ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

数学って良い意味で難し過ぎなんですね。結局は。

mimisemi2010-05-20

俺は普通の学生とか人々をバカ呼ばわりするつもりはないんだがっつーかつまりはね、数学って抽象的過ぎるのよ。あまりに。最近また分かってきた事だけど抽象度が哲学とかの比じゃないんだよね。あんなもんをさ、一般教養の課程に入れるってそれだけでもう無理なのよね。例えば実数にしても無限っつー概念にしてもさ、大学受験するレベルになるとまぁ問題演習とかいってやらされるわけでしょ?つまりは大学生なら極限の概念だとか無限の概念だとかを漏れなく理解してる必要があるわけだ。まぁ大学にもよるんだけどさ、例えばさ、実数とかにしたってさ、一生理解できない人いっぱいいると思うんだよね。でもさ、現代数学ってさ、中心にあるのって無限じゃん?まぁようは集合論とかって無限を扱うにあたって便利だからまぁ概念として有用なものになってるわけじゃん?そんな哲学的で抽象的なもんが現代数学のコアにあるってもうすでに無理だよね。一般的な学問じゃない。


三角関数に関してはこないだも書いたけどさ、あれだって理解するの大変じゃない?フォーミュラの暗記はそりゃー誰だってできるよ。ドラゴン桜的な代入ね。つまりは数学を思考無しの代数学としてやる感じだよね。つまりは概念の代数ね。その概念を理解しなくても代数的にそこに当てはめて答案を埋めるという作業をパターン認識的に暗記でやるんだよね。ようはその当てはめるボキャブラリーをひたすら演習で詰め込む感じだよね。演習とか暗記ね。でも俺に言わせればさ、いつも疑問に思うんだけどさ、数学は練習すればするほど身に付くって言うけどさ、これ噓だと思うのよね。身に付くっつーかつまりは理解じゃん?数学って。身に付くってのはただのアルゴリズムのやり方なんじゃないかな?って思うわけね。オペレーションの練習ね。それと身に付くってのは全然関係無い気がするのよね。だから数学と勉強って一致しないのよね。


哲学を猛勉強ってのが実質的に矛盾するように数学もまた猛勉強みたいな言葉が非常に矛盾することになるね。数学ってやるもんであって学ぶもんじゃないよね。つまりは定理とか何でそうなるのか?ってのを理解して自分でやるものじゃん?まぁそういう意味での基礎は必要になるんだけどさ、哲学で言っても自分で哲学するってレベルってさ、まぁたまにいるけどさ、ここに書き込みしてくれる人とかでもたまにいるけどさ、読書とかしなくても勝手に色々考えられる人っているじゃん?つまりは哲学書とかから思考法とかパラダイムみたいなのを密輸しなくても元々思考力があって色々と考えられる人ね。こういう人って勉強家じゃなくて思想家じゃん?まぁ思想家ってほど専業的にやってるかはともかくとして考える力が元々ある人だよね。


で、数学も同じなのよね。所謂、数学者ってのは恐らく哲学者と一緒で元々数ってのを素材に思考できる人達ってことだと思うのね。間違えても数学概念代入家じゃないわけで。哲学然りだよね。哲学学者はまぁ代入家だと思うんだけどっつーかまぁ数学者も似たようなもんかもしれないけどそれで言えば数学学者だよね。でも数学者は違うよね。自分で考えるから。高木貞治類体論ってのを作り出したきっかけって第一次世界大戦なんだよね。高木貞治ヒルベルトに師事してから帰国後に20代で帝大の教授になってさ、んでまぁ講義を終えると酒飲んで夕飯食べてぐっすり寝て夜中に起きて研究をしてたっつーんだけどさ、第一次世界大戦をきっかけにヨーロッパから本が来なくなったってことで自分でやり始めたんだよね。これって無人島に似てると思うのよ。哲学にせよ数学にせよある程度の積み重ねがあって膨大な読書量があって、んで無人島に取り残されちゃって、んでやることないから哲学とか数学をやってるっていうさ、これこそつまりは哲学とか数学をやるってことだよね。本とかを読んで概念を密輸してそれらしく評論してみるとかさ、応用してみるとかじゃなくて全部自分でやるんだよね。だからこそまぁオリジナリティみたいなのが出てくるんだと思うんだけど、まぁそこはやっぱ素質にかかってるんだろうなとは思うよね。


で、俺に言わせればさ、今の俺の拙い数学の知識で言ってもさ、三角関数と無限とか極限っていう概念とかさ、微積分とか幾何学とかこれだけでも理解できてたら凄いと思うのよね。でも理解してる人って少ないと思うんだよね。なんとなくは分かってるけど完全じゃないっていう。高校で数学が得意でいい気になってたら大学の数学で躓いたみたいな話ってつまりはそれまで理解をしてこなかったからだよね。「ニーチェ=神は死んだ」みたいな空白を埋めるような問題っつーかさ、選択問題みたいなのばっかやってきてても哲学する思考力って身に付かないじゃん?哲学書を読む醍醐味ってつまりは思想家の思想をトレースすることだよね。トレースってまぁ追うってことね。なでるっていうか。んじゃあどんだけ哲学書をそういう読み方ができてる人がいるのか?って多くはないと思うのね。それこそニーチェとかの思想をトレースできたら社会生活営めなくなるからね。


それはそれであるけど社会人としてっつーかリアルに生きる人間としての作法は身につけてるから哲学と人生は別だっていう人がいたらまぁそりゃーインチキだね。哲学をやるってのは思想に埋まることなんだよね。自分が埋まってるベッドってのがあって、んで過去の他人の埋まってたベッドの跡とかも本とかで読めるみたいなさ、その埋まりだよね。だから会社とかでやっていけるわけないわけ。会社っつーか社会だな。そういう意味で哲学って相当反社会的な学問だと思うんだよね。本当のことって時にっつーかほぼ大体のときに残酷だったりさ、too muchだったりするじゃん?それを言っちゃーおしまいよみたいな。でも哲学書とかを読んでさ、まぁ哲学だからねぇーとかさ、それを言ったらまぁおしまいだけどねぇーって言える人達って多分代入的だと思うのね。知識として哲学を読んではいるがとても埋まっているとは言えない。埋まってたらそれこそ引き蘢りになったり発狂すると思うのね。それでも現実から逃げずに真摯に真実と対面することで見えてくる認識ってのがあるじゃん?つまりは哲学ってこういうことだよね。真の認識に対するエロスね。ドクサを許さない態度っつーかなんつーか。


それで言うと社会って噓だらけじゃん?数学的な例えで言えばX軸とY軸っつーデカルト座標を現実の世界だとするとさ、まぁその中に虚軸があるんだよね。数学的に言えばy軸に虚軸が対応することになるんだけど、人々ってのはその虚軸を自明な事として受け止めてるんだよね。それがあるからこそ人々とか社会っつー点が座標上に存在することができるんだけど、そこには虚軸が存在するんだよね。まぁ数学的な虚軸は有用だけどね、俺が言いたいのはなんつーかデタラメと言えばデタラメなんだけど便宜上都合が良いので虚軸があったほうがいいっつーようなさ、その便利さだよね。それに付き合わされることになるんだけどさ、それがあるから存在することができるものがあるし、回るもんがあるみたいなさ、でも最近は特に日本では日本的な虚軸ってのの虚構加減がだいぶ露になってきたと思うんだよね。そういうデタラメなことを空虚だって言う人がまぁブログとかでもそうだけどさ、まぁつまりは目覚めたっつーかもう騙されないぞっつー若い世代にいるわけだよね。だからあえて虚軸も実軸扱いされるような座標上でゲームはやらないぜっていう人達が増えてるっつーかなんつーか。


あ、なんの話してたんだっけ?あ、数学か。まぁ数学って常にメタ的な視線が必要なのよね。パターン認識的に代数的に何かを代入してるだけじゃ限界がある。大学受験とかまでは良いかもしれないけど本当の数学をやるようになったら対応しなくなるよね。で、数学がなんで常にメタ的か?っていうとさ、常に数を定義するわけじゃん?何かの概念を定義するってことはその性質を理解してないとできないんだよね。それはテストにパスしたからとかね、何かのコースを取ってパスしたからオッケーってそういうことじゃなくて理解ってことじゃん?で、俺が言いたいのは理解してる人なんてそう多くないだろうって思うわけね。だからさっきも名前を出したけどさ、高木貞治とかハーディーとかさ、決まった凄い数学者みたいな人達じゃないとテキストレベルの本が書けないんだよね。テキストレベルの本を書けるって完全に理解してるからじゃん?だから解説できるんだよね。「そういうものだから」とか「決まりだから」としか言えないような人達は理解してないってことだろう。つまりは考え方が常に代入的であるってことだよね。数学教師なんて大半がこんな感じなんじゃないのかな?だから一般人に至ってはもう知らないのが当然だよね。でもそれが別に俺は愚かな事だとは思わないわけ。ただ単純に数学ってのが難し過ぎるわけだよね。


だからこそ難し過ぎるものに関してはそういうもんだっていうこととしてまぁ所与のものとしてそれをそういうもんだって割り切るしか無いっていうかさ、法律とかもそうじゃん?そういうこととされている背後にはすげー深い政治的理由だったりするんだけど、そういうのって政治学者とか社会学者しか知らなかったりするじゃん?数学もそうなんだよね。でも数学にいたっては「そういうもんだから」って済ましている人達も一応数学学者としてアカデミックな場にいれるんだよね。こういうところで言うと哲学学者と同じね。到底理解してないだろうっていう人も所謂、ただ知ってるっていうデータベース的な量で凡人を凌駕することができるっていうさ、思考とは別のデータ人間って意味での学者だよね。そういうのって意味無いと思うんだけどね。


いや、なんで俺がこんなに言うのか?っていうとね、もしかしたら俺がただのバカか数学音痴なのかもしれないけどさ、今の授業ですらね、今のレベルですらこんなの2週間で理解できるわけないだろ!ってのが多いわけね。いや、問題は解けるよ。でもそれは代数的なやり方だよね。「ええっと、フォーミュラはと・・・」っつってフォーミュラに従って代入をすれば数が出てくるっていう感じだよね。それが答えとなると。でもさ、それがなんで?って言われると解説できないよね。「こういうもんだから」っていう説明しかできないんじゃないか?って思うね。あんな深くて哲学的なもんをさ、サラッと黒板に書いて生徒がそれをノートに書いてさ、んで問題解くっつってもまぁ他の生徒に失礼だけど本質的に理解できるやつなんて全然いないんじゃないか?って思うわけね。


そういう意味で俺の躓きは健全なんだよね。「そういうもんだから」で済ませないで理解するまで粘るわけ。理解できないとスッキリしないからさ、だから考え続けるんだよね。高校レベルの数学でもね。で、それを理解しちゃえば忘れる事無いわけね。それが理解ってもんでしょ?記憶とか暗記とは違うものだよね。最初は俺は数学って完全に天才の所産だと思ってたけどね、でもなんつーか粘り強さっつーか粘着性っつーかしつこさっていう要素もあるかなって思ったわけ。当然元々素質はあるんだけど、かといってガウスとかナッシュとかノイマンとかエルデシュみたいな天才じゃなくて変人型っつーのかな?なんでそんなところにこだわるの?っていうさ、重箱の隅を突くようなことをやり続けるっていうか、その細かいところが気になるって人間は凄く向いてるっつーかさ、そのしつこさだと思うのね。しつこいが故に最終的に理解せざるを得ないっていうか理解ということでしか物事を帰結することができないから分かるまでやり続けるんだよね。で、これは別になんつーかね、一瞬で分かるみたいなさ、中学の時に解析概論読んだとかさ、高校でブルバキ数学原論読んだとかさ、そういう成熟さっつーか天才さみたいな感じじゃなくてね、しつこさなのよね。しつこいから結果的に深くなるわけ。だから中学の時に解析概論とか高校の時にブルバキみたいなレベルから見ると習得は遅いように見えるけどプロセスの中で凄い考えてるから身に付いてるっつーか理解の深さは半端じゃないっていうさ、結果的にそれが数学力みたいなのに反映されるんで結局、しつこいもの勝ちみたいなところになる場合もあるんじゃないかな?って思うわけね。まぁ中学の時解析概論とか高校の時ブルバキみたいな秀才タイプが変人タイプで凄まじいしつこさも持ってたら鬼に金棒だけどさ、でも秀才ってだけじゃ恐らくダメだよね。しつこさが無いと。


で、天才タイプはもう脳の構造が違うのよね。で、変人タイプは恐らくね、執着だと思うね。あと異常な知識欲。だから逆に地頭ってのはそこまで問題にならない。まぁある程度の地頭が無いと知識欲ってのは出てこないからさ、地頭が問題にならないってことはないんだけど、ただ天才タイプと比べると地頭としては劣るけどさ、執着によって結局、天才タイプを凌駕するような場合もあるんじゃないかな?って思ったわけね。あとはもうレベルが高過ぎる世界になると境界線がないみたいなね、どの道まぁどいつもこいつも変人ばっかってことになるとは思うけどね。知ることへの執着ってまぁ異常なんだよね。それが何に向けられるか?の違いがある意味でのまぁ学問のジャンルの違いなのかもしれないね。awarenessの違いっつーのかな?awarenessのベクトルの違いっつーかなんつーか。俺で言えばさ、哲学とかさ、すげー高尚なものだったわけよ。もう背伸びでしか哲学書に触れるってことができなかったわけだけど触れてばかりいるとそれが日常になるんだよね。で、特に別に哲学的な言い回しとかしなくても考え方がすでに哲学的になってるみたいなさ、まぁ自分そのものになるわけだよね。ビルドインされるっつーか。数学も一緒じゃん?ビルドインされたものを忘れるってあんまないよね?家族の事を忘れるわけがないのと一緒で。


で、数学ってさ、全部は基礎からなってるよね。今俺がやってるようなレベルから色んなものが見えてくるもんね。でも一個一個着実に理解していけば結果的にどれもこれも理解できるようになるだろうなっていう感じがあるのね。それは哲学を徐々に理解してくるプロセスと似たような感じを今覚えてるから恐らく同じ感じなんだろうなって思うんだけどさ、逆を言えば専門的になり過ぎると分からないとかさ、自分の分野じゃないから分からないとかってつまりはそこの部分の基礎を理解してないってことだよね。それはちょっと言い過ぎか。いや、全部基礎で成り立ってるじゃん?それがどんどん高次化してくるってだけで概念は変わらないよね?だからこそ基礎があればどれも理解できるようになると思うわけね。そこを誤摩化したりとりあえず一夜漬けでテストにパスとかってやってると家で言えばとりあえずまぁ問題無いから手抜きでもいいやっつって土台のある部分を適当にする事である時それが原因で水漏れしたりガタが来たりするっていうさ、理解の浅さとか誤摩化しが結果的に理解不能っつー状態を生むわけよね。でもまぁ分かるんだよね。数学って全部やろうとしたら大変じゃん?だからこそ俺は魅力を感じてるわけだよね。どんだけ時間がかかるか分からないけど、とにかく凄まじくドープな世界だというのは分かったからさ、所謂、カント的なsublimeな感じってのを数学に感じてるわけだよね。仮に限界があるとすればそれはまぁ自分で知る事になるよね。これとこことここは全部理解してるのにこれが理解できないっつってそこから進まないとかさ、これってまぁもう俺の地頭が数学の高度さについていかないってことなわけでさ、そうなったらまぁ諦め時だよね。そういうときが来ればまぁ潮時なんだろうね。


でも逆を言えば数学ってポストモダン哲学みたいな知的欺瞞が無いからさ、理解できないってことが実質的に無いと思うのね。ようはそれってmathematical rigorじゃん?理解を積み重ねていけば自ずと理解できるようになるはずなんだよね。でも恐らく深める人がそんなにいないジャンルなのかな?って思うんだよね。ある程度まぁそれで食っていけるようになれば深める必要がなくなるとか新たに手をつける必要が無くなるとかでまぁ向上心が無くなったり知的欲求みたいなのが無くなったりしてまぁ落ち着いちゃうんだと思うけどさ、でもまぁ哲学とか数学ってそういうことじゃないよね。常に知り続けるっていうことがまぁ学問そのものなわけでさ、そうなるとまぁ限界無いよね。まぁ限界があるとすれば脳の老化とか物理的な人間の寿命ってことになるよね。でも脳なんて使い続ければ筋力みたいにそれを維持することは可能なわけでさ、爺さんとかで筋トレかかさないでやっててマッチョな人とかいるじゃん?あれと同じね。脳も一緒。だからつまりは限界なんてのは無いと思うわけね。それがあるとすればそれはただの言い訳だよね。「難しくて分からない」という思考停止ね。つまりは数学みたいなジャンルで分からないものがあるとすればそれは思考停止ってことなのよ。分からないとか自分のフィールドじゃないっつって済ませてるとかあとはまぁ単純に興味が無いとかね、そういうことだよね。でも興味があれば実質的に知る事ができないことなんて無いわけね。それが数学っつー体系なんだと思う。


だから俺は前から思ってたんだけどさ、高度な数学になると理解できないとかさ、先生でもまぁフィールドが決まってるとかさ、まぁ分かるけどね、でもまぁそういうのって誤摩化しだよねって気がするんだよね。勝手に自分のフィールド決めたりさ、とりあえずそれで博士号取ったからそのジャンルでやっていくみたいな勝手な自己規定だよね。でも数学ってものに脚を突っ込んだならさ、全部知ろうとするはずなんだよね。それをしようとしない感じがイマイチ分からないよね。まぁ別に人は人だからいいんだけどね。例えばフェルマーの最終定理は高度過ぎて分からないっていう数学者はなんでそれを分からないまま放置しておくのだろう?ってことだよね。まぁ興味が無いならいいんだけどさ、でも何で知ろうとしないのかな?っていうのはあるよね。まぁ自分のジャンルのことに忙し過ぎるんだろうとは思うけどね。


このまぁ俺の勝手な想定を証明するためにはそれこそ俺が数学にコミットし続けることが一番だよね。「別に知ろうと思えばできる」ってのをさ、俺がやり続ければそれが実現することになるからね。少なくとも俺の中で興味がある対象に対して難し過ぎて分からないなんてことが成立しないんだよね。興味があれば知ろうとするわけでさ、難易度なんてどうでもいいのよね。そんなの相対的なもんでしかないわけで。今は俺は色々な数学の事に対して初歩的なレベルからアルゴリズミカルな理解は誰にでもできると思うけど理解となると無理だろうって思い続けてるわけでさ、だからこそまぁ暗記しないで全部理解しようと思うわけだけど、理解しちゃうと「あーそっか!」ってまぁA-HA体験があってさ、もう難しいとは思わなくなるじゃん?理解しちゃえばね。その積み重ねだよね。だから今は基礎が無いからわけがわからないと思うような高度な数学の定理とか問題とかも色々な事を積み重ねていけば理解できるようになると思うのね。そういうもんでしょ。数学って。で、その既知のものを使って何か新しいものを生み出すっていうのがやっと数学者っつー段階だよね。哲学者もそうだけどね。自分の哲学を紡げるようになって始めて哲学者だと言えるわけでってまぁそれも定義が曖昧だけどね。自分で数を紡ぐのが数学者だよね。で、そのためには数の性質ってのを知ってなきゃいけない。だから基礎から全部やらなきゃいけない。でも俺は割と楽観的で全てを理解するのにどんぐらい時間がかかるか分からないけど、全部理解しちゃえばなんか思いつくだろうなっつーのはあるんだよね。そこで思いつかなかったらまぁ数学者にはなれずじまいってことになるんだけど。


数学者になれるかなれないか?ってのがある程度のレベルまでいかないと分からないってのはあるよね。そういう意味で日本の大学レベルですら学部レベルじゃ数学者の素質なんて分からないよね。ああいうレベルで得意か得意じゃないか?ってまぁ算数が得意か得意じゃないかぐらいどうでもいいことなわけだよね。「無理だ!」って分かるまでには少なくとも学部レベルの数学を全部やらなきゃいけないって結構凄い道だよね。まぁ一流になるってどれもこれもまぁ大変な事だと思うけどね。でも俺の場合、一流の数学者になりたい!みたいなことじゃなくて謎な事が多いから知りたい!っていうただそれだけなんだよね。だからそういう意味で全然哲学と差が無いってことなんだよね。知りたい!っつー欲求だけで動いてるって意味で。だから大学とかが意味なくなっちゃうんだけどね。


数の謎って凄まじいよね。単純な三角形ですらあんな哲学が背後にあるわけでさ、凄まじい世界だよね。本当に。だからこそソーカトーワみたいな暗記で乗り切るしかないとかさ、演習やりまくって慣れるしかないみたいな勉強法でしか乗り越えられないってすげー分かるんだよね。ドラゴン桜でもあったけどさ、マイナスかけるマイナスがなぜプラスになるのか?なんて考えてたら頭がパンクしちまうからこれはもうこういうもんだと割り切って暗記で乗り切れ!ってまぁある意味で正論だよね。あまりに高度なことをやらされてるんだけど、なぜかデフォルトでパスしなきゃいけない仕様になってるんで暗記で乗り切るしかないっていうさ、ただでも数学って勉強しなくても点数が良いヤツっていつもいるわけでしょ?まぁ今の所俺のレベルだとまぁ俺もその一人になるとは思うけどね、でもまぁ俺が今の高校生レベルで言えることはね、なんで予習とかまぁ他の生徒とかと比べてみっちりやらなくてもなんでできるか?ってやっぱそれは理解してるからっていうそれに尽きるよね。理解してるからこそ練習なんていらなくなるわけで。それはまぁ自明な事だよね。


あとはまぁ理解しだすとどこが理解してなくて計算が狂うとかさ、ちょっとたまに迷うか?とかってのが全部分かるじゃん?つまりは全部補強できるってことで完全な理解への道筋を自分で作れるってことなんだよね。まぁこういう段階だと演習は必要だけどつまりは演習の段階で分からないなって部分が分かるんで後で補強できるでしょ?で、補強してからは完全に理解するから別に同じような問題やる必要がなくなるんだよね。で、俺の場合、理解するまでのプロセスってのはひたすら演習をすることじゃなくて考える事だよね。俺が普段から歩きながら色々考えてたりするのと一緒のことをつまりは数学でやってるだけのことなのね。で、「あ!そういうことか!」って分かっちゃえば忘れようが無いからはっきりいってテストでも間違えようが無いわけねっつってもまぁいつも1点ぐらい完全な認知ミスがあるけどね。まぁその認知ミスから色々学べるからだからまぁ学校って数学に限って言えば良いんだけどねってさっき言ってたことと矛盾するけども。


なんかね、「あー数学やらなきゃ!」って考え方をやめたほうがいいね。数学って練習するもんじゃなくて理解するもんだからね。逆を言えば自動的な計算だけでやってるからこそ計算法を忘れちゃえば全部忘れちゃうわけで、だから結果的に理解したほうがコストパフォーマンスが良いってこともあるよね。その都度やり直ししてたんじゃいくらあっても時間が足りないじゃん?でも理解しちゃえばそんなのいらないよねっつってまぁ数学って普段は使わないことが多いから忘れることも多いだろうけどでもそれはrecallによって可能だよね。まぁ言語みたいなもんか。俺もまぁ英語喋る機会が減ればそりゃー喋りもまたヘタクソになるだろうけど、然るべき環境に戻ればまた戻ってくるっていうさ、このもうある感じだよね。所与の感じっつーのかな?これは身に付いてないとできないことじゃん?完璧じゃないけどある程度ね。数学も一緒だよね。使わないのが多いから忘れる事もあるかもしれないけど、完全に過去に理解した覚えがあるならrecallすれば思い出すよね。それは計算法ってことじゃなくて概念を思い出すから一瞬だよね。計算法だと部分的で全体に対応できないことが多いと思うけど概念レベルで理解してればど忘れでも思い出しちゃえば例えば過去にアメリカに4年半滞在した経験があるっつーその長いもんを思い出すじゃん?


暗記ってのはまぁ無駄な「使えるワンフレーズ」とかだよね。あんなのやっても会話できないのと一緒でさ、フォーミュラだけ暗記したって数学できるようにならないわけよ。俺が思うに数学をやるということは全てを根本から理解するということから始まると思うんで暗記は意味無いと思うけど、でもそれだと世の中のバランスってのが保たれなくなるんだよね。数学を理解させようと思ったらコストが半端じゃないっつーか理解させる事ができる教師なんて限られてるし理解できる生徒も限られてるし、恐らく既存の授業の時間じゃ無理だよね。暗記だけで精一杯になってるっつーレベルで理解するっつーレベルまで深めるなんて無理だよね。だからこそドラゴン桜的な暗記術が必要になっちゃうわけよね。だったらもっと教育っつーものを長くすればいいだけなのにって思うんだけどね。それこそアメリカみたいに高校までは遊びみたいなもんで真面目に学問をやり始めるのが大学ぐらいからで専門的なことをやりたいなら大学院に行きなさいっていうさ、まぁ誰でも大学から学問を始められるっていいことだよね。数学だけで言えば高校ではすでにやったことをまたやったりさ、まぁつまりは時間が多いよね。駆け抜ける感じじゃなくてじっくりやる感じだよね。そういう意味でまぁアメリカってプラグマティズム的なんだと思うよね。


テストで良い点っつーよりかはまぁディベートとかで哲学の概念にしても自家薬籠中のものとして使いこなせるぐらいになるまでの理解を求めるとかまぁそういうところまで辿り着かせるとかさ、そういうカリキュラムだからこそできないやつってのはまぁ落ちるしかないみたいなね、これってまぁでも当たり前だよね。入試だけ大変なんてまぁおかしいよね。入ってからが大変じゃないとおかしいわけで。日本の受験で言えば多分韓国人とか中国人のトフル対策みたいなもんなんだよね。凄いシステマティックな対策をするからトフルですげー高得点をたたき出す中国人とか韓国人がいるんだけど暗記と対策だけでやってきてるから実質的な英語力がトフルの点と比べた時に明らかに低いっていうさ、それが問題だからIBTになったっつー話があるけど、こういう英語力って意味ないよね?つまりは数学にしても受験のための数学なんて意味無いのよ。マジで。理解してればいいけど考えれば頭がパンクするから暗記しかないっつってやってる数学なんてゴミみたいなもんだよね。やってもやらなくても同じね。だったら最初からやらなきゃいいわけで。日常で使う数学ぐらいで十分なんだよね。暗記じゃないとついてこれないやつらが増えるっていう段階の数学はその境界線を見極めて廃止にしたほうがいいね。高校で言えば理系好きとか理系に進むってやつだけそういうのを受ければいいわけでリクワイアメントにするべきじゃないんだよね。


あ、今日オナニーしてないからしたいからそろそろやめるけどね、実家帰ったら親とか妹に数学の事について聞いてみるね。うちは俺以外みんな登校拒否じゃないから大学受験レベルの数学ぐらいはみんなやってきてるわけよ。で、実質的に何を理解してるのか?ってのを聞いてみたいんだよね。で、失礼ながら恐らくフォーミュラが出てくると思うんだよね。確かこんな感じだったかな・・・みたいな。でも昔やったもんだから忘れちゃったみたいな。つまりは理解してなかったってことだよね。暗記してやってきたってことがまぁ分かるわけだよね。でも俺の予想だと大半の人がそうだなって思うわけね。微積分にしても概念から何から何まで饒舌に解説できるやつなんてその分野の連中以外あんまいないと思うのね。でもそれは一般教養としてやってるっていうレベルのもんじゃん?微積分ってそうなんでしょ?だとしたらまぁパスしてりゃー理解してるってことだよね。でもまぁそうじゃないのはつまりはまぁアルゴリズミカルに機械的にやってきたんだろうなってことが分かるわけだよね。そこで俺は別にそういう人達をバカにしたいわけじゃなくてね、数学ってやっぱそういうもんだし、そういう意味で高度な数学を高校生とかに強いるのは虐待みたいなもんだ!ってことが言いたいわけね。暗記なんて時間の無駄なんだから教養としてもっと学ばせるべきなものをやらせたほうがいいわけ。暗記でしかこなせないものなんて一般教養に組み込むべきじゃないのね。理系離れとか言うけどさ、あんまもん最初からそうだよ。数学って理解しちゃえば自然なものとなるけどさ、でもまぁ一般的に変なもんだよね。あとはまぁどうしても不自然っつーかさ、日常に存在しないようなもんもあるからさ、「?」ってなるのは当然なんだよね。で、学ぶ必要性が無ければ離れるのも当然なわけで。


学力低下っつって日本語の読み書きがダメになってるとかさ、思考力が無くなってるとかだと問題だけど、理系については全く問題ないと思うね。だって微積分なんてできなくなってどうでもいいことだからね。関係無い人達にはね。あんなもん数寄ものかそれを必要とする人達しかやろうと思わないもんだよね。それで言えばそもそも実数なんて概念すらもいらないよね。学校で教えるのなんて自然数だけで十分だよね。あたかも当たり前の事のように自然数とかと並べてさ、まぁやらなきゃいけないことだからrational numberとかirrationalとかrealとかやるけどさ、あんなもん哲学のレベルだからね。逆に理解できたら放っておけないだろっていうさ、「うわー!これおもしれぇー!」ってなるよね。俺みたいに。そういうやつだけやればいいのよ。数学なんて。哲学絵言えばさ、道徳とか倫理ってレベルだと哲学的な教養って必要じゃん?つまりは一般教養だよね。でもさ、倫理学とかさ、道徳そのものについてとかさ、ヴァーチューとは?とかさ、そういうレベルになるんだったら哲学好きとか哲学科のやつだけやればいいんだよね。別に高校で教える必要は無い。ヴァーチューで言えばプラトンのメノンが分かりやすくてなおかつ読みやすくてすぐ読み終えることができるから凄い本だな!って思うんだけどね、ある意味で国家とかよりメノンのほうが凄い!って思うんだけど、あれ高校でやっても理解しないやつが大半だよね。簡単でも興味無いやつが大半だろう。俺もそうだったわけだからね。なんでこんな時代にプラトンなんて読まなきゃいけないんだ!って思ってたわけだから。


で、今は色々読んできててようやくここ1年ぐらいでプラトンの凄さが分かってきたわけじゃん?それは数学も一緒だよね。色々やることで凄さが分かってくるっていう。でもそれってまぁ大抵まぁね、10代じゃ無理だと思うのね。俺なんてもう本当にいい歳だからね。もういい加減働けよって年齢でようやく色んなもんに目覚めてるわけでさ、遅いけどね、でもまぁ学問の深さなんて20かそこいらのやつらには分からないと思うね。だからこそまぁ時間が必要なんだよね。だから暗記とかで詰め込んで受験させて大学入ったら一瞬で就職活動なんてことやってるとバカが永遠と増えるだけだからもっと長期的な深みのある教養を教育課程で施せ!ってことになるわけで、そうなると逆に微積分とか廃止していいわけねっつーか数学廃止していいね。選択科目でいいと思う。好きなやつだけやれっていう。そういう意味で今の俺のコミカレのリベラルアーツのレベルって絶妙なのよね。中学レベルの算数は当然まぁ理解してなきゃいけないし、さすがにまぁああいうレベルだとまぁ誰でも理解できるよねっつってもまぁグラフとか奥が深過ぎるとは思うけどね。で、リベラルアーツでやらなきゃいけない数学ってのは1コースだけでよくてさ、それ取っちゃえば後は数学とはオサラバできるっていうさ、それでいいよね。当然メジャーがビジネスとかサイエンスのやつらは当然取らなきゃいけない数学のコースってのがあるけどそれは必要性があるからじゃん?一般教養としてではないよね。大学のメジャーっつーレベルで始めて必要性に応じて数学をやればいいわけね。一般教養にわけのわからない高度なものを組み込んじゃダメだよね。あんな雑に暗記とかで大急ぎでやらなくてさ、もっと生涯教育みたいな概念を持ったほうがいいね。


暗記だけやってきたバカが大量に大学に入って何も勉強せずに就職活動だけやって社会に出るってそりゃーバカ増えるよね。教養無いやつらが増えるのは当然だよね。だからこそもっとゆとりを持たなきゃいけないよね。それはゆとり教育という意味じゃなくて教育の長期化だよね。長い時間をかけて年齢と共に教養を熟していくっていうさ、だからまぁ大学院ぐらいがデフォルトでいいと思うんだよね。今で言えば高校行くのはまぁほとんど義務教育みたいなレベルになるじゃん?まぁ俺もそういう理由で通信制卒業したけどさ、大学の学部ってこんぐらいでいいと思うんだよね。で、真面目にやろうって思うやつらが3年とか4年ぐらいになって大学院入学のために自分のメジャーに対して真剣になるとかさ、本当にそれでやっていくのかを考えるとかさ、でもそういう重要な時期に面接術!とかやってるわけじゃん?そりゃーバカになるよ。バカじゃなくてもバカになる。レールに乗ってたらただの奴隷になるよね。だから学校ってダメなんだよね。まぁアメリカでも残念ながら結果的に似たようなもんになってるってまぁ書いたけどさ、それはやっぱ教養ってのと学校ってのがどんどん乖離してるからだと思うんだよね。就職のステップのための場になってるわけでさ、そのためにGPA高くするとかさ、良い大学出るとかナンセンスじゃん?そういうの一旦辞めにして本質的なさ、近代国家を担う市民とは?っていうもっと大きなさ、仮に民主主義やり続けたいんだったら国家っつー政治的なレベルで国民の教養ってのを考えなきゃいけないよね。だからまぁプラトンアリストテレスも国家において教育ってのは凄く重要なことだって説いてたわけじゃん?全くその通りだよね。


書出したら止まらないな。相変わらず。まぁもう今日はいいや。オナニーもいいや。んじゃあまたね。