電車男と純愛について。

mimisemi2010-04-04

いやさ、今更ながらね、電車男見たんだけどね、あ、映画ねっつーのはまぁあれなんだよね、こないだメトロポリタンミュージアムに一緒に行ったやつとなぜかオタクの話をしてた時に出てきたんだけど何気に見てないなと思ってさ、んでまぁ見たんだけどさ、まぁ予想通りの展開でまぁ特に何も無いんだけどね、いや、何も無くないんだけどさ、まぁあれが実話かどうかはともかくとしてっつーかすげー脚色されてるでしょ?まぁそれはともかくとしてさ、すげー羨ましいなって思ったのがさ、彼の境遇っつーよりかは彼の気持ちだよね。電車男エルメスさんを思う気持ちっつーとなんか凄まじくくさい感じになるけどさ、あんだけ人を好きになれるって凄いよな。本当に。俺が求めてるのはまさしくあれだねっつーのはね、あんな人に出会うってことじゃなくて、多分ね、そういう気持ちを自分で感じるってことをしてみたいんだと思うんだよね。まぁイコール出会うってことなんだけどさ、ああいうのって合理性とか吹っ飛ぶじゃん?頭で考えてることとかが全部どうでもよくなるっていうさ、まぁパッションだよね。


でさ、男女交際率が下がってるとか言うけどさ、草食系がどうのとかっていうさ、まぁそういうのも含めて多分ね、そういう人に会ってないとかさ、そういう風にならないってやつらが男女共に増えてるんだと思うよね。いや、分からんけどまぁ日本ではね。あとは俺で言えば恋愛基準がこの電車男並でさ、んでそうじゃないレベルのものはスルーっていうことがまぁ交際ってことを避けることになるんだと思うよね。男女交際が当たり前っつーかまぁ高かった時期っつーかなんつーのかな?軽いアメリカ人とか見てると思うんだけど友達感覚で付き合ってるやつら多いんだよね。とてもこの電車男レベルじゃないっていうさ、なんか他の可愛い女の子とかかっこいい男とかが見つかったらすぐ鞍替えしそうなノリぐらい簡単な感じなんだよねってまぁ別に俺の印象だけどね。


いや、まぁ俺がそうだってことはまぁそういうやつもいるだろうって言えるわけ。ようは俺みたいにデフォルトが電車男レベルの恋愛を求めてるっていうような敷居の高さね。いや、エピソードとかはどうでもいいのね。あんなにベタベタな純愛じゃなくてもいいわけ。ただ俺がいいたいのは気持ちね。それこそ盲目になるぐらいの気持ち。いや、エピソードとその気持ちってのは分けて考えてほしいのねっていうのがね、俺が電車男を羨ましいって思ったところで、ああいうようなベタな純愛を求めてるってことじゃなくて電車男があんだけコミットできるぐらいの深いレベルになるぐらいの気持ちが欲しいっつーかそういうのが持てるぐらいの人と出会いたいっつーかまぁそれが恋愛だって思ってるわけね。だからまぁ逆を言えば仮に俺がそういう人に出会ったとして、んでまぁべた惚れしちゃって、んでもエピソードレベルではリアルでまぁ映画化とか絶対できそうにないとかで全然いいわけ。まぁそりゃー美しいに超した事は無いけど、ようはそれは気持ちだからね。物語ってのはただの付属物なわけで。


で、俺で言うとしつこいようだが姫とリア二千なんだよね。あれは本当に凄かったね。でもああいうのって滅多に無いんだなっていうのをまぁ凄く感じてるわけだ。今更ながら。さんさーらながら。でもそれって経験しないと分からないでしょ?で、俺はこっちに来て始めて経験してだからまぁあれ以来まぁ悪くないなーとかって思い始めたんだろうけどさ、でもそういうのがあったら逃したら絶対ダメだねっつーかまぁ結果的に結ばれなくてもいいけど、まぁ後悔しないぐらいのことはやっておいたほうがいいよなってことだよね。俺のリア二千の時みたいにこっちから断るみたいなことは絶対しちゃダメだってことね。


いや、仮に好きなんだったらそれはもうそれだけでコミットする価値があるわけね。それはまぁ俺が言ってるwant to玉砕と一緒でさ、やりたいことがあればやってみて、んでまぁそれで玉砕してみろってまぁ恋愛的なコンテキストで語られることが多いけどさってまぁ当たって砕けろってまぁ恋愛用語なのかな?分からんけどでもまぁ逃しちゃダメだねってのはそれはすげーレアなもんだからね。人生然り。仮に現在の人生の中ですげーやりたい!とか死ぬほど好きなことがあったら絶対やらなきゃダメだね。そんなのがあるって時点で恵まれてるわけだ。そりゃーそのまま恋愛にも言えて、「すげー好きだ!」って言えるぐらいの人がいたらもうそれだけで凄いことだから絶対コミットしたほうがいいってことなんだよね。そういうものに対して「今はいいや」とかって無いわけね。「今しかない!」だよね。明日死ぬかもしれないんだから。


変な話さ、いつか死ぬとかさ、体が衰えていくとかさ、そんなこと考えたら余計に今できることってやっておいたほうがいいって思わない?若さがあるから出来る事ってやっておいたほうがいいよね。まぁ俺が言う若さってのは50代前半ぐらいまでなんでまぁ広範囲なんだけどね。まぁ分からん。物理的にっつーか体力的にちょっと色々なことがキツくなるのって個人差もあるだろうから分からないけどさ、とりあえず体が動いて精神もビンビンなときにやれることってのはやっておいたほうがいいよね。すげー勿体ないよね。仮にそういうのがあったとしてやらないってのはそれこそプライスレスな価値があるものをスルーしてるようなもんだからね。


いやね、純愛にしてもやりたいことにしてもね、ステレオタイプに言われるような「夢」とか「純愛」を願うんじゃなくてねっていうのはね、まぁそんなの無いじゃん?俺はナイーヴな夢は大嫌いだからね。恋愛然り。そうじゃなくてさ、合理性とかが吹き飛んでしまうぐらいのドライヴを感じるような何かがあるのか?ってことね。恋愛で言えば純愛とかってことじゃなくて、気になって寝る事もできないぐらいの人がいるのかどうかってことね。いても絶対実らないとかでまぁ辛いこともあるだろうけど、でもまぁ可能性があるものだったらコミットする価値ありだよね。それはやりたいこと然り。俺が言いたいのはあくまでリアルに立脚した何かだよね。リアルがつまらんから二次元に行くとかって言ってのはさ、まぁそれはそれでいいんだけど、んでもそれって選ぶもんじゃないよね。まぁリアルにそういう人が滅多にいないってのはあるにしても仮にそういう人と出会ってさ、夜も眠れなくなったらそりゃーリアルでコミットする価値の恋愛が生まれたってことなわけでさ、ようはなんつーか選ぶとか判断するとかってのが吹き飛ぶ何かだよね。それがドライヴってもんでしょ。衝動というかなんというか。


まぁリアルにいないから二次元だって言うのもいいけどさ、まぁリアルの可能性を閉じるってのは良くないよね。まぁ最初からリアルに興味が無かったらいいけどさ、興味があるんだけどいないってことで閉じるのはナンセンスで常にオープンにしておくべきなんだよねってまぁ奥手な俺が「べき」とかって言うのも変な話なんだけど。でもまぁ恋愛とかやりたいことってまぁそういうもんだよね。見つからない人も大勢いるけど、まぁ両者共に見つかってる人はラッキーだよね。まぁ実らないものであるとまぁ辛いものになるってのはさっき書いたけどさ、んでもまぁ俺の経験から言うとそれこそまぁ辛いものがあったとしてもまぁこれ自体は凄いことっつーかすげー人間らしいことだよね。


いや、ようはあれだ、「好き」ってことは定言的なもんで特に理由なんて無いってことだね。それ自体が理由っていうか。それを考えると俺にはそういうものが無いか少ないのかもなぁー。学問にコミットしてるのもさ、唯一、俺がやってけるかもしれない領域とかさ、前に色々書いたけど社会的なファクターが多いんだよね。まぁそれを置いておいても好きだけど、んでもどこまでが社会的なもんでどこまでが趣味的なのかが分からんね。本当に。宮崎哲弥がさ、自分の趣味は仏教の経典とかの原典を読むことみたいなことを言っててさ、趣味と言えるものはこれ以外に無いってすげー分かるんだよね。あの人って死ぬほど本を読んでる人だけど、んでも別に読書が趣味なわけじゃなくて、まぁ評論家っていう立場から色々なもんを節操無く読むっていうさ、まぁそれ自体が好きだから出来ることではあると思うけど、んでも趣味じゃないんだよね。


で、趣味と言えば仏教の経典の原典を読む事ってことなわけでさ、凄く趣味少ないっていうか限られてるよね。すげー分かるんだよね。それ。俺も似たようなもんだからなぁー。サバイヴっていう理由とかさ、英語を磨くっていう理由から読書をしてるってことも大きいわけでさ、それって社会的なファクターじゃん?で、たまに好きなものも混ざるっていうさ、ただ意識的に選んでるわけじゃないっていうね。本当に好きで読んでるものなんてあるのかな?ってちょっとさ、読書ってことが当たり前になりすぎると分からなくなるんだよね。そのおかげでまぁ「好き」っていう感覚が麻痺してるのかもしれない。まぁミックス作りとかは完全に「好き」なことだけどね。「好き」な曲しか入ってないし。でも意外とまぁ趣味に生きてるように見える俺みたいなやつでもさ、定言的に好きって言えるものって何?って言われると迷うんだよね。本当に。それって何なんだろうか?と。それがあんまり取り立てて言えないから趣味が無いのかもな、実際はとかって思うのかもね。数学とかも好きっつーよりかは偏見無くせば面白いかもしれないし哲学として興味があるみたいなまぁ好奇心だからね。それ自体が好きか?って言われると好きって言えるほどそれ自体を知ってないしさ、それってまぁ恋愛もそうでしょ?


まぁ好きってな印象があって、んでまぁ一緒にいたいからだとかさ、もっと知りたいからとかっつー理由で交際するわけじゃん?で、告白するとかって完全に好きです!って言うもんだから凄まじく定言的なんだよね。「なんで?」っていう理由無しっていう。数学ガールで言うところのミルカさんとか主人公は定言的に数学が好きな人たちだよね。ああいう感じが恋愛しても数学にしても羨ましいのかなぁー?俺。コミットしてるようでしてないかもしれない自分がいるっていうかさ、何かと好きっていうかコミットしてるものに打算的な理由があるっていう。それが好きさ加減の純度を低めてるっていうかさ、いや、恋愛で言えば結婚すれば楽になるからとかさ、同居すれば経済的に楽になるとかさ、まぁ別にそういうファクターがあってはいけないとは言わないけどさ、んでもそういうのって打算的じゃん?それでまぁ好きならいいんだけど、俺っていつもそうだよな。理由があるんだよね。むしろ「好き」の純度ってのは理由の無さで計れると思うんだよね。それこそがまぁ純愛なんじゃないかと。だからまぁさっき書いたようにエピソードとかは関係無いのね。別にギャルゲーみたいな展開とかじゃなくてさ、それは意識っつーか意志の問題ね。それはまぁ無条件に訪れるもんだよね。一目惚れだとかなんだとか。そういうのがある人って心が豊かなんじゃないかな?分からんけど。


まぁそういうのに触れてコミットすると心が豊かになるっていうと変だけど、まぁ良い経験にはなるよね。すげーそれって人間らしいと思うんだよね。だから憧れるわけ。俺は人間性そのものに憧れてるってことなのか?変なのー。まぁ俺は人間らしいと思うし人間臭いと思うけどね、でも「好き」に関して言えばどれも微妙だよね。本当にっつーのがまぁ読書っつーか学問なんだけどね。どこまでが習慣でどこまでが義務でどこまでが好きでやってるのか分からないっていう。当たり前になるとまぁなんでもそうなのかな?まぁ結婚生活みたいなもんで。Engageし過ぎると当たり前になるっていうね、存在が空気のようになるっていうさ、まぁ俺に関して言えばまぁそういうことなのかな?好きになることを好きになり尽くしているんでそれが当たり前になってるんで「好き」っていう初々しい感じを長らく感じてないって感じなのかな。それが「毎日変わらない生活」っていう実感をもたらしてるのかもしれない。まぁ恐らくそうだろうな。あとはまぁ好きじゃない事をなるべくやらないから好きな事が際立たないんだと思うね。好きな事ばっかやってるのがデフォルトだからそれがコントラストとかで目立たないっていう。んーどうなのかなぁー?でも実感としてはやっぱさっき書いたさ、どこまでが習慣でどこまでが義務でどこまでが好きでやってるのか分からないっていうのは本当にあるよね。それはマジである。


まぁ今日はそんな感じで。