ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

数の概念について。

mimisemi2010-03-08

あ、まず最初にディッキンの30が出来たんで聞いてみてくれたまえ。


http://mushroom.cage.to/mix/dick30.mp3


ところでね、数について思ったことなんだけどさ、インド哲学実在論って内属された要素によってその実在が規定されるみたいな感じらしくてさ、例えば人間なら2本の腕があって2本の脚があって・・・っつー諸要素の集合みたいなのを実在のカテゴリーとして看做すんだけど、それはどう歩くとかね、どう喋るかとかみたいな運動とか性質っつーのも実在のカテゴリに入るんだけど、まぁ詳しくはヴァイシェーシカ学派っつーのについてググってもらえばいいんだけど、あってるかどうか分からないけど、これって数学で言えばペアノの公理みたいなもんでさ、自然数って何なの?って言われた時に、こんなものを自然数と規定しましょうみたいなさ、まぁウィキからのやつを引用するとね、

自然数 0 が存在する。


任意の自然数 a にはその後者 (successor)、suc(a) が存在する(suc(a) は a + 1 の "意味")。


0 はいかなる自然数の後者でもない(0 より前の自然数は存在しない)。


異なる自然数は異なる後者を持つ:a ≠ b のとき suc(a) ≠ suc(b) となる。


0 がある性質を満たし、a がある性質を満たせばその後者 suc(a) もその性質を満たすとき、すべての自然数はその性質を満たす。


なんだけどね、あとまぁノイマンのやつが載ってたりするんで読んでみてほしいんだけど


http://ja.wikipedia.org/wiki/ペアノの公理


ようはペアノの公理ってさ、その自然数の振る舞いとかを数学的に規定して、そこから定義するっていうやり方だよね。これはかなり存在論的というか、性質とか運動みたいなところからその存在性を定義するって意味でなんとなくさっき書いたヴァイシェーシカ学派の実在論に似てるなって思ったんだけど、これについて思ったのはさ、まぁ基本的に数ってのは一週間を表す七日とかさ、七個の卵とかさ、この「七」ってのが同じ「七」なんだってのは実は凄い大発見だ!ってホワイトヘッドが言ってたけど、これってまぁ集合論的なさ、one to one correspondenceによって数という概念を理解するって意味で最高なんだけどさ、逆に思ったのはね、数って概念はさっき書いたように七日でも七個でも同じ七なんだけどさ、でも実質的な数っつーかようは抽象される前の数ってそのものに内在されてるんだよね。


ようは俺は人間で言えば一人の人間でさ、一人の留学生だったり、一人の学生だったりっていうカウントの仕方が出来るけど、でも俺という要素を満たす俺っつーのは俺しかいないわけで、俺の1ってのは俺の1でしかないよね。ニューヨークにいる留学生っつーカテゴリで分ければその一人であるっていうさ、まぁ色んな属性の集合で考えれば俺がその要素ってことになるんだけど、んでも全体としての俺っつー要素を満たす他の1ってのは無いよね。それは俺というものでしか俺という1人性みたいなのを規定できない。


それは別にスマップの歌のさ、一つだけの花みたいな上辺だけの建前としての1ではなくて、まぁ実質的な1だよね。そこに価値なんて何にも無い固有の1だよね。俺の中でしか成立しない1というのが俺に対応した1と言えるわけで、まぁこれがノイマン自然数の定義にちょっと似てるかな?って思ったのがね、ノイマン自然数の定義としては「ただ一つの要素を持ち、その要素が空集合であるような集合」を「数1」と定義するってことなんだけど、まぁ集合の集合ってことなんだけどね、それってのがまぁ自分であり、なんつーか個々のものが内在している要素としての実質的な数だよね。全ての存在において、数を抽象すれば1と言えるようなものが本質的に内在している1というものは、ノイマン自然数の定義みたいな「ただ一つの要素を持ち、その要素が空集合であるような集合」として定義することが出来るってことね。抽象すればそれは1という数になるけど、本質的にその存在が抱えている1という数性みたいなものはその存在にしか持ち得ない固有の1であるってことね。


仮に全く同じプロダクトっつーか商品みたいなさ、中身とか内容まで同一のものがあっても、んでもまぁ微妙な差って絶対あるし、そもそも物理空間をデカルトの座標みたいなので考えればさ、同じ場所に何かが存在することって不可能でしょ?ゲームのバグとかでこれが起こるとハマるじゃん?摩訶摩訶のバグとかであるやつね。ラジコンカー使わないと出れないみたいな。この座標の位置ってのもその時点とその時空とその時間軸に存在しているものとしての存在性を規定する要素の一つになっているので、この要素を満たす他の同じonenessみたいな1らしさを持っている1というのはそれ以外に存在しないわけだ。ようはその存在のみがその集合の要素として成り立つもので、他とは対応できない集合ということね。


要素は一つってことじゃなくて、まぁ属性で分ければ凄まじいことになるんだよね。それこそエネルギー量だのさ、温度だのさ、軸の場所だのさ、数えだしたらきりがないっつーか実質的にまぁ規定不可能なぐらい多過ぎる細分化された要素だよね。それが規定できないっつーか実質的に不可知な補集合として存在している要素だよね。で、ノイマンで言うところの空集合というのが俺が今言っている存在論で言うところの補集合ってことね。まぁ空集合ではないんだけど、実質的に不可知という意味でまぁ空集合みたいな感じで考えるしかないってことね。ある意味でまぁ思考停止だけどね。厳密にやっていけば細分化は出来るかもしれないけど、でも何を属性とするか?ってキリが無いじゃん?境界線みたいなのが無ければ属性ってほぼ無限みたいに存在するわけで、だからまぁ今の所不可知な属性ってことにしてるんだけどね。


で、抽象される1という数が他の集合と対応する場合はそのブラックボックス空集合の中から例えば俺の場合、ニューヨークにいる留学生という集合というものを考えた時に、俺の中にある空集合と看做されている不可知な補集合の中の「ニューヨークにいる留学生」という属性がその集合に対応してそこから1という数が抽象されるわけだね。つまりはそういった外部からカテゴリ分けされる集合という要素に自分がその一つとして当てはまる場合、その不可知な補集合の中の要素の一つがそれに対応してone to one correspondenceが起こって1という数が顕在化してくるってことになるわけね。


でも俺という要素は永遠に抽象されないよねっつーのがまぁ最初の議論っつーかまぁ言ってたことね。俺は俺でしかないから他の対応は無理ってことね。ただ補集合の中の諸要素では対応可能なものとしての1をいくらでも抽象できるってことねっつーのがまぁ人間である俺としての1とか留学生である俺としての「一人」の留学生である俺としての1とかだよね。大枠の人間とか留学生っつーカテゴリで言えばペアノの公理とかヴァイシェーシカ学派みたいな実在論の規定によって論理的な公理みたいなのを導きだすことができて、それがその存在を規定するクライテリオンみたいになるんだけど、でも一つの存在としての何かの公理ってのは永遠に規定不可能ってことね。それは常に変わるものだし絶対同一なものが無いという意味でさっき書いた不可知な、まぁ今ちょっと付け足すと変数だらけの補集合ってことになるんだよね。1={φ}のφの部分が変数だらけで函数だらけの補集合ってことね。


で、話を広げるとその様々な固有の1を規定するものと唯一対応できるのが万物としての宇宙っつーかまぁ存在の全てをUとして規定した時に、例えば自分の固有の1ってのもユニバースの中に内包された1なので、俺の固有の1っつーのは1∈Uになるわけ。不可知な補集合の中の函数変数だらけの要素も、それの全体を含んだ固有の1ってのも全部ユニバースの包括されるということになるわけね。ユニバースのみが個々の存在を包括できる集合だってことになるわけだね。これがまぁ汎神論ってことだと思うんだけどね。全てのxはUに内包されてるってことね。


ただ全てを知っているユニバースというのは存在しないわけねっつーのはまぁランダムっていう要素があるからね。そういう意味での昔からありがちな神みたいな話を俺はしたいわけじゃなくて、ただ単に全ての存在を包括するユニバースという仮想の最上級の集合というのが存在するっていうことだよね。最上級ってのはアリストテレスのカテゴリー論で言えば最上位概念ってことね。存在論ヒエラルキーのトップってことね。それを言い換えれば神みたいな言い方もできるし、宇宙って言い方もできるし、ブラフマンって言い方もできるわけね。自分の1もユニバースに包括されているという意味ではまぁある意味で全てが対応しているという意味で同一であるので梵我一如であるとも言えるよね。ユニバースという名のブラフマンアートマンという名の我が同一であるってことね。


ただまぁ同一なのは「原理」なんであって、全ての要素を包括するブラフマンという名の宇宙の根本原理ってのはさっきの補集合で言うところの不可知な属性の要素っていうあらゆる要素を包括してるわけで、我の補集合を「原理」として言い換えたときに、根本原理に包括されるのは当たり前だよね。あ、まぁでもこのパラダイムだと同一とは言えないねっつーのはまぁ我っつーかようはアートマンブラフマンに包括されている原理の一つとして捉えられるわけで、構成要素から何から何までが宇宙の根本原理と同じってことじゃないからね。まぁ俺がここで言ってるのは全ての実在ってのは宇宙に包括されるってことで、まぁ当たり前のことなんだよね。なにやら高尚な話をしてるようで全然当たり前の話しかしてないわけ。


ってことでした。まぁそんな感じで今日はこの辺で。


あ、んでオススメの本は別にエントリーと関係があるわけじゃないからね。関係があることもあるけども。