ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

美を見出すプロセスとしての政治哲学みたいな感じ?。

mimisemi2010-05-14

昨日、たまたま今の地下室の向かいの地下室に済んでるキッチンをシェアしてる隣人の人とたまたま帰りのバスが一緒でさ、んでちょっと話す機会があったんでね、今の俺の事を言ったのよ。そしたら「えー!そうなの!」みたいな感じで。ちなみにこの人は恩人なんだけどね。例のサイモンの件でお世話になった人ね。で、まぁ色々話した所やっぱ「勿体ないね。それ」っていう話にはなるんだよね。今の俺の専攻とか状況とかを簡単に話したら俺の今の数学のレベルと学校でやるレベルが一致してるんだからこっちでやったほうがいいっつー話になるんだけどさ、まぁ本当にその通りだよね。でもまぁ金がかかるっつーかもう金銭的に無理ってことで。で、この向かいの人曰く、こういう場合になったら学校に状況を話せばビザとかの切り替えができる場合もあるらしい。つまりは金銭的に無理になったから就労ビザにしてくれみたいなのは打診可能らしいね。あとはコミカレを卒業したらもらえるプラクティカルトレーニングっつー一年ぐらいこっちで働く権利が得られるやつとかを卒業前とかにももらうことはできるらしいね。


で、これで考えてみてもさ、仮にこっちでウェイターとかやってさ、まぁこっちはチップ制だから日本よりかは儲かるんだけど、でもまぁ月20万はいかないよね。まぁ15万ぐらいが限度だろうっていう。まぁあとカツカツだよね。丸一日ほぼバイトになるから多分読書の時間とか当然減るよねっていう。まぁようは生活がバイトだけになるってことだね。そういうので学校卒業する人もいるけどね。睡眠時間4時間とかで。でもまぁそれやったところでさ、一年後とかにまた復帰可能か?って無理じゃん?金は溜まらないよね。それだとやっぱ仮に受験で時間がかかってもとりあえず今必要な4大の学歴ってのは日本で取るってのが一番いいっつーかそれは前も書いたように予備校とかのレベルのことをこっちの大学でやるわけだからさ、数学ってのにフォーカスするとむしろ日本でやったほうがそのまま続くんだよね。


でもまぁ向かいの人曰く悪あがきはしたほうがいいんじゃないか?ってことだったけど、悪あがきして職が得られたとしてもこっちにいるだけになっちゃって学業は止まっちゃうからまぁどの道、一旦帰ったほうがいいんだよね。あと驚いたっつーかやっぱそうなのぁーってのがさ、向かいの人もさ、別にこっちにいる必然性が無くなったみたいな話してるのね。マンハッタンっつっても別に変わらないし特に面白いわけでもないっていう。この辺は例の坂本龍一が言ってたアレと似てるよね。都市の固有性みたいなのが無いみたいな。まぁ俺は固有性があった頃を知らないから分からないけどイメージとしてはあったけど実際来てみて慣れると無いなってのが分かるのよね。俺は最初は来たときはタイムズスクエアとかさ、いかにもニューヨークらしい感じが感じられる場所っていうのにただ興奮してたけどさ、向かいの人は来たときからそうだったらしいね。別にネオンとかだったら日本にもあるし違いは無いなっていう。「最初からそう思わなかった?」って言われたけど俺は違ったなぁー。まぁ結局一緒ってことなんだけどね。


なんか都市自体がシムシティで作ったような感じなんだよね。収益が上がるような場所に同じようなチェーン店のスタバとかマックとかサブウェイとかが配置されててさ、んで地下鉄があってブティック街があって・・・っていうそれだけなのね。変な話、西洋的な合理主義に従えば街の形ってある程度は一定になるのかもしれないね。人が集まりやすいところに店はできるしチェーン店とかにしても合理主義の最たるもんみたいな感じだからなんつーかシムシティだってそうじゃん?場所が違ってもまぁ大体街の大枠の形みたいなのは決まるんだよね。違いは雰囲気とか人種とかなだけで大枠の街の形はどこも似たようなもんかもしれないよねっつーか都市だと余計にそうね。まぁある意味当たり前か。海外への憧れみたいなのは完全に無くなったっていうのは言えるね。東洋人が西洋を経験するってデカイことだよね。でも経験しちゃえば西洋経験者なんだよね。つまりは西洋もone of themということになるっつーかまぁ相対化できるんだよね。そん中に日本もあるってことでさっつーかまぁ場所という感覚がそんな感じになるってことね。ドラクエのルーラみたいなもんだわ。


まぁこれは結構コアな部分かもね。西洋ってのを経験してさ、英語圏の海外生活ならまぁ大体どこでも対応できるってことになるとさ、条件次第で色々見つけられるっていう広さが得られるよね。だから日本に帰るっていうのも一時帰国っていう感覚で考えられるようになるっていうかさ、今の俺のニューヨークへの固執って高校生の大学現役合格みたいなもんなんだよね。浪人したらもう終わりだって別に終わりじゃないじゃん?俺も終わりじゃないんだよね。ましてや俺なんてどの道、新卒みたいなブランドは得られないわけだし、あんま違いが無いっつーかさ、慌てなくていいっつーのはあるよね。まぁそれは実家のサポートがあるからだけどね。


まぁそれにしてもあれだよね、向かいの人はカリフォルニアに移るかもしれないみたいなこと言ってたね。今勤めてる会社の本社がカリフォルニアにあるらしいんだけど、まぁ異動みたいな感じだよね。別にニューヨークにいる必要がなくなったっつーかさ、まぁ他でも行ってみようかなってやっぱ感じるんだろうなっていう。まぁアメリカはアメリカなんだけどさ、でもまぁ結局場所ってどこいってもそうだろうなっていう。仮に俺がカリフォルニアに移るとして、まぁカリフォルニアにも4年ぐらいで飽きるだろうしねっつーかまぁもっと早いかもな。アメリカっつーものにすでに慣れてるって意味でもっと飽きは早いかもしんない。


ところでそういう意味で言うとさ、学問ができるなら世界中に行きたいっつーのはあるよねってエルデシュのパクりみたいになるけどさ、まぁ行けるもんなら色々なところを経験したいよね。別にニューヨークに何十年といる必要は無いなっていう。その都度、語学の勉強をするってまた楽しいしね。大変だけど語学の習得のプロセスって面白いんだよね。これを他の言語でもやってみたいってのはあるね。アメリカの大学院よりも条件がいいっつーかまぁ色んな意味で条件が良いところが見つかればそこでいいわけよね。別にアメリカである必要は無いっつーか。まぁアメリカでもいいけど他も経験したいなってことだよね。それを視野にいれるならまぁ例えばフランスの大学院に行くとしてまぁ今からフランス語の勉強をするとかさ、ドイツとかならドイツ語とかさ、まぁそういうのもありだよね。別にアメリカに固執する必要は無いんだよね。


数学は言語にそこまで依存しないってことでフレキシブルだよね。別に数学さえできればどこでもいいっつーのはあるよね。マジで。ただでもやっぱ大学院っつー意味で言うとさ、その先の就職ってことになってやっぱ現地でってことになるから住みたい場所を選ぶべきなんだよね。それが可能か不可能か?ってのを現実的に考えるっつーよりかは全部やろうと思えばやれるっつー前提でんじゃあどこがいいのか?ってなるんだけど、正直、まぁ結構あるよね。日本じゃないのは確かなんだけどでも変な話、日本で楽な仕事とか見つかれば日本でもいいのかもしれないよね。問題は俺の学問なんであって場所じゃないっつーのはよく分かったよね。今回。


今回危険だったのは場所に固執し過ぎて学問を忘れるということだよね。下手にウェイターとか始めて学問やる時間が無くなるとかそうなるとヤヴァイわけで。でも場所に固執し過ぎるとそうなりかねないんだよね。だから場所というのは二次的なもんで、まずはどこで学問を今みたいな感じでやり続けることができるか?ってことだよね。あんま働かないで研究ばっかやってられるところはどこか?ってことだね。それによって場所が決まるって感じだよね。日本でそれができるなら別にそれでいいってのはあるよね。海外だと教えたりしなきゃいけないし色々と面倒なことがある。んで日本だとそうでもないって条件があった場合、まぁ仮にだけどね、それで言えばグータラ度っていうとアレだけど、自由時間という意味で日本のほうがいいんだよね。好きなアメリカを含む海外のどこかというのを選ぶと若干厳しくなって生活のために必死に働く必要が出てくるってのがあってさ、一方で仮に日本ではそうでもないですよって言われたらさ、労働時間の少なさという好条件を選ぶべきなんであって都市じゃないんだよね。場所に固執し過ぎて学問のプライオリティが低くなるというのが本当に良くない。俺はそれでもこっちがいい!って思ってたけど、それはマズいなってのがよく分かるようになったよね。別にそこにいなきゃ幸せになれないということはないわけでってのは今回悟った事なわけで。


今にしてもさ、もうすでに東大受けるつもりでいるからさ、潜在意識に植え付けてるさ、必ず読書をするっつーのを今の所は数学をやるってことに変えてるのね。数学ガール再読とかもその一環なのよね。読むけど読み物は数学系のものでしかも前みたいな数学Literature系じゃなくて理論系のやつね。だからまぁ結局、微積分とかもマスターしちゃおうとかってことになるからさ、Calculus Made Easyっつー微積分のクラシックみたいな本があるんだけど買ってきたんだけどさ、radianとかが出てくるじゃん?三角関数っつーの?こういうの。Trigonometryね。で、分からないじゃん?やってないから。だからダメだなって思ってTrigonometryの本とか買ってきたんだよね。んでもなんつーかGeometryも基礎レベルでやっておかないといけないんだなってのが分かったから今はGeometryの本を読んでるんだけど面白くて死にそうなんだよね。前は何が面白いんだろう?っつーかさ、面白くなることもあるんだろうなってなんとなく思ってたけど、まぁ見事になったなっていう。っつーかそれもある程度のAlgebra的な発想とかさ、ルートとかね、まぁ数学の基礎だよね。高校初等レベルぐらいの基礎ね。これがあるから理解できる所が多いっつーか難しいことがなく全部理解できるって意味で気持ちいいんだよね。


分からないときはさっぱり分からないけど数学って分かるときは本当によく分かるんだよね。哲学もまぁ一緒だったよな。最初から難しそうなの読んでも分からないけど、色んなイントロダクション系の本とかを多読することで基礎っつーか基盤みたいなのができてきてさ、大体まぁどういう哲学書とかでも分からないパラダイムってのは無くなるっていうぐらいのレベルになるとどれでもまぁ大体読めるようになるんだよね。まぁハイデガーとかフッサールみたいに書き言葉自体が難しくてさっぱり分からないっつーのはともかくとして、まぁなんつーか概念は分かるって言えるようになるのが多くなるよね。ある程度のイデア論とか唯物論とか社会契約論でもなんでもいいけど、なんつーかパラダイムを知ってないと理解できないってのがあるじゃん?だからその枠組みを頭の中にインストールする感じだよね。そうすると理解できる幅が増えるっていう。で、俺にとっての哲学ってなんつーかそれが学問の全てであり基礎なんだよね。


まぁ前は哲学って大雑把にまぁ一学問としてやってた気がするけど、今になってみると俺の思考のプロセスとかさ、物事の考え方とかって意味でなんつーかあらゆるものの基盤になってる気がするのね。哲学的な教養が。それは哲学がメタ的なことをやってたり認識論的なこととか存在論的なことをやってたりとかするからこそなんつーか全ての基盤になるっつーのがあるよね。フランスの高校で哲学が基礎学問に入ってるのってこういう観点からだろうな。つまりはまぁ全ての基礎ってことね。で、愛知って意味でまぁ態度的にも全ては結局は哲学だって思うからそれが全てだと思うんだけどね。


数学にしてもなんで今、幾何学やってて面白いか?ってやっぱ哲学の基礎があるからってのが大きいよね。数学をオントロジー的に考えるっていうかなんつーか哲学の基礎があるから哲学と数学のインターセクションを見つけられるみたいな感じに前は思ってたけどね、つまりは数学に哲学的解釈を見つけることができるって思ってたんだけど、これは若干違うなっていうのがね、最近はこう思うのねっていうのがね、哲学の基礎があるからこそ数学に内在されている哲学的要素を見つける事ができるってことだよね。それは悪魔君に出てくる幽霊メガネみたいなもんでさ、ゲゲゲの鬼太郎だったっけ?どっちか忘れたけどさ、まぁ哲学メガネだよね。何事もまぁphilosophizeできるようになるっていうかまぁ抽象能力が増すっていうかさ、抽象的に捉えるということが哲学によって磨かれるって部分はあるよね。このphilosophizeするってのはシュトラウスから学んだ事が多いね。本当に。その結果、数学をphilosophizeするというよりかは哲学メガネをかけることによって普通では見えない数学の哲学的要素を見いだす事ができるって意味でさ、まぁようは盲点となっていたことが哲学をやったことで見えてきたってことだよね。で、ドライに感じられていた数学が実は凄まじい抽象と哲学の世界であるってのが分かってさ、まぁマトリックスみたいなもんだよね。教養が無ければただのSF映画だけど教養があれば凄まじい哲学映画であるっていう。


ライプニッツが言ってたことはつまりはこういうことなんじゃないか?ってまぁ最近自分なりに分かったよね。「数学なしに哲学を深く究めることはできない。哲学なしに数学を深く究めることはできない。数学も哲学もなしに何事であれ深く究めることはできない。」ってことなんだけどさ、逆を言えば今の俺には数学が無いから哲学を究めることができないんだよね。まぁこの両者は凄い相関関係にあるけどさ、でも恐らく他の分野にしても数学と哲学があるとより深く極められるものってのはあるよね。政治学は特にそうかな。政治哲学ってイメージ的に数学的っつーか数値的なものが欠けてると思うんだよね。理系な感覚で政治哲学っつー思索的なものを科学できるようになればそれは強いよね。哲学によって数学をphilosophizeしたり、まぁ数学に内在されている哲学的要素を抽出したりするように、数学によって哲学に内在されている科学的な要素とか、見えない科学的要素を見いだすとか、もしくは足りない場合は補うとかさ、そういうのが可能になるよね。政治哲学に足りないのって科学性だよね。政治哲学ってどうしてもイデオロギー的になるんだけどさ、そこをイデオロギー的な党派制を持ちつつも数字的に見れば事実はそうじゃないとかさ、科学的に演算すればそれは無理であるとかって分かるじゃん?そこを思想的なものに傾き過ぎてるとできなくなる要素ってあるんだよね。科学的に言えばトンデモだけど思想っていう世界だと通用するみたいなね。でもそれだと意味が無いんだよね。


つまりは実践的な政治哲学だよね。まぁポリティカルサイエンスって結局そういうことだと思うけどさ、俺は思想まぁ思想から出発してるとは思うけど、なんつーか科学も思想に不可欠なものであると同時に科学にも思想的なものが不可欠なんだよね。これがつまりはライプニッツの例の引用なんじゃないかってことなんだけど。言わばまぁ数学ってのが科学を象徴してて哲学ってのがまぁ思想的なものを象徴してるっていうか。思想系でも結構分断が激しいよね。モロに理寄りの思想やってる人もいればさ、理な感じがゼロの思想に傾き過ぎてる思想をやってる人もいるんだけど、両者の良いバランスを持ってるって人達が意外にいないよね。例えば過激派の思想にしてもそれが過激を象徴するような思想だったらただの思想だけど科学的に考えた結果、それが過激派的な思想になるってこれほど強い思想は無いと思うのね。その人の考えっつーよりかは演算で必然的にそうなりますよっていうのが思想と結びついた時にそれは強力な思想になるよね。つまりは科学的エビデンスがある思想だよね。つまりはイデオロギーを科学することで脱イデオロギー化されたイデオロギーだよね。つまりは事実ってことなんだけど。でも事実だからってはじき出された結果をそのまま実行することが最善かはまた別の話じゃん?そこでやっぱ哲学とかが大きな役割を果たすわけよ。倫理とは?とかね、人間とは?とか価値観とは?とかね、文化とは?とかね。


結局はまぁ俺はある程度のジェネラリストになりたいってのはあるんだろうな。何かに特化してるっつーよりかは自分がやることに関しては全てを特化させるっていうね、だからこそまぁ10年単位とかの話になるんだよね。一つの学科だけやってればいいってことじゃないからね。思想って人の情緒に訴えるような力があるよね。でも科学も一緒なんだよね。事実とかさ、美しい数式みたいなさ、自然の美しさとかね、澄んでいるピュアな何かに人間って惹き付けられると思うのね。まぁこれも情緒だよね。でも感じている感性は一緒なんじゃないか?って思うわけ。ある種の超越的な知への憧れっていうかさ、カント的な意味での崇高さに感嘆するってことだと思うのね。で、俺には物事のconsistencyみたいなのに美が必ずあると思ってるわけね。そのあり方の事実自体にオントロジー的な美があるっていうか。で、社会も一緒だと思うわけ。カオスを調停するのは美という名の調和だなっていう。つまりはこの両者が混在するということだよね。哲学ってだからまぁカオス的なもんだと思うのね。時にそれがイデオロギーになって人の心を惑わしたり勘違いを解釈次第でいくらでも生み出しかねないというカオスね。で、数学は調和の象徴なのよ。そのconsistencyの美にみんな畏れおののくしか無いっていうか。マトリックスで言うところのオラクルがインヤンの黒を意味する陰のところの哲学の部分でアーキテクトがインヤンの陽を意味する調和という意味での数学の部分なんだと思うのね。でも両者は混在してるどころかそれ自体がconsistencyなんだよね。


数学に美みたいのを見いだすのってハーディー主義とか言うらしいけど、それは社会にも見いだせるってことだと思うのね。政治とかにも美があるっていうか、つまりは要素の調和を目指すという意味でそれは美に結実することだと思うのよ。その感覚があるからこそ現状の良く無い政治に違和感とか美しさの欠如みたいなのを見いだす事ができて、より良い社会にしていこうって思うわけじゃん?まぁそれは汚い部屋を見て綺麗にしようって思うのと一緒だね。ホームレスがいっぱいいたり自殺者が多いとか失業者が多いってことに違和感を感じないならいいけど、違和感を感じてるってことはそれはつまりは美しさが欠けてるってことだとも言えるわけね。ヒラリー・クリントンのFeel Good Societyってのはダーティーな部分も見た目だけ綺麗に感じられるようにしていきましょうっていうようなまぁ仮想の美の社会作りだと思うんだけどね、でもまぁfeel goodじゃダメなのよね。恐らくはプラトニックな次元で存在しているであろう社会の良いconsistencyみたいなのを見いだすというのがつまりは政治哲学の役割なんじゃないか?って思うわけね。で、それには様々な学問の知識が必要不可欠であるっていう。


アキナスのさ、善の欠如としての悪ってあるじゃん?それってまぁ社会では美の欠如としてのカオスだと思うのね。調和に美を感じることはできるよね。でもそれが無さ過ぎるかカオス過ぎるとそれには違和感を感じるんだよね。人間って。まぁ社会は数学みたいにさ、計算して演算してそれで解決ってわけにはいかないんだけどさ、でも調和のツールとしての科学とかってやっぱ不可欠だと思うんだよね。それは思想だけじゃ到達できない調和とか美だよね。哲学の教養があると数学に哲学的要素を見いだせるようになるように、政治にも様々な教養があることで見いだせる調和ってあると思うんだよね。それは社会ってのが人間が構成する有機体ってことで言うところのその有機体そのものに内在されている美とか調和だよね。それをいかに取り出してエンハンスさせていくか?ってことだと思うのね。それはまだ見つかっていないけど変化している社会とか世界に対して調和をもたらすことができる何かってあると思うわけね。それは数学であるのだろうけど見いだされてない証明があるようにね、社会にもそれは内在されてると思うわけね。あるけど見つかってないっていうことね。


それには常に変化する社会を観察しながら様々な学問の知識を活かしてそれを見抜いていくっていうまぁ教養が必要なんだよね。だからこそ教養って重要なわけで。でもこんな凝ったプロセスを全ての人ができるとは思えないからだからまぁ俺は民主主義を信じないわけだけどね。全ての人をこういうレベルに到達させるのは無理だけど、一部のエリートなら可能じゃん?まぁエリートっつーか優れた人達だよね。だからこそまぁ古典的なある種のベタな賢人統治ってのが不可欠になるわけだ。つまりはリーダーが必要ってことだよね。で、そのリーダーは教養のある社会や政治に内在された美や調和を見いだせる哲人である必要があるということね。そういう意味での哲人という意味でまぁ別にだから一般的に言われるような哲学者ってことではないね。このステイツマンとしての哲人という意味で言うとね。


このまぁつまりは美的感覚だよね。内在されているであろう美をいかに引き出すか?というのがステイツマンとしての役割ということになるわけだ。で、話が戻るけど俺はまぁ幾何学の本を買ってきてその内在されている美というのを凄まじく感じたわけね。例えば線が二本あるだけで生まれてくる美というのがあるように、人々がいる社会ってのがあるだけで生まれてくるっていうか存在するであろう美というのは見いだせることができるんだよね。つまりはそれに気がつくかつかないか?ってのが問題なわけで。で、その見いだすプロセスに教養というのは不可欠であるってことだよね。


まぁなんかこんなこと書くとは思ってなかったけど、まぁ今日はこの辺で。


PS


貼るの忘れてたけどだいぶ前にルディに教えてもらった動画なんだけどね、北朝鮮の学校が日本にあるみたいな話なんだけど、あんま意外と知られてないかもねっつーか俺は知らなかったな。


http://www.youtube.com/watch?v=PaY1_NRaIWU&feature=fvsr


あと関係無いけどFF6とズンドコ節が面白いんで。


http://www.nicovideo.jp/watch/nm4584190



ハズウェルの新作ってことで無視するわけにはいかなかったわけだが、ブルックリンのNo Funから1000枚限定リリースなんだけど、なんつーか限りなくクソに近い感じ。良い意味で。テストシグナルが入ってたりラジオのノイズが入ってたりっつーか二枚目とかそれだけなんだけど、凝った事やってなくてさ、良い意味でね、なんか知らんけど303とか909とかを使ったインプロノイズとかいってさ、アナログノイズなんよね。303とかをノイズ化したりとかなんつーか別に誰でもできる感じがいいね。ハズウェルってインテリで何やってるのか分からないような高度な技術を使ってノイズを出してそうな雰囲気があるんだけど、インテリだからこそあえてシンプルなことしかやらないみたいなね、それがいいね。凄く。「ただのノイズ」ってのがいいのよね。なんつーかリアクターとか立ち上げて適当にいじってれば出るノイズの音なのね。それがいいのよ。


http://www.factmag.com/2010/03/10/russell-haswell-the-whole-360°/


ロングインタビューを見つけたので。カルちゃんにしてもそうだけど、とてもクセナキスとかに傾倒したとは思えないジャンキーな音を出してるのがいいよね。ノイズ系のインテリって洗練されればされるほどプリミティブな音に向かっていく気がする。Pitaとかもそうだよね。カルちゃん、ハズウェル、ピタの音のジャンキーさって極端な洗練から生まれるものなんだよね。そこがバカがノイズを出してるだけみたいなのとの大きな違いだよね。でも聞く限りあんま差が無いっつーのが凄いわけで。



しょーもないコンピューターノイズとゼブのマンネリメタルノイズ。インテリが揃って知性ゼロなことやってるのがいいね。ノイズっつーかドローンか。KTLをメタルノイズでやってる感じ?ドローン+何かっつースタイルを確立したかのように見えてサウンド的にさっぱり成功してないっつーのがいい。後半のしょーもないピタのアルペジオみたいな音におっさんのメタル音がシンクロするあたりが愚の骨頂で最高。聞いてて恥ずかしくなるね。これは。本当にダサくていいね。



これも本当にしょーもない。そこがいいのね。ピタで言えばNo Funから出てた限定ヴァイナルが最悪だったな。これまた良い意味で。