民主的なお笑い潰しはやめてくださいっていう。

mimisemi2010-03-22

テレビの倫理とかってあるじゃん?「俗悪番組いじめを肯定」みたいな。ああいうの狂ってるよねっていうかクレームをつけるやつらの知的レベルがあまりにも低過ぎるね。そもそも笑いといじめの区別がついてないってことがもう致命的だね。アメリカで言えばスタンドアップコメディとかでさ、むしろ差別ネタとかって進んでやるじゃん?あれって笑い飛ばしてるわけじゃん?悪意があろうが無かろうがまぁコメディならいいわけでさ、それって別にマジで差別発言してるわけじゃないわけでさ、そういうリアル社会の倫理とお笑いってのをごっちゃにするとそりゃーお笑いは萎縮するわなっていうか出来ることが少なくなるよね。


あといつも思うのがさ、パイ投げでもなんでもいいんだけどさ、食品を使った笑いって批判されるじゃん?食べ物を粗末にしてるとかって。これもすげー馬鹿げててさ、番組ってマテリアルを何使おうがそれって制作費の中でやってるわけじゃん?ようは生コンクリートを使おうが生チョコを使おうが一緒なわけ。チョコは食品だからって言うならさ、なんだって食品だよねっつーのはさ、生チョコやめて生コンクリートにしたところでそれも制作費から来てるわけでさ、ようは金じゃん?勿体ないのは一緒だよね。生コンクリートだって何かの素材なわけでさ、まぁ当然無駄にしていいもんじゃないよね?でもそれって別にお笑い番組の制作の中でやってることなわけでさ、番組が調達した素材をどう使おうが番組の勝手じゃん?勿体ないって変なロジックでさ、いや、勿体ないっつーのは分かるけどね、わざわざ番組に文句言うバカなやつらってさ、何にも分かってないよね。アフリカで餓えてる人がいるのにとかさ、世界では餓えてる人がいるのにとかさ、そういうロジックを出してくる人もいるじゃん?お笑いの番組でパイ投げをすることと飢餓って全然関係無いと思うんだけどまぁ繋げる人がいるんだよね。


これで言えばさ、なんだってようは金があれば食品って買えるでしょ?一つの番組の制作をするのに1000万かかったとしたらさ、その分を番組作らないでどっかに寄付したほうが救われる人が多いっておかしいロジックじゃん?番組制作っていうのは飢餓とかと関係無く存在してるものでさ、そこはそこで独立してやってることでしょ?ハリウッド映画なんてそれで言ったら無駄だらけじゃん?無駄に多い爆発とかさ、車とかもバラバラになったりするじゃん?あれなんてパイとかの比じゃないよね?でも食べ物じゃなきゃいいのか?って話でしょ?あれはハリウッド映画としてそれこそまぁさっき書いたように制作の中でやってることなわけでさ、その映画製作の中で車をどう使おうがその映画の勝手じゃん?他人が「車が勿体ない」っていうことではないんだよね。演出のために車を爆破したりしてるわけじゃん?勿体ないよね?すげー金かかってるよね?その車の爆破する費用をそれこそ飢饉とかに回せば助かる人いっぱいいるよね?でもこのロジックはおかしいよね?っていう。


ようはその無駄になるっていうか使われる素材としての何かが食べ物であろうがなんであろうが関係無いわけね。全部金がかかってるわけでさ、車が無駄になったところでその車の費用っつーのを食料品とかに換算したらそれだけの食料品が買える分のお金が爆発してるってことになるでしょ?ようは生コンクリートと生チョコレートの差なんて無いってことね。どっちも誰かが買ってやる分にはその所有権ってのはそいつにあるわけでそいつがどう使おうがそいつの勝手じゃん?テレビでそういうのを放送するのはどうかと思うとかって言うなら見なきゃいいわけじゃん?いじめだの勿体ないだのなんだのってのを気にしてばっかいたらお笑いサイドがやれることが少なくなってさ、それって表現の自由を奪ってるってことだよね?お笑いって文化なわけでそれを変な倫理コードのロジックで潰すなんてことが許されちゃいけないわけ。


いや、ホント考えてみてほしいね。食べ物を無駄にして・・・ってさ、それって演出でやってるわけでさ、それが食べ物であろうがなんであろうが「無駄にして・・・」っていうロジック使えばなんでも無駄にしてることになるよねっていうのがさっき書いたハリウッド映画の爆発とか車とかの話ね。あとなんだっけな?撮影用のガラスって砂糖で作られてるやつがあるって聞いた事あるけどさ、あの割れやすいやつね。んで怪我しないっていう。で、砂糖ってまぁ食品じゃん?で、映画製作で大量に撮影用のガラスを作るってことで砂糖を無駄にしてるって言えないよね?それって材料として使ってるわけでさ、たまたまそれが食べられるものだってっていうだけでさ、食べ物だから粗末にしてはいけないって本当におかしいんだよね。そもそもそれは撮影用のガラスっていう機能を果たしてるわけで全然無駄でもなんでもないじゃん?


それはチョコだとかパイだとかも一緒ね。笑いで使われてるってことはそれは機能してることなわけで全然無駄になんかなってない。無駄だと感じるのは笑いを笑いだと感じない人間の意見なわけでさ、それが分からないやつがそこだけ見て文句を言うっておかしいよね。それだったらもっと突っ込むべきところなんていっぱいあるわけでさ、例えば税金が大量に無駄に使われてるとかさ、こういうほうがよっぽど勿体ないじゃん?番組側は視聴者から金をとってるわけでもないしさ、それこそさっき書いたように制作費っつー中でやってるわけで、そんなもん他のやつが文句を言うことじゃないよね?バラエティ番組を見て抗議をするレベルのやつって絶対頭良くないからだからまぁ変なロジックで批判するんだと思うんだよね。笑いと現実をごっちゃにしてるって時点でもう脳が終わってると思うんだけどね。本当に。


言ってる意味分かるでしょ?食べられる食べられないなんて基準で物事を考えるなんてバカもいいところだってことなんだよね。草食動物にとっては草が食料だしさ、でも別に人間は草を燃やすことに違和感を感じないっつーか勿体ないって思わないじゃん?これって人間基準だからだよね。チョコレートとかだって多分元ネタを探れば何かの実とかでしょ?何かの実を燃やすことに違和感を感じないってそれはそれがチョコになってないからじゃん?ようはその実からチョコっつーのを連想できないからだよね。でも結局根源を考えれば同じなわけでさ、で、俺が前に労働のアレで書いたように結局は金なんだからさ、無駄にしていいものとそうじゃないものなんて無いわけよ。俺から言えばさ、例えばバーとかで酒を飲むって最高に無駄なことだと思うのね。カクテル一杯で1000円とか取られるじゃん?あれって金を捨ててるようなもんだって思うんだけど、んでもまぁそうじゃないって思う人もいるわけだしさ、それはその人の考え方に依るじゃん?俺は無駄だと思うけどバーで飲むのが好きって人はそれでいいわけでさ、俺がその人に対して「勿体ない」って言えないよね?


それって番組と視聴者の関係と同じだよね。視聴者が番組のやり方に口出しする筋合いなんて無いわけでさ、それが本当に問題あるものならアレだけど、んでもまぁ結局なんつーかきわどい表現みたいなのが許されなくなるとまぁ表現ってつまらなくなるよね。で、自主規制モードになってクソみたいな番組しか作れなくなる。過激なものを作らせればもしかしたら作れるってやつがいるのかもしれないけど、今のテレビ業界だとそれが無理だからっつーんで出来ないって場合もあると思うんだよね。だからさ、テレビだけ見てテレビとかバラエティがつまらなくなったって言うのはおかしいのね。それは表現の自由を奪ってきた一定のクレーマーという名の視聴者による弾圧の結果ってこともあるわけでさ、それは考慮しなきゃいけないよね。


You Tubeとかにさ、昔の過激だった頃のテレビ番組がアップされてたりするとさ、必ず「良い時代だったなぁー」っていうコメント見かけるじゃん?ようは明らかに過激だった頃のほうが面白かったんだよね。テレビってのは。自主規制をせざるを得なくなったテレビってのがいかに辛い思いをしてるか?ってのはさ、視聴者は考えなきゃいけないよね。それはダイレクトに表現の自由ってことに繋がることだからさ、ようは番組っつってまぁ芸術と考えていいわけよ。俺はある程度のクオリティを持った笑いって芸術だと思ってるし、それは昔からそうだけどさ、芸術作品で食品が使われたりしても別にそれはアートとして看做されていいってことになるじゃん?これも表現だからって。それがなんでそのままテレビにアプライされないのかがさっぱり分からんね。


食品を無駄にしているという映像自体がマズいんだったらさ、映画とかドラマとかダメなのいっぱいあるじゃん?レストランでマフィアの銃撃戦が始まるとかってさ、大量の料理がバラバラになったりしてるじゃん?血まみれになったり。アニメだってそうだよね。それはアニメってことで物理的に食料品は無駄になってないけど、例えば細部を見ればよくあるやつで、なんか飲んでてさ、んで面白いことがあったら「ブー!」とかいってコーラとか噴き出すっつー描写あるじゃん?あれも食料品の無駄をしてる描写だよね。まぁ実際はコーラは無駄になってないけどさ、それは単純に「ブー!」をする素材がリアルかそうじゃないか?っつー差なだけでさ、リアルなコーラだから勿体ないなんてことは無いわけねっつーのがまぁさっき書いたお金の話ね。それは別に制作としてやられてることなんだからコーラをどう使おうがその制作の勝手ってことなわけで。レストランでのマフィアの銃撃戦がさ、食料品が勿体ないってことでカットされるとかって最悪だよね?仮にそれが実録!とかのさ、実話の再現とかだったりしたら完全に表現の自由に対する弾圧になるよね。時計仕掛けのオレンジでさ、アレックスが作家に睡眠薬盛られてさ、スパゲティに顔突っ込むシーンとかあるけど、あれとか食料品の無駄だよね?でも別に無駄じゃないじゃん?あれはああいうシーンを撮るための素材としてのスパゲティなわけでさ、食べれるか食べられないか?なんて関係無いわけだよね。


なんでバラエティ番組だけ過剰に批判を受けるのかさっぱり分からんねっつーか多分なんたら市民団体みたいなクレーマー団体がいてさ、んでも実際はクレーム好きな暇なババア3人ぐらいの組織だったりしてさ、そういうやつらがひっきりなしにテレビをチェックしては抗議してるんだと思うけどさ、抗議する相手を間違ってるよね。もっと抗議するべき相手っていっぱいいるじゃん?リアルに悪意を持って悪徳を働いてるやつらになんでそういうババア達は立ち向かわないのか?っつーのが本当に分からんね。ああいうババア達って例えばパン屋とかにデコレーションで飾ってあるパンで出来てるオブジェとかに対してはどう思うのかな?あれも「勿体ない!」っていうものならさ、パン屋の自由を奪ってるよね。そのデコレーションが素敵なもんでさ、パン屋を飾る良い機能を果たしてるならそれでいいのにさ、「食べ物でこんなものを作るなんてけしからん!」なんて言うのって横暴だよね。


仮に何かを形成してるオブジェの元の材料の中に食べられるものが入ってるなんてことは結構あるんじゃないの?食べられる食べれないで言えば相当区分けは難しくなるよね。変な話、人間だって食べられるわけでさ、極限状態になると共食いするように脳が出来てるらしいじゃん?ようはなんでも食うんだよね。人間っつーか動物って。極限状態なら草だって大事な栄養素になるしさ、それを燃やすなんてとんでもないことじゃん?でも普段は草を食べないから草を刈って捨てようがかまわないんだよね。いかに食べれる食べれないっていう概念が曖昧で恣意的なものか?ってのは考えたら分かりそうなもんだけどさ、分からないやつらがいるんだよねっていうかバラエティに対する抗議とかってやめてほしいし、あとは俺がテレビ局に願うのはそういう抗議を真に受けないでさ、やりたい事をやり通してほしいなって思うよね。


さっきも書いたけどこれは表現の自由に関する重要なことだからさ、それこそ民主主義的な横暴で表現の自由が奪われちゃいけないわけよ。っていうのをまぁこれを見ながら思ったんだけどね。


http://gdrunker.blog43.fc2.com/blog-entry-755.html


岡村は本当に真面目なやつだなって思うよね。こうやって真摯に笑いを追求する者達って芸術家と同じなわけでさ、そういう人達に表現に規制を課せるって最悪の事だと思わない?アートでそんなことがまかり通っちゃいけないじゃん?ってことはお笑いも一緒なんだってば。別に俺は取り立ててナイナイの大ファンってわけでもないんだけどさ、んでもまぁテレビってそういう芸術家達が活躍する場でもあるんだからそれに規制なんてかけちゃいけないわけよ。規制があるアートなんてアートじゃないじゃん?笑いも同じだよね。この動画に出てくるさ、サックスをシャワーにしたっつーんで楽器を大事にしてほしいみたいなクレームがあったとかって言うけど本当にバカの極みだよね。だったらギターに火をつけたジミヘンはどうなるんだ?っていう。非常階段とかだって昔はギター破壊してたし、スピーカーとかもぶっ壊してたじゃん?


まぁ俺は楽器を壊す事に良い思いはしないけど、でもそれは表現者の自由だよね。その表現者のギターなんだからそいつがどうギターを扱おうがそいつの自由なわけで、それに対して勿体ないなんて文句を言うなんて愚の骨頂だよね。大きなお世話だ!って話なわけで。ああいうクレームにいちいち答えていかなきゃいけない番組制作側って本当に辛いだろうなって思うよね。やることがどんどんなくなっちゃうもんね。だいぶ前に松っちゃんがテレビでやれることが少なくなってきたって言ってたけどさ、これって完全に表現の自由に対する弾圧だからね。民主的な。


テレビっつー放送媒体で食料品とかを無駄にするってことをやるべきでないって言うんだったらそういうやつらは世界中の映画とかもチェックしていちいちそれに文句を言っていかないといけないよね。さっきのマフィアのレストランでの銃撃戦じゃないけど、食料品が無駄になってるように見える映像作品って腐るほど出回ってるわけでさ、それを一個一個回収したり規制なんて出来ないし、規制するなんて馬鹿げてるじゃん?いじめもそうだよね。いじめを肯定とかいってさ、んだったら拷問してる映画とかどうなるんだ?っていう。そもそも俺はしりとり侍がどういじめ肯定っていうロジックになるのかさっぱり分からないんだけどね。ごっつとかでもよく言われてたけどね。東野のかたやきそばとかさ、あれが「いじめ」と「食料品の無駄」ってことで出来なくなるって最悪だよね。あんな面白いもんが弾圧で見られなくなるっつーか作られなくなるって市民にとっても良いことじゃないはずだよ。絶対。少なくともお笑い好きのやつらの楽しみを奪ってるわけでさ、それって由々しき事態だよね。


あとあれだ、飲み屋とかでもなんでもいいけどさ、大人数で行くと大体最後に飲まなくなったビールとかおつまみが余るじゃん?大量とは言わないけどまぁ大量に余る場合もあるよね?俺は貧乏性だからすげー勿体ない!って思うんだけど、んでもそれって別に注文した側のものなわけでさ、そいつらが残そうが食べようがそいつらの自由じゃん?で、結果的に飲み過ぎたーとか食い過ぎたーっつーんで余ったっつったってそれはしょうがないわけじゃん?いちいち「余らせるな!」なんてことは言えないわけで。それを注文したって時点でそいつの所有物になるわけだからそいつらが煮ようが焼こうがそいつらの自由なんだよね。すんげー新鮮なマグロの大トロの刺身を煮込むのだってそいつの自由だよね。そんなの最高に勿体ない!って思うけど、んでもそいつのマグロなんだし、そいつが煮込みたかったら文句は言えないじゃん?


あとあれ、スーパーのポリ袋をほんこんさんに被せたのが危ないとかいってさ、岡村は殺す気でほんこんさんにポリ袋を被せたわけじゃないわけでさ、これも笑いと現実が区別できてない良い証拠だよね。お笑いでやってることと現実のことを重ね合わせて考えるなんてクレイジーだよ。ポリ袋を被せるのは危ないっつってさ、そんなもんポリ袋被せて人を殺してる映画とかドラマとかいっぱいあるわけでさ、でもこういうのってフィクションだからいいわけじゃん?お笑いもフィクションだよね?殺すような感じでポリ袋被せて「お前、殺す気かー!」っつって被らされた側がおいしいっていうポリ袋を使ったお笑いじゃん?こんなのに一個一個注意してたら芸人やることなくなるって。マジで。マジで殺す気がありそうなことをお笑いでやるから面白いんであって、「殺す気かー!」っつーツッコミが成立するのもそれが下手すると死ぬ可能性があるものだから言えるわけじゃん?まぁほんこんさんがそういうツッコミを岡村にしたかは分からんけどさ、いかにも死にそうじゃ無い軟弱なものを使ったら「殺す気かー!」って成立しないよね。それこそすげー寒い笑いじゃん?


お笑いって全てがそうだとは言わないけど毒って必要じゃん?ブラックジョークとかね。こういうのが民主的な弾圧による自主規制でなくなっていくとお笑いって滅んでいくよね。それこそつまらなくなるわけ。だからキャラ押しするしかなくなったりトーク番組みたいなのしかなくなるんだよね。リスキーで大げさなやつとかブラックなやつが出来なくなるって最悪だよね。