数学のあの途方も無い感じ。

mimisemi2010-04-10

久々の学校だったわけだがさ、数学の宿題が終わってねぇーってことでさ、いや、前日の明け方ぐらいから取りかかりだしたんだけどねっつーかもう寝る時間なのに。そしたらさ、恐ろしいことにさ、全部忘れてるのね。なんとなくしか覚えてないっていう。で、ノートとか見返しても汚過ぎてさっぱり分からないからさ、教科書とか見るとまぁ思い出すんだけどさ、まぁちょっとこれで安心するけど、まぁ本当に使わないと忘れるよね。でも使う機会なんて無いわけで。言語とかも一緒じゃん?母国語とかならまだしもさ、後天的に習得した言語って使わないと忘れるよね。まぁ思い出せるけどさ、母国語みたいに自然には出ないじゃん?で、数学ってもんが母国語みたいにスラスラなんでも思い出せるようになるのか?ってちょっと分からんね。


いやさ、それはともかくさ、数学の授業でさ、いつもそうなんだけどね、終わりにパソコンで問題やるんだけどね、質問しないのね。分からないところがあったら先生に聞けばいいんだけど、なんつーかすげー頑固でさ、なんとしてでも地力で習ってないことすらも考え抜いて答えを出す!みたいなさ、そこまで頑張らなくてもいいのにねぇーって感じなんだけどね、それにしてもなんでみんなあんな早くできるのか分からないな。あ、先生に質問してるからか。あとはやったことがあるとか。そうじゃないと絶対解けないよなー。俺はいつも最後に残る一人なんだよね。中学レベルの数学しか知らないやつってもしかしたら俺ぐらいなのかもしれん。そんなやつが先生に質問せずに粘ってるんだからさ、アホみたいなもんだよね。でもね、これはまぁ俺のポリシーでさ、分からないってことですぐ質問するんじゃなくてね、その分からない式がどんなもんなのか?っていうのを徹底的に考え尽くすんだよね。そうするとマジで数学ってムズいんだよ。


フォーミュラとかでさ、こういうアルゴリズムでやってくださいって言われたのを暗記してっつーかそういうのに沿ってやるのって楽じゃん?思考無くできるじゃん?でも考えてやろうとするとさ、初歩的な数学ですらクソ難しいんだよね。で、解き方が結局分からずじまいで結局先生に聞いたりとかさ、まぁあとは家に帰ってから教科書とか読んでチェックするとさ、ほぼ100パーセント俺が考えてたより簡単っつーかただのかけ算とか割り算をこういう方法でやればいいんだよっつーのばっかなんだよね。そういう意味でまぁ恐らく高校数学って全部簡単だよね。なんつーか印象としてはやり方さえ覚えてれば計算自体は全部中学レベルの数学で事足りるっていうかさ、計算自体が楽なんだよね。全然難しいのがない。でも考えてさ、暗記禁止で概念を理解しようと思うとすげームズいんだよね。それこそそういう数学とかを作ってきた人達の観点に立つわけだからさ、それこそ解き方が分かった時とかね、「よくもまぁこんなの思いついたな!」って感動があるんだよね。これはただアルゴリズミカルにやってるだけじゃ感じられない感動だよね。


いや、でも先生にはどう思われてるのかな?って思ったりするね。たまに満点とか出したと思ったら、すげー初歩的なものでつまずいてたりさ、頭いいのかバカなのか分からないっていう。宿題は汚いし、変なサイズの違った紙がホチキスでとめられたりしてるしさ、まぁ今日は注意されたけどね。「頼むから普通の感じで出してくれ」って。俺って色々な部分であまりに前衛的過ぎるんだろうな。でさ、考えまくってさ、分からないと「もうダメかもなぁー」とかって思ったりするのね。それこそ普通の数学専攻じゃないような生徒がチャチャっとやってすぐ帰ってるようなのに何倍の時間がかかってるっていう。一見すると学習障害か知能障害がある感じなんだけどさ、俺的には高度な取り組みをしてるつもりなんだよね。なにしろ考え尽くしてるわけだから。長沼伸一郎がさ、高校だかの時にさ、教科書とか一切読まないで全部地力で考えて覚えるってなことをやってたらしいけど、こういうアプローチが出来る人が才能あるって言えるんじゃないかな?ってことだよね。ようは計算速いとかどうでもいいんだよね。そんなの高校数学止まりなわけでさ、アルゴリズム的な数学なんてただの算術なわけで数学じゃないじゃん?でも算術も自分で考えて解くってことをすればアプローチは数学的だよね。まぁ言葉を変えちゃえば哲学的と言えるかもしれない。


いや、最近凄く感じるのはさ、アルゴリズミカルにやる数学なんてクソつまらないんだよね。多分大抵の人が数学を嫌う理由ってこれにもあるよね。ようはただのルーティンワークだっていう。不可解なもんを解くやり方を覚えて事務的に解いていくっていう。でも概念を理解してやるっていうアプローチはもう哲学そのものだよね。で、難しい。それは前に書いたけど分数みたいなレベルでも難しいわけで。そうなのよね。下手すると小学校レベルの算数ですら難しいわけだよね。本質的に理解しようと思ったら。でも俺はその理解に快楽を感じてるっていうか、知るってこと自体が好きっていうかさ、俺が哲学好きな理由もここにあるけど、数学も同じようなアプローチでやっていけるんだよね。言われた事を暗記して解くんじゃなくて自分なりに概念を理解してそれを楽しむっていう。分かる時って多分「アハッ!」ってなクオリアな瞬間があるから楽しいはずなんだよね。でもこれって抽象度高いんだよね。それこそ俺で言えば色々と哲学とか読んできた結果、なんつーか学問自体を楽しむ作法みたいなのを体で覚えてきた感じだからさ、その結果、数学も楽しめるようになったと思うんだけど、まぁ10代の頃とか不可能だな。こんなアプローチは無理。でもさっき書いた長沼伸一郎みたいなのは高校ぐらいからそういうメソッドでやってるんだよね。だからこそああいうビジュアルとかで説明できる分かりやすい物理数学の解説書とか書けるわけで。でもまぁ理解するってこういうことだよねっていう。ダイアグラムとか使って簡潔に説明できるぐらいじゃないと理解したって言えない気がするよね。


例えばSquareって概念もさ、なんでSquareか?って四角形だからじゃん?でもさ、(a+b)2乗=a2乗+2ab+b2乗って読み辛いかもしれないけどさ、これを見た時にどんだけの人が四角形をイメージしてるか?ってことだよね。まぁ別にそこまでまぁ四角形で考える必要はないんだけど、んでもさ、群論のセオリーが代数のそれで表せるとかさ、Booleって人の発見だけどね、それってもう何らかの実体ってことじゃん?物理的な現象が数式で表せるんでその物理的力学は存在するはずだみたいなさ、見えないものにオントロジーを与えるのって数学的フォームだよね?ってことでまぁ俺が言いたいのって代数も群論もっつーかまぁ基本的に数学全般が実体だってことね。今思い出したけどトポロジーなんかも抽象代数が基盤にあるじゃん?まぁ俺が言いたいのは抽象代数幾何学ね。もう実体だよね。こういうレベルだと。んでも所謂大学レベルの数学って近代数学ってことで大抵は20世紀に入ってから作られたもんじゃん?ってことはすんげー時間かかってるんだよね。数学が数学になったのって。それまでは一部を除いてメジャーなのは算術だったわけで。一部の天才だけが数学やってたんだけど、今は概念装置として天才じゃなくても出来るようになってるじゃん?でもここがネックなんだよね。


っつーのはさ、ようは数学を丸々理解しようとするなんて結構大変なことなんだよねってことに本当に最近気づいてるわけで。それこそ数学専攻のやつでもテストパスするためにさっき書いたようなアルゴリズミカルな暗記で乗り越えてきたってやつもいるっつーかそういうやつが多そうだよね。いや、はっきり言うとね、数学って凡人が出来るもんじゃないね。今俺は色々と数学の本を読んでいてどんどんパースペクティヴが広がっているけど数学の世界は途方も無い。ありえないぐらい抽象的でとても万人が理解できるもんじゃない。だからこそ難しい概念は理解しなくてもアルゴリズミカルに解けるだけでいいやってことになるよね。簡単な例が円周率ね。ゆとり教育で円周率を3にしようなんて話があったらしいけどさ、そりゃー色々と批判があるのは分かるけど、俺はむしろ分かるね。その気持ち。


だってさ、子供に無限の概念を理解させようなんてすげー骨の折れる話だよ。パイのことを完全に説明できる人なんて大人でもそんなにいないでしょ?無限が発散するってどういうこと?っていうさ、取り留めもない話だよね。だからなんつーか泣くよ鶯平安京な暗記するしかないんだよね。円周率は?3.14って機械的に答えられるっていうただの条件反射的なもので済まされる。基本的にアルゴリズミカルにやるってのはこれと変わらないね。いくら色々な数式を駆使して問題を解いても何が起こってるのか分かってないんじゃ小学生の3.14と同じレベルなわけ。そんな意味で理解無き数学なんて数学じゃないんだよね。ただの算術。日本の数学の教科書とか物理の教科書は分かりづらいって話を聞くけどさ、それって著者とか教師も深い理解はしてないから分かりやすく説明できないんじゃないか?っていう意見があるけど本当にそうだと思うね。それこそその辺の数学教師じゃ数学を理解するなんてことは無理だよね。だから教える事もできないわけ。で、生徒は「?」なままっていう。で、数学が嫌われ続けるっていう。んでもこれはある程度しょうがないことだっつーのはさ、今書いてるように常人に務まる仕事じゃないからなんだよね。数学ってのは。


数学を分かりやすく説明できるぐらい数学を理解してる教師が教壇に立てば状況はちょっとは変わるかもしれないけど、あまりにそれは不可能な話だよね。そこまで数学を深く理解してる教師の絶対数ってのはそんなに多くないわけでさ、数学教育が疎かになるのはしょうがないと思うね。アメリカは本当に数学がダメだっていうけど、まぁアヴェレージのアメリカ人程度の頭脳じゃ無理ってことなんだよね。だからアメリカってまぁ特に理系は世界各国から超人みたいなのが来るじゃん?で、研究室とかで研究するっていう。アヴェレージじゃないんだよね。まぁトップって大体そうだと思うけど世界が違うんだよね。本当に。だからまぁ高校まで数学出来てました!って人が大学数学とか出来ないっつーのも本当に頷ける話なわけで。だって実質的にほぼ関係無いからね。アルゴリズミカルに仕事をやるってのと数学的に考えるっていうか抽象的に考えるってことは関係無いからね。本当に。数式を見て何らかの絵が浮かぶとかさ、ビジュアル的に見えるとかさ、そういうのが無いとダメだろうね。きっと。数字を見て条件反射的にこれはこうだからこうで・・・ってのが高度化したところでそれってややこしい表計算とかやってるレベルなわけでまぁ算術止まりだよね。


みんな基礎からやれば出来るようになるって大噓だね。数学ってのは積み重ねでもなんでもない。完全に感覚の世界だね。感性の世界。まぁある程度勉強して抽象的に考えることとかってのを後天的に学ぶこともできるけど、んでも数学界の強者ってのはもう脳の構造が違うわけでさ、前に芸術のことでも書いたけど常人が敵う相手じゃないんだよね。努力の結果で追い越せるとかそういうレベルの話じゃないっていう。そういうのは抽象度が低いレベルの算術なわけでさ、抽象度が高い数学って芸術みたいなもんなんだよね。それは俺がポエティックに数学を表そうとしてるんじゃなくて、センスが無い人に凄い絵が書けないのと一緒でさ、まぁセンスが無い人でも写実とかは出来るじゃん?誰かの絵を見てさ、例えばダリ風に何かを書く事が出来るとかさ、芸大生とかに多いと思うけど、でもこれって芸術じゃないじゃん?ただのパッチワークだよね。所謂まぁテクネーだね。技術。芸術ってのは感性から来るもんなわけでさ、それを絵で表すってものだけど、そもそもそういうビジョンなりなんなりがあるって人少ないでしょ?


そういうのが明らかにあるのがまぁ前に書いた身近にいるモロアーティストタイプのyokonaitoがそうなんだけどさ、まぁ勝ち負けじゃないんだが、まぁ彼女の感性ってのは彼女しか持ってないわけで学校で学べるもんじゃないよね。技術は学べるよ。絵の技術はいくらでも学べる。数学然りね。でも自分の芸術を出来るやつなんてごく一部だね。数学然り。そういうのが数学を知れば知るほど分かってくるね。才能無きゃ完全にやってけないっていう世界だね。本当に。どんだけ勉強してもセンスが無いと2流止まりだろうね。先生とかにはなれるけど数学者にはなれない。ようは俺が言いたいのはさ、練習量とか関係無しにまぁ感性の世界の問題だからね、才能無いやつは何やっても無駄っていう悲しい世界観が顕著に出ちゃうフィールドだなってことね。いや、天才だからっつって練習しなくていいってことじゃないよ。画家でも藤田とかさ、毎日何十時間も練習してたっていうけど、でもあれはエジソンの99パーセントの発汗と1パーセントの閃き理論と一緒だよね。閃きを綺麗に表現するためのテクネーを耕しているってことなわけでさ、それは表現したい事ってのが先立ってる練習じゃん?でも何も無いのに絵の練習したって絵が上手くなるだけだよね。言ってる事分かるでしょ?数学も物凄い時間の取り組みが必要だけど閃きが無いやつがやっても無駄ってことね。意味無いとは言わないけどね。


ホント、恐ろしい世界だわ。まぁ一流ってどんな世界でもそうだけどさ、ただね、まぁ乱暴な言い方をするけどあえてまぁこういう分け方をすると文系ってさ、凄さみたいなのが知識量と比例するじゃん?ある程度は。物凄い知識量があるってことがある程度一流加減を保証してくれるっていうか。でも数学ってさ、知識量だけあっても数学者になれないんだよね。その知識を使って何かが出来るってのが無いと成立しないわけで。哲学とかでもそうでしょ?哲学学者ってのは多いけど哲学者ってのは少ないんだよね。それは数学学者は多いけど数学者は少ないってのと全く同じ事ね。やれる人が限られてるっていう分野なんだよね。本当に。


Yaleとかの講義をYoutubeで見てたりしても思うんだけどさ、知識量だけあれば先生が務まりそうなのって文系が多いよねっていう。あとがまぁ文章が上手いとかね。でも理系だと一気に天才肌の世界になるんだよね。常人がいくら知識を詰め込んだところでどうにもならないっつー世界ね。それはもうなんつーか見えてる世界が違うっつーか脳の構造の違いとしか言いようが無いよね。地頭が良いだけじゃどうにもならない世界っつーか。ある意味で絶望的だけどある意味でまぁ希望があるのはさ、エリートとかじゃなくても素質があるかもしれないってことだよね。まぁ大抵の一流の分野ってそうだと思うけどね。外野から来るアマチュアみたいなやつらが実際は凄いっていう。全然出世コースから外れてるようなアウトローみたいなやつらってことね。そういうやつらがすげー偏った能力を持ってて、それが特に芸術とか理系みたいな世界に対応している場合があるって意味でエリートコース歩んでなくても一流になれる可能性がある世界っていうかね、そんな気がするね。


ビューティフルマインドとか見てて思うけどさ、まぁありゃー映画だから脚色はされてるんだろうけどさ、最初のほうでナッシュがさ、自分の幻覚のルームメイトにさ、トリビアルなことをやっても意味が無い。自分が他と完全に区別できることというのは完全にオリジナルな理論を形成することだって言ってたけどさ、これってナッシュが自分の天才性を自覚してたから言えることなんだよね。俺が前に書いたようなサグラダファミリアの修復工事をするかのようなさ、歴史的建造物の一部を構成することをお手伝いしますみたいなさ、これをトリビアルなことだっつってナッシュはバカにしてるじゃん?ようは自分がサグラダファミリアレベルの建築物を残さないと意味が無いんだ!って言ってるわけよね。


で、これってすげー数学の世界を表してると思うのねっつーのはさ、まぁトリビアルなこととかね、修復工事が意味ないとは言わないけどさ、んでもまぁ本当に世界が一部の天才のもんなんだよね。そういうのは恐らく大抵の人が認めたがらないけどさ、んでも芸術と一緒だからね、ようは全員が絵の勉強をすれば画家になれるか?っつったらなれないのと一緒でさ、数学者然りってことなんだよね。絵の世界も見えてるものが違うからオリジナルと言われるものが書けるっつーような画家も多いじゃん?ああいうのに凡人は一生敵わないよね。数学然りなんだよね。で、数学者に奇人が多いのもまぁアーティストのそれと繋がってるんだろうなっていう。フィールドは違えど違う脳の構造を持った人達って意味でまぁ普通から見れば奇人変人が多いってことなんだと思うよね。


歴史とかさ、文芸とかの教授がエキセントリックってあんまり聞かないじゃん?理系がエキセントリックなイメージが多いのは見えてる世界が違うやつらが統治する世界みたいなもんだからだよね。凡人お断り!みたいな世界っつーのかな?いや、なんで俺がここまで確信持って言えるか?っていうと前に書いたように最近は色々と数学の本を読んでるのもあってさ、天才達の仕事を見てると常軌を逸する感じなんだよね。「なんでこんな発想できるの?」っていうような世界ね。絵は顕著じゃん?絵を見れば常人じゃ書けないって絵ってすぐ分かるじゃん?でも数学もそうなのよね。あれもかなり明らか。文系がその辺はあやふやだよね。ソフィスト的な連中が活躍できる感じっつーのかな?ポストモダン哲学とかがそうだけどね。まぁ一部は有用なのもあるけどね。巧みな言い回しとかレトリックとかさ、知識とか地頭があれば実質的な哲学の才能なんて無くても出来るってさ、まぁあんま読んでないから分からないけどドゥルーズとかって本当にそういう感じだよね。デリダもそんな感じだな。


所謂、プラトンからフッサールとかハイデガーの流れの哲学者って流れで見てみると本当にただの小粒な哲学学者だなっていう。凄いとは思うけど2流だよね。本当に。頭は良いのは当然認めるけどね。常人には及ばない頭の良さを持っているのは分かるけどね、でもそれだけでしょ?っていう。頭が良ければ一流になれるのとさ、脳の構造が違わないと一流になれない世界ってのがさ、なんかまぁ大雑把にすげー乱暴に言えば文系と理系の違いって気がするな。文系はエリート系が一流になれるっつーかなってるって感じ。社会科学とかもそうね。例えばなんつーのかな?テレンス・タオとかさ、ラマヌジャンとかさ、ああいう感じの天才ってのが文系にはいないよね。ああいう感じの天才性は求められないっつーのかな?


「自分は25点、リトルウッドは30点、ヒルベルトは80点、ラマヌジャンは100点」ってハーディーの言葉だけどさ、ようはハーディーとかリトルウッドが哲学で言うところのドゥルーズとかデリダなのよね。頭は良いし優秀なのは分かるけど、ヒルベルトとかラマヌジャンレベルには到底及ばないっていう。んでも文系はハーディーとかリトルウッドみたいな連中が一流だっていうね、まぁそりゃー一流だけどさ、ただラマヌジャンみたいなちょっと異常なタイプは文系にあんまいないよねっていう。まぁ俺が言いたいのはね、数学って凡人が「頑張ろう!」って思う心を徹底的に挫かせるよねって感じなのね。芸術系と同じような感じで。だからこそなんつーか凡人数学者は「コツコツの積み重ねなんだよ」みたいなことを言いたがるっていうかね、それは凡人でも頑張れば数学者になれる!っていうその人自身の希望なんだよね。そうじゃないのは薄々分かってるけどそれを信じてやってきた自分の実存の投影丸出しっていう。まぁ結局事実と違うってことなんだけどね。お笑いだってそうじゃん?まぁひな壇芸人レベルならまぁ凡人芸人レベルってことで頑張ればなれるかもしれないけど、例えばダウンタウンとかナイナイとか鳥居みゆきとかさ、ああいう感じってもう才能としか言いようがないじゃん?ナイナイっつーかまぁ岡村だけどね。矢部は普通の人だと思うんで。


で、こういう天才型に共通してるのって彼らの天才性を発揮している分野に対してすげーシリアスなんだよね。名前を並べると変な感じになるけど松っちゃんと岡村と鳥居みゆきってお笑いへの取り組み方のレベルが半端じゃないじゃん?才能があるからこそあそこまで真剣になれるのか、あそこまで真剣になれるってことが才能なのか分からないけどさ、まぁ芸人の世界も実力の差が本当に見た目で分かるっていう世界だよね。何十年やってても永遠とつまらないのはつまらないじゃん?面白いのは最初から面白いから一瞬で売れるわけで。まぁそんなに一瞬ってわけでもないか。あと話芸で言うと宮川大輔だね。あれも努力すればああいう喋りが出来るようになるっていう世界じゃないよね。千原ジュニアも天才肌だね。ジュニアも笑いへの取り組み方の真面目さが半端じゃないよね。それは天才が成せる技なんだよなー。


まぁそんな感じだわ。いやね、朝は嫌々学校に行ったけどさ、やっぱ引き蘢り良くないね。精神的に。何があるわけじゃないんだけど外に出ると何かといいね。気分的に。ここまで引き蘢り気質の俺が言うんだから間違いないね。引き蘢りはサイコロジカルに良くない。エントリーをこんだけ書いてるのもさ、外に出た結果だよね。外に出たこととこのエントリーは繋がってるわけではないんだけど、ずーっと家にいるだけじゃここまで書けないかな?っていう。俺が凄い書いてるときって引き蘢ってない時だよね。何かと外である時に色々書くよね。大体冬休みとか夏休みでもさ、長期化すると引き蘢りになってあんまり書かなくなるもんね。結果的に生産性が下がってるっていうか。ずーっと家にいていつでも書ける状態なんだけど。他にも色々とブレインストーミングしてることがあるんだけど、今日学校に行ったことでそれもはかどったね。非常に。全く学校でやってることとかは関係無いんだけど、なんつーか外に出て人と接したりさ、別に喋らなくてもそういう場所にいるってことでまぁ何かが違うよね。こういうときはいつもアリストテレスのさ、人間ってのは政治的な動物であるって言葉を思い出すよね。by natureなんだよね。自然なコンディションで元々政治的っていうかまぁ社会的っていうかね。俺ですらそうなんだから間違いないよ。


今後はまぁ引き蘢り生活はあらゆる生産性を下げるってことを肝に銘じることにしよう。外に出ることは面倒だけどそれによって得られるものは大きいってことなんだよね。昔の哲学者が山道を散歩してたりするのもよく分かるな。本当に。まぁカントとルソーが浮かんだんだけど。まぁそんな感じで今日はこの辺で。





スウェーデンの医者が死ぬ一年前ぐらいに書き上げた数学図鑑みたいな本なんだけど、1000ページぐらいあるんだけど、なんつーか本自体が可愛いんだよね。可愛いイラストとかが載ってたりしつつ、んでもある程度高度な数学も載ってたりして、なんつーか凄く楽しい本だね。日本語でもこういう本あればいいのになぁーって思ったり。