ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

リーマン予想と万物について。

mimisemi2010-02-07

リーマンのゼロ点みたいなのが原子核の振る舞いにそっくりだっつーのはつまりは素数ってのが原子核的な振る舞いを数学的宇宙でしてるってことだよね?で、物理学的っていうか幾何学的に言えばそれってのは非連続的なんだよね。確か。小さなつなぎ目みたいなのがあるっていうね。素数原子核として考えた時にんじゃあなんで素数のパターンが分かれば万物の事が分かるみたいな意見論的な飛躍みたいなのが見られるのか?っていうとそれはつまりは原子核の振る舞いにパターンを見いだすってことなわけでさ、本来、不可知的であったものに対してパターンなりなんなりを見いだすってことじゃん?流体空間内での非連続的なつなぎ目同士の繋がり合いが現象だってことだよね。これってこないだ書いた福岡さんの動的平衡と似てるよね。多分、万物のあり方みたいなのはあり方の大きな枠組みみたいなのがあってさ、それは大枠でも小さい枠でも変わらないってことだよね。まぁ色んな分野について学識が無い俺が言ってもなんの説得力も無いんだけど。


例えばんでもリーマン点みたいなのを特異点として考えた時にさ、特異点ってある性質が保たれなくなるっていうもんなんでしょ?あ、んで全然素人考えでやるから理論的な整合性とか正しさとか一切気にしないでねっつーか相当適当にやるけどさ、孤立点の個数そのものを空間に存在する原子核の数と規定して、その位相不変量そのものが現象というか「ある」っていうことだっていうね。で、位相空間XとYは位相同型っつーのがね、つまりはXとYってのが時間の流れみたいな感じなんじゃないのかな?1秒後の俺が俺であるのはXという自分の今の孤立点の位相が1秒後のYという空間に写像できてるからでしょ?多分。だから流体空間における非連続性の繋がりというのが原子核同士の繋がりという現象になるってことなわけで。だから空間っつーかこの世っていうとあれだけど、宇宙ってのは完全集合じゃないんだよねっつーのが孤立点の位相によって現象されているものが宇宙そのもであり現象そのものであるからってことだよね。


その振る舞いのパターンが数学宇宙ではリーマン点っつーかリーマン仮説で物理世界では原子核の振る舞いってことになるんだよね。だから両者が繋がるわけだっつーか同じなわけだね。リーマン点を何かがプロジェクトされる一種の壁のようなものと想定した時に光っつー粒子がリーマン点の壁によって写像されるってのが目に見える現象なんだよね。つまりは空間というか物理現象そのものがリーマン点における写像と位相ってことなわけだ。ようはリーマン点のまっすぐな線をプロジェクターとして考えるのね。で、映り方そのものが現象だっていう。で、動きというのは時間軸におけるXっつー今から一歩先の未来であるYに写像されているということで現象しているってことね。それが現象するということそのものだっていう。


で、それは孤立点だけから成るものなので宇宙とは離散集合であるってことが言えるわけねってまぁ全部思いつきだけどね。現象が不連続な点の写像だってのはなかなか面白いアイデアだと思うんだよね。その写像は時間というものによって常に行われているものでまぁ現象とはようはリアルタイムの写像っていうことだよね。ただ過去から写像された現在の点がまるで映画のようにただ単にプロジェクトされているものだとしたら矛盾が起こるじゃん?もしくはまぁこういう考え方が面白いかもねっつーのがまぁアカシックレコードっつータイトルの映画の上映が現世だみたいなさ、まぁそれにしても写像されたものも現象しているから変化が起こるんだよね。で、その変化がさらに次に写像されて・・・っていうのが現象を規定しているわけ。これで言うと個々の原子核はただの点というはブンブンしている玉みたいなもんなわけで、それが空間に支配されていないというのがよく分かるね。ようは時間とかがあくまで相対的な代物に過ぎないということがよく分かる。


光の速度で移動すると時間が短くなるっていうのはつまりは写像される点から点への移動の際にも空間がその写像の光と同じかもっと早い速度で動いているということで常にその写像が次のYという次元の点に追いつかないというパラドックスが生じることになるんだよね。だからタイムパラドックスっつーかタイムスリップみたいな話が出てくるわけだ。双子パラドックスとかも写像写像される側の時間軸という名の空間の距離が縮まるからそこに写像の結果としての物理的な「遅れ」が生じるわけだね。光の速度で何かが動くと確か現象が縮んだように見えるんだっけ?それってのもようは写像が遅れてるっつーか間に合ってないからだよね。だから写像されてる点側から見るとリアルタイムで写像されている空間同士から見える違いとしての距離が生まれるわけだ。それが物理的には縮んだように見えるということになるわけだね。ドップラー効果とかもそうだよね。あれも空間の遅れによって出てくる物理現象なわけで。ようはそれが写像されている点から音として聞こえたときの変化というのがドップラー効果というわけだよね。そんな意味で音もまた点ってわけだよね。確かそうだったよね?ドップラー効果って。


動画の配信でさ、変化の情報量を減らすために動いてないところの動いていない情報はそのままにしておいて動いているところだけの部分の情報を送るということで現象を見せるということによってデータ量の圧縮っつーかデータ量を相対的に減らすっつーのもさ、まさしくこの概念って「ストリーム」じゃん?で、現象そのものがつまりはこうなんだよね。Xという現在と次のYっつーのに常にストリームされている状態というのが現象そのものってことなわけね。


で、最後にまぁ宗教的な解釈を加えるとこの写されている現象そのものが神だとかさ、アカシックレコードっつー記録のリアルタイム上映が現象そのものっつーのもその上映を神が見てるとかね、これはまぁ神様が上から見てるっていうタイプの神だけどさ、現象そのものが如来であるっつーナーガールジュナの仏陀の解釈もまたストリーム的だよね。それが仏陀とか如来っつー現象なのか神が見ている夢なのかなんなのか、とにかくその性質が写像的である限りにおいてはその存在規定が空っぽくなるのも頷けるよね。なにしろそれって実体が無いじゃん?何かの縁起によって起こされている縁起の連続ってのの所産が宇宙っていうストリームなわけだよね。何かが映っているっていうことに意味って無いじゃん?だから現象そのものにも意味なんて無いんだよね。ただその意味論を現象側から決めていくのがまぁ人生論だったり意味論だったりするわけで。


考えっつーかイデアが過去の考えの連続体であるってのは去年の夏頃に書いたと思うけど、今日のやつはそれの物理空間版って感じだね。まぁそれは連続体という意味ではなくて写像されるストリームってことね。メンタルもまたストリームだよね。だから恐らく物理的な規定が出来ないわけだよね。全てが脳にあるとか海馬にあるとかってことじゃないからイデアっつー主観の世界像が個々に形成されるわけで、だからその主観が見る情報というのも物理空間におけるストリームっつー情報なんだよね。


主観無しには何も知覚出来ないってわけでさ、まぁこれってまぁカントのコペ転的でしょ?認識というのも物の経験であるみたいなね、で、純粋悟性概念っていう絶対的な悟性を持った概念ってのがまぁ神なわけだよね。何しろ因果性とか全部理解してるってことなわけで、まぁ超越的な存在っつーか概念だよね。でもこれが物自体であるというのがつまりは現象そのものがそれであるってことで現象そのものが神であるとか如来であるっつー発想にも結びつくよね。スピノザの汎神論とも繋がるしっつーか神の思念ってのが現象という表れであるっていうことね。ただ振る舞いのパターンは分からないっていう。ただそのプロジェクトされるものを構成している原子核の振る舞いがリーマンゼロ点っつーか素数の振る舞いと似ているってことで素数のパターンが分かれば原子核の現象のパターンも分かるかもしれないみたいな話になるわけよね。


で、まぁまとめるとリーマン点というかプロジェクトされるスクリーンってのが神なんだよね。それは常に一直線なんだよね。まぁ壁だよね。現象というのはそこに写される孤立点であるってことだね。んじゃあそのプロジェクターで言えば元のプロジェクトされる光みたいなのがどこから来てるのか?ってのがまぁ創世記に繋がるっつーかまぁ今の所まぁそれはビッグバンってことになってるわけじゃん?聖書で言うとなんだっけ?


まず「光あれ」と神が言ったみたいなので始まるじゃん?それがなにか?っていうとようはプロジェクターのオンスイッチじゃん?それって。神が光りあれって言うのがようはプロジェクターをオンにするっていう動作だよね。ただまぁ最初に玉突きをしたような神がいないっつーのは不完全性定理とかを見れば証明されてるように見えるけどまぁプロジェクターのスイッチをオンにした何か?ってのの存在は分からないよね。別にそいつは全能でもなんでもなくてただそれをオンにしてみただけってことなわけで。その光に写される人間ってのを神に似せて作ったっつーさ、ものの形を写し取られた形ってのが人間だみたいなね、これもまぁプロジェクター発想だよね。まぁ本当かどうかはともかくとしてね。


人間ってのは神のミメーシスでその多様性もまた写像された対象の存在論的位相ってことだよね。それがポイエーシスとの深い関わりがあるというのも、そのミメーシスがポイエーシスするわけじゃん?半ば自己生成的にね。まぁ万物が写像なんであれば別に人間っつー存在に限った事じゃないんだけどさ、まぁでも基本はミメーシスによるオートポイエーシスだよね。それが現象の変化をもたらすわけだ。宇宙を作り出すポイエーシスってのが個々の原子核からなる物自体という小宇宙になるってことだよね。になるっつーか「からなる」って書いたほうがいいか。そうなると現象ってのは神の作品ってことになるよね。まぁちょっとそれはポエティック過ぎるとは思うけどね。


まぁそんな感じで今日はこの辺で。


最近聞いた中でベスト。俺が音楽を作るっつー意味を完全に失うような音だね。いつも言うようにノイズでは鳥取のELMAがいるんで俺はやる必要なくて、フィールドとかドローン系においてもニールセンみたいなのがいるんで全然俺の意味が無いんだよね。ここまでクオリティ高いの作れないし。悲しいね。でもまぁ才能の無さを認めるっつーのもまぁ一種の才能だからね。相対的に自分の力が分かってそれを諦めるって必要じゃん?まぁそれでも好きで作るものは作るけどね、ただまぁ自己主張は無くなるよねっつーのがまぁ出したい音としては理想的な形としてこういうのがあるからね。