イラマ顔のあの子。

mimisemi2009-04-22

分かりやすいね。非常に。リアルに学校が始まったんでウォール伝の更新が無くなるっていうね、それはともかく明日いよいよディベートなんだけど、月曜にね、今週のね、あれなんだよね、なんつーのかな?あの最初のグループっつーか別のグループのディベートがあってさ、まぁそりゃーレベルが高いわけじゃないんだけど、やっぱ圧倒されるのがネイティブの喋りだよね。当たり前だけど彼らはよく喋る。冷静に考えてみればガイジンの俺がネイティブを相手にディベートするって一応まぁコミカレレベルとはいえかなり高度だよなって改めて思っちゃったね。それは議論のレベルって話じゃなくてあのスピードについていくって話なんだけど、そこでまたいつもの不安が始まるんだけど、よくよくまぁエポケーしてみたりするとさ、俺ってロバートみたいなのと永遠と一時間以上喋ってるわけで自分が思ってるより俺って喋れてなくもないし、全然ついていけてるどころかかなり速いんだよね。頭の回転が。いや、英語でってことね。日本語で頭が回転が速いのと英語でっつーのは似ているようで全く違うからっつーかさ、俺の部屋なんか古本屋みたいな匂いがするんだよね。地下ってのもあるんだけど、なんか帰ってくるとさ、「いやーこれこそ俺の最高の幸せだ!究極的な孤独感!」みたいにいつも思うんだけどね、まぁ遠くてもはるばる帰ってくる価値がある地下室だなって思うんだけど、最近英語を読むのが速くなってきたからそれと同時っつーかシンクロして本を買うペースも凄くなってきてんで破産したんだよねっつーかある程度レコードとかスニーカーとか買わなくなったおかげでわりかし前よりかはお金に余裕ができたっつーか、ヤバいなってほどにはならなかったんだけど、最近はマジで本代で毎月ヤバい感じだね。今月はもう20冊ぐらい買っちゃったんで自由になるお金が全然無いっつーね。


ってことでもう部屋が本だらけっつーかさ、結構なペースで本が増えてるんだけどもうあれだよね、図書室って感じだよね。俺の部屋っつーよりかは一人専用の地下図書室みたいな感じ。実際、部屋ではオナニーしてるか読書してるかぐらいだからさ、やってることと言えばね、あとはまぁたまに動画見るとかね、ホント、図書室だよね。ゲームもさっぱりやらなくなったな。もう飽きたっつーか英語で本を読む事が楽になってきてるんで本を読んでたほうが楽しいんだよね。ゲームやるよりも。ライドウの続編が来月出るんでそれは買うけど、それ以外はもう全然興味ないね。マジで。


んでなんの話だったっけ?あ、ディベートね。まぁあれだ、自信過剰はアホだけど、ある程度の自分の尺にあった自信っつーよりかは自己見積もりみたいなのを持っておいた方がいいね。ソクラテスだったかのKnow thyselfと同じね。それは自分の限界を知れみたいなネガティブな意味じゃなくて自分自身の現在の自己値みたいなのを把握しつつ、それを基準にやるべきこととか学ぶべきことを考えるっつーさ、まぁ自分という基準を見つける作業なんだよね。この実際の自己値と自分が知ってる自己値の間に乖離があると物事が上手く行かなくなっちゃうのね。物事を円滑に効果的に進めるためにも自己値を知るって凄く重要だよねってことでね、今のところまぁ明日のディベートは全く問題ないなって結構楽しみになってるっつーかさ、あのあれ、引き蘢りが通販待ってる感じっつーのかな?ちょっとキュッとしちゃってクソとか出そうな良い緊張っつーか楽しみな感じね。そういう感じがするね。いやー凄い成長だよね。昔だったらもう一ヶ月ぐらい前からずーっと不安でしょうがなかったに違いないよ。ところで引き蘢り通販ってさ、あれだよね、バイクの音とか車の音とかに一日中目ならぬ耳を光らせてるんだよね。特にあれだよね、親が受け取ったら大変なことになるフィギュアとかエロゲーとかをさ、自分で受け取って自分で空けたいっつーね、俺はそういうの無かったけど、エロゲーとかやる引き蘢りはみんなそうなんだろうなって凄く思ったよね。配達の時間とかを親がいない時間にしてさ、判子とかを用意して抜かないでずーっと待ってるっつーね、もう末期の人って感じだけどね。ニーチェで言うところの終わってる人達っつーか。


で、あとあれなんだ、成長したなって思ったのがさ、休みのときにずーっと気にかかってた英語のクラスと政治学のクラスとクリティカルのクラスのエッセイっつーかさ、英語と政治学のやつはやり直しで、クリティカルのやつは新しく書かなきゃいけないやつなんだけど、これまたすげー苦手意識があるからさ、書く事に対してね、だからずーっとやらなきゃなーとか思いつつも放っておいたんだよね。当然のことながら。で、学校が始まるっつー前の日っつーかもう寝る時間っつーのかな、朝の4時頃にもうさすがにやらなきゃなと思って始めたらさ、すんげースラスラ書けるのね。まぁ書く事はもう決まってたからあとは書くだけだったんだけど、やっぱ英語で書くって大変だからさ、またこれでつまずいて嫌な気分になるんだろうなぁーって思ってたら全然そんなことなかったっつーかさ、両方合わせて1時間くらいで終わっちゃったんだよね。しかも両方ダブルスペースで8ページぐらいのやつだよ。さすがにウォール伝ほどのペースじゃないんだけど、でもまぁすげーなって思ったね。読んでる量に出力も比例してるっつーかさ、俺の日本語っつーかウォール伝なんかもようはあれだもんね、読書の賜物だからね。色々読んでるから考えるネタもあるし語彙も増えたり言い回しとかも全部本から覚えるわけだよね。俺って中学2年以来学校行ってなくてフォーマルな教育って引き蘢り論的断絶があるっつーかさ、だからあれなんだよね、知識的なことって全部本からなんだよね。まぁ基本はまぁ本からなんだけど、自分の頭の中身において教育が占める割合ってすんげー小さいのね。1割ぐらいっつーかさ、まぁ基本的な読み書きとか数学とかを含めたとしたらっつーか小学校レベルのものとかも含めたらもうちょっといくけどでもまぁ小さいよね。あ、んで政治学のやつのエッセイは金曜までにやっとけばいいんでまぁ後回しなんだけどね。だからまぁ二つしかやらなかったのね。


で、今もあれなんだよね、結局はまぁ英語学校とかコミカレっつーよりかは進歩ってほとんど自分で作り出してるんだよね。学校に行ってるだけじゃ何も身に付かないっつーかさ、それこそ身に付く事なんて限られてるんだよね。そう思うと俺って徹底的に独学の人だから学校って意味ないんだけど、まぁ社会に出るための切符としてまぁ学歴ってのが必要だからっつーのはいつも書いていることだけども、まぁそれはともかくね、あれなんだよね、スカンクっつーかさ、あの天文学の子よ。あのSっ家がある子ね。見るたびにエロい妄想しちゃう子ね。この子がさ、授業終わりっつーかあれなんだよね、帰りにまぁすれ違ったっつーか後ろから来たんだけど、なんかすげー誘ってる感じなんだよね。そんなに近寄らなくてもいいじゃんってぐらい近づきながらすれ違ったっつーかさ、なんか誘われてる感じがするなぁーってまぁ俺はいつも被害妄想の逆バージョンでまぁ誘惑妄想に駆られるわけだけど、あのさ、チップとデールだったかのあのスカンクいるじゃない?すんげーフェロモン出しまくっててオスのスカンクがメロメロになるってやつあるじゃん?トムとジェリーだったかな?あれだよね。ああいう感じっつーの。すんげーツンデレっぽいっつーかさ、アメリカにツンデレ喫茶があったら完全にフロアマネージャーレベルだなって感じなんだよね。この子。でさ、被害妄想もそうだけど、例えば笑顔にしてもさ、シニフィアンシニフィエみたいなもんでさ、シニフィアンが笑顔なんだとしたらシニフィエって解釈だよね?あ、んで関係ないんだけどいきなり妄想を思いついたんで書くね。美人な女性にさ、デートに誘われたときに「なんで私に誘わせるのよ?」ってテレながら言われたら「僕は恋愛に関しては奥手でね、しかも専門外のことでは出しゃばらないというポリシーがあるんでね」みたいに知的っつーか紳士ぶる台詞ね。


あ、んで話を戻すとだな、笑顔っつーのはまぁ人間のアクションとして笑顔っつーシニフィアンがあるんだけど、その意味っつーのはさ、その真意を知るのは笑顔を作ったやつだし、シニフィエを感じるのは笑顔を送られたほうだよね。マックとか風俗だったら「ゼロ円のスマイルだな」って解釈するし、気分が悪くて調子が悪いときは「バカにしやがって!」とかってまぁなんつーかバカにした笑顔だとかって解釈するよね?まぁ俺の場合だけどね。だからあれなんだよね、誘ってるっぽい振る舞いとかもさ、俺が勝手に勘違いしてるのか相手が意図的に俺を惑わそうとしてやってるのか?ってさ、笑顔のシニフィアンの関係性と一緒で、そこにあるのは送り手と解釈者っていう関係性だけなんだよね。両方とも意思疎通が出来ないんで結局のところ、両者の間に差異が出来ちゃうっていうね、まぁデリダ的な意味でのシニフィアンシニフィエの差異っつーか戯れってこういうことだよね。特に俺みたいな鈍感なやつな場合、相手が発している行為としてのシニフィアンを俺がシニフィエとして解釈出来ないんだよね。だから永遠の差異が他者と自分との間にあって、で、俺はその差異っつーか戯れを苦しみというよりかは楽しむしかないなっつーのがまぁあれだよね、サインとしての行動に鈍感なADD型っつーかアスペルガー型の人達の生き方だよね。これっきゃないなっつーね。理解しようとする努力も必要だけど基本的に無理だからまぁ楽しんじゃえっつーね、その差異による戯れを俺はプラトニックなレベルでの恋愛として妄想レベルで考えてるっつーか楽しんでるんだよね。最高に気持ちが悪いとかってじょすぃーに言われそうだけど。この宙づり状態を色んなところで作り出していれば俺は色んな子と勝手にフォーリンラブ出来るし、具体的に面倒なプロセスとかを省いて勝手に恋愛的感情をその子に持てるようになるんだよね。で、不特定多数とこういう一方的なプラトニックな関係を持っても浮気にならないっつーね、これこそまぁ最強の恋愛でしょうって思うんだけど、あれなんだよね、仏陀の心っつーかさ、情欲に踊らされないみたいな崇高な心っつーよりかはまぁそういうコンセプトがあったとしても俺の場合、童貞の心がそれに先立ってるから関係ないんだよね。煩悩を消し去るみたいな言い方をするとかっこいいんだけど、実際は童貞で奥手過ぎてさっぱり手が出せないっつーね、で、それに対する最高のエクスキューズが「俺はそういうのに興味が無い」って言うとかさ、「俺は仏教者だから」とかなんだよね。実際はすげーやりたいくせにっつーね、そういう煩悩だらけだね。俺。つくづくまぁ負け犬だなって思うよ。


だからこそ哲学みたいなのに逃げるしかないっつーかさ、逃げてるつもりはないんだけど、まぁ哲学みたいなのが良い逃げ場であるし良いエクスキューズであるし良い趣味であるし心地よい場所になるんだよね。だから哲学って崇高さとダメっぷりっつーか負け犬っぷりっつーのがさ、混在してるんだよね。リア充だったら哲学なんてやらないだろうって全くその通りなんだよね。まぁ俺は哲学っつーかまぁ哲学書という意味ではなく知識欲に身を任せて生活するっつーことにより幸せが得られてるんで、逃げてるっつーつもりもないし、むしろリア充がそれによってもたらされてるっつーのがあるからまぁ多義的なんだよね。これはもう卵が先か鶏が先かみたいな話でさ、世の中に絶望と無しか無いからエクリチュールに逃げるのかさ、エクリチュールに浸る事で幸せが得られるってことで現世での幸せってのがエクリチュールに浸る事と思索に浸る事っつーので得られるんだとしたらさ、どっちもどっちって感じだよね。どっちが先でも結果的にエクリチュールに浸ってばっかりになるっつーね、まぁそういうことだよね。それしか楽しみが無いと言えばそれまでだけど、特に今みたいに英語で色々と読むのが苦じゃなくなると何かを読むのがもう楽しくてしょうがなくなるんだよね。もうアクセス出来る情報量が膨大でいくら時間があっても足りないっつー感じなんだよね。それを地下図書室で行うっつーのが最上の喜びなんだけど、これってまぁ引き蘢り的だし、まぁかっこよく言えば隠者っつーかさ、隠者タイプの賢者タイプな気がするけど、でもマジで金さえなんとかなれば一生こうしていたいって思うよね。親への経済的な依存っつーのさえクリアできればもう俺の人生安泰って感じがするんだよね。この生活さえなんとか確保できればね。


何かにずーっと夢中で浸ってると「なんのために生きてるんだろう?」みたいな虚無感ってのの介在の余地が無くなるんだよね。もうひたすらそれに夢中になってればそれがまぁ実益にもなったりすればさ、もうこれって自分の好きな事に向かうっつーエンジンのドライブを利用して人生駆け抜けてるようなもんなわけでさ、すんげー楽だし幸せだよね。他人がどう思うかはさておきね。あとまぁ一般的な定義での幸せとはだいぶ異なるかもしれないけどね。で、俺の場合、英語で何かを書けたり喋れるようになったりまぁ得た事の表現方法としての英語っつーのを磨けばそれが実益にもなるっつーさ、まぁ今のところまぁ学校でって意味だけどね、そういう意味で英語の勉強をするのも楽しくてしょうがないんだよね。これをやらなきゃこっちでやってけないっつー崖っぷちな感じがありつつもそれがやりたいこととダイレクトに繋がっててさ、ようは生存の本能とやりたい事っつー本能が一致してるっつーのかな?だからもう常に英語勉強してる状態っつーかさ、だからこそまぁこれだけ短い間って言っていいか分からないけど、割とこっちでもやってけてるんだと思うんだよね。好きな事をやり続けてるんで効率が良いっつーかさ、身に付きやすいっつーか、あとまぁ語彙とかも毎日生活してるだけで自然と増えていくからね。知らないワードをどんどん調べて行って、んで知らないワードが少なくなってきて、んで英語を読むのに苦労がいらなくなるっつーさ、そういう日々の単位で目に見える進歩とかってのがあるとそれがまた喜びになるんだよね。毎日生活してるだけだと語彙って限界があるけど、専門書も含めた色んなのを読みつつワードを調べて行けばさ、それこそその辺の連中よりよっぽど語彙が多くなったりするわけよ。ネイティブじゃなくてもね。まぁ比べてもしょうがないんだけど語彙が増えるってなんつーか自分の何かのコレクションが増えるみたいなそういう喜びがあるよね。で、それを学校の宿題のエッセイとかで使えるっつーまぁ実践の喜びっつーの?で、その結果、良いグレードをもらえたり褒められたりするともうこれって今のところ留学生の俺としては完全に実益になってるわけじゃない?だからもう最強のサイクルだよね。これを続けて行けばもうふつーにやってけるなっつーね、そういう確信があるよね。


これって血の滲む努力無しに実益を得るっつー最強のやり方なんだよね。好きこそものの上手なれって言うけどまさしくこれね。嫌々やってたり「やらなきゃ!」っつー義務感みたいなのでやってると効率悪いし、すんげー時間と労力を要することになっちゃうわけ。でも好きな事と実益をダイレクトに繋げられればさ、これってある意味で人生におけるダイナミズムの最適化だよね。もうだから楽でしょうがないんだよね。苦労という意味での努力をしなくてもガンガン自分が伸びて行くのが分かるからさ、楽しくてしょうがないんだよね。まぁ嫌な事があったりして落ち込む事は多々あるけど、基本がまぁかなり楽しいっていうね、端から見ればただの孤独なんだけど本人はめちゃめちゃ楽しんでるっつーね、これこそまぁ高いレベルでの幸福っつーかアリストテレスが言うところのエウダイモニアなんだと思うよね。善い状態で善いことできるっていうね、その「善さ」による「幸福」ね。


ってことで今日はこの辺で。