ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

涼宮ハルヒの永劫回帰。

mimisemi2010-02-15

ハルヒの新しいやつ見たんだけどさ、あれ凄いね。批判が多いのも頷ける。ありゃ「涼宮ハルヒ永劫回帰」だよな。ただあれを毎週放送するアニメとして実行するのはなかなか難しいよね。だから批判が多くなっちゃうっつーか「同じ」としか考えられないよね。あれはループする可能性世界なわけで、だから完全な同じループなのではなくて、事柄が毎回微妙に異なるわけじゃん?まぁそれは長門がいないと分からないわけだけど、まぁバイトがレジだったりする場合もあったわけでさ、それがまぁ同じ時間と同じく空間と同じ日時でも違う出来事が起こりうるってことを表してるわけだけど、あのゲンナリするぐらいのループ感ってのはね、完全に繋げないとダメね。だからあのエンドレスエイトってやつはオープニングは第二話の最初のみで、エンディングは話が解決する第九話のみっていうさ、テレビCMとかも一切無しでね、完全に途切れ無しに繋げないとダメだね。まぁだから合計4時間ぐらいになるのか。


結局まぁ同じ事を繰り返してるのが二話から九話なわけで、実質的に繰り返しを永遠と見させられるのがウォーホールのエンパイアステイトビルディングを写しただけの映画みたいなミニマル感が4時間は続くわけだよね。ノンストップで。つまりはあれはなんつーか当然1話完結の話じゃなくて全話で1話なわけだから全部繋げないとダメね。エンドレスエイト終わりの文化祭のやつは別個でもいいけど、エンドレスエイトは完全に繋げないと成り立たないと言っても過言じゃない。まぁそりゃテレビアニメっつー枠じゃ無理だけど。仮にケーブルみたいなので連続放送してもオープニングとエンディングとCMは入るわけで、あれを完全な作品として見るにはDVDとか買ってきて映像のデータを編集して繋げないとダメだね。そうすることで始めてあれを体感できるんじゃないかな?まぁやろうと思わないけど。


まぁ別にそういう風に想定して見ることも出来るけどさ、ただまぁ連続した永遠と続く4時間の作品として見ればありゃ凄いよ。凄まじい実験的哲学的アニメ作品になるわけだ。ようはこれは媒体っつーか細切れにして見るからただの繰り返しに見えるんであってさ、繋げれば凄い!ってことね。ただそりゃー毎週見てたんじゃゲンナリするよねっていう。批判があるのは当然だわな。ただそれをあえてやったっつー態度が凄く評価できる。なので鑑賞者がやるべきことは自己編集なんだよね。録画したものなりなんなりのCMとか毎回のオープニングとエンディングを完全に切って完全に繋げるってことをしなきゃいけない。で、それを4時間ぐらいかけてノンストップで見ないといけないね。それをやって始めてまぁ正当な評価が出来る作品ってことになるね。


それこそ劇場みたいなさ、出られない暗闇の空間っつーのでさ、部屋を暗くしてんで独自に編集した「涼宮ハルヒ永劫回帰」を上映して見るんだよね。で、見終えたときにはゲッソリするけどループから出られたという爽快感が得られるわけで、あれは精神的な体感アニメって感じだよね。長門が感じているリピート感には寸分も及ばないにしてもまぁあれだけ繰り返し見させられるとまぁ長門の気持ちもちょっとは分かるようになるでしょ?まぁこれは敷居が高過ぎるね。実験的な手法を超メジャーな作品でやってるんで反発が大きいっていうさ、鑑賞者が求めているものと全然違うから批判も大きくなるんだけど、ただ作品として見てみると決してクソじゃないんだよね。むしろ凄い。まぁさっき俺が書いた自己編集版のね、完全に繋がってるってやつを鑑賞者が見れるかどうか?っていうと多分見れないと思うけどんでもそれを見ないと判断できないよね。暗闇で変性意識を完全にこの切り離されたエンドレスサマーに没入させて、んでその脱出のカタルシスを感じるっていうさ、相当なメンタル面でのプロジェクションを必要とするんだよね。これ。


ようはこれってすんげー抽象的なんだよねって言わずもがなだけど、一万五千何回っつー繰り返されていることの曼荼羅ってのを鑑賞者が想像して「うわー!!」ってスキゾになりそうなぐらいそれを臨場感たっぷりに感じているか感じていないか?で作品の見方が変わってくるわけ。盆踊りに行かなかったのが一万五千何回中2回だけあったとかさ、長門の細かいディスクリプションからその抽象的な永劫回帰曼荼羅を頭に浮かべる事ができるかできないか?だよね。


それを浮かべることができないとはっきりいって視覚的にただの繰り返しなのでつまらないわけだ。大半の批判はまぁそういう想像力の欠如が故の批判だと思うけど、ただまぁテレビアニメとして毎週放送するってフォーマットがその抽象的曼荼羅を作り出しにくいっていうさ、毎週毎週細切れで見るから臨場感が無くなるっていう難点はあるわけで、だからまぁそれは出し手にも問題はあるよね。でもこういう放映の仕方しかできないわけでまぁそれはテレビアニメの宿命としてしょうがないわけだ。そういうのを多めに見てこの抽象的な永劫回帰曼荼羅を感じるしかない。で、さっきも書いたように一番いいのは全部繋げてシリーズ全部を一つとして見るってことだよね。細切れだと本当に意味が無いから。


このハルヒ永劫回帰では一回性の連続ってのが常に保たれてるじゃん?ループだけど同じ事のループではなく毎回違うことが同じシチュエーションで起きているってことでさ、ただのループじゃなくて毎回動いてるってのがポイントだよね。で、この一回性の連続ってのはなかなか2話ぐらいで表現できるもんじゃないよね。まぁここまで続けるってのは極端にしても、あそこまで細かい違いっつーか、キョンのデジャヴの強さの違いとかが毎回微妙に違う形で描かれてるでしょ?事柄の微妙な違い然り。


ただそういうのをテレビアニメっつーフォーマットでやるのにまぁ無理があったってことかな。逆を言えばオープニングとかエンディングとかCMっつー物理的な断絶が無い形で見る事が出来れば完璧ってことだよね。だからまぁ編集して見るべし!って俺は言ってるわけで。当然のことながらリアルタイムの場合、一週間の断絶が鑑賞者にあるわけでさ、これが途切れ途切れ感を増させるんだよね。だからまぁ批判が多いのは頷けるんだよね。リアルタイムで見た人はたまらなかっただろうっていう。悪い意味でね。ただちょっと振り返ってみればこれをぶっ続けでノンストップで見たら凄いってのは分かるじゃん?まぁそれを凄いと感じるかどうかはともかくとして、まぁ本質的な体感っつーのは続けてみないと分からないってことだね。


ファンとかが集まって上映会やればいいんだよね。編集した完全に繋がってるやつってのをノンストップで上映するっつー上映会をやったほうがいい。それでメンタル的に体感しないとダメだね。各週で見てたんじゃ話にならんね。で、これは鑑賞者に長門の視点でループを見るということを許しているものなので、実質的にこのシリーズの主役は長門だよね。ハルヒは相変わらずの世界の創造主でキョンはその創造主のアーキテクチャの流れを変えることが出来るかもしれないという唯一の人物なわけだね。それがハルヒの近くにいるということでリセットされた時点でも前回記憶の残滓がちょっと残っているということでその残滓の蓄積がデジャヴの強度を強めてるわけじゃん?で、それが十分なものになったときにそのループは終わるっていうさ、すげー素敵な話だよね!それが愛だとは!ある意味で前回以上なんじゃないの?キスとかするのかと思ったけど、まぁでも愛だよね。ハルヒキョンのことを本当に好きなんだなってのが死ぬほど伝わってくるのが素敵だ。


で、正しい見方としてはさ、まぁ押し付けるつもりはないけど、変性意識を作り出しやすい環境をセッティングするってことでまずは編集したノンストップのエンドレスエイトってのは言うまでもなく当然で、あとはまぁなるべく暗闇がいいね。それしか見えないっつー暗闇がいい。で、密教みたいにお香でも焚いて自分の物理空間の現実感ってのを完全に無くした方がいい。自分が感じる臨場感ってのが完全にこのエンドレスエイトにおかれているという環境で見れば凄まじい強度で一見退屈に思えるエンドレスエイトが凄まじいものとして見れると思うね。


でさ、長門ってさ、595年ぐらいずーっとあの永劫回帰にいたわけじゃん?そうなるとなんか人類に存在する本とか全部読めそうな気がするけど、永劫回帰の後とかに相変わらず部室でユングの本とか読んでるのね。595年夏が続いたら俺は何をするだろうな?一万五千何百回の時にようやく出られるって分かったらやっぱ読書だろうな。読みたい本は全部読むだろうな。本当に。あと何するか?って言われると微妙だな。ホント、やることないな。結構キツいよね。お笑いの動画とか新しいのアップされないし、映画も新しいのは出来ないわけでさ、娯楽が一瞬で底をつくよね。本はどうなんだろう?まぁすんげー精読すれば500年ぐらいはあっという間に経っちゃうのかな?って経たないか。長門以外の精神状態が保たれてるのって記憶のリセットがあるからだよね。あれで記憶のリセットが無いまま永遠と続いてたら完全に気が狂うよね。まぁでも記憶を持ち越せたらもっと建設的になれるか。どうすれば出られるか?っていう答えが早めに出そうだね。それにしても長門のことを考えると壮絶になるよね。600年近くずーっとあの夏のバリエーションを体感してきたわけでしょ?いくら仕事が観察だとは言えありゃ凄いよね。


相変わらずハルヒはいいな。哲学的なフレーバーが随所に散りばめられてて、それこそオントロジカルなこととか時空的なこととか空間的なこととかさ、作品の中で描かれていないところでも色々と想像できるところがあるよね。ようはコンテキストで語られていないことも小泉とか長門の小難しい概念の説明で色々と想像ができるようになる。そういうなんつーか知的な想像を膨らませることが出来るって意味で本当に面白いよね。最後の方のさ、長門が言う誰のステイトメントも本当かは定義できないってゲーデルへのオマージュなのかな?ゲーデルエッシャー・バッハ読んでたからなぁー。長門


まぁ前にも書いたようにゲーデル不完全性定理は数学的な帰結なんであって意味論的なことは無いけど、でもなんつーかモチーフになりやすいよね。まぁそれはともかく最後のほうの小泉とミクルのオントロジカルな葛藤による両者のハルヒにおける見解の相違ってのが面白かったな。詳しく書けるほど覚えてないけど、まぁ大雑把に書くとさ、小泉のハルヒの定義をミクルがそのまま解釈しちゃうとミクルの実存が危うくなるっていうさ、まぁその逆もまた然りなんだよね。だからお互いは自分のオントロジーを基盤としてそれが揺るがないようなハルヒに対する定義を与えてるってことだよね。それが事実というよりかは自分のオントロジー保全って感じなのね。ミクル然り。そうだと思うしそうであってほしいしそうじゃないと困るってのがお互いの意見なんだよね。両者の実存がハルヒによって規定されてるってのが相変わらず本当に面白いね。それが故の両者の見解の違いとか、それこそ小泉が言うような凄まじい見解の違いの派閥みたいなのがあるわけだ。いや、まぁ小泉とミクルだけじゃないんだけどさ、これってホント、哲学ファンタジーだよね。映画も是非見てみたいな。まぁこっちでのリリースがいつ頃になるか分からんけど。


ハルヒはコンテキスト以外のコノテーションがいっぱいあるからさ、それを完全に理解して想像できるか?ってところだよねコンテキスト以外のコノテーションって言うとおかしいか。まぁようはコンテキスト内で示唆されていることから言外の意味もまた色々とリゾーム方式に増えていくってことで脳内に抽象的な曼荼羅が浮かぶわけだよね。そういう宇宙とか存在とか実存っていう凄まじいデカイレベルとあの学園モノっていうギャップだよね。まぁそりゃだいぶ前にハルヒのやつで書いたことだけど、相変わらずギャップが凄くていいね。壮絶にデカイ枠組みのモチーフを使いながら内容は学園モノっていうギャップだよね。カントが言うところのSublimeみたいな感覚をハルヒに感じるんだけど、んでも本人は気がついてないし、キャラはふつーのけたたましい女子高生っていうさ、これまたハルヒっていう存在の中にも物語とテーマの良いギャップみたいなのがあるよね。カント的なSublimeの感覚を感じる存在なのに実際はただの女子高生っていう。


あ、んで最後にまぁ改めて言いたいんだけどエンドレスエイトは是非、変性意識下のマインドを完全にエンドレスエイトに注入してノンストップで見るべし!あれは完全に独立した一個の作品だからね。極端に言えば4時間ぐらいの映画を30分ずつ毎週放送しちゃったみたいな感じだからね。ちょうど2年前ぐらいにハルヒ見て「すげぇーなぁー」って思ってんでまた今回それを感じさせてくれたハルヒに乾杯!って感じだわ。