久々の激しいパニック発作についての分析をしてみる。

mimisemi2009-02-03

いやぁー凄かった。何が凄かったって久々の激しいパニック発作ね。事の発端は英語のクラスね。英語のクラスはランクが上がっただけあってっつーか基本的に文学部って感じでさ、シェイクスピアみたいなのを読み解いて行くみたいなクラスで今はエディプス王を読んでるんだけど、普段から小説とかを読まない俺にはさっぱり分からないし全然興味が分かない。もうどうしよう?って感じなんだけど、もっとどうしよう?って思ったのがさ、エディプス王に関して授業をやってたんだけど、クラスの左端から順番にストーリーを読んで行きましょうってことになってさ、パニック発作について知ってる人っつーか患者なら分かると思うけど、このね、「次に自分の番が来る!」っていうような処刑を待つような気分ってのがなぜかパニック発作を起こしやすいんだよね。酷いのだとスーパーのレジに並んでる時に「次は自分の番だ」っつってパニックになるみたいなのがあるんだけど、この構造自体がまぁパニック発作を起こしやすいんだけど、特にこの英語のクラスの場合、ノンネイティブは俺だけで、しかもまぁ言うまでもなく前からクラスでの音読は本当に苦手っつーかいつも緊張しちゃってしょうがないわけだけど、でもそれって英語学校とかだったからね。今までは。だから発音とかがヘタクソでもそこまで恥ずかしくなかったっつーかみんな同じだからさ、「次は俺だ!」っつー恐怖感からパニック発作になったりするんだけど、まだ英語学校ってところで救われてたところがあるんだけど、もう今はさ、ネイティブのクラスだからね。ふつーの大学にいるわけだ。俺は。その英語のクラスで「次は俺だ!」なんてもう最悪だよね。


しかもさ、授業が9時からなんで夕飯を食わないと話にならないんで、まぁサブウェイでサンドイッチを食いつつ大量のコーラを飲んでたんだよね。で、これはいい話なんだけど、よく行く学校の近くのサブウェイで顔見知りの店員がさ、「いつも何聞いてんだ?」なんて聞いてきたわけ。ようは俺のデカヘッドフォンが気になるわけだねっつーか普通なら誰でも気になる。だってポータブルサイズじゃないんだもん。それこそスタジオとかで使うようなやつだからデカイのね。「そこまで音楽が好きなのか」っていう雰囲気が出まくってるわけだけど、まぁそれはともかく、「何を聞いてるってあれだよ、色々なんだけど」っつってさ、まぁ俺みたいに色々聞く人間にとって「何を聞くの?」って質問が子供が親に「どうやって子供は生まれてくるの?」って質問ぐらい答えるのが難しいんだけど、「まぁあれだ、俺のミックスあるから聞いてみて」っつってさ、持ち歩いてた最近作ったミックス全部渡したのね。そしたらかなり喜んでてさ、しかもドリンクサービスしてくれたりなんかして、まぁ芸は身を助けるとはよく言ったもんだと思ったわけだけど、思うに俺のミックスの散種っぷりは凄いね。色んなやつらに渡してるからワールドワイドに俺の音源とかミックスが配られてるんだよね。仮に渡したやつが留学生だったとしてさ、そいつがそいつの国に帰ったりしたら、俺のミックスとか音源も一緒にその国に行くわけだよね?まぁ捨てられてなかったらの話だけど。で、例えばブラジルならさ、そいつが家に帰った時に「これはある同級生が俺にくれたミックスなんだけど・・・」なんつって留学話をする際のネタにしたりするわけじゃない?


これが自然的世界像の伝達や情報による世界像のレイヤーなわけだけど、パニック発作に話を繋げるとさ、あれなんだよね、調子に乗ってコーラを飲み過ぎたからカフェインが効いちゃってさ、頭は冴えてたんだけど精神的に不安定になってたんだよね。そんな要素も相まって音読と来たもんだからさ、パニック発作が半端じゃ無かったわけ。で、明らかに堪えられないレベルだったから、それこそ中学の頃を思い出したんだけど、順番が来るちょっと前ぐらいに席を立ってトイレに行ったんだよね。で、俺の音読の番が回って来る頃には俺は席にいなくて、んでちょうど戻ってきたぐらいの時に俺の次の生徒が音読してるみたいなさ、まぁ逃げたわけだけどね、それこそ発作が中学の頃並だったんだよね。俺ってバリバリ現役じゃん!とかって本当に文字通り痛感したわけだけど、「これからどうしよう?」って不安になるよね。他のクラスでもさ、例えばこないだのポリサイのクラスで演説したとかって書いたけど、実際は演説なんかじゃなくて、すんげー緊張したすんげー空気が張りつめるような小声でさ、それこそカヒミぐらいのウィスパーボイスで色々喋ってたわけよ。まぁ逆にこれが効果的っつっちゃー効果的なんだけどね。頑張って喋ってる雰囲気と言ってる内容が割と高度なんで、その弱々しい発声と発音と内容の差のギャップが妙なハーモニーっつーか強度を生んでるっつーのは狙ってるわけじゃなくて、まぁ結果的にそうなってるわけだけど、それはともかくまぁ英語のクラスのパニックは酷かったわけ。


で、帰りにさ、「いやー久々にすんげー酷かったなぁー」とか色々と顧みつつさ、色々分析してみたんだよ。まぁ相変わらずのことだけどさ。そしたらまぁ簡単なことなんだけど、まぁようはカフェインとあとは予期せぬ音読っていう力学がパニックを発生させたわけだけど、逆にプレゼンとか音読にしてもそれがあるんだって分かってればそれに備えて例えばクラスの前に安定剤を飲んでいくとかさ、対処のしようはいくらでもあるんだけど、こうやっていきなり予期せぬ時に来ると最悪なんだよね。いや、それはもう分かってる事なんだよ。俺が分析したかったのはもっと根本的な原因ね。で、答えは何か?っていうとあれなんだ、まぁShameだよね。恥をかくということが怖いわけ。ネイティブだらけのクラスでヘタクソな英語で音読をしなきゃいけないっていうプレッシャーね。


でもなんであそこまでの激しいパニック発作が起きるのか?っていうと、さっき書いた自然的世界像の話になるんだけどね、具体的直接経験の世界像のレイヤーとさっき書いた伝達や情報による世界像のレイヤーと、あとは神話的フィクションによるレイヤーなんだけど、神話的ってのはようは聖書とかの世界を人間が想像して作り出す世界像ね。情報や伝達のレイヤーは「パリという場所があるらしい」というのを情報で知る事で「ある」ことを想像できるというレイヤーで、具体的直接経験というのが、例えば今、俺がこうやってフォレストヒルズのタウンハウスの地下で深夜に黙々とタイピングをし続けているというこれ自体が俺にとっての直接経験ね。で、そこでパニック発作っつーかさ、精神病全般そうかもしれないんだけど、他人を極端に怖がったり、他者という存在が原因で症状が起きている精神病の原因の一つに患者が作り出す想像的な他者という観点のレイヤーがあるわけね。例えばこの英語のクラスで言えば俺が勝手に想像している他の英語のクラスの生徒達ね。ようは俺がヘタクソに音読する事でどう彼らが感じるか?というのを彼らの視点に立って考えることから生まれる他者の観点ね。それが一種の世界像を形成しちゃうわけ。だから視線恐怖症とかにしても何にしても「他者の目」というありもしないものを勝手に想像している患者の視点というのが、さっき書いた3つの世界像に重なるかの如く、もう1つのレイヤーとして生まれるわけ。


で、パニックになってるときってーのは、直接経験が主体にとっての一番近い世界像であるはずが、完全に精神病にやられているときってのは、その直接経験のレイヤーが想像された他者のレイヤーという観点に占領されちゃうのね。ようは直接経験の中に想像された他者の観点も混ざって酷いことになっているという、まさしく分裂した世界像なわけ。そういう意味でスキゾフレニアというのはまさしく患者が作り出す妄想という1つの世界像のレイヤーが患者の症状を規定しているわけだけど、その想像された他者の観点のレイヤーと主体との関係性ってのが相互的でフィードバックしちゃってるんだよね。ラカン風に言えば、俺の発声や英語の不可能性、まぁインポテンツみたいなのが他者の観点のレイヤーに向かっていって、その想像された他者の観点というのがインポテンツを元に、俺という主体の世界観を規定する要素にフィードバックしてきているわけ。ようはこの構造が一旦成立してしまうとフィードバックは永遠に続いてしまって、んで脳内が大混乱しちゃってパニック発作なり動悸なり凄まじい不安感とか発汗っていう一連の異常体験が作り出されるわけね。


なので例えばトイレに逃げるといったような、想像された他者の観点が介在しないようなところに逃げると症状は一気に治まるんだよっつーのは、その想像された他者の観点と俺という主体の関係性が無くなるから、自ずと症状も消えるわけね。そこで深呼吸をしたり「いや、大丈夫だ大丈夫だ」とかって自分に言い聞かせるということはそれ自体が「そんな他者の観点なんて俺が作り出した幻想だ」と自分に言い聞かせながら、その世界像を消し去るプロセスなんだよね。精神安定剤というのはそれを半ば強引に脳内物質をコントロールして、そういった他者の観点というレイヤーを生み出さないようにするようなものなのかもしれないね。


自意識過剰とはよく言ったもんで、自意識という言わば一種の意識の過剰な形態というのが異常な主体の世界観を作り出してしまうということだね。これが一般的にパラノイアとかって言われることなのかもしれない。


ってことを思いついてたんでまたこないだの宇宙のときみたいに帰りの地下鉄で色々とノートにメモをしてたんだけど、俺の横に座ってたブロンドの姉ちゃんがすんげー可愛くてさ、しかもすんげー抜ける感じだったんだよね。もっと目に焼き付けてセンズリしようと思ってたんだけど、あまりに良さ過ぎて逆に見れなかったね。抜けすぎて逆に見れないみたいな、昔の天皇みたいな畏れ多い感じがあったね。家に帰った後は即、記憶が新鮮なうちにとセンズリしたのは言うまでもないけど凄いオーガズムだったね。久々に気持ちいいオナニーをしたなって感じだった。


せっかく割と真面目なトピックを書いていたのに最後はオナニーの話になるなんてね、さすがウォール伝だね。これがウォール伝クオリティでしょう。やっぱり。まぁそんな感じで大変ですわ。こんなのと一生付き合っていかなきゃいけないんだから大変だよね。ただもう俺は精神病歴が長いから「普通の人はいいなぁー」とかって考えなくなるんだけどね。これが当たり前だから「普通だったら」というパラダイムが存在しなくなる。発症した当初は死ぬほど「なんで俺だけ」とかって思って自殺したくなるんだけど、長くなるとこれが当たり前になるんだな。事故で右腕を失って10年って感じか。右腕が無い生活が当たり前なので、「右腕があったら」って考えなくなるのと同じね。学校ではクリティカル・シンキングでもポリサイのクラスでもオーラルプレゼンテーションがあるし、この先またスピーチクラスを取らなきゃいけないし、パニック発作と向き合わなきゃいけない機会っつーのがすんげー多いんだよね。でもこの辺は再ブレイク後の有吉と一緒で地獄を見てきているんで、ちょっとしたことじゃへこたれなくなるんだよね。「やるか死ぬか」ぐらいの覚悟が出来ている。だからアメリカでやっていかないと死ぬって考えると、死にそうになるパニック発作なんて実際は死なないんだからまだマシじゃんとかって思えるようになるんだよね。これは地獄を見てきた人間の強みかもしれないなぁーとか思ったり。基本的に俺ってだから常に死と隣り合わせなんだよね。今日みたいに死ぬような思いをすることが日常単位であるし、頑張らなきゃいけないことというのも死を回避するという自己防衛によって動悸づけられているわけでさ、常に生活に死がつきまとっているんだよね。だからここまで精神的にタフになれるわけ。昔の俺だったらとっくに日本帰ってると思うけどね。


ってことで今日はこの辺で。パニック発作って本当に患者しか分からないんだよねぇー。あの死にそうな感じは凄いよ。マジで。あれを経験したら誰もパニック発作の患者に対して文句を言えなくなるよ。そんぐらい凄いもんだよ。あれは。ハードコアシンプトムだよ。あれは本当に。で、最後に追加だけど、あれなんだよね、自己防衛という意味で、結局、俺が発声するときにその恥ずかしさがネックになってなかなかネイティブの前で喋れないっつーのを克服するためには発声やら文法やら英語全般を頑張るしか方法が無いんだよね。だから英語に関しても死と隣り合わせなの。死っつーかまぁ結局パニック発作っつー厄介な症状と繋がっているわけ。動機が根本的なことだから、だから毎日続くんだよね。さっきの話で言うとshameの回避という目的もあって自分の英語を磨く。だから英語が伸びる。まだまだだけどね。ああいう状況を克服するためにはネイティブ並に喋れるようにならなきゃいけないわけよ。それが仮に不可能なことであったとしても、それに常に向かい続けるしか方法が無いんだよね。俺の留学っつーか亡命って呑気に見えるかもしれないけど、かなり崖っぷちなんだよね。まぁ逆に崖っぷちじゃないとここまで頑張れないんだけどね。まさしくEnjoy you symptom!ですよ。Mimisemi in New York and out by 俺の人生って感じ。


PS


世界像の三つのレイヤーだけど、元ネタは竹田青嗣現象学入門です。当然、俺のオリジナルではないので。あー気がついてよかった!剽窃ほど酷いもんは無いからね。


PS2


ki-saへの私信。

パニック発作の友人がいて気になる。なんか突然宇宙ができると

いや、本当にその友人の表現は言い得ていると思いますよ。パニック発作になると一気にコントロールできない違うレイヤーの世界観が形成されますから、いきなりカオティックな宇宙が生まれるというのは本当に言い得ていると思います。一旦、そうなってしまうとコントロールが出来ないのですが、森田療法と言うのがありまして、まぁ概念のおおざっぱな説明をすると、「発作が起きたらどうしよう!」といった恐怖心に対して「まぁ別に発作が起きたっていいじゃないか。死ぬわけじゃないし」と恐怖やら症状に服従することで、それを受け流すみたいな、禅にも通じるような一種の認知療法です。現象学的に言えば、症状や僕が今回書いた、発作によって出来てしまった4つめの世界像(混沌の宇宙とかって命名しておきます)も含めてエポケーしてしまうということですね。「あー色々なことが起こってるねぇー」という感じで超越論的主観から俯瞰するわけですね。まぁそれが簡単に出来たら苦労しないわけですけどね。


僕の患者としての経験から言うと、神経症や鬱は脳内物質の不足という物理的な要素もさることながら、やはり歪んだ認知に多くの原因があると思っています。だから薬物療法認知療法を療法やっていくのがベストってことですね。どちらかが欠けても効果はなかなか上がらないと思います。ところで精神科医ってのはどうしようもないのが多いんで、患者さん達に適切な治療を提供できていないというのが現状だと思います。あんだけメンタルクリニックが乱立しているのにも関わらず、患者は増える一方ということの原因の一つにはやはり精神科医達の無能さがあると思います。もちろん患者が増えるというような仕組みになっている社会が狂っているのは言うまでもないんですが、そういったものを治すのが精神科医の役目なわけですが、大半の精神科医は恐らく適当に患者を手なづけて薬付けにしてスポイルしているんだと思います。治してしまったらスポイルできなくなりますからね。風邪のような病気と違って、鬱やパニック発作というのは患者の主観レベルでしか捉えられないものなので、医者のやりようによってはいくらでも「殺さず生かさず」が出来る絶好のカモってわけです。こういうので儲けている精神科医というのは世界中にいると思います。だからこそまぁ自律しか無いわけですね。僕が日々実践しているように、医者に必要な薬だけ処方してもらって、後は自力で治すしかないわけです。ちなみに僕が今、薬をもらっている心療内科の先生は凄く良い先生ですけどね。まぁ中には少数ですけど良い先生はいます。


というか長くなりすぎたんでもうやめます。

現象学入門 (NHKブックス)

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Hi Fidelity Lounge Vol 1

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