先生とのプロジェクトについて。

mimisemi2010-02-13

先生とのプロジェクトなんだけど、S-STEMだったか、研究用のお金が出るやつは市民かグリーンカード保持者じゃないとアプライできないってことでダメになったんだよね。まぁずいぶんと気前がいいなとは思ってたけどやっぱ外人に金は払わないか。で、まぁ他にもグランツが得られるところがあれば探してみようって話にはなってるんだけど、ようは数学って科学とかと違って研究費っていらないからさ、それこそよく言われるようにペンと紙があれば出来るってわけでさ、だからまぁ先生が言うにはまぁ特別ななんたらプロジェクトみたいなのに応募しなくてもまぁ勝手にやればいいってことだったのね。


ようは俺が独立した態度を取ってるからね、ようはまぁ普段から勝手にやってるじゃん?で、先生もそれを高く評価してくれてたからさ、だからまぁどうせ俺は放っておけばなんかやるだろうってことで先生がスーパーバイザーみたいな感じになって俺がまぁ何かの研究やって論文書いてんで出来上がったものをなんたらっていうアメリカの数学発表会みたいなのに提出してんで認められれば会場でプレゼンやるか自分の研究結果をポスターっつーかまぁ美術で言う展示みたいな形で貼るみたいなね、まぁそんなんでもいいんじゃないかってことでまぁやることになったのね。


まぁこれってようは大学院とかでやる論文提出と同じ形だよね。監督の先生がいてんで俺が書くみたいな。これっていいよね。審査に通る通らないは別として論文書いて提出するっつープロセスを経験できるわけだから最高じゃん?でも全然先生にベネフィットが無いじゃん!とか思って聞いてみたのね。ボランティアじゃあるまいしさ、ようは俺みたいな素人の研究に付き合ってくれる理由が無いでしょ?まぁそんな直には聞いてないけどさ、そんなんでいいんですか?みたいなこと聞いたらようは先生としても俺が論文を書き上げて提出してそれが受理されれば先生の名前がスーパーバイザーとして出されるからまぁようは俺が論文を提出することでまぁ一応結果を出せるのと一緒で先生もそれが結果になるってことでまぁ集合論的に言えばお互いのベネギットがインターセクション上にあるってことなんだよね。


で、俺がCUNYにいる限りは先生となんか出来るらしいんだよね。先生は当然バイトとかじゃなくてCUNYのFacilityメンバーだからまぁ色々とまぁ将来的にまぁ機会はあるんじゃないかと。まぁ仮に俺が留学生でもね。ただまぁそれはまずは俺の最初の論文にかかってるんだよね。っつっても論文なんて書いた事ないしさ、いや、なんかいきなりだよね。将来的に数学で論文書いてそれで勝負するしか無い!とか言っててもう実現してんのか?ってまぁ素晴らしいことだけどさ、ただまぁundergraduate用のリサーチってことで別にそんなたいしたものは要求されないわけ。博士号とかなら別だけどようはただの大学生の研究プロジェクトだから敷居は低いのね。ただまぁそんな低いのは興味ないしやるつもりはないんだけど。


で、まぁこのためってわけじゃなかったんだけどちょうどね、チャイティンの「Thinking about godel and turing」っていうね、1970年から2007年の論文を集めた本があって多分和訳は無いと思うけど、これをまぁタイミングもいいし題材にしようと思ってさ、ようは俺がチャイティン読むのって趣味じゃん?で、それで論文書けるって趣味と実益じゃん?それこそ俺が望んでいたような。最高だよね。で、まぁ先生にはこの本を見せてさ、んでなんとなくまぁここから何かをピックアップしてやろうと思うんですが・・・ってことを言ったらまぁんじゃあそれでいこうみたいな話になってさ、んでまぁここ一週間ぐらいでまぁ具体的にどれをやるのか?ってのを決めなきゃいけないんだけどね、あまりに哲学的過ぎるとアレだから数学8割ぐらいの哲学的なやつがいいってことでまぁそれを選ぶんだけど、「Randomness and Mathematical proof」ってやつがまぁ良さそうだみたいなことになっててまぁこれやるかもしれん。ただやるっつってもどうもまだ研究のやり方が分からないんだよね。サマリー書くわけじゃないしさ、かといって別に俺が新しい理論を展開するわけでもないわけでさ、どうやっていいのか分からないんだけどその辺はまぁ自分でも探りつつ先生にも色々と聞けるからまぁいいよね。


ってことでまぁなんつーかオフィシャルな研究プロジェクトをやるってわけじゃないんだけど、まぁやってるつもりで論文書いてんでどっかに出そうっつーまぁデモテープ作りみたいな感じになるね。で、それは共同研究っつーよりかは俺研究なのね。先生と同レベルで研究するってことじゃなくて俺の研究を先生の監督の下で行うって感じか。まぁ十分プロジェクトだよね。ただconferenceとかで発表するとかになったら考えただけでパニック発作起こりそうだけどまぁそれは今は考えなくていいや。


あ、んでこのチャイティンの本なんだけどさ、メタマス!にも出てきたようにさ、「ideas→input→mind of god→output→the universe」ってのがあるじゃん?ようはユニバースってのが巨大な演算装置みたいな考え方ね。こないだ俺が書いた離散的な集合ってチャイティンからのパクりではなかったんだけど、チャイティンの場合、全てが離散的なソフトウェアって感じなんだよね。で、これをまぁdigital philosophyって呼んでるわけだけど、まぁなんかデジタル哲学って名前だけ聞くとうさんくさい科学者が大風呂敷を広げてるように見えるけどまぁ実際はライプニッツの考えが元になってるんだよね。チャイティンはビットって言うバイナリの単位を表す言葉をライプニッツにするべきだ!なんて言ってるぐらいまぁライプニッツを敬愛してるんだけどさ、同じ図式で数学の場合「axioms→program→computer→output→theorem」ってことらしいんだけどさっつーかまぁ簡単に言うとあれだね、公理があればその演算から定理が発見できるって話だよね。ヒルベルトだったっけ?忘れた。チューリングだったかまぁ思考実験があるよね。


全ては神の演算の結果って考え方はモナドに始まって予定調和に終わるライプニッツの思想そのものだよね。ライプニッツの予定調和ってのは「最善」みたいな概念を無くすといいね。離散的なモナドの集合体のリアルタイムな演算の所産が現象というかthe universeって言うのはさ、つまりは単子っつーか原子の集合体がユニバースってことじゃん?リアルタイムな処理というのはまぁライプニッツ風に言えば動力の移動によって構成要素が変わることで何かが現象するっつーまぁ物理学の基本みたいな話だよねってあんま物理学分からんけど、まぁこれって仏教の縁起とほぼ一緒なんじゃないか?って思うよね。縁起の縁のところの根本がつまりは移動ってことだよね。


動により何かが起こるってのが縁起だもんね。それがいたるところで現象しまくっているってのがユニバースってことだよね。っつーとなんだライプニッツの言う予定調和ってのは縁起のことなんじゃん!っていう。予定調和っつーと膳立てされてるイメージがあってさ、んでライプニッツはそんなことを考えてたのか!って考えるとたいした事ないやつだなって思うでしょ?俺は思ってたんだけどこれって全然俗流の解釈なんだなっていう。西洋的な形而上学から東洋的な実存主義に至ったみたいな話でしょ?モナドから予定調和って。それ一人でやったとかマジでありえねぇーよな。ライプニッツって多分色んなジャンルで見ても恐らく人類史上最強の頭脳だろうね。他にも凄い人いっぱいいるけど誰もライプニッツにはかなわないな。哲学で一位とか科学で一位とかじゃなくて総合一位だよね。


チャイティンが何かの講義でさ、アインシュタインがヒーロー化されるのは理解しやすいからだみたいなこと言ってたじゃん?高校数学で物理を説明してるんで誰にでも理解できるんでみんな「凄い!」って感じられるからヒーローになるっていう。でもライプニッツの場合、その凄さを理解するのにある程度の知能がいるんでヒーローになれないっていうね、チャイティンの世界観を表すような言葉だよね。まぁ別に変に謙虚である必要はないけど、なんつーか志村五郎とかとなんか似てる気がするな。頭が良いとか自分は違うんだってことを隠さないどころか言っちゃうみたいな。まぁただチャイティンにしても志村にしても実際凄いから批判できないんだよね。まぁ傲慢に見えるけど実際凄いんでまぁしょうがないかーっていう。だから両者とも決して人間として尊敬は出来ないんだよね。ただまぁ学問的な業績って意味だとその人の人間性とか関係無いわけでさ、だからまぁ両者とも数学者として凄いわけでさ、人間的に凄くなくてもまぁ別にそれはどうでもいい話だっていうね。


あ、んで論文なんだけどさ、まぁ論文っつーか俺が書く事になるのは解説論文っつーかまぁ大学生のレポートみたいなレベルのものなんだけどさ、論文とレポートの差がイマイチ分からんのよね。論文ってようはまだ誰も発表してないこととか知らないことってのをそれで説明するっていうものでしょ?で、レポートってその生徒の理解力を示す為のものじゃん?何々ついてっていうまぁ説明をするものっていうか。で、研究論文ってイマイチ分からないよね。Researchって言葉にもあるように再サーチじゃん?研究って。既存の事をやるって意味だと新しいこと無いもんね。そうなると執筆者の何たら論みたいになるじゃん?でもそれってファクトベースじゃないよね。モロにオピニオンベースじゃん?でもファクトベースだとただの既存のもののコピペになるわけでさ、なんかあんま意味ないよね。


まぁ意味があるものを書くぐらいのレベルってのが多分博士論文ぐらいなんだろうけどさ、論文って色々あるから分からないよね。既成事実への分析なのかさ、事実のコピペなのかさ、解説なのかただの主観なのかさ、そういう意味だと科学論文ってのがなんつーか一番合点が行くよね。実験結果とかさ、事実じゃん?こういうことがこういうことによって分かりましたって書くのって意味あるもんね。そう思うとさ、いつも思うのが哲学論文とかってマジで意味ないよね。そいつの哲学とか展開するもんなら多分受理されなかったりするだろうしさ、受理されそうなのって良く分析できて解説できてる論文ってことになるんだろうけどそれってファクトベースだからただの思想のコピペじゃん?哲学って自分でやるものだからさ、そう思うと哲学研究って成り立たないジャンルだよね。だからまぁ哲学って難しいのかな。全然仕事無いし研究とかもポストが少ないらしいからね。


そう思うと俺がいつも気になってるのが政治思想とかはどうなんだろうな?ってところだよね。まぁそんな多くは無さそうだよね。やっぱ政治学で研究所っつーとシンクタンクみたいなプラクティカルなイメージがあるよね。でも思想ってまぁイデオロギーだからさ、まぁそれがサイエンスに繋がるものもあるのかもしれないけど、んでもまぁ自分でやれば?っていう感じだよね。あえて誰かが金出してくれそうにないっつーかなんつーか。ましてや科学とかと違ってさ、例えばホッブズならホッブズ研究なんて散々やられてきたわけじゃん?あえて自分が参入して何かやるほどのものは残ってないっつーかさ、んでも数学でもまぁそうなんだろうなーとは思うよね。まぁ哲学とかよりかはマシにしても参入して何か発見するとかってレベルになるとまぁーなんつーか才能いるだろうね。


いや、俺がいいたいのはさ、商業としての研究ってのがさっぱり分からないんだよね。商業っつーかまぁ職業としての学問ってことね。金とか絡まなかったら全部自分でやってくださいっつー話になって研究って言葉が凄く個人的な行為ってことになって腑に落ちるんだけど、それを研究者とかいって金もらってやるってどういうことなんだろうな?っていうさ、現象を観察するようなさ、生物学とかね、天文学とかもそうなのかな。まぁ科学系だよね。そういうのはすげー分かるよね。まさしくなんつーか研究ってジェネラルなイメージに一番近い研究じゃん?ビーカーとかで溶液同士を混ぜて色が変わってるようなイメージね。


あれって未開拓の現象を実験してるってことで意義あると思うんだけどさ、まぁそういう意味だと数学もそれを数でやるって意味だと分かるんだけど、ただなんつーか概念的なものって研究っつー行為自体が掴み辛いよね。捉えどころが無いっつーか。それはまぁ歴史とかにしてもそうなのかな。経済学とかならなんつーかリアルタイムに更新されて行くものだから分かるんだけどさ、政治学もまぁ国際情勢とかさ、プラクティカルなものは分かるけど、政治思想とか政治思想史みたいな歴史学的なことの研究の意義ってイマイチ分からんよね。いや、個人が好きでやる分にはいいんだけど職業としてやることなのか?っていう。まぁ研究職ってあったほうがいいからさ、それはどんなジャンルでもあったほうがいいとは思うけど、なんか概念の研究ってイマイチ分からないね。概念とか事実の研究ね。


何にも新しいことを書いてないってのが自明で書く論文って虚しいよね。俺はコピペには興味ないからさ、それが必要でも本当に虚しいっつーかバカになったような気分になるよね。だからこそ一刻も早く自分の概念を利用して何かを書けるようにならないと永遠とナンセンスを続けるハメになるわけだ。既存のものでも自分というフィルターを通してそれを論ずることが出来るぐらいのレベルものが書ければいいけど、既成事実だけをただ並べたようなコピペ論文なんて絶対書きたくないよね。まぁ直接こんなことを言っているわけじゃないけど、まぁ遠回しに「既成事実のこと書いても意味無くないですか?」みたいなことは先生に聞いてるんだけどさ、先生はまぁ最初はデカイことをやろうと思わないで基礎的な簡単なことから始めようって言うんだけどさ、まぁそれは確かにそうだけどね、ただ俺としてはなんつーか新しいこと=野望じゃないんだよね。新しいこと=意味なんだよね。つまりは新しいこと=動機なわけ。だからデカイことやろうとしてるんじゃなくてやる価値がある研究をやりたいと思うわけね。価値とデカさって違うからね。


でもそう思うとさ、その辺にいるような先生でも大学院とか出てるわけじゃん?ってことは論文書いてるってことだよね?でもそれってどんな論文なんだろうな?まぁそりゃー色々あるだろうけどまぁ大半がコピペなんだろうな。だって大学院卒業した人全部が何かの発見してるわけないじゃん?なんかの既成事実の詳しい解説とかやって学位もらってるわけだよね。まぁ批判はしないけどさ、それってなんなんだろうな?って思うよね。「アメリカの大学院で成功する方法」みたいな本とかも読んでるんだけど読めば読むほど大学って場所の存在意義が分からなくなってくる。職を得る為にマゾキスティックなものに耐えるための場所としか思えないんだよね。まぁああいうマゾな場所でやっていくことでまぁ知識が増えるじゃん?一コマの学科につき研究書一冊とかふざけてるとしか思えないんだけどさ、でもまぁ知識は身に付くよね。ただああいうクラムな感じって本当に良くないと思うんだよね。「アメリカの大学院で成功する方法」にも書いてあるけどさ、ネイティヴでも無理な読書量が出るんで要点だけ読むようなスキミング的なスキルが必要になるとかさ、要約が書かれているものを参照するとかさ、量が凄過ぎるからショートカットを利用するしかなくなるってシステム的に崩壊してない?


じっくりやらなきゃ学問って意味ないと思うんだけどな。まぁそんな暇がないっつーのはあるにせよさ、物理的に無理な量をやるって結局駆け抜けるわけじゃん?世界の車窓からを早送りで見るみたいなもんだよね。風景を眺めて情緒を楽しむっつー目的の列車旅行があったとすれば、無理な量をやらされるってのはその景色をリニアモーターカーみたいなんで駆け抜けるみたいなもんだね。味わいも情緒もあったもんじゃない。で、ナンセンスな知恵比べみたいなソフィストリーが必要とされるディベートとかクラスディスカッションとかさ、無い時間を利用して無理矢理書く論文とかさ、そんなところから何が出てくるんだ?って話だよね。まぁ何が出てくるかはともかくとして、駆け抜けたら忘れる事も多いんじゃない?っていうさ、400冊の研究書を読むってさ、そんなの1年間で駆け抜けるようにやっても意味ないよね。大抵忘れるでしょ。サヴァンじゃあるまいし内容を全部理解して記憶できる人なんて滅多にいないだろう。


で、とりあえず駆け抜けてゴールすればオッケーってことでしょ?こうなると大学院もただの密度の高い学部ってことになるよね。なんかいいや。ダメだわ。大学は分からん。論文も分からんし大学っつーシステムが理解できない。それは俺が自分の学びたいことを自分で学べていて自己完結してしまっているからだから意味が分からないんだろうね。なんかさ、もう学校に二年以上もいるじゃない?で、数学に専攻変えたから卒業遅くなったけどさ、多分永遠に理解できないなって思うね。それはコミカレにいるから意味が見いだせないとかじゃなくてシステム自体が意味分からないってことなんだよね。本から一番学べるってやつは大抵こういう風に感じてるに違いないな。あ、んで俺の研究なんだけど、まぁ最初に書いたように先生がスーパーバイザーになって書くってことにはなってるけど最終的に書いたやつが受理されなかったりしなけりゃーまぁダメなんでまぁ分からないんだけどね、ただまぁとりあえずやるってことになったから。でもさ、なんかこっちのほうがいいなって思って。


研究費もらえないとなんかプロジェクト!って感じがしないけど研究費ってすげー微々たるもんだからね。で、別に数学やるのにまぁ少なくとも俺の場合研究費はいらないじゃん?で、期限とかもないからまぁいいんだよね。ホント、結果次第っつーか。書いたやつのクオリティが高ければそこからまた地平線が色々開けてくるって話で、まずは先生がスーパーバイザーになってくれたってことがまぁ金なんかよりも全然いいよね。それがフォーマルなさ、先生が先生としてやらなきゃいけないことっつーよりかはシステムと関係無いところで先生と個人的なやり取りの間で自己発生してるものっていう状態がいいね。結果はまぁシステムに受け入れられるようなものを出さなきゃいけないけどプロセスにおいては期限とか規定とかがないから自由だよね。


ってことでまぁそんな感じの報告でした。でもホントこれって俺の実力が試されてるってことだよね?本当にガチンコだな。まぁ望んでいたことだからいいんだけど。まぁあと先生に相当俺が買われてるってことだけど期待に答えないとダメだよね。そういうプレッシャーは逆に個人的に立ち上がっているプロジェクトだからこそあるね。良いプレッシャーだよね。自由だからダラダラ出来るってことじゃないところがまぁいいね。システム的な制約ではなくシステム的な良い意味での緊張感ってのは得られてるよね。なんかでも分かるなー。数学科とかで結果が出せないで自殺する人がいたりするっつーけどマジで真摯に数学と付き合っていったらそうなるわな。今は特に俺は知識が無いから数学っつーn次元のブラックホールに突っ込んで行くような感じだもんね。



これが本文で言及した研究素材ね。基礎もないやつがこんなのできるの?ってやるんだよ。興味があれば出来る。なので既存知識とか関係無い。