昨日と同じような感じで。

mimisemi2009-10-04

ラーメンガールって映画を見たんだけど、ブリタニー・マーフィーって子がいるじゃない?主演の子ね。で、昨日まぁ見たんだけどね、ラーメンガール、その前に8 Milesを今更見てさっつーのはこれは見たこと無かったんだけどさ、ビッチな感じのブリタニーが凄まじくエロいんだよね。で、この映画なんだけど、スパイク・リーの映画とかよりもなんつーかスラングっつーかストリートランゲージとか黒人喋りってのが凄まじくてさ、あれを完全に理解できるやつがいたら凄いなって思ったね。黒人の友達とかがいないとあれは無理だろうな。アメリカ人のストリート系の連中と関わり合いが無い人達ですら分からないことって多いらしいからね。いや、映画としては本当によくできててビックリしたね。ブリタニーはエロいし。っつーかでもこれは恐らく日本路字幕で見たらたいした映画じゃないかもね。ストリート英語とかのニュアンスとかブラザー達の雰囲気を理解してナンボっつーかさ、アメリカの下流社会の雰囲気に自分をインストールさせないと楽しめないかもしれないね。優等生みたいなやつが見てもストリート系のやつがただ意味も無く騒いでるだけみたいな感じに見えるかもしれない。


実際はすげー奥深くてさ、まぁ8 milesっていうタイトルにもあるようにさ、階級闘争の映画なんだよねって言い方が左翼過ぎるけど、プロレタリアがラップでのし上がるっつーさ、まぁプロレタリア映画だよね。あとはなんつーかチンピラ同士の争いでもルールがあるっつーのとかもすげーちゃんと描かれてるよね。殴り合いはいいけど銃を出すのはやめろっていうさ、争いは殺し合いとイコールではないんだっていうようなさ、まぁ暴走族とかもそうなのかもしれないけどさ、ああいう細かいところが凄く良かったね。チンピラ社会っつーかまぁデトロイトのストリート事情みたいなさ、エミネムの自伝的映画っつってもまぁ映画だからね、ドラマティックな脚色とかは当然あるんだけど、まぁそれにしてもリアリズムが凄いよね。日本でも派遣社員とかワーキングプアの連中がラップやりだしたらああなるな。まぁああならないけどね。でも状況的にはネカフェ住民ぐらい絶望的なんだっつーのが今みたいになっちゃった日本においては少なくとも昔よりかはリアリティを帯びてるよね。ただ8 Milesとただのワーキングプアの決定的な違いはコミュニティの自助的な感じだよね。


コミュニティと言っていいのか分からんけど、ようは日本の場合、個人個人が誰も頼れない感じでアノミーに陥りつつ、絶望したり自殺したり人を殺したりするんだけどっつーかまぁ日本の場合って言い方は変だからまぁ孤立した場合って言っておこうか。それに比べて8 Milesっつーかアメリカのストリート系って賃金の低さとか未来への絶望感とか生活の質の低さとかは日本のそれ以下であるんだけど割とハッピーそうなのがようはあれだよね、コミュニティだよね。横の連帯というかなんというか、公園にブームボックスを持って集まってラップやるって金がかからないじゃん?でもそこで人が集まって仲間が形成されていくっつーのが凄いんだよね。


まぁ形成されていくっつーよりかは元々あるものなのかもしれないけど、やっぱなんつーか社会においてコミュニティとか横の繋がりがいかに大切なことなのか?ってのを教えてくれるよね。8 milesは。シェルターだったかさ、ラップバトルが繰り広げられるクラブみたいなところとかって完全になんつーか公の場だよね。パブリックなコミュニティっつーかさ、知らないもの同士も音楽っつーかヒップホップで結びつくみたいなさ、ヒップホップがある種の連帯を促してるって凄いことだよね。まぁその中でもちろん派閥とかがあってディスり合いとかもあるんだけどさ、でもなんつーかやっぱあの仲間同士の助け合いって凄いよね。仕事代わってやるとかさ、車貸してやるとかさ、送っていってやるとかさ、ヒップホップが音楽のジャンルじゃなくてカルチャーなのもまぁこういうところもあるだろうね。


これ自体がある種の言語でさ、その言語が通じ合うもの同士は連帯できるみたいなね、デュルケルム的なソリダリテだよね。有機的連帯ってのがヒップホップによって促されてる感じ?クラブカルチャー全般まぁそうだと思うけど、特にヒップホップって場所に根付くじゃん?リリックとかもその場所の話であったり仲間同士の話だったりグループ同士の争いだったりしてさ、音楽と生活が乖離してないっつーか生活そのものがヒップホップなんだよね。だからまぁ音楽的手法としてのラップとヒップホップは違うと言えるね。ラップはまぁ別に誰でもできるよね。J-POPとかでもラップがあるぐらいで。ただヒップホップとなるとヒップホップの条件を満たすのってかなり難しいよね。その条件がそのまま生活なのがまぁ下層階級の黒人達だよね。いや、貧乏な黒人が全員ヒップホッパーというわけではないけど、ようは構成要素がそのままヒップホップなやつらが多いってことね。生活が苦しくて、んでたまには生活のために悪いこともしなきゃいけなくて、音楽が生きる活力を支えてるみたいなさ、そういう意味だとまぁブルースに近いのかな。


でもヒップホップはコミュニティとか地域とか連帯とかも関わってくるんでだからまぁ一筋縄でいかないっつーかさ、スタイル真似しただけじゃどうにもならないんだよね。貧乏であるっつーのはまぁ必須条件みたいなもんだね。その証拠に8 Milesの最後のほうのラップバトルでエミネムディフェンディングチャンピオンをさ、こいつの家は裕福でコイツは市立の高校出身だ!みたいなディスをするじゃん?あれはまぁ日本語訳で見たら相当間抜けだけどさ、即興のライムの凄さってやっぱある程度英語分からなきゃ分からないよね。あれが本当の即興かはともかくとして、まぁフリースタイルってああいう感じだからだからまぁ凄いんだよね。用意してきてっつーよりかは相手に合わせてその場でやるんだよね。そういう意味だとまぁジャズの即興感に近いと思う。ある程度のライムとかのフォームとかはありつつも、まぁそれを即興で組んでいくって意味で、フォームありきの即興って意味でまぁジャズっぽいっつーのかな?なんつーかだからヒップホップってさ、すげー深いんだよね。めっちゃ深い。中流の日本人には理解できない壮絶なものがあるよね。スタイルだけ真似しても全然ダメなんだよね。本当に。


で、まぁあれだ、8 Milesの後にSin Cityを見たんだけどこれすげーいいね。ちょうどアメリカに来たぐらいの時にロードアイランドにいた時にルームメイトだったロジャーにファイルもらって見たのが3年前だったけど、改めて見たらなんつーかすげー面白かったな。で、これにもブリタニー出てるじゃん?これまたビッチな感じで。で、次に見たのがラーメンガールですげーモンドな感じだったね。西田敏行との絡みが絶妙っつーか8 Milesとかシンシティみたいなモロにアメリカンな世界観にピッタリな女優っつーのが日本にいるのがすげー違和感があって良かったっつーか流れが良かったね。8 Milesからシンシティからラーメンガールっつー流れが良かった。だからまぁラーメンガール単体で見てもそうでもなかったかもしれないね。ただなんつーかロストイントランスレーションよりかは良かったなって気がするよね。まぁサイード的なオリエンタリズムは相変わらずでさ、アビーの彼氏になる韓国人演じる日本人の部屋の内装とかすげーモンドじゃん?ヤコペッティ的なモンドなんだよね。ヒーローズとかもあんま見たことないけどそうじゃん?日本がすげー変なのね。


アジアが混ざってて、中国とか韓国とかが渾然一体になってる感じでさ、曲も所謂「オリエンタル調」だよね。まさしくサイードなんだけどね。ジャパンな琴の音と中国の胡弓の音が混ざってたりしてさ、なんつーか俺がいつも思うのはアメリカ人っつーか海外の映画監督がもっとちゃんとした日本を描けたら面白いだろうなって思うんだけどさ、そういう意味であの名前忘れたけどスナッフものっつーかエロビデオとかが関連するサスペンス系の映画あったじゃん?フランスだったか分からないけどさ、あれもまぁラーメンガールほどじゃないけど、やっぱオリエンタルな雰囲気あるよね。海外ものに出てくる日本って本当に風変わりな都市なんだよね。だから世界中の物好きが興味を持つんだけど実際は全然違うっつーね、日本の雰囲気がよく描けてるのって例えば黒沢清みたいなやつだよね。良くも悪くもリアルで鬱っぽい感じ?なぜかホラーものが日本の雰囲気を表してるってのが多いと思うね。


で、場のリアリズムで言うと8 Milesって多分リアリズムなんだよね。つげ義春リアリズムの宿的なリアリズムっつーの?イタリアのネオリアリズムみたいなもんね。ヒップホップはこのネオリアリズムと一体だからさ、だからまぁ外からのやつには理解し辛いっつーか見た目だけがかっこいいみたいな感じに映っちゃうんだよね。あ、んでラーメンガールだけど、俺が感じた違和感とちょっと面白い感じって完全に俺がアメリカ視点だからなんだよね。ようはアメリカ人が見て面白いなって感じる違和感を俺が見事に感じてるっつーのかな?それは俺がアメリカ生活長いからアメリカ人っぽくなってきたってことじゃなくて、そういう感覚で見ることができるようになっちゃうってことね。普通の日本人が見れば視点は西田敏行とかさ、日本側なんだけど、俺の場合、特にさっき書いた当日見た映画の流れなんかもあってアビー視点なんだよね。


で、これが恐らく大半のアメリカ人が映画を見て感じる面白さであってさ、逆を言えば日本人から見たらモンド映画でしかないんだよね。ロストイントランスレーションなんかもアメリカでの評価は高いっつーかいや、分からんけど多分面白いっていうアメリカ人は多いだろうね。それは日本の変な感じっつーかある種の異様なカルチャーとか社会様式がアメリカのそれとのコントラストによって過剰に描かれているのであってさ、それはアメリカ人っつーか日本人以外が見れば「日本って面白い国だな」なんだけどさ、日本人が見ると「なんか違う」とかさ「バカにされてるような気分」とかになるんだよね。ようはそれは日本の扱いが色物的だからだろう。フランス人がニューヨークで一から身を立てるとかさ、こういうのって欧米圏だったら違和感無く共通して描ける感じなんだよね。ようは大雑把に欧米的生活様式ってのを考えた時に国が違えど成立するものってのがある。


ただ西洋人が日本に来る場合、ある意味で変わった習慣とか社会の慣習とかがあってさ、カルチャーに馴染みやすくないっつーかとけ込めないって意味での異様さってのがあって、それが映画の材料になる場合が多いんだよねっつーかまぁロストにしてもラーメンにしてもこの異様さが映画の根底を支えてると思うね。で、俺がラーメンを見て思ったのがさ、もっとネオリアリズム的な日本を描きつつさ、母国に帰ってもどうにもならないから日本で生活基盤を作るみたいなね、ただそのために低賃金で働かなきゃいけなくて、それこそワープアみたいな生活を余儀なくされるみたいなさ、すんげー鬱な映画を作れば面白いと思うんだよね。面白いっつーと不謹慎だけど、ようはふつーの日本人のワープア生活を描いてもしょうがないんでさ、それをあえて外国人の映画監督がネオリアリズム的に日本のワープア的な状況を異物である欧米人を日本のそういった状況に放り投げて描くっつーことをすればさ、すげー絵が撮れると思うんだよね。ただ日本の現状とかリアルを知らない外国人監督ばっかなんで、逆に日本人監督が日米合作とかで、むしろ日本が製作をリードする感じでアメリカ勢を入れていくみたいな形でやれば成功しやすいかもね。ラーメンの場合、米がベースで日本が現地での製作を助けてる感じじゃん?


だから製作とかに全然文句が言えないっつーかさ、だからまぁモンドになるじゃん?そこを日本が製作をリードすればさ、日本の描写はリアルになるよね。そこで米の女の子っつー日本にとっては異様なものが入ることでよりいっそう米の子が日本にいることの違和感と日本のリアリティってのが描けるような気がしてさ、まぁ別にそれをラーメンでやる必要は無いんだけど、まぁそういうのがあったら面白いなって思うんだよね。それこそオドレイみたいな子がちょー貧乏生活を強いられてさ、ちょー鬱になるみたいなね、生活の感じとしては赤目心中未遂ぐらいの貧乏さがいいね。それをすんげー綺麗なヨーロッパの子がやるっつーのが妙なコントラストを出すような気がするんだよね。それが鬱だけにならないのがさ、ようは凄まじく綺麗な子とか可愛い子ってのがそこに放り投げられることで出る異様な感じってあるじゃん?なぜこの子が?みたいな。そういう違和感を描くだけでちょっとコメディタッチにもなるじゃん?だから鬱映画の中にもちょっとした面白さがあるとかさ、例えば隣の変なおっさんが部屋を覗いてるとかさ、可愛いってことでその界隈で話題になるみたいなさ、ただでも本人は辛いだけみたいなね、そういう微妙な疎外感を描けたら面白いんじゃないか?とかはラーメンガール見た後に思ったね。


あとはまぁ日本の移民労働者の映画とかね、まぁどの道、プロレタリア系になるけど、まぁこういうのは社会派になりすぎて受けないかもね。あくまで日本という素材を使うんだったらやっぱ色物的な違和感が無いと成立しないのかもね。となるとやっぱ日本って違和感だけの国なのかな?あまりに特殊過ぎて外部の人が同化できないみたいなさ、それはさっき書いたね、大まかに欧米と分ければフランス人がアメリカでも生活したり、オーストラリア人がイギリスで生活できたりもするのと一緒で、文化の違いはあれどそこまでじゃないじゃん?でも欧米系と日本となると一気に違ってくるんだよね。で、結局まぁアメリカ資本で作るんだったらまぁこういうテーマじゃないとウケないのかな?って気はするよね。アメリカの場合、例えばアメリカ人でちゃんとした日本を描いてる日本映画とかが好きなのって頭が良い通ばっかなんだよね。日本人で言えばまぁ俺みたいなやつが濃いフランス映画とかイタリア映画とか見てるのと同じような感覚ってことなんだけど、まぁ多くはないよね。大半はパリっつーとアメリとかなんだけど、俺の場合、カルネとかさ、憎しみとかがったりするよね。憎しみを見ても思ったんだけど、なんつーかやっぱ欧米って下流でも似たようなものがあるなって感じがするよね。


フランスでも下流っつーかチンピラみたいなやつらはアメリカのチンピラみたいな生活をしてたりするし、それはイギリスとかでも多分同じだろうしさ、ここが俺の言いたい欧米の共通点なんだよね。違う国なのにそこまで違わないのね。でも日本の下流のチンピラとかって全然カルチャー違うじゃん?まぁアジア全般そうなんだろうけどさ、このチンピラカルチャーなり下流カルチャーを規定してるものって何なんだろう?とか思うよね。なんで欧米はどこもかしこも共通してるようなところがあってさ、んで日本みたいなのはちょっと特有なのかな?っていうね、なんつーかさ、下流の話ではないんだけど、そんな特有な社会を持った日本人がアメリカに馴染んでるってアメリカ人がアビー的な感じではない感じで馴染むような感じと同じ感じで結構レアだと思うんだよね。


ある程度の生活様式とかカルチャーの共通点がある欧米人とかはさっきも書いたようにそこが場所がフランスだろうがイギリスだろうがまぁある程度は共通してるんでやってけるっつーかさ、場所が違ってもそこまで違わないってことでやってけるところってあるじゃん?ニューヨークとかってモロにそうだよね。でも日本はそうはいかないじゃん?社会に通念しているやり方とかコミュニケーションの仕方とかが独特でさ、仮にそこの言葉を覚えただけではコミュニケーションができないみたいなところがあるじゃん?それがまぁこないだ書いた言語外での意味って意味での空気みたいなのもあるんだけどさ、逆を言えば空気が支配してる国からそうじゃない国に行くとフリーダムを感じるのってまぁある種必然だよねって気がするよね。


モロに日本的で日本の生活が一番な人はすぐホームシックになるだろうけど、そうじゃない人は恐らく海外のほうが暮らしやすいとかって思うだろうねっつーのがまぁ日本の特有さなんだよね。日本の特有さに違和感を感じてる人は変な言い方をすれば海外全般ならまぁどこでも日本よりかはマシっつーか自由な感じってのを感じるわけでさ、逆にアメリカみたいな自由の国から日本に来るとルールだらけで異様なものに見えるじゃん?で、その逆だとルールから解き放たれた感じになるんだよね。って意味でまぁそれは日本から見ようが海外から見ようがまぁ日本って異様な部分があるよねってことだよね。それを極端に描いてるのがロストだったりラーメンだったりするわけで。それを思うとさ、生まれた土地にくっ付くのが当たり前っつーか海外が全然違う場所だって感じられるのって日本に特有のことなんじゃないかな?って思うんだよね。


それは前にも書いたけど、ある程度こっちの生活に慣れた俺がフランスとかイタリアとかイギリス行ってもさ、生活の慣れてない俺が感じるあたふたした感じとは全然違うある種の落ち着きがあると思うんだよね。それは何か?っていうのがようは大雑把に欧米的生活って言ったときにそこにあるような生活様式の共通点ね。なんつーか日本人って海外に移住するみたいなアイデアって思いつかないじゃん?でもなんつーかさ、特に南米系とかの連中見てると全然そうじゃないんだなって思うよね。好条件の生活ができるところに移るのが当たり前みたいなさ、当たり前ってことはないけど、んでもなんつーかアメリカってガンガン移民が入ってきてるじゃん?で、ロクに英語も喋れないのにずーっと生活してたりするじゃん?それがすげーなって思うよね。日本じゃありえない話っつーのかな?それは日本じゃありえないってことがようは海外では少なくとも日本よりかはありえるわけで、だからこそ日本人には移住って感覚が無いんだと思うし、あとはまぁ移住する理由とかも無いわけだけど、なんつーか俺としてはいよいよそうでもないんじゃない?って気もするよねってのも前から書いてきてることだけども。


リアルに日本で何やってもダメだからってことでさ、まだ衣食住の保証があるかもしれないどっかに移るってのは生活が厳しくなればなるほどリアルなものになるよね。ようは特出した才能を持った人が好条件を求めて海外へ・・・ということではなくて、生活に苦しい人が生活の糧を求めて海外へ・・・ってのもありえるようになるってことね。実際、中国とかで働いてる日本人もいるっつーじゃない?これってまぁ微妙だよね。才能を活かしきれない社会とか人材を活かしきれない企業ってのが多いのも悲劇だけど、才能が無いっつーとあれだけど普通の人の生活も保証できないって最悪だよね。移民が多い国ってまぁ大体そうだからね。


母国が独裁制とかさ、すんげー貧しいとかでさ、だったらフランスに移ったほうがまだいいとかさ、アメリカに移ったほうがいいとかさ、アメリカの場合、南米とかメキシコとかにそういう連中が多いけど、それってまぁ母国が寒いって話だよね。まぁ俺が言いたいのは金融用語で言うところの寒さね。寒い国には移民する人が多いっつーのはさ、韓国とかを見てもそうじゃん?韓国は本当にヤヴァイよね。本当に病んでる国だなと思うねっつーかこっちで会う韓国人とかってマジで多いよ。そういうやつら。アメリカで職を得たいって思ってるやつが本当に多い。で、なぜか中国人とかになるとさ、さっぱり英語が話せないくせにグリーンカード持ってるっつーやつが多いんだよね。英語力とかは留学生並なのに市民っつーやつが結構いる。っつーのはあれだよね、恐らく中国とかってアメリカ内部にコネクションがあるから親が移住するんだよね。


で、子供もついていくから、んだから子供もアメリカ市民になるっつーね、まぁ移民の大半がこういうパターンだけどさ、移民に労働者階級が多いのってまぁつまりはこういうことだよね。特出した能力があって海外からヘッドハンティングされて移ったとかじゃなくて、自国が寒いんで仕事がある場所に移ったってことでさ、ただその移った先での仕事ってのはまぁたかが知れている仕事なんだけど、自国の生活よりかはマシってことでまぁそこで生活するようになるんだよね。でもほとんどが永遠とワーキングクラスのままっていうね、だから移民の二世とかも大体まぁ貧しくなるわけよ。そこで頭が良いやつは良い学校に行ったりして立身出世するんだろうけど、所謂、悪い意味で単純労働ぐらいしか能が無い移民の子供の地頭ってのもたかが知れてるわけでさ、いや、言い方は悪いけどまぁでも実際そういうところもあるじゃん?


で、社会が層化しててさ、んでなおかつ格差が固定しやすいっていうね、まぁそれでもアメリカの場合、やっぱ能力主義みたいなところは大きいから優れていればいくらでも上に行ける可能性ってのは無くもないよね。ただ大抵の下流育ちのやつは下流のまま終わるって感じが多いと思うよね。だからと言ってはなんだけどコミカレとかって移民とか有色人種系の巣窟になってるんだよね。親が貧乏でも学力があれば良い学校に行けるわけだけどさ、んでもまぁそうでもないっつーやつらが来てるっつー感じはあるよね。だからまぁ悪く言うと下品なやつが多い。そういう社会のリアリティみたいなのがコミカレってのには凄くよく表れてるような気がするね。特にまぁマンハッタンとかだとまぁ顕著だよね。


だから逆になんつーかコミカレって留学生はまともなやつが多いんだよ。それこそもう母国で大学とか卒業したやつとかがさ、アメリカで再起を図るために一から始めてるってやつらがいてさ、まぁ韓国人とかでもそういうのは多いよね。英語力がネックなんでコミカレに通わざるを得ないってやつも多いし、学費の問題を抱えてるやつも多い。まぁ俺ももろにそういう一人だよね。地頭は明らかにコミカレレベルではないが、金はないし、英語も完璧じゃないんでいきなり良い大学とか入ってもついていけないっつーさ、いや、実際は分からんけどさ、ただまぁ留学生の場合、最初のステップとしてコミカレを選ぶのは全然いいよね。ただアメリカ人でコミカレとかに通ってるやつはやっぱちょっとヤヴァいよね。4年制大学と学費は変わらないっつーしさ、んじゃあなんでコミカレ選ぶの?っつーとまぁ学力が低いからじゃん?だから頭が悪いやつが多いんだよね。コミカレには。いや、アメリカ人だとね。留学生だと全然そんなことはないんだけど。


あとはまぁドロップアウターも多いよね。高校出てから大学に行かないで職に就いたはいいけどろくなもんじゃないんで上に行くためにも学歴をってことで学校に行き始める下流社会人系は多いかもしれない。いや、この人達はドロップアウターじゃないけどさ、いや、高校をドロップアウトしたやつっつーのも結構いるし、あとはまぁ大学ドロップアウターも多いよね。で、再入学みたいな。いや、多くはないか。逆にこういうプロレタリア系の連中って一流大学とかには滅多にいないからさ、地に足の着いたアメリカの感じっつーかニューヨークの感じっつーのはすげー感じるよね。学費がバカ高い学校なんて浮世離れしたようなやつばっかなわけでさ、そういう意味だとまぁモロにそこに社会があってコミカレはそういう意味でいいよね。アメリカ人だろうが移民だろうが留学生だろうが立身出世の第一歩としてやってるやつらとかが結構いるんでまぁバイタリティみたいなのはあるよね。仕事終わりで来てるやつとかが多いしさ、そういう意味でまぁ日本で言えば夜学っぽいのかな?


夜学って夜学ぐらいにしか来れないバカもいるけどさ、仕事してるから夜学にしか行けないって人もいるじゃん?そういえば中学の頃の同級生ですげーアホなやつがいたけど、こいつとは何年越しかに通信制の学校で再会したんだよね。唖然としたけどね。マジで。普通の高校にすら行けなかったのか!って唖然としたよね。こういうタイプのバカがコミカレに行くこともあれば、俺みたいな実際は頭は悪くはないけど諸事情でドロップアウトしたとか、就職したはいいけど先が見えてるっつーので人生をやり直し始めてるやつってのもいてさ、そういう意味でまぁいいんだよねっつーのは前にも書いた通りだけどね。でも驚いたことになぜかウチの学校ってNYUへの進学率がすげー高いんだよね。すげー学力だな!っつーよりかは金貯めてたんだな!って思うわけだけどさ、ホント、そういう意味だとまさにステップだよね。


でもまぁ前にも書いたけどなんつーか俺の印象だと特にundergraduateレベルだとコロンビアとかNYUでも全然たいしたことないっつーかさ、それこそまぁよくスクールワークをやってきたんだなって人達ばっかでさ、全然普通なんだよね。悪く言えば全然頭が良くない。だからやっぱ良い大学選びをする上で重要なのはやっぱり大学院以降だよね。こうなるとレベルの差が凄く歴然としてくるし重要なものになると思う。逆を言えばundergraduateにそんなバカみたいな金かけるな!ってことね。こっちでは最終学歴で学歴が判断されるから例えばコロンビアとかでMBAとか取っちゃえばそれまでの学歴がコミカレだろうがなんだろうが関係無いのね。まぁ最近ではGPAとかでも評価されるっつーんでまぁそこまで何何大学卒ってのの威力が印籠みたいに機能しないっつーのはあるけどさ、それしてもまぁこうやって大学関係のことを書いてるといつも思うのは本当にバカバカしい世界だなってことだよね。学歴と能力とか実際の知識とかって全然関係ないじゃん?俺のイメージだと本当にシュトレーバーが多いなって気がするんだよね。


アメリカでも結局シュトレーバーが評価されるっつーかさ、そういうやつがまぁMITとかハーヴァードとかではないレベルの一流大学を卒業するって感じね。本当になんつーか金を払って社会への入場料を必死で得ようとしてるって感じでさ、実際、なんつーか例えば元庭師みたいなのが大学に行ったところでそいつ自体の本質って変わらないじゃん?で、生物学に興味があって生物学を専攻してたけど、結局はまぁ大学卒業後にどっかの企業のオフィスにホワイトカラーとして就職したみたいなさ、ようはブルーカラーからホワイトカラーの差って学歴で決まるような感じでさ、全然能力でもなんでもないんだよね。ようはこの元庭師は別に学校に通わなくてもそこに就職できたってことなんだよ。能力的には。だって生物学の知識なんてオフィスでは役に立たないじゃん?電話応対とかさ、企画書制作とかって全然生物学とは関係無いよね。


でも一応4大卒ってことで庭師がホワイトカラーになるみたいなさ、すげー非論理的な世界だよね。庭師が生物学を勉強してサラリーマンになったってさ、全然生物学とか大学ってファクターが絡んでないよね。関係無いよね。マジで。ただの就職条件を満たしただけって感じじゃん?職場が4大卒を求めてるってことで職の選択が広がるだけでさ、知識云々じゃないんだよね。逆を言えば庭師が馬鹿ってことではないんだよ。そいつが庭師だろうがマックの店員だろうがそいつはそいつで大学が及ぼすそいつへの影響なんてたかが知れてるんだよね。


実際、今の俺で言えばさ、俺が普段から読書とかしてなかったらまぁ俺は前の俺のままだからね。こっちに来て成長したって別に大学とか英語学校とか英語学んだから賢くなったわけでもなんでもなくてさ、こっちで一人暮らしをしつつ考えながらやってきたから内面的に成長したってことなわけで大学とか学校って全然関係無いんだよね。むしろ学校でやることだけやってたら何にも成長しないよね。だからようは庭師は庭師のままなんだって。俺の英語での語彙が増えてるとかさ、割とまともな文章を書けるようになったとかって全部まぁ自習の賜物だよね。まぁ自習っつーかまぁ読書ね。分からない単語は調べるとかさ、文章のストラクチャを意識しながら読むとかさ、前にも書いたけど日本語だって一緒じゃん?本読んでると文章は上手くなるわけだよね。ウォール伝の場合、我流過ぎるけどさ、でもやっぱ語彙とかは本から覚えてるよね。


哲学用語にしても表現にしてもどこから覚えてるか?って本からだからね。だからまぁ読書が基本だよね。で、数学みたいな演習的なものは実践によって伸びるみたいなね、だからまぁ小室直樹なんかも大学では演習的なものをやったほうがいいって言ってるわけだけど、まぁ別に小室直樹の影響で数学をやろうと思ったわけじゃないんだけど、ようは文章を読んで学ぶようなことは独学が一番ってことだよね。だからまぁ庭師は庭師でも読書を続けてる庭師は読書をしてない庭師に比べれば知識があるわけよ。で、下手すればその辺の大学生とかより物知りだったりするわけ。いかに大学ってのが教育とか知識というものに対して適切に機能してないか?っつー良い例だよね。で、俺の勝手な予想だとアメリカでも3流とか2流大学じゃ日本の大学と同じぐらいあんま意味無いってことなのね。現代的な感じだとそもそも大学ってのが学問をやるところっていうところじゃなくてさ、学歴を買う場所だったり職業訓練施設みたいなもんになってるわけでさ、そういう意味で本来の大学のあり方と大学に行ってやることの乖離があるんだよね。


大学ってのは学問をやるための場所なのに基本的にみんなそんなのは求めてなくて社会が求める学歴が欲しいだけで行ってるみたいなさ、だから変に学問的なものは余計に矛盾してくるんだよね。リベラルアーツなんてその典型でさ、やらされることの大半が実社会では役に立たないことばっかだからね。でもそれも学歴を得るためのステップとしてやらなきゃいけないってことで妥協してみんなやるわけでさ、例えば英語の文芸研究とかシェイクスピアとかさ、何なの?って感じじゃん?いや、同じことが数学とか哲学にも言えるんだけどね。庭師はもう嫌だ!と思って大学に入ったはいいけどシェイクスピアとかプラトンとか集合論とかやらされるとかって誰も納得しないよね。それを得たところで庭師は庭師のままだもんね。


なんか本当に滑稽なんだよな。そう思うと。金があるわけでもないのに将来のために必死で学校通うとかさ、必死ではないけどね、安くはない学費を払うとかさ、「なんだかなぁー」って感じだよね。それを全部自分で管理してる庭師にしてみたらもっと「なんだかなぁー」だよね。下手すると庭師のままでもいいかもって思っちゃうよね。本質的な違いは無いわけだから。そこをまぁさ、上に行けばもっとまともな生活ができるようになるって思えるようなまぁ物語が大学っつー虚構を形成しているわけだよね。実際は奴隷の延長みたいな生活を余儀なくされるんだけど、なんとなくまぁ学歴は重要だろうってことでさ、みんなやってるしってことでまぁ大学に行くんだよね。でもまぁ大学の意味の無さって凄まじいんだよね。でもさ、日本の大学でもそうだけど、大学ブランドってあるじゃん?


企業とかと一緒でさ、そこに属してるっつーのがまぁクールみたいなさ、で、こっちも基本的に一緒だね。NYUとかコロンビアみたいなのがさ、ハーヴァードとかMITのレベルではないけど凡人でも通える一流大学ってことでまぁブランド化してるよね。NYUに行ってたらかっこいいしNYU出身だったらかっこいいみたいな。で、写真とかで検索すれば分かると思うけどNYUとかってビルディングとかがすげー洒落てるんだよ。特に哲学のデパートメントは有名な建築家がデザインしたやつでさ、それこそ美術館みたいな雰囲気なのね。そういうところに通うのがクールっつー浅はかなアレがあるじゃん?だってそういう写真見たらさ、オンボロ校舎の学校行くよりそっちのほうがいいって感じちゃうじゃん?学費とかも変わらなかったら見栄えが良い方通うよね?そこがまぁそもそも上辺による勘違いなんだよね。


実際はやることは学科ってことを考えれば場所なんてどうでもいいわけでさ、仮にケインズやるならケインズが書いた本ってのはどこにでも売ってるわけで、それをやればいいんだよね。洒落た校舎でマルクスやるとかケインズやるとか現代思想やるとかってのがクールに思えるのは帝国ホテルでランチを済ませた後にお茶するようなもんなんだよね。帝国ホテルのカレーは缶詰で食べたことがあるんだけど、まぁ美味しいけどさ、でもカレーはカレーじゃん?お茶もお茶だよね。仮に今の俺がさ、帝国ホテルのカレーを自室で食べたところでお洒落でもなんでも無いじゃん?汚い地下室でカレーを食っている俺というのは変わらないわけでさ、カレーはカレーだよね。


だから別にボンカレーでも味の違いだけでカレーはカレーだと言えるよね。でもそれをさ、お洒落して可愛い子とかと一緒に帝国ホテルじゃなくてもまぁお洒落なホテルでランチを取りつつ、その後お茶みたいなのが「いいなぁー」って思えるのってまぁ幻想だよね。あ、可愛い子ってのは外的なファクターだから置いておくとしてもさ、ようは一流大学と呼ばれているところに通うっつーのもまぁ一流ホテルで食事をするのと同じってことね。食べるのは基本的にカレーとかパンとかサラダで別にそこであえて高い金を出して食べなくても質は違えど同じものはどこでも食べれるしさ、まぁどうでもいい話なわけ。学科で言えばまさしくカレーはカレーでさ、帝国ホテルで読むケインズと汚いアパートで読むケインズも一緒じゃん?だから何の差も無いのね。でもそこにレベルなどという差があるとかって勘違いしてるのがパンピーでそれはアメリカ人も変わらないどころかアメリカ人のほうがアメリカが学歴社会というのもあって大学のブランド意識が強い気がするな。完全に虚偽意識だけどね。学問やりたければ自分でやってればいいわけで。


元々金があるわけでもないのに借金してまで帝国ホテルに通ってランチとお茶を楽しみ続けるって相当狂ってるよね。学校も一緒だよね。まぁ学校は終えれば学歴ってのがつくから、ランチで言えば帝国ホテルでランチをお茶を楽しみましたっつー領収書とかがあればなぜか仕事とかが得やすくなるってことなわけだけど、でもそれっておかしいよね。帝国ホテルでランチを取ってお茶を飲むことと職業とがどう繋がるの?っていうさ、学校もそれと一緒だよね。だからマジでくだらないんだよね。でもあんなもののためにみんな必死で頑張ってるのを見ると本当に泣けてくるね。まぁ「頑張ってる」って意識が彼らの生きる原動力になっていればようは物語が彼らの生きる原動力になってるわけで、別にそれだったそれでいいんだけどさ、んでもなんつーか学費に困ってるとかさ、働きまくって溜めたお金を全部学費に使うとかさ、凄まじいよね。


奴隷が自主的にご主人様に仕えて稼いだ給料を奴隷生産工場につぎ込んでるようなもんだもんね。で、奴隷生産工場を出ればもっと良い奴隷になれる!とかって思ってるっつーね、でも奴隷は奴隷なんだよね。それ以上でも以下でもない。なんつー悲しい世の中なんだって思うね。そういう構造があってもいいけど、問題は人々の意志に関わらずほとんどの人達がそのゲームに参加することを半ば強要させられるってことなんだよね。ゲームに参加するためのお金ってのが必要でさ、んでゲームをやるライセンスってのも学校に通って取得しなきゃいけないみたいなさ、しかも学費が高くて参加できない人もいるみたいなね、凄まじい構造だよね。


みんな生活に必死だから帝国ホテルがどうとかみたいな感じで考えないんだよね。まぁ必死だからなのか考える脳が元々無いのか分からないけど、なんつーか学校に行ってて思うのはさ、今は数学が楽しいからいいけど、でもなんつーかみんなごっこ遊びに無理矢理参加させられてるような感じだよね。で、ニューヨークの場合、世界中からアメリカ社会っていうゲームに参加するために学校っていうごっこ遊びをやってるっていうさ、で、大半がそれが義務だみたいに思ってて疑問すら感じないやつらばっかなんだけどね、逆にそれに気がついちゃうとやってられなくなるじゃん?やるのが辛くなるよね。そういうバカバカしさに自覚的だともはや良い学校に行こうなんていう意志すらも無くなるよね。バカバカし過ぎて。ある意味で国家がねつ造したような大きな物語っつーか虚構みたいなもんでさ、学校ってね、結局まぁ社会も一緒だけど、でもそれに参加しなかったら生活できませんよっていう風になってるんでまぁ生政治的に参加を強要させられちゃうんだよね。


まぁこれは前に散々書いたことだけど、庭師が庭師はゴメンだ!っつって大学っつー虚構に参加するようになるって完全に生政治的だよね。生活が脅かされているという生命の危機によってそれを避けるために大学に通うようになるってすげーおかしいよね。勉強しようと思って入るやつなんて滅多にいなくてさ、大半はこういう生政治的理由で入ってるやつらばっかなんだよね。そこがまぁ恐ろしいなと思うのね。大学が生政治を担う機関として機能してるのが凄く怖い。だからなんつーかそういう意味でアルチュセール的なさ、主体っつーのはステイトの産物なんだっつーのがやっぱ説得力を帯びてくるよねとは思うよね。だからこそ大学を演習の場としてさ、ようは弓道なら大学に行けば弓を教えてくれる先生と的と道具があるみたいに考えてやるっていうさ、構造をメタ的にズラしてやるしか無くなるんだよね。だからまぁ俺が考えているのは数学を学校でやりにいくっていう感覚ね。生政治的なことを考えるとすんげー鬱になるから、それを避けるためにも大学に数学だけをやりにいくっていう感覚でやるのね。


で、結果として学歴っつー結果も得られますよみたいなね、学歴というのを福次的な産物として捉えることで権力に飲み込まれないで済むんだよね。済むっつー言い方は変だけど、まぁ目的とかやり方をズラすことで没入しないようにするってことね。必死になってるやつとか見ると本当にかっこ悪いなって思うんだよね。ひたすらグレードのことばっか気にしてるとかってさ、まぁ可哀想ではあるんだけど、それこそまぁ「なんだかなぁー」って感じだよね。まぁグレードを気にするってことがダイレクトに生活に直結してるからしょうがないんだけどさ、でもその権力機構の道具として学問が扱われてるっつーのが本当に許せないね。金儲けの道具でもあるし生政治的な権力機構の道具でもあるっていうさ、まぁ本当に酷い状態だよね。


あとはまぁ今の俺もそうだけど、今じゃどうにもならないけど大学出れば若干状況はマシになるかもしれないっつーさ、不確定ではあるけど、んでも最低でも今よりかはマシになるから通ったほうがいいっていうような打算はあるよね。で、やることをスクールワークに集中させてさ、先のことなんて考えずにとにかく与えられたことをこなすことに集中するってうさ、まぁこれがまさしく奴隷生産の白眉なんだけどね、学校が意識的にそれをやってるとは思えないけど、んでもまぁ理不尽なシステムに従順になる犬を大量に育ててるっつーのはあるよね。だから逆を言えば企業としてもさ、ドロップアウターみたいなアウトローよりかはさ、大学卒業したやつのことを信用するっつーのは大学を出たってことはある程度システムに従順なんだってことを示すものになるじゃん?


ようは学歴によってそいつはある程度の宿題とかテストとかをこなしつつ真面目に学校に通ってたやつなんだってことが分かるわけでさ、まぁ学歴ってのはそういう意味で食用牛とかにつけられたラベルみたいなもんだよね。こいつは健康で食べられますみたいなラベルね。逆に野生の牛とかって分からないじゃん?変な病気持ってるかもしれないしさ、そいつの牛乳とか肉とかって食べるの怖いじゃん?だから品質管理をされた牛のほうが安心して食べられるってことだよね。バカバカしい!とかって授業をボイコットするような賢いが故に反抗的なやつってのは企業にとっても邪魔だもんね。反抗的なやつが学校を卒業できないようになってるっつーのもまぁ意識的かどうかは別としてまぁ権力的ではあるよね。


ってことでなんつーかまぁそんな感じで。


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