灰色片思い。

mimisemi2008-04-12

昨日だかに書いた、俺は女性に対してオブジェクトを認識するサブジェクトでしかいられないからダメだと書いたわけだけど、これってのは基本的にオタク的なパラダイムの恋愛観だと思うんだよね。これは前にも書いたような、徹底的に主観的な恋愛という現象ってことなんだけど、自分は相手を認識していると思っているんだけど、それは常にその認識する相手のアクチュアリティとの差異が多くあって、実際、その人と話してみると印象が違ったとか、理想と違ったとか思ったりするでしょ。まぁこれも前に恋愛のメカニズムってやつで書いた認識が欠落を補完してしまうということね。


ただこれでコペルニクス的な転換が恋愛で起こると、自分は相手というものを認識しているということで相手という現象が立ち上がってきているのだ、という風に感じられるようになる。オタク的パラダイムだとコペルニクス転換以前の、対象が認識を構成しているという段階で、基本的にオタク産業はこれによって成り立っているといっても過言ではない。つまり、こっちが能動的な態度で認識が対象を構成するのだと思えないまま幻想的な恋愛に埋没してしまう輩をマーケットにしているのがオタク産業で、オタク産業はその埋没に適した材料というのをオタクたちにプロバイドするわけね。で、オタクたちはそれを受動的に享受するわけだけど、オタクたちにとってはその対象がアクチュアルなものなので、第三者は一切口をはさめない。前に書いたリアルな対象を相手に幻想的な恋愛を望んでいて、常にその欲求が満たされないという人達に比べたら、オタクたちの恋愛のほうがよっぽど幸せだというのは、基本的に両方とも対象に対する考え方が同じなんだよね。だから両方とも幻想なわけ。オタク産業の凄いところは、そういうところに究極的に自明で、その幻想のための材料というのを物凄く手の込んだやり方で作るわけで、だからオタクたちにとってもそれにリアリティが出来てきたりするわけ。その幻想が脆弱なのであれば、相当な妄想狂じゃない限り、それに埋没するということは無いと思うけど、別に想像力が凄くなくても埋没できる材料というのをオタク産業は生み出しているわけだよね。空虚な時代の空虚な産業。でもある意味で賢いし、幸せなオタクというのは、恋愛をして幸せになりたい!とかって馬鹿に思ってるOLみたいなのよりよっぽど幸せなわけで、はっきりいってOLの恋愛観もオタクの恋愛観も幻想という意味で一致しているわけだから、そういう意味ではオタクがOLに勝ってしまっているわけだよね。だからオタクは凄いわけ。あいつらの幸福には口を出せないし、出す筋合いも無い。彼らの幸せの強度というのは本当に強い。


ただ一方で、自分の認識が対象を構成しているのだとすれば、それはどういうことかというと、前に書いた自分の実存のアブセンスを埋めるだの理想的な像を思い描くだのっていうようなことをせずに、物質的に相手を見て、それを基準に認識することだよね。そこに幻想はなくて、自分の中にある対象の像というものは自分の観察によって得られたものなので、アクチュアリティは前者に比べて相当高いわけ。もちろん妄想が混じっているってこともあるけど、まぁとりあえずそれは置いておくとしても、これがまぁリアリスティックな恋愛というもので、そこが前に書いた恋愛と愛の違いってことなんだよね。恋愛は徹底的な主観的な世界で、まぁドラッグをやっているような状態だから、そこに実際性というものはない。まぁ無いってことにさせてくれ。とりあえず。それに比べて愛というのは恋愛というドラッグなドキドキの状態が無いにしても、自分の観察、ようは相手との人間関係によって構成された、その相手の具体的な像によって実存を認識したものによる結果のものなのであってそこにアクチュアリティは実際性というのは存在するわけね。それはどういうことかというと、具体的な話で、相手といると楽しいとか気が安らぐとかっていうような、前に書いた共存的なフェイズの男女関係ってなわけで、幻想的で妄想的な恋愛に比べると雲泥の差があるし、似たようなものに見えて両者の性質は大きく異なるわけ。もちろん恋愛という生物的な反応がフックになって人間関係が始まって、で、次の段階として共存的なフェイズ、すなわち愛に移行するということもあるので、一概に恋愛というのを否定はできないし、きっかけとして考えれば必要なものと言えるかもしれない。ただ特に俺みたいなタイプの人間が一端デロデロになってしまうとそれは本当に酷い主観の世界でそこに具体性は一切無いわけだよね。相手を知っているわけでもないし、基本的に自分が恋している相手というのは、対象によって与えられた限られた材料によって構成された幻想という名の虚像なんだよね。だからこれがオタク的だと言うわけで、俺の場合、まぁ相手はリアルな人間だけど、レベルとしてはオタクのそれと全く変わらない。ここでアクティブなやつはモジモジせずに、本能的にフェイズを移行させるために相手を知らなきゃいけないってことで、ガンガン攻めるのかもしれないけど、俺ってそういうの一切できないし、むしろ妄想のままのほうが幸せだとかって思ってたりするようなところがある。


これが問題なんだよね。自分の認識的にはコペルニクス的な転換なんて18ぐらいのときに起こっているのに、恋愛という現象が起きてしまうと、そのパラダイムシフトが元に戻っちゃうんだよね。自分中心説からオブジェクト中心説へと移行したはずなのに、自分中心説に戻っちゃう。だから空虚な恋愛なんて糞食らえだと思っちゃうわけね。ただパラダイムシフトが必要かどうかは分からない。それはマトリックスというかメガテン2のアルカディアみたいなもんで、本人達が幸せと感じているのであれば、それが幻想であろうが現実であろうが、たいした問題ではないんだよね。最近よく書いているように、人間は認識する動物なわけで、その認識内で幸福を感じていれば、その幸福がどういったものであるのか?というのは対して重要ではないんだよね。まぁ俺にとってはそれが物凄く重要で、例え不幸になっても真実を知りたいと思うからそんな虚無的な幸せなんて死んでも享受したくないと思うんだけど、でもそれは個人の考え方で、それでいいならそれでいいんだよね。だから人が地動説を信じていようが天動説を信じていようが、その人にとってそれでいいのであれば、それは人が口出しする話ではない。ってことでオタク的パラダイムの恋愛に人が口出す筋合いというのは無いし、世の中にはオタクではないんだけど、恋愛観は極めてオタク的という人が相当いると思う。まぁポジティブに言えばロマンティストってやつか。でも悪く言えばあんなの妄想野郎でしょ?「オタク的」とはすなわち、「妄想的」であるということである、みたいな格言っぽい書き方をするとソレっぽく見えるので、そうする人が多い。


ところであれだ、一昨日さ、凄かったのよ。サイコロジーがあるじゃない?で、もうそこまで緊張しないだろうとかって思ってたんだけど、やっぱもう学校行く前から不安なのよ。で、まぁサイコロジーの前にヘルスがあるからね、夕方ぐらいに家を出たわけだけど、駅の改札に入ったら安定剤を持ってきてないのに気がついたっていうか、持ち歩いてたのがなくなっちゃってたのよ。リアのおかげで。だからもうダメだと思って改札通ったのに家まで戻ったのね。安定剤を取りに。で、戻ったらさ、ズル防止だと思うんだけど、アンリミテッドカードって20分だか時間が経たないとスワイプできないようになってるのね。Just Usedって出て通れなくなっちゃうわけ。ただですらサイコロジーの前のヘルスに送れそうだったのになんじゃこりゃと思って駅員に通させてくれって聞いたら待てとかって言うわけ。「誰か他のヤツでも通したのか?お前がカードをスワイプしたのは10分前だからあと10分待て」とかって言うわけ。結構、こういうことって起こるんで、just usedな状態になっちゃっても、駅員に言えばセキュリティ用のドアから入らせてくれたりするんだけど、こいつはJRみたいな態度だったからさ、通してくれないわけ。で、俺は「クラスがあるんだから早く行かなきゃいけないんだ。だから通してくれ」ってネバったのに頑なにダメって言うわけ。こっちってこういうところラフだから通してくれるような駅員が多いんだけど、こいつは違ってさ、まぁ移民なんだけどね、なんかお堅いわけよ。で、俺は一端諦めてイライラしながら待ってたんだけど10分改札の前で待つなんて馬鹿げてるし、何よりもうリアのために安定剤を取りにいったから大幅に遅れてるわけよ。で、電車が来る音がしたんで「ほら、電車来たから通してくれよ!クラスがあるから」なんて言ったら「んじゃいいよ。通れよ。そんなら」とかもう完全に呆れたような感じで通してくれたんだけどね、その前に「クラスがあるならもっと時間に余裕を見て来い」とかって言うわけよ。大きなお世話だよね。ただJRと決定的に違うのはあれなんだよね、駅員っつってもあくまで一人の人間として接してるっていうラフな感じがあるのよ。だから時間に余裕を見てこいとかって言うんだけど、日本で育った俺としてはこういうのになんというか社会の遊びというか余裕を感じて、こういう状況でも心が安らぐんだよね。JRの駅員みたいな、権威的な態度で接してくるのとは豪い違いね。JRの駅員とはよく口論をしたものだけど、こっちでの口論といえば、今回みたいな微笑ましいものみたいなのばっかでムカつかないんだよね。ムカついてもムカつきの質が違うというかなんというか。JRの駅員なんて殺してやろうかとかって真剣に思うもんね。ところで俺ってつくづく思うんだけど、弱気だとか内気だって思ってるのはただの思い込みで、実際はかなり強気で言うことをキッパリ言うやつなんだよね。元々こういう人間なんだけど中学の頃のパニック発作があって以来、引き篭もりになってすげー暗くなったから、この頃の経験が自分の性格に影響を与えちゃったと思うんだけど、割とよくなってからはまた元に戻ったんだよね。だからホント、性格なんて分からない。人ってのは勝手に自分を抑圧してたりして、その抑圧された自分というのが本当の自分だと勘違いしてたりするから、本当に自分を見直したほうがいいね。そうしないとストレスが溜まるでしょ?


ところで今回思ったのはさ、こんな軽い口論をするぐらい俺の英語力が上がってるってことね。一年前だったら喋るのも億劫だったっていうか英語学校ではいいんだけど、ネイティブとか公の場では恥ずかしくて喋れなかったんだよね。でも今はやっぱあれだね、大学のアレがあるんだね。だから相当自信がついてきているというか、特に喋るということに後ろめたさみたいなのを感じたりはしなくなったのかもしれない。それに本当に関心したね。まぁ上に書いたのはほんの二言ぐらいなんだけど、実際はまぁもっと喋ってるし、何より口論がなぜ高度かというと、考えながら喋ってたらクレームをつけたり相手にお願いできたりしないんだよね。英会話レベルだと英語での喧嘩ってのは出来ないんだよ。英語を出力するのに時間がかかってたら喧嘩できないからね。よく言われることかもしれないけど、口論ができるようになったら一人前だというけど、まぁ一人前かどうかはともかくとして、まぁそこそこかもしれないね。それにしてもさ、この日は暑い日っていうか、まぁ4月っぽい気候だったのねっつってもまだ冬だけどね。こっち。ようやく今が境目みたいな感じなんだけど、わざわざ家に安定剤取りに行ってさ、んで戻ってきて口論して無理やり通してもらってんでダッシュしてホームまで行ったのに間に合わなくて・・・って感じでもう学校行く前からすげー疲れたんだよね。疲れたっていうか暑かった。で、ヘルスの時間にはさ、先週はリア二千の前で緊張してたから口から出まかせで「ミルクが腐ってて腹を壊したから
あんま元気ない」とかっていうのが本当になっちゃっててさっつーか、この前日の晩にシリアルに牛乳かけて食べたんだけど、食べ終わってから腐ってたっぽいとかって気がついてさ、んでヘルスの時間にゴロゴロが来てね、で、学校で授業中にうんこしに行くとかありえない感じだけど限界だったからトイレ行ったらまぁ凄い下痢だこと。ただタチが悪い感じじゃなくて、ダメなのを出してる感じで、まぁスッキリしたけどね。


まぁそんな下痢話はどうでもいいんだ。問題は次だ。腹が痛かったときもさ、なんでトイレに駆け込んだかって、この後、リア二千と会うのに、ただですら緊張するのにマジで腹が痛かったらダメじゃんとか思って、まぁ準備として下痢をしたんだよね。全部、リア二千が基本。で、ヘルスが終わってサイコロジーのクラスまで一時間ちょいあるんだけど、時間が迫れば迫るほど緊張してくるのね。安定剤を一錠飲んだんだけど、それだけじゃ足りないだろってことで、こないだみたいにまた二錠飲んじゃってさ、んでまぁ相当気持ちよくなってたわけだけど、でもまぁ緊張するわけ。安定剤ってのは不安とか緊張を取り除くかもしれないけど、根本的な解決は出来ないんだよね。ジェットコースターが苦手な人が安定剤を飲めばオッケーかというと、それはオッケーじゃない。それはその人がそれが苦手なんであって、不安要素というのが実存的なんだよね。だからそんな根本的な解決はできないわけだけど、リア二千もまぁジェットコースターみたいなもんだね。リア二千ってジェットコースターあったらいいね。それにしてもこんなに不安になるほど人を好きになったのは生まれて初めてだよ。今までの恋愛というのは本当に上辺だけというか、可愛いなーとは思ってるんだけど、話せるレベルなんだよね。気があるっていうレベルなんでそこまで緊張しない。ただ今回の場合、本当にヤバいのは、あまりに好きすぎてさっぱりダメなんだよね。話せない。恐らくあの初日の奇跡の日に色々と喋れたのは、まぁ存在は知っていたけど、まだ気になるレベルだったんで話せたわけだよね。ただ話した後に「あの子と喋っちゃった!!」みたいな感動と妄想が凄くて、そっから完全に恋愛モードに入っちゃって、んでダメになっちゃったんだね。すげー人並みな恋愛してるよな。俺。でも人並みとはいってもここまでハードコアな恋愛というのは、そんなに頻繁にあるもんではないと思うんだよね。哲学のクラスの例の綺麗な人は可愛いと思っているレベルで、これはまだ恋愛とは言えないんだよね。可愛いなぁーあの子とかって思うぐらいのレベルだと緊張しないんだよ。繰り返しになるけどさ。ホント、今回は恋愛感情について身を持って学んでるわけだよね。恋愛にも段階とかレベルがあったなんて思いもしなかった。そう思うと姫も可愛いなぁーレベルだったのか?まぁ喋れなかったというか喋る機会がなかったし、例の授業中に授業の一環で喋る機会があった時に映画の話とかをしたって書いたじゃない?そんとき姫のメガネを褒めたりしてたわけだけど、これってまだ余裕あるよね。ダニエルが姫にちょっかい出してるときに「これ以上彼女に触ったら殺すぞ」とか、ジョークとはいえ姫の前で言ってるわけだから、今思えば相当余裕がある。何気に俺は気があるんだよみたいなのを相手に知らせようみたいな、いやらしい意図もあったりして、相当余裕だね。それに比べて今回と言ったら!!「ここここここここうこう高周波が入ってるから、ここここここのCDには」みたいなレベルだからね。酷いね。こんなのは無いよ。俺の人生の中で!!!最近、リアネタというか恋愛ネタばっかりで本当にスマン。それだけ頭の中がそれでいっぱいってことなんだよね。


で、まぁ勇気を振り絞ってサイコロジーのクラスに行ったらさ、まぁ緊張するよね。死刑囚が電気椅子のある部屋まで歩いてるような感じだったもん。クラスまで行くときね。で、クラスに入ったらさ、いつもリアがいるところにいないんだよね。あれ?とか思って。で、まぁどっか他の席にでも座ってるんだろとか思ったけどいないんだよね。今日はちょっと遅れてくるのかな?とか思ってても全然来る気配が無いのよ。そりゃーもう他の生徒が入ってくるたびチェックよ。で、違うと「なんだよ!」とか思ったりさ、別に他の生徒はクラスがあるから教室に入ってきてるわけで、俺を騙そうとして入ってきてるわけじゃないんだから、なんだよ!なんて思っちゃいけないんだけど、もうこれは最近書いてる完全に主観の世界でしょ?だからこんな風に考えちゃうわけ。で、すぐ分かったのがこの日は映画のパイを見るって日だったからさ、来てるやつが普段より少なかったし、リア二千は見てたっつってたから特に来る理由が無かったんだろうね。そっかそうだよなぁー・・・とか思いつつさ、また隣の席に座って一緒に見ようとかちょっと期待してた俺は相当死ぬような気分になったね。で、今日のことがフラッシュバックするわけよ。わざわざ安定剤を取りに家まで戻ったこととかさ、駅員と口論したこととかさ、凄まじく汗をかいたこととかさ、これとは関係ないけど下痢したこととかさ、クラスの前に凄まじく緊張してたこととかさ、今までの苦労っつーか不安っつーか恐怖はなんだったんだ?って感じでもう本当にまさしく肩の力が抜けたとはこのことだよね。それに火曜は彼女が先に帰っちゃって喋れなかったから、何気にすげー今日のクラスを楽しみにしてたわけだよね。火曜にまぁ先に帰られて絶望したわけだけど、んでもまぁ木曜に会えればさ、それはそれでまぁいいじゃん?会えることに変わりは無いんだから。で、会えないんだもん。しかも学校前にリア関係で色々あってさ、なんなんだよ!って感じだよね。彼女に怒りを覚えるもん。なんでこねぇーんだ!って。で、そこでまた色々考えるわけだよね。彼女が俺に気があるんだとしたら、会えるわけだから映画は見たにしても来るよなとかさ、来ないってことはやっぱ会いたくないってことだよなとかさ、もう完全に客観性を失った思考になってるわけ。彼女の生活を考えればバイトしてるかもしれないしバレエの練習もあるし、あと他の大学で授業を取ってるってのもあってまぁ学校も忙しいだろうし、パイのためにわざわざ学校に来る必要ないわけよね。来ないほうがよっぽど合理的。出席も取らなかったしね。でも俺は思うんだよね。これって気が無いって事だなぁーとかさ、もうホント、ダメだね。だからマジで抜け出したいわけよ。ホント、疲れる。こんなことで一喜一憂というよりかは、一回一回絶望をして疲れてたら精神力が持たないわけよ。当日になったら「彼女来てるかなぁー・・・あ、いたいた。相変わらず可愛いな」ぐらいが一番いいんだよ。それが今までの俺の可愛い子の楽しみ方だったわけだよ。


前のセメスターでも書いたでしょ?英語の補修ではプエルトリ子がいて、社会学では例の綺麗な人がいて、ライティングではちょっと浜崎あゆみに似てる日本人の女の子っていうか人妻がいて、まぁ目の保養だよね。男ばっかいるクラスに行くのと、可愛い子がいるクラスに行くのとでは全然違うじゃない?別にその子と付き合うとかじゃないんだけど、まぁ可愛いってだけでとりあえずオッケーじゃない?俺はそれで満足だったし、今もそれでいいわけだよ。繰り返しになるけど、リア二千の存在は知ってたし、凄く可愛いなとは思ってたけど、まず話すことが無いだろうなってこっちは思ってるわけじゃない?全然違う次元にいる人間だから、奴隷がお姫様を見て「綺麗だなぁー」って思うレベルでいいわけよ。まぁね、今までもまぁちょっとあれだよ、話してみたいなとかは思ってたよ。でもさ、話しかけられるとは思ってもいないじゃない?こんなきっかけを作った彼女は相当残酷だね。自分の美貌に関してもっと自覚的でいるべきだね。下手に話しかけて相手を釘付けにしちゃったら報われない相手が不幸になるって自覚してないとダメだよね。面白いよねぇー。これ。見た目だけでは俺もそこまで馬鹿じゃないから、そこまで骨抜きにはならない。その証拠に今までは別にリア二千も今までどおりの可愛い子の中の一人だったわけだ。それはもっとさかのぼればクイーンズの英語学校ではおかずにしてたメタルさんなんてのもいたし、メタルさんの名前の由来といえば、あんま学校に来ないんだけど、来ると俺がハッピーになるんで、はぐれメタルみたいだなってことでメタルさんになったわけだよ。こういうのが一番いいんだよね。可愛い子がクラスにいる。んでそれを楽しみに学校に行ったり、可愛い子がいるんで身だしなみもきちっとしようとか、シャワーを浴びようとするのだってそうよ。男ばっかいるところだったら、ちょっとぐらい汗臭くても気にしないかもしれない。まぁ整髪用のスプレーみたいなのを香水代わりにして誤魔化すとか、そんなんでもいいわけだ。


でも可愛い子がいると、その子に嫌われたくないなってことでさ、まぁその子の前ではまぁいい格好をしていようみたいな、まぁ男の本能みたいなのがあるじゃない?こういうのが生活にメリハリをつけるんだよね。不潔じゃいけません。見た目がドン臭くてもいけません。だから常にオシャレをして清潔でいましょうっていうさ、だから服のコーディネートとかにも気を使うわけだよ。すんげー気を使うよ。俺。見た目。見た目なんてどうでもいいとか言ってる割に相当気にしてるし、誰も気がついてないだろうけど、メガネによって髪型を微妙に変えたりもしてるんだよね。まぁおかっぱが楽だしハゲが隠れるんでこれにしてるけど、おかっぱじゃないほうがいいメガネとか、夏の場合はサングラスなんかがあるから、それによって変えるんだよね。なんで変えるかって少なくとも行く場所には一人ぐらいは可愛い子がいるからってことなんだよ。まぁ学校だったら毎日最低一クラスは可愛い子がいるから、そのために身だしなみに気を使うっていうね。スーパー行くだけだったら見た目なんて気にしないもんね。髭も剃らないし。マンハッタン行くだけでもそこまで気は使わないかな。マンハッタンっつーかまぁ週末にちょっとまぁ本屋行くとかキムズ行くとか、そういうレベルね。まぁスーパーよりかは気を使うけど、学校よりかは気を使わない。それってのは行き先に顔見知りの可愛い子がいないからなんだよ。俺の実存が具体化する場所に行くわけじゃなくて、街を歩くだけってのはアノニマス状態でネットサーフィンしてるだけみたいなもんだから、仮にちょっと服のコーディネートが悪かったとしても、そこまで由々しきことではないわけ。


ただ学校ってのはまぁある程度具体性のあるフォーラムみたいなもんで、んでクラスってのはそのフォーラムのスレッドなわけだよ。で、俺は固定ハンドルで授業に出てるわけ。他者との関わりがそこまであるわけではないけど、アノニマスとは豪い違いなんでそこに自分の具体性が発生するんで、見た目ぐらいはキチっとしておこうって思うわけよねっつーかまぁ可愛い子がいるからね。これってのは恋愛に深くコミットせず、ただ自分の中にあるオスの本能を軽く満たしてくれるみたいな、都合のいい勝手な軽い恋愛を多数とできるわけじゃない?別におかずにしようとしてるわけじゃないよ。メタルさんは別っつーかエロい感じの人だったから本当に欲情してたけど、それはまた別の話ね。可愛いなぁー・・・って思うだけならタダだし傷つかないし、勝手に妄想出来るでしょ?もし話したらこんな感じなのかなぁー?なんて思ったりさ、さっき書いた観念レベルでの恋愛ね。まぁオタクレベルとも言うけど。ただ今回は完全にそんなレベルを超越しちゃったわけだよね。っつーかそういう妄想レベルだった子が話しかけてきたわけでさ、ちょっと興味津々風だったから、余計にこっちが勘違いしちゃう。そんなんでまぁ完全にスイッチが入っちゃったわけだね。だからリア二千のレベルでも見た目は所詮見た目なのであって、それは本当の恋愛にはならないんだよね。少なくとも俺にとっては。


ただ今回は話してみて、んで相手が心理学を専攻していたり、実存主義ゲシュタルトが好きだったり、テレビ嫌いだったりして、自分との共通点みたいなものが強烈なフックとなったわけだよね。で、広松渉の本なんかを読んでて、2ページ内に実存主義ゲシュタルトに近いワードが出てくると、余計にそこで想起されるわけ。俺が惚れこんでいる哲学者の本の中にリア的ワードが!!!!!!!ってーんで本を読んでるだけでそれがリアに繋がってしまうわけね。だからこんな酷い恋愛にまで発展してしまったわけだ。もうこれは本当にどうしようもないね。繰り返しになるけど、今までも可愛い子はいっぱいいたしっつーか見てきたし、いいなぁーとかって興味を示してたことはいっぱいあった。ただその子と会える触媒となる、まぁ前に書いたセカンダリーグループ的な場所を一端出てしまえば、それはもう関係ないものとなっていたわけよ。日本にいたことでもまぁ学校的な場所で可愛い子がいて、んでその場ではその子のことを可愛いとは思ってるし興味を持ってるんで話しかけたりするんだけど、その共通の場から離れちゃうと、別にその子の存在ってのは俺の中ではドミナントな存在ではなくなってたわけよ。そこを離れれば気になることと言えばお金のことだったり手に入れてないレコードのことだったり自分の曲だったりやらなきゃいけないことを思い出したり・・・って感じで、まぁ自分の世界に戻るわけよね。ただ今回みたいな恋愛の場合、その俺のプライベートな領域にまで相手の存在が侵略してきているわけよ。だから頭の中がそれでいっぱいになっちゃう。だから辛いんだよね。状況としてはそりゃ脳からエンドルフィンっつーかまぁ快楽をもたらすような物質が出ているわけだから、気分的には楽しいんだけど、報われないって分かってるんで辛くもあるんだよね。思うことは楽しいんだけど、現実を見ると残酷すぎて辛いみたいなね。だからすげーアンビバレントなんだよ。だから恋愛ってのは暴力だなって思うわけね。


ってことでまた凄まじく長くなったからこの辺でやめるね。とにかくこれは明らかに幸せとは違う感情なわけだね。逆に成立すればここまで幸せなことはないかもね。まぁそれが無いから辛いんだよね。あ、でもね、あれだよ、可愛いからたぶんヤリマンだろうなとかってとっくに思ってるんだけどね。もしくはヤリマンじゃなくても、自分の容姿に絶大な自信があるので、それを武器に様々な男を手篭めにしてるというか、操って遊んでるっていうか、彼女みたいな外見があれば男は簡単にマニピュレートできちゃうんで、彼女からしてみれば、男と付き合うことなんて赤子の手を捻るぐらいのものなわけだよね。前に書いた天才についての話と一緒で、天才にとってはその突出してる部分に関しての普通の感覚ってのが分からないから、だからそれ基準で物事を考えてしまうので、何かが捻じ曲がっちゃうんだよね。凄まじく容姿に恵まれている人にとっては、普通か普通以下の不細工みたいな人間が恋愛で苦労している感覚というのが一生理解できないわけ。そりゃそうだよね。だってその人にとっては自分が何もしなくても男なり女が寄ってくるわけだからさ、まぁそれなりの苦労はあるかもしれないけど、少なくともまぁ普通な感じの苦労は無いよね。だから危ないわけよ。あまりにも容姿に恵まれすぎている人は危ない。ってことでまぁまだまだマリンカリンから回復してないけど、考えれば考えるほど自分の客観性を書いた主観の恐ろしさを痛感するし、リアに関しても素敵だが、実はそうじゃない可能性のほうがよっぽど高いってことが分かってきてるね。今はマリンカリン80パーセントぐらいかな。暗黒の申し子としては、やはりそこでリアリズムを追求しなきゃいけないわけだから、絶望という処方箋でマリンカリンを解除するしかない。でも何気にこれって両義的で、絶望への処方箋って現実性なんだよね。逆に現実性への処方箋は絶望ね。楽しくないけど、現実を見据えていれば、それに裏切られることは少なくなるんだよ。幻想を抱くから裏切られるわけね。だから俺はステイブルなものが好きなんだよね。これは昔から書いていることだけど、映画とか音楽みたいな表現物って絶対俺を裏切らないでしょ?もしくはそれに反応している俺の感受性もまた、俺のものだからこそ確固たるものとして信用できるわけね。あ、映画とか音楽っていうのは自分が好きな映画とか音楽ってことね。本とか知識も同じ。それはそれとしてあるし、理解するという意味でそれを受け取れるのは俺しかいないわけだから、こういう感覚もまたアクチュアルなものだよね。理解というプロセスは極めて具体的なんだよ。受け取れるのは俺しかいないというのは、理解のプロセスを感じられるのは自分しかいないってことね。まぁ当たり前のことだけどね。他人が何かを理解してるプロセスなんて一生分からないでしょ?まぁそんな感じでね、今日は終わるわ。恋は灰色。灰色片思い。

後悔と自責の哲学 (シリーズ・道徳の系譜)

後悔と自責の哲学 (シリーズ・道徳の系譜)

↑音痴なのとピアニスト(っつーかサントラのコンポーザー)のカメラ目線がいいね。初めて凄まじい失恋を経験したぐらいの頃(例の童貞喪失未遂事件)にちょうどネクロマンティックを見てたんだけど、凄く惹かれたのが、今日書いたことと一緒で死体への愛って究極的なんだよね。だって死体は絶対自分を裏切らないでしょ?死体を愛するってことは究極的な相手へのポゼッションを表すことなのよ。まぁ死体マニアとかになると別だけど、愛しすぎて相手に裏切られるのが怖かったから殺したとかって分からなくもないよね。アベサダですよ。マジで。ウディアレンはよく映画の中で自分が信じられることといえばこの世で愛と死だけだっていうけど、俺に言わせれば死だけだよね。死だけは誰も超越できないし、人の実存というのが常に死に向かっているものとして考えれば、実存のステイトというのはそれだけを見れば平等なんだよね。ただ死の質を考えたときに平等ではなくなるので、それはまた別の話なんだけど。

PS。

ネクロマンティックのサントラ付き限定版を持っている俺は生に関しては負け組だけど、死に関しては勝ち組ですね。まぁ意味不明だけども。もっとみんな死体とか見たほうがいいよ。今、最高に幸せでも明日、肉の破片となっている可能性は否定しきれないわけだよね。明日、肉の破片にならないとしても、まぁいつかは体はダメになるんだから、だからこそ逆に絶望するんじゃなくて人生の強度を求めないとダメなわけよ。毎日は同じかのように見えて常に死へのステップなんだから、何かやらないと損でしょ?もしくは快楽を求めるにしても、刹那的なものではなく、もっとロングタームなものを求めないとダメだよね。まぁ俺にとってのそのロングターム作戦が亡命なんだけどね。ね?これって絶望に対する処方箋が現実性で、現実性に対する処方箋が絶望でしょ?まぁこれだけじゃないんだけど、まぁこれにも表れてるでしょってことね。