ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

ベーシック・インカムについて。その2。

mimisemi2010-04-16

昨日のエントリーにsakanaさんからコメントがあったのでいつものように長過ぎる返信を1エントリーにしますです。

sakana 2010/04/15 14:49


はじめまして。俺も同じ理由でBIには強く賛成だけど、実は元々そういう自由競争のユートピアがあったところに、能力の無さにより実存の希薄化した層が反乱をして立ち上げたのが、多数決原理の民主主義社会なんじゃないかと思う。まあ、ありていに言うと暴力による支配。


何の取り柄がなくても、物理的な暴力はどの人間でも大差ないから。暴力が共同体的な価値になれば、一応は全ての人間が実存的に救われるようになる。ヒューマニズムっていうのは、人間だから素晴らしいって考えだけど、そもそもそこで定義される人間のベースには肉体があり、肉体とは即ち暴力性なんだよね。


だから、BIを導入するなら肉体に関してどうするか、考えないといけないんだけど、現状の自分では答えを見つけられない。


なにかいい方法ありませんか?
返信タメ語可


で、俺の返信。

はじめまして。


sakanaさんの民主主義社会の発生に関する意見は興味深いですね。ちょっとまだ分からないところはありますが、僕はなんとなくそれは弱者によるルサンチマンの反乱による暴力の支配という印象を受けました。まぁ弱者というよりかは、社会的弱者という意味ではなく、能力が無いものの能力があるものへのルサンチマンですね。


ただそれが一般的な民主主義社会の発生の原理かというと、確かに言えているところもあると思います。例えば出る杭を打つというような、日本社会の無駄な足の引っ張り合いみたいなものには民主的な暴力を感じますね。それこそ空気の支配だとか、能力が卓越していると妬まれるとか、これは物理的な暴力ではありませんが、プレッシャーをかけたり嫌がらせをするという意味でまぁ僕は十分暴力だという風に言えると思うんですね。


能力が秀でているやつらを叩くことによって能力が無いものの平等社会の維持が出来るというわけですね。まぁ最悪の民主形態だと思いますけどね。でもそれは民主主義社会が生まれてきてから民衆のメンタリティによって形成される暴力なのであって、民主主義社会=大衆の暴力による支配ではないですよね。それはむしろ大衆の村社会的メンタリティにおける空気の支配かと言えると思います。


ただ今回の指摘で気がついたのはsakanaさんがメインに指摘している人間の実存的な部分ですね。むしろ生存的なものが担保されることによって、今まで忙し過ぎて気がつかなかったような他者との能力差みたいなものが顕著に現れることによって、能力的にどうしようもない感じの人達は実存的葛藤に苛まれるようになる。こういう人間達が反乱を起こして、人間が平等に持っているという暴力というものをツールにして統治をするとすれば、それはsakanaさんがおっしゃる多数決原理の民主主義社会になると思いますが、BIが保証された社会において、そこまで実存的葛藤というのが能力差によって酷くなるとは思えません。例えばアキバのオタクみたいな好事家を見ていると分かりますけど、まぁ彼らの能力が無いとは言いませんが、彼らは彼らの世界で満足してますよね。ある程度は。それはまぁアニメとかネットとかだと思うんですけどってまぁ偏見かもしれないですけどね。


で、彼らが例えばエスタブリッシュメント層やエリート層にルサンチマンを持っているか?というとそこまで持ってないと思うんですね。というのは彼らにとっては全然違う世界の話なのであって、そこには比べる能力すらないという感じだと思うんですね。ただ別にそこでヒエラルキーが発生するわけではないんです。オタクがダメでエリートが良いかというとそういうことではない。むしろ幸福値で言えばオタクのほうが高かったりするわけで、オタクがポストモダン的社会の強者たる所以はこれですよね。ある意味で最強というかなんというか。もし彼らがハッピーなのであればエリート層を妬む必要なんて無いですからね。あとは別にエリートになるということが幸福を実現するプロセスを約束するかというとそんなことは無いですし、能力的に秀でている事と幸福とはそこまで相関関係が無いというのが実際のところだと思います。


ところで、妬むということが趣味みたいな人もいますけど、これは大多数ではないと思います。一部の実存がねじ曲がった人達ですね。僕もそういう人間と会ったことありますけど、彼らのような人間が多数決原理の民主主義社会を暴力によって支配するとは考え難いです。というのはそもそも彼らは大多数ではないですからね。一部なので。能力の無いやつとかルサンチマンを持ってるやつとか妬みが趣味みたいな人達が暴力による支配を行おうとしても、それは大前提としてそれらが大衆である必要がありますよね。大多数であるということが約束されないと、大多数原理は発生しません。つまりは大衆とはそういうものであると措定しなければいけません。でも仮にこれが大多数であればそんな暴力もありそうですし、それを僕は日本社会に見たりしますが、これはでも先ほども書いたように、民主主義社会の発生の原理なのではなく、国民のメンタリティということなんですね。


sakanaさんがおっしゃる「暴力」はそのまま「空気」とかにも置き換え可能だと思いました。ところでsakanaさんの民主主義社会の発生はこんな風にも言えませんか?というのは「能力の無さにより実存の希薄化した層」が能力が特出した人達を気に入らないがために、「そういうやつが出てきたら嫌だからみんな平等でいようね」というような、ある種の社会契約論なのではないか?ということです。これをBIが導入された社会の上で想定するなら、生存権は脅かされなくなったが、実存の希薄さが能力差により顕著になり嫌な気分になる人達というのが多いので、秀でたやつらを暴力で支配してしまおうという感じですよね。「みんな一緒」という一般意志を暴力装置と見立てるわけです。で、「みんな一緒」に反するものには暴力が適用されて、そういうやつらは潰されるようになる。そこで実存の希薄化した層の実存が担保されるというわけですね。ただまぁ僕はここまで大衆というのは腐りきってないと思うんですね。仮にここまで大衆が腐りきってたら民主主義なんてこの世で考えうる最悪の統治形態ということになってしまいますね。そういう意味でsakanaさんの民主主義発生理論は悪夢的な感じですよね。仮にそうなのだとすればもうそれは悪夢としか言いようがありません。


で、肉体に関してどうするか?ですが、ある意味ですでに僕は昨日書いたエントリーで書いたとも言えるのですが、生存権を保証された人間達は、僕の想定では実存の葛藤に苛まれるというよりかは、例えばまぁ一部はヒッピー化すると思うんですね。で、アメリカの60年代カルチャーなどで言えば、彼らの肉体というのは東洋思想だとかフリーセックスだとかドラッグだとか、人が集まって何かやるということに集約されてたと思うんですね。なのでウォーホールのファクトリーなんかもそうですが、たまり場みたいなのが多かったわけです。それにより形成されたアメリカ文化というのがあり、それはそれで素晴らしいものです。暇を持て余しているが故に身体的な剰余から来る何かですね。というか僕はここに期待したいんですね。暇を持て余した人間達の有り余った力を創造性などに向けることにより形成される文化ですね。ニートとかが凝った動画とか音楽とかを作るのもまぁ暇を持て余した創造力ですよね。ニコ動で言えば「才能の無駄遣い」ですが、これこそがまさしく有閑から来るクリエイティビティです。


まぁここまでの期待は出来ないまでも、僕は人間はそこまで愚かだとは思っていないので、例えばその肉体は何も無いところに生存権だけ保証されたという形で放下されて実存に悩むというような、ハイデガー的な被投性に曝されるということではなくて、むしろ肉体があるからこそエンジョイできる何か?というのを探す旅みたいなのが始まると思うんですね。言わばレジャーですよね。レジャー化、もしくは有閑化する社会です。子飼さんが言っているような一億総高等遊民化みたいなのが実現されればそれは最高ですね。


でもまぁある意味で社会ってのは有閑化されてるわけですよね。何しろ必要がない仕事ってのが増えてきているわけですから。むしろ時代は有閑化しているわけです。それはテクノロジーの発達とも大いに関係しますけどね。でも食っていかないといけないので、まぁ頑張って仕事探すわけですが、まぁその探せた仕事というのがこれまたナンセンスの極みみたいなものばかりで、まぁこれは僕が前に書いたナチスの穴掘り拷問ということになるのですが、大半がそうとまでは言わないまでも、こういったナンセンスな労働に価値を見いだす唯一の方法がつまりは賃労働という概念ですよね。金を得ているからナンセンスにも納得できるわけです。僕で言えば単位になるので意味の無いクラスにも通えるというのと同じです。


労働する人間というのはこういうところで自分たちの肉体というのを使っているわけですよね。それは具体的な労働だけではなく、僕が書いたような、サラリーマンらしい通勤とかルーティンワークとかスーツを着るとか、そんなことも全て含めてそれは身体性が介在している肉体的アクティビティなんですよね。で、その必要がなくなったときにどうするか?と言えば、疲れ果てていた人達はまぁとりあえず休むと思いますが、引き蘢りにはならないと思いますね。というのはようは労働してた人達というのは本来的な引き蘢りではないわけで、過去自分が行っていた身体的ルーティンというのを取り戻そうとすると思うんですね。


それはスーツを着るということがランニングシャツを着るということになり、例えば朝の通勤がジョギングに変わるとか、犬の散歩に変わるとか、まぁなんでもいいんですが、体を動かさずにはいられないと思うんですね。で、そこで欲求が生まれるので、例えば海外旅行とか行ってみたくなったりするわけですね。暇なんで楽しくなるような何かってのを手に入れたくなるわけです。そこで消費のための労働というまぁ高校生がバイクを買いたいという理由でバイトするような感覚の労働が増えると思うんですね。それは目的があってやる労働なので、生存権のためにやる労働とは打って変わって健全です。何しろバイクを買いたい高校生はバイクを買うために頑張るわけで、虚しくはないですよね。僕もDTMの機材のためにバイトをしていた時期がありましたが、機材購入という目的があったので大変でしたが、まぁそこまで虚しくはありませんでした。まぁつまりは有閑性に根ざした労働というわけですね。食うための労働ではないということです。


この食うための労働ではない有閑的な労働というのも身体性の一つですね。つまりは肉体が向かう何かです。それはBIが成立した社会に成立しうる余裕のある労働ですね。で、貯まったお金で何かを買ったり海外旅行に行ったりライブやったり仲間と飲んだりテニスサークルみたいなのに所属してみたり、僕は有閑が保証された肉体というのが向かう場は、生存権が脅かされていることによる強いられる労働により使われている肉体というよりも多様性を帯びることになると思います。まぁ当然ですけどね。時間が増えるのでやれることが増えますからね。


あとまぁ個人的な見解を言えばマリファナを解禁してマリファナカフェみたいなのを作ってまったりするだとか、それこそオランダのカフェみたいな感じのものを作れば、これはこれでまた肉体が向かう世界になりますよね。レゲエのフェスが増えたりするでしょうし、マリファナオンリーのクラブイベントなんかが増えれば身体性はそこに行くと思います。レイヴというのは本来そういうものですからね。ちなみに僕は他のケミカル系に関しては全く反対です。マリファナオンリーですね。シャブ・LSDなどは基本的に有害なのでダメです。


あとはまぁこういうのについてくるのがセックスですよね。マリファナやりながらセックスするわけです。まぁ60年代のアメリカのフリーセックス運動と一緒ですね。でもまぁ絶対子供は増えると思いますね。余裕ができるんでセックスする連中は絶対増えますね。男女交際に命をかけるようなやつらも絶対増えると思います。で、子供が出来てもBIがあるんで育てられますよね。まぁ育児放棄みたいな話もありますが、それはとりあえず置いておきましょう。


アメリカで言えばフリーセックス運動の最中に出来た子供ってのも相当いるわけで、そんな子供達が現在の社会を担ってるわけですよね。生殖という意味でもBIは最高ですし、生殖活動というのも肉体が向かうものの一つでしょう。動画で雨宮処凛が言っているように生活費が保証されれば貧困から来る犯罪というのは減るわけですよね。食い逃げとかも無くなるわけです。やる必要がなくなりますからね。そういう犯罪の抑止にもなるということで、肉体の暴走を防ぐという意味でも生存権が保証されるというのは人類にとって健全なことなわけですね。


かなり長くなったのでまとめますが、僕はBIは肉体に関して物理レベルでのニーズに答えられるという生存権を保証するものであると考えるのと同時に精神面の健全さというのもBIによって担保されると考えています。精神面の健全さは身体の健全さを保証し、まぁ逆もまた然りです。精神と肉体は相互的なものですからね。僕はそのある種の余裕から来る何かに期待したいんですね。肉体はその余裕にアダプトしようとするわけで、その肉体が向かう先というのが、僕はレジャーや生殖や祭りやパーティーや消費といったものだと考えるんです。結局まぁそれは金を使いまくるという意味で結果的に経済にも良い効果を与えるんですよね。生存権が脅かされていないので生きるための貯金なんてのがバカバカしくなるので、アメリカのようにその時々を楽しむために金をガンガン使うようになるわけですね。まぁそれで負債とかが増え過ぎてもこれはこれで問題ですけど、まぁこれはまたBIが成立してからの過剰な消費の問題と金融の関係の問題ということで今はとりあえず留保しておきます。


まぁ僕の意見では肉体はレジャーに向かうんじゃないか?ということですね。あとはレジャーのための労働とかが生まれるってことですね。食わなきゃいけないから嫌々やってるような、社会に必要な仕事というのが、例えばBI導入によって辞めるという人が増えたらデマンドは高くなるので賃金が高くなる可能性がありますよね。3Kみたいな仕事の賃金が跳ね上がる可能性があります。楽観的過ぎるかもしれませんが、あまりに給料が良いので遊ぶために高賃金な3Kの仕事を積極的にやる人みたいなのが出てくると思います。これもまたBI導入後の肉体が向かうところですね。肉体が行く場所が無くなるのではなく、むしろ能動的に自分のために肉体を使うようになるような気がします。仕事のためにあるような無駄な仕事が淘汰されて、社会で本当に必要とされているような仕事の給料が上がるわけです。そんな社会で社会に必要な仕事をやる人達というのは社会的地位も高くなる気がしますね。「食うため」という消極的な理由の労働が激減するので、労働への動機が純化するということですね。仕事しなきゃ生きていけないというのはまぁ結局国民が奴隷化するわけですが、働かなくても食っていけるという社会の中で仕事をする人達というのは本当に仕事が好きな人たちになりますよね。もしくは様々な理由から必要とする人達ですね。


あとは「お前なんていつでもクビにできるんだよ」みたいな生存権を人質にして雇用している人間を脅すみたいな権力の乱用も少なくなると思います。辞めたければいつでも辞めれますからね。現状では生きるためにそういう意地悪なやつにも従わなきゃいけないんですよね。その結果、メンタル的にダメになって鬱になるとか自殺するとか、職場いじめなどもいつでも辞められるという余裕のある状況があれば減ると思うんですね。まぁそういうのが成立しなくなるということですね。まぁこれは学校にも言えるんですけどね。学校に行かなきゃいけないなんてことはないわけで、別に登校拒否して自分で勉強すればいいわけですが、子供とか子供の親ってのは学校には行くものだという思い込みがあるので、登校拒否という選択肢を取らないですよね。でも別に行かなくても生きていけるという前提があればあえていじめに曝されるような場所に行かなくても済むわけです。つまりは回避が可能になるわけですね。かといって学校に行かなくて良くなるというわけではないんですけどね。


BIが導入されることで頑張らなくなるやつらが増えるという反論はいくらでもありそうですが、それは大いに結構だと思いますね。そんなレベルの生活で満足できるやつらが多いならまぁそれでいいわけですね。Eagerなやつらは最初から野心を持って頑張りますからね。生存権を人質に取られた上での努力の要求と、能動的に努力をすることで実を結ぶ可能性があるからという動機による努力では努力でも全然努力の質が違いますよね。自分のために頑張れるというかなんというか。凄くなりたかったらいくらでもそんなチャンスはあるってことですね。働かなくても良いというのを利用して何かのスキルを磨いたりすることも可能なわけです。これは現在の貧困層なんかに言えることですね。貧困層の半分かそれ以上は恐らく状況的なことから来ている貧困だと思うので、抜け出す事が出来ればいくらでも上に登っていくやつというのはいると思うんですね。現在は生存権が脅かされ続けているのでそれが出来ないという。生存権という人質を取られているので膠着状態が永遠と続いている実存的な立てこもり事件みたいなものです。そういうのが解消可能になるというのが凄く大きい。これもまたBIが導入された後にありうる肉体の行方ですね。貧困層がのし上がるというプロセスです。まぁ貧困層に限った話ではないですけどね。僕はBIが導入されたからといってみんなが遊んで暮らすようになるかというとそうではないと思うんですね。リッチになりたいやつはいくらでもいるでしょうしね、ただ機会が無いからとか状況的に立てこもり事件状態だから先に進めないとか、そういう人が多いわけで。


・・・とまぁこんな感じで肉体の行方は色々と考えられると思います。「肉体の行方」と書くとピンク映画みたいになりますが、ピンク映画的な意味での肉体の行方もいっぱいあると思うので、まぁようはみんなバリバリセックスするようになればいいと思うんですね。暇だからセックスしまくれるって最高だと思います。つまりは少子化対策にもなるということですね。両親が付きっきりで子供を養育できるって親にとっても子供にとっても最高の環境ですからね。それによって健全な子供の育成も可能になるわけですね。荒れ果てた家庭で生まれる子供というのは性格的な問題を抱えることが多いと思いますが、余裕のある家庭が増えれば、そういった問題のある家庭も精神的余裕と経済的余裕という意味で少なくなるかと思います。逆を言えば精神的な余裕と経済的な余裕が無いから荒れ果てている家庭もあるわけですよね。これも元を辿れば結局は「仕事しなければ生きていけない」という生存権を人質に取られていることから来る余裕の無い生活が原因だったりするわけです。ようは経済的余裕と精神的余裕が増えれば良くなることって未知数ってことですね。悪くなることに比べて明らかに良くなることのほうが多いと思います。


諸悪の根源は生存権が脅かされているという人質/奴隷的なダイナミズムだと思うんですね。まぁ諸悪というと言い過ぎですが、人質/奴隷制度が無くなれば改善できることというのは本当に多いと思うんですね。まぁ僕はイデオロギー的にそのぐらい「仕事をしなければ食っていけない」というシステムは良く無いと考えるわけです。何しろ凄まじく不健全ですからね。これはアメリカ然りです。楽観的なアメリカ人が鬱になるぐらい過酷なシステムですからね。楽観的じゃない日本人が耐えられるわけがないんです。ここでも書いてますが職のために大学に行くとかっていう生徒が多過ぎて泣けてくるんですよね。みんなホームレスになるのが怖いから学校に行ってるんだってことを考えると心底悲しくなります。それじゃあ学問なんて楽しんでる余裕は無いなと。逆を言えば僕みたいな人間ぐらいしか学問を愛せないし発展させることもできないということです。


逆説的に僕みたいな高等遊民が増えれば余裕から学問みたいなのを楽しむやつらが増えるってことですね。時間が有り余ってるから本ばっかり読むみたいな生活が可能になるということです。つまりはそれが学問の発展にもなるかもしれないってことですね。有閑が秘めているパワーは凄まじいものがあります。哲学は有閑が無いと出来ないというのは昔から言われ続けていることですが、学問全般そうだと思うんですね。だとすれば有閑が増えればいくらでも哲学やら学問が出来るってことですよね。まぁこれは僕が言っている芸術全般ってことなんですけどね。収入とか気にしなくても純粋にそれが出来るようになるという意味での芸術や学問という意味ですね。これまたBIが導入された肉体の行方の一つと言えると思います。


ってなことで返信っつー量じゃなくなってるけど今日はこの辺で。