9時間勉強はダサ過ぎる。

mimisemi2008-12-26

はい。んじゃあ23日のやつの続きね。


あ、んで今日書きたかったのはこんなことじゃなくてさ、あれなんだよ、東大生の平均学習時間が9時間近いみたいなのをまた例の2ちゃんのまとめサイトみたいなので見たんだけどさ、これって凄いよね。ようは東大生って別に頭が良いわけじゃないんだって証明しちゃってるよね。一日9時間も勉強しないと学校についていけないなんて明らかに凡人の頭だろう。ようはすんげー努力をする凡人か、学問への異常な愛情がある凡人ってことだよね。結局そうなんだよな。アメリカのエリート校は分からんけど、日本の学校なんて最高学府ですらこんなもんなんだよねっつーか最高学府は馬鹿だらけって本があったけど、それを抜きにしても東大生アホだなぁーって思っちゃった。アメリカで言えばジェントルマンズBって言葉があってさ、勉強ばっかに打ち込んでないで男女交際だの人間関係だの遊びだのをエンジョイしつつ学校でそこそこの成績をキープするのがクールだみたいなクリシェがあるのね。これが意味するのは勉強もちょちょいとやっちゃってBが取れるぐらいの地頭や要領の良さがあって、なおかつ女の子を口説けるスキルだとか、友達とどこかに遊びに行くだのというような社交スキルがあるっていうさ、ようは万能型っつーか本当のエリートは学校の勉強程度のことにそこまで打ち込まないし、全てを学校に捧げるなんてクールじゃないわけよ。それはペルソナ4をやっててもあの前作で言うエリザベスみたいなイゴールの助手がアドバイスしてくれるじゃない?まぁあれは学校という意味ではないけど、ようはダンジョン攻略だけが全てじゃなくて、ダンジョン攻略やレベル上げと同じようにソーシャルリンクを上げるというのも重要なことだから、ダンジョン攻略だけに集中するべきではないみたいなのがあるじゃん?あれってまさしくジェントルマンズB思想そのものだよね。まぁ半ば強引に当てはめるとね。


一日9時間勉強っつっても恐らく膨大な暗記を必要とするような法学部みたいな学科が平均学習時間の底上げに貢献しているんだろうけど、それにしても一日9時間勉強はマジでダサいと思う。今の俺ぐらいの努力でそこそこ良い学校を卒業できるみたいなのが一番クールだと思うんだよ。俺はそのジェントルマンズBスタイルを確立するために今の生活モデルを作っているわけだけどね、一日9時間も勉強しているやつらなんて、例えば映画鑑賞だとかさ、読書だとか音楽鑑賞だとかっていうような文化的な何かを吸収する暇も余力も無いじゃんね?それってすんげースッカラカンなことだよ。だからあれかな、日本の裁判官とかってスッカラカンなやつらが多いのかな?それだけしかやってこなかったんで他のことを何も知らないみたいなさ、これってアメリカのジェントルマンズBに照らし合わせると最高にダサイナーズなやつらってことになるよね。いや、俺はアメリカ万歳じゃないんだけど、ただジェントルマンズB思想は素晴らしいことだと思うし、むしろ本当のエリートというか優秀な人はこういうやり方で学生生活を送るべきなんじゃないかな?って思うわけね。逆を言えばそれはさっきも書いたようにそこまで時間を費やさなくてもBぐらいなら取れるっていうさ、ゲンズブールが適当にササっとアイドル用の曲を書いちゃうようなクールさなわけよ。ちょっと手抜きかもしれないけど、その手抜きができる余裕というのがクールだしインテリジェンスなわけよ。そんな余地も無く9時間勉強しないとやっていけないなんてマジで凡人が血のにじむような努力をして辛うじてエリート校についていってるようなもんでさ、別に学生の質が良いわけじゃないんだよね。ただ異常な努力をする人達ってだけだよね。まぁ中には本当のエリートもいるとは思うけどさ、でもなんか日本の学生のレベルが低いって妙に納得しちゃうようなアレを裏付けるようなデータだよね。最高学府ですらこんなんなんだから。遊ぶ余裕が無いって相当ダサいよね。まぁ努力が悪いことだとは言わないけど、努力のし過ぎってどうなんだろうね?って思っちゃうね。


努力に全てを捧げてるような人達ってそういう生活をしていることで失われているものってのに気がつかないじゃない?それがもう彼らのヴァーチューなんで、映画を見るとか漫画を読むとかゲームをやるなんてことはありえないわけでしょ?俺は多感な時期に引き蘢ってゲームや読書や映画鑑賞に明け暮れていたけど、まぁそれに俺は後悔してたけど、今は本当に良かったなって思うよね。普通の学生が体験できないような凄まじい量の様々なものを多感な時期に吸収できたんだから、これは一生モンだよ。まぁここまで行かなくても、ようはジェントルマンズBが目標とするところはこれだよね。勉強だけではなく様々な経験や体験をすることが重要ってことでさ、まぁ俺はソーシャルスキルは無いかもしれないけど、でもまぁソーシャルスキルみたいなのも重要なものっつーかむしろ勉強なんかよりよっぽど重要なんだよね。これが出来ないと勉強だけ出来るただの凡人の出来上がりだからね。だからあれかな、日本ってエリートが育たないのかな?ガリ勉みたいなタイプが官僚になったり、本来エリートが担わないといけないようなポジションについちゃったりしてるんで、だから日本っていつまで経ってもダメなままなのかもね。ようは冴えない参謀タイプみたいなのが永遠と育つだけで、本当のリーダーとかさ、本当にエリートみたいなのが育たないんだよね。


いやー驚きだわ。俺ってさ、東大生って本当に頭が良い人達だと思ってたんだよ。すんげー効率が良くてさ、短時間でいろいろなことを暗記したりこなしたりして膨大な量の知識を得ていく人達だと思ってたわけ。それが9時間って・・・。毎日9時間勉強すれば俺だって東大に入れるよ。そんなこといったら。普通よりちょっと良いぐらいの頭があれば狂ったような努力をすれば誰でも入れるってことだよね。そんなの最高学府でもなんでもないよね。むしろ最高学府って凡人じゃ思い浮かばないようなアイデアとかさ、論文とかを書ける人だけが卒業できるもんなんじゃないのかな?だからパンピーとの差があるわけでしょ?でもこれじゃー東大なんて一般との差なんて無いじゃんね。俺はたまに一日中本を読んでいることがあるけど、この過集中の時の読書というのは凄いもんでさ、300ページぐらいの本を3冊ぐらい読んじゃったりして、んで結構熟読してるんだよ。だから内容もかなり覚えてる。でもいつも書くようにこんな生活が毎日続くわけじゃないんだよね。せっかく一日読書をしてたのに次の日はゲームとオナニーとネットに明け暮れるだけとかさ、一日中読書なんて滅多に無いことなんだよ。でも続けばそれこそ将来ファウストみたいになれるなって思うわけ。でもそれが無理なのは毎日何十時間にも及ぶ読書なんてのを続けられないからなんだよ。いくら読書が好きな俺でもそれは無理。でもさ、仮に9時間も毎日、しかも4年間続けて出来る人がいたらそれこそファウスト博士の誕生だよね?


でもこれってのはあれなんだよ、一回読んだことをすぐ忘れちゃうんでまた予習をしなきゃいけないとか、講義のノートを読み返して暗記するとかさ、そういうアホ臭い作業込みで9時間じゃファウストは無理なんだよ。9時間リテラルに学問に打ち込めないとそれは無理。9時間の作業じゃ全然意味ない。恐らくそんな学生が多いんじゃないか?って思っちゃったね。だから秀才もいるだろうけど、凡人が血のにじむような努力をしているという割合も高いんじゃないかって思っちゃったわけね。まぁあとあれだわ、東大に限らずエリート校っつってあんま幻想とか神話を作りすぎない方がいいかもね。実際、どういう人達がいるのかは入ってみないと分からないんだしさ、実際、業績を残すのって一部の人だけだし、何も全てが東大卒ってわけじゃないからね。むしろ最近の本なんて学歴関係ない人が書いたようなやつのほうが良いのが多いよね。日本の出版だと。具体的な例がなくて申し訳ないんだが、まぁ新書とかだとジャーナリストとかが書いたようなやつのほうが良い大学出の役に立たない学者が書いたような本よりよっぽど良いやつが多いよねってことなんだけど、別にこれはジャーナリストを馬鹿にしてるわけじゃないんだけどね。


ただ所謂、知的エリートと言われる人達が書いたものより、割とダウンオンジアースなジャーナリストという職業の人達が書いた本や文章のほうが興味深いものが多いってことね。っつーのはつまりはその知的エリートってそもそもなんなの?ってことになってくるんだけど。白い巨頭に籠って役に立たない理論とかを研究してるのってどうなの?っていうような質問と似ているような気がするな。結果的にアウトプットとして出るものってその人のインテグラルなインテリジェンスによる産物だから、例えば暗記だけ狂ったようにやってきたやつが良い文章を書けるわけが無いんだよね。だから一見、超エリートに見えなさそうなジャーナリストやエッセイストが書いたような文章のほうが総合的で統合的な意味では優れているってことになるのはようは恐らくそういう人達って勉強一辺倒の人達じゃないんだよね。社交スキルだの記者としてのスキルだの俗っぽいものから高度なものまで広い見識を持った人達が書いた文章のほうが優れているというとあれだけど、まぁ勉強一辺倒の人よりかは面白くて役に立ちそうなものを書きそうだなっていうのはなんとなく分かるよね。


まぁそんな感じなんだけど。いや、勉強一辺倒はすげーダサいよ。それしか方法が無かったらいいけど、重要なのは血のにじむような努力が出来るような忍耐力じゃなくて、その人の知的好奇心よ。好奇心さえあればそれってのはもう何よりも勝るからね。俺はこれが真のインテリジェンスだと思ってるし、そういう意味で暗記一辺倒みたいな詰め込み的な勉強はすんげーダサいって思うわけだけど。まぁ暗記が必要な学科はしょうがないけどね。学位を取ることでしか上にのし上がれない人が頑張って学位を取るという理由で9時間、血のにじむような努力をして学位を取るというのは分かるけど、これっつーのは本当のエリートがやるやり方では無いんだよね。で、俺が単純に思ったのは最高学府でこんなやつらが多いってどういうことなの?ってことなんだよね。あ、んでね、死んだ爺ちゃんの知り合いの早稲田だか東大だかの大学教授の人なんだけどねっつーか散々批判してきたわけだけど、この人が口癖のように言ってたのが「勉強なんて一日1時間やっていればそれでよろしい」だったらしいんだけど、これでこその知的エリートだよね。あ、んでちなみに学問が好きでしょうがなくて9時間も毎日やってられるような人達がたくさんいたらまぁそれでこそ最高学府だろうって思うけどね。


でも繰り返しになるけど9時間努力できる人達が大半だったらそこは異常な努力が出来る人達のたまり場ってことで、別にその人達が凄いわけじゃないんだよ。その努力が半端じゃないってことで、まぁ例えるなら一日9時間欠かさずに英語の勉強をして、んで1年で英語をマスターしちゃったみたいな人だね。一日9時間も英語の勉強してればどんな馬鹿でもそれなりに英語は出来るようになるだろう。話せるかはともかく理解したり読んだりすることは出来るよね。そんだけの膨大な時間を費やしたらね。これってのはこの人の言語力が凄いんじゃなくて、その努力が凄いんだよね。だから知性云々の話じゃない。それはエジソンも言っていたようにね、天才とは99パーセントの努力と1パーセントのひらめきであるっつーのはね、よく間違えられるのが「天才とは努力の賜物である」みたいな俗流な理解だけど、実際の意味はは1パーセントのひらめきが無ければどれだけ努力をしても無駄だってことなのね。実際は助けようが無い言葉なわけよ。これって。で、ちなみにエジソンはその本人曰くの1パーセントのひらめきによって動かされて時間も忘れて発明に没頭したわけよね。


この没頭の引き金になっているのがひらめきね。つまりはまぁさっき書いたような好奇心と同じようなことね。それさえあればそれがエンジンになるのでそれに対する労力や時間の消費は惜しまなくなるっていうことなのよ。だから東大ってのが100パーセント努力の人達の吹きだまりだったらそんなの最高学府でもなんでもねぇーよって話なわけ。それだったらみんなマゾになればみんな東大に入れるってことなんだから。それがね、知的エンジンみたいなのに動かされて狂ったように9時間勉強できる人達の場なのか、狂ったような努力が出来る人達の場なのかっていう違いなのね。前者が本当に凄い大学で、後者は頑張れば誰でも入れる大学だからね。似ているようで全然レベルが違う。これがエジソンと凡人の差なわけよ。で、こっちの大学でも最近では有名大学も後者みたいになってきていると同時に、金さえあれば誰でも卒業できるという噂さえあるわけ。それは元々あった神話が崩壊したのか、それとも大学のレベルが下がったのか分からないよね。まぁ昔はだからね、本当の意味でエジソンみたいな本当のエリートしか大学に入れなかったわけよね。まぁエジソンって例えはちょっとどうかな。あの人は変人タイプの天才だからね。でも今って頑張れば誰でも入れるってことになったんで過去と比べると相対的に総合のレベルが下がっちゃうし、ましてや経営云々もあるんで、昔みたいな伝説的なレベルを維持できなくなっているというのもあるよね。恐らく。それが伝説崩壊に繋がった要因なのではないかと勝手に想定しているんだけど、まぁあくまでこれは俺の想像に過ぎませぬ。


まぁいいや。日本の大学については興味は無いし分からないからあんま根拠が無い話をしすぎるのもアレなんでこの辺でやめておこう。まぁ俺のなんとなくな想定ってことでね、今日は勘弁してくれ。あとダダの続きね。


The representative artists of Dada


Mercel Duchamp


One of the biggest provocative artists who was committed to Dada was Marcel Duchamp. His first readymade opus, which is Bicycle wheel, and Bottle Rack exemplifies the spirit of Dada. This is an object that is already complete and the artist presented it as his work of art. They imply a question of the meaning of a work of art and the systematic dynamics of the recognition of art. For example, when people see it as a work of art, they can’t recognize it as a work of art, if artist who made it didn’t assert it as a work of art, however, Duchamp asks what is a work of art? And how can we define a work of art? Also his readymade opus ironically functioned as an exhibit venue, which means that when his readymade opus situate museum, they automatically function as works of art. His readymade opuses betray people’s commonsense and expectation, which people’s desire of being impressed by art. People might think about “What is the expression of art?”. Duchamp’s aim is lucid, which he wants to make confusion in the notional level, which was generated by his concept of the disposition of the anti-aesthetic sense. His idea of ready made has a great meaning in terms of the isolation of aesthetic and putting readymade in the position of art. The creativity of the readymade only exists in a notional level and the readymade it self is still itself. In my opinion, Duchamp’s provocative attitude well represents the one side of Dada’s idea, which is a subversive one.


Kurt Schwitters


One of the other important dada artists was Kurt Schwitters. His idea of creation he himself called “Merz”. He says “Merz aims at freedom from anything that stands in the way of forming artistically” which strongly represents the very idea of Dada. In a Germany in ruins, he collected all kinds of scrap material in order to express the decadent situation of Germany in this time. Schwitters was capable of making something with a technique of assemblage and collage, and as a result, he had become one of the great masters of collage. His works can be characterized by accumulation of a lot of meaningless things such as scrap material, pieces of printed text and so on. He also developed a new type of work, which could not be shown in a museum. He called it Merzbau(Merz construction), Schwitters expressed his idea into three-dimensional big objects which he made his home in Hanover, but, unfortunately, the first Merzbaw was destroyed in a bombardment, It only remains in photographs, therefore, it became a legendary work of art as one of his representative works.

さすがに次で終わりにするわ。それにしても酷いね。書き直すっつってもう一週間以上経ってるよね。

Plays

Plays

いや、あれなんだよ、Youtubeで日本語版のやつも見たんだけどあれだね、ペルソナは3も4も英語版のほうがいいね。いや、別に日本版の声優が悪いってわけじゃないんだけど、なんつーか個人的には全体的に英語版のほうが声があってる気がする。まぁあれと一緒なんだけどね。ひよこみたいなもんで最初に見た何かを親だって思うのと同じでさ、最初にやったなにかってのが一番しっくり来るんだよね。日本の声優が凄いんで英語版はなんか劣化するような気がするけど意外にもね、なんつーかこういう日本のアニメーションっぽいやつにぴったりのアメリカの声優っているのね。アトラスの人選も凄いと思うんだけど。あとあれあのアバタールチューナーなんかも英語以外考えられないな。あまりにもピッタリ過ぎて。まぁペルソナに限って言えば日本が舞台の日本人のキャラクターが英語で喋るっつーのもまぁ変な話なんだけどね。リセが英語で「なんで英語なんてやらなきゃいけないのー!」なんて言うシーンは笑えたよね。だって英語で喋ってるじゃんって。あ、んでちなみにもう最後のほうまでいったよ。11月の下旬なんであとちょっとかな。

Nanakoとか凄いと思うよ。マジで。よくもまぁ英語で喋らせてここまで不自然じゃないなって感心しちゃうもん。あとあれでしょ、こないだ書いたゲームで英語っつーのがこれとか見ると分かりやすいでしょ?これを寝ながらやって、んで分からない単語が出てきたら手元にあるラップトップの辞書で調べてメモっておけばいいんだから楽だよね。あと発音とかイディオムとかスラングとかも勉強になるでしょ。日本の高校生のくだけた日本語っつーのがペルソナ4で再現されていたとしたらっつーかまぁデフォルメはされているだろうけど、同じことが英語版にも言えてさ、ようはあれなんだよ、若い子のくだけた英語っつーのが分かるのね。生きた英語ってやつよ。大体あれでしょ、英語の教材のテープとかCDとかって不自然な会話ばっかだからね。ゲームのほうがよっぽど勉強になるわけよ。まぁ問題は日本でこれが手に入らないってことなんだけどね。いや、でもマジで教材としては一流だと思うんだよねぇ。ゲーム。