ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

心霊現象と数学基礎論。

mimisemi2010-04-07

一週間ちょいの春休みが終わるんだけどっつーか明日からっつーか今日から学校なんだけどっつーのはさ、なんで「今日」なのか?っていうと昼夜逆転してるからだよね。なんでこうなるのかな?なんかもう俺の自然の流れがそうしてるとしか思えないな。今日なんて夜の6時に起きたからね。で、クラスは11時からっつーことで微妙だよね。朝6時に起きたとするなら夜の11時から学校ってことでまぁクラブ行くようなもんだよね。なんかでもホント、数学の日以外はさっぱり学校行く気になれないんだよね。本当に。朝からのやつなんて取らなきゃ良かったなぁー。本当に。朝起きなくても良いってだけで全然違うからね。学校の嫌さ加減ってのが全然違う。夕方からとかだったら全然いいわけよ。むしろ生活の中にあっていいんだけど、朝からだと本当に辛いね。まぁ朝からっつっても11時からだけどね。これでもまぁ俺にとっては早朝なんだよね。やっぱ4時からとかのほうがいいな。昼夜逆転してようが朝方だろうが夕方ってのはどういう生活形態にも完全対応する時間帯だよね。


明日っつーか今日徹夜みたいな感じで学校行かないと金曜まで学校無いからまた二連休みたいになるんだよね。なんで俺はここまでやりたいことしか出来ないのかな?怠惰とは違う気がするな。だってやりたいことはやってるわけだから。ゴロゴロしたいから学校休むわけじゃなくて、あまりに無駄だからなんだよねってまぁこの話はいいか。いつもの繰り返しになるから。スピーチのクラスが最悪なんだよな。本当に。まぁ授業自体はいいんだけどねってこれも前に書いたからいいか。先生が死ぬほど嫌いでしかも朝からっていうさ、モチベーションを完全に打ち砕くかのようなクラスだよね。これのおかげですげー今セメスターは学校行くのが億劫になってるね。午前中のクラスは絶対取らないって鉄板ルールにしておこうっと。まぁでも5月で終わるからあと一ヶ月ちょいなんだよね。そう思うと耐えられるんだよね。ああいう嫌なやつが上司とかだったら本当に最悪だよなって思うよね。自分がそこで働くなら期間とか関係無しにずーっとそいつとやってかなきゃいけないじゃん?そういうのが嫌だから俺は嫌なんだよね。


社会っつーかどっかに固定で勤務するっていうのが。嫌なやつに耐えられないんだよね。恐らくまぁOE的なもんで普通の人が受けないような精神的ダメージっつーか嫌悪感を感じてるっつーかまぁ感受性が強いってことだよね。バッドなヴァイヴに反応しやすいっていうか反応し過ぎっていうか。無視できればいいんだけどなかなかねぇー。別に個人攻撃受けてるわけでもないし、因縁つけられてるわけでもないんだけど、もう人間自体が大嫌いなんだよね。顔すらも見たくないっていう。まぁ前はそう思うとルームメイトがそうだったわけでよくもまぁあんな耐えてたよな。俺のハゲもあきらかにこっちに来てから酷くなったからね。ニュージャージーからクイーンズからストレスだらけだったなっていうか、よくもまぁ耐えてきたよなーって思うね。部屋が抜け毛だらけだったもんな。マジで。そう思うと今は本当に抜け毛少ないわ。ただ失った分が多過ぎてそこから生えてきてないっていう。


ストレスって万病のもとだね。ストレスフリーな生活をするべし!だよね。本当に。あ、んで今日書きたいことはね、まぁあれなんだよね、心霊現象とかなんだけどさ、科学ってそういうのは無い!って言い切るじゃん?いやね、ヒュームの奇跡のやつあるじゃん?奇跡が起こったのを見た事がないけど、奇跡が無いということを確信できるものを見たわけでもないので判断できないっていう。科学もこういう余地残しておかないとダメだよね。非科学的なもんっていうけどさ、そういうのって全部科学的に検証して否定しないといけないもんね。でも不可解なことっていっぱいあるわけで。で、そういうのの批判って大体さ、まぁ認知エラーだとかさ、幻覚だとかなんだとかって片付けられるけどさ、一個一個検証してるわけじゃないじゃん?人形が動くのを見た!っつってさ、そんなわけない!ってまぁ科学的な立場は人形は一人で動かないっつー前提でいるから否定するんだよね。でもそれって完全に検証されたわけじゃないもんねっつーのはさ、動く人形とかもあるって言われてるってことで、んだったら動いたと思われるものを徹底的に分析したりなんかしてさ、あとは動いてるのを見たっていう人の検査とかさ、全部やらなきゃダメだよね。それがマスヒステリーだったんだったら状況的な証拠とかを捉えてさ、これはマスヒステリーでしたとかって完全に科学的に断定できない限り否定できないよね。


そもそも霊はいないとか人形は動かないとかっておかしい前提だよね。まぁ一般的にそうだけど一万分の一ぐらいのケースで動いたとかさ、その存在が確実に証明されたって場合もあるわけじゃん?それはつまりは経験論から言うとさ、それを経験した人にとってはそれはあるものだよね。蓋然性で言えばさ、そんな恐ろしい現象に出会うことって例えば一万分の一だったとしても、でもその人が経験しちゃえばさ、それは100パーセントだもんねっつーか「あったこと」になるもんね。でもそれはまぁ一般的にはあんまり認められないっつーか、それがまぁ俗に言うさ、「言っても信用されない」ってことだよね。でもそういうことってあるでしょ。マジで。俺に言わせるとさ、霊はいないとか人形は動かないみたいな前提が弱いんだよね。それをサポートできるほどの科学的根拠が無いっていうかそりゃー根拠はあるっつーのはさ、まぁ人形ってのはモノだからそれが勝手に動くってことはないんだけどさ、でも動いたっつー報告がいくつかあるならさ、動くのかもしれないっていう前提も置いておかないといけないよね。それがまた霊的なものかはともかくとして、まぁ不可解な現象ってのが起こってるってのを認めないとダメだよね。動くわけないから全部そんなの噓だって言うほうがよっぽど科学的じゃないよねっていう。


例えばさ、いわく付きの人形が納められてる神社とかあるじゃん?その「いわくケース」ってのを検証するっつー科学があってもいいんじゃない?って思うんだけどなんで無いのかな?ようは仮にそんなの全部体験者の思い込みだって言うにしても、それをサポートするだけにエビデンスっていうかさ、思い込みの構図みたいなさ、そういうのを体系的にまとめたりできないのかな?って思うんだよね。「んでもなんか怖いから」っつっちゃったらまぁ存在を認めてるってことになるよね。祟りとかさ、無いっていうなら祟りという現象が起こるメカニズムみたいなのを検証する研究みたいなのがあってもいいと思うんだけどね。いつも思うのがさ、なんで心霊系って放置されてるのかな?ってことだよね。ただのオカルトとかって言われて問題にされてないってほうがおかしいんだよねっつーのが世界で似たようなことが起こってるならさ、それが体験者の主観で起こっていることであれさ、なんか変なわけのわからない原因で起こったことであれさ、検証の必要性ってあるよね。あれだけの固定の似たような報告ってのがあってさ、凄い数の人形とかが祀られてるんだったらさ、それって共通する何かがあるわけでさ、これって科学的検証になるよね?


なんかこの辺が分からないよね。放置してるってことは「ある」って認めてるように思えるんだよね。そんなの恐ろしくて手を出せないっつーんだったらまぁ結局そういうのが分からんけどあるって存在を認めてるってことになるよね。霊現象ってむしろさ、世界で場所関わらず似たような現象が報告されてるってこと自体が面白い現象だと思うんだよね。それこそそれ自体がその存在の実在性を表してるっていうかなんていうか。物語とかを壊さないっていう配慮なのかな?それとも。霊的なものを完全に否定しちゃうと成り立たなくなる物語っつーかさ、言い伝えとかそれこそまぁお祭りとか色々あるじゃん?そういうのにリスペクトを払うって意味であえてやらないってことなのかね?心霊写真もデジタルになって無くなったとかってい言われるけどその一方でデジタルでもあるんだよねって書いてるだけで怖くなってきたんだけど。それは多分心霊写真っぽく見えてしまうようなカメラが原因の心霊写真っぽい写真がデジタルによって無くなったってことなだけでさ、心霊写真自体はあるんだよねっていうのがデジタルで撮られた写真による心霊写真ってので証明されてる気がするよね。


まぁ俺はそういうのを信じるっていうかさ、怖いからあんま書きたくないんだけど、そういう経験もあるからね、無いなんて言うやつの気が知れないんだけどさ、無いっていうやつって怖いから無いっていうやつと理系っぽいやつだよね。理系っぽい人のないっつーのかな?だったらそういう人達が心霊写真とかを分析とかしてさ、無いんだ!って証明してほしいよね。なんで心霊系って検証されないのかな?っていつも思うんだよね。心霊研究所っつってさ、それは降霊とかやってるんじゃなくて心霊現象ってのをリサーチするっていうさ、そういうのって成り立たないのかな?霊の存在を完全に否定できることで得られるものってかなりあるよね。それこそ霊感商法みたいなのっつーかさ、スピリチュアリズム全般そうだけどさ、祟りとかも無いんですって証明されればなんつーか社会的に有用だと思うんだよね。そういう迷信みたいなのが原因で横行する詐欺とかってあるじゃん?詐欺だけじゃないんだけどね。別に。無いなら無いで無いでいいんだけどさ、なんで無いって証明するようなエビデンスを用意する何かってのがないのかなって本当に思うんだよね。それは結局無いってことを言い切れないっていうことの裏返しなんじゃないの?っていつも思っちゃうんだけどね。で、ちなみに俺はモロにそういうのはあるって信じてる人ね。元々まぁオカルト好きだからね。んでも態度的には科学的なもんを取るからこそ、だからまぁだれかやってくれねぇーかな?って思うわけね。


日本だけで見られる現象とかだったら分かるよ。メディアとかがねつ造してるんだろうっていうさ、あとはまぁ昔からの風習とか言い伝えでそういうのがあるって言われてる文化だから存在するっていうことが通念になっているっていう。んでもさ、これは前にも書いた事だけどさ、こうやってアメリカにいてさ、んでアメリカ人でもいるんだよね。まぁそんないっぱい話を聞いたわけじゃないけどさ、まぁようは俺が言いたいのはさ、なんで世界で似たような現象が見られるのか?ってことねってさっきから繰り返しになってるね。すげー心霊現象ってあやふやだよね。科学的にそんなのあるわけねぇーじゃん!って言われてるくせにサポートするエビデンスみたいなのがないっていうさ、そういう現象は何々と言われますとかさ、それはそれです、こういう現象に関してはこれですみたいにさ、全部に対して科学的な「無いです」って言えるようなものがないっていうさ、だから弱いよね。「無いです」って言う側の科学的態度とやらが凄く弱い。それがまぁ今日の俺が書きたかったことね。思考停止的に人形が勝手に動く事は無いとかさ、霊なんてものは存在しないってのが検証無しにアプリオリに措定されてるってのがなんだかなぁーって思うわけね。なぜそれはアプリオリなんですか?っていう。


これ思いついたのってね、心霊ビデオとか見てて思ったとかじゃなくて数学系のことを考えてて思ったのね。数学もアプリオリってのについて考えていくと結局似たような話になるわけね。そうだって言われているけど根拠は?って言われるとまぁ「ルールだから」ぐらいの答えしか帰ってこないっていう。まぁそういうことについて書いてある本を読んでるからまぁ「ルールだから」で終わってはいないんだけどさ、who cares?みたいな態度が俺は好きじゃないのね。これってやっぱどうでもいいことなんだろうな。なんで俺はこんなにどうでもいいことばっか気になるんだろうな?数学の場合、数学哲学とか言われてまぁちょっと高尚な感じになるけど、チャイティンとかも自虐的に言ってるようにプラクティカルじゃないっつーかさ、金にならないよね。そういうのが日々の生活で応用できるものなのか?っていうとそうじゃないものが多いっていう。心霊現象検証然りだね。まぁー大半の人にとってはどうでもいいことなわけだ。でも俺は数学基礎論も心霊現象もどうでもいいことでは無いと思うのね。検証の価値があるのにあんまされてない印象があるっていうかなんていうか。まぁ数学に関しては分からないけどね。でもまぁそこまでアクティブなフィールドでもないだろうなっていう。


いや、暴論を言えばさ、なんで置き去りになってるの?ってことだよね。数に関わるやつらはみんな気になることじゃないのかな?って思っちゃうわけ。でもまぁwho cares?なんだろうな。まぁ数学をツールとして使ってる人達にとってはそうなんだろうけどっつーか数学そのものに向かう人ってそんなにいないのかもね。言語みたいなもんでまぁ所詮はツールだっていう。でもなんかさー心霊現象もそうだし数学もそうなんだけど不思議なんだよね。本当に。「何でなのかなぁ?」っていう感じ?ただ質問が形而上学的過ぎるみたいなさ、あとはまぁ超越論的過ぎるとかね、超常現象的過ぎるとかなんとか。でも気になるじゃん?やっぱ。数学は潰しが効くっていうかさ、色んなフィールドで役に立つことだから勉強するってことは将来的にも有益だって思ってたけど、やっぱ俺は俺だね。そんなことないね。領域は数学でもいかにも食えそうにないような哲学的なもんばっかが気になるんだよね。結局はもう哲学なんだよな。俺は政治学にしても何にしても哲学っつーか思索的なことが軸でさ、社会的にプラクティカルだって言われてるようなことに興味が向かわないんだよね。まぁーでもいっかーって感じだけどね。とりあえず数学面白いから。まぁ数学っつっても会社とかで使わない数学ね。抽象的で思索的過ぎる数学ね。


6時に起きたのにもう眠くなってきたっていうか寝たくなったから睡眠薬代わりの安定剤を飲んだね。いつも通り。今は5時だけども。明け方のね。今日は学校に行きませぬ。で、また明日も集合とか無限とか人間の数の認知とかに思いを馳せることにしませう。