カント的ボランティアってのが本来のボランティアの意味だよね。

mimisemi2010-03-19

いや、カント的ボランティアってことが言いたいだけなんだけどさ、いや、完全に今日はツイるけどさ、こっちの大学でボランティアが単位っつーかなんか履歴になるとかでボランティアやるやつがいるじゃん?っていうかシステム的にそうなってるじゃん?履歴にボランティアとかっていう課外活動があるとステータス的にプラスになってどうのっていう。これってカント的な善っつーかカント的な善の立場に立たなくても最悪だよね。だってモロにさ、「履歴」っつー見返りを得ようとしてボランティア活動っつー名前だけのボランティアやってるわけじゃん?


ボランティアってのはマザーテレサ的なもんじゃないのか?っていう。人知れずやるのがボランティアでしょ?メディアが入ってるから有名になれるとか地方新聞で取り上げられるとか履歴になるとかっつー理由でやるのなんてボランティアじゃなくてれっきとした対価を受ける仕事だよね。仕事をボランティアと言っちゃイカンのだと思うのだよ。ダルシム語っつーかダルシム口調で言うと。


最近の俺で言えば中国語のクラスで一緒になった黒人のやつかな。先生が台湾人の先生ですげー日本びいきでさ、俺が日本人だっつーんですげーなんつーか優待されてるわけじゃないんだけど、まぁなんか気に入られてるんだけどさ、その黒人のやつってのが俺が日本人だと知るとすげー興味深そうになってね、いや、こないだ書いた可愛いやつとは別にこの黒人も俺の興味津々でさ、んで授業後にいきなりさ、いきなりっつーとアレだけど「日本語教えてくれよ」とかって言うわけ。「え?」じゃん?日本人が比較的レアなのは分かるよ。今で言えば留学してるのなんて優秀な人達ばっかで中流層とかは無理だからコミカレにいるのって比較的富裕層になっちゃうと思うんだけどさ、これって面白いパラドックスだよね。金は親が出せるけどそこまで頭が良くないっつーんでまぁ遊学みたいな感じで留学できるのってある程度金に余裕が無いと出来ないじゃん?それ以外だと奨学金得たりとかで良い大学っつーか大学院とかに留学になると思うんだよね。つまりは優秀な人達が奨学金もらって行くってことね。


まぁ別にデータ的な裏付けがあるわけじゃないからなんとも言えないけど、まぁそれはともかくとしてさ、ふつーのロジックで初対面の母国語が違う人にその言葉を教えてくれって言わないじゃん?あっちとしてはガイジンだから言うってのは日本人がアメリカ人の留学生と同級生になって「英語教えてよー!」っていう感覚と一緒なんだろうけどさ、言語教えるって半端じゃないよね。ちょっと知ってるやつに具体的な質問をされるのは分かるよ。接続語が分からないとかさ、同じ意味なのになんでコンテキストによって違う意味になるのか?とかさ、それが例えば日本文化による言語的なものだと普通の文法本とかで学べるかどうかは分からないじゃん?トリビア的にこれはオリジンとして江戸の言葉でこんなのがあって・・・みたいなさ、そういうのは説明できるじゃん?でも全く知らないやつにイロハ教えるなんて骨が折れる仕事だよね。金もらえばやるけど完全に友達感覚でやるならさ、仮に友達でも嫌だね。大変だし面倒くさ過ぎる。


俺で言えばはっきり言って常にこっちにいるってだけで生活費がかかってるわけで全てにおいて機会費用が発生してるわけ。遊んでる身分ならいいかもしれんけどさ、そうじゃないからね。遊んでるようにしか見えなくてもまぁ俺なりにやってるわけで、だからまぁこう見えて俺は無駄な時間は過ごさないのね。ゲームとか見たりお笑いとか見たりするけどあれもまぁ一部だよね。あれも必要な要素なんだよね。怠けではなくリフレッシュとして必要っていう。だからほとんど無駄が無いわけだ。


そんな中でクラスが無い時とかにさ、わざわざ会って教えるって大変なことだよね?まぁそいつは軽い気持ちで言ったんだろうから別にそいつを責めるつもりはないけどさ、まぁメールくれっつーんでまぁメール出してさ、んでなんで俺みたいなやつが教えないほうがいいのか?ってのを明確に説明してまぁ遠回しに断ったんだよね。日本語喋れるから日本語で喋ってくださいとかメールやってくださいならいいけど、基礎も何もないやつに教えるっつーのはようは素人のやる仕事じゃないっていうね、プロが書いた文法の本とか、あとはEnglish Speakerから見た日本語の学び方ってあるじゃん?そうそう。黒板でやるような英語の勉強って日本でやるのが一番いいんだよ。英語学校がほとんど意味無いのはこれね。むしろ日本人用の英語プログラムのほうが当然いいわけっつーのは日本人が陥りやすいミステイクとかさ、なんでここでつまずく人が多いのか?とかさ、日本人に分かりづらい関係代名詞だとかなんだとかさ、だいぶ前だけどバカにしまくってたカリスマ予備校教師が書いた受験用の英語の本ってのを読んだんだけど完全に偏見だったなと思ったんだけどねっつーのは日本人に分かりやすいように英文法が分かるようになってるんだよね。当たり前だけど。


こういうカリスマ予備校の先生のほうがこっちでバイトみたいな感じでやってる英語教師よりよっぽど英語を教えるってことには優れてるわけでさ、まぁこっちの利点っつたらまぁ全部英語でやるっつーのと英語で喋らなきゃいけないっつーのとまぁ生活がアメリカとかまぁ海外になるから新しい体験が出来るみたいなところはあるにせよそんなの英文法完璧にしてから来ればいいわけでさ、俺みたいにほとんど基礎が無いようなレベルでこっちに来てもその分無駄なんだよね。まぁ俺は経験という意味で無駄じゃなかったし、ああいうのがあって今の俺があるからいいんだけど、んでもまぁ大抵の英語学校に行ってた人達が「日本でもっと勉強してくれば良かった」って思うのはさ、英文法なんて日本で勉強できるからなんだよね。こっちで勉強できることなんて無いわけ。はっきり言って実践の場ということ以外にほとんど無いよね。スラングとか生きた英語が学べるっつってもそんなの映画見ればいくらでも出てくるしさ、映画と日常会話は違うって言われそうだけどむしろ逆で映画はリアリティを際立たせる為に普通のアメリカ人が喋りそうな英語とか口調を使ってるわけでさ、あれほどのまぁ日常会話のスナップショットって無いわけよね。


あとはまぁその辺のふつーの英語学校の先生ってプロでもなんでもなくてただのバイトとかばっかだからさ、リアルにバイトでやってるアメリカ人知ってるしね、まぁそんなレベルなのよね。ようはその辺の大学出とかの兄ちゃんが教えてるってことでまぁ俺がそれこそこっちの学生に日本語教えるようなもんよ。インストラクターでもなんでもないわけ。で、まぁ話がツイるレベルじゃなくなってきてるけど、まぁ俺が言いたいのはね、仮に俺がこの黒人に日本語教えるってことになったらこれこそがボランティアってことだよね。モロに無償で誰も知らないじゃん?これをやることでなんのベネフィットも俺は得られないじゃん?損得で言えばむしろ損じゃん?でもそれをあえてそいつのためにやるってのがボランティアじゃん?で、俺はこいつのことは知らないし、まぁ悪いやつじゃないけど、それこそ会ったばっかだからそんな仲でもないしさ、これって冷たくないよね?普通だよね。でも仮にここで俺がやるって決意したらそれはカント的な本来的な意味でのボランティアだよね。もうこいつのためにやるっていうのを定言的にやるというコミットメントね。


それに比べて履歴の為にやるボランティアって全然ボランティアじゃないじゃん?ってことが言いたかったわけ。それはボランティアが「善い」ことだっていう前提から「善い」ことをしなさいってことで大学がまぁやるように言ってたりさ、まぁ履歴にあると有利ってシステムになってるわけでしょ?でもそんなのボランティアでもなんでもないよね。履歴書とかに書いてる時点でもうボランティアじゃなくなるよね。それは。それを「ボランティアをやったのかキミは」っていう審査官みたいなのも相当アホだよねっつーかこういうシステムに疑問を呈さないっつー時点で既に終わってるよね。善ってすげー大事な概念だからこそこんな乱用はいけないわけだよ。自分の為に善に見えるようなことをやるって最低の行為だと思うよ。マジで。まぁそれで助かる人がいるならやらないよりかはいいけど、まぁそいつは自覚してないとダメだよね。こんなの善でもなんでもなくてただの損得勘定の所産だって。で、自分は履歴に書ける課外活動を残したっていう利益を得たっていうようは労働に対する対価を得たって自覚しないとダメだよね。こんなのが善と解釈されてたんじゃ善が死ぬよねってもう死んでるのか?まぁそういう意味で本質的な善人なんて滅多にいないだろうね。そんなのいたらお人好しじゃん?ただの。


かく言う俺もサイモンの時はモロに数学の先生と同じでコネとか凄いやつと出会ったから恩を売っておこうっていうところでやってたからね。もう最低もいいところだよね。だからこそまぁ自戒の意味も含めてそんな善はロクでもないもんだって言いたいわけ。まぁそいつがやるかどうかはともかくとしてボランティア活動っつーのを履歴にするのがステータスになるっつーか一種のキャリアになるっていうのがもうダメだよね。ボランティアをボランティアじゃなくしちゃってるじゃん?ボランティアがボランティアである所以はさっき書いたさ、それこそ俺がその黒人に人知れず日本語を一から教えるっつー骨の折れるような仕事を積極的にやるっていうことなわけでさ、これをやったらボランティア成立だよね。でも当然ながらまぁそれは履歴に書けるようなボランティアじゃないし、書いた時点でもボランティアじゃなくなるし、だからこそまぁそいつとの関係の間だけでやるのがボランティアってことになるんだけど、まぁ俺はそんなのはできないな。


本当の意味でのボランティアやってる人達は凄いよ。それは本当に尊敬できる人達だと思うけど、まぁそれがボランティアである以上まぁ存在は知られてなかったりするわけでさ、社会活動としてステータスが得られたりする時点でボランティアじゃなくなるって意味でもまぁ本当のボランティアやってる人達なんてレアだろうね。本当に。いやーでもホント、頭にくるよね。課外活動してたほうが有利とかってバカじゃねーの?っていう。学校がそんなもん推薦するなよっていうさ、アホだよな。本当に。学生はアメリカの学生も日本と一緒でバカだからさ、まぁ学生がどうこうってのはいいよ。問題はシステムだよね。バカじゃないから先生になってたりさ、システムってのを作る側に回ってるわけでしょ?それがそんなアホなロジックでどうするんだ?っていう。学生が馬鹿だと言えばアランブルームのアメリカンマインドの終焉だよね。結局まぁどこでも俺みたいなことを言ってる人がいるんだなっていう良い例ね。前は日本人の学生がバカだって言いまくってたけど、まぁレベルの差はあれアメリカのアヴェレージもそんなに変わらないよね。勉強やってたりさ、意識は当然日本人学生よりかは高かったりするけど、んでもまぁ本質的な意味での学徒っていないよね。滅多に。


まぁさ、俺もこうやって書いてて分かったけどさ、ボランティアって色んな意味でちょー大変だよね。本当に相手の為だけに定言的にやるわけだからさ、すげー敷居高いよね。俺には絶対出来ないなって思うもん。その敷居の高さこそがボランティアの高尚さを規定してるわけだし、ボランティア活動が尊い活動だっていうのもそういう理由じゃん?でもまぁ履歴のためとかにやるボランティアがそうじゃないってのはまぁさっき書いたからいいけどさ、あとはまぁボランティアってのを履歴の為に利用するっていう狡猾な方法だっていう定義の仕方もあるよね。ボランティアはボランティア活動として当然あるんだけど、アカデミックなスコアを残す為にやる不純な輩どもが偽善的にやりにくるってことだよね。これを大学が促してるって考えると本文で書いた「バカじゃねーの?」ってレベルじゃなくなるよね。もう詐欺を推奨してるようなレベルだろう。これは。本当に由々しき事態だよね。これってとんでもない悪だよね。まぁでも助かる人がいるから良いって考えるしかないのかな。ボランティア受ける側は助かるし、まぁやる側も履歴になるから良いっていうさ、まぁ結局ビジネスだよな。これじゃ。お互いの利害関係の中で動いている賃労働みたいなもんだよね。それをボランティアを呼ぶのは大きな間違いだね。本当に。ボランティアを真剣にやってる人達に泥を塗るような行為だよね。


まぁそんな感じで今日はこの辺で。


PS


ミックスの新作があるんだけどっつーかアップしたんだけどね、作り直したくなったんでまだ今度アップするわ。