まぁそんな感じで覚醒したわけだけども。

mimisemi2010-04-29

よっ。書く事無いけどね、あれなんだよね、まぁ日記みたいになるけどさ、いつだったかな?二週間ぐらい前かな?覚醒したのを感じたんだよね。本を読んでてね、速読とは言えないまでもまぁ普通の読書っつーよりかは速読に近い感じで普通に本が読めるようになったっつーかさ、脳が覚醒したっつーか脳がニーズに応えたんだかさ、いつも思うのはね、読みたい本っつーかさ、大量にっつーか大人買いするからね、本を。で、ほぼ毎日ずーっと読書を続けてても知識欲に追いつかない感じなんだよね。ウォール伝の出力の時に似てると思う。タイピングが思考に追いつかない感じ?だからさ、速く読めればいいかなーとか思って速読の本とかも前に買ったりさ、最近だとフォトリーディングとか言うのを読んだんだけど、まぁ凄まじいインチキだなと。NASAが効果無いですって証明しちゃったのに神田なんだかってやつとかが推薦してたりするのってなかなかありえないよね。アメリカのアマゾンの書評見れば分かるけどトンデモ本扱いで相手にすらされてないっていう。でも日本では今話題の!みたいな感じでリリースされてるってアホの極みだよね。これだから日本はいつまで経ってもアメリカに負けるわけよ。


まぁそれはともかくね、日本語ではまぁ元々速いけどさ、最近のこの謎の覚醒のアレもあってか英語もなかなか速いスピードで読めるようになったっつーかこれはまぁある意味で認知的なものなのかもしれないなとは思ったね。「読んで理解しなきゃ!」みたいに思ってさ、義務的に読むっていうかさ、知識をつけなきゃ!みたいな感じで読んでるとさ、ちょっとでも理解できないところがあったりすると止まっちゃうんだよね。分からないところで本を読むのが止まっちゃうっていうかさ、別に100パーセント理解しなくてもいいわけじゃん?別に本はあるわけだからさ、これがまぁ本を買う良い理由の一つだよね。ふと気がついたときにいつでも再読できるっていう。ただ再読するのって何年越しだったりしてさ、だからこそまぁ本棚に収めておくといいんだよね。一度読んだら終わりっていう消費物じゃないんだから。まぁ賞味期限が短い消費物的な本もいっぱいあるけどね。


このおかげでさ、なんかね、もうリミテーションが外れちゃってさ、英語の本とかでね、速く読めるようになったからさ、200ページぐらいの本が全然多く感じられないようになったのね。まぁ200ページっつってもさ、サイズにもよるんだけどね。本によっては一ページの文字量が半端じゃなかったりするでしょ?だからまぁページ数ってあてにならないんだよね。むしろ文字数で表さないと量って表せないと思うんだけど、まぁそれはともかくさ、紀伊国屋でバカみたいに本を買ったりするとまぁ高いから普通に二万とかいっちゃうんだけどさ、もうかれこれ2年半ぐらいさ、大人買いを永遠とやってきてるからもうさすがに買うのが無くなってきてるってのは前に書いたよね。ようはニューヨークの紀伊国屋で手に入るもので読みたいやつは大体読んじゃったってことだよね。でも英語で言えばまだ色々あるんだけど、んでも英語っつー障壁があってさ、だからまぁあんまり進まないっつーか読むのに時間がかかるっつーイメージがあったんだけど、んでももう日本語の本で読むやつが無かったりさ、あったとしてもまぁ親からね、いつも薬と一緒に送ってもらう本なんだけどまぁ重量の関係もあってか新書2冊とかだから届いた日に読み終えちゃったりするわけよ。


だからもう英語の本しか無いじゃん?日本語で読みてぇー!って仮に思ったとしても無いわけだから。あったとしてもまた一瞬で読んじゃうからさ、だからもう英語の本しかないんだよね。そういうのがここ半年ぐらい続いてたからだからまぁ英語の読解力っつーかまぁ英語を読むってことが飛躍的にまた伸びたのかな?とは思ったけど、でも最初に書いた覚醒はもしかしたらDMAEとかGABAとかさ、前に趣味のサプリとかいってさ、人体実験だ!とかいって買ってきた一通りの脳系のやつあるじゃん?あれが効いてるのかな?とは思ったよね。特にDMAEはね、いや、エクスタシーじゃないからね、まぁそれはともかくまぁ俗説なんだろうけどADDに効果があるらしいのよ。ホスファチジルセリンもADDに効果があるっつーんで飲んでるしさ、まぁ何が言いたいのか?っていうと注意力散漫ね。過集中が出ないと注意力が散漫になるっていう。それが無くなったのかな?って気はしたね。その結果、読書への集中力が増して結果的に脳がその集中力にアダプトして読解力っつーか読むスピードが上がったみたいな。分からんけどね。でもまぁちょっと急だよね。あとはまぁ最近ではあまりにGPAが低いからいつ退学になってもいいように知識を用意しておくみたいなさ、まぁそういう崖っぷちもあるかなってまぁこれはどうでもいい話だな。まぁ学校とかやっぱ関係ないからな。本質的に。いつも書くけど実力が無いから学校に行くしかないわけでさ、だからまぁモラトリアム兼保険なんだよね。学歴っつー。まぁ数学はいいけどね。全然基礎とかやってないから知らないことだらけだから。


まぁそれはともかくさ、知識欲が爆発してるのよね。英語の本を大人買いするようになったっつーかさ、前は多くても3冊か4冊ぐらいだったけど、最近では一度に買う量が10冊越えたりするのも珍しくなくなってきてるんだよね。ようはそれだけ本を一瞬で読んじゃうってことね。それだけ前ほど英語で読むのに時間がかからなくなってるってことなのよ。でもこれはまぁ本当に思い込みを無くしたってのは大きいよね。「英語だから分からないだろう」っていうさ、自分の母国語じゃないから時間がかかるとか理解がイマイチになっちゃうみたいな考えを無くしちゃってさ、ただ自然に本に向き合うんだよね。そうすると気が楽になるわけよ。まぁ基本的な語彙を押さえてるのもあるけどね、まぁここまで来るのに3年ぐらいかかったわけだけど、でもやっぱなんつーか読書量っつーか読んだ量だけやっぱ読解力もスピードも読むっていうことに対しての慣れみたいなのもどんどん上がるよね。


この覚醒はマジで凄いんだよな。本当に。いや、よく言われるようにさ、熟読って別にゆっくり読むことじゃないんだよね。集中力だよね。ようは。で、集中してればスピードが上がるわけでさ、まぁあとは既存の知識が増えたっつーか数学にしても割と知識が増えてきたから速く読めるっつーのはあるよね。でもね、比べてみると分かるけどゆっくり一文字一文字読むのとさ、眼が走ってるみたいな感じで読むのとって別に差は無いどころか速く読むほうが大意がつかめたりするんだよね。ノロノロしてない分、アイデアが掴みやすくなるっていうか。ようは本ってパートだけで構成されてるわけじゃなくて全体で構成されてるじゃん?だから全体を読むってことが大事なんだよね。一部分一部分どれもこれもじっくり読むっていうのはさ、まぁそれはそれでいいかもしれないけど、まぁ俺には無理だな。そういうのをもう一切辞めちゃったっていうさ、そういう踏ん切りがついたっていうのかな?無理せずに速く読むってことに罪悪感を感じなくなった結果、結局、普通に読むのと同じぐらいの理解力で速く読めるようになったっていうさ、これってまぁある種の認知療法みたいなもんだよね。じっくり読まなきゃ分からないっつー思い込みを無くしたことでスラスラ読めるようになったっつーかなんつーか。


で、すげー気になる本だったやっぱ再読するんだよね。これがポイントね。一回読んだだけじゃ全部が頭に入るわけないからさ、だからまぁ時間をおいて気になるやつだけまた読むみたいなさ、別に読んだからっつって図書館に返さなきゃいけないとかなわけじゃないじゃん?だからまぁ俺は買うんだよねっつーかまぁ本が自分のものにならないと気が済まないっつーか本を借りるっつー感覚が無いっつーのもあるけどさ、いや、ただね、図書館でいいって言うやつは絶対モグリなんだよね。読書が好きだったら絶対本自体が好きになるわけよ。でも図書館でいいやってやつは浅いね。本当に。まぁ否定はしないけど。図書館でいいやっていうレベルの本ならまぁ図書館でいいんだけどね。


いや、まぁそれだけなんだけど。言いたいことは。で、最近買ったやつだとさ、ケン・ウィルバーが文章力を高めるために書き写したっていうアラン・ワッツっていう元々は神学かなんかやってた人でんで後になって東洋思想に傾倒するようになった人なんだけどね、この人の名前は知ってたけどさ、まぁようは西洋人の東洋思想かぶれなんだろうなーとか思ってナメてたんだけどさ、こないだ見かけて読んでみたら意外と良くてさっていうかかなり本格的なんだよね。西洋人にありがちなオリエンタルな東洋っつー神秘主義とかさ、オリエンタリズムとかさ、ようはヒッピーとかが東洋思想に傾倒したっていうなんつーかいかがわしいニューエイジ的なもんじゃなくて本格的なんだよね。それはウィルバーもそうだけど。で、日本で言う新書ぐらいのボリュームの本が結構あってさ、それを6冊ぐらいまとめて買ったね。まぁ基本的になんつーか金太郎飴っていうかさ、まぁ言いたいこととかコンセプトはどれもこれも一緒なんだけどね、ただなんつーかまぁ50年代とか60年代とかなのかな?まぁヒッピー時代に流行った東洋思想とかじゃない一昔前ってことになるんだけどさ、結構読めるんだよね。ちゃんと東洋思想とかを咀嚼して現実を語ってたり社会を語ってたりしてさ、んで「不安の時代に」みたいなテーマの本でもさ、60年ぐらい前の本なのに全然今と同じっつーかさ、先が分からなくてみんな不安だみたいなことが書かれてたりするのを見ると基本的にまぁ黄金期なんて無いんだろうなっつーかまぁ基本的にどの時代も不安定っていうとアレだけど完全に安心できるなんてことはないわけだよね。


いやね、アラン・ワッツはなかなかいいよってことなんだよね。それは俺が勝手に安っぽい東洋思想かぶれの西洋人だって勘違いしてたのもあって、思い込み補正みたいなのが働いた結果、評価が高くなっちゃってるのかもしれないけどね、でもなんつーかあれだね、ブディズムのコーナーとか行って思うのはさ、充実してるよねってことだよね。英語で仏教関係の本を読むって変な感じがしてたけどさ、実はかなりのアーカイブなのよね。基本的に量が半端じゃない。それはやっぱ英語で書くと多く読まれるからっていうかさ、英語って強いよね。本当に。書く側もアドバンテージがあるんで母国語が英語じゃなくても英語で書くみたいなさ、その結果がまぁあのパブリケーションの多さだよね。まぁアラン・ワッツはアメリカ人だけどね、中国系のアメリカ人が書いた中国思想の本とかさ、中国人の移民が書いた中国思想とかチベットとかでもいいんだけど、ようは直だよね。日本人が禅について書くってのが本場の人が書くものってことでさ、タオとかチベット仏教とかも本場の人が書いたやつってのが英語で読めるってのが凄いなって思うわけよね。だからなんつーか東洋思想系を一望できるっていうのかな?


あとなんつーのかな?文章が上手いっていうかさ、当時ベストセラー作家みたいな感じだったらしいけど、なんつーか語りかけるようなね、心に響くような書き方をするんだよね。俺っていまだに英語でも日本でもアカデミックな文体って大嫌いで馴染めないんだけどさ、まぁそれはどうでもいいか。ようは学術的な東洋思想の本じゃなくて東洋思想とか神学とか哲学全般がベースになった仏教的な観点から見た社会批評とかね、ようはアラン・ワッツが語り続けるわけよ。その語り口調っつーか文体が心に響くってことだね。味わいがあるっていうか。だからまぁ売れたんだろうなとは思うよね。親しみやすいからね。あとはなんつーかSelf-Help的なフレーバーと東洋思想が見事に融合してるっていうのかな?迷える人達への進言みたいなさ、自己啓発本がブームとか言うけど、それだったらアラン・ワッツを翻訳でもして出版したらどうなんだろうな?とは思ったよね。時代のニーズにモロに合ってる人なんじゃないかな?ってすげー思うわけ。不安の時代って意味でね。いつでも不安の時代だけど今は特にそうじゃん?だからこそアラン・ワッツの本が時代に合ってるように見えるっていうか。まぁもっとも解脱志向だけどね。当然。仏教だからね。勝ち組になりましょう!とかそんなんじゃないから。


っつーかもう眠いからやめるね。中途半端でゴメン。なんつーかちょっと強引かもしれないけどね、BIと繋がる気がするのね。もう競争とか嫌だよ!まったり生きたいよ!って人が読めば得るものが多そうな感じっつーのかな?自己啓発本ってホームレスにならないために強くなりましょう!みたいな戦士のための本じゃん?バリバリやるっつー前提だよね。で、解脱志向の本って時代にある意味で合わないのはさ、強者にならないといけないみたいなのがあるから瞑想とかしてる場合じゃないってのもあるじゃん?まぁ勝ち組メソッドの中に瞑想が入ってたりもするけどさ、でもアラン・ワッツはモロにブディストでマテリアリズムとかすげー批判してるからさ、そういう意味でなんつーかアンチキャピタリズムでもあるんだよね。だからこそなんつーかアラン・ワッツの言説に共感を覚えるような人がね、競争とかに巻き込まれずにさ、内観をしつつ自己を深めていくみたいな生活をできるようにするのがBIだったりするわけだよね。労働から解放されるようなことが社会で起こればね、仏教って重要になってくると思うね。本質的な仏教ね。まぁ下手するとオウムとかと変わらなくなるんだけどさ、でもやっぱ精神鍛錬って必要だよね。でもこれって弱肉強食の社会でやっていくっていうのとコンバチビリティが無いっていうかなんていうか、そこが仏教系の弱いところだよね。それは理想的だけど、そういうマインドセットだと社会でやっていけなくなりますみたいなさ、んでも精神鍛錬ってすげー重要だと思うわけ。まぁ昨日書いたHuman Excellenceみたいなのとも繋がってくるんだけどね、ようはwell-examined lifeを送れるような社会作りをしたいよねってことだよね。そんな暇無いっていう社会は基本的に良くないよね。あーでも分からんな。暇がなくてやってないんだか、最初からそんなのやるつもりは無いんだかさ、これがなんかあれだよね、勝手に色々と考えることの悪い所でもあるよね。人々はこうなるだろうっつってBIが導入されたっつってどんだけ仏教に関心が向かうのか?ってそんなの分からないわけで。


ダメだ。もう限界。眠いから書くのがダメになってきた。今日は本を読み過ぎてマジで疲れたね。ほぼ一日読んでたから。んじゃあまたね。