月ノヒカリさんとのやりとりプラス長い雑談。その2。

mimisemi2010-03-24

また月ノヒカリさんからコメントをいただいたので貼っておきますですっていうか返事を書いてたら例によってまた長くなったので1エントリーにしますです。

月ノヒカリ 2010/03/24 01:24


何かものすごい量のお返事ありがとうございます!だいぶアタマの中が整理されました。


>「足るを知る」は「風流さ」とワンセットじゃないと成立しない


というところ、「なるほど」と思いました。禅のストイックな面だけ取り上げたら奴隷思想につながるけど、まったり生活したくて、それが経済的に可能な人にはピッタリの思想だということですね。


一方で、ドリームキラーと闘うために自己啓発メソッドを使う。「禅的生活」と「願望実現系」、両方のマインドセットを持ってるのが、最強だと思います。


それで、want toが収入につながれば最高なんですけど、そこには「運」の要素も絡むので、「ベーシックインカム構想」とかが最近出てきているのかな、と思いました。


やっぱりウォール伝は刺激的です。海の向こうからですけど、応援してます!


コメントありがとうございます!


「運」についてですが、マキャベリのフォルトゥーナという概念があるんですが、これは「運命」とか「運」を意味する言葉なのですが、マキャベリはそういうものをヴィルトゥという名の力や技量で引き寄せるものだと説いていました。これは政治に関わらず人生全般に言えることだと思うんですね。


マキャベリの場合、フォルゥーナを運命の女神といったような、ヴィーナスのようなイメージで捉えていて、ヴィルトゥをマッチョな男のイメージとして捉えていたんですが、これはフェミニストから反感を食らいそうですが、移り気な女性であるフォルゥーナも男らしいマッチョなヴィルトゥに力技で攻められると、フォルトゥーナは女性ということもあってイチコロになってしまうみたいな感じなんですが、まぁ要約をすれば運命を力で引き寄せるっていう感じですね。まぁこれは僕が言っている事とまぁ基本的に繋がることだと思っています。というのがまぁとりあえず実力をつけるってことですね。そうすれば「運」もついてくるというわけです。


ベーシックインカム構想」も社会的な思想としては重要ですが、人間としてそれを持つとリミテーションになりかねませんね。まぁ否定はしませんが、僕は以前はその発想が強かったので、だからまぁ食えればいいやとかって思っていたんですが、これがつまりは極貧生活に繋がるというよりかは、「極貧でも食えればいいや」というようなコンフォートゾーンを自分から生み出していくような要素になっていたことに気がついたので、こういう発想は一切しないことにしたんですね。まぁリッチで超した事が無いのならそれを目標にしたほうが「食える生活」を目標にするより目標としてはよっぽど良いということですね。


・・・・ってここまでを返事として書いてたんだけど、ちょっと色々と書きたいことが増えたんでエントリーにしちゃうけどさ、まぁここからは返事じゃないんだけどっつーか返事から繋がることなんだけど「食えればいいや」思想も危険なんだよね。俺で言えばモロに目標設定を年収200万とかにしてたわけでさ、これって目標としては最悪だよね?せっかく目標とするのにさっぱり志が高くない。まぁある意味で足るを知るから来ている思想ではあるんだけど、「求めない」ということが貧困に繋がっては、つまりは日銭を稼ぐ為に労働に追われるっていう生活になっちゃうわけでさ、ようは労働しなくても金が転がり込んでくるけどあんまり引き蘢っててもしょうがないからセミリタイア感覚で仕事をやるぐらいの余裕があったほうがいいよねっていうか、こんぐらいの目標を超えた目標設定が出来てないとダメだよね。


でさ、もちろんね、大志を抱き過ぎるとさ、「勘違いしてんじゃねーよ」とかって言われそうだからっていうようなさ、ドリームキラーが多過ぎるからそういうことは考えないみたいなさ、まぁそんなの言わなきゃいいことなんだけどね、でも「勘違いしちゃいけない」っていうルールは無いからね。まずなりたい自分とかさ、こうありたいと思える自分ってのを思い描いてさ、それを具現化させればいいんだよね。そのなりたい自分がなんとか食えてる自分ぐらいでいいのか?って話だよね。目標設定を高くし過ぎるとプレッシャーに耐えられなくなるとかって話も聞こえてきそうだけどさ、んでもそれがなりたい自分とかwant toなことだったらプレッシャーもクソも無いじゃん?だってある意味でまぁ極楽を目指すみたいな話じゃん?それは解脱志向のニルヴァーナというよりかはwant to志向のニルヴァーナだよね。


ガメツい欲というよりかはなりたいとかこうありたいっていう理想に向かうっていうさ、まぁこういうやり方をみんな出来るようになれば現世が極楽浄土と化すってことだよね。実際は救済ってのは現世を救えってことなわけで、あの世に行けば極楽浄土に行けるではなくて、現世を極楽浄土にするっていうのが覚者の役割だよね。大乗ってのはまぁそれを目指す思想だよね。だから俺の言うwant to玉砕もある意味で大乗なんじゃないの?って言えるわけ。それはみんなを救うなんていう上目目線な救済とかじゃなくて、少なくとも俺がこういうマインドセットで毎日を健全に生きられてそれが実現できたらそのやり方が他者への救済にもなるかもしれないってことだよね。仏陀の救いってまぁこういうことだと思うけど、これってまぁジレンマがあってさ、それは仏陀だから悟れたし実現できたんであって他の人じゃ無理みたいなさ、そんな話があるじゃん?


俺で言えばいい歳にもなって親からサポートを受けられるっつー基盤があるから出来るメソッドだとかさ、そこそこ頭が良いから出来るメソッドだとかさ、まぁ俺が普段からむしろ害悪だっていうさ、エリートみたいなやつが言う自分流の勉強メソッドとかさ、俺はこうやって俺になった!ってメソッドって最悪じゃん?そういうの見てても「へぇーこの人は環境に恵まれてて頭が良いんだねー」ぐらいの印象しか受けないっていう。でも単純に夢を描くって多分誰にでも出来ると思うんだよね。それこそ夢を描くなんて子供なら誰でもやってることなわけで。まぁ誰でもやってるって言い方は極端過ぎるけどさ、でもまぁみんな素質はあるじゃん?頭の善し悪しは関係無いよね。それに向かって突き進むっていうさ、まぁある意味ですげーベーシックな夢の追い方ってあるじゃない?まぁ夢追い人って言われればそれまでだけど、ようはそれをそれまでにしないのが実益をリアルに目指していくっていうやり方じゃん?ようは実際に金が稼げてさ、夢ばっか語ってないで実際行動して金も稼いで好きな事ばっかやってるっていうさ、少なくともそいつにとってはそいつの人生って極楽浄土なんじゃないのかな?悠々自適だよね。解脱志向があるやつはリダクショニズムに陥りがちになってさ、最終的に結局はニヒリズムみたいなのと表裏一体みたいになっちゃってさ、生きてる事自体に意味が見いだせないっていうよりかは、それが元々そんなもの無いもんなんだって気がつくわけじゃん?だったら生きててどうなるの?っていう。


そこをまぁあれだよね、マインドセットで救済しようってのが大乗だよね。ようは悟って現世で極楽浄土を体感しちゃえ!っていう話だよね。仮に生きてても意味が無いと思うのなら、そんぐらいのデカイマインドを持って生きてたほうが結果的に楽じゃん?で、夢ばっか描いてないで、それが実益を伴うことなら、そういうマインドセットで生きていくってことが日々プラスになるんだよね。だって何かしらそれに向かう事をやるわけだからさ、日々「無常だー」って感じてるよりはいいんだよね。瞑想で気持ちよくなるのもいいけど、瞑想で作り出したようなマインドの極楽浄土を現世にも作っちゃえ!っつーのは大いにアリだよね。楽しい事とかさ、楽なこととかさ、まぁ「楽」って言葉は良い言葉だよね。音楽とか哲楽とか数楽とかなんでもまぁ楽にしちゃえばいいんだよね。常にjoyが伴うような生活を作り出すっつーのかな?この世は苦痛ばっかりだってのが分かったからこそ覚者としてそれを取り除こうとするっていうわけだよね。苦痛を苦痛だと感じないと感じるようになる悟りもいいけど、それは敷居が高過ぎるんだよね。だってワープア的な生活を苦痛だって感じなくなるなんて無理じゃん?俺は無理だね。そういう悟りは俺は一生開けないと分かったよね。だって現にムカつくこといっぱいあるわけだから。まぁいっぱいでもないけど。でも全てが無ならそんなことを感じる事すらナンセンスじゃん?


でも感じてる自分がいるしそれを感じなくするってのは無理なわけでさ、まぁそれを目指すのもいいけどさ、まぁそういう意味で俺はブディストにはなれないんだよね。でも仏教は好きっつーか仏教から学んだ事はいっぱいあるからそれを実践知として生活の中に活用していこうっていうっていうことがさ、ようは自分なりの現世の極楽浄土だしニルヴァーナだよね。成功してて幸せそうで悠々自適でやってる人達って大抵がまぁこういう境地にいると思うね。こういう悟りも悟りって言えるんじゃないの?とは最近思うよね。生きようとするから辛さが出てくるのも分かるしさ、社会とか他人と関わるから辛さとか迷いが生まれるとかさ、まぁそれもそうなんだけど、んでもそれを完全に断つって無理じゃん?まぁ俺は断とうとしてたけど無理だって分かったからさ、さぁどうするか?ってことになったときにあれだよね、んじゃあ付き合いをしながら楽をしていこうってことだよね。そのための苦ならいくらでも引き受けようというよりかはまぁそんなの苦でもなんでもないっていうさ、最近俺がくだらない授業とかにも苦を感じなくなったのも一種のこういう悟りがあるからなんだよね。プロセスの中の苦なんて全然苦ではないっていう。まぁ仏教的な苦行ってこういうことなんじゃないのかな?でもそんなの修行に入らなくたって大抵の人は毎日が苦行じゃん?楽しい事なんて少ないよね?だからまぁみんな修行中の身と言えるよね。般若波羅蜜多の心ってこういうことでしょ?っていう。現実からの逃避でもなく現世からの逃避でもなく、ただ真実を受け止めてそれを活かすっていうのが仏の心じゃん?そういう意味でまぁ人間には普遍的に仏性が宿っているって言えるわけだよね。


だからようはみんな悟って楽になったほうがいいってことだよね。楽になれる道があるのになんで選ばない?って話じゃん?多分日々の虚しさに打ち勝つ力ってこういう悟りからしか来ないと思うね。それは無というよりかは有限である人間が無を悟る事は根本的に不可能だからこそ悟ろうとする有の中の無の境地だよね。それは衣食住無しで満足できるようになるということではなくて衣食住が満足になっていて平和だからこそ訪れる心の平穏だよね。明鏡止水というのは例えばあまりに不完全でダメ過ぎる他の存在から受ける嫌がらせとかバッドなヴァイヴというのがすぐに感情をかき乱すことに繋がるような影響を受けやすい心を持っている人間にとってはさ、そのバッドなヴァイヴの波動を受け止めないってことではなくて、そういう波動を受ける場に居合わせなくてもいいということだよね。これはまぁショーペンハウエルの言う苦痛の回避としての幸福と似てるよね。ようは荒波が立つような場所に立たなきゃいいっていうことでさ、それには自分のシェルターが必要で、従来の悟りってのはその波動をも無化するっていうようなものだったと思うけど、俺の場合、アンチバッドヴァイヴなシェルターを自分の力で作り上げるってことだよね。心そのものをそういう風にするというのはさ、殴られても痛みを感じなくするぐらい難しいことなわけでさ、自分も人間だから、んだったら殴られないような場所にいればいっていうか、防御という意味だとまぁ殴られても痛くないような防具を着てればいいってことだよね。まぁだからといって心の修行を無くすという意味ではなくてね、心にとって悪なことが起こりうるようなものを徹底的に排除していくというよりかは選択的に排除が可能なぐらいの余裕を持つということがニルヴァーナへの道だと思うのね。


ようは仏陀になりきれない、それでも仏陀のような心境になりたいと願うものが目指すニルヴァーナね。で、それにはモロに金が必要なわけ。金があれば楽でしょ?嫌なやつと付き合ってかなきゃいけないって大体がさ、仕事とかじゃん?ようは自分の生活費に繋がってることだから、そいつを縁を切れないっていうさ、んでも金があればそういう場があれば「あ、俺もうあいつが嫌なんで辞めます」ってすぐに言えるっつーかさ、この余裕って最強だと思わない?こういう余裕って元2ちゃんねるオーナーのひろゆき氏に感じるね。言ってる意味分かるでしょ?ああいう余裕な感じ。でもそれって悟るだけじゃダメで実力とか金が必要なわけでさ、だからまぁそれを得ようとするわけじゃん?それもニルヴァーナへのプロセスになりますよってことだよねってのがつまりは夢を作り出して目標設定を自分なりのニルヴァーナを設定してそれに向かうというのはね、覚者になろうとする凡夫の理想的なあり方だってことだよね。それがまぁ俺の言うwant to玉砕に繋がるわけだ。辛いのが嫌なら現世の極楽浄土を目指しなさいってことだよね。俺も辛いからそうすることにしたわけで、これはモロに実存的な辛さから来ているポジティヴな俺なりの仏教解釈とかまぁポジティヴシンキングってことね。成功したから成功者として凡夫に「こうなのだよ」って伝えてるんじゃなくて、自分も辛い凡夫側からもう辛いって感じるのやめにしない?って提案してるわけだよね。まぁその提案を強要はしないけど、まぁ俺はこれでいくよって決めたってことだよね。だって辛いのは嫌だからね。嫌なやつと付き合っていくとか嫌なことばっかやってるっていうことが死ぬほど嫌だから俺は極楽浄土を目指すってことだよね。


で、その目標設定をavoidanceばかりに目を向けて設定するのではなく、こうありたいとかこれやりたい!っていうようなポジティヴなものから選ぶってことだよね。そうすれば結果的に嫌なことをしなくて済むようになるし、嫌なやつとも付き合わなくて済むようになると思うのね。それは自然とそうなるというよりかは、現実的に描くビジョンの中に苦痛な事柄からのavoidanceってのが含まれているから、だから自ずと描いたビジョンにはすでにavoidanceが埋め込まれているってことね。ただそれはプライマリーな目標ではなくあくまで要素であるってことね。んでもまぁ重要な要素だけどそれそのものが目標ではありませんよっていう。


これって現実的でしょ?すんげー抽象能力とか必要ないじゃん?人間らしい人間が感じる苦からの解放と楽を求める心が統合されて出てくる「こうありたい!」って願うビジョンだよね。まぁ好きで大変な事をやってるやつはそれでいいし、それで幸せだって感じてるならそれでいいけど、現状に満足してないやつは絶対それを打破しないと絶対良くはならないからね。良くて現状維持で悪くて悪化だからね。だったらそれを放置しないでそこから抜け出した方がいいわけ。俺はもう辛いのはゴメンだからそこから抜け出す事を選んでるってことだよね。で、まぁまず大きな一つは達成できてるってのがまぁこっちにいるってことなんだけどね。モロに一歩っつーよりかは数歩は踏み出せてるじゃん?で、もっと先に進もうってことだよね。


まぁ長くなったけどそんな感じで今日はこの辺で。