人生ってまぁ自由なわけですよね。基本的には。

mimisemi2010-05-24

まぁ結局帰るってことになっててさ、で、帰るとすればもう6月末とかなわけ。一瞬だよね。いや、大家さん次第なんだよね。割と寸前だからさ、一ヶ月後出ますっつって出られるのかっていう。それにしてもね、さっき母親とまぁ引っ越しの時期とかについて色々話してさ、んでそっからまぁ色々と俺が実家に帰ってからの話とかになったんだけど、なんつーか特に昔から母親には全部何でも言える感じだったんだよね。まぁそれは登校拒否とか精神病とかがあって常に母親と二人三脚でやってきたようなところはあるからっつーのもあるんだけどさ、まぁ元々うちは別に理想的な両親だったってわけじゃなくてまぁ変わったんだよね。色々あって。んでまぁ留学してからもまぁ色々あって変わったよね。


留学してからは割とずーっとあんまり仲が良くなかった父親と心の底から話せるようになって、だからまぁ今は結果的に両親と本音で話せるってことになってるんだけどさ、まぁさっきは母親とだけ話したんだけど、なんつーか心境を話したら、結構お互い笑っちゃう感じなんだよね。散々アメリカだアメリカだって言っておいて結局俺がこっち来て何やってたか?ってまぁ最初の二年間とかは別としても残りの二年間は読書だらけだったなっていう。で、まぁ日本に帰ったら当然まぁ東大受験するわけだけどさ、でも大学に行く意味ってのがあんまり無いってのは結構話したよねっつーか母親は理解してたよね。結局まぁ俺は本と衣食住があれば生きていける人間なわけでさ、だったらまぁ別に本さえあればいいなら引き蘢りでいいじゃんってことになっちゃうのよね。まぁそこはさすがにダメっつーかさ、母親としてもさ、両親が死んだらどうするんだ?ってことになるんだけどさ、今の世の中そんなの誰も知らないよね。


現在が両親の支援によって生活が成り立っているやつも雇用があるから成り立ってるやつも、こんだけ色んなことが流動化して安定したものが無くなっているって世の中でさ、今現在ある両親でも職でもさ、そういう後ろ盾が無くなったらどうなるんだ?って不安定な人達はみんな知らないよね。それはまぁ世界各国そうだと思う。だからこそみんな不安で金は使わなくなるっつーかまぁもしもの時のために溜め込むようになるよね。安定というのがいかに人間と経済を支えるのか?ってのがよく分かると思うんだけどさ、俺の場合、どの道、職なんてあってないようなもんじゃん?学問を極める事ができて客観的にそれが評価に値するものとなってまぁ始めてある程度成り立つようになるような感じでさ、他っつったら無いよね。まぁバイトぐらいしかないだろうな。ってこともまぁ色々と話したんだけどさってまぁ当然またアメリカに戻ってくるって前提で今回は帰るわけだけど、そもそも働くとか安定って何なの?みたいなメタ的な話をしたんだよね。俺が。


まぁ働く事っつーかさ、まぁ当然学者としてやってくっつー前提なら大学は行かなきゃいけないわけだけどさ、でも学問は自分でできるってまぁ結構矛盾してるよねっていう。つまりは結局、学者なり研究職っつー職を得るために学校に行くわけだよね。それが得られるかどうかも分からないわけだしさ、でもまぁそれしかないからやるわけだけどね、でもやりたいことってのが学問だから大学ってのは本当に二次的なんだよね。研究職然り。ましてやテニュアとか得られないと安定なんて得られないからね。しかもこんな歳で数学始めるとかさ、まぁ色々と客観的見るとぶっ飛んでるなぁーとは思うね。まぁそんなものは百も承知だけど、所謂「働く」とか「大学」っていうのを考える時にある程度なんつーか普通な観点から観るじゃん?そもそも働くとか大学とはみたいなのをさ、普通の観点から考えるようになるよね。それはまぁ母親との会話のときも一般的に言う生活とは?とか大学とは?みたいな話になるじゃん?


母親は俺と一般のズレを本当に理解している人だけど、それでもまぁある程度やっぱ社会はそこそこはまぁ普通の感じで成り立ってるわけだから、そこに対応した何かでやっていくしかないよねってことになるんだけどさ、俺はそこをなんつーか模索したいんだよね。ましてや社会の形みたいなのが変わってきてさ、雇用なんてもんがそこまで当たり前じゃなくなってる世の中でさ、特に俺みたいな人間がどうやってくか?ってむしろ俺の場合、雇用が安定してたって普通の職には就かないじゃん?だからこそさ、今みたいな世の中で俺みたいなやつが生きていくってことがなんつーかさ、仮に俺の生活が成り立つような何かってのができたりしたらある種のオルタナティヴな生活モデルになるかもしれないんだよねってちょっと言い過ぎか。


いや、そんな事が言いたいんじゃなくてなんつーのかな?なんかあるはずなんだよね。雇用とかテニュアとか気にしなくても悠々自適でやっていけるような何かってのが。まぁいいや。それはちょっと分からんからさっつーかはっきりとしたことが言えないからまぁ書くの辞めるけどさ、あれなのね、実家に帰ってからどうするか?ってのを具体的に色々話したんだけどさ、やっぱ一番気になるのがね、「働きなさい」って言葉だよね。いくら親がどんだけリベラルでもこんな歳のやつがさ、やりたいことだけやってずーっと実家にいることなんてできないじゃん?だからまぁ仮に予備校行くにしてもなんにしてもまぁ自分で全部出さないにしてもなんとかしてくれってのはあるよね。


普通の親ならまぁそういうだろうねってまぁ普通の親って何なの?って話なんだけど。で、俺は聞いたのね。それは今みたいな俺の学費とか生活費っつー出費が無くなったとしても俺がバイトでもしないと家が成り立たないっつーレベルなのかさ、まぁ出費が減ればある程度は楽になるだろうけど、んでもまぁなんつーか一般的な感じで働けよってことが言いたいのかさ、どっちなんだっつーとまぁどっちもなんだよね。「やっぱバイトきたか」って思ったけどさ、そこでまぁ色々と説明したわけよ。いかに時給800円で働くってことが無駄なのか?とかさ、ましてや今の構想で言うと俺は労働をしないっつって学問を究める事でまぁ将来的にバイトとかしないでも学問系で何かを得られるぐらいになってるのがいいみたいなまぁ抽象的な感じで言ってるけどさ、いや、でもそれは大学生全般に言えるのよ。大学生っつーかまぁ若者全般ね。元若者として俺は言いたいけどね、勉強できるうちはとにかくやっておけ!だね。それは学校の勉強っつーよりかは将来の自分がやる分野について勉強したり極めることができる時間があるならやれるうちにやっておけ!だね。


バイトして得られるような金なんて将来稼げばいいんだからね、親の脛かじりでも脛かじりしながら勉強するならそれはいいわけよ。物理的に無理なケースは別よ。バイトしないと成り立たないっつーケースなら違うけど、親の仕送りだけでもやっていけるけど小遣いが欲しいとかさ、時間があるからバイトするとかそういうのはマジで無駄だからやめたほうがいいよってことだねってまぁちょっと断言し過ぎかな。いや、ホントにさ、前に書いた労働の話じゃないけどさ、意味の無い穴掘りやれば800円っつってさ、それってやる意味あるの?って話じゃん?よく精神論でさ、バイトで稼ぐという感覚を覚えてさ、金を稼ぐというのがどんだけ大変なことか?ってのを経験するってのはそれこそドラゴン桜的にありだよね。こんだけ搾取されてさ、ましてやこんな割に合わない仕事して一時間に800円しかもらえないのか!って驚愕するべきだよね。だからこそ専門職について楽しながらスキルを活かして金稼ぐっつーのが最高になるわけよ。そのための勉強とかスキルを極めるってことならね、若いうちしかないじゃん?まぁ若いうちっつーかやれるうちだよね。


楽しながらって楽するっつーよりかはさ、まぁようは精神科医とかがそうだけどまぁ特にアメリカなんてぼったくりじゃん?何の根拠も無いような精神分析とかやって何百ドルとか一瞬で稼げるわけじゃん?こういうボロい商売やらないと損するんだよね。ボロいっつーと語弊があるか。まぁ俺が言いたいのはね、特に精神科医とかの場合、まぁ2流タレントみたいなもんなんだよね。1流は別だけどさ、2流でもたいしたことやってないくせに結構ギャラもらってたりするじゃん?芸能人全般って。こういうのやらないと損なのよね。無駄に苦労してもそれは時間と労力の無駄なんだよね。だから建設的に生きるしかない。


俺としてはね、地頭の差ってのは埋まらないからね、有り余る時間を使い切るって方法で他に勝つって方法を提唱したいんだよね。まぁ地頭はそんなでもないけど方法論的に訓練をやってるから例えばその訓練の時間が普通じゃ作れないぐらいの時間をそれによって割けてることで他と差がつくみたいなさ、これだよね。つまりは労働に支配されない自由時間って最高なのよ。それは満喫する自由時間じゃなくて損しないために訓練するっていう時間だよね。それをいかに有効に使うか?じゃん?まぁ親はそんなの承知だからさ、さすがにまぁコンビニのバイトとかまたやれとはさすがに言わないみたいだけど、なんつーか親としては英語とかを利用して小遣い稼ぎぐらいはできるんじゃない?って感じみたいなんだけどさ、まぁそれを聞いてちょっと安心したけどさ、つまりは俺が将来的にまず証明したいのはね、こういう親との同意の上で型破りなモラトリアム生活をすることで得られたものを30代とかで爆発させて楽するっつーかガンガン稼ぐっつーとアレだけど、まぁコンビニとかで働かなくて済むようになってるっつーなんつーか長い教育機関がもたらす長期的な人生のベネフィットみたいなのを証明したいんだよね。今は当然、親が甘やかせ過ぎとかさ、どんな方針でやってるんだ?ありえない!って感じだろうけどさ、これが帰結して何らかの結果みたいなのをさ、モラトリアム期間っつーか長い訓練期間があったからこうなったんだ!って言えるぐらいの何かできたときにさ、それはすげー説得力を増すようになるよね。いかに若い時にバイトばっかやってるのが無駄か?とかさ、説得力を持って言えるようになるよね。


前に書いたけどさ、大学入るまでが勉強のピークで後は飲み会とバイトで終わるから日本の社会人の平均のレベルが低いってことなんだけどさ、んでもまぁ分かるのよね。20代前半とかなんて遊びたい盛りだろうっていう。んでもね、20代前半とかで社会に出るのって早過ぎるのよね。20代前半で遊んで中盤ぐらいから遊び飽きて人生にシリアスになって勉強始めるとかさ、将来について考えるようになるとかさ、こういうところから別に始めてもいいわけだよね。なんか今日はイマイチだな。なんか上手く書けない。まぁようは俺が言いたいのはね、30代ぐらいまでは教育とか訓練っつー前提でのモラトリアム期間ってのにもっと寛大であるべきだってことが言いたいわけね。俺もまぁ今っつーかまぁ登校拒否になってからある意味でずーっとニートみたいなもんだけどさ、んでも俺がニートじゃなくなった契機ってこっちに来てからなんだよね。でもこっちに来て学生やってるからニートなんじゃなくてね、具体的に将来のことを考えだして、んでそれは学問だって決めてシリアスにコミットするようになってからニートじゃなくなったわけ。


生活形態はほぼ変わらないよ。まぁ家にいるばっかだし、当然忙しくないしね、でもまぁ俺が言いたいのはマインドセットね。時給800円の仕事とかやりたくないし、なるべく効率の良い仕事がしたいし、何より無駄に搾取とかされなくない!とかさ、好きな事を仕事にそのまましちゃいたい!とかさ、そういうのを全部具現化させるために色々と考えて具体的な行動を起こすってことだよね。こうなってからもうニートじゃなくて訓練期間なのよ。でも見た目がニートなんでさ、「何やってんだ!呑気なもんだ!」とか言われてもさ、マインドセットってのは見た目では分からないからそう言われてもしょうがないんだけどね、でも完全に自分とか親とかを誤摩化すことなく、本当に真面目に考えて訓練やってますよってことが言えればね、それに真剣にコミットできるのであればそれは30ぐらいまでやり続けていいわけね。それやったほうが結果的に良い大人っつーとアレだけど、大学出てそのまんまみたいなバカみたいなサラリーマンよりよっぽど思考力のあるさ、市民社会を担うにふさわしい市民が出来上がると思うのね。奴隷ならいいよ。大学入って合コンやって奴隷になればいいわけで。でも市民になるならね、徹底的に自分を教育し尽くさないといけないわけね。で、それは時間もお金もかかることだけどさ、んでもそれは将来的にそれが役に立って長期的には無駄に早く社会に出るよりよっぽど良いことになるってことで投資だと考えればいいんだよね。だからそういう意味でなんつーかさ、アメリカみたいに一旦どっかで働いてから大学院に入るとかさ、大学でもいいんだけどっつーとまぁ日本の場合ちょっと違ってくるのか。新卒ブランドってのがあるからね。大学に。そのために行くようなもんだからね。


なんつーかなぁー?俺が言いたいのはさ、専門家になるって色んな専門でまぁ大変な事だけどさ、でもね、それってハードルがあるんだよね。無駄に高いハードルが。それがつまりはストレートってことね。ストレートで大学に合格してストレートで卒業して大学院に入ってストレートで全部終えないと専門家になれないっていうさ、なんか無駄なストレート感と若さみたいなのが要求されるっつーの?でも別に良いのよ。結果専門家になれればさ、それはようはどう専門家になるっていうことじゃなくてどんな専門家になるか?ってのが重要なわけでさ、そのためにはべつに30近くまで勉強し続けたっていいわけ。あとは大学卒業してから思い立って始めたっていいわけね。まぁ大体30ぐらいまでならとにかくやりたいとかやろうと思った事はやったほうがいいってことね。


で、俺の場合で言うとさ、親が定年近いとかさ、まぁそんなにずーっと親に頼れないっつーまぁ親の年齢とかもあるよね。頼り尽くして来たけどもう無理みたいな。それでもまだ親はやれる限りのことはやってくれるわけよ。俺に。これって甘やかしだと思う?でも仮にね、まぁ俺で言うと恥ずかしいからなんでもいいんだけど、仮にそれがダイヤの原石みたいなもんだったらさ、磨くのにどれだけ時間がかかったってコストがかかったっていいじゃん?結果的にダイヤになれればその輝きは永遠なわけで、その輝きを得るために魂を磨くってことだよね。まぁ魂っつーと抽象的過ぎるからまぁ知識でもスキルでもなんでもいいんだけど。ダイヤの輝きにプロセスなんて介在しないじゃん?どういう経由で輝くことになったのか?なんて輝きの前ではナンセンスなわけで。つまりは全部ストレートでやってきたみたいなことがまぁ結果的にあんま意味無いってことね。ダイヤになってからどう輝くのか?ってのが重要なことなわけで。


凡人でも時間をかければね、凡人を凌駕することは可能なんだよね。もちろんそれには長い取り組みが必要だけどね、でも好きな事ってのを見つけてね、んでそれをやれる時間がいっぱいあるってことになったらもう半分勝ったようなもんだよね。まぁ好きな事ってまぁ社会的なことに結実するってことだけどね。好きっつードライブが働くと凄まじいわけよ。個人がそれに対して発揮できる能力って恐ろしいもんがあるわけね。数学で言えば数学オリンピックとかに出るほどの計算力とか地頭は無いけど、数学オリンピックに出たやつよりも数学を愛するっていう度合いでは完全に凌駕してるってことになると結果的に例えば数学のスペシャリストとしては死ぬほど好きなやつのほうが良い結果を残したりできるわけね。まぁこれは数学に限ったことじゃないと思うけどね。


だからなんつーかそういうのを見つけてそれに向かう時間ってのを確保するってことだよね。で、あとはもう取り組み次第じゃん?結果どうなるか分からないっつってもさ、結果なんてそいつがそれをどれだけ好きでやってるか?ってことに依存するわけでさ、好きってことに何の疑問もなければ大丈夫なのよ。大抵金は後からついてくるわけよってまぁそれを俺が証明しないといけないけどね。色々こうやって言っちゃうとやらなきゃいけなくなるからまた楽しいんだよね。東大とかもう書いちゃったし、だからまぁ入らないとダメじゃん?まぁゲーム感覚だけどさ、あとはウォール伝は過去と比べて明らかに読者が増えたからそういう中でアナウンスできるってのも凄くいいよね。で、まぁそのね、好きな事を極め尽くせば金なんて後からいくらでもついてくるってのもまぁ俺が実際証明したいのよね。で、やっぱそうなったでしょ?ってここに書きたいわけ。


今は金の心配をすることもなくなったけど、そのプロセスってのはウォール伝を最初から読めば分かりますよみたいな。ちょっと言い方が偉そうか。いやね、俺が成功するかどうかはともかくとして、俺はリアルタイムで成功哲学を紡いでいきたいんだよね。で、自分で作り上げたそれを自分で実践していきたい。それはまぁ自分の哲学についてもそうだし、政治思想については結果的にまぁモロに我流のまぁもしかしたらトンデモ論かもしれないような論を持つことになったわけじゃん?まぁようは好きなもんに関しては思考し尽くすから自分なりのものが出来上がるんだよね。で、数学もそうであってほしいと凄く思うわけね。政治思想とかについてはもっと長期的に人生単位で実現していけばいいことで、30かそこいらでとりあえず何らかの食い扶持を手に入れるみたいなものとして思想ってのは最高に向いてないでしょ?まぁ数学も向いてないだろうけど思想よりはマシよ。ましてや俺みたいな思想の食えなさ加減って俺の音楽と同じぐらいなもんだよね。


でね、まぁ俺の政治哲学にしてもさ、まぁ今後ももっと色々読んでいきたいしっつーか最近数学に傾き過ぎてて全然読んでないんだけどさ、まぁそれはともかく思想を形にするとか実現させるってまぁ可能だよね。それがどういう形かは分からないけど、それは結実させるためにあるわけだ。そうじゃないと思想なんて意味ないからね。書くのもいいけどやっぱ俺は実行したいな。まぁそういう意味でテロリストだけにはならないように気をつけないといけないんだけどね。で、それって紡いできたもんがまぁ実現されたってことじゃん?まぁもしくは何らかの形になったっていう。で、俺の成功哲学に関してもね、そうでありたいなっつーか特にそうでありたいなって思うのはね、成功本にありがちなのはさ、自分が成功者だから言えるみたいなさ、成功者にしか言えないような言葉っていっぱいあるじゃん?どんな放言でも成功者だから説得力あるし許されるみたいな。でもさ、俺って成功者でも勝者でもないじゃん?そんなやつがさ、まだ成功はしてないけどつまりは成功するってこういうことなんだ!ってプロセスの最中で書いていってさ、んで実行していってんでそれが実現したらそれってマジじゃん?成功哲学を語っていたときは成功していなかったんだけど、自分のセオリーを持って実行し続けた結果、やっぱ良い結実としてそれが証明されましたみたいになったらそれって最強だよね。そういう生き方をしたいのね。俺は。成功してからそういうのは書きたくないのね。むしろそのプロセスの中で書いていきたいし成功させたいわけ。


東大についても「ね?やっぱ言った通り入ったでしょ?」って言えれば面白いし、成功にしてもそうだよね。やっぱ俺のセオリーは当たってたよねって後で言えるっていうのが最高なのよね。それが最高の勝ち方でしょ。まぁ人生って勝ち負けじゃないんだけどね。最終的にアメリカかまぁ海外のどっかに移住して綺麗な奥さんを見つけて結婚したらまぁそれも結局色々あったがまぁ夢が実現したと言えるわけでさ、そうなる日を想定して具体的な行動を考えるんだよね。そうなる日を夢見てじゃダメね。そうなるにはどうするべきであるだろうか?っていう着実にそこに繋がる道ってのを自分で見つけていかないといけないよね。まぁあともっとデカイところで言えば苫米地さんに大いに影響を受けたっつーかそのままな部分で言えばありえないぐらいデカイ夢を持つってことだよね。メタレベルの夢ね。夢のまた夢みたいな。今俺が語ってる夢ってのはあくまで当然の事として実現されるものばっかりなのね。でも俺の夢ってのはそんなんじゃなくてもっと不可能っぽい感じの凄まじい夢なのね。それはまぁあまりにデカ過ぎて書きたくないし恥ずかしいから書けないけどさ、でもまぁそれは頂点だよね。


だからこそ生活とかに追われてる場合じゃないわけ。時給800円のバイトなんてしてる暇は無い。その実現に向けて無駄の無い道を歩み続けるしかないわけだ。それを親というパトロンが許してくれていることで実現される何かがあったらそれは価値があるものだと思うわけね。だからこそまぁそれを実現することが最高の親孝行になるし金銭的なリターンもあるしまぁ全て解決になるわけね。そこを無駄に世間体とか気にして「バイトせねば」とか「就職しなきゃ」とかって考えてたらダメなのよね。普通のラインなんて何億の普通の人が担ってるんだからやる必要ない。普通じゃできないような生活を許されてる俺の身としては当然帰結も普通じゃないよね。普通じゃなくないとさっぱり価値が無いと思うわけね。普通じゃないことを活かしてやれることっていっぱいあるわけで、そう思うと世の中の先行きの暗さとか関係なくなるよね。


自分は自分で勝手に自分の可能性をどんどん高める事ができる。まぁ親のサポートがあるからだけどね。でもそのサポートって実は凄く良いサポートなんじゃない?ってことが言いたいわけね。社会に依存するから社会の先行きとか景気に自分のみが左右されるわけでさ、自分を良い意味で脱領土化しちゃえばいいんだよね。これはグローバリゼーションへの個人がなし得る最高の抗い方でもあるわけだ。つまりは個々が発散するような解放された可能性と力を秘めたノマドと化しちゃえばいいわけ。まぁこれは具体的にまぁ海外脱出系のブログとかでも言われてるようなことでもあるけど、まぁ物理的に国境を越えて色々やるってこともあるけど、でもそれは具体的なっつーか物理的な方法論なんであってね、俺が言いたいのは個々のあり方だよね。つまりは実存的なあり方っつーの?


で、それを物理的に実現していったらっつーかまぁそういうあり方で生きていったらコスモポリタンみたいになりましたみたいになることもあるだろうしさ、別に逆にまぁ国境を越えない場合もあるわけね。ノマドになっちゃえば物理空間の制約を受けないということなわけだから、つまりは物理的身体っつーもんが所属する具体的な物理空間っつーのは二次的なもんでそれは個々の任意に依るわけね。なにも自由に飛び交うというのがノマドの特権ということじゃなくて、つまりは精神的な自由性なんだよね。あとは可能性とか生き方とか振る舞い方が社会っつー特定のコードに制約されたり規定されないってことね。もちろん領土ってのはそういう脱領土化されたものを再領土化しようとするわけだよね。まぁ囲い込みと言ってもいいのか。でもそれがその個のノマドによって資本主義的なベネフィットがあるものなんであればそれは受け取っていいわけね。それは自分が完全に領土化されるということではなくて、ある部分が再領土化されることで組み込まれるってことなんだけど、それは実存が組み込まれるわけじゃないからね。結果として部分をどっかから囲い込もうとされるようになることもあるかもしれないけど、それには対価が払われるわけで、それはむしろノマドとしてのフットワークを軽くするための資本として蓄えておいていいわけね。で、もっとノマド化しちゃえばいいわけで。


社会とかね、制度とかに依存するから不安になるわけよ。そういうのが崩壊したりワークしなくなったり変わったりするのが怖くてしょうがないわけ。だったら完全に独立しちゃえばいいんだよね。既存のシステムとか枠組みは利用させてもらって、ただ個人としては社会とかに依存しないし制度化されたりしないっつー生き方を選ぶ事が結果的に手堅い生き方なんじゃないか?って思うのね。で、そういうまぁノマドと化すためにはまぁ結構な訓練の期間が必要だからまぁ30ぐらいまでモラトリアムでもいいんじゃない?って俺は思うわけね。結果的に高度なノマドになれればそれは社会的にもいいわけよ。奴隷よりも高等なノマドのほうがいいわけね。ちなみにモラトリアムってニートとか何かを模索する自分探しとかってことじゃないからね。完全にマインドセットを決めてから何かに取り組むっていう期間ね。で、制度ってのは利用するもんだよね。担うために奴隷になるもんではない。ノマドだからといって社会保障が受けられないとかそういうことじゃないのね。ノマドだからこそ制度に依存しないで利用できる制度を利用するわけね。システムとして。だからフリーライダーとかってことじゃないわけね。音楽で言えばハウスっつー枠組みに自分の音楽を当てはめるんじゃなくて、自分の音楽をやるのにハウスっつーフォーマットが便利だから使わせてもらうみたいなそういう感じだね。まぁかなりハーバート的かもしれんけどね。ハーバートってそうじゃん?ジャンルに依存してるんじゃなくてジャンルを表現方法として利用してるよね。でもアイコン的な909とかは一切使わないで自分の音しか使わないみたいな。これだよね。こういう態度ね。これがつまりは社会と個の関係性の理想的な形の一つとして考えられるということね。


音楽って自由でしょ?本来。でもなぜか大半の連中が枠組みにハマってまぁ自ら自分を束縛してるような感じになってるよね。で、まぁ数学も自由だよね。凄く。ルールは利用するためにあるもんで従うものではないっつーのは凄く数学から学べることだよね。まぁ言語と一緒だよね。言語も自由だから。だからまぁ言論の自由尊いわけだ。数の自由も尊いわけで、結局、個の自由も尊いわけよ。近代国家が目指しているように一応まぁ提言してるのがまぁ個の自由じゃん?でも結局はまぁ自由ってあってないようなもんっていうかさ、自由になることはできるけどリスクが高いから何かに依存して生きたほうがいいからっつってまぁ既存のシステムに従属するわけじゃん?俺は東大はまぁゲーム感覚でさ、あとまぁ言っちゃったからやるもんとしてやるけどさ、でも社会ってのが東大出てると特別な目で見られるとかさ、良い待遇を受けられるとかさ、まぁ完全にバカだと思うんだけど、ベネフィットで行く東大ってのはもうすでに制度化された東大っつーシステムの中に従属することを意味するよね。俺がやりたいのはハーバードがハウスっつーフォーマットを使ってても909は使わないような大学の所属の仕方なんだよね。あくまで任意で便宜的に行く感じで社会っつー制度に従属するために行くわけじゃないわけ。つまりは利用だよね。まぁこんだけ書いちゃうと余計に入学しなきゃいけなくなっちゃうなー。まぁいいか。


もちろん社会は個々の自由を最大限に活かすべきだと思うけど、それがあんまり期待できないということなんであればやっぱ自分で自分の自由を勝ち取るしかないよね。あとはまぁ所与で与えられた自由っつー素材を最大限に膨らませるっつーかデカくするっつーかさ、それしかないよね。そういう意味でアメリカって思ったより自由じゃないんだよね。結構みんなやっぱ従順だよね。昔は違ったのかもしれないけど。まぁ俺が従順過ぎなさ過ぎるのかな。まぁ日本人で言えば過度に従順だから末期的だけどね。


まぁそんな感じだわ。今日は。楽しく生きるってこととね、自由を満喫するってやっぱプラマリーであるべき人生の指標だよね。まぁ人によってそれは違うけどさ、でも自由が与えられると何やっていいか分からなくて不安になるって連中がいるけどこういうのがまぁ生まれつきの奴隷なんだよね。そういうのはまぁそれでいいんだよね。別に否定することもなくまぁそういう人達がいないと社会は成り立たないからそれでいい。でもね、自由を渇望してさ、自由を最大限に活かせてさ、その素晴らしさを満喫したりできるものにとっては自由って追求するべき価値のあるものなわけよ。そのために自分をノマド化させる必要があるんだよね。場所に依存した労働とか制度に自分が取り込まれてたまるか!ってことだよね。ひろゆき氏とかほりえもんとかってのがまぁある意味で俺の言いたいノマドの典型モデルかな。まぁ彼らは金があるけどまぁそれは彼らによって勝ち取った金だからね。まぁ賛否両論あるとは思うけども。でも特にほりえもんの労働観とかひろゆき氏のちょっと厭世的な社会観とかね、ああいう余裕だよね。


ああいうことが言える余裕があって実践できてそれで生きてるっていうのがまぁつまりはかっこいいってことだよね。まぁ彼らの生き方がかっこいいっていうことじゃなくて、あんな感じで社会とは違った意見をドシーンと自信を持って言えて自分は自由な生活をしているっていうあの強さだよね。経済的な強さとか思想的な強さね。あんぐらいのタフさと能力があって始めて俺の今日書いたノマド化ってのが実現できるわけね。そういう意味でまぁ限られた人にしかできないことではあるよね。でも自由に憧れがあるならそれはもうすでになんつーかその時点で才能だと思うからそれは追求するのに価値があることだと思うね。まぁでも彼らほどにはならなくてもそこそこやっていける小ノマドっつーのがあってもいいと思うね。どの道、まぁ自由という意味において達成されているものはほぼ同じってことでまぁノマド万歳!ってことだわな。ノマドになってああいう余裕がある中で社会に対して発言することができたりするわけね。余裕が無いと無理だからね。結果的にだからまぁ政治とか社会って意味でも自由な思想家とか発言者ってすげー必要なのよね。奴隷になっちゃうと結局はまぁ自分の利害のことばっかに頭がいっちゃってさ、あとはまぁ割引券だのさ、セールだのなんだのっつー日々の事に追われるじゃん?でもそういうのに追われないっつー余裕だよね。かといってノマドだからっつって適当に生きているか?っていうとそうじゃなくて社会に対して発言したりオピニオンを持ってたりするわけね。俺の主観だとむしろそういうノマド系の人達のほうが社会に対してオピニオンがあったり影響力があったりするような気がするな。


いやね、最後になるけど頑張らないって素晴らしい事だよ。頑張るってことを忘れちゃうぐらい好きな事があるってのが最強なのね。で、他人にそういうことを言うと「さぞかし猛勉強されたんでしょうね!」とか「読書量凄いですね!」とか言われたりすることもあるんだけど、自分としてはただ好きなことしかやってなくて読んでないっていうね、この頑張らなさだよね。これが結果的に凄まじい生産性を産む事になるわけよ。「好きこそ物の上手なれ」ってのは最高のことわざだよね。熱中と努力の違いってのが本当に顕著に表れてる言葉だよね。努力して達成できるものなんて大体まぁ他の人がやってるし自分がやれることも大体分かるよね。まぁこんなもんだろうなっていう。まぁremarkableなもんじゃないよね。でも好きな事ばっかやってそれを極め尽くしちゃったみたいなさ、そういう結果ってつまりは自分がいかにそれが好きか?っていうことにかかってるじゃん?


で、それに関しては俺は自信があるから好きな事にコミットするわけじゃん?で、それをやることに努力はいらないんだよね。だって好きなことなわけで、まぁようはネットで動画みたりゲームやったりっていう同じ感覚なんだよね。楽しい事とか好きな事をやるっていう当然の感覚として好きな事があるわけで。で、成功者って大体そうだと思うのよね。好きな事を極め尽くした人達って気がするわけ。血反吐吐いて努力をしてきたみたいな血なまぐさい人達ってあんまいない気がするね。芸人でもそうじゃん?すんげー努力の末に・・・みたいなのって大抵並だよね。で、面白いのって大体笑いが好きだからとにかくやってきたっつー人達だよね。それは努力に見えることもあるけど本人にとっては努力じゃないんだよね。好きな事を極めるとかやるっていうことだよね。


松っちゃんってそういう典型的なモデルだと思うんだけど、松っちゃんの映画がイマイチなのってここにあるんだよね。つまりは彼にとってはお笑いってのが一番でさ、映画ってのはまぁ出力するためのフォーマットでしかないっていう。なのにも関わらず映画っつーフレームワークに囚われ過ぎていて彼の笑いってのがイマイチなものになっちゃってるっていうさ、笑いと映画の中途半端さだよね。だったら笑いを極め尽くしたようなビジュアルバムみたいなのを製作したほうがいいわけだ。まぁ今は過渡期なのかもしれなくてさ、今後も作っていけば面白いのが作れるようになればいいと思うけど、まぁ甘やかしちゃダメね。完全に周りは甘やかしてると思うけど鑑賞者は俺みたいな筋金入りのダウンタウンのファンとかも含めてっつーか筋金入りだからこそ批判的じゃないといけないね。だからこそ面白いもんに関しては「面白い!」って心の底から言うわけで。


松っちゃんって笑いほどは映画好きじゃないんだよね。だからそういう意味でたけしとは全然違う。たけしってマルチな人でさ、笑いはone of themって気がするんだよね。彼のライフワークの中に絵とか映画とか数学ってのがあって、まぁそんな中でメインにやってきたのが笑いってことでさ、だからこそ一時なんかで仕事が無くなった時に「数学者になろうかな」とかって思ったりするわけだよね。たけしのマルチな才能とone of themな感じが凄く分かるよね。「笑いじゃなきゃダメなんだ!」っていうような笑いへの必然性みたいなのが無いわけね。まぁだからといって才能が無いとか笑いに対して態度が甘いってことではないんだけどね。


あ、もう寝るわ。明日は最後の学校なんでっつってもまぁ行っても行かなくても同じなんだけどね。んじゃあまたね。あ、んで書き忘れたけどね、母親に言ったのは低賃金労働は死んでもやらないけど、それは労働をしないということではないってことね。つまりは家事手伝い全般は家族の労働として当然やりますよってことね。それで母親も妹も父親も助かるって外でクソみたいなバイトするよりよっぽど実家にコントリビュートできるじゃん?まぁ実質家事手伝いみたいになるってことか。でもなんでこれって女にだけ許されてるようなもんなのかね?俺みたいな対人恐怖症があってサービス業とかやりたくてもできないようなやつが家事手伝いって言えないのは何でだろうね?完全にこれって逆差別だと思うね。男がモテなきゃいけないっていう差別と一緒ね。なんで女の子から男狩りみたいなのをしないのか?ってことじゃん?マンハッタンでもそうだけどさ、ダウンタウンとかに住んでるすげーお洒落で可愛い女の子達とかって絶対みんなさ、高収入の彼氏がいるんだよね。だから彼女達はあんな場所であんな格好で生きていけるわけだ。


でもこれが逆になると成立しないのっておかしいよね?男女の差別がないっつー前提ならさ、男が実質高収入の女に食わせてもらってて良い場所に住んで良い服を着ているってのがあったっていいわけじゃん?つまりはこれって古い社会の観念の名残と現状の社会の建前との差異だよね。おっかしいよねぇー。本当に。男女の差別が無ければさ、女が男を食わせるってのがあってもいいはずだよね。それが無いってことは結局やっぱ男尊女卑なんじゃん?ってことになるよね。女性の収入が低いってことだよ。つまりは。だから女性は無職って言わないで家事手伝いとかって言って通用するわけだよね。なぜなら女性は虐げられてるからってことでしょ?でも社会としては実際はそうじゃないっつー前提で回ってるのにね、変だよねぇー。全く。まぁそんな感じで俺は当面は家事手伝いを副業に学問に専念し続けることになりそうです。しばらくは。まぁ学問っつーと偉そうだからまぁ好きな事を続けるでいいか。そういう中にウォール伝を書く時間とかエロサイト巡回とかゲームやる時間とかも全部含まれてるんだよね。学問だけじゃないからね。学問っつーとかっこよくてエクスキューズになりそうなところが嫌いだな。実際はただの好きな事の一つなんですってことがまぁすげー言いたいわけで。まぁいいや。そんな感じで今日はこの辺で。


PS


本文中にある30代ってまぁ30代前半ってことね。ほぼまだ20代と言える30代ぐらいを指してるってことで。