ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

数学って天才達の仕事の所産だねっていう。

mimisemi2010-04-05

趣味の無さの話の続きだけど、まぁ俺なりに結論が出たっていうのはまぁただの「飽き」なんじゃないかと。この飽きのメカニズムに関してちょっとネットで調べてみたんだけど、「馴化」っつー言葉があって、これはまぁ似たような刺激を受けると慣れてくるっていうようなことね。刺激が強ければまぁ馴化は遅いらしいけど、まぁどの道、恒常的に受けてればそれは人間の適性としてまぁ備わってるもので除去不可能なんだそうだ。俺の読書もそうだろうなと思った。こればっかやってるからこれ自体に飽きてくる。で、まぁ色んなジャンルのものを読むんだけど、読むという事自体に飽きてくるっていうかなんていうか。


あとまぁ新ジャンルを開拓しても早く色々と読んじゃうから馴化が生まれやすいのかな?とは思ったね。ようはまぁ予想不可能なものってのがどんどん無くなってくるってことね。知れば知るほど何かに対する新奇性みたいなのは失われていくっていう。ゲームも音楽も全部これで説明がつくね。ゲームに関してもまぁ新奇性があるようなのなんてもう無いじゃん?RPGとか格ゲーにしたってさ、もう何十年以上も前からやってるわけで、ある程度のパターン慣れするじゃん?思うにスト2とか鉄拳とかが面白かったのって新しかったからだよね。それまで全く無いものだったから新奇性があったわけだ。でもまぁ今となってはそんなの無いっていう。だから鉄拳が進化しようが鉄拳っつーフォーマット自体に慣れちゃうっていうか。バイオとかサイレントヒルとかも同じね。ドラクエとかFFっつーRPG然り。なのでまぁグラフィックとかがいくら良くなろうがまぁグフラフィックの凄さなんてのも慣れるしさ、そういうのって別にゲーム以外でも映画とかでも観ることだしさ、新奇性無いよね。なのでゲーム性は?っていうとまぁ従来のRPGとかと変わらないっつーことでまぁすぐ飽きるっていう。


まぁ飽和ってこういうことだろうね。哲学とかも色々とかじったんで新しいパラダイムとかを知るとかってもう無くなるんだよね。あとはまぁ個々を深めていくって感じだけど、深めていこうって思うのって意外と少ないのよね。で、数学もある程度まぁそんな感じにはなってきたかな。結構概念とかを掴めてきたから新奇性ってのは無くなってきたかもしれない。ここ半年ぐらいがピークだったねっつってもまぁ学校でやる数学は面白いんだけどね。単純でなんのアレも無いんだけど、まぁ学校でやるものにしてはすげー面白いっていう。ただ家であえて本とか読んでやるっていう感じじゃないんだよね。学校でやるから面白いっていう。アーケードゲームを家でやってもゲーセンほど面白くないのと似てるかもしれない。んまぁでも今の所まぁあれだけどね、数学に関して言えば「あー!そうだったんだぁー!」っていう「アハッ!」がいっぱいあるから楽しいよねっつーか唯一生活の中で面白い事かもしれん。まぁそんなハイペースでやってるつもりはないんだけどね。マイペースだからこそ楽しいっていう。


ってことはさ、ある程度知りたい事を大体知れたら俺ってやることなくなるよね。それがちょっと怖いなと思ったね。最近本屋に行ってもさ、これは前から書いてることだけど、買いたいものがありすぎて困るみたいなことが無くなってきたから、なんか読んでないのを読んでみようっていうさ、スルーしてたのを読んでみようかな?みたいなそんな感じなんだよね。音楽もそうだったからね。音楽っつってさ、知らない頃はまぁテクノだハウスだってまぁそれを知るだけで面白かったし新鮮味があったけど、まぁ色々聞くとさ、全く聞いた事がない音楽って無くなるじゃん?ハウスとかテクノとかムンベとかにしてもまぁさっき書いたRPGとかと一緒でまぁそれ自体は進化してるけど、まぁフォーマット自体は変わってないからまぁなんら新しいことは無いっていう。まぁそれでも好きだけどね。でも新しさで言えばそれこそまぁ俺で言えば2step以降無いよね。「お!新しい!」っていうような新しさは無いね。ダブステップとかグライムとかもまぁ一時期新しいものとして聞いてたけどまぁああいうもんだから飽きるのは早いよね。ましてや深みの無いもんだから。


今の俺の数学って俺の音楽史で言うところのジャズに近いな。哲学とか思想とか社会学とか政治学がまぁ俺にとってのメインストリームのさ、電子音楽とかテクノとかハウスとかムンベっつーメインで聞くような音楽でさ、んである程度そういうのはかなり聞き尽くした感があるから違うテイストのものをってことでまぁ全然今までとは違うテイストのものをって感じで数学に行ってる感じだね。まぁ理由はそれだけじゃないし、まぁ散々色々と書いてきたから繰り返さないけどさ、まぁそんな単純な理由だけじゃないけど、それはまぁジャズ然りでさ、ジャズを真剣に聞くようになったのもまぁそんな表面的な理由じゃないんだけど、んでもまぁ感じとしては似てるんだよね。ジャズと数学。なんつーか音楽の根本の本質的なものが内包されてるって意味でもまぁエッセンシャルって意味で数学とジャズは似てるかもしれないね。


あらゆるモダン音楽のベースみたいなのが例えばジャズみたいな音楽にほぼ集約されてて、んで他のモダン音楽っつーのは明らかなものからそうじゃないものまで、結果的には探っていくとジャズに行き着くみたいなそんな感じね。純粋数学みたいなのがある意味でちょっと学問的に浮いてるっていうさ、いや、実際どうなんか分からんけど、メインストリームじゃないって意味でさ、今更ドジャズをやるなんて珍しいっていうかさ、まぁレアな人種じゃん?で、ハウスとかとクロスオーバーしてたりするのが応用数学だよね。あとはジャズって形は残ってなくても形式って意味では結果的にジャズがルーツであるみたいなもんがまぁ大抵のモダン音楽だと思うからさ、それってのがまぁ科学全般とか経済学とかなんじゃないの?っていう。まぁ数学が関わってくる学問って多いでしょ?そんぐらい数学ってあらゆるもんのベースってことだよね。


思えばエレクトロニカっつーか音響みたいなのもさ、まぁもうそんなに新しいジャンルではないけど、まぁ何気にまぁ意識的にやってるかはともかくとして結局、形式的に言うと現代音楽なんだよね。コンテンポラリーミュージックって言うと全然響きが違うけど、日本語の「現代音楽」ってケージとかクセナキスを連想するじゃん?これって独自っつーかすげー強いよね。英語にするとそんなニュアンス無いっていう。で、まぁ音のみを追求するみたいなさ、そういうのとかって何気に過去のアカデミックな連中が電子音楽っていう形式でやってたみたいなさ、それがまぁ結果的に符合するんだよね。なんかのアルゴリズムを使ってそれでモジュレーションを起こすみたいなのって結局まぁ現代音楽的な電子音楽だよね。チュードアみたいな感じ?あとはリセとかね。


そう思うとなんつーかルーツが無い音楽ってあるのかな?大体まぁさ、俺がさっきあらゆるものの雛形ってちょっと乱暴に書いた数学っていう意味でさ、なんつーかハウスとかガラージでもまぁダンスミュージック全般結局まぁルーツがブルースだったりさ、いや、ボーカルの形式とかね、あとはまぁブラックミュージックじゃん?モダン音楽のルーツってほぼブラックミュージックだからね。あとはまぁあれだね、オーケストラみたいなのを使うのはさ、まぁ結局まぁクラシックじゃない?そこからまぁ現代音楽とかも入ってくるけどさ、まぁ恐るべし!ってぐらいまぁルーツが明らかっていうかほぼパクリだよね。ドビュッシーとサティって俺は凄いと思うのね。所謂、まぁ音楽史で言うところの印象派って呼ばれるもんだけどさ、まぁ諸説あるだろうけど、まぁセザンヌとかモネとかゴーギャンとかさ、まぁザクッ!っと言っちゃうと主観のイメージをそのまんま表現にするってやつだよね。


写実主義みたいなんだとさ、映ったものをそのまま書くっていうさ、んでも写真があるんだからそんなのいらなくね?っていうさ、まぁいらなくないんだけど、んでも写真っていう存在がアートで言う所の印象派のムーヴメントを作り出したきっかけになったっつーのはあるよね。多分。まぁそんなアカデミックな根拠を求めないでね。俺に。んでさ、サティが印象派って呼ばれるのか分からないけど、んでもイメージをさ、それこそ私的なイメージを音に出力するって凄いよね。形式は西洋音楽でもさ、イメージがそういう形式で出力されてるって意味でなんつーかオリジナリティが出て当たり前だろうっていう。俺はレスバクスターが大好きだったんだけど、全然あんなのドビュッシーのパクりなわけでさ、ようは俺はドビュッシー的旋律にウットリしてたわけだよね。まぁドビュッシー的甘い旋律と西洋のオリエンタリズム的なエキゾチズム丸出しの土人な感じがミックスされたレスバクスターの音楽はまぁそれはそれで最高だけどさ、ハイブリッドだよね。レスバクスターは。


で、なんつーか音楽でダダみたいなことをやったのってやっぱフルクサスとかだと思うんだけどさ、まぁああいうのは完全にルーツ無しって言えるけど、ああいうのって音楽とは離れていくんだよね。で、ノイズってのはまぁ日本のアングラノイズは完全にルーツ無しっつってもんでもまぁロックとかサイケとかさ、そういうのは当然あるよね。インダストリアル系で言えばクラフトワークからのまぁテクノポップみたいなのをフルクサス的なはちゃめちゃ加減と殺人とかセックスっつー60年代のエクスプロイテーションフィルムみたいなイメージと結びつけたようなものがあったりさ、まぁ結局まぁハイブリッドだよね。SPKとかはまぁファーストで言えば最初の曲が完全にノイズっつーかEMSのノイズなんだけどさ、ああいうのをルーツ無しっていうよね。「変なのやっちゃいました」みたいな。んでも音楽とは言い難いよね。で、SPKの音楽的なトラックってまぁ乱暴な言い方しちゃえば結局は当時のインダストリアル系っつーのにモロ入るじゃん?俺はああいうのクラフトワ―ク型って勝手に思ってるんだけどね。TGとかだってそうだからね。クラフトワ―ク型の編成とか機材の使い方をパンクみたいなスタイルでやってるっていう。


メルツバウなんて完全に現代音楽的な電子音楽だったわけで。まぁ当初のコンセプトが「ミュージックコンクレートをバイオレントにやる」ってことだったらしいけど、それプラスメルツっていうさ、シュヴィッタースのメルツの手法をテープコラージュって形でやってたっていうさ、まぁコンテンポラリーアート音楽だよね。すげーハーシュやりだすのって80年代後半からなわけで。マゾンナもまぁロックだし非常階段とかもまぁロックだよな。本当に。ノイズとは言えいきなり変な形で出てきたってよりかはルーツがあるんだよね。ちゃんと。ソルマニアなんかも完全にロックだからな。特殊なのがやっぱインキャパだな。でもまぁあれはチュードアをバイオレントにやってるとも言えるわけで、まぁ結構正統な電子音楽なんだよね。


別に囲い込みをするつもりはないんだけど根無しのものなんて無いよね。多分。俺のコラージュとかってどうなのかな?まぁあれもモロにシュトックハウゼンウォークマンとか暴力温泉芸者とかPeople like usから影響を受けてやってたわけで、全然オリジナルじゃないよね。オリジナリティはあるけどオリジナルじゃない。まぁ俺は勝手にポップアートだと思ってるけどね。まぁ呼び名なんてどうでもいいんだけど。俺のノイズはまぁ真似なのは言うまでもないし、アンビエント系のやつはまぁ完全にミュージックコンクレートだよな。こればかりはまぁいつも言うようにシェフェールとか知らないで始めてたわけだからこれは俺のオリジナルだって言えるかな。結果的にまぁオリジナルじゃないけどね。


んだからまぁ結局印象派ってことになるよね。俺で言えば頭にあるイメージとか音を具現化するっていうさ、まぁ抽象的なもんを音にするって感じだよね。だから全然音楽じゃないわけ。ただの音の塊だよね。で、俺は何を書こうとしてたんだっけな?あー新しいことか。いや、いつも名前を出すけどさ、椹木野衣のシミュレーショニズムに全てが集約されるよね。あとでアフィっておくけどさ、もう新しい事ありませんみたいな。新しいと思ってても誰かがやってますみたいなね、だからあとはサンプリングとかカットアップとかシミュレーションしかないっていう。それを方法論としてやってるのがオオハシアキラだよね。この人完全に天才だと思うんだけど。いや、意外と少ないよ。天才って。坂本龍一はよく天才だと言われるけど、全然そんなことなくて、あの人はさっき名前が出てたレスバクスター型ね。ハイブリッドを高クオリティでやる人。


で、センスがずば抜けてて音大とか行こうが美大とか行こうが無いやつには無い!って言い切れるぐらいの何かを持ってる人達って今思いついたのだとテイトウワとまりんぐらいだな。あとまぁオオハシアキラか。日本で言えばまぁこんなもんだよね。本当に。他がクソってわけじゃないよ。ただずば抜けた天才ってすげー少ないってことね。そりゃどんなフィールドでもそうだわな。海外で言えば誰かな?アトムハートは完全に天才だな。あのクオリティとセンスは半端じゃない。これでも偏ってるよね。俺の好みに。でも分かるでしょ?俺が思う天才って彼らなんだよね。で、みんな繋がってるしね。何かしらの形で。あ、俺が挙げた人達ね。


なんか俺天才に憧れるんだよな。本当に。感性的なもんに天才っているんだよね。芸術とか音楽とかね。で、学問だと意外とそうでもないのね。で、例外が数学とか物理なのよね。哲学とかって優等生が多いんだよね。凄く深く思索していた頭の良い人達が多いんだけどってまぁニーチェみたいな例外はあるけどさ、でも大抵が凄いけど天才じゃない人達が多いんだよね。それに比べて数学って半端じゃないんだよね。何なの!!っていうあの天才さね。オイラー、リーマン、ガウス、ガロワ、アーベル、カントールゲーデルノイマンエルデシュ・・・・みたいな人達って明らかな天才だよね。もうどう考えても凡人じゃないレベルっていうか、このなんつーかさ、明らかな違いだよね。「何なの?」っていうさ、これがまぁ俺に感動をもたらすのかもね。よくもまぁこんなこと思いついたよな!こいつら!ってのが彼らの思索を辿っていくと凄まじい感動と知的刺激に行き着くんだよね。


乱暴な言い方をまたしちゃうとさ、例の連絡が来ない先生がさ、俺があまりに「天才だ!天才だ!」って騒ぐもんだからさ、いや、わけわからんかもしれないけど、まぁ数学の話になるとね、大抵まぁ俺は彼らの名前を出してはさ、「何なんですかね?彼らは。天才ですね!」みたいなことを言ってたんだけどさ、これって天才じゃない人から見ると不快なことにもなりかねないっつーのがさ、恐らく99パーセントの数学者って天才じゃないじゃん?で、先生はさ、「数学ってのは天才とかそんなことじゃなくて努力の積み重ねなんだ」とかってまぁ俺にちょっとお灸を据える感じのことを言ってたことがあったんだけどさ、これって凡人の悲痛な叫びだよね。誰の言葉だったか忘れたけどさ、数学ってのは天才が作り上げて、残りの凡人がフォロワーになったりして、まぁ奴隷がやるような計算とかをやるんだみたいなさ、いや、でも残念ながらそうだよね。


数学史とかを読んでればよく分かるけど、いかに数学ってのが少数の天才によって作られてきたかってのがよく分かるよね。そんな天才の世界みたいな数学で凡人がやれることってさ、フォロワーになって天才の先人が作り出した理論を発展させるかさ、あとはトリビアルな証明とかをチマチマやっていくかだよね。で、トリビアルな証明ってサグラダファミリアみたいなさ、天才ガウディが作り上げた建造物の建造とか修復をやるようなもんなんだよね。アーキテクチャみたいなのは天才が作り上げてさ、残りの細かい仕事は大工さんがやるっていうさ、そんな世界だよね。でも凡人はそういうのを認めたくないっつーかせっかく自分も数学やってるんだしさ、数学が天才のものとかって言われちゃったら自分の実存っつーか存在意義が危うくなるじゃん?だから「努力と積み重ねの賜物だ」とかって言いたがるんだよね。実際はそうじゃないんだけど。


いや、天才も努力するよ。でも天才が10年取り組んでるなにかとさ、凡人が10年取り組む何かって違うじゃない?俺が言いたいのはその差ね。天才だっつって一瞬で理論とかを発明するわけじゃなくてってまぁ一瞬の場合もあるけどさ、でもまぁ長い研究とかも必要なわけでさ、そういう意味で一瞬ではないって意味でまぁ「努力の積み重ねの賜物」なんだけど、んでもこれがまぁエジソン的でさ、1パーセントの閃きがあって、あとはそれを具現化させる努力っつーよりかは発汗なんだよね。それが99パーセントだっていう。だから閃きが無いとただのシュトレーバーになるっていうかさ、ただの大工さんになるんだよね。まぁ大工さんをバカにするつもりはないんだけど、んでもまぁ天才数学者ってのはガウディみたいな天才建築家ってことだよね。で、その形を作るとかさ、発展をさせていったりするのがまぁ大工さんの仕事っていうかさ、天才の仕事を理解できればそこからまた続くプロセスってあるじゃん?まだやれる部分っつーのかな?天才によって開拓された場所で何かやれるみたいな。それがまぁ99パーセントの数学者がやる仕事だろうね。


で、1パーセントの閃きと99パーセントの発汗ってのは作業を全体で見た時のことを言うわけでね、1パーセントぐらい閃きがあればなんとかなるってことじゃなくてね、閃きってのは一瞬でピキーン!と来るもんだからね、ただそれの具現化なりね、体系化なりね、証明ってのは地味な作業だったりするから99パーセントの発汗が必要ってことなんだよね。これは何も生み出せないフォロワーにとっちゃ辛い言葉だよね。「数学は天才とかそんなんじゃない!」ってすげー分かるな。天才じゃない凡人の悲痛な叫びだよね。本当に。数学を知れば知るほどこれがいかに天才の所産なのかがよく分かるんだよね。そのプロセスが知的刺激だらけっていうか刺激的な天才のありえないぐらい凄いものに触れられるってことでまぁ楽しいのかもね。それは哲学とかの比じゃないよね。「うわーよくこんなの思いついたなぁー!」っつーレベルが違い過ぎるからさ「フムフムなるほどね」ってレベルじゃないんだよね。哲学ってフムフムの連続だと思うんだけど、数学って「うぁぁぁぁぁぁ!!なんぢゃごりゃぁぁぁぁ!!」っつー驚きと叫びの連続って気がするね。だから刺激的なんだと思うよね。天才達の桁が違い過ぎるっていうか。


音楽とアート系と映画とかってそういうのを感じられるよね。で、数学もそうなのよね。ってことで数学もアートなのかもしれない。すげー感性と天才的センスみたいなのが必要とされるって意味でアート系と数学って似てるね。あとまぁ物理学もそうなのかな。これはまぁまだあんまやってないから分からないんだけど。そこまでセンスが無くても出来るけどね。音楽も映画もアートも。でもやっぱ凄いのは天才の所産っていうね、凡人が絶望的になるんだよね。天才の仕事を見て。俺は音楽で本当にそういうのを感じたもんね。俺じゃ無理だなって天才の仕事を見れば一瞬で分かる。だから諦めも早いわけだよね。だからまぁクオリティはともかくとして俺がやって意味があるような俺が面白いと思えるようなものしか作らなくなるんだよね。まぁ俺の音楽の才能ってそんなレベルなわけで。ミックスに関してはかなりのクオリティを自負してるけどね。自分で聞いててすげー良いと思うから。その辺で売ってるやつより。だからまぁ作り続けられるんだよね。そこにまぁ作り続ける意味があるからね。


だからまぁ恐ろしいのはさ、哲学にしてもまぁ政治学にしてもそうだけどさ、そりゃー数学にしてもそうだけど、結局まぁふつーの研究者になれて御の字ぐらいのことだよね。これが俺にとってのナイトメアだね。結局はフォロワーになるしかねぇー!っていうさ、そんなのがあったら俺は俺の存在意義みたいなのを失うから怖いよね。だからなんかさ、天才とかは置いておいてもさ、何か書くにしても俺が書く意味があるのってのをここに書いてるわけじゃん?ふつーの研究者とかは嫌だから自分で考えるんだよね。で、自分で何かを紡ぎだすっていう。それが学術的なもんじゃなくても、んでも出力できてればそれはそれでいいよね。クオリティはどんどん高めていけるわけだから。そういう意味で俺は自分に悲観してないんだよね。言いたいことはいくらでもあるからね。ようはまぁ研究者っつってさ、代替可能な労働力みたいになりたくないってことね。やってることが知的なことってだけで、別に代わりはいくらでもいるみたいなレベルにいたくないっつーかそんなんだったらやりたくないっていうね。それはそんな場にいたくないってのもあるし、自分がそんなレベルだったらやる価値無いって思うってことね。


で、数学でもね、俺なりにやりたいことってのが出来ればいいなーって思ってるのね。トリビアルな奴隷の仕事とかやらないでさ、自分の思いつきみたいなのをさ、結実するかはともかくとして色んな概念ツールを使って証明してみるみたいなことが出来るようになればいいなーって思ってるのね。知識が溜まってくれば色んな事思いつくだろうなってのは予想できるからさ、だからまぁやってみたいってのがあるよね。この思いつきがあるっていいよね。書くものにしても「あ!」と思ってメモしたりさ、ガーッ!っとウォール伝に書いてみたりさ、俺は「あ!」がある人間だって思ってるからそれは数学でも概念レベルで「あ!」が起こるってことは同じなんじゃないか?と思っててだからまぁ勝手に可能性感じてるんだよね。それは別にノーベル賞とかさ、凄まじい証明をするみたいなことじゃなくて、俺のレベルで俺なりに思いついたことを具現化させるっていうプロセスを数学で経験してみたいってことね。音楽もまぁ「あ!」を具現化させるフォーマットの一つだもんな。俺にとっては。結局はまぁ全部概念レベルで起こる「あ!」だなっていう。実は数学でも死ぬほどあるのね。色んなメモが凄いある。ただ数学的に正しいかってのが全然立証できるレベルじゃないからさ、だからまぁ書いたりしないのね。まぁ色々やっていって「全部ただの無知が故の妄想だった」って分かるのもまぁいいじゃん?で、そうじゃなかったらそのときは何か書けばいいわけで。数学でも「あ!」が起こってるから、だからまぁ多分大丈夫なんじゃないか?って思ってるんだよね。


まぁ今日はそんな感じで。結局まぁ俺は数学好きになってるってことだね。それは今回書いててよく分かった。まぁこれで十分だな。趣味数学なんだけど哲学とか他の学問みたいに当たり前になってて気がつかないレベルにまで浸透してたってことだね。これって幸せに気がつかない幸せなやつそのものじゃんっていう。


PS


身近な天才を思い出したので。


http://enha.2-d.jp/yokonaito-portfolio2/pages/gairoh.html


彼女とは長い付き合いだから分かるんだけど、なんつーか彼女には見えてる何かがあるんだよね。それは夢の中で出てきたイメージとか、いきなりなんの前触れも無しに出てくるイメージとかさ、絵画のイメージのイデアがあるっていうのかな?それを出力するという行為をするということが彼女を画家たらしめているということなわけでさ、それは何かの模倣でもなければさ、既存のテクニックとかスタイルのハイブリッドでもないわけ。見えてる何かを描くという意味でさ、その見えてる何かがあるっていうのがポイントなんだよね。天才に共通するのはこれね。凡人には見えない何かってのが見える人達なんだよね。それが天才。既存のもののブリコラージュで良いものを作ったりするのは秀才ね。まぁ優等生タイプは大抵がこういうやつだね。で、まぁ恐らく数学も一緒で優等生タイプって凄い多いと思うわけ。


で、天才は一握りなのね。このバランスっつーかさ、俺が本文で言いたかったのはこの芸術全般に見られる天才感覚とかね、凡人との明らかな差ってのが鮮明に出るって意味でアート全般と数学ってなんか共通するものがあるってことが言いたかったわけね。yokonaitoに関して言えば何の技術も無くさ、いきなり描き出したって人だからね。美術関係のレッスンは一切受けてないって人なんだけどさ、それはイメージが先立ってるからじゃん?画家になろう!とかって思って芸大とか入るやつってイデアが無いじゃん?で、何かの技術を取得すれば何かが描けるとかって勘違いしてるわけよね。こういう秀才が描く絵ってのがまぁよく描けてる既存の手法なりスタイルのブリコラージュっていうさ、「上手いですねー!」っていうレベルのものね。まぁ実際は芸術でもなんでもないっていう。音楽も然りね。


音楽だって天才肌みたいなのって勝手に機材集めてさ、ようは作りたい!っていうイメージがあるから技術とか関係無いんだよね。作りたいものがあるからシンセ買うとかさ、サンプラー買うとかさ、例えが古くて悪いけど、まぁ音大行こう!じゃないよね。で、大抵のまぁ優れたミュージシャンって勝手に自分でやり始めた人達なんじゃないの?っていうさ、芸術全般そうだよね。本当に。で、学問に関して言えばあえてまぁこういう言い方をするなら文系って大学に行って体系的に何かを学んで何かを書くっていうさ、まぁ学者さんな感じじゃない?でも数学って感覚的なもんだからさ、それは天才系のエピソードとか見てても分かるけど勝手にやっちゃうんだよね。自分で勝手にやっちゃうわけ。それは恐らく文系みたいな知識の集積からなるなにかではなくて、純粋にイメージだからなんだと思うのね。その数式を記述するための数学的知識があればイメージを描けちゃうんだよね。これって天才肌の画家のそれと似てない?だから俺は数学って芸術に似てるって思うわけ。他の学問とは本当になんつーか違うっていうか凄く芸術的なところがあるね。


文系は一部を除いてそれこそコツコツな感じの研究の成果って感じだよね。独自の哲学展開してるやつなんていないし、いてもまぁアカデミアでは受け入れられないよね。だって新し過ぎたら理解されないわけだから。俺はコツコツ型のリサーチには一切興味ないってことが分かったからさ、数学ってのは本当に良いフィールドなのよね。もちろんイメージとか思いつきを記述するためのコツコツは必要だけど、イメージありきじゃん?何かの閃きありきっていうか。社会科学系とかだとそうは行かないよね。まぁ閃きとかでやる学問じゃないから当然なんだけどね。で、哲学系ではまぁもう俺はここに自分なりのを書いてるからもういいんだよね。出来てるからあとは続けるだけって感じで。まぁかといってブログで完全に満足ってわけではないんだけど。一番やりたくないのがあれなんだよね「何々曰く」みたいなやつね。過去の偉人の哲学紹介のおまけ程度に自分の分析が入ってるぐらいの何かを書くっていうのね。あんなの俺にとっては拷問だな。本当に。別にあれをやる事自体は悪いとは思わないけどね、でも俺には到底無理なわけで。「何々によれば」みたいなのとリファレンスで覆い尽くされるようなのなんて絶対書きたくないもんな。「どう思いますか?」っていうのを書くことにしか興味ないね。だから全然俺って学者に向いてないんだろうね。









マルチチュードは彼らの政治思想はともかく読み物として面白いので。



あとこれはマジで自伝として面白いと思うので。