりするわけよ。そういうのを俺は分かってるから、あえてファンタジーなわけ。分かってるっていうとまるで様々な恋愛をしてきたみたいな言い方になるけど、まぁ恋愛っていうよりかは、人間って大抵そうなんだよね。こっちが期待しているほど他人ってたいしたもんじゃない。で、本当に凄い!って思える人は俺みたいな人間が知り合える可能性が無いっていうね。だから人間関係の必要性がない。妹も典型的な俺タイプなんだよね。さすが兄弟って感じだけどっていうか兄妹って言葉は無いの?妹も友達が少ないというよりかは人間関係に必然性を感じない人間なんだよね。自分の世界があるんで別にそれで全てが完結してしまっているっていうタイプ。で、他人に自分の世界観の理解を求めても、その世界観が得意すぎるんで、滅多に理解されないっていう、まぁオルタネイティブな人種なんだよね。これは別にだからっつって凄いとか優れてるって意味じゃなくて、ちょっと逸脱した人間ってことなわけよ。妹も死体とか人体とか好きだし、あと俺の趣味には無い悪食とかカニバリズムが好きだったりするんだよね。本当に血は争えないよね。妹も本当に受け入れ先があれば凄まじい開花をするタイプなんだけど、残念ながら日本にいるからなんだかなーって感じなんだけどね。俺だけ勝手にこっちで開花していってて本当に申し訳ない感じがあるよね。ホント。妹もとっくに日本なんてものに愛想を尽かしてるから、昔から海外で勉強したがってたんだけど、俺だけとりあえず抜け駆けしてる感じなんだよね。まぁあれだな、一家揃って移住だな。そのためにはまず俺がこっちで基盤を作らないとな。うちの家族なんてこっちに来たら間違いなく幸せになるからね。


さっき眠いからやめるって書いてそっからまた続いたね。家族移住プランまで出てきちゃったから、まぁ凄いね。でもさ、ホント、あの可愛い子みたいなのと会話するにはどうしたらいいんだろうね?あ、でもあれよ、話は違うけど、英語の上達の近道って彼氏・彼女を作ることよ。こりゃ凄いね。ホント、凄い。同居してぇな。でもあれだよね、同棲っつっても、こっちではまぁルームシェアになるわけだからさ、っていうか、まぁあれなのよね、経済的なんだよね。同棲だとか結婚ってのが。ルームシェアをしつつ両方の稼ぎで高い生活費をなんとか払っていくっていうサバイバルの方法なんだよね。最近、俺のビジョンって本当にリアリスティックになっているから、真剣に彼女を探さないとダメだなって思ってるわけよ。動機としては彼女を作るというよりかは、パートナーを探すって感じだよね。本当に。で、お互い支え合って暮らしていくみたいなね。いや、それは恋愛的な意味ってよりかはもっとリアリスティックな意味で支えあうわけね。相互扶助的恋愛ね。まぁ今のところにはしばらくいるけど、まぁ将来的なことを考えると、やっぱパートナーはいたほうがいいからね。でも結構いそうだけどね。留学生とアメリカ人のカップルが同棲してるって。ケリーっつー台湾人の友達がいるっつーかいたんだけど、こいつの友達ってのが女の人なんだけど、大学院生でアメリカ人と付き合っててこの人と一緒に住んでたからね。ブルックリンで。合理的だよね。本当に。家にいるときだって完全にルームメイトって割り切っている別に仲が良いわけでもなんでもない人間と暮らすよりかは好きな人と暮らしたほうがいいわけよねっつってもまぁそれはそれで大変だと思うけど、ルームメイトってあんま得しないね。関係が深いわけでもなく、仲がいいわけじゃない割に、関係が近いんでお互いの嫌なところとか知りたくないようなことも知ることになっちゃうから、なんていうか一緒に住むっていうことで出てくる弊害というのはパートナーだろうがルームメイトだろうが同じなんだよね。ホント、今のルームメイトとも本当に喋らなくなったっていうか、喋ることなんて無いんだよね。でもこういうのってウチだけじゃなくて、前にも書いたけど、元々相当仲が良くて週末はいつも一緒に出かけているような仲だった関係の友達同士がルームシェアを始めたら、もうさっぱりプライベートでは接点が無くなって、一緒にどっかに出かけたのと言えば、アパートの契約期間が切れてルームシェアを解消してお互いどっかに引っ越すようになった時っていうぐらいだからね。別にただ仲が悪くなったわけじゃないのよ。ただ一緒に暮らすってのは、なんかこういうことになるっていう傾向があるのは本当に理解できるな。だから今、こうやってルームシェアをしていると結婚ってのが上手く行かないってのも本当に分かるんだよね。どんなに好きな人でもこんなに毎日顔を合わせてたら嫌になるよなって思っちゃうもん。例のコロンビア人のイヴァンもさ、「ルームメイトが今はコロンビアに帰ってるから、今は吸いたい放題だぜ!」なんてメールで書いてて、それ見て思ったのは「あーやっぱルームメイトっていないほうがいいって誰でも思うんだな」って思っちゃったね。それはイヴァンの意味は吸いたい放題ってだけじゃないのよね。たぶん一人でいたほうが気が楽なのよ。単純に。ルームメイトとの仲が悪いわけじゃないんだけど、でもいないほうが幸せっていうね。誰でもそうだよね。だからそれだったらいたほうが幸せな人と一緒に住んでいたほうがまだいいんじゃない?って俺としては思ったわけ。まぁさっきの結婚が上手く行かない話と矛盾するけど、まぁさっきも書いたように弊害はルームシェアだろうが同棲だろうが一緒なんだから、だったら同棲のほうがいいよなって思ったわけ。って意味でのみゅーちゃる恋愛ってのをなんとなく割とリアリスティックに思ってたりするわけね。あとなんかさ、一端同棲しちゃってある程度上手くいったら、まぁ結婚までは行かなくても、まぁ例えば同棲中に俺の留学プランがダメになって帰らなきゃいけなくなったとかでもさ、とりあえず彼女がいるから違法滞在になっても一緒に住みつつ、俺は何とかバイト探して生活費を稼ぐみたいなさ、そういうのも不可能ではないんだよね。失礼な話なんだけど、ようは彼女ってのがセーフティーネット的な役割になるってことね。いや、もちろん利用するわけじゃないよ。利用するために同棲するんじゃないんだけど、まぁただ同棲するのが得である理由というのは考えてみれば、例えばこれみたいな例が他にもいくらでもあるわけで、本当に有利なのよ。ただこうなっちゃって彼女に捨てられたらもう終わりだけどね。


あ、もう寝るわ。結局また長くなったな。でもね、ホント、そうなのよ。彼女欲しいとかじゃなくて、パートナーが必要だっていうかなり切実な問題なのよね。でもアメリカって少なからずそういう動機で結婚する人多いと思うんだよね。現実的に生活が厳しいから支え合って暮らしていけるパートナーが必要っていうようなね。あ、また書きたくなってきたからもうやめよっと。それにしても円高は本当にありがたいね。仕送りの額が普通に増えるからね。アメリカには悪いけど、少なくともドル高よりかはよっぽどいいわけよね。単純に5ドルのサラダにしてもさ、500円って考えるのと600円って考えるのとでは全然違うでしょ?でもあれよ、実際だって1ドルが120円ぐらいだったらサラダは600円だからね。でも今は500円よ。相当気分的に楽だよね。サラダ如きに600円も払ってるなんて・・・っていうドルに対する敗北感が無いわけよ。ホント、あれ、まぁあれよ、1ドル100円ってのは本当にベストね。こうなってくるとこっちのほうが東京より生活費が安くなるからね。マジで。まぁドルで稼いでれば関係ない話なんだけどね。

あ、もうダメ。ホントに寝る。じゃっ。