ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

いやまぁなんつーか今後の事だけどもね。

mimisemi2010-05-09

あれからまた色々考えたけどさ、前にも書いたけど結局、なんつーか俺は「俺のやりたい事」にフォーカスするべきなのとさ、あとは現実を直視することだなっていうことなんだよね。それに尽きる。で、前にも書いたようにズバリ俺のやりたい事は学問だよね。つまりは読書。かっこよく言えば研究。こっちでずーっとやってるのは学校に行きながら読書だけどってまぁそれはいつも書いてることだけどさ、学校っていうファクターはこっちでやっていくためのステップなんだよね。大学院に入るとかまぁグリーンカード取得とかさ、つまりは永住権だよね。それを獲得するためのステップだっていう。で、今回みたいなことがあったときにさ、まぁもう経済支援は無理っぽいってことになったときにさ、考えるわけだよね。


で、繰り返しになっちゃうけど、今までの俺っていうのはさ、「夢」っていう中に学問とかこっちで可愛い人と付き合うとか結婚するとかこっちでやっていってる自分とかさ、全部がごっちゃになってた気がするんだよね。で、今回、まぁ現実を直視しなきゃいけない!っていう状況に立たされた時にさ、結局はすげーストイックに何がやりたいのか?ってのを考えなきゃいけなくなるわけだよね。で、そう考えた時にグリーンカードとかこっちにいるってことはもう執着以外のなんでもないってことに気がついたわけだよね。こっちは好きだけどそれはただ好きなだけで必然性は無いっていう。それ言っちゃーおしまいだけど、好きな事の順位は何か?って学問じゃん?場所を選ばないよね。いつも書くように俺はこっちで読書しかしてないし、行く場所なんて本屋とスーパーぐらいのもんなわけでさ、ニューヨークで何がいいか?ってやっぱまぁなんとなく「好きだな」って思える環境だよね。場所が好きっていう。


それは今でも変わらないし、だからまぁこっちにいたいって結局思うんだけどさ、でもそれはもう現実的に無理っていうかまぁ無理じゃなくてもね、賭けみたいなことになっちゃうわけ。で、まぁ俺は賭けをやるつもりでいたけどさ、それってグリーンカードに対して何百万っつー賭けをすることになるんだよね。まぁ仮に賭けに勝ったとして、んじゃあその後は何がやりたいのか?ってそれは今と変わらなくて学問だよね。ってことは逆を言えば今もやりたいことはできてるってことになるんだよね。まぁ理想的なフォームかどうかはともかくとしてやれているのは確か。もっとそれを高めて何らかの形にできればそれは一番いいって意味で現状に満足ってことではないんだけど、でもまぁやりたいことはやれているという意味で。


だからつまりは学問とグリーンカードってさっぱり関係無いんだよね。まぁそれを俺は繋げて考えていたし、まぁ実際、学問の延長上でアカデミックな分野で雇用とかがあればいいなとは思ってたけどさ、それは難しいよねみたいな理由で繋げる事を断念するってことじゃなくてね、そこまでして繋げる必要があるのか?ってことだよね。つまりは現状でやりたいことがやれているのにグリーンカードというのに執着し過ぎてもしかしたら学問ができなくなるぐらいのことになるかもしれないっていうことに対して賭けをする価値があるのか?ってことなんだよね。前にも書いたけど研究所がどうのとかさ、研究職がどうのってまぁ俺がやりたいことでそれを収入にするってことじゃん?


で、それと今の差ってさ、収入の有無なんだよね。で、それがさ、何千万とか稼げるような仕事ならいいよ。でもまぁ年間300万もいかない感じでしかもすげー不安定なもんでさ、で、それに至るまでに凄まじい金がかかるってこれこそ現実的じゃないよねっていう。何千万とか仮に借金してさ、んで年収200万ちょいとかでそれを返していくってさ、まぁ無理だよね。返すってこちになったら学問云々とか言ってられなくなるっていうか、返すことに大変になっちゃうっていうかさ、それが医者とか弁護士ならいいんだよね。アメリカの学生がよくやるようなさ、リターンが望めるから借金はいくらでもするっていうさ、でも俺の場合、御の字で年収300万っつーかまぁ300万もないか。200万ちょいとかなのかな。生活費だけで金が消える額だよね。そんな中で何千万の借金をするってあまりにちょっとね、その価値があるのか?ってさ、これまた取得が不確実なグリーンカードでしょ?あとは逆に今の俺がグリーンカード持ってたとしてもやることって当然大学に行くことだよね。こっちでやっていくっていうことに相当なパワーを注がなきゃいけないよね。それがまぁハングリー精神っつーかさ、モチベーションになっていたけど、今はそういうのをトリガーとしてやってきていたつもりの学問そのものが全体的に好きになっちゃってさ、それは前から気づいてたし、書いてた事だけど、あくまで学校とかグリーンカードってのが手段でしかないんだよね。変な話、こっちで読書を続けるための手段っていうか。それに凄い時間と労力を費やしてるわけじゃん?俺。


まぁコミカレだからそんなに忙しくはないとしてもさ、コミカレっつってまぁ普通のコミカレぐらいの学費で行けてればいいけどさ、年間結構かかってるわけよね。まぁ前の予定で行けばそれで良かったっつーか払えるからオッケーだったんだけど、今は無理ってことでさ、で、無理って中でさらに借金をしてまで続ける価値って何なの?って考えた時にまずコミカレとかこっちの大学とかって無いよね。そんな価値は無い。4大入ったって高校レベルと大学の初等レベルぐらいの数学をやるのは眼に見えてるわけでさ、もう無理です!って状況でそれを続ける価値があるのか?ってことだよね。


で、それを続ける価値ってまぁ俺で言えばもうこっちにいたいからっていうただそれだけだよね。でもやっぱやりたいことって学問なわけでさ、2位のニューヨークにそこまで執着する理由って何かな?って考えた時に「好きだから」っていう理由しか無いっていうってさっきも書いたか。で、正直、最近はもう飽きてきてるってのはあるよね。うんざりってわけではないんだけど、行く場所は決まってるしさ、別にタイムズスクエアとか行ったところで何があるわけでもないしさ、ただ雰囲気が好きってだけだよね。だから滅多に外に出ないしさ、休みの日って言ったら家で読書してるわけだし、平日もそんな感じじゃん?必然性が無いんだよね。好きだからという理由しかないんだよね。それにすげーコストがかかってるっていう。で、学問は本代はかかるけどそんなにコストをかけなくてもできるってのはいつも俺が書いてることだよね。つまりは俺がこっちに執着するがあまりかかっているコストが大半のコストで、やりたいことにかかってるコストって本代ぐらいなんだよね。その比が改めてバカバカしい比だなっていう。


アメリカじゃないとできない学問みたいなのをこっちでやってればいいけどさ、少なくとも学部レベルだとそんなことは無いわけでさ、だったら意味無いんだよね。結局。まぁでも楽しみではあるんだけどね。今セメスターでやっとくだらない一般教養が終わってさ、今後は専攻の学科しか残ってないってことでさ、それを学校でやれるっつーのは楽しみではあるんだけど、でも別にそれって受験生とかがやってるレベルのことでさ、本当にやりたいなら自分でやれば?って言われたら全てが崩壊するような感じなんだよね。そんぐらいのレベルのことだから。いや、それでも俺は楽しみだけどね。でもまぁもうやれないのかな?とか思うとまぁそこまで執着するようなことでもないんだよね。だって高校生レベルのことをやるわけだから。


まぁかなり矛盾してはいるんだが。金銭的にオッケーなら現状維持でダメなら辞めるってさ、土台がグラグラじゃん?金に依存してるわけ?っていう。で、現状維持の線を考えた時にさ、それはもう惰性でしかないなってことは分かったよね。一般教養課程は終えたしさ、あとちょっとで卒業だからまぁ当然やり続けるでしょっていうような惰性ね。でもしつこいようだけどなんのためにやるのか?ってまぁ永住権とかこっちで働くってことなわけでさ、金が続いたとしてもそれがプライマリーなものでいいのか?ってことだよね。あまりにそればかりに気が行き過ぎて本質を忘れてないか?ってのは本当に思うわけよね。で、まぁ本質って学問でしょ?っていう。つまりは金が続こうがさ、学問やりたいなら勝手にやれってことなんだよね。なんで大学に行ってやる必要があるのか?ってことだよね。それで言えば大学院ですらそうなっちゃうわけで。


ここでまぁ永住権とか職ってのを繋げるとまぁアメリカの大学が最善の選択ってことになるんだけど、それは繋げればの話で繋げなければ学校なんて意味無いんだよね。マジで。まぁ俺にとってはね。前に書いた先回り戦法もさ、本当にそういう大学卒業のための作戦だったわけじゃん?哲学でも政治学でも学科でやる前に自分でやっちゃって学科でやるぐらいの頃には大体が既知のことであるという風にしておけば楽に卒業できるに違い無いってさ、これって学問ということから言うとすげー矛盾だよね。先回りの定義にもよるけど、仮に先回りできてるなら学部なんて行かなくていいわけで。ただ学歴のために行くってことじゃん?それって。まぁ結局ね、前にも書いたように先回りしてたらそれ自体が楽しくなっちゃって学校とかどうでもよくなったっていうさ、まぁつまりは哲学とか政治学ってのが楽しくなっちゃったんだよね。前以前に。


ようは特別に「読む」っていうようなことではなくて俺の音楽とかと一緒で生活の中に自然に「ある」ものになっちゃったわけだ。例えば今の俺にとって大学で音楽を勉強するなんて最高にナンセンスなわけだよね。それと同じ事が哲学と政治学にも起こったわけだけど、結局、差はあれ数学も一緒だなっていうことなんだよね。全ての学問がそうだとは言わないし、高いレベルになれば超一流の教授がいる大学院とかでその教授の下について勉強するとかっていいと思うけど、まぁこれのみだよね。こんぐらいのレベルでのみ留学って学問って意味で意味があるっていうか。まぁ俺にとっての意味はあるけどね。留学で学問的に得られるものはほぼゼロだったけど経験って意味では得られるものが多かったわけでってもう過去形かよ!っていう。


でも正直、得るものは得ちゃったなって気はするね。怒濤の最初の3年間とか凄かったしさ、で、3年目から今にかけて色んな意味で知的にも人間的にも成熟していったなって気はするね。だからこそ大学なんてのが必要なくなってしまったというのは凄くあるね。あとはもう勝手にやってろ!っていうレベルになっちゃったわけで。それはレベルが高いとかって意味じゃなくてね、精神的な意味でってことね。前の思考実験がやっぱりグサッ!と刺さるね。こっちがいいって言うけどさ、んじゃ仮に長野の別荘地みたいなところにある別荘で自然に囲まれて読書三昧の生活ができたら別に日本でもそれはいいんじゃない?っていうさ、環境の問題でしょ?っていうことなのよね。ニューヨークと同じような雰囲気の街ってのが仮にどっかにあるとして、んでそっちでやっていくほうが金銭的に楽ですよってことになったらそっちに行くわけだよね。俺は。別にニューヨークである必然性は無いんだよね。あとはまぁ散々書いたように飽きてきたってのはあるし。街で言えば当然東京のほうが楽しいってのは昔から書いてる事だよね。金があればの話だけど。ただ俺は雰囲気が嫌いなんだな。で、こっちが大好きなわけだ。東京に比べたらプレスクリヤン状態のマンハッタンだけどこっちが好きなんだよね。でももうそれだけ言い続けるとエゴにしかならないっていう。


エゴを滅して学問に身を投入するっていう意味で考えると場所なんて気にしてる俺ってあまちゃんもいいところなわけよ。バカじゃないの?ってことだよね。本当に学問を究めるつもりならさ、場所なんて問わないだろうっていう。まぁこっちでやるのがベストだろうってのは分かるけどさ、ただそれは今の所そう思うわけだよね。他にも良い場所はあるかもしれないし。ただ現状としては今、ここにこれ以上いれなくなってるってことがあるわけで。かといってそれが絶望に繋がるか?っていうと一週間前は繋がっていたけどさ、で、今も起きる度に嫌な思いがするけどさ、でもこうやって起きて色々と考えてみると別に学問なんてどこでもできるわけでさ、仮に俺が数学が死ぬほど好きならさ、それはニューヨークを凌駕しているはずだよね。でも凌駕してなかったらそれほどでもないってことで、んでそんぐらいのもんだったら多分極められないだろうなっていう。前に書いたように政治哲学を究めるってまず俺の目標の一つじゃん?哲学もそうだよね。で、今は数学も加わったわけだ。まぁ一瞬でできることではないよね。でもそれはやりたいことなわけじゃん?学校で点数を取るとかっていうのとは関係無いレベルでやりたいことでしょ?だったらそれが誰にも邪魔されずにやれる環境があったらそこでやれば?って話なんだよね。


そんなことを思ってたらさ、岡潔を思い出してさ、んで岡潔っつったら「考えてくる」とかいって山に行ったりして数学考えてたりしてたわけじゃん?無人の寺みたいなところでずーっと考えてて子供に「気違い博士」とかって言われたりして。なんつーかこの辺は井上日召三徳庵で瞑想の日々を送ってた頃にすげー似てると思うんだけど。でも俺ってこういうスタイルへの憧れがすげーあるわけじゃん?俺が求めているのはアカデミアではないのは明らかなわけで。でもニューヨークにいたい!ということとそれを両立させるにはやっぱり仕事らしい仕事をしなきゃ!ってことになるでしょ?だからまぁ自分の分野で仕事になるようなことを探すことになるわけだよね。それってでも俺の学問への志を潰すことにはならないのかな?って思ったわけね。常に金の心配をしてビザの心配をして親が借金をして・・・・山でできることを俺はニューヨークで無理矢理やろうとしているからリスキーなことばっかりになっちゃってるっていう。まぁさ、俺の夢としては金稼いでそんなに都市から遠くない自然があるところに家を建てて読書三昧ってことがしたかったわけだけどさ、でもその「金を稼いで」っていうさ、山で学問をやるってことへのステップがすげー大変なんだよね。で、そこまでやる価値があるものなのかどうかも分からないっていう。いつも書くように数学なんて自分で何かできればどっかに属してる必要なんて無いわけじゃん?そういう意味で俺はいきなりアートをやるって言っちゃったようなもんだってのは前に書いた通りだけどね。


テニュアだのなんだのってのを気にしてプレッシャーの中でやる数学なんて楽しいのかな?とかさ、それが俺のやりたい数学っつーか学問なのかな?って違うよね。でもそれはニューヨークにいたいんだったら必要なことになるかもしれないってことだよね。つまりはニューヨークってことが俺に重くのしかかってるってことなんだよね。学問をやる上で足かせにしかなってないっていう。結果的にね。環境は最高なんだけどいるために多大なコストと労力を割かないといけないっていう。だったらずーっと自分でやってれば?っていうさ、自由気ままにやってるほうが脳にとってもいいんじゃない?っていうさ、「あーめんどくせー」とか思って宿題やるとかさ、出たくもない講義に行くとかさ、まぁ学費が安ければいいけどさ、生活費も含めて高いっつー中でそれをやる価値があるの?ってことだよね。あとはまぁ超一流大学に行けるほどの学力が無い俺ってのもいけないんだけどね。それは実力不足じゃん?それは俺が悪いよね。だから全然言い訳にならないわけ。


俺が求めるような環境に行けない俺の実力というのがあるわけで、それはもう俺のせいだよね。金とかも別に優秀なら奨学金とかもらえるわけでさ、でも俺はもらえないだろうしさ、まぁもらえないだろうって諦めだけど、ただそこまで頑張って有名大学に行きたいか?っていうとそうでもないんだよね。憧れが全然無くなっちゃったってのはあるよね。それはアメリカに対してもそうね。特に憧れは無くなったな。行く前はすげーあったけどね。大学に対してもね。でも学問にのめり込むうちに憧れの対象が学問とかね、過去の偉人とかになっちゃって、リアル世界のことなんてどうでもよくなっちゃったんだよね。だからすげー厭世観が増してるわけだよね。学問をやればやるほど厭世観が増すね。それは学問自体が目的化するってことでつまりは哲学と一緒ってことだよね。愛知になるってことなわけよ。それに比べてアイラブニューヨークとかアカデミックなポジションとかすげーどうでもいいことなわけね。あと教職に憧れてた時期もあったけど今では全然そうじゃないってのも前に書いたよね。それは親から告げられる前にね、全てが親の例の告白でトリガーされたってわけじゃなくて、前から思ってたことが確信になっちゃったってことなんだよね。喝が入ったっていうかなんていうか。親から「ダメだ!」とかって言われたってことじゃなくてね、現実的なことを言われて我に帰ったってことだよね。で、愛知とアイラブニューヨークをごっちゃにしている俺ってなんなんだろう?っていう自己批判が生まれたっていうかなんていうか。


ここじゃないとできないんだ!ってのは全て言い訳に過ぎないなってのは本当に分かったよね。そこにしかない設備とかそこにしか無い学部なら別だけど数学みたいなもんで場所なんて関係ないわけでさ。まぁそれは政治学でも哲学でもそうだと思うけどね。まぁ政治学はちょっと特殊だから除いておくか。数学と哲学は似てるからね。伝説的な哲学者とかの講義ノートとかが散々出版されてたり講義が動画で見れてたりする中でさ、何百万も払って学問のためだけに大学に行く理由って無いんだよね。ほとんど。まさしく学歴ってことなだけなわけで。で、俺の場合、それが永住権だのグリーンカードに繋がるわけじゃん?つまりは学問と関係無いのよね。それって。両立なんだよね。ニューヨーク在住っつーかまぁクイーンズだけどさ、それを維持しつつ学問を続ける方法でしかない。ただニューヨークってのを捨てれば学問を続ける余地なんていくらでもあるんだよね。


困ったよね。本当に。覚り過ぎて困ったって感じだ。ニューヨークというのがただの煩悩だったのか!ってことじゃん?まぁそうとも言い切れないしさ、こっちが好きだけどでもそれはアイラブニューヨークっていうレベルでしかないんだよね。オザケンとか坂本龍一とかがニューヨークにいるぐらいの緩さだよね。坂本龍一にいたっては糸井さんとの対談で「ニューヨークにいる意味がなくなっちゃった」とかって言ってるし。2006年ぐらいだからまぁ俺がこっちに来た年だけどね。坂本龍一曰く、昔はロンドンだの東京だのパリだのニューヨークだのっていうのに固有の都市性みたいなのがあってさ、そこでしかないような何かみたいなまぁ抽象的なもんがあったような気がするけど、今はそうでもないっていうようなことを言ってたんだよね。インタビューで。それは俺も書いてたことだよね。別に都市ならどこでも一緒なんじゃないの?今は?ってことだよね。


グローバリゼーションと関係してない気がしなくもないけど、まぁ昔よりかは世界は均一化してるだろうね。独特のアートシーンとかさ、変な連中がたむろしてるみたいなのって無いみたいだし。まぁああいうのも昔の時代の産物だからね、今みたいな時代にそれを求めるのが間違ってるのかもしれないけど。そこを俺はベーシックインカムがあればそういうのが復活する可能性もあるんじゃないか?って思うんだけどね。昔ってSOHOとかでもタダみたいな家賃で住めたりさ、不法に住んだりしてるやつらが多かったからアーティストのたまり場だったわけじゃん?でも今では言い方古いけどブティック街だからね。主観的なイメージだけど結局学歴がどうのとか仕事がどうのっていうので必死になってるって意味でまぁ全然ニューヨークも変わらないなってことなんだよね。まぁ世界中でそんな感じなんだろうなって感じだよね。


俺はずーっとなんか観察者なんだよね。「あーみんな大変だなー」っていう観察者でしかない。ニューヨークに属してるっつーよりかは観察してるって感じだよね。で、「やっぱ好きだな」って感じてるっていうそれだけっていうね。別に大変そうな人を観察してるって意味じゃなくてね、色んな意味で観察者ってことね。


んじゃあ結局帰国なのか?って話じゃん?まぁ今後の方針は完全に決まったら書くけどね、親とはもう大体話はしてあるんだけど、ここではまぁ決まったら書きたいかな。まだ分からないこともあるからね。でも正直、アメリカの永住権にそこまでして執着する必要は無いなというのは今回の事で凄く認識したね。それは仮にお金がなんとかなっても変わらないよね。そのお金をこっちの大学とか生活費に回すだけの価値があるのか?って言われると正直分からなくなってるわけで。まぁただ帰国となると凄まじく残念なのがやっぱ女の子だよな。こっちの美女に一喜一憂できなくなるのが最高に惜しい!学校に行くってのもはっきり言っちゃえば理由はほとんどこれだけなわけでってそれはいつも書いてるけどさ、でもまぁただの煩悩だよね。でもこれは捨てきれないね。


でもこっちにいる理由ってまぁこの二つぐらいだよね。こっちが好きってのとこっちの子が好きっていうのと。日本に帰ったら引き蘢り生活が続くだろうし、ズリネタがイデア化してくるのも目に見えてる。つまりは外に出なくなることで人間とも接しなくなるしガイジンも見なくなるから洋物とかも見なくなって、んで観念的になってズリネタがエロ漫画とか傾くだろうなってのはすげーあるよね。それは過去の俺がそうだったからね。こっちに来てから健全に洋物で抜くようになったんだけど。つまりは社会性のあるオナニーだよね。でも日本に帰ったらオナニーが観念的になるだろうなってことだよね。まぁそもそもオナニーって観念的なもんだから本質的な差はないんだけど。


まぁそういう話はともかくとして日本に帰るなら帰るで帰った後のことを考えなきゃいけないよね。まぁそういうのもすでに考え尽くしていて親にも話したんだけどさ、で、親は安心してたみたいだけどね、俺がこっちにいたいってことがすげーよく分かってるから帰国とかになったらどうなっちゃうんだろう?みたいなね、ただ今の俺としてはそういうまぁ最近の気づきみたいなのがあったわけでさ、意外と落ち着いてるんだよね。帰りたいとは思わないしこっちにいたいとは思うけどでもこっちにいる理由というのはそこまでないわけでさ、あとはまぁ金銭的に無理になってるってのが大きな理由だけどさ、まぁだから休学って感じにはなるよね。一時帰国っつーの?でもそうなるとさ、数学の学位ってことだけだったら日本の大学でもできるじゃん?別に数学をやるだけなら学校行く必要ないけど学位がそこまで欲しかったら日本の大学行ってでも学位を取ってさ、んで俺の最終目標である博士号とかになったらまた再留学すればいいってことになるよね。こっちの4大でやることなんて日本の大学数学よりレベル低いわけだから数学ということだけにフォーカスするとむしろ日本の大学のほうがいいわけで。


散々バカにしてた日本の大学だけどそんぐらいしかチョイスが無かったらまぁそれしかないよね。でも適当なところ言ってもしょうがないからそこそこ良い所行かなきゃ!ってことにはなるよね。アメリカの良い大学院に行きたいならそこそこ良い日本の大学出てないとダメなんじゃないの?ってイメージとしてあるよね。まぁ逆に有名大学ブランドを逆利用するってことだよね。まぁ年齢の事があるから分からんけどね。でも年齢のことがあるからこそバカ大学出ても何にもならんだろうってのはあるよね。だからこそそこそこのところ行かないと大学行く意味なんて無いだろうなってことなんだよね。それはアメリカの一流大学院とかに行かない限りあんま留学の意味は無いってのと同じ事ね。


で、たまたま浮かんだのがさ、最近OBっていう人から過去のエントリーに対して皮肉たっぷりの書き込みをもらったけどさ、散々色々言ってきた東大に入れば面白いなとは思うよね。俺の人生ってのをストーリー仕立てで考えた時にこの流れだと東大に入るというのが一番面白い気がする。まぁ入試とかあるから分からないけどね。東大に入った上で「やっぱ東大と言えどもそこまで学問が好きでやってるやつなんていないということがよく分かった」とかってウォール伝に書ければそれはそれで面白い気がするんだよね。なんとなくで言ってきたことだけど結局やっぱたいした事なかったっていう。まぁ今の東大って意味だけどね。昔は違ったんだろうけど。


で、まぁ俺としてはアメリカ大学院のステップとしての東大ってことなわけでさ、とりあえずの長期的目標であったアメリカの大学院で博士号を取るっていうさ、その目標を置いたままプロセスが実行可能になるよね。何しろまぁ完璧とは言えないまでもアメリカの生活とか英語ってのはもう慣れてるわけでさ、これはデカイじゃん?ある意味でまぁ帰国子女みたいなもんなわけで。入試とかの英語とかもまぁ楽とは言わないけどまぁ現実的だよね。そこは手堅いなっていう。あとまぁ東大生とか見ててっつーかまぁ一部のだけどね、とても地頭の差があるとは思えないんで方法論とか時間さえかければあんなの誰でもできるなって思うのは今も変わらないよね。だからこそ俺でも別に入れるだろうってなんとなく思えるわけ。まぁ入ります!って言っちゃったらやらなきゃいけなくなるからさ、今はまぁなんとなくってことで言ってるわけだけどね。まぁ選択肢としてあるよねってことだよね。とても不可能なことだとは思えないからね。


ただ問題はそこまで博士号に執着する必要があるのか?ってことだよね。執着するなら東大というのはただのステップとしてあるだろうなというのは想定できるけど、入試とかさ、またまぁ通う年数はこっちの4大出るのとあんま変わらないだろうからさ、まぁ年数はいいとしても結局は学歴にそこまでして執着する必要があるのか?っていうことに尽きるよね。学問やるだけなら自分でやればいいわけで。まぁ当初のアメリカ亡命計画を続けるって意味だとそれはやる価値はあるんだけどね、でも当初の計画を今となっても続ける必要があるのか?とかそれが本当にやりたいことなのか?って言われるとかなり微妙だよね。あとはなんか東大っつーのもさ、コミカレで学費が払えなくなって帰ってきた留学負け組みたいなのがさ、日本のダメ大学に入ってやり直しって負け犬臭いじゃん?でも東大入ればだいぶイメージは違うよなっていうなんつーかそういうくだらない次元のイメージの世界の差ってのもあるよね。かなりどうでもいい差なんだよね。


でも仮に親とか親戚にしても俺が東大入ったとか言ったら恐らく嬉しがるよね。でも別に俺がそれをやりたいのか?って言われたら微妙なんだったらそれにコミットする価値って何なの?ってことなわけでさ、まぁだから結局、アメリカの大学院進学っつー目標を措定しない限りは日本の大学なんていう選択肢は無いんだよね。で、なんとなくイメージでも現実的な意味でも納得がいくのって東大だろうなって勝手に思うわけね。最高学府のくせにハーバードとかと大きな差があるって意味で俺でも行けそうな気がするっていうリアル感があるってのがあるよね。まぁどうでもいいことだけど。こんなこと言っててキテレツの勉三さんみたいになったら笑えるな。


全然自分の事を真剣に考えてるとは思えない感じでしょ?いや、そうなのよね。もう本とかあるしさ、読みたい本とかもあるからさ、もういいのよね。これで。ただ将来的な収入とかちょっとした世間体的な社会的地位みたいなので大学に行くとかってのを検討するか?って話になるけど、学問という観点から見た時に恐らくどれもそこまで必要じゃないんだよね。必要なのは自由と時間なんだよね。学校とかじゃないわけ。大志を抱く!っつってさ、有名大学卒!って大志でもなんでもないじゃん?どういう学問的結果を出すのか?っていうのがポイントなわけでさ、それってどっかに所属してないとできないことじゃないわけでさ、まぁ結果が全てじゃないし結果を出すために学問をやるわけじゃないんだけどね、でもなんかマイペースで読書したい!ってことになるとなんつーかもう関係無いよね。学校とか。哲学とかって好きな人は自分でやってると思うんだよね。学校の哲学科とか入らないで勝手に自分で本買ってきて読んでる感じだよね。で、それって哲学に限らずなんつーか同じなんだよね。俺が好きなものに関しては。


これって逃げだと思う?金が続かなくなったから日本に帰っても問題ないっつー言い訳を作ってると思う?自分を納得させるために俺はこうやって書いてるのかな?俺は違うと思うんだよね。かなり疑問に思ってきてたけどズルズルと惰性で続けてきてしまったことが現実的なことを知った事で決断を迫られて分析した結果がこんな感じってことなんだよね。まぁそもそも俺の動機がシンプルだからね。学問やりたいってそれだけだから複雑な思考のプロセスとかを辿らなくても答えが一瞬で出ちゃうんだよね。そんぐらいやるべきことが明らかなのよね。逆を言えばやらなくていいことが明らか過ぎるとも言えるわけ。こんな中でこっちにいてこっちで学校に通い続けることはやるべきことなのか?ってのは経済的問題を別にしても疑問なところだよね。今俺が考えるべき事はそれだよねってまぁ既に答えは出てる気がするけど、経済的問題っつーのは置いておいてね、今回の分析の結果、まぁ俺には色んな道がまだ選択できるって考えた時にどの選択が一番いいのか?ってことだよね。


こっちに留まることを選択するのならそれがなぜいいのか?ってのを考えなきゃいけないわけで。で、それはさっき書いたようにこっちの女の子とニューヨークっていう理由ぐらいしかないわけね。こんだけいたこともあって英語っつーのはまぁそりゃー昔よりかは伸びたからさ、英語力を伸ばすためみたいな理由はもう無くなったよね。それでもまぁ精進はしてるけど別にこっちにいなきゃいけないということはもう無くなってるわけ。これは2年前とかだったら別だけどね。今はもう別に英語という意味ではこっちにいなきゃいけないという必然性は無いわけ。それは俺の英語が完璧になったということではなくて、あとはもう自分でコツコツやっていくしかないっていうところまで来れたってことだよね。国際教養学科みたいなのの良いところってここじゃん?日本にあるでしょ?いくつか。授業を英語でやりますみたいなところ。これって全部を英語でやるから英語の感覚が身に付いて良い!みたいな魅力あるじゃん?でも英語にある程度慣れちゃったらそのベネフィットは無いよね。授業は英語でも日本でもどっちでもいいですよーぐらいになっちゃうと英語で授業をやるということにそこまでの魅力を感じないわけだよね。それは経験してない人は魅力を感じるだろうし、俺も魅力を感じていたけど、さすがにこんだけの間学校に行ってるとそれも慣れるわけよ。


まぁ日本語並とは言わないまでもまぁ困らないよね。これはこっちに長くいることのメリットだよね。で、それはもうある程度手に入れてしまったというのはあるよね。あとはもうレベルの問題でさ、俺が伸ばしていくかどうか?っていうことにかかってることだよね。生活しながら身に付いていく自然な感じというのはある程度得た感じはあるよね。それがよく英語の場合、4年がある程度の目安だと言うけど、まぁピッタリだね。ある程度は身に付いて生活に困らないというレベルになれたというのは確かだもんね。


んーまぁそんな感じなんだよね。最近、頭の中がこればっかで他の事が手つかずなんだけどさ、でもまぁ頭の中がこればっかのおかげもあってまぁ色々考えられるんだけどね。で、あれだけ帰国は嫌だ!と思ってた俺が今は意外とそうでもないというのに俺が一番驚いてるんだよね。それはやっぱりあの事実を知らされてショックを受けた次の日の学校の帰りのバス停でのエポケーによる悟りが大きかったと思うね。物理的なことに執着し過ぎている自分というのに気がついたってことね。そっからまぁ色々とまた考えてなんつーか結局学問だよなってことに帰結するっていうさ、こっちじゃなきゃ手に入らない本とか無いわけでさ、本読みたいんだったら別に場所がどこであれ続ければいいんじゃない?ってそれだけだよね。あと最近書いてる「趣味が無い」の一種の帰結でもあるかな。やりたい事がこれ以外に無いっていうさ、結構悲しいことでもあるんだよね。


ニューヨークにいれるからやれることをエンジョイしてるわけでもなければさ、特に趣味らしい趣味があるわけでもなければさっつーかつまりはいつも書くように好きな事が生活に内在されてしまって特別にそれだけ浮くようなね、休日はこれだ!って言えるようなもんが無いって意味でも趣味が無いなって思うんだけどさ、映画とかもさっぱり見なくなったしさ、ゲームとかもあんま興味無くなったし、まぁまだ好きだけどね、音楽に関しても別にそこまで深くやるって感じではないよね。別に飽きたわけではないんだけど。結局熱中してることが学問系のことしかないんだよね。これをゲームに置き換えればさ、日本の実家でゲームばかりしている生活が嫌だからニューヨークでゲームやりたいからこっちにいるって意味分からないじゃん?そんぐらい意味分からないわけよ。


あとリアルな話、俺の足りない数学の知識を詰め込むには東大行くかはともかくとして予備校みたいなところに通ってやり直しをしたほうがいいというのもあるよね。つまりは予備校でやるようなことをこっちのコミカレとか4大でやるわけでさ、だったら予備校のほうがいいじゃん?楽しいかはともかくとしてね、ただドライに数学って言っちゃえばどっちも一緒なんだから。すでに面白さとか喜びを見いだしているっていう今の俺がある中で面白い数学の講義なんて期待しなくていいわけだよね。面白さは俺が発見できてるわけだから。だから単純にそれをやりたかったら予備校とこっちの大学とどういう差があるの?ってことだよね。まぁおっさんみたいなやつが予備校に通えるのか分からないけどね。高校生専用のところが多そうな気がするんで。そんなことないか?


まぁあとこれはすげープライベートな話になるけど、こないだ母親と話した時に分かったんだけど、おばあちゃんがガンでもう長くないらしいのよね。で、まぁビザの更新の時とかに俺は帰るからその時にでも会えればいいねぇーなんて話はしてたらしいんだけど、結局、まぁそれで会ったとしてもそれが最後になっちゃうじゃん?だからなんかまぁ俺が頻繁に見舞いにでもいければおばあちゃんの気分もだいぶ違うよなーとは思ったよね。まぁこれは家庭内事情だからこじつけと言われればそれまでだけど、まさかガンがそこまで転移してるなんて知らなかったからショックだったわけよ。かなり高齢だから抗がん剤とか無理だし手術も無理ってことらしいんだよね。で、それは別に今まで隠してたとかそんなんじゃなくて本当に最近分かったらしいことなんだよね。葬式に行けないとかありえないからな。マジで。


学問をやりたいからニューヨークにいる!っていう図式が完全に崩壊したことが分かった今、まぁ俺は決断を迫られてるってことだね。まぁ分かった今っつーか分かってたことだけどさ、グリーンカードへの執着が無くなってしまったからね、学校に行く理由とかも自ずと無くなっちゃうよね。でも漠然と「学問」ってだけで生きていくのもあれだからやっぱアメリカの博士号!っていう物語は崩さないほうが日々のモチベーションは保てるかな?って気がするよね。つまりはグリーンカードとかアメリカとかニューヨークとか可愛い奥さんっつー今までの俺の色んなドライブを支えてきた物語を維持したまま一時帰国して物語の中で生き続けるってことにするってことね。まぁこれはニヒリズムとの親和性が高い俺へのアタッチメントなんだけどね。「東大合格!」とかってバカみたいだけどあえてそんなバカっぽいこともやってみるっていうのも面白そうだなってことだよね。


で、つまりはそれを今の物語に手段として組み込むってことだよね。で、最終的に今までの俺が目標にしてた最終設定を達成するっていうね、まぁ夢というよりかは物語を崩壊させないやり方はあるよねってことだね。まぁ博士号取得が最終目的って今となっては陳腐過ぎるんだけどね。バカじゃないの?って気がしてきてるっつーか。まぁそれは前に書いたからいいか。博士号取得して何やりたいの?ってことじゃん?だからまぁもっと無謀なプランを立てた方がいいなとは思っててさ、まぁ名前は分からんけどアメリカの一流の数学研究所みたいなところに勤務するとかね、まぁその先の物語も作っておかないとダメだよなとは思うよね。そうなったら結果的に全てが達成されるわけだからさ、まぁプロセスは続いたままってことになるよね。モチベーションを維持できるかどうかは俺次第って感じだけどね。だからこそ物語が必要なわけで。この図式って結局宗教と一緒だよな。善行をつめば極楽浄土に行けるとかさ、天国に行けるとかっていうさ、それで意味も無いような教会に行くとかってこの教会ってのが大学にそのまま当てはまるなってことだよね。


そんなわきゃーないんだがまぁそういう物語があって神とかを信じてたほうが生きやすいからそのほうがいいねってことでまぁそういう物語を信じ続けるってことだよね。俺はそれを概念装置としてやろうっていう感じだよね。それが唯一俺みたいなやつに社会性を与えてくれる物語になるってことだよね。それはまぁもうアーキタイプは3年前ぐらいに作ったものと一緒なんだけどね。で、これを捨ててしまうと世捨て人みたいになっちゃうんだよね。学問は続けるけど別に社会とか関係無いっていう。まぁニートだよね。まぁ自分で教育を続けるって意味でニートの定義には入らないとは思うけど、まぁフリーターだよね。んじゃあそれがいけないから教会っつーか大学に通うのか?ってこれまたちょっと悩む所ではあるよね。学生っつーエクスキューズが欲しいから学校に行くわけ?っていう。学問やってるってことで学徒みたいな称号が得られればフリーターじゃないからそれでいいのか?みたいな話じゃん?フリーターって呼ばれるのが嫌だから学校出るみたいな。バカバカしい話だよなー。それも。


去年ぐらいに書いたエントリーがあるじゃないってこれだけど。


http://d.hatena.ne.jp/mimisemi/20090727


なんかもうこれで決まってる気がするよね。こんなのを書いてる時点で大学と俺のやり方が両立するわけないっていう。だったら親の負担が無いかまぁちょっと本代ぐらいの小遣いをもらうみたいなぐらいの負担で空のまま思索を続ける意識としていたほうがよっぽど俺らしいんじゃないか?って思っちゃうよね。それに対比してニューヨークにいようとする俺というのは金を稼ごうとして必死になってリスクばっか背負って無駄なことばっかしてるような人とあんま変わらないなっていう感じだよね。金を稼ぐとかグリーンカードっていう煩悩があるから必要とされる嫌な事とか無駄なこととかやらなきゃいけないことが増える。でも本質的に自分に必要なことだけをやってれば少なくとも俺の場合はそれだけで済むんだよね。そこをなぜあえて苦労をしようとするのか?ってことだよね。なんであえてリスキーでリターンがそこまで望めそうにないことに望みをかけてるのか?ってことだよね。


これがまさしく青い鳥症候群そのものなんじゃないか?ってことだよね。永住権が得られれば幸せになれる!っつーかまぁ幸せとか自己実現の一つを達成できる!みたいなさ、実際は多分そうじゃないよね。幸せって何?って考えた時に自分の散らかった本だらけの部屋を見渡せばそこに幸せがあるんだよね。それは足るを知る的なことでもなくてこれが幸せなんだよね。これしかないわけ。逆を言えば。それがまぁ趣味が無いってことにも繋がるんだけどね。これ以上に何があるの?ってことじゃん?いや、「永住権があるだろう」ってちょっと意味分からないよね。


ここがある意味危ないところでもあるんだよね。一時帰国するにしても物語が維持できなくなっちゃってさ、今以上の世捨て人みたいになる可能性が高くなるわけじゃん?今の俺のまぁそこまで大げさじゃないにしても社会性っつーか社会へ向かう態度を担保してるのって永住権とかアメリカでやっていくみたいな物語なわけでさ、それが無くなると社会性ゼロになるんだよね。まぁゼロっつーか社会にコミットする必要があんまりなくなっちゃう。学問は自分でできるからね。あとはまぁ世捨て人みたいになってもいいけどさ、岡潔みたいにね、まぁああいうレベルじゃなくてもいいんだけど自分が措定したやりたいとか解きたい!って問題に20年とか平気で費やせるのか?ってことだよね。


費やす事が許されたとしてできるとしても俺がそんだけの心を持ってるか?ってことだよね。これもまた俺次第じゃん?で、教職とか得られるとこういう学問的な高みを誤摩化せるようになると思うんだよね。社会的地位みたいなのを得られるから別に学問を究めなくてもソーシャルステータスで学問を究めた人みたいに見られることでそれで満足しちゃうっつーかさ、それで留まっちゃうみたいなね、まぁこりゃただの毒だよね。学問っつーデカイものを前にすればみんなフリーターだよね。言わば。ソーシャルステータスとか学歴とか関係無いさ、差別のない世界だよね。まぁ実際はあるんだろうけどそれがまぁ派閥とか学歴とかっていうくだらない世界なわけじゃん?まぁ俺が言いたいのは本質的な意味での学問においてって意味ね。それが分っててなんで大学なの?って話だよね。つまりは博士号みたいな話も崩壊するわけね。だとすればもうアメリカに移住するために!っていう当初の目標を貫徹することぐらいでしか俺の社会性は担保されないんだよね。ただそれも学問っつーのを前にして正当性が揺らいできているってことだよね。


「ウォールデンを彷彿とさせるような山小屋がある。入りますか?はい いいえ」ってあったら入っちゃうもんな。俺。ようは佐藤優の獄中記みたいな話なんだよね。今はそんなに気が進まない学校っていうのがある。そんな中で「学校に行かなきゃ」っていうのがありつつ続ける読書とか思索の日々ってことだよね。佐藤優で言うところの取り調べが俺の学校みたいなもんで。で、佐藤優って出てきた後もさ、都内に借りた部屋で獄中と似たような部屋を作ってそこを読書部屋にしたみたいにしたらしいけど獄中ほどは集中できなかったらしいよね。で、俺の今の地下室って言わば獄中なんだよね。適度に嫌な事があって社会性が一応ある学校っつー場所がある。だからこそなぜか集中できるものがある。でも完全な自由を与えられたら今ほどの集中力はもしかしたら出ないのかもしれないっていう懸念はあるよね。つまりは実家に帰ったらそうなるかもなってことだよね。そうならないために「東大合格!」みたいなバカバカしいとも思えるようなことをアメリカの大学院で博士号取得!っていう本来の目標を達成するために何か身近な目標を設定するってことになるわけね。予備校に行ったとしてさ、予備校に通う合間に読む哲学書なり数学書は面白いなーっていうそれだよね。でもそんなことを作らないと学問に集中できない俺って何なの?って気もするけどね。まぁそれは分らないんだけどね。


まぁ結局どの道学問は続けるけどどういう形で?っていうのが今後の課題になるね。まぁ形もクソもないとは思うんだけど。今まで通りっつーかなんつーか空の精神だよね。占領下の頃のパリのほうがレジスタンス運動とか色々な高まりがあって人々に活気があったみたいなことにならないようにしたいんだよね。結果的に占領が解けたのはいいんだけど自由が与えられたのにも関わらず前みたいな元気が人々に無くなったみたいなね、まぁサルトルの話だけどね。結局やっぱり物語に尽きるな。それが幻想であれなんであれ目標とか物語があるから人って生きられるんだよね。ある意味で日本に帰るってことは完全な自由を与えられるとも言えなくもないんだよね。でも完全な自由から来る堕落とかが俺は怖いわけね。それはバイトとかすればいいって話じゃなくてね、学問をやることが完全に任意になるという自由ね。今はそれをやれば将来的な社会性のベネフィットにも繋がるっていうことがあるじゃん?


それはまぁ俺の物語設計だったわけじゃん?趣味と社会性を両立させるっていうね、ただその社会性が失われた時に完全に趣味になったときにそれがどうなるのか?っていうのはちょっと予測不可能なところもあるからさ、それは佐藤優みたいな人間ですら獄中の方が集中力があったとかって言うわけでさ、ちょっと心配ではあるよね。だからこそそれを維持するために物語の継続をってことになるわけね。で、それが「東大合格!」とかに繋がるわけ。で、それはストーリー的に面白いってことでさ、ようはなんつーか今は物語が打切りになりそうになってるけど、続編があったほうが面白いから物語を続けましょうかっていう漫画の連載を続けるみたいな話だよね。それは作者の任意なんだけど作者としても漫画を描かなかったらニートみたいになるから漫画を書き続けよう!ってことになるわけね。


学問は辞める気はないけど物語は進行しないから物語設計に沿った学問の続け方をしたほうが面白いんじゃないか?ってことだよね。あとは当然、親を巻き添えにしてるから親に見える形での分りやすい形での結果の提示をできたほうが親孝行になるというと変だけど、親としても納得ができるというのはあるよね。帰結としては「完全に学問に目覚めてしまいました」でいいんだけど、親が納得しても日々の生活を見てて「?」になることはあるよね。部屋から出てこないとか。まぁ何かをやってるんだろうなーとは思うけど分らないっていう。だったら分りやすい形でアクティビティを生活として提示できた方が親も安心するよね。親を安心させるために大学に行くつもりはないけど、さすがに世捨て人にもなれないなってのはあるよね。親は俺ほど大学ってものが意味無いとは思ってないっつーか意味無いとは思ってるけどっつーか俺の意見に影響されてそういう風に思うようになってるっていうのはあるけどでも例えば「東大」とかって言われると「へぇー!凄いね!」ってなるわけよ。それはもうイメージの世界だけどね。分かっててもでもやっぱ凄いね!って思える事ってあるじゃん?


ニューヨークで留学生やってて大学卒業しましたってたいした事ないけど結果として「凄いね!」ってことになるじゃん?それよね。意味無いと知って道を究めようと思って独学の道に進んだとかさ、ビジネスを始めた方が早いとか思って中退とかさ、それのほうがレベル高いと思うけど結果が出ないとただの中退じゃん?で、今の俺もさ、独学でいいやになると中退になっちゃうんだよね。イメージとして。ケジメとして中途半端というのもあるし。だったらやっぱやりかけたことなんだから学位は取っておけよっていうのはあるよね。親も巻き添えにしたんだから親も納得できるような結果を出せってことになるよね。学位が全てじゃないんだけどでもまぁ気分的に物理的なこととしてそれはあるよね。それが結果的に俺の社会性を担保することにもなるしね。それがないと世捨て人になっちゃうからね。


ってことなんだよね。まぁ色々とまた考えなきゃいけないけどね、でもまぁそんなに時間はないよね。今の学校を継続するかしないか?はあと2ヶ月ぐらいで決めないといけないからね。ってことで今日はこの辺で。