ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

マンハッタン・ラブストーリー(暫定的)。

mimisemi2008-04-02

オナニーマスターさ、あえて原作読まないで連載漫画感覚で更新を楽しみにしてたんだけど中盤ぐらいからまぁ心配だったわけだけど、やっぱり残念な結果になったね。あんな根暗な男が引き篭もりになった北原を外に連れ出す役割を最後に演じるなんて非現実的もいいところだ。というのもオナマスは最初はリアリティがあった。ああいう人間はいくらでもいるからね。ただ途中からときメモ風な学園ドラマになっちゃって、んで最終的にモダンな問題である引き篭もりをフックにした安直な啓蒙的メッセージを含んだ3流物語に成り果ててしまった感じだよね。そもそもなんであんなに暗かった黒沢が短期間に正反対の明るい人間になったのか、全く理解に苦しむよね。まぁ小説だからって言えばそれまでだけど、帰結が「引き篭もるな!人間関係はそこまで悪くない」みたいなメッセージだと萎えるよね。だったら逆のほうが良かった。人間関係なり人生に素晴らしさを見出していた主人公が、色々な出来事によって人間不信になっていき、その結果、女子トイレに引き篭もってオナニーをし続ける根暗な男になってしまったみたいなね。そこで北原と結託して他の人間への復讐を試みるんだけど、最終的にバレちゃって、北原と心中するとか、そういうほうが良かったなぁ。残念だな。本当に。モラルなんてあって無いようなものなんだから、あんな風に安っぽくモラルだの人間関係の重要性だのを描かれてもねぇーそりゃ効果ないよね。フックとしての「根暗」というのを使うことで、根暗な読者にシンパシーを与えておいて、最終的に「そうじゃないんだよ」っていうことを語りかけようとしてるのであれば大失敗だよね。「根暗さ」っつーか根暗ネスみたいなのはもっと根が深いもので、人間関係なんていう陳腐なものでは解決できないんだよ。引き篭もり然り。外の世界なり人間関係に良いことしかないんだよっていうのが引き篭もりや根暗にとって明らかであれば、彼らはとっくに外に出ているわけ。外の世界に価値が無いと気がついてしまったから引き篭もってるんであって、そこは社会なり他の人間なりが「良いものだよ。外の世界というのは」というのを保証できない限り解決できないわけ。それは自殺も同じね。生きるってことは素晴らしいことだよって言うことを伝えられないっていうか、実際素晴らしいことだらけだっていう事実が無かったら、その人にとっては人生というのは絶望なわけだから、生きているより死ぬことを選んでしまうよね。たとえ辛いことがあったとしても、死よりは生のほうが良いという要素があれば、それは自殺を踏みとどまるきっかけになると思うけど、そうじゃないんだから問題なのよね。死を目の前にしたら人間なんて無力なんだよ。第七の封印っつーか俺の勝手な解釈だとあの映画っていうのは究極的に実在的な生を描いていると思うのね。あれは死を描いているのではくオントロジカルな生なのよ。というのは生きているということは死に向かっているということで、その死を目の前にしたら神も人間も無力だってことなのよ。凄く宗教的な観点から物語を描いているように見えて究極的に無神論的というか、宗教的なバックグラウンドを持った人が表現する無神論というのは、俺らみたいな元々無神論者みたいな連中が無神論を説くのとは分けが違うんだよね。哲学者ってそういうのが多いでしょ?すげーオーセンティックなクリスチャンの家に生まれたりしてさ、んですんげー無神論者になるわけ。


まぁいいや。んで主観性なんだけど、主観性って客観的な見方でしか認識できないよね?だって「これは主観的な見方だけど」って言うときには、客観的な観点が含まれているわけで、完全に主観的な観点からは主観性というのは生まれないわけだよね。そこで思ったのが、実在なんてのも実在というのを客観的に認識する観点があってはじめて認知できるわけで、完全に主観的な観点からだったら実在なんてのは存在しないわけだよね。だから究極的には全部デカルト的な考え方に帰結しちゃうっていうか、存在も現象も全て人間の知覚から認識されるわけで、前にも書いたように、誰もいない山の中で小石が池に落ちて「チャポン」って鳴った音も知覚されなかったら存在しないことになるよね。いや、それは存在するんだっていう考え方は、その考え方に思考を伸ばしている主観性から生まれるもので、その音の存在自体はまるで神みたいなもんだよね。そりゃどっかで小石が落ちてチャポンって鳴ってるだろっていくらでも言えるけど証明はできない。だから現象論的な観点というのも極めて認識論的なんだよね。現象があるという風に認識する考え方なんで、自分たちが人間である限り認識からは逃れられないよね。だから俺としては認識がある上で、しかしながら人間中心的な考え方ではなく、全ては現象をしていてそこに意味は無いっていう風に考えているわけね。「我思う、ゆえに我あり」ではなくて「我がある、ゆえに我思う」ね。サルトルみたいな本質の前に実存があるという考え方も認識によってその存在を認知できるわけで、はっきりいってそれも「我思う、ゆえに我あり」と同じなわけ。自分が実存というものを考えるから実存が立ち上がってくるわけで考えが無ければ実存という概念は成立しない。そこで人生とか運命だなんてことも、そういった概念を認識するプロセスがなければそれは生まれない。だから微生物に人生は無いわけだ。だって微生物自体は彼らの実存を「人生」とは考えてないし、考えられないからね。


ってことであれなんだ、全てが認識的で、全ての選択を自分を基準にしていたら、世の中が悪いことだらけだったらそりゃ引き篭もるわけだよね。だって自分の身を守るのが最優先なんだとしたら、あえて大変な社会とか人間関係みたいなのに乗り出さないでしょ。繰り返しになるけど、そこで外に何かがあれば、その優先順位は外になるよね。だって外に出たほうがいいことがいっぱいあるんだもん。ただそれが無いから問題なんであってね。そこでオナニーマスターの問題点は、個人の外部への考え方が変わることで世界観が変わるというような話を提示してしまっていることなんだよね。実際は世の中自体は現象しているわけで、その実体は苦痛ディスペンサーみたいなもんでしょ。自分を誤魔化すことでしか世の中を生きていけない。だから不器用な人間は生きていけないし、昔のような多様性なり遊びが世の中にはないんで、オルタナティブな生き方というのがなくなってしまった。だからその誤魔化す術を知らない者たちは引き篭もるだろうし絶望するだろうし自殺すると思うんだよね。まぁ引き篭もれるのは日本の特権だと思うんで、これは究極的に言えば凄まじいセーフティーネットなんだな。親元で暮らすことができるというバックグラウンドがホームレスや自殺や絶望や貧困を食い止めているわけ。もちろん将来的に格差がもっと進んで、親元で暮らすこともできないような家庭というのが普通に存在するようになってしまったら、引き篭もりというのは存在しなくなっちゃうね。それはホームレスになっちゃう。だから引き篭もりって家付きホームレスなんだよね。そんな家付きホームレスに「キミを待っている人達がいる」なんて言ったところで、彼らの認識に変化が起こるわけないわけ。だって彼らの世界観では世の中というのは絶望なわけだから、そんなのと接しないほうが一番いいということになっているわけで、その全てが絶望で多い尽くされている外部的な何かでおびき寄せようったってそうはいかないよね。だってその外部に何も無いっつーか絶望しかないと思っているから引き篭もっているんであってさ、そこで仮に外部的な何かがきっかけになって外に出ることができたとしたら、それはただのそいつの勘違いだよね。


中学の頃にそういうやつがいたんだよな。基本的にこいつは本当に頭の悪いやつで、登校拒否といっても、頭が悪いんで教科書をスラスラ読むことが出来なくてそれが恥ずかしいから学校に行きたくないだとか、野球が見たいから昼には帰るとか、そんなことを抜かしているモロンだったわけ。こいつは繊細な引き篭もりほどの思考力が無いんで、極めて動物的に物事を判断して、家に篭っていることを選んでいたわけ。ただ引き篭もりになる前の俺とある友達が担任から「あいつを引っ張り出して来い」って任命されて、俺とその友達はそいつを連れ出すために放課後にしょっちゅうそいつの家に行って説得を続けてたんだけど、粘った甲斐もあってか、学校に来るようになったんだよね。でも相変わらず見たいテレビがあるからとかいって勝手に帰っちゃったりしたんだけど、でもだんだん学校に慣れてきて、普通に来るようになってたわけ。まぁ週2〜3ぐらいだったけどね。で、その後、俺が部活とか学校生活でトラブルがあって完全に精神的に崩壊した後、まぁ登校拒否になったら、逆にその担任がそのモロン型登校拒否野郎と、その例の友達に俺を引っ張り出してくるように任命したんだけど、俺は当然微動だにしないよね。まぁヒドかったのが、このモロンの言い分で「お前は散々俺に学校に来い来い言ってたくせになんで次はお前が家に篭っているんだ?」なんて借金の取立て屋みたいに家に来ては呼び鈴を鳴らしまくったり電話しまくったりしてきて、俺はもう一時期こいつのおかげで呼び鈴・電話のベル恐怖症になったりしてたんだよね。ただですらノイローゼだったのに、こいつのおかげで本当に酷いことになってたわけだけど、所謂、北原という人間は割と俺型の引き篭もりというか登校拒否だったわけだよね。学校でもイジメを食らって、もうどーしようもないぐらい他の人間とか世界が絶望の象徴にしか見えないようになってしまっているわけ。そこで黒沢がモロン型登校拒否を引っ張りだすような方法で絶望型登校拒否を引っ張り出そうったってそりゃワークしないわけだ。モロン型で外に出てくるのはあくまでモロンだけでしょ。こういうところも本当に頭にくるよね。作者は分かっているようで何も分かっていない。初期の黒沢の苦しみも北原の苦しみもオーソドックスな紋切り型の絶望でしか描いてなくて、そこに俺が期待していたようなリアリティはゼロだったわけだ。だから黒沢も後半には手のひらを返したかのように人間が変わるし、北原も合コンをきっかけに外に出てくるようになった。ということは二人ともただの馬鹿だったってことだよね。思春期の一瞬の気の迷いで絶望していたっていうだけでその絶望が極めて主観的なものであったということだ。ただ現象的に絶望しているやつらというのは前にも書いたように外部から手を差し伸べても全く意味が無いわけ。だって原因が彼らの認識にあるのではなくで、その外部の現象そのものにあるわけだから、外部が変わらない限り彼らに外に出るなんていう動機は生まれてこないわけ。


俺が今、こうやって健全な生活を送っているのは当然外部が変わったからだよね。マンハッタンの学校に通って充実した生活を送っているから、その外的な影響が俺の実存に影響してきてポジティブになったり将来的なビジョンを描いたりしているわけで、俺の中身というのは全く変わって無いわけ。その証拠に普段からもよく言っていることだけど今の生活を送れなくなって日本に帰ったらまた俺は引き篭もりになるわけよ。それは少なくとも俺にとっては日本というのは絶望でしかないから、ポジティブになった今の俺でも生きていくのは大変なんだよ。だから日本に帰りたくないわけ。これってのは認識的な絶望ではなくて、現象的な絶望でしょ?外部に何かがあれば俺はコミットするわけよ。多くの引き篭もりもそうだと思う。ただ外部に絶望しかないから問題なんであってさ。そこをオナマスは本当に勘違いしてるよなって思っちゃったわけね。で、世の中ってのはニートとか引き篭もりを一つのドロップアウターだとかダメ人間達としてカテゴライズしちゃってるんだよね。実際はいろんなタイプの引き篭もりやニートがいるわけで「ニートはダメだ」なんて言い方は簡単には出来ない。俺の同級生だった例のモロンみたいな本当にダメなタイプの引き篭もりもいれば、過去の俺みたいな究極的に絶望し切って憔悴し切っているやつもいるわけで、俺みたいなタイプから言わせれば、そんな本質的にダメなやつと同一に語られるのなんて、それこそ苦痛だし、余計に社会を悪く見る癖がついちゃうよね。自分は色々思っているのに、世間は「ニート」だの「引き篭もり」だのっていう単一のカテゴリーでしか自分を見ない。だから余計にそんな社会に出て行くのなんてゴメンだって思っちゃうわけね。これも前に書いた自殺と一緒で、色々なタイプの自殺なり引き篭もりがいるんだから、まずはその原因を探らない限り本質的な解決は不可能だよね。俺の場合、外部の現象にあったんで、今は解決しちゃったわけだけどね。


ってことを書きつつ学校行かなきゃいけなかったんでとりあえず学校いったんだけど凄まじい事件が起こったのよ。たぶんこっちに来て以来、初のというか、ありえないような事件。


とりあえずまぁあれよ、サイコロジーだったからさ、IQテストの話とかだったんだけど、いつも通り終わりつつまた例のリア・ディゾン100万回連続再生みたいなクオリティの女の子の顔は見れなかったんだけどさ、まぁ授業終わりにトイレに行って、んで帰ろうと思ったらエスカレーターでこの子と会ったのよ。っていうかまぁ相変わらず顔は見ないようにしてたんだけど、帰りの道も一緒だからさ、とりあえずあれなのよ、この子が先に歩いてもらわないとすれ違っちゃうでしょ。俺がこの子を越すってのもなんだかなぁって感じだしさ、まぁゆっくり歩いてたんだけど、学校の出口の階段のところっつっても分かる人は誰もいないだろうけど、そこでちょうどまぁ横隣っつーの?なんていえばいいのか分からないんだけど、まぁ並んだわけよ。で、俺はとりあえずまぁ並んじゃったから早めに歩いて越そうと思ったときにさ、なななななんと!!!!!!この子が俺に話しかけてきたのよ!!!!!!!!「今のクラスってこの後も同じクラスがあるのよね?」なんて聞いてきたんだけど、なんというかこの子もあれかな、風変わりな俺と喋りたかったのかもしれん!!俺もそんな雰囲気を常に出していたからけん制しあってたような感じだったんだけど、まさかね、実際話すとは思わないでしょ?明らかに夢の世界だからね。いや、ちょっとぐらい可愛い子が話しかけてきたとかだったら、まぁ電車男以下の俺としてはそれでも事件だけど、この子の場合、前にも書いたようにテレビに出ても通用するぐらいのクオリティなんでありえないのよ。高嶺の花どころの話じゃなくて月に咲く花のような感じで誰も摘めないわけよ。で、ましてやこれってなんつーかどうでもいい質問じゃない?周知の事実を俺に聞いてくるってことは、まぁ会話の機会をうかがってきたのかな?とかって思ったんだけど、それにしてもなぜ俺なんだろう?とかもうあれよ、死ぬ前の走馬灯みたいにいろんな思いがこの話しかけられた瞬間にめぐってきてさ、平穏を装ってはいたけど、心の中は応仁の乱だったわけ。で、その後何話したかな?俺も当然喋りたかったからサイコロジーの最終試験の話なんかを聞いたんだよね。理解してたんだけど、イマイチシステムが理解できないんで説明してくれみたいな感じで。そしたらまぁ答えてくれてさ、ただこの時点でまだあれなのよ、ようやく学校の出口に着いたぐらいだったから、もっと話さなきゃいけないでしょ?だからもうあれよ、頭フル回転よ。廣松渉読むときぐらい頭をフル回転にしてたね。で、メジャーは何?とかさ、彼女のメジャーはサイコロジーだったんだけど、とりあえず沈黙が怖いんで「へぇー凄いねぇー良いねぇーあれだよねーホントに」とかそんなことを口走りつつ「フロイトは読んだ?」とかさ、あんまフロイト覚えてないけど、「フロイトって全部セックスと結びつけるよね。変なおっさんだよね」とかさ、ユングは読んだ?とかさ、間を埋めるのに必死だったね。実質間は無かったんだけど、ようはDJみたいに次の瞬間を読みつつ話を用意しておくわけ。DJやってて繋がらなかったらアウトでしょ?沈黙が訪れてはダメだから、もう必死に話してたんだけど、ラカンって知ってる?とかさ、俺も対して知らないくせに薦めたりして、彼女の興味であるサイコロジーパラダイムでなんとか話を続けようとまぁ色々苦心していたわけだけど、まぁ途中でもうネタが尽きてきてさ、ただ彼女も色々と話してきてくれて、まぁ俺のメジャーとかね、何を勉強したいの?とかさ、リベラルアーツって言ったところで具体的じゃ無いから「哲学とか社会学とか政治学に興味があるんだけど、どれをやるかは決めかねている」みたいな話をし始めたらもうダメよ。俺といったらFF8のラグナみたいに自分の話ばっかしちゃってさ、まぁ他にも彼女から聞かれたことと言えばまぁ俺がいつもデカイヘッドフォンをしてるんで、音楽に興味があると思ったのか、まぁ音楽好きなのとかさ、そうしたら俺といったらそれよ、「いやー自分のことをアーティストだとかミュージシャンとはいえないっていうか、一応音楽を作ったりはしているんだけど、まずお金にならないし誰も理解してくれないからプロとはいえないよね」とかさ、何を孤高のアーティスト気取りになってるんだ?とかもう自分でその都度秒単位で反省してたよね。みんな理解しないというほど俺の作るやつってそこまで分かりづらくないし、まぁお金にならないのは確実だけど、でもそれにしても「もし、良かったら次の授業の時に俺の曲のコピーを持ってこようか?」なんて言ったりしてさ、彼女も「本当に楽しみだわ!!もう次の木曜が待ち遠しいわ!」なんて言ったりなんかして、まぁこの辺の言い方って気があるとかないとかじゃなくて、アメリカン的なエクスプレッションなんだろうけど、まぁそれにしてもありえないよね。今、こうやって書いてても電車男が地で起こってしまった感じで、明日にはハルマゲドンでも来るんじゃないか?ってぐらいの奇跡だよね。それこそオナマスを非現実的だなんて否定しておいて、オナマスの後半かそれ以上ぐらいのありえないことが起こっているわけで、宇宙はどうなってしまったのか?って感じでしょ?俺にこんな経験をさせてどうするつもりなんだろう?情報統合思念体はどういうつもりで俺にこの状況を経験させているのか、全く理解に苦しむね。


まぁで、話を戻すと、この後も色々と話したんだけど、なんつーか俺が必死になって俺のことばっか喋っちゃってラグナもいいところだったんだけど、彼女の名前すら聞かなかったんだよな。あっちは名前を聞いてきてくれて「シュンイチって言うんだけど、ビルでいいよ。あーなんでビルかっていうと、シュンイチっていうアバターを捨ててビルっていうアバターに乗り換えることで自分は解放されるわけだけど、自分の中ではこれって凄く合理的なことなんだよね」とか初めて話す人に説明するべきようなことじゃないようなことを永遠と喋ったりなんかして、彼女も「?」って感じだったけど、引いてたのかな?やっぱり。もうダメかな。そして次の授業のときに俺のノイズやらなにやらを持っていって完全に「キレてるやつ」ってことで無視されるのかなぁ?でもこんないとうせいこうみたいな髪型してる俺に話しかけてくるってことは、彼女は好奇心が強いと思うんだよね。なんなんだ?とか思いつつ、ちょっと話してみたいみたいな、そんなのがあったのかもしれないけど、彼女が思っている以上に俺は変わりすぎていてもうダメかもしれないね。それにしてもさ、すげーんだよ。この子。俺が音楽で食っていけるわけがないんでなんとかまぁ職を探さなきゃいけないとかって説明してたらさ、彼女はバレリーナになりたかったらしいんだけど、俺と同じくそれで食べていくというのは難しいんで、大学で勉強することに決めたって言ってたんだけど、夢がバレリーナって本当に俺は罰が当たるんじゃないだろか?「いや、でもなれると思うよ。夢は持ち続けないと人間って死ぬからね」とかさ、また俺の不器用な言語系でしか自分の考えを表現できないんだけど、一応、まぁ夢の素晴らしさを俺が語っているというのはちゃんと伝わったっぽいね。何しろ「もちろんよ!今だってバレエのクラスを受けているもの!」なんてありえないぐらい可愛い笑みで言ってたからね。でも俺は完全に彼女のことが好きだから、考え方がニュートラルじゃ無いんだよな。日常会話的に話が進まない。もう常にどうしよう?っていう感じだったもん。意外とでもあれなんだけどね、ダメじゃないんだよっつーか自分でもあんな英語を喋れるとは思わなかったってぐらい良く喋ったわ。途中彼女にも「英語凄く上手いのね!英語で苦労してるって言ってたけど、コミュニケーションは完璧だと思うわ」なんて言われちゃってさ、いい歳したおっさんがこんな可愛い子に褒められてまた罰が当たるんじゃないか?って思ったりなんかしたね。それにしても笑っちゃったのが、彼女が「どこに住んでるの?」とか「一人で住んでるの?」とかって聞いてきたときに、日本語に直訳すると一人で住んでるの?って質問は「経済的に独立しているの?」的なニュアンスがあって、「いや、自分は完全に両親に依存しているんだよ。毎月両親からお金をもらって、それで生活しているんだよ」なんて事実ながらも凄まじくマイナスで、しかも彼女の質問とはかけ離れた回答を俺はしていたんで、もう本当になんだかなぁーって感じだよね。


でさ、そしたらまた凄まじくドラマティックな展開でさ、シティーホールの前で別れ際に雨が降ってきてさ、闇夜を照らすブルックリンブリッジをバックに「また木曜日ね!コピー持ってくるから」「じゃあねビル!」なんて分かれるシーンはどんな映画でも描けないぐらいロマンティックなシーンだったわけだよ。ロケーション・時間・雨のタイミング・初々しい会話って感じで、少女漫画並に完璧なセッティングだった。いやーまぐれってあるもんだね。でもどうすんだ俺。それにしても最低でも彼女の名前ぐらい聞いておけば良かったな。
で、別れ際はクールを装ってたんだけど、シティーホール駅に入った頃には完全に草吸ったときみたいな、自分の魂と体が乖離しているような感覚になっててさ、頭をフル回転してたんで、一気に緊張が解けたっていうのもあったんだろうけど、それにしても今起こった非現実的な出来事に自分の実在とか宇宙の普遍性なんかを凄く疑ったわけ。それこそ自分の原理みたいなのが完全に揺るがされたからね。価値観が変わってしまうぐらい凄い体験だった。


もうその後はもうダメよ。ボーッとしちゃってさ、っつーかあれだ、映画でも見ようとか思って買わないと決めていたDVDを買いに行ったりしたんだよね。米が切れてたから、どの道、まぁ8thストリートで買い物をするのは良い選択だったんだけど、こんな異常なことが起こってしまうと、普通でいられないわけ。何か気持ちを誤魔化さないと気が狂いそうでさ、で、まぁ前から見たかった羅生門と、あと改めて見たいなと思ってたイノセントっていうか攻殻2とピアノ線で殺人するやつと鉄コン筋クリートを買ったんだけど、完全にごまかしだね。雨なのに無理やりキムズに行ってDVDを物色することで気を紛らわしているというか、あとまぁあれもあるんだ。これはまた別のときに一回分ぐらいを使って書こうと思ってたんだけど、例の哲学の先生と相変わらず話が弾んでいて、俺がなんかの会話のときに先生が「韓国から来たのかい?」なんて聞かれたときに俺は「そうです」って答えたらしいんだよね。日本人の悪い癖でとりあえずイエスって言っちゃうのがね、まぁコリアンタウン行くと韓国人と間違えられてチャイナタウン行くと中国人と間違えられるボーダレスな顔を持った俺としては国籍なんてどうでもいいんだけど、まぁ先生ってのが凄く日本に興味を持っているっていうか、こういう人多いんだけど、日本人って言うと態度が変わるんだよねというのは日本ってのはやっぱ世界から見ても屈指のユニークなカルチャーを持っているし、何より日本ブランドの威力というのは日本人が思っている以上に凄いわけ。「韓国から来たの?それとも中国?」とか聞かれて「いや、日本だけど」って言うとさ、哲学のクラスのクラスメートが喜ぶわけよ。「よっしゃー!」とかいって。「俺、日本大好きなんだよぉー!」とかさ、すげーストリートっぽい哲学とは縁が無さそうな集団が哲学のクラスにいるんだけど、まぁこいつらと話す機会があったときに、凄く日本ブランドの威力を感じたんだよね。で、神奈川っつっても分からないから東京から来たっていうと、またさらに喜ばれるわけ。東京という言葉はパリとかロンドンとかニューヨーク並に威力があるんだなと本当に思ったよね。日本の威力ってのは凄いな。一昔前の経済大国なイメージと、近年では日本映画とか音楽とかファッションとかアニメとか、世界と並んでいるものが多くあるから凄いんだよ。「パリ」っていうぐらいの響きが「トーキョー」にはあるわけ。そんな自称「トーキョー」から来た風変わりな男にリアディゾン百万倍速の彼女は興味を持ったわけだけど、今後俺はどうすればいいのか。あ、んでその先生がね、自殺サークルを絶賛してるわけ。いや、俺も2は日本映画史で見てもトップランクの映画だと思うんだけど1はそこまで好きじゃなかったんだけど、先生としてはそのやっぱああいうアイコンとかコノテーション的なニュアンスを好むんだよね。この先生ってモスクワ大学で博士号取って、んでクーデターでソ連がダメになったから、ニューヨークに来てニュースクールでまた博士号取ったような超エリートで、まぁ知識が半端じゃないわけだけど、先生は普段からアメリカとか欧米的なダイレクトな表現というのを好まないような言動が目立つんだよね。それに比べて日本とか韓国映画に見られるような、コノテーション的な表現があるからね、欧米の映画と違って深くて好きだとか言ってたんだけど、まぁ話がまたぐちゃぐちゃになりそうだから詳細は省くとして、この先生が珍しく俺に「他に何か良い映画は無いのかね?」とか聞いてきたんで「自殺サークルは1も良かったですけど2はもう凄いですよ。マスターピースです!」なんて説明したら「ほぉー2があるなんて知らなかったな。それはいつ頃作られたのかね?」みたいな感じで話は続いたんだけど、他に何か良い日本映画は無いのかね?と言われて俺は日の丸を背負っちゃってっていうか、相手が相手だから適当に日本の映画を恣意的に薦められないなと思って、「熟考してリストを作ってきます」って答えたわけよ。特に先生は日本のカルチャーに興味を持っているらしいし、何より普通の人間じゃない。博士号2つ所有ソ連経由の超エリート哲学博士が良い日本映画を聞いてきているんだからカジュアルには答えられないよね。俺も本当に例のサイコロジーの女の子と会話するときぐらいの頭を使わないと答えられない。ってことでこれについて色々考えてたら羅生門とかイノセントとかが浮かんだんだけど、何より羅生門は見てないし、見てないものを薦められないんだけど、絶対先生が気に入るのは分かっているんでリストに入れようと思ったんだけど、やっぱ俺が見てないと薦められないなってことで羅生門を買ったんだよね。今日。まぁ変な話だけどね。見てないのに良いと信じ込むなんて。でもあんなもん絶対良いに決まってるでしょ。ただ確認しなきゃいけないからね。あとイノセントもアニメだから先生が見るかどうかは分からないけど、ダイレクトではないインプリケーションが色々なところにちりばめられている映画なんて薦めようと思ったんだけど、何より見たのがだいぶ前なんで、仮に先生が興味を持って解説をしなきゃいけなくなったときに解説できるほど俺は内容を覚えてないわけよ。だからまず見なきゃなと思って買ったわけ。ピアノ線のやつは前から見ようと思ってたんだけどね。あと鉄コン筋は普通にジャケ買いだったんだけどね。その存在すら知らなかったんだけど。


ところで先生は自殺サークル1のウサギの意味を知りたがっていたんだよね。先生と会話しているときに俺は完全に自殺サークルのビジョンといったらローリーと自殺のシーンと子供のアイドルユニットぐらいのことしか頭に無くて、ウサギについてなんて知らなかったんだけど、先生はそのウサギというのが何かしらの記号的な意味合いを含んでいるのか、もしくは日本でウサギというのが特別なアイコンを持っているのか?というのを知りたがっていて、俺は内容を覚えてなかったんだけど、内容と切り離して「うさぎ」ということで言えば特に日本文化との関連性は無いんで「無いです」って答えたんだけど、こういうのってさ、友達とかに「無いと思うよぉ」とかってラフに答えるのとわけが違うじゃない?国際外交みたいなもんじゃん?俺はあの場では日本をレペゼンしているわけだから日本のことについては絶対適当に答えられないわけだよね。そういう意味でさっき日の丸を背負ってるって書いたんだよね。その意味もあってか日本映画を思い付きでは薦められないわけ。相手が相手というのもあるんだけど、まぁーそれにしても先生が日本映画というか自殺サークルをフェイバリットに挙げるとは思わなかった。あと日本映画の威力を思い知らされたね。普通に世界に日本映画が出回っているんだなというのを改めて認識させられたというかなんというか。ただ2はアメリカではDVDがまだ出てないんだよな。俺が持ってるDVDは台湾製なんだよね。ブートっぽいんだけど、一応キムズで売られてたんで違法コピーではないんだろうけど、ただアマゾンとかでは出てこないのよ。まぁいいや。だから先生に貸してあげようと思ったんだけど、他の人に貸してるんだよね。紀子の食卓。こういう映画ってあまりに素晴らしいんで薦めたくなっちゃうわけよね。だからまぁあれだ、とにかく紀子を薦めるとして、DVDは他の人に貸してました・・・って言うしかないなとか思いつつ、まぁオススメの日本映画について考えなきゃいけないんだけど、これって学校の宿題なんてどうでもいいぐらい自分にとっては凄い課題だよね。そんな課題がある中で例の女の子との衝撃的な会話なわけでさ、まぁいいや、今のところ挙がっているのは・・・

キュア
ツィゴイネルワイゼン
陽炎座
夢二
鬼畜大宴会
ヴィタール
羅生門
イノセント
鉄男
紀子の食卓

とかなんだけど、もっと他に色々あったはずなんだよな・・・。ただ思い出せないんだよね。今のところ思いついたっていうか、鬼畜とか鉄男って分け分からないけどオリジナリティという意味では抜群でしょ?ましてや自殺サークルを見ているわけだからグロ耐性があるんだろなとか思って鬼畜も入れたんだけど、やっぱ外そうかな・・・。別に隠れた意味とか無いしね。あれはただの狂気だから。ただ狂気を取り扱った映画としては世界でも並ぶクオリティでしょ?だから微妙なんだよね。薦めたいんだけど気に入るかどうか分からないかっていう。うずまきとか微妙だしなぁー。稀人とかも先生としては雰囲気は気に入ると思うけど中身が無いからなぁー・・・。ってことで意外と少ないんだよ。先生に薦められそうな映画って。まぁ俺が知らないだけだと思うんだけど、日本人じゃないと絶対理解できないやつとかって薦められないじゃない?そういう意味で上記のやつって世界で評価が高いのばっかでしょ?だから無難かな?というか日本人じゃなくても十分すぎるほどに理解できる映画かな?と思っているんだけどとりあえずツィゴイネルワイゼンがキラーなんてこれを薦められるだけでも十分かなって気がするんだよね。もちろん紀子もキラーね。あと俺のキラーであるねじ式とゲンセンカンが無いけど、これはこっちではDVDが無いし、日本的過ぎるなんて分かりづらいかな?って気がするんだけど、でもDVDがあれば絶対薦めてると思うんだけどね。


ってことで腹が減ったんでやめるけど、こっちでの生活の密度は半端じゃないわけよ。凄く生きてるなって感じがする。算数の授業でも「こないだ聞かせてもらったブレイクコアだっけ?あれ聞かせてよー」とかさ、なんかね、俺がいつも音楽聴いてるっつーんで「何聞いてるの?」とか授業前にクラスメートに聞かれるわけ。で、その時たまたま聞いてたのがVenetian Snaresだったんだけど、まぁ普通、あんまこういうの聞いてるやついないよね。だからもう一気にクラスの注目集めちゃってね。こっちでは本当に特殊性というのが武器になるんだよね。あとエキセントリックという立ち居地ね。日本でもそうかもしれないけど、こっちは凄い。それがもう武器になる。もちろん演じているだけじゃ化けの皮が剥がれるだけで、俺みたいに演じなくてもエキセントリックなやつは凄く有利なんだよね。狙わなくても俺に興味を持ってくれるやつらが本当に多い。個性的であることが不利な日本とは凄まじい違いだよね。だから俺の居場所って本当にここなんだなって日常的にこういうことが起こるんで本当に感じるわけ。あ、んでまぁこないだも「ヨーブラ、何聞いてるだ?」って算数のブラザーに聞かれたんで、その時はテクノを聞いてたんだけど、ある女の子がさっき書いたようにブレイクコアをせがんできたんでDJ Ruptureのミックスに入ってる未だにトラック名とかアーティスト名がチェックできていないブレイクコアのキラーがあるんだけど、それ聞かせたらさ、そのブラザーとか「メーン、これはドラッグでもやらないとノレないぜー。お前、これで踊れるのか?」とか聞いてきたり、せがんできた女の子も「コークをカードで切っているときのBGMね!」とかさ、この話題からの盛り上り方が半端じゃないんだよね。算数のクラスは数学が苦手そうなストリート系のやつが多いんで音楽っていうのが本当に媒介になるっていうか、特に俺みたいに普通のを聴いて無いってなると注目を集めるんだよね。本当に楽しくてしょうがない。改めて思うのは俺って引き篭もりの時代に培われてきた引き出しの量が半端じゃないんだよなってことね。ドラッグから音楽からアートからアカデミックなものまで、かなり色々な方面で話ができる。だから哲学の先生と深い哲学の話ができるし、ストリート系のやつとは音楽とかドラッグの話ができる。で、アート好きな人とはアートの話が出来て例のリア・ディゾン百万倍速の女の子とはサイコロジーの話が出来たりする。まぁサイコロジーは専門的じゃないけどね。基本的に俺のサイコロジーの知識って自分の精神病への興味から得たものばっかなんで偏ってるんだよね。まぁでもさ、アバターを脱ぎ捨てて別のアバターに着替えるとかさ、サイコロジカルでいいでしょ?まぁちゃんと説明出来なかったから、この子にはさっぱり伝わってなさそうだったけどね。ホント、引き篭もり万歳ですね。今は本当に過去の辛い時期が報われている気がして、やっと人生が始まったなっていう感じだよね。今は。まぁこっちにいられなくなるという不安は消えないけどね。だから永住できればいいんだけど。


それにしてもまぁ事件だわ。あの子は。ジモティーでも二度見しちゃうぐらい可愛い子なんだからさ、ましてやあれよ、夢がバレリーナで専攻がサイコロジーってもう隙無しだよね。可愛いけど中身が無いわけじゃなくて、かなり賢い子なんだよね。哲学にも興味を持っている感じだったし、あれだな、とりあえず次回は俺の曲を持っていこう。まさか自分の創作がこんなところで役に立つなんて思いもしなかったよねっつってもまぁ気に入るかどうかわからないけど、んでもこっちの人って変わったものを排除するんじゃなくて興味深いものとして捉えるような精神的土壌があるような感じがするんで、少なくとも「これは売れないね」とかっていうようなコメントはしなさそうなんだよね。まぁそういうコメントをもらったことはないや。ところで今、ゴキブリがいたんだけど、人間の適応能力は凄いもんで、慣れるとどうってことないね。日本にいたころはゴキブリなんて滅多に見なかったっていうか、家に滅多に入ってこないっていうのと、いてももうビビっちゃっていつも母親に駆除してもらってたぐらい情けなかったわけだけど去年の夏とかさ、何匹もゴキブリを退治してきた俺はもう慣れているわけよね。さすがにデカいとビビるけど。昔の日本人は相当害虫とかに対して耐性があったんだろうなって思うよね。というのも昔ながらの日本の家屋だったら虫がいるのが当たり前だったわけでしょ?ただ近代化が進んで密閉性の高い家が出てくると、人々が普通の生活の中で虫を見かけなくなるというか、まぁ自分の領域で害虫がいるということがあまりなくなるわけよね。だから虫耐性がなくなっちゃうんだよね。俺もそんな一人だけど、ネズミ・ゴキブリ天国のニューヨークに来てからは何匹も倒してるから耐性がついちゃうわけよね。ただこういうのって普段から思ってて、ノイズとかに対してもノイズ耐性があるほうが本来の人間の姿なんじゃないかな?と思うわけ。それは一緒に住んでいる人の生活音だったり外のノイズだったりするわけだけど、今の日本みたいな、ノイズを駆除しようと思えば駆除できるような環境では人々のノイズに対する耐性が凄く脆弱になってくるよね。果たしてそれがいいことなのか悪いことなのか分からないよね。環境によって元々人間が持っているような適応能力だとか、何かに対する耐性というのを必要としなくなって、そういうのが退化しちゃう。結果的に人間としては弱くなってるんじゃない?って思うのよね。そこでまたプリミティブなのが良いとかっていうつもりはないけど、菌とかにしてもそうでしょ?本当に綺麗なのばっかしか食わなくなってるんで、人間の耐性って相当弱くなってると思うんだよね。だからちょっとの菌でもすぐにお腹を壊しちゃったりするわけね。ちょっとの菌ってのは、ようは予防注射みたいなもんで、体に耐性をつけるという意味だといいものだと思うんだよね。逆に無菌室的な環境で育ちすぎて人間の能力が退化しちゃうほうが、ちょっとの菌を取ることよりよっぽどリスキーだと思うんだよね。ってことで今はゴキブリもありかなという気がしているのね。だってゴキブリって人類が長年付き合ってきた害虫なわけで、それを見たくも無いというのは人間性に反しているんじゃないか?と思うわけ。人間性というと変だけど、極端に嫌がるほうが不自然なんだよってことね。だから思うにアメリカって普通にネズミとかゴキブリが多いような感じがするけど、日本ってそうじゃないでしょ?まず衛生面のクオリティが凄いし、家も密閉性というか気密性が凄いんで、あんま虫を見ないよね。だから虫が苦手な人達が増えちゃうわけね。見慣れない気持ち悪いものってことでね。環境から来る影響って自然すぎるから人々はその影響に気がつきにくいんだよね。だから環境から知らないうちにシェイピングされちゃうこととかってのが普通に起こったりするわけ。でもこういうことに関しては本当に意識的にならないと危険だと思うわけね。


まぁいいや。腹が減った。というか今は良い事だらけで舞い上がっているのでゴキブリの存在がトリビアルになっているというのもあるわけよ。気分的に滅入ってる時だったら俺の反応は違うね。前にも書いたけど本当に知覚とか認識みたいなのと恣意性というのは回避できないことだよね。だからこそこれも前に書いたことだけど、自分の原則を持つことが重要なわけね。認識の下地っつーかまぁプリンシパルを作っておけば、くだらない恣意性を回避できる可能性も増えるんじゃないかということね。だからこそ普段から考えるってことが必要だし重要なことなんだよね。何しろ人間ってのは本当に認識的な動物だし、認識が人間を司っているわけだから、その認識のベースを鍛え上げるってことはある意味でフィジカルなものより重要なわけだよね。これってまぁ禅とか仏教に通じるものがあるけど、この2つは最強の哲学なわけよ。どんな哲学でもかなわない哲学だね。原始仏教と禅。ただ俺の恋わずらいは留まるところを知らないけどね。ダメだ。期待しすぎてダメだったら死にそうな気分になるから、普段の俺を忘れないでいよう。これこそがまさしく俺のプリンシパルなわけね。

PS。

それにしても長い。何回かに分けるべきだったか?読む気が失せるね。ラブストーリーがメインで他のゴキブリの話とか蛇足に見えるもんな。あとオススメ今日は無しね。繋がらないので。