涼宮ハルヒの憂鬱。

mimisemi2008-03-23

涼宮ハルヒの憂鬱ってのを見てみたんだが、名前だけは知っていて、なんかの同人アニメかと思っていたんだけど人気があるという理由が頷ける内容だった。というのもストーリーのコアが凄まじく実存に関わるもので、アニメ全体が特に近年に見られるような萌え系プラス声優みたいな秋葉ノリなのにも関わらず、内容は凄く哲学的っていうアンビバレント
は、なんだかエルフィンリートにも通じるものがあるような気がしたんだけど、まぁこれはもっと明るいね。コメディタッチというか。あと言語系が凄く面白い。主人公は本当になんというか喋り言葉でモノを喋らないっていうか、サウンドノベルの主人公視点の喋りなんだよね。あれだね、全然分からないけど、作者は相当な哲学好きなんだろうね。あとアカデミックな言語をキッチュに使うという高度なテクニックを持っているあたり、なかなかの教養の高さを感じさせるよね。


あとこれから書くことは所謂、ネタバレが含まれるので、まだ見てないんだけどこれから見たいって人は読まないでねってことで話を始めると、まず物凄く良かったなと思ったのがハルヒの実存なわけだけど、ハルヒというのは所謂神的存在なんだけど自覚が無くて、あくまで普通の女子高生という実存を生きているんだよね。しかも本人は極めてリアリスティックな世界の観点を持っていて、自分が何億人いるという人間の一人にしか過ぎなかった・・・というちょっと多感な子だったら思春期に気がついて絶望してしまうようなことに絶望していたり、この世の中をシケたもんだと分かってしまっているあたりが本当にリアルを生きている人間が感じうる普通の感覚なんだけど、ポイントはそういった感覚を全ての創造主である神が持っていて、しかもその自分が作った世界をあくまで自分は普通のちっぽけな人間の一人だと信じて生活しているところね。で、ハルヒは神で、そこに生きる人間達にとって分かっている人間達にとっては全てが前に書いたようなスピノザ的な、偶然はありえず、全ては神の思念によって規定されているのにも関わらず、人間にはそれを理解するだけの知能やキャパシティが無い・・・っていうその部分を、ハルヒが作り出した超能力者と宇宙人と未来人とそして主人公のみが理解していて、なおかつハルヒはこの限られた人間達を一瞬でSOS団に集結させてしまったっていう、まぁ神だから当然なわけで、その早さは古泉も驚くぐらいだったんだけど、自覚していない自己中心的な神を支える存在というのがハルヒの創造物たちというのも本当に良く出来てるなと思ったよね。あとタクシーでの古泉の宇宙の解説も本当にいい。人間原理についてね。これも本当に人間の実存に関わる問題で、宇宙の存在という定義が生まれるためには人間の理解と定義を生み出すための人間による研究なわけで、そこに「ある」と人間が想定するためには、当然ながら人間の主観的な認識が必要なんだよね。ただ人間の認識が無かったら、そもそも世界だの宇宙だの社会だのなんていう概念すら生まれてこないわけで、実際、それを「ある」ものだという風に感じられるものは無いわけで、それは実際には無いということになってしまう。ようは誰もいない山奥で石が水に落ちて「チャポン」と鳴った音も、そこにその音を聞いて音だと認識する人間がいなかったら、それは実際には無いということになってしまう。二回目。


まぁこれってのが人間中心の考えなわけだけど、実際に全てのものはただそこに存在するだけで、そこに意味だの定義だのをつけるのはあくまで人間の二次的な考え方によるもので、そもそも存在ということ自体がすでに人間の観念なので、存在ということが存在するためにはデカルトじゃないけど、存在を考える故に存在ありにならなきゃいけないわけで、全てが認識論かのように思えて、それは極めて現象学的なんだよね。全てのものはフェノミナンとしてあるだけで意味は無い。ただそこに人間の認識というものが介在することによって、そこに意味が生まれる。ただこれはもう必然的なことで、こういう風なことを考えることが出来るのは人間しかいないから全ての考えというのは全て結局のところ人間に帰結してしまうわけだよね。人間が生きている以上、認識が無いということはありえないので、人間にとって目に見えるもの全ては存在しているという風に言えるわけだけど、それはあくまで知覚的な感覚であるだけで、普遍的なものではない。というのは他の存在にとって存在というものは存在しないからなんだよね。もっともメルロ・ポンティみたいなリリカルな現象学を唱えるような人達は、感覚するものとされるものが相互的な関係にあると考えたようだけど、その「相互的」という感覚ももはやただの人間の主観的な知覚でしかない。相互的だという風に他の感覚されるものから、感覚する側として考えられるのは、そこに人間の意識があるからで、それを客観的に見てしまえば感覚も何も無いわけだ。あくまで世界は常に主観的な認識によってのみ知覚されているだけで、それはあくまでその主観の域を出ない。だからそこで主観をなくしてしまえば、それはもう空前の無の世界なわけだよね。認識無しに世界はありえない。だから宇宙も世界も社会も人間原理でしか人間は捉えることができない。


でもそこでハルヒのような創造主の場合、そのハルヒの主観や認識や意識というのが世界を規定するわけで、それはスピノザのいう神の意思なわけだよね。その神というのがハルヒなんで、くじ引きをしたところで、その結果は全てハルヒの意志によるものだし、世界には偶然というのはありえなくなる。で、この世の中に飽きてしまえば壊してまた別のを作ろうってことが出来るんだけど、ハルヒの場合、自覚していない神なので、ハルヒの気持ちがダイレクトに世界を規定してしまうので物凄く危険だから周りはハルヒにそれに気がつかせないように努力するというか、まぁ世界を守るためにハルヒを監視するわけだけど、そこで粋なのが、人間という実存でしか自分を認識できていないハルヒの唯一の現存物の中でのお気に入りである主人公のみが世界の実存を肯定して創造主にその価値を知らしめることができる存在なわけだけど、ハルヒは自分が神だと分かっていないので、ではどうハルヒに世界はそこまで悪くないというのを感じさせるのか?というのが「愛」というのがなんともまぁあくまで学園的ストーリーのパラダイムなわけだけど、話が大きいようで、実は小さいんだよね。というのは全てを規定するものは自分が神だと気がついていないハルヒなので、ストーリーは当然、ハルヒという存在とそれを取り巻く環境のみということになるので、あの狭いSOS団だのなんだのっていう学園ストーリーでのみ進んでいくのは当然なんだけど、本当にその辺の兼ね合いみたいなのがよく出来ているね。あくまで学園内でストーリーが留まっているのが凄くいい。あれでジプリ的な展開をしてしまうと相当アウトなんだけどね。


まとめると、ハルヒ本人は凄まじくリアリスティックで、むしろかなりオントロジカルでペシミスティックな世界観を生きているわけだけど、実は世の中は実存というのがありえない世界で、ハルヒの意志がそのまま世界を規定するものになるという、ハルヒの生きる世界観とその実情の違いというのが凄まじいんだよね。そのギャップが凄くいいんだわ。凄く。あ、んで俺が散々、ハルヒのことを創造主だとか神だと書いたけど、現存の世界はあくまで我々の世界と同じ世界であって、ハルヒが世界を作ったわけではない。ただそこにハルヒという神的な能力を持った存在が出てくることで、ハルヒ以外の人間達や他のものの実存が危うくなってしまうということで、まぁ特異点なのよね。ハルヒは。その存在があることで、実存の原則がすべて壊れてしまうというような、本当に恐ろしい存在なわけだけど、それを監視する人間達というのも、ただのドライな「監視」という役割ではなく、ハルヒとの面白い人間関係が生まれているというのも凄くいいね。


まぁそんな感じでこれは別に俺の勝手な解釈なんで、また後で変わったりするかもしれん。まぁとりあえず本当に面白かった。萌え系な見た目ってことだけで食わず嫌いをするっていうのは本当に良くないなぁーと痛感してしまったね。ちなみに調べたらアメリカでもDVDは明らかに日本よりかは安い値段で売られていて、4話分ぐらい入ったDVDが25ドルぐらいでした。4巻ぐらいあったと思うから、全部そろえても100ドルぐらいってことですね。まぁ別に買わないとは思うけど、それにしても安いってーのと、アメリカにはもう完全な日本アニメの固定ファンっていうのが恐ろしい数存在しているんだなって改めて認識させられるよね。まぁそれだけクオリティが高いってことだ。ってことでんじゃあまた。

I Love Techno 2007

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