ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

永劫回帰と数学。

mimisemi2010-05-23

数学にしても哲学にしても学ぶ事とやることは違うよね。本当に。哲学は結局なんつーか俺的に言えば生きることでしか実行できないものなんだよねってまぁ何でもそうだけど、特に哲学は思考することでしかなされないけど、でもそれは形ではないんだよね。思考そのものなんだよね。それにしてもさ、ハーディーのA Course of Pure Mathematicsってのをやっと買ってきたんだけどねってなんでやっとか?っていうとね、まず表紙がハーディーの例の最高の写真でかっこいいわけよ。Centenary Editionってやつなんだけどね。で、prefaceにある文が最高なんだけど"It is in any case a book for mathematicians: I have nowhere made any attempt to meet the needs of students of engineering or indeed any class of students whose interests are not primarily mathematical." なんだけどね、Halmosって人も応用数学は良くない数学だなんて言ってた気がするけどさ、つまりは俺にとっては憧れなんだよね。最近分かったんだけど俺の数学へのコミットメントは憧れなんだなと。分からないものに対する憧れね。哲学だってそうだったわけだ。


それにしても数学はマジで分からんね。本当に分からん。思うに概念ってのは抽象化されたものだよね。つまりは言葉という記号が概念を連想させるものとして機能する結果、それが言葉として伝達するみたいな。例えば「木」という言葉にしても定義ってのはあって無いようなもんだよね。人によって浮かべるものは違うしさ、まぁそりゃ木だけどね、でも違う木だよね。あとまぁTPOによって違うっつーか。でもまぁそのTPOによって言葉と概念が対応して何かが伝わるわけじゃん?ウォール伝にしてもまぁそうだよね。まぁこれは伝えようとしてやってるわけじゃなくて独り言なんだけどね。喋る相手がいないからここで喋るしか無いっていうもんだよね。昔から。だからまぁ俺にとって話し相手がいないってまぁある意味で良いことでもあるんだけどね。ウォール伝が進むからね。


まぁそれはともかくまぁ数学も言葉だと定義してみるとさ、まぁ俺はその言葉を理解してないからさっぱり分からないんだと思うんだよね。つまりは数学とか数式って言葉が概念化されないってことね。それはまぁ俺の知識不足なんだけど、多分ね、すげー分かったのが才能の無さを見極めるのはここだよね。まだね、概念が分からないって段階ならいいのよ。悪夢はね、概念は分かるけどそれが高次化すると分からないとか一切応用できないってことだよね。つまりは本質的に言えば概念を理解できてないってことだよね。数式の暗記しかしてないっていう。ってことはまぁ概念は分かるとは言わないか。既成の事実からさ、自明なことからまぁ定理を生み出すっつーか見つけ出すって誰でもできる作業なんだよね。それはいかにそのフィールドの知識があるかにかかってて、まぁこれはまぁ文系全般に言えることだけどね、でも文系とかって知識がモノを言うよね。こんだけ知ってるぜー!すげーだろ!ってのを誇示できるよね。それを応用するだけで食えたりするっつーか一流扱いされるっつーか。でも数学ってさ、そういうレベルのものもあるけどさ、完全に思考から生まれるものもあるよね。それはつまりは概念を理解してなきゃできないことだよね。なんか書いてて分からなくなってきた。応用はつまりは前に書いたような代入なわけだ。つまりはコピペ。で、作り出すってのは他の概念からの応用もあるけど本質的に言えばそれは代入ではなく自ら導きだすってことだよね。


これができるかできないかがまぁ才能っつーかまぁ素質っつーか素養にかかってると思うね。逆を言えば誰でもできれば世界中数学者だらけなわけで。で、俺にそれができるの?って言われるとちょー疑問だね。今のところ。どんなジャンルでも才能無くても先生ぐらいにはなれると思うけど、それをやるっていう学者になると限られてくるよね。で、俺はね、つまりは数学というジャンルで自分で何かの研究を進めるぐらいの能力があるのか?ってことなんだよね。で、今はっつーとなんつーか知識欲と理解のスピードに誤差があり過ぎて絶望的になってる感じだわね。ハーディーの本にしても基礎的なレベルのはずなのに分からないところが多いわけね。ってことは俺は馬鹿なのか?ってことになるけどさ、でもそれは理解してからじゃないと分からないっつーのがまた難しい状況を生み出してるんだよね。つまりはバカはその概念を理解したのにも関わらず次にさっぱり進めないっていうタイプね。で、今の俺はっていうとまぁ基礎的な概念ならまぁ大雑把に色々と前よりかは理解するようになった結果、まぁ色々と数学の本も読めるようになってきたんだけど、んでもやっぱ分からないところが多過ぎるんだよね。で、それは俺が馬鹿なのかもっと勉強が必要なのか分からないんだけどさ、でもどんくらいかかるのかな?っつーかマスターするまでに死ぬほど時間がかかりそうでなおかつある程度マスターしないと素養が分からないっていうさ、まぁ天才とかは別としてさ、概念を自家薬籠中のものとして使いこなせる人間になれるか?ってところじゃん?で、それは今の所分からないよね。始めたばっかっつってももう半年ぐらい経つしな。


まぁこれは真剣に観察していかなきゃいけないことだね。今からまた半年ぐらいでどんくらい色々なことが分かるようになってるのか?っていうさ、それはまぁ目標を決めて猛勉強!ってことじゃなくてマイペースの知識欲に任せたいつものやり方でまぁどんくらい進むか?ってことだよね。で、進まなかったらまぁダメだこりゃ!ってことになるね。ここをなんつーか暗記とかで乗り越えて分かったようなフリして先に進むと絶望が待ち構えてるってことになるんだよな。ある時になって理解してるヤツとほぼ暗記だけのヤツの差ってのが出てきてさ、んでそこからまぁ数学の道を諦めることになるっていうさ、まぁそもそも暗記とかでやってる時点で諦めたほうがよかったのにさ、暗記でも解ければオッケーっつーのを続けてきてるからダメなんだよね。まぁ最初から暗記ぐらいでしか理解できなかったら素質無いからやらないほうがいいんだけどね。


だからまぁ俺はそんなアホなことにはならないと思うんだよね。誤摩化さないからさ、分からんものは分からんから自分の限界ってのが見えるじゃん?その時にまぁ悟るべきだよね。あとまぁ俺は敷居を高くしてるってのはあるよねっていうかまぁ理解できなければその時点で終わりっていうことだよね。別な言い方をすれば全部理解しないと理解したとは言えないから理解できないものがあればそれをやる資格はないっていうことだよね。まぁ別にこれをドグマ化する必要はないけど、基本的に俺がまぁ数学っつーかまぁ学問全般に求める態度だよね。中途半端なのって一番嫌なんだよね。それは本を読んでても著者の知識が半端だったりするとすげーイライラするわけじゃん?で、なんで高木貞治とかハーディーの数学の解説本みたいなのが名作で古典って言われるのか?っていうとさ、知識が完璧だからだよね。少なくとも書いていることに関しての知識は完全なんだよね。で、それは読んでて分かるんだよね。適当に誤摩化してる教科書とか解説してない教科書とかと見比べればそれは明らかじゃん?まぁ俺はまだ明らかって言えるレベルではないけど、まぁ恐らくそうなんだろうなっていうことだよね。


それはさっき書いた概念の話をすれば分かりやすくてさ、ハーディーは概念を数式にしてるわけじゃん?つまりは数学っつー概念を言葉と数式で記述してるわけだよね?で、ハーディーの頭の中には完全にその概念がクリアな形で存在しているから、だから記述もまたクリアなわけだ。頭の中に鮮明に残っている記憶を元に絵を描くようなもんだね。もしくはまぁビジョンだよね。そういうビジョンを持ってる人達がまぁアーティストって言われる人達なわけで。で、数学者って古典的な意味での「アーティスト」っていう敷居の高い言葉に近い格調高いものを感じるんだよね。現代的な意味でのアーティストってすげーくだらねぇーじゃん?アマゾンで「アーティストで検索」とかいってさ、アーティストでもなんでもないようなやつもアーティスト名として記述されるじゃん?まぁ俺もちょっとしたリリースとか過去にあったからそういう意味でアーティスト名で検索できるアーティストってことになるよね。なんてイージーなアーティストなんだろうと。まぁ俺のやつはアマゾンでは出てこないけどね。


学者にしてもまぁ同じような安っぽさを感じるよね。アカポス争いにただ勝っただけのやつみたいな。日本だと特に問題になってるよね。さっぱり業績が無いくせにアカポスにいる人達みたいな。でも数学者ってさ、マジで数学をやる人達じゃん?アカポスのために数学論文書くような人達じゃないわけだよね。で、俺は照れくさいけどアーティストって意味でも哲学者って意味でも数学者って意味でも古典的な敷居の高い意味でのね、自分で名乗るのが畏れ多いんであんま言いたくないっつーか「は?何気取り?」とかって言われるぐらい言葉にするのが憚られるようなレベルのものになりたいとは思うんだけどさ、敷居高いよねー。マジで。「そこそこ」とか「ほどほど」ってのを許さないのがアレだよね。だから一気にダメだと自殺みたいな極端な考えになっちゃうのかもな。前は日本に帰るぐらいなら自殺するって言ってたけど、今は数学分からないぐらいだったら自殺するだよな。


数学続けたいから日本に帰っても続けたいけど、今の俺にとっての悪夢って数学を理解できないってことなんだよね。日本に一生住み続けるということになることなんかよりもそれが怖い。一番怖いね。逆を言えば数学者って言えるぐらいのレベルになればアメリカなんていつでも来れるわけじゃん?まぁグリーンカードとかも取りやすいわけでしょ?でもダメだったらとことんダメだよな。まぁダメだったらどうしよう?ってのは考えないけどね、でもまぁちょっと考えたら恐ろしいよね。しかもそこそこ数学をやり続けて来ててさ、下手に大学とか入れてるようなレベルで高度なものがさっぱり理解できないみたいになったらなんか大学入っちゃったし引くに引けないし・・・みたいな感じになって八方塞がりになりそうだよね。怖過ぎるな。マジで。


分からないことへの恐怖って凄いよね。ある意味でまぁ俺の人生ってあってないようなもんでさ、あとはまぁ結構生きてきたっつーかまぁ若者というほどのもんじゃなくなったっつーかまぁそれはただの意識的なレベルの話だけどさ、つまりはまぁ日常が流れていくのを経験してるじゃない?だいぶ。で、別に何にも無いなってのがもう分かってるわけだよね。だから何かに夢中にならないとニヒリズムに陥るっていうさ、社会はデタラメばっかでさ、何事もまぁ9割ぐらいが虚構だよね。恋愛然り。で、残りの1割って個々の意味論だと思うんだよね。まぁ本当に自分にとってそれは意味があることでありまぁやるに値することであるってことをやるってことだよねっつーかまぁそれは物事じゃなくてもいいんだけど、まぁ価値を見いだせる何かだよね。で、俺にとってはそれってのはニーチェで言う大いなる正午なのよね。ニヒリズムを極め尽くした後に出てくる絶対的な能動性ね。自分がそれを意志するっていうね、awarenessを配ることができるものにawarenessを配り続けるという意志そのものが生における絶対的な能動性を担保するってことだよね。だから当然こういう態度の中では欺瞞も自己欺瞞も許されないし、あくまでピュアなawarenessの配り方というのを維持し続けるしかない。って意味でまぁ数学ってニヒリズムに拮抗できる数少ないものだと思うんだけどね、まぁだから前にニヒリズムと数学みたいなのを書いたと思うけどさ、でもね、awarenessを配り続けるという態度だけではそれは成立しなくて、俺が数学なら数学空間に居続けることができるというだけのね、数学的言語を概念レベルで完全に理解するっていうまぁつまりは俺がアメリカに住みたいなら英語を理解して喋れなきゃ話になれないっていうようなね、同じようなことがまぁ数学にあるわけだ。


でもさ、その空間にいれるだけの数学的能力がないとかさ、英語ならさっぱり言語的なもんがダメだとかさ、まぁそれで別に移住を諦める必要はないと思うけど、まぁそれはともかくとして言ってることは分かったでしょ?その能力の限界みたいなのがあったときにさ、すげー絶望的になるよね。数学的真理っつー道を歩く事を自分の力量不足によって断念するしかないとかって最悪だよね。まぁ俺にとっての大いなる正午ってのはまぁこないだ書いたA-HA!体験みたいなもんなわけよ。生の肯定の形式としては少なくとも俺にとっては生きる意味ってのは恐らくここぐらいにしかない。で、その認識されうるものを俺の知性の不足で認識できないが故に高揚感を得られないとかね、どっかで立ち止まるしか無いみたいなのを永遠と繰り返しながら生きていくなんてのはもう生き地獄なわけよ。労働に追われるなんて問題外だけど、仮に労働に追われてなくても俺にとってはそれは生き地獄だね。どっかに立ち止まるしか無いってのは衣食住が確保されてたとしても地獄だわな。


だからこそ嫌なのよ。限界なんてあってほしくない。だからまぁ俺は歩み続けたいわけね。哲学とか思想系とか社会科学系ならね、ある程度かじったっつーのはあるし、あとはもう色々と読み込みを行うだけだなっていうさ、分からなかったらどうしよう?っていう懸念は無いよね。でも数学はまだ未知の領域だからそうはいかないんだよね。あとはもう研究を続けるだけってまぁある意味で幸せだよね。自分の知性は完全にそれに対応できるぐらいのものがあるってまぁ安心できるっつーと変だけどさ、知の限界なんてのを感じる必要が無いわけじゃん?まぁ少なくとも研究においてはね。でも研究できるほどの知性が無いなんて悪夢じゃん?で、数学に関しては分からないからさ、いや、哲学とか社会科学系が数学に比べて楽だって言ってるんじゃなくてさ、まぁそれは俺が興味があって読んできたからだよね。自然と。で、まぁ色々と分かるようになったし知識も増えたと。でも数学はまぁ今は興味があるって段階でさ、まだ理解できるか?ってのが分からないところがあるんだよね。で、当然今は読めばすんなり全部分かるのか?っていうと分からないわけでさ、まぁ完全に分からないわけじゃないよ。なんとなく分かるってのは最初からあってさ、だからまぁやろうとは思ったわけじゃん?全く分からないわけじゃないんだよ。でも完全に分かってないからすんげー気持ち悪いわけね。で、こんなのが永遠と続くようなら俺は数学を辞めたほうがいいって思うわけね。全部読んだのを理解できるぐらいじゃないと俺にとってはそれはやる資格が無いと思うからね、だからこそ今みたいな状態は良くないわけね。分かってないことが多いわけだから。それが気持ち悪いってのもあるし、分かりたいってのがあるからまぁ色々と読むわけでさ、まぁそれ自体が楽しい行為っつーかまぁ俺なりの永劫回帰がこれだよね。数学に限らずだけど。


でも永劫回帰が止まっちゃうようなさ、自分の知性の限界ってのがあったとしたらもうそれは生の終わりを意味することになるわけよ。もう生は肯定できない。だから死ぬしか無いっつーのはちょっと帰結が早過ぎる気がするけどね、でもまぁ絶望的だよね。だからまぁ至上の幸せと死が常に隣り合わせなんだよね。まぁあとはこれ以外にいらないってのもあるかな。俺にとって物理的安定ってのは二次的なもんでしかないんだよね。まぁ物理的安定が無いと学問なんてできないからまぁ物理的安定は得なきゃいけないけど、んでもその先にもっと必要不可欠なことがあって、それがつまりは永劫回帰を続けるだけの地頭があるかどうか?ってことだよね。まぁそれが地頭に依るものなのか才能とか素質に依るものなのか分からないんだけどさ、ただそれが無ければもうすべて崩壊するのよね。物理的安定とかも永劫回帰のためにあるわけでさ、永劫回帰が続けられない生活なんてありえないわけね。


ハーディーの数学者の弁明って「もう無理です」っつー弁明だよね。つまりはもう歳のせいか永劫回帰は続けられません!っつーステイトメントじゃん?でもまぁあんだけ続けたんだからたいしたもんだよって思うよね。前にリーマン予想の件で逆切れしてたことがあってまぁかっこわるいって書いたことがあったけど、んでもまぁいい線いってた人だなとは本当に最近思うよね。いや、何にしても頭打ちは怖い。俺の英語で言えば完全に頭打ちだもんな。もうあとは友達増やして喋るしか無いんだけど喋る機会無いみたいな。まぁ逆を言えばさ、喋る機会があれば上手くなる機会なんていくらでもあるってことでさ、完全な英語力の限界に直面してるわけじゃないじゃん?元々別にそこまで下手なわけじゃないわけだし。だから絶望する必要はないよね。別に喋るために必死に友達とか見つける必要もないわけで。英語とかも結構顕著だよね。明らかに喋るのダメだなって人いるもんね。永遠に英語学校にいるような感じの人達ね。ああいう人達って元々無理なんだよね。ある程度のレベルでもう終わるってのが最初から決まってるような人達だよね。で、どんな分野にしてもまぁそれってあるわけじゃん?で、まぁそれの数学バージョンだよね。俺が言ってるのは。もしかしたら玄人が見れば一瞬で分かるようなもんかもしれないよね。だからある程度評価が介在するような場にいたほうがいいのかな?って気もするよね。


英語はみんな喋れるようになるってのは噓なように数学然りだね。ある程度ならそりゃー誰でもできるけどネイティヴ並なんてのは一握りしかいない。数学のネイティヴって何?って気がするけど、まぁつまりは数学っつー言語をペラペラに記述することができる人達ってことだよね。まぁそこから何かを作り出すってのは別にしてもさ、まぁペラペラってことだけで創造性は規定できないけどさ、ペラペラにならない人達ってのもいるじゃない?まぁつまりは臨界点みたいなのを越えたところから学び始めた人達ね。あ、英語ね。子供ならそりゃー場に適応して誰でも英語を喋るようになるけど、ある程度大人になってから上手くなるかどうか?って結構その人の素質にかかってると思うんだよね。いや、数学に臨界点みたいなのは無いと思うけどね、でもまぁ限界ってのはあるだろうなっていう。だからとりあえず今はやれるようになりたいよね。英語ならとりあえず喋れるようになりたいと思うのと一緒ね。


まぁそんな感じだわ。暗記しないって本当に大変なことだなって改めて思ったね。哲学とかで暗記ってのは俺にとってはありえないことだから介在しないことだったわけじゃん?ニーチェ=神は死んだみたいな暗記してもしょうがないわけで。でも数学って暗記で誤摩化せるところがいっぱいあるよね。とりあえずそういうものだって思っておけばいいっていうレベルで放置できるものがすげーいっぱいあるわけ。で、それを許さないって態度がまぁ俺自身を苦しめてるんだろうけどさ、でもまぁこれはこれで楽しいもんだよね。だからまぁ日本に一時帰国なんてことが別にbig dealじゃなくなってるわけで。数学が最優先事項だよね。かといって別に四六時中やってるってほどでもないんだけどね。あくまでone of themだけどでもまぁ比率は大きいかな。欲張り過ぎとかさ、謙虚であるとかさ、そういうの意味ないよね。自分を過大評価し過ぎだって成り立たないじゃん?全てを理解するというのに対応できなかったらそんときにダメなのは俺なわけでさ、全てを理解できるだろうって想定してるわけじゃなくて全てを理解しないとやる価値無いなって俺が勝手に思ってるだけね。だから全然欲張りでも誇大妄想でもなんでもないわけね。


まぁいいや。まぁそんな感じで今日はこの辺で。


PS


適当に今日のエントリーを読みなおしてみたんだけどさ、数学を選んでる時点ですでにもうなんつーか瀬戸際だよね。ダメだったらとことんダメなのを選んだわけじゃん?で、向いてたら大丈夫じゃん?アメリカにも帰って来れるよね。でもダメだったらさ、仮にまぁ今ね、経済的な余裕があってこっちに居続けることができても将来的にアウトになるじゃん?だから全ては数学にかかってるのよね。今の一時帰国ってだから本質的に何の影響も無いんだよね。アメリカに居続けようが日本にいようがダメなもんはダメなわけで。だから最近帰ることに何も感じなくなってるんだよね。むしろ気にかかるのは数学の事ばっかだよね。で、数学そのものについても興味はあるけどね、あとはまぁ数学っつーものそのものだよね。まぁ数学哲学みたいなのは別としてっつーかまぁこりゃー当然やっていく分野としてあってさ、これに関しては何の不安も無いのね。数学的オントロジーって感じだから哲学みたいなもんだからオッケーなんだけどっつーか何を書こうとしてたか?っていうと数学的能力についてね。人によってはなぜか10歳とかで大学に入ったりするじゃん?で、その飛び級って数学が顕著な気がするんだよね。所謂、outstandingな能力として出やすいっつーかさ、音楽とか芸術的なものもそうだけど数学もそうだよね。で、それが何なのか?ってすげー気になるね。天才の話はともかくとしてまぁ一般的な数学的能力というのもどういうもんでどんな感じで形成されていくのか?ってのも自己観察によって分かるじゃん?だから面白いのよね。数学教育みたいな観点から言うとこういうトピックってかなりシリアスで重要なんだよね。所謂、まぁ数学的認知っつーか数学認知科学みたいな。後付けで作られるパラダイムとかテンプレートとかあるじゃん?で、それとは他に計算能力とか天性の能力とか抽象能力とかさ、一口に数学って言っても色々あんのよね。そこがすげー面白いなって思って。






ニーチェは難しいとかってよく言われるけどさ、で、まぁ最初読んだときはさっぱり分からなかったけどさ、今は友だもんな。似たようなことを考えてたヤツっていう意味での友だよね。だからつまりは「難しい」ってのがあくまで一般的なイメージとしてしか言われてないってことでさ、で、俺はそれを信じてニーチェは難しいって思ってただけだよね。数学もそうだろうってまぁ俺は勝手に思ってるわけね。まぁそうであってほしいなと。今は数学が分かるって感覚が一部でしか感じられないから全体像についてそれが言えるのかがイマイチ分からないからだからまぁちょっと不安ではあるんだよね。