ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

フェティシズムと性欲について。

mimisemi2010-02-03

森岡正博の「感じない男」って本あるじゃん?だいぶ前に読んだんだけどいきなり思い立って再読したんだけどさ、冒頭あたりにさ、著者が女装した男性のミニスカにも欲情したって書いてあるけどこれって示唆的なのがさ、まずね、だいぶ前に俺が書いたフェチについての文章を貼るわ。

性的シニフィアンについてなんだけどね。分母が「主体にとっての性的シニフィエ」というか「性欲」で、シニフィアンが人によって違う性的シニフィエを意味するものってことになるわけね。前にブーツフェチの話についてで色々書いたけど、要約するとこういうことになるわけ。つまり主体にとっての性的シニフィエを想起させるシニフィアンというのが性的シニフィアンで、ラカンみたいな言い方になるけど、それは常にXなんだよね。物体XというかオブジェクトXというか。


ブーツフェチの場合、例えばそれがブーツの臭いフェチなのだとしたら、「ブーツ」が性的シニフィアンになって、分母の性的シニフィエは「臭い」によって意味されるものとなるわけ。だから主体によってはブーツのテカりだとか見た目だとかブーツのみならず脚線美全般だとか、まぁ代替可能なわけ。性的オブジェクトXっつーのはだから常にブラックボックスっつーか、主体によって語られぬものとして常に象徴界の存在するものってわけよ。でもそれは特にこのパラダイムにおいてはフェチに顕著ってことね。だからSMとかってのに代わることは無いっつーのはSMっつーのはプレイの総体であるから、それ自体はシニフィアンじゃ無いんだよね。だからフェチっていう性的シニフィアンは常に主体にとっての性的シニフィエという名の性欲によって常に成り立つってわけよ。


と、まぁあとこれを書いた次の日にまた書いたやつね。

例えばブーツなりハイヒールなりブラジャーといったものは衣類だという風に人々は認識しているし、それが一般的だし、他人がそれを衣類というか、履くものなり身につけるものだと思うということを知っているから物事の概念が成立しているわけだけど、ここに性的な意味が介在するとブーツなりハイヒールなりストッキングといったものが性的な意味をもたらすものになって、そこでそれ自体が意味するシニフィエが主体にとっての性的シニフィエに変換されるわけ。


それがなぜ常に象徴界にのみ存在することというのはつまりはそれが差異によって成立しているものだからなんだよね。ブーツなりストッキングは「履くもの」なんだけど、それに欲情する主体にとってはそれが性欲を想起するシニフィアンになるわけね。だからこの性的オブジェクトというのは主体にとっての性的シニフィエを分母にするときに、常にそれは語られない差異の体系の構成要素の一つとしてのオブジェクトXになるというわけ。それは分母が代わればXも代わるんだけど、そのXについては主体がカミングアウトでもしない限り常にはそれはブラックボックスというわけね。


で、以下が当時の要約。

フェティシズムっつーのは人間の性の志向性が対象Xを変様体として規定するという差異の体系で、社会的な事件というのは客観世界を間主観性がもたらす世界観と理解することで生まれてくる概念ってなわけ。だから必ずしも社会的な事件というのはそれ自体が実際に社会的かどうかだったかは分からないわけね。むしろあんま関係ないということのほうが多いんじゃないか?なんて俺は思うわけで。人々の多重化された意識ってのが客観世界を捉えて、んで何らかの志向的統一性というのが生まれた時に事件の社会性が生まれるというか解釈されるってわけね。


つまり人々の志向的契機がその事件の社会性を規定するわけ。で、フェティシズムにおいてはそれが徹底的な独我論的世界観で行われるわけねっつーのは繰り返しになるけど、人間の性の志向性が対象Xのエロスを規定するというわけで、まぁこれはフェティッシュというかエロス全般がそうだと思うんだけど、それは極端に分節化された個人的で観念的な世界観の中に存在する価値/差異の体系というわけね。


とまぁそんな感じなんだけど当時、ラカン系の本を読んでたんだなってのを思い出すけど、まぁラカン系のタームを正しく使えているかはともかくとして、まぁ基本的にこれが言いたいのはさ、ブーツフェチで言えば「ブーツ」ってのは履くものだけど、それが主体によってはフェティッシュなエロスを想起させる性的オブジェクトになるってことなんだけどさ、森岡正博が男のミニスカ姿に欲情したってまさしくこれでさ、本当はダイアグラムみたいなんで説明したんだけどまぁいいや。まず主体ね。で、ミニスカっつーオブジェクトという名のシニフィアンね。で、シニフィエは主体によって規定されると。だからこの関係性がつまりは差異の体系てことなんだけど、面白いのがね、森岡正博が言ってたことが非常に示唆的なのはさ、森岡正博はゲイじゃないのにも関わらずっつーかゲイっぽい感じがする人だけど本当にゲイじゃないんだけどさ、そういうノンケの人が女装した男性のミニスカに欲情したっつーのはさ、「ミニスカ」っていうシニフィアンの独立性を表してるよね。


つまりはそれ自体がエロスを想起させるシニフィアンなんであってさ、その元とか関係無いって話だよね。まぁもちろん女装だって分かればまぁちょっとは落ち着くだろうけど、でも性的なものは想起されてるんだよね。つまりは主体とミニスカとの間の関係性においては、そのミニスカの元である別の主体ってのがそこまで重要じゃないんだよね。まぁ重要じゃないとは言えないけどブルセラが機能するっていう事実の背景にはこの差異の体系があるわけ。まぁモノによっては持ち主の写真とかがあるんだろうけど無いヤツとかも多分あるわけじゃん?ヤフオクとかで出品されてるフェチ系のやつって写真が無いやつ多いよね。もちろん写真があったりすると一気に額が上がるんだけどさ、これはまぁリアリティだよね。想像で頑張るんじゃなくて実際の出品されているフェチ系の使い古しのモノの持ち主ってのをまぁオナペットにできるわけじゃん?でもそうじゃない人もいるよねっつーか写真が無いやつとかも落札されてるのを見ると想像で補ってるやつとかもいるんだよね。凄まじいブスとか男が使ったやつかもしれないのにさ、リスクを承知で落としてるわけじゃん?


これって極めて森岡ケースだよね。男性の女装でもミニスカはミニスカだっていう。まぁ森岡正博はそれで欲情したまま抜いたとかじゃなくて多分我に帰ったんだろうけどでも一瞬でも「ムラっ」と来た自分がいたわけで、まぁそれに驚いたわけでしょ?ここに第三者は不在なんだよね。ようはフェチであれば使用済みの何かを使っていた主ってのが不在ってことじゃん?それが凄いよね。純粋にフェティシズムというのが差異の体系として成り立っているっつーすげー証明だよね。脚フェチ系のサイトなんかだと実際、脚の綺麗な男がストッキング履いてんでそれで自分の写真撮ってのっけたりしてるやつもあるんだけどさ、国内とか海外関わらずね、見た目では分からないって意味でそれだけですでにフェティッシュってこれまたまぁフェチの独立性だよね。で、実際はおばさんだったり男だったりしたら一気に気持ち悪くなるんだけど、知らぬが仏でさ、それだけですげー完成度が高かったりしたらそれが性的オブジェクト足りうるんだよね。この成立が体系そのものでさ、主が関係無いっつーところが凄いわけ。まぁ主がいてもそりゃ体系は成立するんだけどこれの場合、どこまでがフェチなのか分からないじゃん?主がいるからフェチが成立している場合、フェチ度はピュアじゃないよね。でも主不在でも成立しているフェチってのは凄まじいわけよ。


ようは女性の下着が好きだっつって自分で買ってきて履いて興奮してるようなやつは凄まじいフェティストってわけだね。完全にフェチの体系によってのみフェチが成立してると言えるよね。もちろんそこには「女性の」っていう下着の属性が介在しているけど、でも固有の主を必要としないという意味で純粋にそれが体系の力学として成り立ってると言えるわけだ。まぁでもブルセラとかの場合、エッセンスは「使用済み」ってところにあるよね。使用済みじゃないと性欲が湧かないっつーアレもあるわけで。そういうやつの場合、仮に主がいたとしても使用済みじゃないとムラムラ来ないってことだよね。下着泥棒みたいなのもアノニマスに下着を盗んでるのかさ、特定の人間を狙って盗んでるのかさ、でもまぁ所謂、典型的っつーと変だけど、所謂下着泥棒って言われる下着泥棒は洗濯物として干してあるやつを盗むじゃん?そうなると使用済みって要素は無くなるよね。で、そこに主が介在しているかいないかはそいつ次第っつーか分からないっつーか。でも両方あるだろうね。主がいらないってタイプの純粋にそのものとしてのフェティシズムを感じているフェティストと、主ありきかもしくは主が介在しないと成立しないっていうタイプのフェティストとさ、でもまぁこの場合、フェチ度は高いと思うんだよね。


なんでか?って言うとさ、使用済みとかの場合、主の要素が強くなるのね。パンツでもストッキングでもブーツでもなんでもいいんだけど、「あんな美人なのにこんなに臭いなんて・・・」みたいなギャップに興奮してるやつもいるじゃん?そうなるとかなり主の要素は強いんだけど、んでもそれだとしたら主が関わるものならなんでもいいってことになってさ、それこそ身につけたものならなんでもいいっつーか臭気がまとわりつくようなもんだったらなんでもいいってことになるけどまぁなんでもよくないじゃん?臭気ありきの何かじゃないと興奮しないってことでその何かが特定のものに限られている場合、やはりこれはフェチ的だよね。パンツには興味ないけどストッキングには興味があるみたいなのは完全にフェティスト的。ただこの場合、主の臭気が介在していないとフェチは成立しないんで主ありきのフェチの体系が働いている上でのフェティシズムってことになるね。


主度が高いものとしてはやっぱりあれだよね、早朝レポートみたいなさ、イジリー岡田が芸としてやってるようなさ、アイドルの楽屋に潜入して口紅舐めるとか歯磨き舐めるとかさ、この辺は主度高いよねっつーかフェチ度は低い。まぁイジリー岡田は完全に芸としてやってるんだけど、この場合、フェティストというよりかは変態だよね。その対象への愛があるのにも関わらず歪んだ形でそれを成熟させるっつーかさ、この場合あれだよね、その好きな女の子の部屋に潜入してその子の匂いがするベッドとかで寝ながらオナニーとか出来るわけでさ、これの場合、ムッツリスケベっつーかさ、対象への愛だよね。介在するベッドとか口紅とか歯ブラシは主体と対象を繋ぐ媒介でしかない。主体はその介在する何かを対象と見立てて舐めたりするわけじゃん?これは意外に健全っつーか普通の性愛だよね。変態に見えて実はそこまで変態ではないっていう。子供がスカートめくりするみたいなそういうレベルね。浜ちゃんが子供の頃にガイジンのパンツが欲しいっつって盗んだとかそういうレベル。


ただこういう場合、臭気を帯びたパンツとかには逆に嫌悪感を表すかもしれないんだよね。やっぱ臭気とかね、使用済みっていう方向に行くとレベルが高くなるとは思うんだけど、逆になんつーか俺が思うのはね、そっちでもまぁレベルが高いけどまだ普通って言えるんじゃないかな?っていう。男のブーツフェチ率って凄いらしいからね。だからブーツとかハイヒールとかストッキングって常にセクシーさを出す道具になっているし象徴的な性のシンボルだったりするわけじゃん?それには需要があるってことでその需要は何か?っていうとある種の普遍的な男が持っているフェティシズムだよね。ただこの場合エロスだよね。フェティシズムってのはオブジェだけだからね。ハイヒールだけとかブーツだけとか。


でもこれでもまだフェチって言えないところはあってさ、まぁある意味で究極的にフェチなんだけど、ハイヒールとかブーツとかってSM系とかのモチーフでよく使われるじゃん?で、ああいうモチーフで使われるのって作為的なさ、ツールとしてのブーツとかハイヒールじゃん?specialなoccasionにおけるツールっていうかさ、で、俺が思うにってさっきの定義とかなりズレるけど、フェチって性愛の究極的な形なんだよねっつーのはね、俺が言いたいフェチは使用済みとか主とか健全な性愛におけるエロスとかね、そういうのを全部満たした混合物みたいな感じなんだよね。だからフェティストの場合、好きな子の使用済みの何かってのがまぁ最高なわけだよね。逆を言えばこういうやつに新品は通用しないし、SMツールとしての何かってのもまぁ通用しないだろうね。


でもさっき書いたもう一つのオブジェとしての究極のフェティストってのもいるわけで、まぁそれが主を必要としないフェティストね。使用済みである必要も無いし、純粋にそれに興奮するっていうさ、ただブーツとかストッキングとかハイヒールとかパンティの場合、そこに女性っつー要素が介在してるんでやっぱ性愛的ではあるんだけど、タイヤフェチとかボタンフェチとかっているからね。これはもう完全に主体とオブジェの世界だよね。これが俺の言いたいもう一つのマテリアリスティックなフェティストね。セクシャルなフェティストは色んな条件を必要として、んでマテリアリスティックなフェティストはそれそのものに興奮するっていう。ただ実際はそんなに簡単に区分けが出来るもんじゃなくてさ、色んな要素が混ざってるんだよね。マテリアル寄りの性愛フェティストもいれば性愛寄りのマテリアルフェティストもいるじゃん?性愛よりのマテリアルフェティストって意味だとあれだよね、女性のケツを連想させるなにかとかさ、おっぱいっぽい感触がするなにかとかね、抽象的な対象としての女性ってのが介在してるんだけど興奮している対象としてはその女性を象徴しているオブジェってことになるんだよね。


で、森岡正博の場合、ある意味でまぁ健全な性愛フェティストってことになるよね。マテリアルフェティストっぽい感じで主無きオブジェクトそのものに欲情したりもするんだけど、それはどちらかと言えば条件的なもんでさ、あくまで根底は性愛的なもんだよね。制服に欲情するみたいなのもまぁこういう性愛タイプのマテリアルフェティストだよね。禁じられているからこそのエロスなのだ!みたいなのはある意味で健全だわな。そりゃむしろ誰にでもあるでしょっていう。例えばルーズソックスフェチにしてもそれは高校生を体現してたものがルーズソックスだったわけで、今は紺ニーソックスフェチってのがいるじゃない?ルーズフェチってのはあんま聞かなくなったよね。それは恐らく大半が性愛寄りのマテリアルフェティストだったからだろうね。女子高生を体現する何か?っていうシンボルが変わるとフェチの対象も変わるわけでマテリアルそのものにフェチズムは感じてないんだよね。


でもルーズフェチとかの場合、例えば夏場は蒸れるみたいなさ、まぁこれはブーツフェチもそうだけど、そういう恥ずかしい要素ってのに興奮してるやつらもいるじゃん?それがあるから興奮できるんだみたいな。これは逆に子供は求めないよね。子供が下着を盗むってことがあっても、ここまでディープな興奮の仕方はしないっつーか興奮のレベルが高いんだよね。所謂、子供のセクシャルな段階ではまだ無理ってレベルね。まぁいるのかもしれないけど。んじゃあ蒸れてればなんでもいいのか?っていうとそうじゃなくてさ、ルーズフェチの場合、ルーズで蒸れてないとダメでブーツフェチ然りだよね。そういう意味だとマテリアル的な要素が付随してるんだけど、でもこういうフェティストは主無し臭気無しには全く興奮しないはずだよね。まぁ道具だけ揃えて想像して興奮するなら別だけど、この場合は想像によって足りないものを補ってるって意味で体系としては主有り臭気有りなんだよね。


ただ純粋にラテックス系の匂いに興奮するとかね、そういうレベルになるとマテリアル度が高くなるんだよね。全身タイツフェチなんかは性愛的だけどマテリアル的だよね。で、俺の定義での性愛ではないね。全身タイツは。だって全身タイツって要素に男でも女でもそこから連想される性の対象の何か?ってのが無いじゃん?タイツの感覚が何かを連想させてエロいとかじゃなくて純粋にそのエロさに興奮してるわけでさ、これもまたまぁ体系的だよね。それこそ差異の体系そのものだわ。主体にとっては全くエロスを感じないものだし、タイツって意味はタイツでそれ以上でも以下でもないけど、そこからエロスってシニフィエが生まれてくる場合もあるわけだよね。


フェチって多様性あるけど分析してみると当然系統があって、んで俺が今日書いたみたいな性愛値/マテリアル値みたいなのがあるんだよね。あとはまぁフェチをトリガーする要素だよね。フェチっつーかまぁ性的興奮全般か。羞恥系だの臭気系だのなんだのってでも臭気系にしても羞恥的な要素も大いに入ってるよねっつーのがさっき書いた「可愛い顔してこんなに臭いなんて!」ってギャップに興奮するみたいなことだよね。マテリアルはどうでもよくてその羞恥の部分だけに興奮するやつがいたとすればそいつにとって主の羞恥を感じさせてくれる何かだったら何でもいいわけでもろに性愛系だよね。性愛値が高いっつーかむしろこれの場合、フェティシズムとしてカテゴライズするのが妥当じゃないよね。そうなんだよなー。世の中一般でフェチって言われてるものでも分からないんだよね。


所謂、フェチってまぁマルクスが言ってたような物神化じゃん?まぁ性的なタームで言えばそのマテリアルに性的興奮を感じるってことだよね。でもそのマテリアルが媒介となった羞恥による性的興奮だとそれはフェチに見えて実はフェチじゃないんだよね。むしろ羞恥フェチっつーか羞恥マニアだよね。自分が好きな女性っつーか犯したいと思うような性愛の対象になる女性の恥ずかしいところを何らかの方法で感じるのに興奮するっていう。この場合、全然フェチじゃないよな。そう思うとさっき書いた女子高生が象徴化された昔で言えばルーズソックスなり今で言えば紺のニーソックスにしても間接的に女子高生っつーシンボルを感じるための道具としてのマテリアルなわけで純粋にソックスフェチってわけではないよね。だからOLが紺のニーソックス履いてても興奮しないみたいな。ローファーと制服とのセットで成り立ってないといけないってことになると紺のニーソックスっていう部分だけで体系が生まれてるよね。ダイナミズムね。


どうでもいいけど俺ってさ、構造的に考えるよね。いつも。だから構造主義とかってしっくりくるんだよね。影響受けたとかじゃなくて俺の思考に合うって感じ?まぁ構造主義ってんでもあれって「そうである」って言うなら完全にそうだって言えるぐらいの裏付けが無いと成立しないから解釈とかによって構造的に見えることでも実は違ったりすることもあるわけだよね。ようはそれは構造的に考えているやつの主観による分析なわけで、物事それ自体は別に構造的じゃないってこともあるわけじゃん?ブルバキのメンバーだったヴェイユがさ、ストロースの親族構造の仕事を数学的に分析してんでそれが数学的構造の一つである群構造の形で表現できるみたいな事実を提示したみたいなね、こういう対応が無いとそれは完全に構造とは言えないよね。


まぁ別に今数学やってるからっつって数学主義みたいになるわけじゃないんだけど、んでも結局、裏付けって特にまぁデータ的な場合は数字で取るしかないよね。ようは誰かが言う「構造である」っていう構造が何らかの別の数学的構造に対応していればそれを構造と看做すことが出来るってことだよね。で、俺の言うっつーか考える構造は「構造的」なんであって実際の構造であるかは問題じゃないんだよね。構造的に考えるっつー一種のパラダイムっつーか思考のメソッドみたいなもんでさ、厳密さとかに関して言えばまた別問題だよね。まぁ別に俺はフェチ指数みたいなのを数字で表そうとは思わないけど、んでもまぁ分析してね、んで全体を俯瞰して数字を割り当てればフェチの構造モデルみたいなのが出来上がると思ってるけどただまぁ面倒なんでやろうと思わないね。


まぁ俺が何を言いたいか?っていうとフェチってそんだけ構造的ってことなんだよね。恣意的に何かに興奮したりしてるんじゃなくてシステマティックなダイナミズムが背後にあるんだよね。リビドーのメカニズムみたいなのが。で、これって俺が思うにね、普通のフェチとかだけでやってるとまぁ好事家的なまぁサブカル的な仕事になるけど、ペドフィリアとかね、そのフェチなり嗜好性みたいなのが犯罪と重なってしまうような人達を対象にすればかなり役に立つ分析になると思うんだよね。で、そこから原因とかさ、ようはメカニズムを解明できれば少なくともリビドーのダイナミズムは分かるわけでちょっとは理解できるしまぁ法的な観点からの回避とかも可能になるじゃん?


所謂、異常者だっつってどっかに放り込むよりかは全然いいよね。もしその中でロリコン趣味なりショタ趣味のコミックとかね、リアルでもイメージビデオみたいなのがそのリビドー解消に役に立ってるなら当然そういうものは規制するべきじゃないじゃん?でもけしからん!っつってふつーの観点にしか立てない人達は批判するわけだけどさ、そこでまぁシステマティックに「完全に彼らのリビドー解消にワークしてます」って言えたらもう何も言えなくなるよね。だからそこはドクサじゃなくて事実が必要で、んで俺が思うに構造っていう俯瞰図が分かると分析しやすいってことになるんだよね。それが人間である以上絶対類型ってのはあるはずだし、逆に固有性があるフェチとか嗜好性なんて無いわけよ。絶対似たような傾向性ってのが民族とか国関係無くあるわけで。


そういう意味でまぁフーコー的だよね。そういうのをクレイジーだとかって看做してどっかに送り込むんじゃなくて社会的に包摂しようって考え方だもんね。狂気ってのは社会イメージとか偏見によって作られてきた要素が大きいけど変態とかも同じだと思うんだよね。実際はなんてことない普通のやつなら持ってそうなものがちょっと違う形で顕在化してるとかさ、それがちょっと違う形でリビドーに結びついちゃってるんで変な行為に出ちゃうとかさ、そういう差なんであってまぁ性欲って意味だとまぁ正常じゃん?ようはその体系の違いなわけでさ、だからまぁ俺が何回も言及してるようにフェチって差異の体系なのよ。


まぁ性自体がそうなのかな。あとはまぁエロスとかね。ロリコンとかを変態というのは容易いことだけど、その背後にあるダイナミズムを理解しないとダメだよね。そういう人間達がどこの国にも一定の数いる以上、それはリビドーの形の類型として看做されなきゃいけないわけで、排除の対象になっちゃいけないわけね。ゲイとかレズってそうじゃん?排除の対象だったけどまぁそういう差別は無くそうっていう。ロリコンとか他の変態趣味全般も同じだと思うんだよね。それはゲイが変態というわけではなくて、ゲイというのもヘテロとは違った性の体系で動いているリビドーのシステムってことで違いはその体系なわけでその体系の違いを根拠に排除なんてとんでもないことなんだよね。だからアイデアとしては人種差別とかと変わらないわけ。肌の色が違うってだけで差別されるなんておかしいじゃん?それは性然りなんだよね。ゲイだからとかロリコンだからとか女装趣味があるからとかそういう理由で排除されるのはおかしい。まぁ理解しなくてもいいけど排除はいけないっつー前提でやってかなきゃいけないよね。


で、その理解の一翼を担うものとして構造的な分析ってのがあれば社会的に使える分析ツールになるんじゃないか?ってことだよね。俺が言いたいのは。で、それはまぁ恐らく大半において同性愛とかと同じで病理じゃなくて違いなんだよね。ヘテロをマジョリティとして考えたときのマイノリティってことね。他の所謂性倒錯全般もまぁ一緒だってことが言いたいわけ。ゲイが性倒錯じゃないなら他の性倒錯と言われているものも性倒錯ではないよね。それは違う形なんであって異常ではない。むしろそれが隠されてることでアンダーグラウンドマーケットの存在を許してしまっている一因にもなってるかもしれないわけでさ、まぁ明るみに出すっつーかまぁ理解したほうがいいよね。


で、包摂するのが一番いいし手っ取り早い。マジョリティルールっつーかマジョリティ基準って性においては顕著だよね。それがマイノリティの抑圧を生み出してるのは明らかなわけでさ、そういう意味だと変態大国の日本っていいんだよね。色んな変態の系譜がAVとかのジャンル見てれば分かるじゃん?全部が全部に対応してるかはともかくとして、所謂、マニアモノみたいなのもリリースされてるってことは一定の数の愛好家がいるってことなわけで、むしろマイノリティとしては安心だよね。「俺だけじゃないんだ!」っていうまぁ安心感みたいなのはあるんじゃないのかな?前にも書いたけどネットがメジャーな情報流通媒体になったことで性的マイノリティが自分達の性的アイデンティティを満たせるようになったって絶対あるよね。グループコミュニティで画像とか動画共有したりさ、まぁイリーガルなのは無しだけど、そう思うとネットが性に対して成したことって大きいよね。性的には相当まぁ健全だよね。ネットってエロが渦巻いてるようなイメージがあるけど実際はそれが人間の精神の投影なんだよっていうね。


イリーガル問題に関してはまぁまだ分からんな。ペドフィリアとかネクロフィリアみたいなのをどう社会的に包摂していくのか?ってのはさっぱり分からん。まぁアニメとか映画とかによって彼らの性的欲求が満たせているならそういうのは作り続けるべきだし、それこそヴァーチャルリアリティっつーかCGみたいなのでポルノ制作が可能ならやるべきだよね。で、ここでよくあるのがさ、そういうのがあるからリアル世界で実行するやつらが出てくるんだって言うけど大半はそういうのがあるから抑えられてると思うんだよね。だから性的には健全なわけだ。まぁ健全に見えないかもしれないけど。まぁただ屍姦してるポルノとかあったらちょっと微妙ではあるよね。でもそんなの作れるじゃん?実質的に。俺って前から思ってたけどさ、まぁ俺だけじゃないだろうけど、例えばFFとかのすげーCGあるじゃん?あのまま映画作れそうなっつーかまぁ作れてるけどね。


あれであのままポルノ作ったら凄いことになるじゃんね?まぁ既存のキャラクターとかを使うのは著作権云々でダメだろうけどまぁプロダクションとかのレベルじゃなくて個人レベルで作れるようになるよねっつーかすでに3D系みたいなジャンルはあるけどさ、同人系でFFのユフィが犯されてるやつを見た事あるけどあれは凄いなって思ったね。まさしく俺が言ってた個人で作るCGによるポルノだなっていう。ああいう路線でロリコンとかネクロフィリアとかショタコンのやつ作ったらダメなのか?ってダメじゃないよね。まぁショタで言えばぼくのピコみたいなやつがあるけどさ、でもあれもまぁアニメだから許されてるみたいなところがあるじゃん?リアルなCGで作られたら倫理問題とかになりかねないわけでさ、ようは問題がリアリティになるんだよね。リアルになればなるほどヤヴァイって騒ぎだすのがいるっていうのがよくこの事柄を顕著に表しててさ、元々そういう性癖の連中は全くリアルじゃないところからリアルを頭の中で作り出してんでそれでマスかいてるわけじゃん?


彼らの頭の中では全てがリアルだよね。んでもそれが分からない人達にとってはさ、「あんなので抜くなんて変態だ」みたいな考えしか浮かばないんだけど、その例の「あんなの」ってのがリアル化するとそれはマジっぽく見えるんで分からない人達が「これはダメだろ!」って言い出すんだよね。でも実際、頭の中でリアルを作り出している人達にとってはさ、物理的な情報量っつーか情報の質という名のリアリティなんてどうでもいいんだよね。頭の中にリアルがあってそれをいかにprovokeするか?ってのがポルノの狙いじゃん?だから児童ポルノレベルのCGによるポルノが出来ても実際はリアルになれば児童ポルノに値するアニメとかマンガとまぁ同じなんだよね。言ってる意味分かるでしょ?質とかリアリティみたいな問題なんであってね、見た目がリアルだとかリアルじゃないとかってのは実質的に関係無いってことね。それは利用者にとって関係のある話で利用者以外には関係が無い話だよね。だからどんだけリアルな児童ポルノCGが出来たとしてもそれは実質的に本物じゃないって意味で問題ないわけね。だってすでにロリマンガとかあるわけでさ、あとはもう技術の問題じゃん?それがアニメ化されるのかCG化されるのか?っていう写像のレベルの話なんであってね、その存在自体は変わらないんだよね。


んじゃあネクロフィリアはどうか?ってまぁこれもありだよね。ネクロマンティックみたいな映画はあるしウジガワイタみたいなマンガもあるしさ、それがどんだけリアルに再現されようとも本物じゃないんだからいいんだよね。むしろ本物じゃないからいいわけで。そんなのがあったら子供に悪影響だとかっていう意見ももう遅いよね。まぁそりゃーparents controlをするしかないだろーって話だし、まぁあえて子供がフルCGによる屍姦をあえて見ようとするとも思えないし、まぁ屍姦じゃないにしろショッキングな映像なんていくらでもあるわけでさ、だからまぁ性が介在するってことで物事が大きくなってタブー視されるのはおかしいってことだよね。


イデアの世界ではanything goesでいいんじゃないかというのがまぁ俺の意見だね。顕在化ってのはすでにイデアでリアル化しているという意味で例えばヘアスタイルを変えてみたって人がいてさ、んで「変だな」って思ったらもうそれは辺変だって自分が思ってるってことじゃん?サイコロジーのタームで言うmanifestationってことね。顕在化が直訳だと思うけど。で、マフィフェストされたものって規制のしようがないじゃん?変だなって思っても「いいんじゃない」って言うのがまぁマナーっつかさ、まぁ変なら変だって言ってあげるのが本当の友達だみたいな言い方もあると思うけど、まぁそれはともかく「変だな」って感じだことに関してはもうそれが言葉として出なくてもマインドにおいてはそれはリアルに実在するものでしょ?イデアが実在するっていう主観レベルでのオントロジーの話をしてるんだけどね。


で、リビドーも同じでそれにリビドー感じたら同じなわけ。今日も電車ですんげー可愛い子っつーかまぁ人っつーかまぁ年齢的に20代後半ぐらいの綺麗な人がいたんだけど「犯されてぇ!」って思うわけじゃん?俺は。瞬発的に。これは規制できないよね。だってイデアで顕在化しているアイデアそのものじゃん?でも実際は声をかけないし犯されもしないよね。だからその欲求を満たすために帰ってからその人をオカズにオナニーするわけじゃん?まぁ本当のこと言ってもしょうがないんだけど、まぁ俺はこの人で抜いてないけどね。まぁでもその性的ファンタジーを実現するにはオナニーしかないでしょっていう。


で、仮に俺が100年ぐらい先の技術持っててさ、俺の妄想が全て映像化できるみたいなメンタルプロジェクションのソフトとかあったらさ、それを使って妄想を投影するのって別にいいじゃん?まぁ妄想がネットで出回るとかね、デジタルデータレベルでの存在が可能になるっつーとまぁまた面白い話になるけどまぁそれはともかくとしてロリコンとかショタコンとかまぁ児童ポルノも一緒だと思うんだよね。ロリコンのやつは頭の中でヤッてるわけじゃん?それってさっきで言う俺が見た電車で見た綺麗な人に俺が犯されるっつーことを妄想してオナニーするっていうのと一緒だよね?これって規制できないでしょっつーか規制なんてするべきじゃないじゃん?


スピノザが言ってたさ、その人が実際にどう思うか?ってことまでは国家はコントロールできないって言ってたまさしくそれだよね。性欲然りなのよ。それがどういう形であれ法を犯さない形でリビドーが解消できるのであればその方法はあったほうがいい。児童ポルノがなんでいけないか?って被害者がいるからじゃん?でもまぁお稚児さんとかまぁ歴史を紐解けばペドフィリア全般がまぁそこまで別に異常なもんでもなかったっつーのは分かることなんだけど、まぁただ近代社会では禁止されてなきゃいけないことだよね。でもそういう性的嗜好を持った人はいるわけでさ、だからそういう人達が実際に手を下す事無く自分の手でイケるっつー方法があればそれが一番いいってことだしなんで規制されなきゃいけないの?って話じゃん?そこまでいくと人権侵害だよね。そういう人達がネタの行き詰まりに困るということを国家が強制するなんておかしいよね。


まぁようは何が言いたいのか?っていうとオカズってのはイデアの投影なんであってそこでのリアリティとか内容ってのは利用者によって判断されるわけで関係無い人達にとっては関係無いってことなのね。関係無い人達にとっては他人のズリネタなわけで全然関係無い。で、オカズという名のイデアの投影を作るにあたって実際の子供を使うとか人を殺すみたいなことが無い限りanything goesなのよ。求める人がいればそういうニーズにあったものを作るのが健全なことだし、個人個人が作れるようになったら個人個人がイデアの投影であるオカズを作ればいいわけ。社会的に何の問題もないよね。


ペドフィリアがいけない!みたいなのって最悪の人権侵害なんだよね。それは彼らのリビドーの否定なわけでそれはイコールペドフィリアなら去勢しろ!って言ってるようなもんでしょ?だったら本物の児童ポルノの代用品みたいになるのがあったらそれはそれでいいじゃん!って話になるわけね。だってリアル社会でAVが規制されたら最悪じゃん?みんな昔の人みたいに妄想で抜かなきゃいけなくなる。まぁ俺は想像力があるから妄想のほうが多いけどね。想像でオナニーするって苫米地さんが言ってるようなマインドエンジニアリングに近いんだよね。変性意識化で六本木ヒルズを想像してそれをグニャリ!って曲げるとかさ、六本木ヒルズに行ってみて場所とか覚えてんで後で家に帰って想像でその作りを再現して自分で歩いてみるみたいなさ、男がオナニーでやってることと一緒だよね?「人間のホメオスタシスは情報空間に繋がっている」との言葉通り、妄想もまた仮想世界の一つなんであってさ、それによって勃起して射精するって仮想世界とのホメオスタシス同調によるバイオフィードバックじゃん?まぁチンチンを擦るっていう物理刺激に関しては手とかテンガでやるとしても情報としては妄想なんだったら仮想世界とコネクトしてるってことだもんね。


ようはこれなのよ。ペドフィリアの頭の中ではそれはもう具現化しているのでそれ自体がいけないことだ!って言ったってダメなのね。むしろ本人達が手を下さないであらゆる手段を尽くして彼らの性欲を満たしているってことをむしろ賞賛しないといけないぐらいなわけで。そんな彼らの労いにコントリビュートするロリコン漫画とかフルCGのロリコンポルノとかあったっていいでしょって話なんだよね。まぁマインドエンジニアリングと言う意味で言えば妄想でやってたほうが頭が鍛えられるんだろうけど、まぁそれに関してはいいか。


長くなったけどまぁこんなところかな。そいつを殺したい!って思う事と実行することは違うでしょ?あいつ殺したい!って思う事はいけないか?っていうとそうじゃなくてまぁ誰かに殺意を覚えるなんて誰でもあるわけでさ、殺意ってまぁ精神における感情の顕在化の形でしょ?リビドー然りだよね。だから仮に殺したい!って思ったやつがね、そいつの名前と写真を貼った人形を殴り倒したり刺したりして殺意を解消するってのはむしろ殺意っつーものを解消する方法としていいじゃん?まぁそのやり方が本質的に良いかはともかくとして、実際、人殺しを行ってないわけだからいいじゃん?で、まぁポルノ然りってことなのね。解消の方法なんて個人的なことなんで踏み込むことではないし規制することでもない。解消の方法そのものがその人をよりリアルな殺人に追い立てるか?っていうと恐らく大半はそうじゃないでしょ?むしろそれでスッキリするわけで。ポルノだってスッキリするわけじゃん?リビドーとか殺意とかストレスって厄介だけど解消しなきゃいけないものとしてむしろ解消の方法には多様性があるべきだし規制なんてあるべきじゃないのね。解消の方法そのものが人格に影響を及ぼすなんてことは恐らく無いわけで。


綺麗ごとを言えば殺意とかが一切無い社会が一番いいんだけどそんな社会無理じゃん?殺意を覚えるぐらいの嫌なやつとかありえないやつっていっぱいいるわけで。性欲然りね。無くそう!っつってもあるもんはしょうがないよね。それがどんな形であれ。イデアを実在と捉えるって結構重要なパラダイムなのよ。所詮は観念されど観念だからね。それが仮想世界を形成している以上、それは脳とコネクトしている世界なわけで、その世界を形成している主体にとってそれは「ある」ものだよね。それは物理的な実在ではなくイデア的な実在ね。いつも書くけど数学ってイデア的な実在の学問だからね。


ってことで今日はこの辺で。