King of Dickkin’ Vol.17。

mimisemi2009-03-15

いやいや、完成しましたよ。King of Dickkin' Vol.17。


http://members.jcom.home.ne.jp/0512168601/mix/dick17.mp3


ってことで楽しんでくれたまえ。


あ、んで追記なんだけど、天文学の先生はマルタイメディアな先生でねっつーかマルタイメディアって言い方が大好きなんだよね。俺。フランス語の授業の時に「俺のメジャーはマルタイメディアだ!」って自慢してた黒人がいてさ、俺はこいつのことを「マルタイの男」って呼んでたっつーか心の中で思ってたんだけど、俺って有吉とまではいかないけど、かなりあだ名をつけるのが上手いっつーかまぁ内輪ウケどころか俺しかできないようなあだ名をつけるのが得意で、まぁ誰ともシェアすることなく自分の中で勝手に呼んでるだけなんだけど、過去も含めてクラスメートとか相当な数のあだ名をつけたと思うね。一回もその名で呼んだ事はないんだけど、心の中では何回も思ってたよね。ところで思うってことはカウンタブルなのかな?一回考えた事があるっつってもその一回ってどうやって定義するの?って話だもんね。意識って水みたいなもんだから、コップ一杯の水ならぬコップ一杯分の考えっていう考え方はできないよね。脳という容器に水が入っていることで意識が生まれているのであれば、そこから意識を水のように汲み取る事はできないよね。だからカウントもできないと思ったんだけど、あ、書きたかったのはそんなことじゃなくて、例の天文学の先生なんだけど、宿題がメールで送られてくるのね。True or Falseクイズと選択問題のdocファイルが送られてきて、んでまぁそれを期日までに回答を先生に送り返すっつーのがあるんだけど、テストが来週にあるのね。で、メール見たら「You need this for the test!」なんて思わずギョッとしてしまうようなタイトルのメールが来ててさ、「うわーなんか俺しでかしたかな?」とか思ってメール開いたらパイにパイが浮き上がったパイの画像が出てきてさ、"Happy Pi Day! :-)"なんて書いてあるわけ。すげーアメリカだよね。日本の教師だったらこんなユーモアは無いっつーか日本社会がユーモアに寛大じゃないっつーか仕事は仕事って分けすぎてるから余裕ないじゃない?その点、アメリカってのは先生と教師であってもいきなりパーティーしちゃうみたいな人と人との関係性の違いみたいなのが凄くあるんだよね。国民的にヒエラルキー嫌いってのもあって、まず日本社会みたいなお堅い関係性ってのは滅多に無いんだよね。あ、滅多に無いかは分からないけど、日本ではそれってデフォルトじゃない?でもアメリカって先生だろうがなんだろうが下の名前で呼んだりするからね。


あ、んでその画像が面白かったんで、まぁ貼ろうと思ったわけね。先生が撮ったやつなのか誰かが撮ったやつなのか分からないんだけど、元はフリッカーからのやつでさ、アメリカってなんつーか思いつきのジョークとかをいきなりメールで送ったりするような文化があるらしいんだよね。「あ、メールだと思ったら友人からのジョークだった」なんて話があるぐらいで、なんつーかアメリカのこの余裕が好きなんだよね。社会的には特に今は最悪なんだけど、やっぱ基本的に根が明るい国民性みたいなのがあるわけね。これって何気に社会において凄く重要な事だよね。日本って独自の暗さみたいなのがネガティブにしか作用してないんで「なんだかなぁー」って思っちゃうんだよね。明るさみたいなのはプライベートだけでさ、パブリックな部分ではっちゃけた部分が無いんだよね。これは良くないよね。本当に。だから強烈なストレス社会なんだよね。本当に。そういう意味でまぁ俺は絶対日本には帰れないし居場所が無いと思うんだけど。ってことで画像です。


天文学っつーかまぁこの先生は物理学も教えてるんだけど、その分野の先生らしい画像だよね。恐らく天文学仲間っつーか物理学仲間みたいなのから送られてきたメールなのかもね。で、この画像は俺にだけ送られたわけじゃなくて、先生が一括で生徒のメルアドに送ったわけね。普段の宿題しかり。


あと昨日の動画のやつの日本語字幕版を見つけたんで。


http://video.google.com/videoplay?docid=-446781510928242771


何ら新しい事はないんだけど、俺の場合、これを知ったのが学校に行かなくなったおかげっつーかナニワ金融道で学んだんで、まぁ一番良い時期に学べたから良かったなって感じなのよね。まぁ年齢で言うと中三ぐらいの時だけども。あ、んで当時思った疑問がね、こんな漫画が世の中に出ているのになんで銀行や街金が崩壊しないんだろう?ってことね。こういったプリミティブな疑問ってのがまぁ今でも永遠と続いているわけだけど、それがまぁ最近の俺で言えば民主主義ってところなんだけどね。なんで政府が崩壊しないんだろう?革命が起こらないんだろう?っつーベーシックな疑問はまぁマトリックスの時に書いたよね。ソフィの世界しかり。シュトラウスのようなマイナーな政治哲学とかならともかく、メジャーな分野でコペ転的パラダイムで物事が描かれいるものがヒットしたりすることがあるのにも関わらず世の中が変わらないっつーような現象から予想できることはさ、コペ転があってもすぐに忘れるやつが多かったり、それは認めざるを得ない事実だけども、システムに依存していかないと生きていけないからっつー現実への妥協から諦めてるって人が大半だからだよね。


あ、んでまた追加。そのね、国民のためにこうあるべきというような「べき論」みたいなのを実行するためにはシステム内部からの変化しか無いんだよね。つまりはシュトラウス的な賢人がシステム維持を担うようにならないと、馬鹿とか強欲なアホの独裁が永遠と続くって話なのよ。いかに賢人達がゲバルトを独占し、既存のステイクホルダー達の地位を奪うか?ってところがポイントなのね。これは民主主義だとか民衆による革命なんかよりよっぽど現実的な話なわけ。だから俺はまぁエリート独裁っつーかまぁ賢人独裁を支持するわけね。民主国家なんて存在したことが無いわけだし、どうせあるのは独裁国家だけなんだから、その独裁体制を賢人によって担わせるようにすればいい話なのよ。まぁ簡単な話じゃないけど、革命とかよりかはよっぽど現実的な話だと思うね。革命っつって起こったとしてもまた出来上がるのは独裁的な政府なんだからさ。


この動画にあるようなロックフェラーが定義するようなエリートとシュトラウスが定義するようなエリートってのは根本的に定義が違うんだよね。ロックフェラーの場合、人々をなんとも思わない連中で、シュトラウスの場合、人々や国家の事を最前に考える連中ってことなのね。「エリート」という言葉は例えばこのロックフェラーみたいな連中のおかげもあって、言葉のイメージが悪くなってるんだよね。だから恐らくエリート独裁論ってイマイチメジャーにならないのかもしれないね。俺も今後はエリートって言葉を使うのやめよっと。政治学のクラスでも同じだからね。先生も教科書もこぞってエリートが牛耳っているみたいな言い方をするんだけど、それってロックフェラー的な意味でのエリートなんであって、シュトラウス的エリートじゃないんだよね。だから俺が例えばエリート独裁が必要だっていうと現状のシステムを肯定するような保守主義者みたいになっちゃうんだよね。でも違うんだな。言葉のあややですね。


あ、んで民主主義国家っつーのは少数単位でしか可能じゃないのね。100万人ぐらいの単位じゃないと無理。